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街娼のシマとして新宿・渋谷は後発 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月11日(木・祝)

各務千代『悲しき抵抗』117頁に、
街娼のシマ(縄張り)として有楽町、新橋、上野、池袋に対して「最近出始めた新宿や渋谷」という記述があり、新宿と渋谷は後発であることがわかる。

同書の執筆は。1947年夏~秋ごろと推定される。

また、同じ箇所に、渋谷に「ヤシブ」とルビが振られているのを見つけた。
今まで、渋谷は「ブヤ」だと思っていた。

昭和戦前期~戦後混乱期に、愚連隊や「闇の女(街娼)」たちが使った、東京の地名の符牒(スラング)には、転倒系と省略形があり、前者だと「ヤシブ」、後者だと「ブヤ」になるということだろう。

参考までに、同書から列挙すると
浅草「エンコ」、上野「ノガミ」、有楽町「ラクチョウ」、新橋「バシン」、渋谷「ヤシブ」、新宿「ジュク」、池袋「ブクロ」、大宮「ミヤ」、横浜「ハマ」。

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それって、「テクスチュアル・ハラスメント」ではないですか? [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月8日(月)

女性が著者名の先駆的な著作を、男性が「これほどの作品を女性が書けるはずがない。偽作だ。男性が書いたものに違いない」と、決定的な根拠もなく決めつけることは、重大な「ジェンダーによる差別」であり、「テクスチュアル・ハラスメント」であることを、私は友人の小谷真理さんの裁判で学んだ。

しかし、その類の言説はいまだに横行している。
1940~50年代の「娼婦の自伝小説」にも同種の言説がしばしば見られる。
たとえば、各務千代『悲しき抵抗ー闇の女の手記ー』(1947年)や津田加寿子『男たちとの夜ー赤線女給十年の手記ー』(1957年)など。

「女に書けるはずがない、まして娼婦に書けるはずがない」という言説は、女性とセックスワーカーへの二重の差別だ。

たとえ、リライターが介在したとしても、元になる「語り」は存在したはずで、私はその部分を汲み取って、歴史資料として評価したい。


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9月17日(木)久しぶりの横浜 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月17日(木)  曇り  横浜  29.0度  湿度68%(15時)

10時、起床。
朝食は、ダークチェリーパイとコーヒー。
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13時半、家を出る。
14時半、久しぶりに横浜へ。
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昼食は、横浜・日本大通りの「横濱洋食 LUNCHAN AVENUE」でオムライス。
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味とお値段のバランス、高い天井の雰囲気が良く、この界隈に来るとき、何回か寄ったが、9月30日で閉店。
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原因は「コロナ禍」による客の減少とのこと。
もう日本、ほんとうに駄目になるのだな。

横浜に来た目的は「常盤とよ子追悼展」を見るため。
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「横浜都市発展記念館」4階常設展示室で「第一部:写真家・常盤とよ子の軌跡」(有料)、
旧第一玄関で「第二部:常盤とよ子が写した戦後横浜の女性たち」(無料)

常盤とよ子(1928~2019年)さんは、戦後日本の女性カメラマンの草分け的存在で、「赤線」時代の真金町、「青線」伊勢佐木町・末吉町界隈、そして本牧の「チャブ屋」街に生きる女性の姿を数多く撮影した。
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写真エッセー『危険な毒花』(1957年)は当時、大きな評判になった。
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会期は、9月22日(火・祝)まで。

山下公園へ。
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海を見ながら、つくづく世の中に居場所がないなぁ、もう生きていても仕方ないなぁ、と思う。
このまま、海に飛び込んじゃおうかなと思って、ちょっと覗き込んだけど、私、けっこう泳ぎが上手なのだ。
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このくらいの海だと、まず死にきれずに、人様に迷惑をかけるだけなので、止めにした。
また別の方法を考えよう。
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(メモ)明治末~昭和戦前期の売春形態(類型) [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月12日(日)

(メモ)明治末~昭和戦前期の売春形態(類型)
① 貸座敷(遊廓)における近代公娼制(娼妓監察&貸座敷許可制)下の売春。
東京府では新吉原、洲崎、品川、新宿、千住、板橋、調布、府中、八王子の9箇所。

② 私娼窟における非合法(実質、黙認)の売春。
東京府では、玉ノ井、亀戸など

③ 「盛り場」における「流し」(街娼)の売春。
非合法(「密売淫」で摘発対象)。
東京府では、浅草、銀座など(女装男娼もいる)。

④ スラム(貧民窟)における「素人」売春。
非合法(「密売淫」で摘発対象)だが、現実には警察の手が回らない。
 a 客が外部から入ってくる場合(私娼的)
  新宿「旭町」、板橋「岩の坂」、深川「猿江」など。
 b 客が貧民窟の住民の場合(相互扶助的)

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1月8日(水)報告レジュメを作る [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月8日(水)

11日(土)の「性欲研究会」(京都)の報告レジュメ「(資料紹介)旧・板橋宿「岩の坂」の密売春―「板橋」研究(その1)―」出来上がり。
「中ネタ」のつもりが、A4版12枚になってしまった。


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目録古書店「股旅堂」の紹介記事 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

12月24日(火)

「生き残る古本屋考」(東京古書店組合、2019年12月)というパンフレットに、私が10年来、お世話になっている性風俗関係資料専門の目録古書店「股旅堂」(吉岡誠店主)が紹介されていた。
生き残る古本屋考 (1).jpg生き残る古本屋考 (2).jpg
最初期からの顧客として、「股旅堂」の成り立ちがわかって、感慨深かった。

私の『新宿「性なる街」の歴史地理』は、「股旅堂」さんから購入した書籍・資料なしでは書けなかったわけで、さらなるご盛業を祈っている。

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11月3日(日・祝)良い一日 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

11月3日(日・祝) 曇りのち雨  東京  18.9度 湿度78%(15時)

10時、起床。
朝食は、甘栗パンとコーヒー。
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なんだかわからなかったが、こうして見ると、たしかに栗の形。

13時、家を出る。
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東急東横線・東京メトロ副都心線で新宿三丁目駅へ。
昼食は「丸亀製麺」。

かめ(並)+かしわ天+アスパラ天(630円)

14時半、「新宿ダイアログ」へ。
FaceBookでやり取りしている地理の先生と、2時間半ほど、いろいろおしゃべり。
そのあと、新宿遊廓・「赤線」の跡地をぐるっとご案内。

自分が好きなことを、仕事ではなく、たくさん話するのはめったにないことで、とても楽しかった。
相手の方にも、喜んでいただき、今日は良い日だった。

19時半、帰宅。
夕食は、昨夜、下ごしらえをしておいた、チキン・トマトシチュー。
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就寝、3時。

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「荷風歡樂」さん [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月28日(土)

「荷風歡樂」さんは、大阪在住の「色街散策家」で、私より5歳年下の方。

一度もお会いしたことはないが、私が『新宿「性なる街」の歴史地理』を書いている間、ブログの記載をいろいろ参考にさせていただいた。

このブログを知った頃(5年ほど前)に、すでに癌を患っていたが、いよいよ末期のようだ。
悲しい。
昨夏頃から病状が悪化しているのが、ブログの記述からうかがえ、私の本が間に合うかどうか気が気でなかった。
幸いにも間に合って読んでいただけたのだが・・・。

一度会って、お話うかがいたかったな。


http://rossana.cocolog-nifty.com/earima/2019/09/post-2d6cc1.html


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「全国遊廓一覧」の(1929年)の分析 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月24日(火)

いろいろな角度から「全国遊廓一覧」の(1929年)の分析。
以下、わかったことの摘要。

(1)九州の遊廓について
遊廓(貸座敷許可地域)の数の域内格差が極めて大きい。
最も多いのは、長崎県で23箇所、273軒、2248人。
長崎市、軍港があった佐世保市だけでなく、ほんとうに浦々にある感じ。
さらには対馬、五島の離島にも。

それに対して、鹿児島県、沖縄県は1箇所だけ。
ただし、沖縄県(那覇・辻遊廓)は、貸座敷の軒数も娼妓の人数も九州最大(516軒、1032人)。
1つの遊廓で、それに次ぐのは、熊本市の二本木遊廓(64軒、763人)、福岡市の新柳町遊廓(47軒、636人)、佐世保(早岐村)の田子の浦遊廓(60軒、590人)の順。

大分県、宮崎県の貧弱さも目立つ。
大分県は、別府浜脇遊廓(41軒 114人)が目立つが、宮崎県は全県合わせて6箇所、22軒、152人。
遊廓で行われる買売春は経済行為でもあるので、経済力の表れだと思う。

(2)道府県別の遊廓数の集計
1位は面積が広い北海道の51箇所。
2位は三重県の33箇所、3位は福島県と山口県の27箇所。
三重県、福島県のベスト3はちょっと意外。
以下、山形県(25)、長崎県(23)、栃木県(22)、静岡県(20)、新潟県(19)、岩手県(18)と続く。
大都市圏は、20位大阪府(10)、24位東京府(9)、34位愛知県(4)といずれも中位から下位。
集約度が高い
散在性が強い東北が10位以内に3県入っていることからわかるように、散在性、集約度の地域差がかなり大きい。

少ないのは、廃娼県の群馬県の0、鹿児島県、沖縄県の1、山梨県、鳥取県、徳島県、埼玉県(準廃娼県)の2、和歌山県、島根県、愛媛県の3。

(3)道府県別の娼妓の数(人口比ランク)
道府県別に、娼妓の数を算出し、それを当時の人口(1920年)で割って、人口比を算出しランク付け。
計算が面倒で、ほぼ半日を費やす。
でも、得られた結果で苦労が報われた。

AAランク(人口1万人あたり娼妓20人以上)
大阪府(28.6人)、京都府(25.1人)
関西の2つの都市圏がダントツで1、2位。
関西人が買春行動が強いというだけでなく、経済活動の高さが反映していると思う。

Aランク(人口1万人あたり娼妓10~20人)
神奈川県、長崎県、沖縄県、山口県、三重県、東京府、広島県。
横浜、長崎といった港湾都市を抱える県が上位に入る。
東京府はやっと8位(15.7人)で、大阪府の55%くらいに過ぎない。

逆に少ない方は。
Dランク(人口1万人あたり娼妓2~4人)
岩手県、山梨県、鳥取県、秋田県、鹿児島県、大分県、徳島県、宮崎県。
Eランク(人口1万人あたり娼妓2人以下)
千葉県、和歌山県、茨城県、愛媛県、島根県(1.0人)。

トップの大阪府と最下位(廃娼県・準廃娼県を除く)の島根県との間には、30倍近い、きわめて大きな格差がある。
格差があることはわかっていたが、これほどまでとは思わなかった。
かなり驚き。

D、Eランクに並ぶのは、おおむね、経済活動が低調な県が多いように思うが、どうもそれだけではない。
たとえば、廃娼県である群馬県、準廃娼県である埼玉県と千葉県、茨城県を合わせると、関東地方北部~東部に遊廓、娼妓が少ないことがはっきり見て取れる。
茨城県が 43位、1.7人であるのに対し、隣接する栃木県は19位、7.5人で4.5倍の大差がある。
こうした現象は経済力だけでは説明できない。
やはり、思想性、具体的には廃娼運動の影響があると思う。

さらに言えば、Eランクに位置する茨城県と和歌山県は県都である水戸市、和歌山市に遊廓がない。
これは、経済性では説明がつかず、明らかに思想性(思想による制約)の問題だろう。
水戸市、和歌山市は旧幕時代徳川御三家の城下町だが、儒教思想の影響だろうか。
(御三家、もう1つの愛知県は10位、9.7人で、名古屋市には、全国4位の旭遊廓、171軒、1497人がある)

全体的な結露として、昭和初期においても、遊廓(買売春行動)に関する地域差はかなり大きいということ。
全国どこでも、それなりの街にはそれなりの遊廓があり、それなりの数の娼妓がいた状態にはなっていないということ。
そうした地域差には。経済力だけでなく思想性(儒教思想の影響、廃娼運動など)も絡むこと。
よって、もっと精緻な分析が必要ということ。

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栄町社交街を歩く [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月9日(月)

「国際通り」が尽きるあたり、ゆいレールの牧志駅近くのホテルから、歩いて5分ほどで、隣の安里駅に着く。
このあたりは、もともと那覇市の市域ではなく、北東郊外の「真和志」村だった。
そこに沖縄県立第一高等女学校があった。
有名な「姫百合学徒隊」を出した女学校だ。
学校は、沖縄戦で壊滅・廃校となる。

戦後、その跡地が再開発され、1950年2月道路で方形に区画された新しい街「栄町」が生まれた。

栄町は、当初、料亭街として栄え、1951年には「三業組合」も組織された。
戦前の辻遊廓に代わって、沖縄随一の歓楽街となった。

ところが、1951年、戦後、米軍に接収されていた辻遊廓の跡地が解放され、徐々に歓楽街の再興が進むと、料亭の流出が始まる。
その結果、1960年代には100軒近い旅館が連なる旅館街になり、その多くが売春営業に関わる性風俗街になった。
沖縄は米軍施政下なので、本土の「赤線」(黙認買売春地区)とは法制度的に異なるが、「赤線地帯」とよく似た状態だったと思われる。

1970年の沖縄の「本土返還」にともない、沖縄県にも「売春防止法」が適用され、栄町は飲食店を中心とする「栄町社交街」になった。

という来歴を持つ街を少し歩いてみた。

看板。中央の小さなロータリーから下が「社交街」。
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「栄町社交街」のアーケード。
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ピンク色の大型建物。
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少なくとも3軒の飲食店が入っている。
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裏路地。生活道路として利用されたと思われる。
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古い建物はあまり残っていない。
わずかに、向かい合って建つこの2軒。
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間口に複数の出入り口が並ぶ形式は、本土の「赤線」建築と似ている。

1951年に開設された「栄町市場」へ。
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「むじ汁」ってなんだろう?
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第一高女の同窓会館がある。
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それにしても、旧制の中学校・女学校は、たいてい新制の高校(しかも名門校として)継承されている。
沖縄第一高女は継承校がない(「白梅学徒隊」を出した第二高女も同様)。
なんとも哀しい。
(沖縄第一中学は、県立首里高校が継承校)

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