新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書さらに2枚 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]
2月8日(月)
訳あって昨年から集めている大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を、また2枚入手したので紹介。
角海老楼・彌生花魁の道中姿と、同楼の積夜具の写真。
彩色絵葉書の割には、安く入手できた(1100円+1000円)。
大正3年4月に新吉原遊廓で行われた「花魁道中」は、明治44年(1911)4月の「吉原大火」で灰燼に帰した新吉原遊廓が復興を世間に印象づけるために企画された一大イベント。
同年の大正天皇御大典(即位礼)を記念する「東京大正博覧会」(大正3年3月20日開会:東京府主催、主会場:上野公園)に合わせて、明治中期に途切れていた「花魁道中」を復活し、多くの見物人を集めた。
新吉原のメインストリート「仲の町通り」を「道中」する花魁は、当時の新吉原のビッグ3、角海老楼(京町一丁目)、稲本楼(角町)、大文字楼(江戸町一丁目)が出した。
↑ 角海老楼・彌生花魁の道中姿。
今まで、道中姿が未確認だった花魁。
これで、現在確認されている「道中」をした花魁の人数は、角海老楼で8人、3楼合わせて23人になった。
角海老楼 ----紫、白縫、薄雲、左々浪、大巻、小式部、ビューティー、彌生(8人)
稲本楼 ----小紫、小太夫、福寿、若妙、二葉 染之助 (6人)
大文字楼 ----歌川、大巻、右近、操、若柳、紫君、花扇、都、柏木?(9人)
彌生花魁、「道中」があった翌年の大正4年(1915)の「新吉原細見」の角海老楼の項に名が見える。
序列は24人中8位、中の上といったところで、必ずしも高くない。
赤でマークしてあるのが「道中」をしたことが確認できる花魁だが、ずでに指摘されているとおり、必ずしも序列で選ばれているのではなさそうだ。
やはり、「道中」の適性(体力、背の高さなど)が加味されていると思う。
もう1枚は、角海老楼の積夜具。
↑ 左から、弥生、紫、薄雲の積み夜具。
前に小式部の提灯と高下駄。
積夜具は、江戸時代の遊廓で、花魁と客が「馴染み」になったときに、客が花魁に贈る夜具一式。
「馴染み」になると廓内では「夫婦(めおと)」扱いになるので、専用の夜具を使うようになる。
贈られた夜具を人目につく所(妓楼の1階の広間とか)に積んで、花魁の名を書いた札をつけて、お披露目をする。
以後、客が花魁と「お床入り」する際には、この夜具が用いられる(男衆が布団部屋から運んでくる)。
もちろん、そんなことができるのは、最高級の遊女だけですが。
見栄っ張りの江戸のお大尽から馴染の花魁へのプレゼントなので、敷布団は綿が厚く入った三つ重ねで、豪華なものがほとんどだった。
ただ、大正期の新吉原で、そうした習俗が生きていたとは思えないので、今回の復興イベントに合わせて用意された形式的なものか。
積夜具の写真は、これの絵葉書以外にほとんどなく、珍しい。
モノクロの絵葉書は、以前から所蔵していたが、問題は、彩色絵葉書の色がどれだけ信頼できるか?ということ。
写真師が現地で色味をメモして、彩色絵師にちゃんと伝えていたら、ある程度は、信頼できると思うが、はたしてどうだろう?
正直、かなり怪しいと思った方がいいように思う。
(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2
訳あって昨年から集めている大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を、また2枚入手したので紹介。
角海老楼・彌生花魁の道中姿と、同楼の積夜具の写真。
彩色絵葉書の割には、安く入手できた(1100円+1000円)。
大正3年4月に新吉原遊廓で行われた「花魁道中」は、明治44年(1911)4月の「吉原大火」で灰燼に帰した新吉原遊廓が復興を世間に印象づけるために企画された一大イベント。
同年の大正天皇御大典(即位礼)を記念する「東京大正博覧会」(大正3年3月20日開会:東京府主催、主会場:上野公園)に合わせて、明治中期に途切れていた「花魁道中」を復活し、多くの見物人を集めた。
新吉原のメインストリート「仲の町通り」を「道中」する花魁は、当時の新吉原のビッグ3、角海老楼(京町一丁目)、稲本楼(角町)、大文字楼(江戸町一丁目)が出した。
↑ 角海老楼・彌生花魁の道中姿。
今まで、道中姿が未確認だった花魁。
これで、現在確認されている「道中」をした花魁の人数は、角海老楼で8人、3楼合わせて23人になった。
角海老楼 ----紫、白縫、薄雲、左々浪、大巻、小式部、ビューティー、彌生(8人)
稲本楼 ----小紫、小太夫、福寿、若妙、二葉 染之助 (6人)
大文字楼 ----歌川、大巻、右近、操、若柳、紫君、花扇、都、柏木?(9人)
彌生花魁、「道中」があった翌年の大正4年(1915)の「新吉原細見」の角海老楼の項に名が見える。
序列は24人中8位、中の上といったところで、必ずしも高くない。
赤でマークしてあるのが「道中」をしたことが確認できる花魁だが、ずでに指摘されているとおり、必ずしも序列で選ばれているのではなさそうだ。
やはり、「道中」の適性(体力、背の高さなど)が加味されていると思う。
もう1枚は、角海老楼の積夜具。
↑ 左から、弥生、紫、薄雲の積み夜具。
前に小式部の提灯と高下駄。
積夜具は、江戸時代の遊廓で、花魁と客が「馴染み」になったときに、客が花魁に贈る夜具一式。
「馴染み」になると廓内では「夫婦(めおと)」扱いになるので、専用の夜具を使うようになる。
贈られた夜具を人目につく所(妓楼の1階の広間とか)に積んで、花魁の名を書いた札をつけて、お披露目をする。
以後、客が花魁と「お床入り」する際には、この夜具が用いられる(男衆が布団部屋から運んでくる)。
もちろん、そんなことができるのは、最高級の遊女だけですが。
見栄っ張りの江戸のお大尽から馴染の花魁へのプレゼントなので、敷布団は綿が厚く入った三つ重ねで、豪華なものがほとんどだった。
ただ、大正期の新吉原で、そうした習俗が生きていたとは思えないので、今回の復興イベントに合わせて用意された形式的なものか。
積夜具の写真は、これの絵葉書以外にほとんどなく、珍しい。
モノクロの絵葉書は、以前から所蔵していたが、問題は、彩色絵葉書の色がどれだけ信頼できるか?ということ。
写真師が現地で色味をメモして、彩色絵師にちゃんと伝えていたら、ある程度は、信頼できると思うが、はたしてどうだろう?
正直、かなり怪しいと思った方がいいように思う。
(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2
2016-02-08 18:15
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はじめまして!わたしはオランダに住む文芸翻訳者・音楽家で國森由美子と申します。只今翻訳中のオランダ語の書籍の中に、吉原の花魁の名がいくつか出ていて、それが当然のことながら横文字ですので、なんとか日本語(漢字)がわからないものかと探しています。いろいろググっているうちにこちらのブログにたどりつきました。
翻訳中の書籍は、大正11(1922)年に数ヶ月日本を旅し、そのときの体験や旅の準備中に読んだ日本関連の本などからの知識をもとに、創作した物語が主なのですが、そこに吉原の遊女や花魁を扱った作品が含まれています。有名な名(在原、薄雲、小紫)はネットで調べることができましたが、どうしてもはっきりしない名まえがあり、困っています。もしかしたらお力をお貸しいただけないかと思い、コメントをしている次第です。
探しているのは、「Osumi(Oの上に-がついていますので、おおすみ?←漢字不明」「Kumai(熊井?もしかすると雲井?)」「Azuma(吾妻?東?)」「Miyako(宮古?都?)」です。中でも「おおすみ」は、デベッカー(小林米珂)という当時横浜に住んでいた英国人が書いた『不夜城』(英語です)の中に有名なエピソードとともに紹介されています。
突然長々と不躾なコメント、申し訳ありません。今手がけているこの本は来年前半に刊行予定で、これから校正作業が始まろうとしているところです。花魁の名前にお詳しいようでしたら、ご教示いただけないでしょうか?
わたしのURLには、一応ファイスブックのアドレスを入れておきますが、ツイッターにもいます。よろしくお願いいたします。
by 國森@ライデン (2022-08-14 07:23)
國森由美子さん、いらっしゃいま~せ。
お尋ねの件、気づくのが遅れ、お返事が遅くなり、失礼しました。
Facebookもメッセージで、お返事しましたので、ご覧ください。
by 三橋順子 (2022-08-26 18:43)