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ボディコン・ワンピースの背景 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

6月13日(木)

1990年代のバブル崩壊期のディスコファッションとして身体のラインが出るボディコンシャスな服が流行った背景には、伸縮性に富んだスパンディング素材の導入がある。
ボディコン・ファッション1(1993) 3.jpg
ボディコン・ファッション4(1993).jpg
↑ 私が着ているボディコンワンピース(1993年)はどちらも、かなりの伸縮素材。

人間、とりわけ女性の身体には凹凸があるので、スパンディング素材がない時代に、身体ラインにぴったりした衣服を作ろうとすると、丁寧に採寸して、立体裁断・縫製をしなければならなかった。

しかも、そのままでは脱ぎ着ができないので、背中などを開いて、着た後にファスナーで閉じるという操作が必要だった。

それがスパンディング素材の導入で、頭からすっぽり被れば、あるいは下から引き上げれば、誰でもボディコンシャスなワンピースを着られるようになった。

実 は、1980年代のバブル全盛期のディスコファッションは、それほどボディコンシャスではない。
ちょうど1990年前後を境に、衣料素材の変化があったということ。

Fashion3.jpg Outdoor33.jpg
↑ 2000年代の欧米のボディコンファッション。
見事にボディラインが演出されている。
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サイドが開くボディコンミニ(その2) [生活文化・食文化・ファッション文化論]

6月13日(木)

バブル崩壊期、1992~93年頃のディスコファッション、サイドが開いているボディコンミニは、通常の下着が着けられない。
930203-3.jpg
ブラジャーのサイド部分やショーツの紐がみえてしまうからだ。

で、どうしたかというと、特殊な形状の下着?を着けていた。
ブラは、乳房に直接貼り付けてリフトする「ヌーブラ」。
ヌーブラ.jpg
ショーツは「Cッッストリングス」という、下着と言えるのか?と思う不思議なものを着けていた(らしい)。
Cストリングス.jpeg

私はどうしていたかというと・・・。
胸はシリコン製の偽乳を接着剤で直接貼り付けていた。

股間はいわゆる「前バリ」。
ガーゼを三角形にたたんで脱脂綿を当てて、それを粘着テープで股間に装着していた。
これは、おしっこに行けないので、耐久時間は長くない。
あと、接着剤や粘着テープはけっこうかぶれる。

今にして思うと、なんでこんなことしてたのだろう?と思うけど、そういう時代だったのだ。



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サイドが開くボディコンミニ(その1) [生活文化・食文化・ファッション文化論]

6月13日(木)

バブル崩壊期、1992~93年頃のディスコファッションは、ボディコンミニの裾丈が極限的に短くなって、もうこれ以上は無理状態になると、なぜかサイドが開き始めた。

ボディコン・ファッション1(1993) (2).jpg
↑ 私が着ているワンピース(1993年)は、裾から腰骨のあたりまで、そして両袖のサイドが金属リングになっている。

ボディコン・ファッション2(1992~93) (2).jpg
↑ この女性のワンピース(1992年)が典型的で文字通りサイドに穴が開いているデザイン。

ボディコン・ファッション3(1993年後半) (2) - コピー.jpg
↑ この女性のワンピース(1993年)など、前身頃と後身頃がほとんど分離してい手、紐でつなげている。

こういうファッション、欧米にもあるのか?と思い、ファッション画像のコレクションを探してみたが、ほとんど見当たらない。

Fashion131-2.jpg
↑ この女性の白いワンピース、片方のウェストが開いているが、デザイン的になんか違うように思う。

さらに探したら、デザイン的に似ているのを見つけた。
Karla Carrillo 1.jpg
Karla Carrillo というshemaleのお姐さん。
ただし、これから男性と遊ぶ(Sexする)状況なので、服というよりランジェリーなのかも。

結論的に、サイドが開くボディコンミニは、日本独自の進化ということで、いいように思う。

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女性の行動を制約する衣服 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

6月12日(水)

以前(10年前)、資料として集めたフェティッシュ・ファッションの画像。
Latex20.jpg
この女性のポーズがずっと不思議だった。

画像処理を変えたら、モデルさんが挙げている右手は、天井に着いているのがわかった。
つまり、つっかえ棒にして身体を支えている。

この接地面積ではそうでもしないと立っていられない。

Latex7.jpg
こちらの画像の女性も同様で、左右の壁に手を突っ張って、姿勢を保っている。

問題は、そんなことをしないと、立ち姿勢を保てないような身動き不自由なファッションをなぜする(させる)のか? そうした欲望はどこから来るのか? ということ。

端的に言えば、女性の行動を制約(身動きを不自由にする)する欲望。

衣服(靴を含む)や身体変工がそうした欲望の道具になっている。

念のため付け加えると、このモデルさん2人は生得的女性です(たぶん)。



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漢字の字形と使用について [生活文化・食文化・ファッション文化論]

5月27日(月)

昨日の米澤泉美さんの「幽霊漢字」の報告でコメントしたことを敷衍しておく。

日本の奈良時代(8世紀)は世界中で一番たくさん文字資料が残っているが、仏典を除く行政文書(戸籍を含む)に使用されている漢字は、それほど多くない。

当然のことながら文書は書記官が毛筆で紙に書くわけで、字体の細部にややブレはあるが、公文書ではまずまず「標準化」がなされている。

地名は、和銅6年(713)に国・郡・郷レベルまで「好字二字」で完全に「標準化」されている。
だから、やたらと難しい漢字を使う地名はない。

戸籍も、庶民の名前に難しい漢字を使うはずもなく、多くは音に漢字を当てるか(佐久良)、子、丑、寅・・・のように生年の十二支を使うくらい(子麻呂、寅女)。

そうした状況は、徐々に崩壊しつつも律令文書主義が行われていた平安時代までは、大きな変化変はなかったと思う。

平安時代中期、898~901年頃にb編纂された最初の漢和辞典『新撰字鏡』(僧・昌住)12巻本には、約2万1000字が収録されている。
目一杯集めてこれで、日常的に使われていた漢字はもっとずっと少ない。

自筆本が残っている藤原道長の日記『御堂関白記』も、それほど使用漢字は多くない。
藤原実資の『小右記』や藤原行成の『権記』の方が、若干、使用漢字が多いように思う(誰も数えていない)が、まあ大差ない。

律令文書主義に起源する漢字の「標準化」が外れて、やたらと漢字の字体が増えていくのは、おそらく
鎌倉時代以降ではないだろうか。

その傾向は江戸時代にさらに拡大していく。

そうした字体の多様化の背景には、漢字使用者の拡大があると思う。
使用者が多くなり、標準化チェックが効かなくなると、誤字も増え、その誤った字形が引き写されて拡大していく。

私は、多様な字形のかなりは、誤字起源だと思っている。

明治時代になって「王政復古」で律令制的な戸籍や土地台帳(土地登記簿)が作成されるようになったが、漢字の「標準化」がまったく不十分で、江戸時代以来の多様な字形が、戸籍や登記簿のような公文書に持ち込まれる。

本来、誤字であっても、いったん公文書に記されると、「この字形は誤りである」と言えなくなる。
で、字形がどんどん増えていく。

そうした状況が、昭和戦後期の漢字使用制限(でも、名字は例外)、1970年代末のコンピューター使用の開始による漢字の電子化まで続く。

という理解でどうでしょう? 泉美さん。
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手袋を「はく」? [生活文化・食文化・ファッション文化論]

3月9日(土)

昨日、テレビでやっていた話。

手袋を装着することを、手袋を「はく」と言う人、全国では7%。

しかし、北海道に限ると、なんと70%以上。
青森、徳島、香川も「はく」が多い。

ちなみに、全国では「する」が50%、次いで「はめる」が29%、「つける」が14%。

私は「する」もしくは「はめる」かな。

「履く」は、靴や靴下だと思うが、明治時代に手袋が日本に入ってきたときは、「手靴」と呼ばれて、靴の一種?だったからとのこと。
へ~、へ~、へ~。

北海道札幌市出身の知人は「はく、は使っていました」と言っている
香川県の友人は「確かに足袋も手袋もハクといいます」と言っている。
徳島県の友人によると「60〜40代(私の周りですが)は「はく」ですね」とのこと。
山形県の知人によると「山形でも「手袋履く」って年寄りは言いました」ということで、どうも古い言い方らしい。
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鳥使いのシャーマン [生活文化・食文化・ファッション文化論]

2月11日(日・祝)

「紀元節」にあたり、神武天皇の神話を顧みると、三本足の八咫烏(現代ではサッカーの神様)の導きにしても、金の鳶の光線攻撃にしても、「鳥使いのシャーマン」としてイメージされていたのではないか?と思えてくる。

鳥をトーテムとするシャーマンは北東アジアでは珍しくないので、それが神武天皇の原像なのではないだろうか?
神武天皇.jpg
月岡芳年『大日本名将鑑』(1877~82年)の神武天皇。
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岩手「黒石寺蘇民祭」来年2月を最後に1000年以上の歴史に幕 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

12月5日(火)

このニュース、かなりショック。

あちこちの村落の祭礼・儀式が過疎化で、人知れず消えていったのは、この20~30年の現象だが、いよいよ「黒石寺蘇民祭」のような知名度のある祭礼まで、継続不能になるとは・・・。

祭礼の場合、ほぼ必ず宗教・信仰が絡むので、行政が介入して維持をはかるのが難しいのだ。

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岩手「黒石寺蘇民祭」来年2月を最後に1000年以上の歴史に幕

岩手県奥州市の寺に伝わる祭りで、1000年以上の歴史があるとされる「黒石寺蘇民祭」が、担い手不足から、来年2月の開催を最後に終了することになりました。

岩手県奥州市水沢の黒石寺に伝わる「黒石寺蘇民祭」は、下帯姿の男たちが「蘇民袋」と呼ばれる麻袋を奪い合う伝統行事で、1000年以上の歴史があるとされています。

毎年2月に夜を徹して行われ、およそ3000人が訪れますが、コロナ禍による中止を経て、ことし2月、3年ぶりに執り行われました。

この祭りについて黒石寺は5日、来年2月17日の開催を最後に今後、執り行わないと発表しました。

藤波大吾住職は「祭りの中心を担う関係者の高齢化と担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況になった」と説明しています。

祭りは例年、夜から明け方まで行われますが、来年の最後の祭りは午後11時までとし、再来年以降は祭りではなく、住職が祈とうなどをする形に改めるとしています。

藤波住職は「これまで長きにわたり、ご尽力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。蘇民祭を楽しみにしてくださっている皆様には大変申し訳ありませんが、ご理解いただきたい」と話しています。

「NHKニュース」2023年12月5日 16時21分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231205/k10014278661000.html
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ベトナム高地少数民族の動画(その8)B姐さんの農場経営(続) [生活文化・食文化・ファッション文化論]

4月4日(火)

ベトナム高地少数民族の動画。

(36)B姐さんの新兵器
新兵器・耕運機が登場。
それにしても、かなりの傾斜地の畑。
下り向きのときは楽だが、上り向きのときは力持ちのB姐さんも苦戦。

こういう場合、等高線に沿って動かすのが良いと思うのだけど、そうしない事情があるのだろうか?

あと、あちこちに牝鶏とヒヨコの集団がいて、ひき殺さないか心配になる。
後の動画を見ると、この広大なスペBースはトウモロコシ畑になるようだ。

https://www.facebook.com/100084725477669/videos/207382111969365

(37)B姐さんの農場経営。
山から材木を切り出し、それを支柱にして、かなり広い範囲をネットで囲い込んでいる。
それにしても材木の束を引きずっていく様子、力持ちというより怪力に近い。

https://www.facebook.com/100084725477669/videos/167006482847165

(38)B姐さんの農場経営。
ネットで囲った広い範囲に、散水できるようパイプを巡らす。
A姐さんや「嬢ちゃん」の農場に比べて、かなり広いので、こういう設備が必要になる。
最後の夕食のシーン、ボイルした鶏を丸ごと1匹、1人で食べているのがすごい。
これが怪力の源か。

https://www.facebook.com/100084725477669/videos/885907235806509

(39)大袋を利用したヤムイモ栽培
あちこちを耕し、タロイモなどを移植する。
大きな袋に土を詰め、タロイモを植える。
地面に植えるより掘り出しやすい。

全部、1人で、かつ人力の作業。

なぜ「僕が手伝います。お婿にしてください」という男性が現れないのか?
要は、そういうシステムの社会なのだろう。

https://www.facebook.com/100084725477669/videos/772665624056234

(40)ヤムイモを掘る
以前にも出てきた、独立してあまり時間が経っていない女性。

山に入り、ヤムイモを掘る。
無尽蔵という感じで採れる。
土より芋の体積の方が多いくらい。

市に売りに行く。
飼い犬(子犬2匹)がついてくる。
この2匹、以前、市で買い求めたペット。
お商売の間、おとなしくしている。

帰宅して料理。
まだ竈は作っていない。
鶏肉と干し竹の子の煮物。
豚肉とインゲン豆の炒め物。

ワンコにもご飯。
https://www.facebook.com/watch/?v=585757490246882

(41)家に電気を引く。
沢に簡易水力発電設備を設置して、家に電気を引く。
こんな小さな(しかも古そう)タービンでも、水力が十分なら、家に灯がつく。

https://www.facebook.com/100084725477669/videos/959722082062555

(42)「嬢ちゃん」の農場の稲刈り。
2m以上ある稲(陸稲)を高刈りにして収穫。
束ねて干し台に運び、天日で乾燥。
https://www.facebook.com/KINGKONGAMAZON/videos/1269215343918195

(43)「嬢ちゃん」、友人の女性の池で、巻貝(タニシ)を採って買い付け。
自宅菜園のかぼちゃとネギを採って、市場へ。
置き鏡とカチューシャを買って帰る。
売れ残った貝は、自宅の水辺に放ち、ネギはまた植える。

動画冒頭の鳩とたわむれる表情、かわいい。
この民族、鳩を飼育している女性が多いが、ペットなのか、食用なのか、いまだによくわからない。
https://www.facebook.com/KINGKONGAMAZON/videos/220667657042427
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ベトナム高地少数民族の動画(その7)B姐さんの家と農場 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

2月27日(月)

ベトナム高地少数民族の動画。
今回のまとめはB姐さんシリーズ。

(32)B姐さんの山の上の新居の壁の工作。
例によって全部1人でやってしまう。
実に見事な手際で、とても素人ではない。
この技術、いったいどこで身に着けたのだろう?
日本でいう高校の建築家出身なのかもしれない。
https://www.facebook.com/100078681272547/videos/863813378165288
https://www.facebook.com/100078681272547/videos/1115184475825371

(33)B姐さんが、木製のテーブルを作っている。
工作機械を使いこなし、見事な腕前。
このテーブルは椅子とともに、新居のベランダに置かれる。

https://www.facebook.com/100084725477669/videos/569899881761980
https://www.facebook.com/watch?v=590143196038722

(34)スタイル抜群で力持ちのB姐さんが、アヒル小屋を造っている。
建築レベルが高い彼女なので、床面はコンクリート、屋根も建材を使っている。
例によって、すべて1人作業なので、重量物の運搬はたいへんで、珍しく腰にきている場面がある。

背景に映っている棚田がじつに見事。

あと、インスタントラーメンを食べているシーンも珍しい。
パクチーと唐辛子を入れている。

https://www.facebook.com/100084725477669/videos/948574779642095

(35)B姐さんの農場。
比較的緩やかな山の斜面に棚田や野菜畑が広がる。
巨岩が林立する山の裾にあるA姐さんや「嬢ちゃん」(たぶんA姐さんの娘)の農園とは場所が違うようだ。

以前、B姐さんの家は、比較的低地の川を挟んだ両岸にあった(橋を自分で架けた)。
そこでも野菜を作っていたが、農園というより菜園という規模だった。

B姐さんが、この山の上の広大な農場をどうやって手に入れたのか?興味深い。
女系相続なのか?、動画出演(スタイル抜群の美人であり、時に「露出」もいとわない彼女は、この動画シリーズで人気が高い)の現金収入による購入なのか?

https://www.facebook.com/104094712558433/videos/136543231755

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