GID(性同一性障害)学会」研究大会(沖縄)特別講演「琉球弧における性別越境文化と、その普遍性」 [お仕事(講義・講演)]
昨年(2024年)3月の「GID(性同一性障害)学会」研究大会(沖縄)における特別講演の講演録です。
この講演の直前の総会で「GI(性別不合)学会」への会名変更が決定し、はからずも、この講演が「GID学会」の名称のもとでの最後のプログラムになりました。
機会をいただきました大会長の親富祖勝己先生に心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
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第25回「GID(性同一性障害)学会」研究大会・特別講演 (沖縄県看護研修センター) 2024.03.17
琉球弧における性別越境文化と、その普遍性
Gender-crossing culture in the Ryukyu archipelago and its universality
三橋 順子(Junko Mitsuhashi)
ご紹介いただきました三橋順子です。性社会・文化史、ジェンダーとセクシュアリティの歴史研究をやっております。2008年に『女装と日本人』(講談社現代新書)2018年に『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)、2022年に『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店)、そして昨年の暮、2023年12月『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版)を出しています。
GID学会・研究大会の講演は、理事でもない「永世平会員」にもかかわらず、4回目となります。今回、機会を与えてくださった親富祖(おやふそ)勝己先生には、心から感謝しております。
さて、「琉球弧における性別越境文化と、その普遍性」というお話しをいたします。琉球弧とは、九州の南、台湾との間に連なる島々のことです。北から大隅諸島(種子島・屋久島)、吐噶喇(とから)列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島となります。現在の行政区分では鹿児島県と沖縄県に分かれていますが、古くから文化的な共通性が強く、日本古代では「南島」と呼ばれていました。
その琉球弧の島々には、性別越境の文化、性別を越境した姿で宗教的職能をもった人々の活動の痕跡がいくつか見られます。

琉球弧のいちばん北、大隅半島の南に浮かぶ細長い島、種子島の東海岸に貝製装飾品がたくさん出土したことで知られる広田遺跡(鹿児島県南種子町)があります。遺跡の年代は、弥生時代末期、だいたい今から1600~1700年前頃と推測されています。

この遺跡から出土する人骨は、二つのパターンに分けられます。一つは、埋葬後、遺骸が骨になった後に掘り出して骨をまとめて再埋葬したもの(集骨再葬墓)。このような再葬という埋葬方法は、現在でも琉球弧の各地に見られ、この遺跡でも一般的な葬制だったようです。
もう一つは、埋葬後、再葬の手続きがされずにそのままにされたもの(非再葬墓)。こちらは数も少なく、この遺跡では特別な葬制のようです。
そして非再葬墓の人骨は、饕餮(とうてつ)文貝札や竜形の貝製ペンダントなどの装身具をたくさん身につけていていました。生前の姿は、やや過剰装飾的なきらびやかなものだったでしょう。
骨の形態からほとんどが女性で、祭祀的な行為に携わった女性シャーマン(女巫)だったと推測されます。

シャーマンとは、シャーマニズムの社会において、神や精霊と人とをつなぐ役割をする人のことです。日本語では、巫師とか霊媒師とか言いますが、ここでは文化人類学の用語であるシャーマンを使います。
奄美・琉球の社会は、近現代まで女性シャーマン(ユタ、ノロ)が活躍する世界でした。しかも琉球王朝の神官であるノロは、一般人が洗骨再葬されるのに対して再葬の対象になりませんでした。死後もその霊力が怖れられたからだと考えられています。広田遺跡の非再葬人骨は、そうした琉球弧の女性シャーマンの起源に相当すると思われます。
ところが、非再葬人骨の中に唯一、やや華奢ではあるものの明らかに男性の骨格をもつ遺体が含まれていました。この男性は、他の男性人骨がすべて集骨再葬の対象になっているにもかかわらず、女性シャーマンと同様の非再葬で、板状の珊瑚石を箱状に組み合わせた中に丁寧に屈葬されていました。しかも、女性シャーマンを上回るほどの豊富な饕餮文貝札や竜形の貝製ペンダントを身にまとい、ゴウホラ貝製の腕輪を装着し、さらに額には幅広な鉢巻状の装身具(ヘアバンド?)を長期にわたって締めていた痕跡(骨の変形)がありました。

当時、環東シナ海考古学の権威だった国分直一博士は、この人物を身体的には男性でありながら、女性シャーマンと同様な身なりで、祭祀的な行為に携わった女装のシャーマン「双性の巫人」であると推測しました。身につけていたおびただしい装飾品は、この人物が女性シャーマンをしのぐ強力な霊的パワーをもつ、権威ある女装のシャーマンだったことを想像させます。
琉球弧では同様の「双性の巫人」の類例がいくつか報告されています。たとえば、1605年(琉球王国では第二尚氏王統第7代尚寧王の41年、日本では江戸時代初期の慶長10年)、琉球のある男性の容貌が変じて女性に変身したので、神祠の役人としたことが記録されています。現代医学的な解釈をすれば、この人は、もともと男女の身体的特性を合わせ持った性分化疾患(インターセックス)で、成長するにしたがって女性的な形質が強くなったと推定されます。興味深いのは、そうした双性(double-gender)的な在り様を示した人をわざわざ祭祀職に就けたということです。それは、当時の琉球の人たちが、双性的な人に何らかの「聖性」を感じていたからだと思われます。
現代に近い例としては、1960年代の奄美大島の名瀬市(現:奄美市)に、しゃべり方や歩き方が女性のような男ユタがいたことが報告されています。この男ユタは、調査時点では白衣に白袴の男装でしたが、若いころには、髪を長く伸ばし化粧をして緋色の袴をつけた女装のユタでした。性別越境的な人が祭祀的な役割をしていた例になります。
注目したいのは、この男ユタが女性的であることの理由を女性ユタの霊力を受け継いだからだと説明し、さらに女→男→女→男といった具合に男女交互に受け継ぐことによって霊力が強くなると語っていることです。男性が女性の霊を受け継ぐことだけでなく、女性が男性の霊を受け継ぐことも、強い霊力につながるというのです。つまり、時系列的には女→男→女→男という継承のように、単時的には男の身体で女の装い(女装)、女の身体で男の装い(男装)のように、男と女の性を重ねたダブル・ジェンダー的なあり方が重視されたと考えられます。
また、同じころ吐噶喇列島の悪石島(あくせきじま 鹿児島県十島村)にも女装のユタが、なんと3人もいたことが報告されています。

女装のユタたちは「おとこおんな」と呼ばれ、歩き方や座り方などのしぐさは女性的で、外出の時には化粧をします。また男性は漁撈に従事し女性が農耕を行う伝統がある社会であるにもかかわらず、「おとこおんな」たちは農業に従事していました。性別表現(ジェンダー・パターン)や性役割(ジェンダー・ロール)が女性であるだけでなく、男性に対して愛情を覚え「女以上に(相手の男性を)喜ばせることができる」と公言していたように、セクシュアリティも女性役割でした。ここでも女性化の理由づけは、「神(女神)が乗」ったためであり、島の人々には、女性の巫人(ネーシ)よりも「おとこおんな」の方が、霊力が高いと怖れられていました。
悪石島の人口は最盛期でも200人程度でしょう(現在は約70人)。そんな小さな社会にも女装の祭祀者がいて、人々の信仰を集め、かつ、女性の祭祀者よりも強力なパワーをもち、人々に畏怖されていたのです。それは古代以来の琉球弧の村落の原風景を思わせます。
国分直一博士が広田遺跡の人骨を「双性の巫人」と判断したのは、琉球弧の島々、吐噶喇列島の悪石島、奄美大島、沖縄本島などでは、20世紀中頃まで女装の宗教者が存在することを民俗調査などで知っていて、「双性の巫人」をその遠い先祖と考えたからです。
このように琉球弧では、弥生時代からほとんど現代まで、双性の巫人の存在が確認できます。それらはおそらく同じ文化系譜に連なるものでしょう。したがって、奄美大島や悪石島の女装ユタの論理を使えば、女性シャーマンに抜きん出た広田遺跡の「双性の巫人」の存在も説明することができると思います。
それは、身体的には男性でありながら社会的には女性であるという特異性、つまり、男でもあり女でもあるという、いわば性を重ねた双性(double-gender)的な特性が、一般の男性や女性とは異なる特異なパワーの源泉になるという考え方です。私はこの特殊なパワーを「双性力」、そして「双性力」を重視する考え方を「双性原理」と名付けました。ちなみにあくまでも「男でもあり女でもある」ことが重要なのであって、「男でもなく女でもなく」では何のパワーも生まれません。
常人と異なる「性」をもつために社会的に抑圧・迫害されるのではなく、常人と異なる「性」をもつ故に、常人とは異なることを為し得るという論理です。人と異なることをマイナスに考えるのではなく、常人と異なること「異人」であることを、特別な能力「異能」の源泉としてプラスにとらえるということです。さらに、常人と異なるということは、人ではない存在に近いということにつながり、人ではない存在である「神」に近い性格=「聖性」をもつ者という解釈が生まれます。
双性的であることが社会の中でプラスに認識される実例を紹介しましょう。
ビルマ(ミャンマー)には、「ナッカドー」という女装のシャーマンがいます。「ナッカドー」は、この地域の民間信仰のナッ神を人に取り次ぐシャーマンで、「神の妻」なので女装しています。そして、男性でも女性でもある存在なので、男性霊、女性霊どちらも呼び出せる力があると信じられ、人々から尊敬されています。

男性のシャーマンは男性霊しか、女性のシャーマンは女性霊しか取り次げないのに対し、双性であるナッカドーはどちらも取り次ぐことができ、その分、有能、優れているという理屈です。双性であることが職能としてマイナスではなく、プラスになるという認識で、まさに「双性原理」の典型的な事例です。
双性原理に立つと、常人が「双性力」を獲得し、「神」に近づき、コンタクトするためには、男性は女装し、女性は男装して双性的な存在になればよいことになります。
琉球王朝の最高の祭祀の場である「斎場御嶽(せいふぁーうたき)」(南城市)は、長らく男子禁制とされてきました。琉球王でさえ、そこに入るためには女装に改めなければならなかったと伝えられています。

具体的にどのように女装したかはわからないのですが、琉装における男女差は帯で、男装は腰のあたりを太めの帯で固定するのに対し、女装では太い帯を締めず、腰のあたりに細帯を締め、その上から表着を掛け、腰の部分でつまんで細帯に挟み込みます。おそらく、そうした帯の締め方を変えたのでしょう。

これは男子禁制の伝統を守るとともに、琉球王が女装して、双性的な存在になることによって聖性を帯び、より「神」とコンタクトしやすくなるためと思われます。
双性的なシャーマンの存在は、日本の中世社会(平安時代末期~室町時代)にも見出せます。
この画像は、平安時代の末(12世紀)に描かれた『年中行事絵巻』の一場面で、京都の郊外の小さな神社の境内で人々が雄鶏を持ち寄って闘わせる「闘鶏」を楽しんでいます。

私が注目したのは闘鶏ではなく、境内に描かれた巫女の家です。身分のありそうな女性が訪れています。その前に黄色の衣の巫女が鼓を打って神を下ろしています。巫女の左後ろにある盛砂を高坏に撒いて占うのでしょう(砂占い)。

でも、よく見ると巫女と思われた人の鼻の下に黒い線(髭)が描かれていて、女装の男性であることがわかります。そういえば、身体つきも大柄な気がします。私は、この人を「平安時代のマツコ」さんと呼んでいます。

宗教的職能と女性の相談役的な職能を兼ねた女装のシャーマンと考えらえます。
こちらは、鎌倉時代から室町時代にかけて作られた「職人歌合絵巻」に描かれた「じしゃ(持者・地しゃ)」という職能の人です。同時代の女性(比較「桂女」)と同じように小袖姿で、髪を頭巾で覆っています。


しかし、添えられた歌は「仮は乙女子」とか「女のまねかた」など、フェイクの女だよ、とカミングアウトしている内容で、女性ではなく女装の男性であることがわかります。
さらによく見ると、小さくチョビ髭も描かれています。

「じしゃ」の画像は、もう1点あります(表記は「地しゃ」)。こちらの姿形は女性に見えますが、やはり歌の内容から女装の男性であることがわかります。

「じしゃ」の資料はこの2点だけで、詳細は不明ですが、鎌倉・鶴岡八幡宮に奉仕する人であること、『七十一番職人歌合』では山伏と番わされていることなどから、占いや悪霊祓いなど宗教的な職能をもったシャーマン的な人と思われます。
このように日本でも、中世社会までは、双性のシャーマン的存在が認められますが、近世社会になるとその姿は確認できなくなります。それに対して琉球弧では、そういう人が現代に近い20世紀後半まで残っていたということです。
ある大学の講義で、先ほど述べた女装のユタの話をしたところ、沖縄県那覇市出身の学生さんが帰省したときに、その話を家族に伝えました。
すると、彼女のお祖母さんが「子どもの頃、スカートを履いた男のユタを見たことがある」と言っていたと報告してくれました。2015年頃、20歳の学生のお祖母さんですから、おそらく1940年代後半、戦後すぐの生まれ、その子どもの頃ですから、1950年代のことではないかと思われます。
こうした話からも、双性のシャーマンという形態が、琉球弧では比較的近年まで残っていたのは間違いないと思います。
ところで、私が初めて沖縄を訪れたのは、今は亡き山本蘭さん(2021年11月29日逝去)の依頼で2013年6月「gid.jp 沖縄フォーラム」で講演したときでした。

その時、街を歩いていて、タイのバンコクに似ているなと感じました。気候や植生もですが。女性がよく働く、それに比べて男性があまり働かない、ように見えた、という点です。これは女系社会の特徴です。
琉球の社会は二重構造で、政治構造は、冊封関係にあった中国王朝の模倣でまったくの男性社会です。しかし、祭政一致の王権を支える祭祀は、国王の近親の女性がなる「聞得大君(きこえおおぎみ)」を頂点とし、ノロと呼ばれる女性神官とユタと呼ばれる民間の女性祭祀者とから構成される女性社会です。
どちらが土着的かと言えば後者で、琉球社会の基礎構造は女系だと思います。いろいろ観察していると、どうも性別越境者は女系社会と相性が良い、住みやすいように思います。
現在、沖縄県が戸籍の性別変更をした人の比率(人口比)が、日本有数に高いのは、そのあたりが関係しているように思います。
さて、この研究大会のキャッチコピーは「浦南風(うらはえ)に乗り性別を超える」です。視点を海の向こうに移しましょう。琉球弧の東には広大な太平洋が広がっています。

性別越境の文化は、琉球弧にとどまらず、広く太平洋の島々にも見られます。サモア諸島のファアファフィネ(Fa'afafine)、トンガ諸島のファカレイティ(Fakaleiti)、ニュージーランドのマオリ族のワカワヒネ(whakawahine)、タヒチ諸島やハワイ諸島のマフ(Mahu)などです。これらは、おそらく同一の系統の文化で、サモアとトンガはF音が多い名称からして同じ語源でしょう。
約5000~3000年前、人類がアジア大陸を離れ、舟を風と潮に乗せて、広大な太平洋の島々に展開していきました。おそらく、航海の安全を神に祈り、舟の進路を神に問うようなシャーマンが舟に乗っていたはずです。その中に、すでに性別越境的な人がいたということで、それだけ古い文化だと言うことです。


2014年にタイのバンコクで開催された「WPATH2014」(The World Professional Association for Transgender Health)にはアジア・パシフィックのトランスジェンダーが20人ほど招待されていました。その中に、南太平洋トンガ王国のTrans-woman Joleen Mataeleさんがいました。

連続シンポジウム「Trans People in Asia and the Pacific」で聴いたJoleenさんの報告は、サード・ジェンダー的な性別越境者の社会的役割を考えるうえで、とても興味深いものでした。
昔(キリスト教流入以前)のトンガ王国では、中央に座る王様の右手に政治を補佐する大臣たちが居並んでいました。では王様の左手には誰がいたかという、シャーマンとして王様を補佐するファカレイティが座っていました。つまり祭政一致の政治システムの一翼、「祭」の部分ををファカレイティが担っていたのです。
そうした政治形態は、キリスト教化・近代化の中で失われていきました。報告の最後にJoleenさんが言った言葉が印象的でした。「Godの言うことをうかつに信じては駄目ですよ」。
トンガの事例などから、南太平洋の島々の性別越境の人々も、本来、神と人とを取り次ぐシャーマンだったと思われます。そして、宗教的職能を起点に、芸能や女性の相談役的な職能に展開していきました。

この画像は、ポリネシア・タヒチ諸島の、マフのタヒチアン・ダンスチームです。ちなみにマフは「女写し」、女性のコピーの意味です。マフのチームは、女性のチームより身体能力が高く迫力があり人気だそうです。マフは、かつてはハワイ諸島にもいましたが、キリスト教化・アメリカ文化の浸透で滅んでしまい、正確に言えば滅ぼされてしまいました。現在、ハワイにマフを名乗る人がいますが、残念ながら文化的には断絶があるようです。
これまで述べたように琉球弧、中世までの日本列島、南太平洋の島々、そして今日は触れることができませんでしたがアジア諸国、つまり世界の多くの地域に、双性的な人々が存在し、数こそ少ないものの、性別を越境した姿で、宗教的職能を中心に、社会の中で特定の役割を果たしていました。地域や時代を超えた普遍的な存在だということです。
そうした伝統的な性別越境の文化がほとんど確認できないのは、ヨーロッパだけです。長いキリスト教支配の間に完全に潰されてしまったということです。古代ギリシャやキリスト教化以前のローマには存在しますので。むしろ、性別越境文化の伝統を保たないヨーロッパが特異なのです。
こうした宗教的な職能をもつ双性的な人に対して、常人から向けられる視線は、ある種の怖れと敬い、つまり畏怖と畏敬、「聖視」と「賤視」が複雑に絡まったものだったと推測されます。
ここでなにより大事なことは、性別越境者が、社会から排除され抹殺されてしまうのではなく、社会的な役割(職能)をもつ存在だったということです。「双性原理」が、常人とは異なる「性」をもって生まれ育った人たちに、生きる術と固有の社会的役割を与えていたのです。
一方、ヨーロッパのキリスト教社会では、多様な「性」をもつ人々は、キリスト教の宗教規範、つまり神の教えに背く背教者、宗教犯罪者として迫害されてきました。それが19世紀後半以降、クラフト=エビングなどの犯罪精神医学者によって、精神病として病理化されたのです。性別の移行を望む人々を「性同一性障害」という精神疾患として捉える考え方は、そうした19世紀以来の病理化の延長上にありました。
病理化された多様な「性」がようやく脱病理化していくのは20世紀後半のことで、同性愛も1990年のICD-10で脱病理化しました。そして、性別の移行を望むことが、2019年のICD-11で脱精神疾患化しました。20世紀後半から21世紀の現在にかけて、多様な「性」の脱病理化という大きなパラダイム転換が進行したということです。
ところで、精神医学と文化人類学の境界に「シャーマンは治療していいのか?」という命題があります。神と人とを取り次ぐシャーマンには、しばしば神の声が聞こえる、神の姿が見える人がいます。精神医学的にいえば、幻聴・幻覚の症状で、おそらく統合失調症あたりが疑われると思います。そこで、統合失調症の診断で治療する。お薬がよく効いて幻聴や幻覚の症状が改善された。しかし、神の声が聞こえなくなったシャーマンは仕事ができなくなってしまいます。シャーマンが伝える神の言葉を生活の拠りどころにしていた村(共同体)の人々も困ってしまうという話です。
なんでもかんでも病理化して治療すればいいものではない、という話としてとらえることができますが、ポイントは「シャーマンは治療を求めたのか?」ということです。治療してくれと言ったのなら正当な治療でしょう。しかし、治療してくれと言っていないのに医療が介入したのなら、余計なお世話で、過剰介入です。
ICD-11の施行により、性別の移行を望む人たちを、精神疾患として囲い込んで、え治療(treatment)しようという時代はもう終わりました。疾患ではなくなったわけですから、論理的に言って、もう治療ではありません。まあいろいろご事情があり、そう簡単にいかないことはわかっています。しかし、脱疾患化の基本は、しっかり認識するべきです。なぜなら、脱疾患化の達成は、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの当事者たちの長年の活動の成果だからです。それをおざなりにすべきではありません。
医療者は性別の移行を望む人たちが必要とする、conditionが改善し、生活の質(QOL)が向上する医療ケア・支援を適切に提供すればよい時代になったのです。シャーマンは治療しなければならない存在ではなく、シャーマンが望む医療ケア・支援を提供すべきなのです。
ICD-10からICD-11への移行は、病理モデルから人権モデルへの転換と言われますが、文化人類学的には「文化モデル」の復活とも言えます。性別を越えた形で、社会的役割を担う人、そうしたconditionの人は、数こそ少ないものの、普遍的かつ文化的な存在であり、病理(疾患)として治療する必要はまったくないということです。
そのあたりの大転換をよく理解した上で、この学会の今後の方針、具体的には学会名の変更問題を考えるべきだったと思います。大事なことは、性別を越えて生きる人たちが健康でより良い文化的な生活を送ること、健康と福祉です。そのために学会はなにをすべきか、ということです。
一介の野良講師が諸先生方の前で生意気なことを申しました。でも、これが最後ですので、お許しください。ご清聴ありがとうございました。
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三橋順子(みつはし じゅんこ)1955年、埼玉県秩父市生まれ。Trans-woman。
【専門】ジェンダー&セクシュアリティの歴史研究。
【現職】明治大学文学部非常勤講師。
【著書】『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、2018年)、『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店、2022年)、『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版、2023年)。
【主な論文】「LGBTと法律 ―日本における性別移行法をめぐる諸問題―」(『LGBTをめぐる法と社会』日本加除出版、2019年)、「「LGBT」史研究と史資料」(総合女性史学会編『ジェンダー分析で学ぶ 女性史入門』岩波書店、2021年)など。
この講演の直前の総会で「GI(性別不合)学会」への会名変更が決定し、はからずも、この講演が「GID学会」の名称のもとでの最後のプログラムになりました。
機会をいただきました大会長の親富祖勝己先生に心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
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第25回「GID(性同一性障害)学会」研究大会・特別講演 (沖縄県看護研修センター) 2024.03.17
琉球弧における性別越境文化と、その普遍性
Gender-crossing culture in the Ryukyu archipelago and its universality
三橋 順子(Junko Mitsuhashi)
ご紹介いただきました三橋順子です。性社会・文化史、ジェンダーとセクシュアリティの歴史研究をやっております。2008年に『女装と日本人』(講談社現代新書)2018年に『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)、2022年に『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店)、そして昨年の暮、2023年12月『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版)を出しています。
GID学会・研究大会の講演は、理事でもない「永世平会員」にもかかわらず、4回目となります。今回、機会を与えてくださった親富祖(おやふそ)勝己先生には、心から感謝しております。
さて、「琉球弧における性別越境文化と、その普遍性」というお話しをいたします。琉球弧とは、九州の南、台湾との間に連なる島々のことです。北から大隅諸島(種子島・屋久島)、吐噶喇(とから)列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島となります。現在の行政区分では鹿児島県と沖縄県に分かれていますが、古くから文化的な共通性が強く、日本古代では「南島」と呼ばれていました。
その琉球弧の島々には、性別越境の文化、性別を越境した姿で宗教的職能をもった人々の活動の痕跡がいくつか見られます。
琉球弧のいちばん北、大隅半島の南に浮かぶ細長い島、種子島の東海岸に貝製装飾品がたくさん出土したことで知られる広田遺跡(鹿児島県南種子町)があります。遺跡の年代は、弥生時代末期、だいたい今から1600~1700年前頃と推測されています。

この遺跡から出土する人骨は、二つのパターンに分けられます。一つは、埋葬後、遺骸が骨になった後に掘り出して骨をまとめて再埋葬したもの(集骨再葬墓)。このような再葬という埋葬方法は、現在でも琉球弧の各地に見られ、この遺跡でも一般的な葬制だったようです。
もう一つは、埋葬後、再葬の手続きがされずにそのままにされたもの(非再葬墓)。こちらは数も少なく、この遺跡では特別な葬制のようです。
そして非再葬墓の人骨は、饕餮(とうてつ)文貝札や竜形の貝製ペンダントなどの装身具をたくさん身につけていていました。生前の姿は、やや過剰装飾的なきらびやかなものだったでしょう。
骨の形態からほとんどが女性で、祭祀的な行為に携わった女性シャーマン(女巫)だったと推測されます。

シャーマンとは、シャーマニズムの社会において、神や精霊と人とをつなぐ役割をする人のことです。日本語では、巫師とか霊媒師とか言いますが、ここでは文化人類学の用語であるシャーマンを使います。
奄美・琉球の社会は、近現代まで女性シャーマン(ユタ、ノロ)が活躍する世界でした。しかも琉球王朝の神官であるノロは、一般人が洗骨再葬されるのに対して再葬の対象になりませんでした。死後もその霊力が怖れられたからだと考えられています。広田遺跡の非再葬人骨は、そうした琉球弧の女性シャーマンの起源に相当すると思われます。
ところが、非再葬人骨の中に唯一、やや華奢ではあるものの明らかに男性の骨格をもつ遺体が含まれていました。この男性は、他の男性人骨がすべて集骨再葬の対象になっているにもかかわらず、女性シャーマンと同様の非再葬で、板状の珊瑚石を箱状に組み合わせた中に丁寧に屈葬されていました。しかも、女性シャーマンを上回るほどの豊富な饕餮文貝札や竜形の貝製ペンダントを身にまとい、ゴウホラ貝製の腕輪を装着し、さらに額には幅広な鉢巻状の装身具(ヘアバンド?)を長期にわたって締めていた痕跡(骨の変形)がありました。


当時、環東シナ海考古学の権威だった国分直一博士は、この人物を身体的には男性でありながら、女性シャーマンと同様な身なりで、祭祀的な行為に携わった女装のシャーマン「双性の巫人」であると推測しました。身につけていたおびただしい装飾品は、この人物が女性シャーマンをしのぐ強力な霊的パワーをもつ、権威ある女装のシャーマンだったことを想像させます。
琉球弧では同様の「双性の巫人」の類例がいくつか報告されています。たとえば、1605年(琉球王国では第二尚氏王統第7代尚寧王の41年、日本では江戸時代初期の慶長10年)、琉球のある男性の容貌が変じて女性に変身したので、神祠の役人としたことが記録されています。現代医学的な解釈をすれば、この人は、もともと男女の身体的特性を合わせ持った性分化疾患(インターセックス)で、成長するにしたがって女性的な形質が強くなったと推定されます。興味深いのは、そうした双性(double-gender)的な在り様を示した人をわざわざ祭祀職に就けたということです。それは、当時の琉球の人たちが、双性的な人に何らかの「聖性」を感じていたからだと思われます。
現代に近い例としては、1960年代の奄美大島の名瀬市(現:奄美市)に、しゃべり方や歩き方が女性のような男ユタがいたことが報告されています。この男ユタは、調査時点では白衣に白袴の男装でしたが、若いころには、髪を長く伸ばし化粧をして緋色の袴をつけた女装のユタでした。性別越境的な人が祭祀的な役割をしていた例になります。
注目したいのは、この男ユタが女性的であることの理由を女性ユタの霊力を受け継いだからだと説明し、さらに女→男→女→男といった具合に男女交互に受け継ぐことによって霊力が強くなると語っていることです。男性が女性の霊を受け継ぐことだけでなく、女性が男性の霊を受け継ぐことも、強い霊力につながるというのです。つまり、時系列的には女→男→女→男という継承のように、単時的には男の身体で女の装い(女装)、女の身体で男の装い(男装)のように、男と女の性を重ねたダブル・ジェンダー的なあり方が重視されたと考えられます。
また、同じころ吐噶喇列島の悪石島(あくせきじま 鹿児島県十島村)にも女装のユタが、なんと3人もいたことが報告されています。

女装のユタたちは「おとこおんな」と呼ばれ、歩き方や座り方などのしぐさは女性的で、外出の時には化粧をします。また男性は漁撈に従事し女性が農耕を行う伝統がある社会であるにもかかわらず、「おとこおんな」たちは農業に従事していました。性別表現(ジェンダー・パターン)や性役割(ジェンダー・ロール)が女性であるだけでなく、男性に対して愛情を覚え「女以上に(相手の男性を)喜ばせることができる」と公言していたように、セクシュアリティも女性役割でした。ここでも女性化の理由づけは、「神(女神)が乗」ったためであり、島の人々には、女性の巫人(ネーシ)よりも「おとこおんな」の方が、霊力が高いと怖れられていました。
悪石島の人口は最盛期でも200人程度でしょう(現在は約70人)。そんな小さな社会にも女装の祭祀者がいて、人々の信仰を集め、かつ、女性の祭祀者よりも強力なパワーをもち、人々に畏怖されていたのです。それは古代以来の琉球弧の村落の原風景を思わせます。
国分直一博士が広田遺跡の人骨を「双性の巫人」と判断したのは、琉球弧の島々、吐噶喇列島の悪石島、奄美大島、沖縄本島などでは、20世紀中頃まで女装の宗教者が存在することを民俗調査などで知っていて、「双性の巫人」をその遠い先祖と考えたからです。
このように琉球弧では、弥生時代からほとんど現代まで、双性の巫人の存在が確認できます。それらはおそらく同じ文化系譜に連なるものでしょう。したがって、奄美大島や悪石島の女装ユタの論理を使えば、女性シャーマンに抜きん出た広田遺跡の「双性の巫人」の存在も説明することができると思います。
それは、身体的には男性でありながら社会的には女性であるという特異性、つまり、男でもあり女でもあるという、いわば性を重ねた双性(double-gender)的な特性が、一般の男性や女性とは異なる特異なパワーの源泉になるという考え方です。私はこの特殊なパワーを「双性力」、そして「双性力」を重視する考え方を「双性原理」と名付けました。ちなみにあくまでも「男でもあり女でもある」ことが重要なのであって、「男でもなく女でもなく」では何のパワーも生まれません。
常人と異なる「性」をもつために社会的に抑圧・迫害されるのではなく、常人と異なる「性」をもつ故に、常人とは異なることを為し得るという論理です。人と異なることをマイナスに考えるのではなく、常人と異なること「異人」であることを、特別な能力「異能」の源泉としてプラスにとらえるということです。さらに、常人と異なるということは、人ではない存在に近いということにつながり、人ではない存在である「神」に近い性格=「聖性」をもつ者という解釈が生まれます。
双性的であることが社会の中でプラスに認識される実例を紹介しましょう。
ビルマ(ミャンマー)には、「ナッカドー」という女装のシャーマンがいます。「ナッカドー」は、この地域の民間信仰のナッ神を人に取り次ぐシャーマンで、「神の妻」なので女装しています。そして、男性でも女性でもある存在なので、男性霊、女性霊どちらも呼び出せる力があると信じられ、人々から尊敬されています。

男性のシャーマンは男性霊しか、女性のシャーマンは女性霊しか取り次げないのに対し、双性であるナッカドーはどちらも取り次ぐことができ、その分、有能、優れているという理屈です。双性であることが職能としてマイナスではなく、プラスになるという認識で、まさに「双性原理」の典型的な事例です。
双性原理に立つと、常人が「双性力」を獲得し、「神」に近づき、コンタクトするためには、男性は女装し、女性は男装して双性的な存在になればよいことになります。
琉球王朝の最高の祭祀の場である「斎場御嶽(せいふぁーうたき)」(南城市)は、長らく男子禁制とされてきました。琉球王でさえ、そこに入るためには女装に改めなければならなかったと伝えられています。


具体的にどのように女装したかはわからないのですが、琉装における男女差は帯で、男装は腰のあたりを太めの帯で固定するのに対し、女装では太い帯を締めず、腰のあたりに細帯を締め、その上から表着を掛け、腰の部分でつまんで細帯に挟み込みます。おそらく、そうした帯の締め方を変えたのでしょう。

これは男子禁制の伝統を守るとともに、琉球王が女装して、双性的な存在になることによって聖性を帯び、より「神」とコンタクトしやすくなるためと思われます。
双性的なシャーマンの存在は、日本の中世社会(平安時代末期~室町時代)にも見出せます。
この画像は、平安時代の末(12世紀)に描かれた『年中行事絵巻』の一場面で、京都の郊外の小さな神社の境内で人々が雄鶏を持ち寄って闘わせる「闘鶏」を楽しんでいます。

私が注目したのは闘鶏ではなく、境内に描かれた巫女の家です。身分のありそうな女性が訪れています。その前に黄色の衣の巫女が鼓を打って神を下ろしています。巫女の左後ろにある盛砂を高坏に撒いて占うのでしょう(砂占い)。

でも、よく見ると巫女と思われた人の鼻の下に黒い線(髭)が描かれていて、女装の男性であることがわかります。そういえば、身体つきも大柄な気がします。私は、この人を「平安時代のマツコ」さんと呼んでいます。

宗教的職能と女性の相談役的な職能を兼ねた女装のシャーマンと考えらえます。
こちらは、鎌倉時代から室町時代にかけて作られた「職人歌合絵巻」に描かれた「じしゃ(持者・地しゃ)」という職能の人です。同時代の女性(比較「桂女」)と同じように小袖姿で、髪を頭巾で覆っています。


しかし、添えられた歌は「仮は乙女子」とか「女のまねかた」など、フェイクの女だよ、とカミングアウトしている内容で、女性ではなく女装の男性であることがわかります。
さらによく見ると、小さくチョビ髭も描かれています。

「じしゃ」の画像は、もう1点あります(表記は「地しゃ」)。こちらの姿形は女性に見えますが、やはり歌の内容から女装の男性であることがわかります。

「じしゃ」の資料はこの2点だけで、詳細は不明ですが、鎌倉・鶴岡八幡宮に奉仕する人であること、『七十一番職人歌合』では山伏と番わされていることなどから、占いや悪霊祓いなど宗教的な職能をもったシャーマン的な人と思われます。
このように日本でも、中世社会までは、双性のシャーマン的存在が認められますが、近世社会になるとその姿は確認できなくなります。それに対して琉球弧では、そういう人が現代に近い20世紀後半まで残っていたということです。
ある大学の講義で、先ほど述べた女装のユタの話をしたところ、沖縄県那覇市出身の学生さんが帰省したときに、その話を家族に伝えました。
すると、彼女のお祖母さんが「子どもの頃、スカートを履いた男のユタを見たことがある」と言っていたと報告してくれました。2015年頃、20歳の学生のお祖母さんですから、おそらく1940年代後半、戦後すぐの生まれ、その子どもの頃ですから、1950年代のことではないかと思われます。
こうした話からも、双性のシャーマンという形態が、琉球弧では比較的近年まで残っていたのは間違いないと思います。
ところで、私が初めて沖縄を訪れたのは、今は亡き山本蘭さん(2021年11月29日逝去)の依頼で2013年6月「gid.jp 沖縄フォーラム」で講演したときでした。

その時、街を歩いていて、タイのバンコクに似ているなと感じました。気候や植生もですが。女性がよく働く、それに比べて男性があまり働かない、ように見えた、という点です。これは女系社会の特徴です。
琉球の社会は二重構造で、政治構造は、冊封関係にあった中国王朝の模倣でまったくの男性社会です。しかし、祭政一致の王権を支える祭祀は、国王の近親の女性がなる「聞得大君(きこえおおぎみ)」を頂点とし、ノロと呼ばれる女性神官とユタと呼ばれる民間の女性祭祀者とから構成される女性社会です。
どちらが土着的かと言えば後者で、琉球社会の基礎構造は女系だと思います。いろいろ観察していると、どうも性別越境者は女系社会と相性が良い、住みやすいように思います。
現在、沖縄県が戸籍の性別変更をした人の比率(人口比)が、日本有数に高いのは、そのあたりが関係しているように思います。
さて、この研究大会のキャッチコピーは「浦南風(うらはえ)に乗り性別を超える」です。視点を海の向こうに移しましょう。琉球弧の東には広大な太平洋が広がっています。

性別越境の文化は、琉球弧にとどまらず、広く太平洋の島々にも見られます。サモア諸島のファアファフィネ(Fa'afafine)、トンガ諸島のファカレイティ(Fakaleiti)、ニュージーランドのマオリ族のワカワヒネ(whakawahine)、タヒチ諸島やハワイ諸島のマフ(Mahu)などです。これらは、おそらく同一の系統の文化で、サモアとトンガはF音が多い名称からして同じ語源でしょう。
約5000~3000年前、人類がアジア大陸を離れ、舟を風と潮に乗せて、広大な太平洋の島々に展開していきました。おそらく、航海の安全を神に祈り、舟の進路を神に問うようなシャーマンが舟に乗っていたはずです。その中に、すでに性別越境的な人がいたということで、それだけ古い文化だと言うことです。


2014年にタイのバンコクで開催された「WPATH2014」(The World Professional Association for Transgender Health)にはアジア・パシフィックのトランスジェンダーが20人ほど招待されていました。その中に、南太平洋トンガ王国のTrans-woman Joleen Mataeleさんがいました。

連続シンポジウム「Trans People in Asia and the Pacific」で聴いたJoleenさんの報告は、サード・ジェンダー的な性別越境者の社会的役割を考えるうえで、とても興味深いものでした。
昔(キリスト教流入以前)のトンガ王国では、中央に座る王様の右手に政治を補佐する大臣たちが居並んでいました。では王様の左手には誰がいたかという、シャーマンとして王様を補佐するファカレイティが座っていました。つまり祭政一致の政治システムの一翼、「祭」の部分ををファカレイティが担っていたのです。
そうした政治形態は、キリスト教化・近代化の中で失われていきました。報告の最後にJoleenさんが言った言葉が印象的でした。「Godの言うことをうかつに信じては駄目ですよ」。
トンガの事例などから、南太平洋の島々の性別越境の人々も、本来、神と人とを取り次ぐシャーマンだったと思われます。そして、宗教的職能を起点に、芸能や女性の相談役的な職能に展開していきました。

この画像は、ポリネシア・タヒチ諸島の、マフのタヒチアン・ダンスチームです。ちなみにマフは「女写し」、女性のコピーの意味です。マフのチームは、女性のチームより身体能力が高く迫力があり人気だそうです。マフは、かつてはハワイ諸島にもいましたが、キリスト教化・アメリカ文化の浸透で滅んでしまい、正確に言えば滅ぼされてしまいました。現在、ハワイにマフを名乗る人がいますが、残念ながら文化的には断絶があるようです。
これまで述べたように琉球弧、中世までの日本列島、南太平洋の島々、そして今日は触れることができませんでしたがアジア諸国、つまり世界の多くの地域に、双性的な人々が存在し、数こそ少ないものの、性別を越境した姿で、宗教的職能を中心に、社会の中で特定の役割を果たしていました。地域や時代を超えた普遍的な存在だということです。
そうした伝統的な性別越境の文化がほとんど確認できないのは、ヨーロッパだけです。長いキリスト教支配の間に完全に潰されてしまったということです。古代ギリシャやキリスト教化以前のローマには存在しますので。むしろ、性別越境文化の伝統を保たないヨーロッパが特異なのです。
こうした宗教的な職能をもつ双性的な人に対して、常人から向けられる視線は、ある種の怖れと敬い、つまり畏怖と畏敬、「聖視」と「賤視」が複雑に絡まったものだったと推測されます。
ここでなにより大事なことは、性別越境者が、社会から排除され抹殺されてしまうのではなく、社会的な役割(職能)をもつ存在だったということです。「双性原理」が、常人とは異なる「性」をもって生まれ育った人たちに、生きる術と固有の社会的役割を与えていたのです。
一方、ヨーロッパのキリスト教社会では、多様な「性」をもつ人々は、キリスト教の宗教規範、つまり神の教えに背く背教者、宗教犯罪者として迫害されてきました。それが19世紀後半以降、クラフト=エビングなどの犯罪精神医学者によって、精神病として病理化されたのです。性別の移行を望む人々を「性同一性障害」という精神疾患として捉える考え方は、そうした19世紀以来の病理化の延長上にありました。
病理化された多様な「性」がようやく脱病理化していくのは20世紀後半のことで、同性愛も1990年のICD-10で脱病理化しました。そして、性別の移行を望むことが、2019年のICD-11で脱精神疾患化しました。20世紀後半から21世紀の現在にかけて、多様な「性」の脱病理化という大きなパラダイム転換が進行したということです。
ところで、精神医学と文化人類学の境界に「シャーマンは治療していいのか?」という命題があります。神と人とを取り次ぐシャーマンには、しばしば神の声が聞こえる、神の姿が見える人がいます。精神医学的にいえば、幻聴・幻覚の症状で、おそらく統合失調症あたりが疑われると思います。そこで、統合失調症の診断で治療する。お薬がよく効いて幻聴や幻覚の症状が改善された。しかし、神の声が聞こえなくなったシャーマンは仕事ができなくなってしまいます。シャーマンが伝える神の言葉を生活の拠りどころにしていた村(共同体)の人々も困ってしまうという話です。
なんでもかんでも病理化して治療すればいいものではない、という話としてとらえることができますが、ポイントは「シャーマンは治療を求めたのか?」ということです。治療してくれと言ったのなら正当な治療でしょう。しかし、治療してくれと言っていないのに医療が介入したのなら、余計なお世話で、過剰介入です。
ICD-11の施行により、性別の移行を望む人たちを、精神疾患として囲い込んで、え治療(treatment)しようという時代はもう終わりました。疾患ではなくなったわけですから、論理的に言って、もう治療ではありません。まあいろいろご事情があり、そう簡単にいかないことはわかっています。しかし、脱疾患化の基本は、しっかり認識するべきです。なぜなら、脱疾患化の達成は、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの当事者たちの長年の活動の成果だからです。それをおざなりにすべきではありません。
医療者は性別の移行を望む人たちが必要とする、conditionが改善し、生活の質(QOL)が向上する医療ケア・支援を適切に提供すればよい時代になったのです。シャーマンは治療しなければならない存在ではなく、シャーマンが望む医療ケア・支援を提供すべきなのです。
ICD-10からICD-11への移行は、病理モデルから人権モデルへの転換と言われますが、文化人類学的には「文化モデル」の復活とも言えます。性別を越えた形で、社会的役割を担う人、そうしたconditionの人は、数こそ少ないものの、普遍的かつ文化的な存在であり、病理(疾患)として治療する必要はまったくないということです。
そのあたりの大転換をよく理解した上で、この学会の今後の方針、具体的には学会名の変更問題を考えるべきだったと思います。大事なことは、性別を越えて生きる人たちが健康でより良い文化的な生活を送ること、健康と福祉です。そのために学会はなにをすべきか、ということです。
一介の野良講師が諸先生方の前で生意気なことを申しました。でも、これが最後ですので、お許しください。ご清聴ありがとうございました。
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三橋順子(みつはし じゅんこ)1955年、埼玉県秩父市生まれ。Trans-woman。
【専門】ジェンダー&セクシュアリティの歴史研究。
【現職】明治大学文学部非常勤講師。
【著書】『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、2018年)、『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店、2022年)、『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版、2023年)。
【主な論文】「LGBTと法律 ―日本における性別移行法をめぐる諸問題―」(『LGBTをめぐる法と社会』日本加除出版、2019年)、「「LGBT」史研究と史資料」(総合女性史学会編『ジェンダー分析で学ぶ 女性史入門』岩波書店、2021年)など。
だから「コンパ要員」なんだって。 [お仕事(講義・講演)]
2月17日(月)
「GID(性同一性障害)学会」(現「GI(性別不合)学会」)に入り込んだ、みたいなことを言われるが、入会したのは「コンパ(懇親会)要員」としてであって、それは26年経った今も変わっていない。
実は理事就任を打診されたこともあったが、ありがたくお断りした。
偉くなる野心があったら引き受けるだろうが、私は学会というものが、基本的に性に合わない。
「コンパ要員」に4回も大会講演を依頼する方がおかしいのだ(笑)
あっ、沖縄大会の講演はちょっとだけ売り込んだかも。
「GID(性同一性障害)学会」(現「GI(性別不合)学会」)に入り込んだ、みたいなことを言われるが、入会したのは「コンパ(懇親会)要員」としてであって、それは26年経った今も変わっていない。
実は理事就任を打診されたこともあったが、ありがたくお断りした。
偉くなる野心があったら引き受けるだろうが、私は学会というものが、基本的に性に合わない。
「コンパ要員」に4回も大会講演を依頼する方がおかしいのだ(笑)
あっ、沖縄大会の講演はちょっとだけ売り込んだかも。
仕事の仕方 [お仕事(講義・講演)]
2月17日(月)
講義や講演を始めて今年で30年になるけど、自分からお願いしたことはほとんどない。
ほぼ100%、先方からの依頼。
お声を掛けていただけるのは、ありがたいことなので、できるだけ応じてきた。
それが、仕事の仕方として問題があるかのように言われるのは、かなり心外。
書く仕事(論文は除く)も、自分からお願いすることは、あまりない。
初期に何回かあったかもしれない。
さずがに、1冊目と2冊目の単著は、出版社に出向いて、こちらからお願いした。
でも、3冊目と4冊目は編集者から話が来た。
基本的な性格が怠け者で、あまり仕事をしたくない人だし、生産性がいたって低いので、自分から売り込むようなことはしないのだ。
講義や講演を始めて今年で30年になるけど、自分からお願いしたことはほとんどない。
ほぼ100%、先方からの依頼。
お声を掛けていただけるのは、ありがたいことなので、できるだけ応じてきた。
それが、仕事の仕方として問題があるかのように言われるのは、かなり心外。
書く仕事(論文は除く)も、自分からお願いすることは、あまりない。
初期に何回かあったかもしれない。
さずがに、1冊目と2冊目の単著は、出版社に出向いて、こちらからお願いした。
でも、3冊目と4冊目は編集者から話が来た。
基本的な性格が怠け者で、あまり仕事をしたくない人だし、生産性がいたって低いので、自分から売り込むようなことはしないのだ。
教室における非常事態 [お仕事(講義・講演)]
1月11日(土)
「法政大学ハンマー襲撃事件」みたいなことが起こったとき、その教室の担当教員に、学生の安全を守る責任はあるのか?という問い。
少なくとも、非常勤講師には責任はない。
そんな給料はもらっていない。
しかし、大学教員の端くれとして、受講生の安全はできるだけ守りたい。
10年前なら、素人が振り回すハンマーくらいは見切って、取り押さえられたと思う(一般的な大学教員とは「育ち」が違う)。
現在は、残念ながら身体が思うように動かない。
それでも、受講生が逃げる間の「盾」くらいにはなれるだろう。
「法政大学ハンマー襲撃事件」みたいなことが起こったとき、その教室の担当教員に、学生の安全を守る責任はあるのか?という問い。
少なくとも、非常勤講師には責任はない。
そんな給料はもらっていない。
しかし、大学教員の端くれとして、受講生の安全はできるだけ守りたい。
10年前なら、素人が振り回すハンマーくらいは見切って、取り押さえられたと思う(一般的な大学教員とは「育ち」が違う)。
現在は、残念ながら身体が思うように動かない。
それでも、受講生が逃げる間の「盾」くらいにはなれるだろう。
「プロフィール」の改訂 [お仕事(講義・講演)]
1月11日(土)
「プロフィール」の改訂作業。
これで470字。
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三橋順子(みつはし じゅんこ)1955年、埼玉県秩父市生まれ。Trans-woman

【専門】ジェンダー&セクシュアリティの歴史研究。
【現職】明治大学文学部非常勤講師。
【著書】
『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)
『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、2018年)
『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店、2022年)
『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版、2023年)。
【主な論文】
「女装秘密結社『富貴クラブ』の実像」(アジア遊学210『歴史のなかの異性装』(勉誠出版、2017年)
「トランスジェンダーと法」(『クィアと法 性規範の解放/開放のために 』日本評論社、2019年)
「LGBTと法律 ―日本における性別移行法をめぐる諸問題―」(『LGBTをめぐる法と社会』日本加除出版、2019年)
「ICD-11とトランスジェンダー」(『保健の科学』2020年4月号 杏林書院 2020年)
「「LGBT」史研究と史資料」(総合女性史学会編『ジェンダー分析で学ぶ 女性史入門』岩波書店、2021年)
「「唄子」を探して ―大阪における「女装バー」の成立と展開―」(『Antitled』2号、2023年)など
「プロフィール」の改訂作業。
これで470字。
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三橋順子(みつはし じゅんこ)1955年、埼玉県秩父市生まれ。Trans-woman

【専門】ジェンダー&セクシュアリティの歴史研究。
【現職】明治大学文学部非常勤講師。
【著書】
『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)
『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、2018年)
『歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店、2022年)
『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版、2023年)。
【主な論文】
「女装秘密結社『富貴クラブ』の実像」(アジア遊学210『歴史のなかの異性装』(勉誠出版、2017年)
「トランスジェンダーと法」(『クィアと法 性規範の解放/開放のために 』日本評論社、2019年)
「LGBTと法律 ―日本における性別移行法をめぐる諸問題―」(『LGBTをめぐる法と社会』日本加除出版、2019年)
「ICD-11とトランスジェンダー」(『保健の科学』2020年4月号 杏林書院 2020年)
「「LGBT」史研究と史資料」(総合女性史学会編『ジェンダー分析で学ぶ 女性史入門』岩波書店、2021年)
「「唄子」を探して ―大阪における「女装バー」の成立と展開―」(『Antitled』2号、2023年)など
「What is "Seibetsu" 」 [お仕事(講義・講演)]
1月9日(金)
「「性別」とは何か?」というややこしい話をするのに「英文タイトルを記せ」と言われる。
機械翻訳では「What is "Gender" 」となる。
性別=Genderではない(性別=Sexでもない)という話をするのに、それでは意味がない。
少し考えて「What is "Seibetsu" 」にした。
「性別」は「Sex」の翻訳語で、明治時代に普及する近代語だが、それを英訳するとSexに戻るかというと、そんな単純な話ではない、という話をするつもり。
「「性別」とは何か?」というややこしい話をするのに「英文タイトルを記せ」と言われる。
機械翻訳では「What is "Gender" 」となる。
性別=Genderではない(性別=Sexでもない)という話をするのに、それでは意味がない。
少し考えて「What is "Seibetsu" 」にした。
「性別」は「Sex」の翻訳語で、明治時代に普及する近代語だが、それを英訳するとSexに戻るかというと、そんな単純な話ではない、という話をするつもり。
「日本精神神経学界」シンポジウム報告の抄録を登録 [お仕事(講義・講演)]
1月9日(金)
6月の日本精神神経学会(神戸)のシンポジウム報告の抄録を登録。
ああ、面倒くさかった。
何で半年前に? まだ日程も決まっていないのに、と思ったら、査読があるとのこと。
「GI学会」でも一般演題は「審査」があるが「査読」ではない。
シンポジウム報告で「査読」というのは厳しいと思う。
で、私の報告、だれが査読するのだろう?
6月の日本精神神経学会(神戸)のシンポジウム報告の抄録を登録。
ああ、面倒くさかった。
何で半年前に? まだ日程も決まっていないのに、と思ったら、査読があるとのこと。
「GI学会」でも一般演題は「審査」があるが「査読」ではない。
シンポジウム報告で「査読」というのは厳しいと思う。
で、私の報告、だれが査読するのだろう?
「性別とは何か?」 [お仕事(講義・講演)]
12月28日(土)
「第121回日本精神神経学会学術総会」(2025年6月:神戸)のシンポジウム「性別取り扱いの特例法に対する違憲判決を受けて「性別」について考える」で、私はジェンダー論の立場から「性別とは何か?」という話をすることになったのだが、基礎的なことのようで、まじめに考えると、なかなか難題。
そもそも「性別」という言葉は、日本の前近代(江戸時代以前)にはなく、明治時代以降にSexの翻訳語として採用された近代語。
そのあたりから説き起こすと、けっこう大変。
しかも、短い時間で簡潔に、となると、さらに。
まあ、そんな話をできるのは、たぶん私だけだから、仕方がない。
「第121回日本精神神経学会学術総会」(2025年6月:神戸)のシンポジウム「性別取り扱いの特例法に対する違憲判決を受けて「性別」について考える」で、私はジェンダー論の立場から「性別とは何か?」という話をすることになったのだが、基礎的なことのようで、まじめに考えると、なかなか難題。
そもそも「性別」という言葉は、日本の前近代(江戸時代以前)にはなく、明治時代以降にSexの翻訳語として採用された近代語。
そのあたりから説き起こすと、けっこう大変。
しかも、短い時間で簡潔に、となると、さらに。
まあ、そんな話をできるのは、たぶん私だけだから、仕方がない。
11月28日(木)横浜市立大学大学院(地理学)でゲスト講義 [お仕事(講義・講演)]
11月28日(木)
17時前、京浜急行・金沢八景駅へ。
2015~19年、5年間通った駅なので懐かしい。
17時、お迎えに来てくださった先生と、山際の方へ。
これまでは海側の方にしか行ったことがなかったので、「へ~、こうなってたんだ」という感じ。
17時50分、横浜市立大学大学院(地理学)でゲスト講義。
「セクシュアリティの歴史地理学」。
眼の手術前、最後の仕事。
頭は回る、声もよく通る。
でも目がよく見えない。
呼んでくださった先生と雑談で、拙著『歴史の中の多様な性』の出版記念講演会(2022年10月23日、代官山「アマランスラウンジ」)に来てくださったのが最初のご縁とのこと。
ありがとうございました。
17時前、京浜急行・金沢八景駅へ。
2015~19年、5年間通った駅なので懐かしい。
17時、お迎えに来てくださった先生と、山際の方へ。
これまでは海側の方にしか行ったことがなかったので、「へ~、こうなってたんだ」という感じ。
17時50分、横浜市立大学大学院(地理学)でゲスト講義。
「セクシュアリティの歴史地理学」。
眼の手術前、最後の仕事。
頭は回る、声もよく通る。
でも目がよく見えない。
呼んでくださった先生と雑談で、拙著『歴史の中の多様な性』の出版記念講演会(2022年10月23日、代官山「アマランスラウンジ」)に来てくださったのが最初のご縁とのこと。
ありがとうございました。
11月23日(土)100枚になってしまった [お仕事(講義・講演)]
11月23日(土)
11月28日(木)の横浜市立大学大学院のゲスト講義「セクシュアリティの歴史地理学(序説)」、PP資料、だいたい作ってあったが、少し増補して完成。
スライド100枚になってしまった。
90分なのに(笑)
まあ、適当に端折ろう
11月28日(木)の横浜市立大学大学院のゲスト講義「セクシュアリティの歴史地理学(序説)」、PP資料、だいたい作ってあったが、少し増補して完成。
スライド100枚になってしまった。
90分なのに(笑)
まあ、適当に端折ろう