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どこか、調査費用、出してくれないかなぁ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月5日(日)

どこかの公的機関かNPOが、年間100万円、3年間、調査費用を出してくれたら、インタビュー調査が蓄積できて、LGBTの現代史がもう少し鮮明になるのだが。

4月に、石田仁編著『躍動するゲイ・ムーブメント――歴史を語るトリックスターたち』(明石書店)が刊行されると、今までほとんど蓄積がなかったゲイの現代史の口述資料が公になる。

同時に、まだまだ蓄積が不足なことも思い知らされた。
関西の状況を語る口述は今回の本には入らなかったし、東京の2000年代のパレード(TRP以前)をめぐる「闇」も晴れていない。

どこか、調査費用、出してくれないかなぁ。
自分に、お金を引っ張ってくる能力がまったく欠けているのがうらめしい。
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インタビューのタイミング [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

2月2日(木)

『躍動するゲイ・ムーブメント―歴史を語るトリックスターたち―』(明石書店)の初稿ゲラ、第3章、マーガレット小倉さんの口述を読み終える。

校正としてではなく、純粋に読みたかったので。

インタビューの収録は、2019年8・11月。
マーガレットさんが心身の調子を崩したのが2020年の秋。
ほんとうにこのタイミングでインタビューを採っておけたのはラッキーだった。

聞き取り調査は、ほんとうにわずか1日違いでも、対象者が倒れてしまえば、機会を逸してしまう。

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石田仁編著『躍動するゲイ・ムーブメント―歴史を語るトリックスターたち―』(明石書店) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

2月1日(水)

夕方、石田仁編著『躍動するゲイ・ムーブメント―歴史を語るトリックスターたち―』(明石書店)の初稿ゲラが、ドカンと届いた。

自分の担当部分(第1章の脚注)をチェックするのを後回しにして、他の担当者のインタビューや論考を読んでいる。

曲がりなりにも執筆者の1人が言うことではないと思うが、いやいや、これは予想以上にすごい本だ。
歴史を編む、記述するという行為は、まさにこうした地道で労苦の多い作業の積み重ねの上に成り立つのだということを、あらためて強く思う。

と書くと、難しい本のように思うが、読んでいてどんどん引き込まれる面白さがある。
それは3人の語り手の魅力であり、3人の編者の才能の成果である。

そんな、すごい本の隅っこに加えていただいて、なんだか申し訳ない思いだ。



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「語る 人生の贈りもの」、「俳優・歌手 池畑慎之介(ピーター)」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月29日(日)

『朝日新聞』夕刊・文化欄の連載「語る 人生の贈りもの」、新年最初は「俳優・歌手 池畑慎之介(ピーター)」さんだった(2023年1月9~27日・全15回)。

生い立ちから、映画「薔薇の葬列」の衝撃的なデビュー(1968年)を経て、70歳の現在まで、50年以上の芸能活動を語っていて、資料としても貴重。

ピーターさんは、1952年生まれなので、私より少し(3歳)上だが、ほぼ同世代。
いつか、お話をうかがう機会があればいいな、と思っている。

有料記事なので、私は紙面切り抜きで読んでいる。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15521714.html

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1960年代のゲイ世界 ー映画『老ナルキソス』に寄せてー [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月26日(木)

東海林毅監督の新作映画『老ナルキソス』の主人公・山崎は、80歳手前という年齢設定。
とすると、彼とその仲間たちが若者だったのは1960年代の後半。
2022年基準で25歳だったのは1968年、大学卒業の22歳とすれば1965年。

その頃の東京のゲイは、どこに集っていたのだろうか?
これかなり、難しく微妙な問題。

私や石田仁さんの研究では、1965年だと、新宿二丁目「ゲイタウン」はまだ存在しない。
新宿だと、三丁目に「イプセン」、区役所通りに「アドニス」、二丁目に「ぼんち」、あとは無くなってしまった「千鳥街」に数軒、中央街から「要通り」に移る「蘭屋」くらいか。
二幸(アルタ)裏の「夜曲」は店主が殺害された後、もう閉店していると思う。

お店が少ないだけでなく、それなりの料金なので、22歳の青年はボーイとして働くことはできても、客として遊ぶのは無理だと思う。

これが1968年だと、様相が変わってくる。
二丁目「ゲイタウン」の形成期で、ゲイ系のお店の数が急速に増えていく。
働ける店も増えただろうし、お金がある身分なら客としても通える。
若くてお金がなくても、年上の客がおごってくれる。

あとは、満員電車、公衆トイレ、映画館、出来始めた一般のサウナなど(石田さんの教示による)、

この時代の若者だと、「店」より、野外ハッテン場だったかもしれない。
夏休みの湘南・江の島とか。

その点、映画の中で、海辺の漁具小屋みたいなところでハッテンしている描写は、歴史的に妥当性が高いと思う。

ともかく、この時代のゲイ世界のことは、聞き取り調査が乏しく、よくわからない。
その点、ある程度のことがわかっている女装世界とは対照的だ。

もし、山崎老人が実在の人なら、石田さんなり私なりがインタビューを申し込んでいるだろう。
で、偏屈なので断られる(笑)
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変名を使う人 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月29日(木)

いろいろ変名を使う人(東京の女装世界の大御所だった人)、客観的に見て(エピソードの一致など)、同一人物であることは確実。

もう面倒くさい(学問的にややこしい)ので、「論文」では、全部、一つの名前(女装名)に統一。

引退されてから、来年で10年だから、もういいでしょう。
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12月24日(土)帰宅 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月24日(土)

10時にホテルをチェックアウト。
地下鉄谷町線で阿倍野へ。

今、書いている論文「唄子を探して」の現地調査。

寒いので、あまり無理をせずに切り上げて御堂筋線で新大阪駅へ。
1時間早い新幹線に変更。

12時33分発予定の「のぞみ140号」、雪の影響で5分遅れ。
湖東平野は真っ白、関ヶ原付近は吹雪。
徐行の影響で名古屋駅15分延発。
その後、少し遅れを取り戻し、新横浜駅に7分遅れで到着。

16時30分、帰宅。

休む間もなく、クリスマス・シチューの仕上げにかかる。
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「平成の三大女装者」の動画インタビュー、撮っておきたい [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月5日(土)

「平成の三大女装者」の動画インタビューは、ぜひ撮っておきたい。

いちばん年長のキャンディ・ミルキィさんは、「アマランス」のトークライブで撮ったけど、もう少し補充インタビューをしたい。
もう1度、呼んでもらおうか?

次に年長の宮崎留美子先生は、たぶん今までインタビュー調査がないので謎な部分が多い。
いろいろ尋ねたいこともあるので、3時間×2回くらい必要だろう。
ご本人への謝礼が1回2万、撮影&編集者の謝礼が5万、会場費1万で、10万円くらいでできるかな?

「セーラー服おじさん」は、私より若いから、最後でいいと思うけど、この油断が後悔につながった苦い経験は何度もある。
男性の60代はいつなにがあってもおかしくない。
やはり予算10万円として、3人で25万円あればできそう。

資金はなんとかなるとして、最大の問題は、インタビューする側の私に、それだけの時間的余裕があるか?ということ。
高齢者が高齢者にインタビューするというのは、けっこう厳しいものがある。

まあ、来年、様子を見ながら着手してみよう。
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「装いの力ー異性装の日本史」の紹介記事 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月15日(木)

渋谷区立松濤美術館の企画展「装いの力ー異性装の日本史」の紹介記事(『朝日新聞』2022年9月13日夕刊)。
朝日新聞20220913夕刊 - コピー.jpg
詳細で、丁寧に取材している良記事だが、1つ明白な間違い。
3段目中頃「(18)80年に法令がなくなった後も」

異性装の法的禁止が解かれるのは、異性装の禁止を規定した違式詿違条例が、明治刑法(1882年1月1日施行)の違警罪に継受されなかったことによる。

したがって、「(18)82年に法令がなくなった後も」が正しい。

なぜ、こんな間違いが生じたのか?と、調べたら、なんと図録の解説(170頁上段)が間違っていた。

私は、自分の出品物についての解説は校正段階でチェックさせていただいたが、図録全体を監修する立場ではない。
(そこらへんの年次は頭に入っているので、チェックしていたら、すぐに気づく)

もし、図録が増刷されるのなら、訂正してもらおう。
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新宿歌舞伎町のゲイバー「アドニス」の位置 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月13日(水)

ゲイ・アクティビストの最長老・南定四郎さんが65年?前に行った新宿・歌舞伎町のゲイバー「アドニス」。

今年4月、その思い出深い跡地にご案内したのだが、今、あらためて当時の住宅地図と航空写真で確認したらドンピシャだった。
アドニスの位置 - コピー.jpg アドニスの位置.jpg
1965年の住宅地図。

文字通り、そこに立っていただけた。
歴史地理学のささやかな勝利。

戦後新宿のゲイバーの内、東口「二幸」裏の逆コの字形の路地にあった「夜曲」は、路地ごとビルになっていて旧観をとどめていない。
新宿「夜曲」(1963) (2) - コピー.JPG
新宿「夜曲」(1963) (1).JPG

明治通り東側の映画館街(新宿三丁目)の裏通りにあった「イプセン」は、ビルは建て替わっているが、地割はそのままで、所在地の見当はつく。
イプセン(1965) (2) - コピー.JPG
イプセン(1965) (3) - コピー.JPG
そして、歌舞伎町区役所通り東側「柳街」にあった「アドニス」は、長らく空き地だったが、近年「シタディーン新宿東京」という滞在型ホテルが建ち、1階は「ローソン」になっている。
その敷地の南東隅が「アドニス」の跡地。

1960年代前半、新宿における最初のゲイバー集中地だった「千鳥街」(新宿御苑の北側)は、御苑大通りの南への延長工事で、1967年末~68年初に解体・立ち退き(現状は道路とグリーンベルト)。
その一部店舗が集団移転したのが、現在の二丁目「新千鳥街」。



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