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『Antitled』3号に「資料紹介」を投稿 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

2月8日(木)

『Antitled』3号に、「資料紹介」として、「責め場の女形に憑かれて―中村和美さんからの手紙―」を投稿。

1970~80年代、数多くのSM雑誌に告白記や小説を寄稿した女装マゾ・中村和美のライフヒストリー的手記。

2003年、ご本人から「こんな人生があったことを後世に伝えて欲しい」と、長文の手紙と多数の画像を託された三橋順子が、構成・編集して解説を付した。

写真資料は、中村和美の妖艶な被虐美の世界をリアルに示すもので、資料性のあるもの、内容に則したものを三橋が選んで、キャプションを付した(性器が写っているものは除いた)。

責め場の女形への憧憬に始まり、性別越境(女装)、マゾヒズム、和装フェティシズム、男色が交差するセクシュアリティの記録として、他に類例がなく資料価値が高いと、私は考えるのだが・・・。

果たして、編集委員の理解が得られるどうか? 採否は五分五分かな?と思っている。

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ライフヒストリー調査 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月23日(火)

本格的なライフヒストリー調査というものは、時間も、手間も、したがってお金もかかる。

私は、2000年代に、中央大学社会科学研究所のプロジェクトで、3人の方(女装者2人、女装者愛好男性1人)の本格的なライフヒストリー調査をしたので、そのあたりの大変さは、よくわかる。

調査者(聞き手)が大学の常勤の先生でも、個人研究費ではきつい。
私のライフヒストリーを聞き取ってくださる先生も、最初は個人研究費だったが、科研費を取ってくださった。

だから、私のような野良研究者が、本格的なライフヒストリー調査をするのは費用的に無理。
それでも、話を聞いておきたい、記録しておきたいという方はいるので、簡易版のライフヒストリー的なものは、できるだけ世の中に残しておきたい。

今、原稿の校正をしている、1970~80年代に活躍した女装マゾ・中村和美さんの記録も、そうした簡易版のライフヒストリー的なもの。

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1月5日(金)ハーバード大学の院生さんと面談 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月5日(金)

16時、新宿でハーバード大学の院生さんと面談。
とても聡明な方で、お話ししていて楽しかった。

お母さんが日本人、お父さんがアメリカ人で、高校まで日本で育ったとのことで、日本語が母国語、小中学校はインターナショナル・スクールに通っていたとのことで、日・英のバイリンガル。
それにしても、日本の「普通の高校(と彼女は言った)」からハーバード大学に進学するって、ちょっと想像が付かない。

日本の性別越境者の芸能(主に音楽)で博士論文を書きたい、メインは現代のフィールドワークだけど、その背景として、歴史的なことを知りたい、ということで、私にレクチャーを求めたとのこと。

私の本も読んでいて。よく勉強している。

ご希望に応じて、日本における性別越境者の芸能の歴史について知っていることを述べる。
さらに、発声についても。

いろいろ話が広がり、レクチャーは2時間半に及んだ(私のレクチャーは2時間が基本なので30分サービス)。

最後に、本にサインして終了。

彼女が博論を書くのは早くても3年後。
「その時まで私が生きているかわからないけど、頑張ってね」
と別れた。

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明治末期~大正期の新派女形のセクシュアリティ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月24日(日)

明治末~大正期の女形に「天下三尻」と称せられる人がいた。
井上春之輔、花園かをる、若水美登里とのこと。
(鎌田意好「異装心理と異性装者列伝」『風俗奇譚』1965年9月号)

井上春之輔は、新派の静間小次郎一座の立女形として活躍した人で、「奥様お春」と言われた。
後に一座の色敵役・浮世捨次郎と「夫婦」になった。
日本映画初期の女形俳優・監督として活躍する衣笠貞之助(1896~1982年)が、1916年に、京都の静間小次郎一座に入ったときに、一座の花形女形・井上春之輔の名から「小井上春之輔」と名乗ったという話がある。

花園かをるは、歌舞伎女形の板東秀調(1880~1935年)の弟子で、後に新派の川上音二郎一座に入り、立女形として重きをなした人。
劇作家の佐藤紅緑の「お手つき」と言われた。

若水美登里(1882~1934年)は、浅草の常盤座の立女形として活躍し、後に連鎖劇の山崎長之輔の一座に入った。また初期の映画にも出演している。
妖艶な美貌で知られ、潮来地方(茨城県)を巡業中、佐原(千葉県)の呉服屋の若旦那に見初められ、結婚を申し込まれて大騒動になるエピソードがある。

「天下三尻」の名が示すとおり、20世紀初頭の新派・女形には男色行為(肛門性交)が伴うのは珍しいことではなかった。

これは、明治の九世・市川團十郎 (1838~1903年)の「歌舞伎改革」(1880年代)で、歌舞伎女形と男色の関係が(少なくとも公式には)断絶した結果、女性化心理が強い女形が新派に活路を求めたことによる。

実際、劇団関係者との男色関係だけでなく、地方回りなどの際に地元有力者に請われて酒席だけでなく枕席に侍るのは。むしろ常態だったと思われる。
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11月30日(木)Patrick Carlandさんと面談 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月30日(木)

新宿の喫茶店で、アメリカ・ペンシルバニア大学大学院東アジア文化学部のカーランド=エチャバリア・パトリック(Patrick Carland)さんと面談。

パトリックさんは、現在、早稲田大学に留学中(来年5月まで)で、日本の戦後同性愛文化、とくに占領期から1960年代までの時期について、アメリカと日本の文化交流について博士論文を執筆中とのこと。

日本人研究者もほとんどいない分野で、かなり難しいテーマ。
かつ、日本の占領期の資料(雑誌・書籍など)は、進駐軍の検閲で、同性愛関係の記述はきわめて乏しい。

むしろ、アメリカの文献に記述が残っている可能性がある。
そのあたりの「発掘」に期待したい。

日米双方の数少ない資料を突き合わすことで、新たな発見があると思う。

2時間半、有益で楽しい意見交換だった。

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10月29日(日)レジェンダリートークショーVol.1 京都「カルシウムハウス」梶子ママ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

10月29日(日)

アマランスラウンジの「レジェンダリートークショーVol.1 京都「カルシウムハウス」梶子ママ」にお出かけくださった皆さま、ありがとうございました。

司会・進行の私が何度も笑い転げるような、楽しいお話しの連続で、もっとお話しをうかがいたいと思いました。

梶子ママ、企画のEdoさん、ありがとうございました。

【追記】月曜日、一日中、臥せっていて、御礼が遅くなり失礼いたしました。
内容については、後日、まとめます。
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ある女装者の「日記」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月3日(日)

新宿・歌舞伎町にあった女装スナック「ジュネ」を舞台にした、ある女装者の「日記」が、「自費出版するので下読みしてください」と送られてきた。

10万字超の長編だが、京都出張の車中で読み終える。

時期は1986~1994年の9年間で、私が「ジュネ」のお手伝いを始める(1995年夏~)時期とは重ならず、最後のあたりで1箇所だけちらっと出てくるだけだが、薫ママ、麻衣子さん、あゆみ先輩、ニーナさん。美樹姉さん、静香姐さん、中島恵さん、滝(あすか)さん、斎藤さん・・・、懐かしい人たちがたくさん出てきて、目頭が熱くなる。

昭和末期~平成初期の新宿女装コミュニティの記録はほとんどないので、史料としての価値が高い。

加えて、バブル全盛期から崩壊期の活況に満ちた、ある意味、めちゃくちゃな世相も、今となっては貴重な記録。

1人の女装者が、コミュニティでの交流を通じて、女装の技術と社会性を身につけ、自己肯定感を高めていく物語として、読むことができる。

まさに、1980~90年代の女装者の「リアル」がそこにある。

出版まで、全力でサポートしたい。


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「乙女塾」インタビューシリーズ完結 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

8月12日(日)

「乙女塾」のインタビューが完結。

順子の「昔話」というか、「遺言」というか、まあ、そんな企画。

(1回目)
「『LGBTQ+とそのアーカイブ』集める意味は?」
https://otomejuku.jp/media/10628

(2回目)
「「女装は男に尽くすもの」昭和の女装カルチャーって本当?」
https://otomejuku.jp/media/10686/

(3回目)
「インターネット以前、女装やトランスジェンダーはどうやって出会っていた?」
https://otomejuku.jp/media/11433
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戦後世界初の「性転換手術」はやはり日本(ほぼ確定) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

6月29非(木)

日本最初の「性転換女性」永井明子さん(男性名:明)の「性転換手術(造膣手術)」の時期については、今まで「1951年春」という記述をデータとしていた。

ところが、先日入手した『りべらる』1955年7月号の「男になった女体」という記事に「昭和26年(1951年)2月」という記載があることを見つけた。

記事自体は女性から男性に「性転換」した陸上女子投擲競技の日本チャンピオン堤清貴(女性名:妙子)さんについてのものだが、思いがけない拾い物。

これで今まで微妙だったイギリス空軍中尉Robert Marshall Cowell(女性名:Roberta Elizabeth Marshall Cowell)の「性転換手術」(1951年5月)との先後関係が明らかになり、永井さんの「性転換手術」が、戦後9世界最初であることが、ほぼ確定した。
https://junko-mitsuhashi.blog.ss-blog.jp/2017-01-15
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「We are Transgenders.」に記録された1990年代後半の先進性 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

5月29日(月)

ドキュメンタリー映画「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!~」(尾川ルル監督、1998年)に記録されている1990年代後半の先進性。

(1)「Xジェンダー」概念の萌芽が確認できる

「自分が生まれた時に決められた性別と違う何かになろうとしている人」
  ↓
MtX、FtX(2000年代)
  ↓
Xジェンダー(2010年代)

(2)民法を勉強し、可能な限り婚姻と同等の権利を記した事実婚公正証書を作成した同性カップルがいたことが記録されている。
 → 渋谷区が公正証書を取り入れた同性パートナーシップ条例(2015年)に先立つこと18年前。

(3)性的マイノリティの「挙児」に注目している。
「おかま」と「おなべ」(いずれもご本人たちの自称)の夫婦の「挙児」と子育て。
 → 性的マイノリティの「挙児」が社会的に注目される2010年代後半の約20年前。

(4)いろいろな人たちが、性別(ジェンダー)は自己選択・自己決定であることを語っている。
 → 精神科医に性別を認定してもらう「性同一性障害」の病理的・他律的な発想と決定的に異なる自律的思想。
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