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「講武所」の桃太郎 [性社会史研究(一般)]

3月2日(日)

「講武所」芸者の「桃太郎」って、現在の感覚からしたら、まったく「女らしく」ない。
武芸を習っているのか?と思ってしまう。

講武所・ももたろう.jpg
↑ 講武所の桃太郎(凌雲閣「東京百美人」)

「講武所」は文字通り江戸幕府の武芸教習所で、現在の千代田区外神田一丁目にあった。
それを花街の通称にするのが明治時代の感性。

明治時代前期までの江戸→東京の芸者は、必ずしも「女らしく」なく、むしろ「男っぽい」イメージという事例。

実際、明治初年の異性装禁止の時代に、火消し装束の男装で逮捕された芸者がいるし、芸者が男装して写真館で撮っている事例もある。



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明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年) [性社会史研究(一般)]

3月2日(日)

明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年)の結果を改めてみると、新橋の圧勝。
1~4位を新橋芸者が占め、柳橋芸者はかろうじて5位に食い込んだのみ。
新橋・玉菊.jpg
↑ 1位になった新橋・玉菊

そもそもエントリーした芸者は、新橋が圧倒的に多い。
花街別にカウントすると、以下のようになる。

新橋  47人
柳橋  16人
芳町  11人
日本橋 9人
吉原  6人
下谷  5人
講武所 2人
浅草  2人
赤坂  1人
(数字仮集計です。今、目がよく見えないので)

エントリーの時点ですでに新橋が圧倒していることがよくわかる。
そして結果も新橋の圧勝。

美人かどうか以前に、物量(応募人数、支援者数)で圧倒している印象。

「写真」「美人コンテスト」という新時代の新奇な風俗に、花街をあげて積極的に取り組んだ新橋と、「それ、なに?」という感覚の他の花街との大きな差を感じる。


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芸者イメージの転換 [性社会史研究(一般)]

3月1日(土)

江戸・深川の「巽(たつみ)芸者」は、男性の衣類である羽織を着て、桃太郎とか稲吉のような男名前(権兵衛名)を名乗り、気性も意地と張りが売りだった。

柔和・従順のような近代的なイメージでの「女らしさ」ではなく、むしろ男気が人気だった。

また、新吉原遊廓の「吉原芸者」は、遊女との差異化が必要で、ファッション的には意識して地味な造りをしていた。
やはり、華美で「女らしい」近代の芸者イメージとは異なる。

それが、近代になると、芸者は「女らしさ」の象徴的存在になっていく。

江戸以来の巽芸者の伝統を引く柳橋芸者が徐々に衰退し、明治新政府の要人たちに愛された新興の新橋芸者が台頭していくのが、その転換を象徴している。

問題は、男ぶりから女らしさへという芸者イメージの転換がいつ進行し、そこに何が作用しているのか?ということ。

時期的には、明治初期(明治5~20年頃、1872~1889)だろうか。
浅草・凌雲閣の「東京百美人」(明治24年、1891)では写真でみる限り、「女らしく」なっているように思える。

作用したものについては、明治初期に東京に流入した新政府の担い手たちが持ち込んだ文化が考えられる。
薩摩は男色好きの女色嫌いで芸者文化はほとんどないので、長州の芸者文化(馬関芸者)のイメージが持ち込まれたのか。

時期や作用の実証は史料的に難しいが、江戸・東京において、芸者イメージが、男ぶりから「女らしさ」に大きく転換したのは、間違いない。

現代の「女らしい」芸者イメージは、近代の産物だと言うこと。

さらに、そこには、明治期以降に日本を訪れた欧米男性が抱いた「日本女性の典型」としての「女らしい」芸者イメージが逆輸入・投影されているかもしれない。

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北尾重政「東西南北美人」 [性社会史研究(一般)]

1月19日(日)

今日放送の大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」に出てきた「一目千本」の絵師・北尾重政の「東西南北美人」(1777年頃)。
江戸の東西南北の「美人」を2人ずつ描いている。

「東方乃美人」(深川門前仲町のおなか と おしま)
北尾重政「東方之美人」.jpg

「西方乃美人」(日本橋堺町)橘屋の三 喜蔵と丁字屋の松之丞)
北尾重政「西方の美人」.jpg
「西方乃美人」は男の子(陰間)。

「北方乃美人」は新吉原、「南方乃美人」は品川と思われるが、画像が見つからない。
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「玄人」と「素人」 女性の分断 [性社会史研究(一般)]

1月7日(火)

女性を「素人(≒処女)」と「玄人(≒非処女)」に分け、前者のみを結婚対象とし、後者は性の対象ではあっても結婚の対象にはならないというのは、儒教やキリスト教の倫理観に強く影響された人たちの考え方。

そうした倫理観の影響が薄い人たちにとっては、「玄人」上がりの女性は、対人的な職業訓練を受けているので、接客能力が高く、商家の女将さんとしての適性があると認識された。

妻となる女性に,対人的な接客能力を期待せず、ただ跡継ぎを産み育てることだけを期待し、それが可能な社会階層は「素人」女性を妻にしたがる。

一方、夫とともに家業に励み、使用人や客とうまくやっていける能力を妻に求めるならば、「玄人」上がり女けは有力な選択肢になる。

前近代、近代初期において、どちらの社会階層が多かったかと言えば、言うまでもなく、後者である。

近代において、「玄人」や「玄人あがり」の女性を貶め、「素人」女性(=処女性)を賞揚する言説を拡散したのは。もっぱら前者の階層に属する男たち(一部、女性も)である。

それによって女性の社会的分断が決定的になり、「売春防止法」の理念にまで引き継がれていく。

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1980年代後半~90年代(バブル経済全盛~崩壊期)の都市文化の研究 [性社会史研究(一般)]

12月26日(木)

1980年代後半~90年代(バブル経済全盛~崩壊期)の都市文化(セクシュアリティを含む)について、聞き取り調査を積み重ねる必要があると、長年、思いながら果たせなかった。

若い世代の社会学者が、社会史的な視点で関心を持ってくれるとうれしいのだが。

その時代をリアルに語れる人は、現在、60代が中心になるので、聞き取りはまだ間に合う。
でも、あと10年後だと、かなり危なくなる。
やるなら今だと思う。

「クリスマスデート」のようなこの時代に始まる社会習俗は、現在の学生には、もう「異世界」のことになっている。

きちんと記録して「歴史」として伝える必要がある。
1980年代後半~90年代初頭に進行した「恋愛の商品化」現象を主導したのはメディアのわけだが、残念ながらテレビの映像はほとんど残ってないので、検証が難しい。
当事者の聞き取り調査と雑誌文献の調査が中心になると思う。
『週刊Spa!』などは良い資料になるはず。


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12月21日(土)「性慾研究会」(Zoom参加) [性社会史研究(一般)]

12月21日(土)

「性慾研究会」。
心身不調のためZoom参加。

万全ではない体調で、4時間のZoomは辛い。

おまけに、ずっと「挙手」サインを出しているのに、発言の機会が与えられず、とてもストレス。

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10月12日(土)「性慾研究会」で大阪へ [性社会史研究(一般)]

10月12日(土)

「性慾研究会」で大阪へ。。

3連休初日で、東海道新幹線が混んでいる。
E・D・C席が満席で、珍しくA席。
自由席に座れない人がデッキに溢れている。

「性慾研」初の大阪開催。
会場の関西大学・梅田キャンパスは、新御堂筋沿いのビルで、スタバやツタヤが入っていて、大学とは思えない、おしゃれな造りだった。
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6月1日(土)遠かった [性社会史研究(一般)]


「性慾研究会」、井上先生の都合で、急遽、会場が変更になり、いつもより30分速い新幹線(新横浜駅発9時31分)に指定券を変更して京都へ。

室町蛸薬師の定宿に荷物を預け、まだ足が少し痛いので烏丸六角でタクシーに乗る。

久しぶりに京都の街をタクシーで走る。
烏丸通りを「護王神社」の角で左折し、下長者町通りに入り、中立売通りを抜けて右折し、北野天満宮の前に出る。
さらに走って、平野神社の脇を通って、立命館大学・衣笠キャンパス・正門へ。
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遠かった。
地図上で位置は認識していたが、実際に行くとさらに遠い。

タクシー料金2500円と予想していたが、近年の値上げ分が乗って2800円。
まあ仕方がない。

おおっ、山(北山)が近い。
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広く緑豊かなキャンパス。
集合場所の図書館の前へ。
「パルテノン神殿みたいな建物なので、すぐにわかります」
と聞いていたとおりだった。
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ベンチで待つことしばし、メンバーが集まってきた。6月1日(土)
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河原梓水『SMの思想史―戦後日本における支配と暴力をめぐる夢と欲望』 [性社会史研究(一般)]

5月10日(金)

河原梓水さんの新著『SMの思想史―戦後日本における支配と暴力をめぐる夢と欲望』(青弓社、3000円+税)をいただく。
SMの思想史.jpg
ありがとうございました。

日本初の本格的なSM史研究で、セクシュアリティ研究の欠落を埋めるという点でまさに画期的な業績。

10数年、同じ研究会で研究報告を聴いてきた者として,とても感慨深い。

400頁を超える分厚さと、グレーの地味な装丁が、江戸時代の街奉行所で罪人を拷問する際に使った「抱き石」を思わせる。

「まだ吐かぬか、もう20冊抱かせろ」
「うぎゃ~~~ぁ!」

きっと20冊単位で売れるだろう。


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