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日本の火山災害 [地震・火山・地質]

9月27日(土)

日本の火山災害について調べてみた。

明治初年(1868年)以降で、死者+行方不明の合計10人以上。
477人 1888(明治21) 磐梯山  山体崩壊による岩屑なだれで村落埋没
144人 1914(大正3) 十勝岳  岩屑なだれ、融雪型火山泥流
125人 1902(明治35) 伊豆鳥島  島民全滅
 72人 1900(明治33) 安達太良山 水蒸気爆発にともなう火砕サージで硫黄採掘所が全壊
 59人 1914(大正3) 桜島  噴火・地震(大正大噴火)
 43人 1991(平成3) 雲仙普賢岳  火砕流、消防団、火山研究者、報道関係者など殉職
 31人 1952(昭和27) 明神礁海底噴火  観測船第5海洋丸遭難、全員殉職
 12人 1958(昭和33) 阿蘇山  噴石
 11人 1940(昭和15) 伊豆三宅島  火山弾、溶岩流など

江戸時代までさかのぼると、
1467人 1741(寛保元) 渡島大島  山体崩壊による岩屑なだれが海に入り津波
1151人 1783(天明3) 浅間山  火砕流、溶岩流、吾妻川・利根川洪水(天明の大噴火)
とか、
約15000人 1792(寛政4) 雲仙岳  山体崩壊による岩屑なだれが海に入り大津波(島原大変肥後迷惑)
など、文字通り桁違いの火山災害がある。

今回の木曽御嶽山の噴火は、噴火の規模はそれほどではないが 、紅葉の季節、好天気の土曜日の昼頃、近年の登山ブームということで、山頂付近に多数の登山者がいたことが不幸だった。
犠牲者の数がこのリストに載るレベルにならないことを願っている。

木曽御嶽山が噴火、火砕流も発生 [地震・火山・地質]

9月27日(土)
11時53分頃、長野・岐阜県境の木曽御嶽山が噴火。
噴火警戒レベルは1(平常)で、しかもお天気が良い土曜日のため、山頂を目指す登山者が多数。
噴石が飛散しただけでなく、火砕流も発生。
小規模でも火砕流に巻き込まれたらまず助からない。
登山者の安否が気がかりだが、ともかく早く下山すること。
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↑ 噴火の瞬間をとらえた登山者の写真。
pic.twitter.com/MO83QOpJaN
状況的にかなり危険。
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↑ これ小規模ながら、間違いなく火砕流。
この中に登山者がいないことを願う。
pic.twitter.com/mobJ2mqhNh
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↑ 火山灰の中を避難する登山者。
pic.twitter.com/DRa2onaXZO

木曽御嶽山(3067m)は、日本では富士山に次ぐ標高の火山。
爆裂カルデラをもつ複式成層火山で、東日本火山帯の西端に位置する。
最近1万年間で4回のマグマ噴火と12回の水蒸気爆発を起こしたことが判っている。
1979年に約5000年にぶりに噴火。
この時もほとんど無警戒だった。
その後、1991年と2007年に小噴火しているが、今回の噴火はそれより大きく、1979年並になるかも。
今回も完全な不意打ち。
噴火してから「入山規制(警戒レベル3)」にしても遅い。
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↑ 噴煙を上げる御嶽山。右奥、遠くに富士山。
27日14時34分、共同通信社機から。
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↑ 山頂南側に3~4個の火口が開き、盛大に噴煙を上げている。
27日午後2時13分、朝日新聞のヘリコプターから。

【追記(15時半)】
山頂付近に多数の登山者が取り残されている模様。
怪我人(含、重傷者)も出ている。
噴火が続いている状況では、麓から上って助けに行くことも、山岳救助ペリコプターを飛ばすことも、二重遭難のリスクが高すぎて無理。
あとは、自衛隊の出動だが・・・。
ともかく、とてもまずい状況。

【追記(17時半)】
『朝日新聞』の最新情報によると、16時現在、意識不明7人、重症7人。
さらに増加する状勢。

【追記(19時)】
夕方のニュース、とくに別目的の取材班が偶然に噴火を撮影したNHKニュースなどを見ると、噴出物の主体は火山灰で、マグマ起源の物質(本質物)はほとんど出ていないように見える。
また暗くなっても、噴煙にマグマの熱が映える「火映」現象も観測されていないので、マグマは地上近くにまでは上がってきていない気がする。
マグマ水蒸気爆発ではなく、水蒸気爆発のように見える。

【追記(21時)】
長野県木曽広域消防本部の集計で、山小屋に取り残されている人41人、大怪我32人、その内、意識不明10人以上。
これは山小屋に収容されている登山者の把握で、山頂付近にどれだけの人が倒れているかはわからない。
近年の火山災害としては、1991年6月3日の雲仙普賢岳(長崎県)の大規模火災流(死者・行方不明43名)以来の被害になる可能性大。

【追記(28日1時)】
火山専門家の早川由紀夫先生のマップによると、火砕流は南側に流下した模様。
この方向には登山道はないので、大勢が巻き込まれた可能性は少ないと思う。
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↑ 火砕流の写真(滝越地点の固定カメラ)
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↑ 早川由紀夫先生(群馬大学)による概略図。

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御岳山が噴火、けが人多数 岐阜・長野県境、火砕流も
気象庁は27日、長野と岐阜の県境にある御岳山(標高3067メートル)が噴火した、と発表した。同庁によると、噴火は2007年以来。同庁は警戒レベルを入山規制のレベル3とした。長野県庁によると、飛んできた岩に当たって1人がけがをした。けがの程度は不明。同県王滝村などによると、複数の人が足などにけがをしているという。地元の消防によると、けが人が多数出ている。

気象庁によると、27日午前11時53分ごろに発生。国土交通省中部地方整備局が設置しているカメラでは、南側斜面を噴煙が3キロ以上流れ下りている様子が観測されているという。同庁は、噴火警戒レベルを1(平常)から3(入山規制)に引き上げ、山頂付近から周囲4キロ程度の範囲で、噴火に伴う噴石の飛散などへの警戒を呼びかけている。

群馬大の早川由紀夫教授(火山学)は「火砕流が下の方まで下っているようだ。天気がよく、登山者がいたようなので心配だ」と話した
『朝日新聞』2014年9月27日14時25分
http://www.asahi.com/articles/ASG9W4CDNG9WUTIL00B.html?iref=comtop_6_01
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噴火 山頂に150人超取り残される
◇剣ケ峰付近には100人以上

長野県と岐阜県にまたがる御嶽山(3067メートル)の27日の噴火で、長野県警の災害警備本部は同日午後2時20分の時点で山頂に約150人以上、剣ケ峰付近に100人以上が取り残されていると発表した。4人が灰に埋まっているとの情報があるという。

一方、木曽広域消防本部は、山頂付近の山小屋の経営者らの話として、同日午後2時現在、救援を待っている登山客のうち、1人は足の切断が必要とみられるほどの重傷としている。ほかに7人がけがをしているという。

長野県警の災害警備本部によると、御嶽山上空は、約1キロまで噴煙が上がっている状況が確認された。【巽賢司、福富智】
『毎日新聞』 2014年09月27日 15時05分
http://mainichi.jp/select/news/20140927k0000e040290000c.html

同性愛の再病理化が現実の問題に? [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]

9月27日(土)

隣村(同性愛の世界)の話だけど、これはちょっと見逃せない。

「LGBT当事者の声をもっと聞きたい」――国会議員へのLGBT施策インタビュー
明智カイト氏による自民党の牧島かれん衆院議員のインタビュー。
http://synodos.jp/politics/10850

後半の「今後の取り組みについてどのように考えていますか?」という明智氏の質問に対する牧島議員の答えの一部。

「同性愛はまだまだ「趣味の世界」だと思われていて偏見があります。同性愛に関して医学的な証明が必要です。これからも周囲の議員たちに理解をしてもらえるように働きかけを続けていきます。」
はっきり同性愛へ医学が介入する方向性を出している。

同性愛の再病理化については、今までもいろいろ話はあったが、そのほとんどは冗談的な文脈だった。
しかし、「自民党で最もLGBTに理解がある」議員さんが「同性愛に関して医学的な証明が必要です」と言い切った以上、もう冗談ではなく現実の問題と考えた方がいい。

同性愛の非病理化は、欧米のゲイ、レズビアンが命がけで戦った結果、やっと獲得した成果であること。
欧米を中心に人権を尊重するに先進国においては、同性愛が病理ではなく、その人の生き方であることは、もう常識であり、したがって再病理化=同性愛者への人権侵害と受け取られること。
いちばん非病理化が遅れているトランスジェンダーでさえも、脱精神疾患化は世界的な潮流であること。
こうしたことを、「自民党で最もLGBTに理解がある」議員さんは、認識していないのだろうか?

そして、こうした問題発言に対して、何も突っ込まないインタビュアーにも首を傾げざるを得ない。

「よかったですね、病気だって認めめられて」
「性同一性障害」概念の「大流行」以降、私のような病理化を拒否するトランスジェンダーがさんざん言われてきたことを、多くの同性愛者が言われる時代が来るかもしれない。
同性愛者の皆さん、ほんとうにそれでいいのですか?

【追記(27日22時)】
結局、医学的な根拠(疾患認定)を与えられ、その「お墨付き」を基に社会的な認知を得ることで、医療福祉の対象となり当事者のQOLの向上につなげ、さらに政治家を動かして「病理を前提にした戸籍の性別変更法(GID特例法)」を実現した「性同一性障害」を「成功例」と見るかどうかだと思う。
「成功例」と見るならば、それと同じ手法を取ろうとする同性愛の当事者や、そうした路線で同性愛者が抱える問題を解決しようとする政治家が出てくることは、当然、予想される。
たとえば、同性愛を再病理化して、医者に「同性愛である」という診断書を与えられた者だけが、同性婚を認められる、という形。
そうした路線を支持し推進するか、あるいは拒絶するかは、「隣村」(同性愛)の人たちが決めることだ。
ただ、病理化路線をとった場合、欧米の仲間たちの嘲笑をあびることは覚悟しないといけない。

【追記(29日13時)】
同性愛の病理化問題、元のインタビュー記事(シノドス)に訂正が入った。
「同性愛に関して医学的な証明が必要です」を消して、「『同性愛は病気ではない』という証明のための発言でしたが、誤解を招く表現でしたので訂正いたします」という編集部註が入った。
では、なぜ今さら「同性愛は病気ではない」という証明をしなければいけないのか?
同性愛が病気でないことはWHO(世界保健機構)が20年前に認めていること。
改めて証明する必要はないし、証明不能である可能性が高い。
やっぱり、この議員さんもインタビュアーも、問題の本質的な部分がわかっていない。

9月26日(金)高麗「巾着田」に曼珠沙華を見に行く [お出掛け・お遊び]

9月25日(木)  晴れ   所沢   27.9度
秋晴れの一日、仲良しのおゆうちゃんと、高麗の巾着田(埼玉県日高市)に曼珠沙華を見に行ってきた。
高麗は渡来人の里。
元正天皇の霊亀2年(716)5月、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野など7ヶ国に居住していた高句麗からの渡来民1799人を、この地に移して武蔵國入間郡を割いて高麗郡を立ててから今年がちょうど1300年。
私が高麗の里に来たのは、高麗王若光の末裔を称する一族が祭祀している「高麗神社」に拓本の調査に来て以来だから30年ぶりくらい(帰省のときに毎回通過してるのに・・・)。
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駅から細い田舎道を歩いて行くと、高麗川を渡る橋(鹿台橋)に出て、こんなのどかな景色が現れる。
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遠くに赤いものが見える。
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この場所は、高麗川(入間川の支流)が大蛇行している場所で、川に囲まれた土地(昔は田圃)の形が口を絞った巾着のように見えることから「巾着田」の名がある。
今風に言えば、Ω(オメガ)形と言った方が通りがいいかも。
特異な河川地形としては昔から知られていて、私も少年の頃、訪れたことがある。
ただ、その頃は、まだ一般に知られた観光地ではなかった。
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ところが、昭和40年代後半に当時の日高町が耕作が放棄された巾着田の用地を取得し、藪や竹、芦などに覆われていた土地を整地したところ、ヒガンバナがたくさん咲くようになった。
川の増水で流れ着いた球根が根付いて繁殖したものと思われる。
現在は秋の彼岸の前後に約500万本のヒガンバナが花開く日本一の大群生地になっている。(以上、パンフレットから)。
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観光地として有名になったのは、たぶん10年くらい前からだと思う。
2005年頃からは、ヒガンバナが花開く9月のこの時期に限り、最寄りの高麗駅に特急レッドアロー号が臨時停車するようになり、都心からのアクセスが向上した。
今日、私たちも西武池袋駅11時30分発の特急「ちちぶ13号」に乗ってきたが、乗車時間はわずか47分だった。

ヒガンバナは、手前のエリアが早咲き群生地、奥のエリアは遅咲き群生地とのことで、今年は開花が早めで、遅咲きエリアがまさに花盛りだった。
見事は見事なのだが、私のイメージとはちょっと違った。
私のヒガンバナのイメージは田圃の畔や土手など空が開けている場所に咲いているものだった。
ところが、ここではほとんどが雑木林の中、木の下に咲いている。
だから、今日のように日差しが強いと、写真撮った時に、木の間から日が差している場所と木陰の場所で色が変わってしまう。
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川はすぐ脇を流れているので、ヒガンバナと川をいっしょに写せるポイントも多い。
ただし、やはり露出が難しい。
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ところで、ヒガンバナだが、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草で、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という異名はサンスクリット語の manjusaka(マンジュシャカ) の音写。
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日本の在来植物ではなく渡来植物。
その証拠に、人里近くにしか生えない。
おそらく水田稲作の渡来とともに、中国江南地方から渡ってきたのだろう。
おもしろいのことに、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一で、大陸から渡ってきた1株の球根(正確には鱗茎)の子孫らしい。
三倍体であるため種子で増えることはできないので、人為的に株分けしていった結果と思われる。
なぜ、稲作農耕民がヒガンバナを増やしていったというと、球根にアルカロイド毒性があるため、田圃の畔に植えておくと、鼠やモグラなどの田を荒らす動物や虫が寄り付かなくなるためという。

また、ヒガンバナは列を作って咲く性質があるようで、面的に咲いているように見えるここでも、その様子は観察できた。
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白いヒガンバナは、群生地ではごくわずかで、ほとんどないに近い。
この土手だけは、少しまとまって白が咲いていた。
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見上げれば、雑木林の樹間から秋の青空。
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1周して、少し足が疲れたし、お腹も減った。
早咲きエリアと遅咲きエリアの中間にある「ふれあい広場」に戻って、いろいろ出ているお店から、おいしそうな物を選ぶ。
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迷った末に「肉豆腐丼」(500円)。
ご飯の上にかなりの量のお豆腐を乗せて、その上に豚肉やしらたきを煮込んだお汁を掛けたもの。
「肉豆腐」のイメージがちょっと違ったが、なかなかおいしかった。
お豆腐、こういう食べ方もあるのかと納得。

遅目のお昼ご飯を食べ終えた頃、少し日が陰って、撮影条件が良くなったので、群生地に戻って撮影。
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↑ おゆうちゃんは、緑基調の変わり亀甲柄の銘仙の着物。
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ヒガンバナは背が低いので、腰掛けたり、屈んだりしないと、なかなかいっしょに写らない。
いろいろ構図に苦労する。
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↑ 私の着物は、ヒガンバナの赤との映りを考えて、黒地に深緑の大矢絣の伊勢崎銘仙。
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↑ 結局、いつものハイアングル自撮りが好結果。
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↑ 久しぶりのツーショット。

川の方に行ってみる。
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↑ 土手の傾斜を使って、やっと背景が真っ赤な写真が撮れた。
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↑ 着物で川の中に入っていく人は珍しい。
何をしてるのだろう? お魚を狙っているのか?
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↑ 私も川をバックに撮影。

少し離れた所にあるコスモス畑に行ってみる。
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↑ 草原をこういうお姐さんが歩いているというのも珍しい。
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↑ コスモスの柄の羽織を着て、コスモス畑で写真を撮りたかったそうな。
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↑ 残念ながらまだコスモスの花は盛り前で密度が今ひとつ。
羽織の方が勝っちゃった。
P1120453 (3).jpgせっかくなので私もコスモス畑で1枚。

ああ、よく遊んだ。
足も疲れた。
ということで、高麗駅に戻る。
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↑ 途中の売店にいたコマノサトネコ。
高麗王若光の愛猫の子孫。
高句麗から日本に渡来して1300年、独自の進化をとげた貴重種(←ただのグタ猫にゃ)。
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↑ 「水天」さまの石塔。

久しぶりのおゆうちゃんとの遠出、お天気にもお花にも恵まれ、楽しかった。

9月25日(木)骨格矯正  [日常(通院)]

9月25日(木)  雨のち曇りまた雨   東京   28.5度   湿度73%(15時)
12時、起床。
朝食は、洋梨デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結び、シュシュを巻く。
ブログに友人の新著の紹介をアップ。
13時40分、化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ。

14時50分、家を出る。
台風崩れの温帯低気圧がもたらした嵐が過ぎて、なんとなく夏っぽい青空がのぞく。
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湿度が高く、駅まで歩く間に汗が出る。

東急東横線で渋谷に出て、東京メトロ半蔵門線で表参道駅へ。
駅のすぐ上の(地下1階)のフードコート「MARCHE DE METRO」で遅い昼食。
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↑ 「Bistro LYON」の2色ソースオムレツ・ライス(980円)
オムレツ、デミグラスソースはおいしい。
ホワイトソースはちょっと味が薄いかな。
でも、フードコートも店名もなんでフランス語ばかりなんだ?
ここはフランス租界か?
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地上に出ると、「あれ?」空が暗い。
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青山通りのすぐ裏路地に大きなお寺は「南命山善光寺」。
意外に知られていないが、信州善光寺の別院で、浄土宗の尼寺で。
慶長6年(1601)に徳川家によって谷中に勧進されたが、火災に遭って、現在の青山に移された。
今度、時間を作ってお詣りしよう。

青山通りを外苑方向に少し歩いて「ポルクス整骨院」へ。
先生がここに移転して6度目の鍼治療。
今日は、まず、こんな器械を使って全身の骨格調整。
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その後、上半身、とくに肩甲骨と痛む右腕を中心に鍼を打ってもらう。
さらに、オイルマッサージとストレッチ、そして肩関節の矯正。
う~ん、かなり歪んでいたんだ。
17時10分、辞去。

外に出ると、小雨が降り出していた。
駅まで急ぐ間、足がスムーズに出る。

自宅最寄り駅前の本屋で時間調整して、仕事帰りのパートナーと待ち合せ。
幸い雨は止んだ。
19時、帰宅。

夕食の支度。
豚のはらみ肉の塩たれ炒め。
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マッシュルームとオクラの炒め物。
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食後、1時間ほど眠る。
起き出して「日記」を書く。

お風呂に入って髪を洗う。
明日は早起きなので、早寝。
就寝、2時。

茶園敏美著『パンパンとは誰なのかーキャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性』 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月25日(金)
今朝、届いた、茶園敏美さんの新著。
ずっと執筆を見守っていた愛猫が刊行直前に急死した悲しみを越えて・・・。
茶園敏美著『パンパンとは誰なのかーキャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性』
(インパクト出版会 2014年9月30日発行、296頁、2800円+税 ISBN978-4‐7554‐0248‐7)
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インパクトのある表題、過去と現在を対照させた装丁もすてき。
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内容は、従来見過されがちだった、戦後混乱期の日本人女性への性暴力問題を、神戸を主なフィールドに多彩な史料を駆使して多角的に論じている。
特に「キャッチ」(街娼を摘発して強制連行すること。警察用語では「狩り込み」)と「性病対策」の2つの視点が重要。
この分野の研究書として、おそらく今世紀に入ってで最も大きな収穫だと思う。

これから、じっくり読ませていただきます。
ありがとうございました。

福島県沖でM5(最大震度4)が連発 [地震・火山・地質]

9月24日(水)
福島県沖でM5(最大震度4)が連発。
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9月24日21時45分頃、震源地は福島県沖(北緯37.5度、東経141.4度)、
震源の深さは約50km、地震の規模はM5.0。
福島県楢葉町、浪江町で震度4を観測。
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9月24日22時31分頃地震がありました。
震源地は福島県沖(北緯37.5度、東経141.4度)、
震源の深さは約50km、地震の規模はM5.2。
福島県二本松市、楢葉町、浪江町、南相馬市などで震度4を観測
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ウチ(川崎市中原区)は、気象庁の発表で1度目は無感、2度目は震度1。
体感では1度目は震度1、2度目は震度1と2の間くらい。

どちらも2011年3月11日の東北地方太平洋沖大地震(M9.0)の余震。
3年半経っても、まだ余震が続いているということ。

神戸女児殺害・遺体遺棄事件で47歳男性を逮捕 [事件・事故]

9月24日(水)
神戸女児殺害・遺体遺棄事件で47歳無職の男性を逮捕。

昨夜、予想した通り、同じ地域に住む人間だった。
容疑者の自宅があるアパートは、遺棄現場からわずか50m、テレビに何度も映っていた遺棄現場に至る階段の途中。
被害者の少女の自宅から150m。
被害者の自宅と行動範囲、加害者の自宅(おそらく殺害現場)、遺体遺棄現場は半径200m」ほどの極めて狭い範囲の犯行。

警察は遺体遺棄現場の草叢を捜索していなかったとのこと。
不確実な目撃情報を信頼したため、典型的な「灯台下暗し」になってしまったようだ。
それにしても、遺体の入った袋に名前入りの診察券が入っているとは・・・、警察もびっくりしただろう。

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女児遺体遺棄容疑、47歳男を逮捕 袋から男の診察券

神戸市長田区長田天神町1丁目の草むらで23日に複数のポリ袋に入った子どもの遺体が見つかった事件で、兵庫県警は24日、DNA型鑑定の結果、遺体の身元を行方不明になっていた神戸市立名倉小学校1年の生田美玲(いくたみれい)さん(6)と確認し、発表した。県警は同日午前、発見現場近くに住む男(47)から事情聴取を始め、事件に関与した疑いが強まったとして死体遺棄容疑で逮捕した。

県警は同日、捜査本部を設置。殺人と死体遺棄の疑いで現場検証を始めた。

捜査関係者によると、頭部と胴体、両足がそれぞれ別のポリ袋に入れられていた。傷みが激しく、少なくとも死後数日は経っているとみられる。何かで切断された痕跡があり、遺体の一部は見つかっていない。県警が発見現場周辺で遺留品とともに捜している。

ポリ袋からは男の名前が書かれた診察券が見つかったという。美玲さんが11日に行方不明になったときに身に着けていたものと同じピンクと青のワンピース、肌着、水玉模様の紺のサンダルも複数の袋に分けて入れられていた。

ポリ袋は複数枚が重ねて使われていた。すべてが同じ種類ではないという。袋は計6袋あったという。

発見現場は、美玲さんの自宅から約100メートル東にあるマンションそばの草むら。遺体は半径5~10メートルほどの範囲に置かれていた。23日午後4時10分ごろ、美玲さんを捜索中の捜査員が異臭に気付き、ポリ袋を発見した。そのうちの一つを少し破って確認すると、子どもの小さな手が見えたという。

県警は連日、自宅周辺の茂みなどを大勢の捜査員で捜索していた。発見現場については、近くにある空き家とその周辺を捜していたが、ポリ袋が置かれていた地点は捜索していなかったという。

美玲さんは11日午後2時45分ごろに同級生の女児とともに下校。後で一緒に遊ぶ約束をして、祖母宅にランドセルを置いて外出したとみられている。

同3時15分ごろ、近くのコンビニエンスストアの防犯カメラに日傘を差して歩く姿が映っていた。その後、美玲さんは遺体発見現場とは別の、コンビニ店近くの同級生が住むマンションを訪問。日傘はこのマンション前の植え込みで見つかった。このマンションに美玲さんは今夏まで住んでおり、今の自宅には引っ越したばかりだった。自宅が片付くまでの間、祖母宅に一時身を寄せていた。

美玲さんはその後、近くの幼稚園や交番付近にいるのを同じ小学校の児童が目撃していたが、午後5時半ごろ、祖母宅から南東に約600メートル離れた公園付近を南へ歩く姿が目撃されたのを最後に行方が分からなくなっていた。
『朝日新聞』2014年9月24日12時39分
http://www.asahi.com/articles/ASG9S31RBG9SPTIL004.html
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逮捕の男、現場30m先に自宅 地域清掃にも参加
県警が死体遺棄容疑で逮捕したのは、遺棄現場近くに住む男(47)。遺棄現場から約30メートル離れた文化住宅に住んでいた。
男と面識があるという元民生委員の女性によると、この文化住宅のゴミ出しのマナーをめぐり、自治会長が注意をしたことがあったという。その際、応対した男は「自分が他の住民の分もやります。自分が責任を持ってみんなの分までゴミの分別をします」と言っていたという。またこの女性は、男が自宅近くの店で買い物をしているところも見たという。女性は「この店には美玲さんもお菓子を買いに来ていたようだ」と話した。

付近の住民によると、男はこの文化住宅に1~2年前に引っ越してきた。道ばたで会うとあいさつし、「地元のゴミ掃除活動にも参加しており、見た目は真面目そうな感じだった」と話す。今年の正月には母親が遊びにきていたという。
『朝日新聞』2014年9月24日12時40分
http://www.asahi.com/articles/ASG9S3K6DG9SPTIL011.html?iref=comtop_6_01

神戸市長田区女児行方不明事件、最悪の結果に [事件・事故]

9月23日(火・祝)
ああ、やっぱりなぁ。
かわいそうに・・・。

袋に入った遺体が見つかったということは、事故ではなく、殺人死体遺棄事件ということ。
犯人、絶対に捕まえないといけない。

名倉幼稚園の近くの草叢って、女の子の家のすぐ近く(直線距離約100m)じゃないか。
17時半頃、700mも離れた場所を南の方にさらに歩いて行ったという目撃情報(地図の⑤⑥)があったが、それは見間違いではないのか?
1932741619_19.jpg
女の子が大事にしていた日傘がコンビニエンスストア近くの同級生宅マンションの前に放置されていた。
私には女の子が大事にしている物を乱暴に捨てるということが、イメージしにくい。
ここが重要なポイントだと思う。
ここで犯人に連れ去られたのではないだろうか。
もしかすると、不確実な目撃情報を重視して初動捜査の方針を間違ったのでは?

遺体はポリ袋に入って置かれていたという。
また、遺体が遺棄されていた草叢は周囲をマンションや人家に囲まれていて、土地勘の無い者はまず入らないと地元の人は言う。
それと、遺体が犯行直後にここに置かれていたとしたら、警察の重点捜査エリアであり、もっと早くに発見されていただろう。
どうも、遺体は最近になってからここに置かれた可能性が高いように思う。

という状況を考えると、犯人は比較的近所の住人で、女の子とは初対面ではなく、なんらかの形で見知っていた人物の可能性が高いように思う。
自動車などは使って遠方から来た人間ではないと思う。
たとえば、マンションの前を歩く女の子に声を掛けて自分の部屋に誘い込んで殺害、遺体をしばらく部屋に置いていたが、処置に困って袋に入れて近くの雑木林に捨てる・・・という形の犯行かもしれない。

【追記(23時)】
22時57分配信の『朝日新聞』の見出しが「複数の袋に遺体」、記事に「子どものものとみられる小さな手も含まれていた」。
ということは、・・・ひどい・・・。
警察がなぜ予告通りの時刻に記者会見をしないのか不思議に思っていたが、遺体の損壊がひどく身元確認が難しいのだろう。
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号外:神戸市長田区で遺体のようなものを発見。11日から行方不明の女児との関連捜査
『朝日新聞』2014年9月23日20:05
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小学校近くに遺体か 不明女児と関連捜査 神戸・長田区
23日午後、神戸市長田区の市立名倉小学校の近くで、遺体のようなものが見つかった。兵庫県警は11日から行方不明となっている生田美玲さんとの関連を調べている。
『朝日新聞』2014年9月23日20:10
http://www.asahi.com/articles/ASG9R6KWJG9RPIHB01R.html?iref=comtop_6_01
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神戸・長田で袋に遺体 不明女児、自宅近くの雑木林
23日午後4時ごろ、神戸市長田区長田天神町1の雑木林で、兵庫県警の捜査員がビニール袋に入った子どもの遺体を見つけた。県警は、11日から行方が分からなくなっている市立名倉小学校1年の生田美玲さん(6)=同区長田天神町1=との関連を調べている。

捜査関係者によると遺体が見つかった場所は、美玲さんの自宅から東約90メートルで、同小学校にも近い。遺体は複数の袋に入っており、切断された子どもの頭部と手が確認された。死後数日はたっているとみられる。県警は死体遺棄容疑で捜査本部を設置する方針。

美玲さんは11日午後2時45分ごろ下校し、自宅近くの祖母宅にランドセルを置き、出かけたとみられている。向かった先は8月まで住んでおり、同級生も暮らすマンション。午後3時15分ごろ、近くのコンビニの防犯カメラに一人で日傘を差して歩く姿が映っていた。日傘はマンションの植え込みで見つかった。

午後4時半ごろには名倉幼稚園前、その30分後には名倉交番横の階段などで、児童が目撃した。同5時半ごろ、祖母宅約600メートル南東の大丸山公園付近などで目撃されたのを最後に、足取りが分からなくなっている。

同7時5分、母親(29)が長田署に「子どもが帰ってこない」と通報。12日午後、県警は美玲さんの顔写真や名前を公開し、捜索を始めた。小学校教職員や保護者、市職員らも連日ビラ配りを行い、情報提供を呼び掛けた。

県警によると、12日の公開捜索から23日までに警察官延べ約2600人を投入。長田区内を中心に防犯カメラ161カ所の映像を回収した。住民らから寄せられた情報は同日午前9時までに283件に上るが、これまで有力な手がかりを得られていない。

遺体の発見場所は、神戸電鉄有馬線長田駅から南西約300メートルの住宅街。細い路地の階段を上った先にある雑木林で、一帯はこれまで捜索範囲に入っていた。
『神戸新聞』2014年9月24日 00:15
http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/201409/0007357677.shtml



女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その9)―紫の壁の店の写真― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月22日(火・祝)
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
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(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理―
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2
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コレクションの中に特徴的な紫色の壁の店で撮影された写真(カラー)が何枚もある。
fu5-6折鶴 (2).jpg
↑ (fu5-6)紫の壁の店の写真に写っている人物はこの3人。
fu4-9(折鶴) (2).jpg
↑ (fu4-9)
fu2-24 (折鶴)(2).jpg
↑ (fu2-24)どうも、貫録(年齢)からして、白い着物の方がママのようだ。
fu2-4(折鶴) (2).jpg
↑ (fu2-4)スリーショットで後に写っている人の単独写真。
細身でスタイルが良い、当時としては現代的な雰囲気の人。
fu5-16 (折鶴)(2).jpg
↑ (fu5-16)この黄金色の服の人も、カウンターの中に入っているのでお店の人のようだ。
fu2-26 (折鶴)(2).jpg
↑ (fu2-26)同じ人の別の場所で撮った写真がある。
テレビがある和室。
店の2階のではなく居住スペースだろうか。
fu5-22(折鶴) (3).jpg
↑ (fu5-22)左端にカメラマンの男性が写っている。
雑誌かなにかの撮影を、サイドから写したものだろうか。
fu5-14 (折鶴)(2).jpg
↑ (fu5-14)壁の色からして同じ店。
この紫の服の人は、髪型は違うが、細い足が同じで、黄金色の服の人と同じ人ではないかと思う。

fu1-25 (折鶴)(2).jpg
↑ (fu1-25)青い服の人は、単独の写真がない。
お店の人ではなく、お客さんかもしれない。
あれ?この方、どこかで見た覚えが・・・。

そこで、この写真と(おそらく)同時代の新宿女装世界で活躍された松葉ゆかりさんのアルバム(コピー)を調べてみた。
松葉ゆかりさんは、元「富貴クラブ」会員で、1967年2月に新宿5番街に開店した東京最初のアマチュア女装バー「ふき」(1969年9月に「梢」と改称)のチーママになり、1980年頃まで新宿の女装世界で活躍された方。
そのライフヒストリーは、「戦後日本トランスジェンダー社会史研究会」がインタビューして、「松葉ゆかりのライフヒストリー」として『矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』 (中央大学出版部 2006年3月)に収録されている。

あった!
1974年2月、花園3番街「折鶴」2.jpg
間違いなく、同じときの写真。
松葉さんのメモによると、撮影時期は1974年2月。
さらに、こんな写真も。
1974年2月、花園3番街「折鶴」1.jpg
「ゴールデン街『折鶴』のママ、お兄さんのほう」というキャプションが付いている。
「折鶴」は新宿花園三番街の(花園神社側から入って)いちばん奥、左側にあった店。
1969年の地図にはすでにある。
http://goldengai.jp/_userdata/196900.PDF
1962年の地図にはない「山びこ」という店)ので、1960年代中ば~後半の開店と思われる。
私がこの界隈で遊び始めた頃(1994年頃)にはまだ看板が出ていた(行ったことはない)。
現在は「洗濯船」という店になっている。

松葉さんが言うように「姉妹」(兄弟)でやっていた。
「姉」(お兄さん)がママで、「妹」(弟さん)がホステスで。
ということは、松葉さんが「お兄さんのほう」という写真の方が、最初から2、3枚目(fu4-9、fu2-24)の白い着物の人と同一人物だろうか。
化粧の仕方は似ているように思う。

ということで、この紫の壁の店は、新宿花園三番街にあったゲイバー「折鶴」であることがわかった。

ちなみに、青い服の方は、松葉さんの友人で、やはり「梢」グループの洋子さんとのこと。

ここに至って、なぜ「富貴クラブ」の西塔哲会長と松葉ゆかりさんのアルバムに同じ写真があるのか?という疑問が出てくる。
なぜなら、松葉さんが属していた「梢」グループは、1968年2月頃に「富貴クラブ」を退会させられているからだ。
この件、さらに検討しないといけない。

【追記】
さらに、松葉さんにうかがったところによると、一連の写真の撮影者は、松葉さんの友人で「梢」のアシスタントである寿美子さんで、松葉さんは寿美子さんから写真をもらったとのこと。
おそらく、寿美子さんが「折鶴」にプリントを渡し、それがさらに西塔会長に渡ってのではないか、とのお話だった。