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性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ
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11月3日(日・祝)良い一日 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

11月3日(日・祝) 曇りのち雨  東京  18.9度 湿度78%(15時)

10時、起床。
朝食は、甘栗パンとコーヒー。
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なんだかわからなかったが、こうして見ると、たしかに栗の形。

13時、家を出る。
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東急東横線・東京メトロ副都心線で新宿三丁目駅へ。
昼食は「丸亀製麺」。

かめ(並)+かしわ天+アスパラ天(630円)

14時半、「新宿ダイアログ」へ。
FaceBookでやり取りしている地理の先生と、2時間半ほど、いろいろおしゃべり。
そのあと、新宿遊廓・「赤線」の跡地をぐるっとご案内。

自分が好きなことを、仕事ではなく、たくさん話するのはめったにないことで、とても楽しかった。
相手の方にも、喜んでいただき、今日は良い日だった。

19時半、帰宅。
夕食は、昨夜、下ごしらえをしておいた、チキン・トマトシチュー。
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就寝、3時。

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「荷風歡樂」さん [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月28日(土)

「荷風歡樂」さんは、大阪在住の「色街散策家」で、私より5歳年下の方。

一度もお会いしたことはないが、私が『新宿「性なる街」の歴史地理』を書いている間、ブログの記載をいろいろ参考にさせていただいた。

このブログを知った頃(5年ほど前)に、すでに癌を患っていたが、いよいよ末期のようだ。
悲しい。
昨夏頃から病状が悪化しているのが、ブログの記述からうかがえ、私の本が間に合うかどうか気が気でなかった。
幸いにも間に合って読んでいただけたのだが・・・。

一度会って、お話うかがいたかったな。


http://rossana.cocolog-nifty.com/earima/2019/09/post-2d6cc1.html


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「全国遊廓一覧」の(1929年)の分析 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月24日(火)

いろいろな角度から「全国遊廓一覧」の(1929年)の分析。
以下、わかったことの摘要。

(1)九州の遊廓について
遊廓(貸座敷許可地域)の数の域内格差が極めて大きい。
最も多いのは、長崎県で23箇所、273軒、2248人。
長崎市、軍港があった佐世保市だけでなく、ほんとうに浦々にある感じ。
さらには対馬、五島の離島にも。

それに対して、鹿児島県、沖縄県は1箇所だけ。
ただし、沖縄県(那覇・辻遊廓)は、貸座敷の軒数も娼妓の人数も九州最大(516軒、1032人)。
1つの遊廓で、それに次ぐのは、熊本市の二本木遊廓(64軒、763人)、福岡市の新柳町遊廓(47軒、636人)、佐世保(早岐村)の田子の浦遊廓(60軒、590人)の順。

大分県、宮崎県の貧弱さも目立つ。
大分県は、別府浜脇遊廓(41軒 114人)が目立つが、宮崎県は全県合わせて6箇所、22軒、152人。
遊廓で行われる買売春は経済行為でもあるので、経済力の表れだと思う。

(2)道府県別の遊廓数の集計
1位は面積が広い北海道の51箇所。
2位は三重県の33箇所、3位は福島県と山口県の27箇所。
三重県、福島県のベスト3はちょっと意外。
以下、山形県(25)、長崎県(23)、栃木県(22)、静岡県(20)、新潟県(19)、岩手県(18)と続く。
大都市圏は、20位大阪府(10)、24位東京府(9)、34位愛知県(4)といずれも中位から下位。
集約度が高い
散在性が強い東北が10位以内に3県入っていることからわかるように、散在性、集約度の地域差がかなり大きい。

少ないのは、廃娼県の群馬県の0、鹿児島県、沖縄県の1、山梨県、鳥取県、徳島県、埼玉県(準廃娼県)の2、和歌山県、島根県、愛媛県の3。

(3)道府県別の娼妓の数(人口比ランク)
道府県別に、娼妓の数を算出し、それを当時の人口(1920年)で割って、人口比を算出しランク付け。
計算が面倒で、ほぼ半日を費やす。
でも、得られた結果で苦労が報われた。

AAランク(人口1万人あたり娼妓20人以上)
大阪府(28.6人)、京都府(25.1人)
関西の2つの都市圏がダントツで1、2位。
関西人が買春行動が強いというだけでなく、経済活動の高さが反映していると思う。

Aランク(人口1万人あたり娼妓10~20人)
神奈川県、長崎県、沖縄県、山口県、三重県、東京府、広島県。
横浜、長崎といった港湾都市を抱える県が上位に入る。
東京府はやっと8位(15.7人)で、大阪府の55%くらいに過ぎない。

逆に少ない方は。
Dランク(人口1万人あたり娼妓2~4人)
岩手県、山梨県、鳥取県、秋田県、鹿児島県、大分県、徳島県、宮崎県。
Eランク(人口1万人あたり娼妓2人以下)
千葉県、和歌山県、茨城県、愛媛県、島根県(1.0人)。

トップの大阪府と最下位(廃娼県・準廃娼県を除く)の島根県との間には、30倍近い、きわめて大きな格差がある。
格差があることはわかっていたが、これほどまでとは思わなかった。
かなり驚き。

D、Eランクに並ぶのは、おおむね、経済活動が低調な県が多いように思うが、どうもそれだけではない。
たとえば、廃娼県である群馬県、準廃娼県である埼玉県と千葉県、茨城県を合わせると、関東地方北部~東部に遊廓、娼妓が少ないことがはっきり見て取れる。
茨城県が 43位、1.7人であるのに対し、隣接する栃木県は19位、7.5人で4.5倍の大差がある。
こうした現象は経済力だけでは説明できない。
やはり、思想性、具体的には廃娼運動の影響があると思う。

さらに言えば、Eランクに位置する茨城県と和歌山県は県都である水戸市、和歌山市に遊廓がない。
これは、経済性では説明がつかず、明らかに思想性(思想による制約)の問題だろう。
水戸市、和歌山市は旧幕時代徳川御三家の城下町だが、儒教思想の影響だろうか。
(御三家、もう1つの愛知県は10位、9.7人で、名古屋市には、全国4位の旭遊廓、171軒、1497人がある)

全体的な結露として、昭和初期においても、遊廓(買売春行動)に関する地域差はかなり大きいということ。
全国どこでも、それなりの街にはそれなりの遊廓があり、それなりの数の娼妓がいた状態にはなっていないということ。
そうした地域差には。経済力だけでなく思想性(儒教思想の影響、廃娼運動など)も絡むこと。
よって、もっと精緻な分析が必要ということ。

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栄町社交街を歩く [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月9日(月)

「国際通り」が尽きるあたり、ゆいレールの牧志駅近くのホテルから、歩いて5分ほどで、隣の安里駅に着く。
このあたりは、もともと那覇市の市域ではなく、北東郊外の「真和志」村だった。
そこに沖縄県立第一高等女学校があった。
有名な「姫百合学徒隊」を出した女学校だ。
学校は、沖縄戦で壊滅・廃校となる。

戦後、その跡地が再開発され、1950年2月道路で方形に区画された新しい街「栄町」が生まれた。

栄町は、当初、料亭街として栄え、1951年には「三業組合」も組織された。
戦前の辻遊廓に代わって、沖縄随一の歓楽街となった。

ところが、1951年、戦後、米軍に接収されていた辻遊廓の跡地が解放され、徐々に歓楽街の再興が進むと、料亭の流出が始まる。
その結果、1960年代には100軒近い旅館が連なる旅館街になり、その多くが売春営業に関わる性風俗街になった。
沖縄は米軍施政下なので、本土の「赤線」(黙認買売春地区)とは法制度的に異なるが、「赤線地帯」とよく似た状態だったと思われる。

1970年の沖縄の「本土返還」にともない、沖縄県にも「売春防止法」が適用され、栄町は飲食店を中心とする「栄町社交街」になった。

という来歴を持つ街を少し歩いてみた。

看板。中央の小さなロータリーから下が「社交街」。
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「栄町社交街」のアーケード。
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ピンク色の大型建物。
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少なくとも3軒の飲食店が入っている。
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裏路地。生活道路として利用されたと思われる。
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古い建物はあまり残っていない。
わずかに、向かい合って建つこの2軒。
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間口に複数の出入り口が並ぶ形式は、本土の「赤線」建築と似ている。

1951年に開設された「栄町市場」へ。
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「むじ汁」ってなんだろう?
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第一高女の同窓会館がある。
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それにしても、旧制の中学校・女学校は、たいてい新制の高校(しかも名門校として)継承されている。
沖縄第一高女は継承校がない(「白梅学徒隊」を出した第二高女も同様)。
なんとも哀しい。
(沖縄第一中学は、県立首里高校が継承校)

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「タイル見て楽しい?」「うん、楽しいよ」 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

7月6日(土)

遊廓や「赤線」好きの男性たちが、Twitterで、
「タイル見て楽しい?」
「ああ…、楽しいよ」
と言って、タイル画像を貼るのをやっていたので、真似してみた。

「タイル見て楽しい?」
「うん、楽しいよ」

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↑ 神奈川県横須賀市の旧「赤線」安浦(2008年撮影)
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↑ 同

戦後の黙認売春地区である「赤線」の建物(カフェー)には、こんな豆タイルを使った装飾が、よく見られる。

タイル装飾が多用されたのは、銭湯、クリーニング店、床屋、煙草屋、病院、一般家庭の洗面所、そして遊廓&赤線で、キーワードは「衛生(的)」。

私の子供の頃は、専門のタイル職人さんがいて、家のお風呂場の新築するとき床と腰壁を貼っていて、私はそれを見ていた記憶がある(1959~60年頃)。

豆タイルは、それ自体、もう製造されていないし、それを組み合わせて鮮やかな模様を作る職人さんももういない、消えゆく存在。

タイル装飾の美しさが、ここに生きた女性たちと、どこか二重写しになる。

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「2019江東区男女共同参画フォーラム」のご案内 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月20日(月)

来月の23日(日)の午後、「江東の女性史研究会」の皆さんのお世話いただき、東京都江東区の男女共同参画フォーラムで「洲崎・亀戸の性文化」というお話をします。

まだ1カ月前ですが、すでにかなりの申し込みがあるようで、ご興味がおありの方は、お早めに申し込みください。
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2019江東区男女共同参画フォーラム

 洲崎・亀戸の性文化

【講師】三橋順子(明治大学非常勤講師)
【日時】6月23日(日)13時30分~15時30分
【会場】江東区男女共同参画推進センター(「パルシティ江東」内)
【定員】32名(申し込み先着順)
【申し込み】電話、窓口、ホームページで受付。
詳しくは下記をご覧ください。
http://genki365.net/gnkk22/pub/sheet.php?id=69389

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3月31日(日)現代風俗研究会・東京の会「風俗探訪」(第1回)浅草から新吉原へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月31日(日) 曇りのち晴れ  東京  16.3度  湿度52%(15時)

6時、起床。
8時10分、家を出る。

今日は「現代風俗研究会・東京の会」の「風俗探訪」の道案内。
昨年9月以降、右足の痛み(座骨神経痛)が改善したのでお引き受けたのだけど、3月半ばに痛みが再発、学会で座り続けたせいか、最終週にさらに悪化。
温泉に浸かっても、良くならない。
かなり辛いことになりそうだが、引き受けてしまったのだから仕方がない。
あとは、気力で頑張るしかない。

10時、浅草・吾妻橋の西詰を出発。
江戸時代のルートで新吉原へ。
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↑ 午前中、雲が低く、スカイツリーも最上部が雲の中。

桜咲く大川(隅田川)端を今戸まで歩く。
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↑ 今戸橋(跡)。右奥の桜並木が山谷堀(跡)、左の丘が待乳山。

待乳山聖天さんにお詣り。
江戸庶民の信仰を集めた歓喜天(性神)信仰の中心地。
巾着は女性器の、交差する二股大根はの象徴。
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奉納用の大根。
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この日も若い女性が大根を持って参拝していた。

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↑ 拝殿の蟇股にも。
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↑ 石段の擁壁にも
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↑ 実は「現代風俗研究会・東京の会」の最初の集会がもたれた場所とのことなので、記念写真。

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山谷堀に沿って大門を目指す。
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↑ 山谷堀跡(公園)の桜

所々解説しながら、予定通り約2時間で、新吉原大門(跡)に到達。
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↑ 「見返り柳」で説明。

12時、予約しておいた「土手の中江」で、桜肉鍋のランチ。
東京大空襲で、奇跡的に焼けなかった3軒。
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手前が「土手道(日本堤)」。
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付きだし。
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馬刺し。さすがによいお肉で、おいしい。

桜肉鍋。
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基本、牛肉のすき焼きと変わりない。
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隣の天婦羅の伊勢屋は、1時間半待ちの大行列。
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13時、再出発。
まず鉄漿どぶ(跡)の遊廓本専門書店の「カストリ書房」に立ち寄る。
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↑ 2018年2月撮影

ナカ(廓内)にわずかに残る「赤線」建物、吉原神社、弁天池跡などを見学。

ハート型の壁面装飾がある建物(「赤線」時代の「ゆうらく」という店)。
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↑ 吉原弁天池(跡)の桜

京町二丁目のアーケード跡から廓外に出て、近代のルートで浅草に向かう。
千束通りからひさご通りを経て浅草・凌雲閣(十二階)跡(2018年2月の発掘地点)を見る。
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↑ 発掘地点の焼肉屋さんの壁面に凌雲閣の絵が描かれていて、すぐに場所がわかる。
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↑ 図面
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↑ 最上階の展望台からは海が見えた。
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↑ 発掘された煉瓦も再利用。
台東区、良い仕事をしている。

西参道から浅草寺へ。
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15時、三社神社に到着。
ほぼ予定通り2時間。
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桜を眺めながらの2時間+昼食休憩1時間+2時間で、計4時間の行程。
最後の30分ほど、右足と左腰の痛み(座骨神経痛)が限界だったが、なんとか気合で頑張った。

遠来の方(神戸)をはじめとして14人の参加者の方に喜んでいただけたようで、うれしかった。

自宅最寄り駅から家までの帰路、途中で歩けなくなる。
通常なら17~18分の道を、40分近くかかって、なんとか家にたどり着く。


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5日(火)発売の『週刊朝日』は「遊廓」を特集 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月4日(月)

5日(火)発売の『週刊朝日』が、巻末カラーグラビア(5頁)で「遊廓」を特集します。

特集の扉頁は、なんと私。

一般週刊誌では22年ぶりのカラーグラビア、そして(たぶん)生涯最期のカラーグラビアです。

お求めいただけたら、うれしいです。



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仕事始め [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月3日(木)

夜中、仕事始め。

1月6日(日)の「性欲研究会」(京都)で配布予定のレジュメ「メイキング オブ『新宿「性なる街」の歴史地理』」をまとめる。

就寝、3時半。


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「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、5枚セット」 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

11月21日(水)

久しぶりに、大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を入手。

大正3年4月に新吉原遊廓で行われた「花魁道中」は、明治44年(1911)4月の「吉原大火」で灰燼に帰した新吉原遊廓が復興を世間に印象づけるために企画された一大イベント。

同年の大正天皇御大典(即位礼)を記念する「東京大正博覧会」(大正3年3月20日開会:東京府主催、主会場:上野公園)に合わせて(便乗して)、明治中期に途切れていた「花魁道中」を復活し、多くの見物人を集めた。

今回入手したのは5枚で、花魁道中が3枚、新吉原の建物が2枚。
撮影・発行は、新吉原の「加藤写真館」。
残念ながらタトウ(袋)はないが、葉書の形態などから、おそらく5枚セットで販売されたものと思われる。
保存状態はとても良好。
しかも、とても安く落札(相場の半分以下)できた。

(1)「稲本楼」若妙花魁の道中一行。
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右から、錫杖2人、楼名の提灯持ち2人、花魁の名前の大提灯持ち、禿(年長)、肩貸し、若妙花魁、禿(年少)、傘持ち、遣り手、番頭新造?、客。

(2)「大文字楼」歌川花魁と禿の後ろ姿。
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左右反転のカラー(着色)写真を以前に入手しているが、おそらく、今回のモノクロ写真の方が正しい。
理由は、立ち姿の花魁は、前で大きく結んだ帯を右手で抱くのが一般的で、それにともない、打掛の右裾が少し上がる。
そう考えると、モノクロ画像の方が自然。

(3)新吉原のメインストリート仲ノ町通り、満開の桜の下を行く花魁道中を見物する大群衆。
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見物人に埋もれて花魁が見えない(傘だけ)。
沿道の建物の2階も、鈴なりの見物人。
2階で見物しているのは女性が圧倒的に多い。
ここで働いている人たちだろうか?
(客寄せ)イベントとして大成功だったことがわかる写真。

(4)新吉原・仲ノ町通り。
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復興イベントに備えて飾られた建物群。
右端は大門の門柱。

(5)新吉原・角海老楼
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花魁道中を出した3つの老舗の1つ。
焼失前はモダンな時計塔がある新吉原のシンボル的な建物だったが、大正復興の建物は三階楼だが装飾性に乏しいシンプルな様式になった。

【関係記事索引】
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2 
2016年2月8日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書さらに2枚」 
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-02-08
2016年5月23日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、注記無しの1枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-23-3
2016年8月27日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」彩色絵葉書、注記無しの3枚の考証」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27
2017年5月26日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、大文字楼・大巻花魁」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-26-1
2017年7月4日「新吉原遊廓「角海老楼」白縫花魁の画像」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-05-1



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