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おかま、おかめ、カクサイボーイ、レンコン -プランゲ文庫の戦後男娼資料から- [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

6月23日(日)

2010年3月7日「性慾研究会」(兄弟会館)での研究報告(レジュメ)                      

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おかま、おかめ、カクサイボーイ、レンコン -プランゲ文庫の戦後男娼資料から-
                                  三橋 順子
1 「おかま」

資料1:角 達也「飢餓と淪落の生態-上野に拾う職業諸相-」
(『旬刊ニュース』32号(上野へ行く) 1947年1月15日 東西出版社 J382)
 1946年晩秋の上野のルポ。「おかま」の項目。上野の男娼についての最初のルポルタージュ。(写真多数、内2点が男娼関係)

おかま
日が暮れると上野の山に女装した男たちが現われる。ドーラン化粧のメーキャップで背が高く颯爽として本当の女達よりモダンだ。女達は彼等を、姐さんと呼ぶ。男あつかいにすると蹴飛ばされる。ギャングのお春さんと云う名に似ないおだやかな、世話好きのバクチ打ちの女形。車坂のお師匠さんとよぶ流しの芸人。お菊姐さん等が親分株。お市、お富、お瀧、狸のまーちゃん。十銭坊やなど――派手な連中を中心に三十六七名がいる。かせぎ場は山。一回二〇〇円の規定。だが一〇〇円の仲間破りが出るとお春さんが嘆く。一夜で千円程度。縄張は緩いが、すぐ男とバレるような素人は仲間の邪魔になるから追出す。金を集めて差入れや入院の見舞をしあう。
彼等の男に対する恋愛感情に三態ある。
一、絶対に女と思われたい、女姿にほれられたい者。
二、情夫の洗濯をしたり連子の世話をして女のようにやさしいと云う事でほめられたい者。
三、女装は生活の方便。かつらを脱いで同性愛でほれられたい者。
 彼等は、夏の間は女よりも収入が多く、生活もしっかりしている、が寒くなると、客は宿屋に、泊りたがる。彼等はバレるから、泊りは苦手であって、不景気になる。
 女装の他に、男装の男(ややこしいが陰間)が男を漁って歩く。しかし大阪の客のように粋な習慣のない東京では、男装では金にならぬ。女をたらして、男に貢ぐもの。盗みをする犯罪者。この人種は意外に多い。

資料2:岩崎 弘「男娼の生態」
(『特ダネ雑誌』2巻3号 1948年2月 スクープ社 T579)

 東京では男娼のことを「おかま」と言う。しかし、彼女等 ―彼らと言うのが本当かもしれないがこの方がピッタリする― はこの言葉が嫌いだ。彼女等は
 「大阪では私達をみると“ホラお姐さんが通るよ“と言うのね。所が東京では“オイ、あいつはおかまだぜ“こうでしょう。気分が悪いわ」
と言うのである。それで私も“おかま”とはいはずに関西で“お姐さん”の外にもっと一般的に使はれている“陰間”という言葉を用いることにする。

資料3:角 達也「男娼の世界-『男娼の森』創作ノート」
(『世界評論』4巻2号 1949年2月 世界評論社 S765)

(前略)上野の寺小姓も明治維新で浅草に投出された。この系譜は大正時代まで浅草中心の芸人、流し芸人としてつづき、かつぽれ踊りやたいこ持を兼ねて、ひそかな男色を売っていた。大震災で生活を失い、大挙して大阪の釜ガ崎に移動した。俗称のオカマというのは、肛門淫姦の昔からの言葉だが、上野の男娼たちは釜ガ崎の頭文字からでた呼び名だと信じているので、私も小説の中では、これに従った。釜ガ崎の男娼に就ては、武田麟太郎氏の小説がある。釜ガ崎も空襲で阿倍野の旭町通に移動した。ここを総本山と上野の男娼は信じている。また実際に交流がある。

資料4:江戸川乱歩司会「(座談会)夜の男の生態」
(『旬刊ニュース』52号 1949年2月10日 東西出版社 J382)
 
「おかま白書」(用語辞典)
ごれんさん 男娼の世界ではオカマという言葉を非常に嫌う。仲間同志を呼ぶ場合、「ごれんさん」という。ごれんさんにも男女両方の作用が出来る「おたち」と全然女としての気持だけしかない「おねえ」に分かれる。

(参考資料)角達也『男娼の森』(1949年4月 日比谷出版社)
(38頁)
「良いのよ。お客が千円呉れたんだからさ。全部取って置けばいいのよ。私にはよいから、オンナガタのお姐さんたちによくお礼を云うのよ……オンナガタのお姐さんよ。オカマなんて間違っても云うんじゃないのよ。オホホホホ、皆さんどうもすみませんでしたね」
(53頁)
商売の呼名もオンナガタに一定した。芝居のおやまと云う言葉は侮辱的なオカマと紛れ易いからだ。仲間の事も、初めは出鱈目に―お姉さん、オネエ、一件仲間、毛知り、おかまやさん、ゴレンサン等―と呼びあっていたが、「御連さん」と定めた。(53頁)

2 「おかめ」、「カクサイボーイ」

資料5:「おかめの巻:女装(ぢよそう)の男」
(『犯罪読物』1巻3号 1947年10月 犯罪科学社 H242)

闇の女の領分を荒す闇の男に、オカメとカクサイボーイの二種類がある。おかめはもとおかまといったのが、終戦後……おかまは下品だから……と彼(?)らみづからおかめと称えだしたのだという。カクサイボーイのカクサイは、パンパン同様に南方語からきたもので尺八の意。すなわち喋ったり食つたりする口で用をたす十五六の少年をカクサイボーイというのである。

3 「レンコン」

資料6:富田英三「女装の男たち-東京の夜の一章節-」
(『ホープ』3巻12号 1948年12月 実業之日本社 H762)
 
 「いいのよ、いいのよ、お繁ちゃん」と時ちゃんが引きとめるのを「ううん、邪魔者はレンコン、レンコン」と、私と入れ違いにお繁と呼ばれる大柄な彼は部屋を出て行ってしまった。
レンコンとは蓮根、節穴があって先方が見える、つまり様子をうかがって気を利かす…といふ意味である。

資料7:江戸川乱歩司会「(座談会)夜の男の生態」
(『旬刊ニュース』52号 1949年2月10日 東西出版社 J382)
 「おかま白書」(用語辞典)
 れんこん 複雑な生活から沢山、隠語が生まれて来る。特に広く使われている重要な隠語が「れんこん」である。彼等が屯している中を「れんこんやし!」と叫んでいるのは狩り込みを意味し、警官のことを「れんこん」と称し、部屋の外から呼んで中のからの返事が「今、れんこんよ」と云うときは仕事の最中の事である。「此処が私のれんこんよ」と云うのは彼等の稼ぎ場所を指す。

資料8:角 達也「男娼の世界-『男娼の森』創作ノート」
(『世界評論』4巻2号 1949年2月 世界評論社 S765)

秘儀(注-街娼に化ける閨房技術)も実は簡単なことで、学生間でよく行われる股間を代用するスマタと称する方法と相互手淫とを、組合せて複雑化した、「手の蓮根」と称する技法なのだ。
 その技法については、書くことはしないが、上半身の姿態の工夫と、女らしさの細心の注意とを加えて行われるので、股間を拡げてさえ、気付かれない。特に男娼は自分が男性であるから、対者の性感の処理を理解し、微妙な満足感をあたえる。

(参考資料)井上章一+関西性欲研究会『性の用語集』(2004年12月 講談社現代新書)
三橋順子「レンコン」(356頁)
現在のゲイ社会ではレンコンは秘密の意味だそうだ。「この話はレンコンよ」みたいに使うらしい。

多義的な隠語としてのレンコン(狩り込み) 
(警官)
(秘密)  → (ゲイ世界の用法)
(稼ぎ場)
(秘技)  → 手レンコン→(テレンコ)→ レンコン 


(おまけ) 「プランゲ文庫」について
太平洋戦争の勝利者として日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、占領政策の一環として新聞、雑誌、図書などの出版物、放送、映画、演劇、郵便といったあらゆる種類のメディアに対して検閲を行った。出版物については、検閲体制が整った1946年初から検閲が終了する1949年末までの4年間、日本全国を3つの地区に分け、東京、大阪、福岡の民間検閲局(CCD)でプレスコード(日本出版法)にもとづく検閲が実施された。

「プランゲ文庫」は、GHQ参謀2部戦史室に勤務していたゴードン W. プランゲ博士(Gordon W. Prange 1910~80)が、CCDに保管されていた検閲済み出版物の歴史的重要性を認識し、母校のメリーランド大学へ送ったものである。その量は木箱にして約500箱という膨大なもので、1950年から約2年をかけて横浜港から船便で積み出された。
それから、28年後の1978年9月15日にメリーランド大学理事会はこれらの占領期資料を正式に「ゴードン W. プランゲ文庫」と命名した。

その中には、日本に現存しない出版物も数多く、その貴重性を認識したメリーランド大学と国立国会図書館は協力して「プランゲ文庫」のマイクロ化事業を行い、公開の運びになった。

マイクロフィッシュ(マイクロスライド7×7=49枚が1枚のシートになっている)は、「雑誌コレクション」だけでもタイトル数13,787件、マイクロフッシュ数63,131枚、推定ページ数610万頁という膨大なものである。国際日本文化研究センターにも、「プランゲ文庫」マイクロフィッシュのうち、「雑誌コレクション」と「新聞コレクション」が入っている。

山本武利早稲田大学教授を代表とするチームは、2000年度から「プランゲ文庫」コレクションの全雑誌全号の記事・論文タイトル名、著者名、発行年月日、発行所(出版者)などをデータベース化する作業を開始した。2007年に完成し、ウェブ上で「占領期雑誌記事情報データベース」として公開された。これによって、データ検索が可能になり、「プランゲ文庫」の利用度は飛躍的に高まった。
http://m20thdb.jp/login

プランゲ文庫には、1946年から49年までの期間に日本で刊行された出版物(発禁になったものも含む)のほとんどが含まれており、占領期の政治・経済・社会・文化の資料としてきわめて高い価値をもっている。今後、各分野で「プランゲ文庫」の資料を使った研究が活発化することが期待される。

性風俗研究においても、「プランゲ文庫」に網羅的に収められている「カストリ雑誌」群は資料的にきわめて貴重である。しかし、近年刊行された「プランゲ文庫」研究成果、山本武利ほか編『占領期雑誌資料大系 大衆文化編 全5巻』(岩波書店 2008~2009年)は、残念ながら、性風俗をほとんど無視している(第4巻『躍動する肉体』収録の松田さおり「ヌードとレビュー」だけ)。逆に言えば、それだけ開拓の余地があるということだ。

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1955年(昭和30年)という時代 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

6月17日(月)

私が生まれた1955年(昭和30年)は、朝鮮戦争(1951~53年)の「特需」を足がかりに、戦後の経済的困難をなんとか脱し、高度経済成長の入口に差し掛かった頃。

多くの人は戦後混乱期の「飢え」を脱したが、まだまだ「飢え」と紙一重の貧しい人がいたし、そうした人たちを支援する社会システムは存在した(1950年「生活保護法」制定)が、十分ではなかった。

そんな時代に、30代でバーを経営している男性という設定は、かなりヤバい。
よほど太いパトロンが付いているか、戦後の混乱期に荒稼ぎしたか、のどちらか。
たとえば、闇市の愚連隊のボスだったとか。
あまちまともな人ではないと思う。

この時代、現在の「ゲイバー」的な店はほとんどない。
元祖の「やなぎ」(新橋→銀座)や「青江」「ボンソワール」(銀座)はあったが、高級店で気楽に飲めるような店ではない。

また、この頃の男性同性愛の関係線は、伝統的・土着的な年齢改定性の影響が色濃く残っていて、大人の男性と青年・少年という組み合わせが圧倒的だった。
現代、主流になっているほぼ同世代の対等なカップルは稀だった。
たとえば。40歳と25歳みたいな年齢差のあるカップルを設定した方が、当時としては自然だ。

女装して暮らしている人は、数こそ少ないがいた。
ほとんどの場合、女装することと生業がリンクしていた。
具体的な職種としては、男娼(セックスワーク)、芝居の女形、温泉地の芸者など。
女装することと生業がリンクしていないアマチュアの(趣味の)女走者は。まだほとんど社会の表面に出てきていない。
趣味の女装者とそれを愛でる女装者愛好男性の秘密グループ「演劇研究会」が結成されるのが、この年(1955年)。

戦後混乱期に上野で山の女装男娼をして稼ぎ、世の中が落ち着いてきたタイミングで足を洗って、貯めた稼ぎで、飲み屋街の小さなバーの営業権を買って、飲み屋の「女将」に転身、という設定なら、リアリティがある(実例あり)。。


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【メモ】女装者のセクシュアリティの時代変遷 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

6月16日(日)

【メモ】女装者のセクシュアリティの時代変遷

(1)「before it」の時代(~1989年)
女装することと男性と性的関係を持つことが表裏一体、不可分なものであると考えられていた時代。
男性の性的欲求に従順な女装者が良き女装者だった。
性行動も活発で、乱交形態もあった。

(2)「after it」の時代(1990~2009年)
1987年の「AIDSパニック」以後、HIV感染への警戒(恐怖)から性行動が不活発になっていく。
乱交形態もほとんどなくなる。
また、フェミニズムの影響を受けた女装者は、自己決定意識(「寝る寝ないは私が決める」)が強まり、男性の性的欲求に従順ではなくなる。

(3)「男の娘」ブーム(2010~2019年)
コスチューム・プレイとして「かわいい」が強く意識されたニュータイプの女装者「男の娘」が注目される。
女装者の価値観が「セクシー」から「かわいい」に転換し。それにともなって、「お相手」として女性が台頭する。。
相対的に「お相手」としての男性の存在は、さらに後景に退いていく。

(4)「コロナ禍」と脱セクシュアリティ化(2020年~)
2020~22年の「コロナ禍」で「濃厚接触」である性行為に対する忌避感が強まり、性行動はさらに不活発化する。
「コロナ禍」収束後も、社会全体として、セクシュアリティを語ることが憚られる風潮がが強まる(背クシュアリティの隠蔽、社会の脱セクシュアリティ化=「ビクトリア朝」化)。
そうしたセクシュアリティが隠蔽される一方で、マッチングアプリを利用した女装者「売春」(相手は男性も、女性も)が盛んになっているという情報もある。→要調査

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『Antitled』3号に「資料紹介」を投稿 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

2月8日(木)

『Antitled』3号に、「資料紹介」として、「責め場の女形に憑かれて―中村和美さんからの手紙―」を投稿。

1970~80年代、数多くのSM雑誌に告白記や小説を寄稿した女装マゾ・中村和美のライフヒストリー的手記。

2003年、ご本人から「こんな人生があったことを後世に伝えて欲しい」と、長文の手紙と多数の画像を託された三橋順子が、構成・編集して解説を付した。

写真資料は、中村和美の妖艶な被虐美の世界をリアルに示すもので、資料性のあるもの、内容に則したものを三橋が選んで、キャプションを付した(性器が写っているものは除いた)。

責め場の女形への憧憬に始まり、性別越境(女装)、マゾヒズム、和装フェティシズム、男色が交差するセクシュアリティの記録として、他に類例がなく資料価値が高いと、私は考えるのだが・・・。

果たして、編集委員の理解が得られるどうか? 採否は五分五分かな?と思っている。

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ライフヒストリー調査 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月23日(火)

本格的なライフヒストリー調査というものは、時間も、手間も、したがってお金もかかる。

私は、2000年代に、中央大学社会科学研究所のプロジェクトで、3人の方(女装者2人、女装者愛好男性1人)の本格的なライフヒストリー調査をしたので、そのあたりの大変さは、よくわかる。

調査者(聞き手)が大学の常勤の先生でも、個人研究費ではきつい。
私のライフヒストリーを聞き取ってくださる先生も、最初は個人研究費だったが、科研費を取ってくださった。

だから、私のような野良研究者が、本格的なライフヒストリー調査をするのは費用的に無理。
それでも、話を聞いておきたい、記録しておきたいという方はいるので、簡易版のライフヒストリー的なものは、できるだけ世の中に残しておきたい。

今、原稿の校正をしている、1970~80年代に活躍した女装マゾ・中村和美さんの記録も、そうした簡易版のライフヒストリー的なもの。

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1月5日(金)ハーバード大学の院生さんと面談 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月5日(金)

16時、新宿でハーバード大学の院生さんと面談。
とても聡明な方で、お話ししていて楽しかった。

お母さんが日本人、お父さんがアメリカ人で、高校まで日本で育ったとのことで、日本語が母国語、小中学校はインターナショナル・スクールに通っていたとのことで、日・英のバイリンガル。
それにしても、日本の「普通の高校(と彼女は言った)」からハーバード大学に進学するって、ちょっと想像が付かない。

日本の性別越境者の芸能(主に音楽)で博士論文を書きたい、メインは現代のフィールドワークだけど、その背景として、歴史的なことを知りたい、ということで、私にレクチャーを求めたとのこと。

私の本も読んでいて。よく勉強している。

ご希望に応じて、日本における性別越境者の芸能の歴史について知っていることを述べる。
さらに、発声についても。

いろいろ話が広がり、レクチャーは2時間半に及んだ(私のレクチャーは2時間が基本なので30分サービス)。

最後に、本にサインして終了。

彼女が博論を書くのは早くても3年後。
「その時まで私が生きているかわからないけど、頑張ってね」
と別れた。

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明治末期~大正期の新派女形のセクシュアリティ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月24日(日)

明治末~大正期の女形に「天下三尻」と称せられる人がいた。
井上春之輔、花園かをる、若水美登里とのこと。
(鎌田意好「異装心理と異性装者列伝」『風俗奇譚』1965年9月号)

井上春之輔は、新派の静間小次郎一座の立女形として活躍した人で、「奥様お春」と言われた。
後に一座の色敵役・浮世捨次郎と「夫婦」になった。
日本映画初期の女形俳優・監督として活躍する衣笠貞之助(1896~1982年)が、1916年に、京都の静間小次郎一座に入ったときに、一座の花形女形・井上春之輔の名から「小井上春之輔」と名乗ったという話がある。

花園かをるは、歌舞伎女形の板東秀調(1880~1935年)の弟子で、後に新派の川上音二郎一座に入り、立女形として重きをなした人。
劇作家の佐藤紅緑の「お手つき」と言われた。

若水美登里(1882~1934年)は、浅草の常盤座の立女形として活躍し、後に連鎖劇の山崎長之輔の一座に入った。また初期の映画にも出演している。
妖艶な美貌で知られ、潮来地方(茨城県)を巡業中、佐原(千葉県)の呉服屋の若旦那に見初められ、結婚を申し込まれて大騒動になるエピソードがある。

「天下三尻」の名が示すとおり、20世紀初頭の新派・女形には男色行為(肛門性交)が伴うのは珍しいことではなかった。

これは、明治の九世・市川團十郎 (1838~1903年)の「歌舞伎改革」(1880年代)で、歌舞伎女形と男色の関係が(少なくとも公式には)断絶した結果、女性化心理が強い女形が新派に活路を求めたことによる。

実際、劇団関係者との男色関係だけでなく、地方回りなどの際に地元有力者に請われて酒席だけでなく枕席に侍るのは。むしろ常態だったと思われる。
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11月30日(木)Patrick Carlandさんと面談 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月30日(木)

新宿の喫茶店で、アメリカ・ペンシルバニア大学大学院東アジア文化学部のカーランド=エチャバリア・パトリック(Patrick Carland)さんと面談。

パトリックさんは、現在、早稲田大学に留学中(来年5月まで)で、日本の戦後同性愛文化、とくに占領期から1960年代までの時期について、アメリカと日本の文化交流について博士論文を執筆中とのこと。

日本人研究者もほとんどいない分野で、かなり難しいテーマ。
かつ、日本の占領期の資料(雑誌・書籍など)は、進駐軍の検閲で、同性愛関係の記述はきわめて乏しい。

むしろ、アメリカの文献に記述が残っている可能性がある。
そのあたりの「発掘」に期待したい。

日米双方の数少ない資料を突き合わすことで、新たな発見があると思う。

2時間半、有益で楽しい意見交換だった。

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10月29日(日)レジェンダリートークショーVol.1 京都「カルシウムハウス」梶子ママ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

10月29日(日)

アマランスラウンジの「レジェンダリートークショーVol.1 京都「カルシウムハウス」梶子ママ」にお出かけくださった皆さま、ありがとうございました。

司会・進行の私が何度も笑い転げるような、楽しいお話しの連続で、もっとお話しをうかがいたいと思いました。

梶子ママ、企画のEdoさん、ありがとうございました。

【追記】月曜日、一日中、臥せっていて、御礼が遅くなり失礼いたしました。
内容については、後日、まとめます。
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ある女装者の「日記」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月3日(日)

新宿・歌舞伎町にあった女装スナック「ジュネ」を舞台にした、ある女装者の「日記」が、「自費出版するので下読みしてください」と送られてきた。

10万字超の長編だが、京都出張の車中で読み終える。

時期は1986~1994年の9年間で、私が「ジュネ」のお手伝いを始める(1995年夏~)時期とは重ならず、最後のあたりで1箇所だけちらっと出てくるだけだが、薫ママ、麻衣子さん、あゆみ先輩、ニーナさん。美樹姉さん、静香姐さん、中島恵さん、滝(あすか)さん、斎藤さん・・・、懐かしい人たちがたくさん出てきて、目頭が熱くなる。

昭和末期~平成初期の新宿女装コミュニティの記録はほとんどないので、史料としての価値が高い。

加えて、バブル全盛期から崩壊期の活況に満ちた、ある意味、めちゃくちゃな世相も、今となっては貴重な記録。

1人の女装者が、コミュニティでの交流を通じて、女装の技術と社会性を身につけ、自己肯定感を高めていく物語として、読むことができる。

まさに、1980~90年代の女装者の「リアル」がそこにある。

出版まで、全力でサポートしたい。


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