神戸市長田区女児行方不明事件、最悪の結果に [事件・事故]
9月23日(火・祝)
ああ、やっぱりなぁ。
かわいそうに・・・。
袋に入った遺体が見つかったということは、事故ではなく、殺人死体遺棄事件ということ。
犯人、絶対に捕まえないといけない。
名倉幼稚園の近くの草叢って、女の子の家のすぐ近く(直線距離約100m)じゃないか。
17時半頃、700mも離れた場所を南の方にさらに歩いて行ったという目撃情報(地図の⑤⑥)があったが、それは見間違いではないのか?
女の子が大事にしていた日傘がコンビニエンスストア近くの同級生宅マンションの前に放置されていた。
私には女の子が大事にしている物を乱暴に捨てるということが、イメージしにくい。
ここが重要なポイントだと思う。
ここで犯人に連れ去られたのではないだろうか。
もしかすると、不確実な目撃情報を重視して初動捜査の方針を間違ったのでは?
遺体はポリ袋に入って置かれていたという。
また、遺体が遺棄されていた草叢は周囲をマンションや人家に囲まれていて、土地勘の無い者はまず入らないと地元の人は言う。
それと、遺体が犯行直後にここに置かれていたとしたら、警察の重点捜査エリアであり、もっと早くに発見されていただろう。
どうも、遺体は最近になってからここに置かれた可能性が高いように思う。
という状況を考えると、犯人は比較的近所の住人で、女の子とは初対面ではなく、なんらかの形で見知っていた人物の可能性が高いように思う。
自動車などは使って遠方から来た人間ではないと思う。
たとえば、マンションの前を歩く女の子に声を掛けて自分の部屋に誘い込んで殺害、遺体をしばらく部屋に置いていたが、処置に困って袋に入れて近くの雑木林に捨てる・・・という形の犯行かもしれない。
【追記(23時)】
22時57分配信の『朝日新聞』の見出しが「複数の袋に遺体」、記事に「子どものものとみられる小さな手も含まれていた」。
ということは、・・・ひどい・・・。
警察がなぜ予告通りの時刻に記者会見をしないのか不思議に思っていたが、遺体の損壊がひどく身元確認が難しいのだろう。
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号外:神戸市長田区で遺体のようなものを発見。11日から行方不明の女児との関連捜査
『朝日新聞』2014年9月23日20:05
-------------------------------------------------
小学校近くに遺体か 不明女児と関連捜査 神戸・長田区
23日午後、神戸市長田区の市立名倉小学校の近くで、遺体のようなものが見つかった。兵庫県警は11日から行方不明となっている生田美玲さんとの関連を調べている。
『朝日新聞』2014年9月23日20:10
http://www.asahi.com/articles/ASG9R6KWJG9RPIHB01R.html?iref=comtop_6_01
-------------------------------------------------
神戸・長田で袋に遺体 不明女児、自宅近くの雑木林
23日午後4時ごろ、神戸市長田区長田天神町1の雑木林で、兵庫県警の捜査員がビニール袋に入った子どもの遺体を見つけた。県警は、11日から行方が分からなくなっている市立名倉小学校1年の生田美玲さん(6)=同区長田天神町1=との関連を調べている。
捜査関係者によると遺体が見つかった場所は、美玲さんの自宅から東約90メートルで、同小学校にも近い。遺体は複数の袋に入っており、切断された子どもの頭部と手が確認された。死後数日はたっているとみられる。県警は死体遺棄容疑で捜査本部を設置する方針。
美玲さんは11日午後2時45分ごろ下校し、自宅近くの祖母宅にランドセルを置き、出かけたとみられている。向かった先は8月まで住んでおり、同級生も暮らすマンション。午後3時15分ごろ、近くのコンビニの防犯カメラに一人で日傘を差して歩く姿が映っていた。日傘はマンションの植え込みで見つかった。
午後4時半ごろには名倉幼稚園前、その30分後には名倉交番横の階段などで、児童が目撃した。同5時半ごろ、祖母宅約600メートル南東の大丸山公園付近などで目撃されたのを最後に、足取りが分からなくなっている。
同7時5分、母親(29)が長田署に「子どもが帰ってこない」と通報。12日午後、県警は美玲さんの顔写真や名前を公開し、捜索を始めた。小学校教職員や保護者、市職員らも連日ビラ配りを行い、情報提供を呼び掛けた。
県警によると、12日の公開捜索から23日までに警察官延べ約2600人を投入。長田区内を中心に防犯カメラ161カ所の映像を回収した。住民らから寄せられた情報は同日午前9時までに283件に上るが、これまで有力な手がかりを得られていない。
遺体の発見場所は、神戸電鉄有馬線長田駅から南西約300メートルの住宅街。細い路地の階段を上った先にある雑木林で、一帯はこれまで捜索範囲に入っていた。
『神戸新聞』2014年9月24日 00:15
http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/201409/0007357677.shtml
ああ、やっぱりなぁ。
かわいそうに・・・。
袋に入った遺体が見つかったということは、事故ではなく、殺人死体遺棄事件ということ。
犯人、絶対に捕まえないといけない。
名倉幼稚園の近くの草叢って、女の子の家のすぐ近く(直線距離約100m)じゃないか。
17時半頃、700mも離れた場所を南の方にさらに歩いて行ったという目撃情報(地図の⑤⑥)があったが、それは見間違いではないのか?
女の子が大事にしていた日傘がコンビニエンスストア近くの同級生宅マンションの前に放置されていた。
私には女の子が大事にしている物を乱暴に捨てるということが、イメージしにくい。
ここが重要なポイントだと思う。
ここで犯人に連れ去られたのではないだろうか。
もしかすると、不確実な目撃情報を重視して初動捜査の方針を間違ったのでは?
遺体はポリ袋に入って置かれていたという。
また、遺体が遺棄されていた草叢は周囲をマンションや人家に囲まれていて、土地勘の無い者はまず入らないと地元の人は言う。
それと、遺体が犯行直後にここに置かれていたとしたら、警察の重点捜査エリアであり、もっと早くに発見されていただろう。
どうも、遺体は最近になってからここに置かれた可能性が高いように思う。
という状況を考えると、犯人は比較的近所の住人で、女の子とは初対面ではなく、なんらかの形で見知っていた人物の可能性が高いように思う。
自動車などは使って遠方から来た人間ではないと思う。
たとえば、マンションの前を歩く女の子に声を掛けて自分の部屋に誘い込んで殺害、遺体をしばらく部屋に置いていたが、処置に困って袋に入れて近くの雑木林に捨てる・・・という形の犯行かもしれない。
【追記(23時)】
22時57分配信の『朝日新聞』の見出しが「複数の袋に遺体」、記事に「子どものものとみられる小さな手も含まれていた」。
ということは、・・・ひどい・・・。
警察がなぜ予告通りの時刻に記者会見をしないのか不思議に思っていたが、遺体の損壊がひどく身元確認が難しいのだろう。
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号外:神戸市長田区で遺体のようなものを発見。11日から行方不明の女児との関連捜査
『朝日新聞』2014年9月23日20:05
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小学校近くに遺体か 不明女児と関連捜査 神戸・長田区
23日午後、神戸市長田区の市立名倉小学校の近くで、遺体のようなものが見つかった。兵庫県警は11日から行方不明となっている生田美玲さんとの関連を調べている。
『朝日新聞』2014年9月23日20:10
http://www.asahi.com/articles/ASG9R6KWJG9RPIHB01R.html?iref=comtop_6_01
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神戸・長田で袋に遺体 不明女児、自宅近くの雑木林
23日午後4時ごろ、神戸市長田区長田天神町1の雑木林で、兵庫県警の捜査員がビニール袋に入った子どもの遺体を見つけた。県警は、11日から行方が分からなくなっている市立名倉小学校1年の生田美玲さん(6)=同区長田天神町1=との関連を調べている。
捜査関係者によると遺体が見つかった場所は、美玲さんの自宅から東約90メートルで、同小学校にも近い。遺体は複数の袋に入っており、切断された子どもの頭部と手が確認された。死後数日はたっているとみられる。県警は死体遺棄容疑で捜査本部を設置する方針。
美玲さんは11日午後2時45分ごろ下校し、自宅近くの祖母宅にランドセルを置き、出かけたとみられている。向かった先は8月まで住んでおり、同級生も暮らすマンション。午後3時15分ごろ、近くのコンビニの防犯カメラに一人で日傘を差して歩く姿が映っていた。日傘はマンションの植え込みで見つかった。
午後4時半ごろには名倉幼稚園前、その30分後には名倉交番横の階段などで、児童が目撃した。同5時半ごろ、祖母宅約600メートル南東の大丸山公園付近などで目撃されたのを最後に、足取りが分からなくなっている。
同7時5分、母親(29)が長田署に「子どもが帰ってこない」と通報。12日午後、県警は美玲さんの顔写真や名前を公開し、捜索を始めた。小学校教職員や保護者、市職員らも連日ビラ配りを行い、情報提供を呼び掛けた。
県警によると、12日の公開捜索から23日までに警察官延べ約2600人を投入。長田区内を中心に防犯カメラ161カ所の映像を回収した。住民らから寄せられた情報は同日午前9時までに283件に上るが、これまで有力な手がかりを得られていない。
遺体の発見場所は、神戸電鉄有馬線長田駅から南西約300メートルの住宅街。細い路地の階段を上った先にある雑木林で、一帯はこれまで捜索範囲に入っていた。
『神戸新聞』2014年9月24日 00:15
http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/201409/0007357677.shtml
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その9)―紫の壁の店の写真― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
9月22日(火・祝)
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
------------------------------------------------------------
(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理―
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2
------------------------------------------------------------
コレクションの中に特徴的な紫色の壁の店で撮影された写真(カラー)が何枚もある。
↑ (fu5-6)紫の壁の店の写真に写っている人物はこの3人。
↑ (fu4-9)
↑ (fu2-24)どうも、貫録(年齢)からして、白い着物の方がママのようだ。
↑ (fu2-4)スリーショットで後に写っている人の単独写真。
細身でスタイルが良い、当時としては現代的な雰囲気の人。
↑ (fu5-16)この黄金色の服の人も、カウンターの中に入っているのでお店の人のようだ。
↑ (fu2-26)同じ人の別の場所で撮った写真がある。
テレビがある和室。
店の2階のではなく居住スペースだろうか。
↑ (fu5-22)左端にカメラマンの男性が写っている。
雑誌かなにかの撮影を、サイドから写したものだろうか。
↑ (fu5-14)壁の色からして同じ店。
この紫の服の人は、髪型は違うが、細い足が同じで、黄金色の服の人と同じ人ではないかと思う。
↑ (fu1-25)青い服の人は、単独の写真がない。
お店の人ではなく、お客さんかもしれない。
あれ?この方、どこかで見た覚えが・・・。
そこで、この写真と(おそらく)同時代の新宿女装世界で活躍された松葉ゆかりさんのアルバム(コピー)を調べてみた。
松葉ゆかりさんは、元「富貴クラブ」会員で、1967年2月に新宿5番街に開店した東京最初のアマチュア女装バー「ふき」(1969年9月に「梢」と改称)のチーママになり、1980年頃まで新宿の女装世界で活躍された方。
そのライフヒストリーは、「戦後日本トランスジェンダー社会史研究会」がインタビューして、「松葉ゆかりのライフヒストリー」として『矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』 (中央大学出版部 2006年3月)に収録されている。
あった!
間違いなく、同じときの写真。
松葉さんのメモによると、撮影時期は1974年2月。
さらに、こんな写真も。
「ゴールデン街『折鶴』のママ、お兄さんのほう」というキャプションが付いている。
「折鶴」は新宿花園三番街の(花園神社側から入って)いちばん奥、左側にあった店。
1969年の地図にはすでにある。
http://goldengai.jp/_userdata/196900.PDF
1962年の地図にはない「山びこ」という店)ので、1960年代中ば~後半の開店と思われる。
私がこの界隈で遊び始めた頃(1994年頃)にはまだ看板が出ていた(行ったことはない)。
現在は「洗濯船」という店になっている。
松葉さんが言うように「姉妹」(兄弟)でやっていた。
「姉」(お兄さん)がママで、「妹」(弟さん)がホステスで。
ということは、松葉さんが「お兄さんのほう」という写真の方が、最初から2、3枚目(fu4-9、fu2-24)の白い着物の人と同一人物だろうか。
化粧の仕方は似ているように思う。
ということで、この紫の壁の店は、新宿花園三番街にあったゲイバー「折鶴」であることがわかった。
ちなみに、青い服の方は、松葉さんの友人で、やはり「梢」グループの洋子さんとのこと。
ここに至って、なぜ「富貴クラブ」の西塔哲会長と松葉ゆかりさんのアルバムに同じ写真があるのか?という疑問が出てくる。
なぜなら、松葉さんが属していた「梢」グループは、1968年2月頃に「富貴クラブ」を退会させられているからだ。
この件、さらに検討しないといけない。
【追記】
さらに、松葉さんにうかがったところによると、一連の写真の撮影者は、松葉さんの友人で「梢」のアシスタントである寿美子さんで、松葉さんは寿美子さんから写真をもらったとのこと。
おそらく、寿美子さんが「折鶴」にプリントを渡し、それがさらに西塔会長に渡ってのではないか、とのお話だった。
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
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(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理―
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2
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コレクションの中に特徴的な紫色の壁の店で撮影された写真(カラー)が何枚もある。
↑ (fu5-6)紫の壁の店の写真に写っている人物はこの3人。
↑ (fu4-9)
↑ (fu2-24)どうも、貫録(年齢)からして、白い着物の方がママのようだ。
↑ (fu2-4)スリーショットで後に写っている人の単独写真。
細身でスタイルが良い、当時としては現代的な雰囲気の人。
↑ (fu5-16)この黄金色の服の人も、カウンターの中に入っているのでお店の人のようだ。
↑ (fu2-26)同じ人の別の場所で撮った写真がある。
テレビがある和室。
店の2階のではなく居住スペースだろうか。
↑ (fu5-22)左端にカメラマンの男性が写っている。
雑誌かなにかの撮影を、サイドから写したものだろうか。
↑ (fu5-14)壁の色からして同じ店。
この紫の服の人は、髪型は違うが、細い足が同じで、黄金色の服の人と同じ人ではないかと思う。
↑ (fu1-25)青い服の人は、単独の写真がない。
お店の人ではなく、お客さんかもしれない。
あれ?この方、どこかで見た覚えが・・・。
そこで、この写真と(おそらく)同時代の新宿女装世界で活躍された松葉ゆかりさんのアルバム(コピー)を調べてみた。
松葉ゆかりさんは、元「富貴クラブ」会員で、1967年2月に新宿5番街に開店した東京最初のアマチュア女装バー「ふき」(1969年9月に「梢」と改称)のチーママになり、1980年頃まで新宿の女装世界で活躍された方。
そのライフヒストリーは、「戦後日本トランスジェンダー社会史研究会」がインタビューして、「松葉ゆかりのライフヒストリー」として『矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』 (中央大学出版部 2006年3月)に収録されている。
あった!
間違いなく、同じときの写真。
松葉さんのメモによると、撮影時期は1974年2月。
さらに、こんな写真も。
「ゴールデン街『折鶴』のママ、お兄さんのほう」というキャプションが付いている。
「折鶴」は新宿花園三番街の(花園神社側から入って)いちばん奥、左側にあった店。
1969年の地図にはすでにある。
http://goldengai.jp/_userdata/196900.PDF
1962年の地図にはない「山びこ」という店)ので、1960年代中ば~後半の開店と思われる。
私がこの界隈で遊び始めた頃(1994年頃)にはまだ看板が出ていた(行ったことはない)。
現在は「洗濯船」という店になっている。
松葉さんが言うように「姉妹」(兄弟)でやっていた。
「姉」(お兄さん)がママで、「妹」(弟さん)がホステスで。
ということは、松葉さんが「お兄さんのほう」という写真の方が、最初から2、3枚目(fu4-9、fu2-24)の白い着物の人と同一人物だろうか。
化粧の仕方は似ているように思う。
ということで、この紫の壁の店は、新宿花園三番街にあったゲイバー「折鶴」であることがわかった。
ちなみに、青い服の方は、松葉さんの友人で、やはり「梢」グループの洋子さんとのこと。
ここに至って、なぜ「富貴クラブ」の西塔哲会長と松葉ゆかりさんのアルバムに同じ写真があるのか?という疑問が出てくる。
なぜなら、松葉さんが属していた「梢」グループは、1968年2月頃に「富貴クラブ」を退会させられているからだ。
この件、さらに検討しないといけない。
【追記】
さらに、松葉さんにうかがったところによると、一連の写真の撮影者は、松葉さんの友人で「梢」のアシスタントである寿美子さんで、松葉さんは寿美子さんから写真をもらったとのこと。
おそらく、寿美子さんが「折鶴」にプリントを渡し、それがさらに西塔会長に渡ってのではないか、とのお話だった。
「でも、そんなにひどくはありません」 [日常(通院)]
9月22日(月)
(続き)
14時、桜丘町の「東洋気功整体院」へ。
いつものようにY先生に施術してもらう。
相変わらず右腕に張りがあり、全身に疲労を感じるが、全体的にはまあまあの状態。
あまり痛い所がないので気持ちよくリラックス。
先生も「前回より凝ってましたね。でもそんなにひどくはありません」と、私の自覚と同じことを言う。
15時30分、辞去。
「東急プラザ」の「渋谷市場」で夕食の材料を買う。
自宅最寄り駅前の「ドトール」で読書。
17時半、帰宅。
一休みして夕食の支度。
鶏もも肉の塩タレ炒め。
鶏せせりのバジル炒め。
肉野菜炒め。
大根と油揚げのお味噌汁。
食後、寝不足とマッサージ疲れで2時間半ほど眠る。
「日記」を書く。
お風呂に入って温まる。
就寝、2時。
(続き)
14時、桜丘町の「東洋気功整体院」へ。
いつものようにY先生に施術してもらう。
相変わらず右腕に張りがあり、全身に疲労を感じるが、全体的にはまあまあの状態。
あまり痛い所がないので気持ちよくリラックス。
先生も「前回より凝ってましたね。でもそんなにひどくはありません」と、私の自覚と同じことを言う。
15時30分、辞去。
「東急プラザ」の「渋谷市場」で夕食の材料を買う。
自宅最寄り駅前の「ドトール」で読書。
17時半、帰宅。
一休みして夕食の支度。
鶏もも肉の塩タレ炒め。
鶏せせりのバジル炒め。
肉野菜炒め。
大根と油揚げのお味噌汁。
食後、寝不足とマッサージ疲れで2時間半ほど眠る。
「日記」を書く。
お風呂に入って温まる。
就寝、2時。
吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」 [日常(料理・食べ物)]
9月22日(月)
(続き)
12時15分、吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」へ。
>
↑ ここも外観の写真、撮ったことなかったかも。
狭い急な階段を上って店内へ。
↑ ムーパッキン(豚肉の炒め物+ライス、980円+税)を注文。
↑ なんか、お肉多くないかな?
おいしいけど、辛くて、例によって大発汗。
月1回の吉祥寺の講座がなくなるのは予定(計画)通りだが、この店に寄れなくなるのはなんとも残念。
オオナー(元キックボクシング日本フライ級・バンタム級チャンピオン深津飛成氏)にその話をしようと思ったら、所用があるらしく、珍しく出掛けてしまった。
仕方ない、また挨拶がてら食べに行こう。
吉祥寺駅南口の古書店に寄る。
『デカメロン』1954年4月号を購入。
女装関係の記事は2本あったが、いずれもフィクションぽいもので、資料としては使えなそう。
京王井の頭線で渋谷に出る。
「東急プラザ」の「紀伊国屋書店」で時間調整を兼ねて、本を見る。
2冊購入。
三浦展『新東京風景論―箱化する都市、衰退する街―』(NHKブックス、2014年9月)
都市としての東京の衰退を指摘する点、私もほぼ同意見だが、いささか希望が無さ過ぎる。
衰退にも良い所はあるように思うのだが…。
仁藤夢乃『女子高生の裏社会―「関係性の貧困に生きる少女たち―』(光文社新書、2014年8月)
少女たちの性のとらえ方に、私とはやや異なる点があるが、ともかくJK(女子高校生)ビジネスの実態を知るために。
まだ、時間が少しあったので、歩道橋を渡って桜丘町の「エクセルシオール カフェ 」へ。
↑ うっ、また白髪が目立ってきた。
コーヒーを飲みながら読書。
(続く)
(続き)
12時15分、吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」へ。
>
↑ ここも外観の写真、撮ったことなかったかも。
狭い急な階段を上って店内へ。
↑ ムーパッキン(豚肉の炒め物+ライス、980円+税)を注文。
↑ なんか、お肉多くないかな?
おいしいけど、辛くて、例によって大発汗。
月1回の吉祥寺の講座がなくなるのは予定(計画)通りだが、この店に寄れなくなるのはなんとも残念。
オオナー(元キックボクシング日本フライ級・バンタム級チャンピオン深津飛成氏)にその話をしようと思ったら、所用があるらしく、珍しく出掛けてしまった。
仕方ない、また挨拶がてら食べに行こう。
吉祥寺駅南口の古書店に寄る。
『デカメロン』1954年4月号を購入。
女装関係の記事は2本あったが、いずれもフィクションぽいもので、資料としては使えなそう。
京王井の頭線で渋谷に出る。
「東急プラザ」の「紀伊国屋書店」で時間調整を兼ねて、本を見る。
2冊購入。
三浦展『新東京風景論―箱化する都市、衰退する街―』(NHKブックス、2014年9月)
都市としての東京の衰退を指摘する点、私もほぼ同意見だが、いささか希望が無さ過ぎる。
衰退にも良い所はあるように思うのだが…。
仁藤夢乃『女子高生の裏社会―「関係性の貧困に生きる少女たち―』(光文社新書、2014年8月)
少女たちの性のとらえ方に、私とはやや異なる点があるが、ともかくJK(女子高校生)ビジネスの実態を知るために。
まだ、時間が少しあったので、歩道橋を渡って桜丘町の「エクセルシオール カフェ 」へ。
↑ うっ、また白髪が目立ってきた。
コーヒーを飲みながら読書。
(続く)
9月22日(月)「奈良時代政治史」の最終講義―20年240回の大団円― [お仕事(古代史)]
9月22日(月) 晴れのち曇り 東京 27.2度 湿度49%(15時)
7時20分、起床。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結び、シュシュを巻く。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
8時、化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、茶色のトートバッグ。
9時、家を出る。
東急東横線から東京メトロ副都心線に入り新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩き、JR新宿駅東南口に出て、JR中央線に乗り換えて吉祥寺駅へ。
公園口から歩いて産経学園(吉祥寺)へ。
↑ このビルの5階にある。
↑ 今日が最終講義なので、写真を撮った。
10時30分、「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
最終講「平安遷都への道」の3回目、そして最終講義。
平安遷都の詔に続いて、新京を「平安京」と号する詔を読む。
『日本後紀』(逸文)延暦13年(794)11月丁丑(8日)。
詔す。云々、此の國、山河襟帯にして、自然に城を作す。斯の形勝に因りて、新號を制すべし。宜しく山背國を改めて、山城國と爲すべし、子来の民、謳歌の輩、異口同辞して、號して平安京と曰ふ。
1994年10月、神亀元年(724)の聖武天皇の即位から始めた「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義、20年240回で、ついに平安京に到達。
最後に平安京出迎えた最初の正月16日の「踏歌の節会」で唄われた新京を寿ぐ漢詩を読み、はやし言葉の「新年楽、平安楽土、万年春」の寿詞で講義を終える。
20数名で始まったこの講座も、受講生の方が徐々に逝かれて最後は3人。
最後まで聴いてくださった方に「長い間、ほんとうにありがとうございました。どうかお健やかにお過ごしください」と挨拶。
20年の歳月を思うと、感慨無量。
20年続いた講座もそう多くないだろが、なにしろ14年は男性講師、6年は女性講師、そんな例はほとんどないだろう。
新宿の教室が廃止になったとき、快く引き受けてくれた所長さんに挨拶。
12時05分、辞去。
(続く)
7時20分、起床。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結び、シュシュを巻く。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
8時、化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、茶色のトートバッグ。
9時、家を出る。
東急東横線から東京メトロ副都心線に入り新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩き、JR新宿駅東南口に出て、JR中央線に乗り換えて吉祥寺駅へ。
公園口から歩いて産経学園(吉祥寺)へ。
↑ このビルの5階にある。
↑ 今日が最終講義なので、写真を撮った。
10時30分、「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
最終講「平安遷都への道」の3回目、そして最終講義。
平安遷都の詔に続いて、新京を「平安京」と号する詔を読む。
『日本後紀』(逸文)延暦13年(794)11月丁丑(8日)。
詔す。云々、此の國、山河襟帯にして、自然に城を作す。斯の形勝に因りて、新號を制すべし。宜しく山背國を改めて、山城國と爲すべし、子来の民、謳歌の輩、異口同辞して、號して平安京と曰ふ。
1994年10月、神亀元年(724)の聖武天皇の即位から始めた「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義、20年240回で、ついに平安京に到達。
最後に平安京出迎えた最初の正月16日の「踏歌の節会」で唄われた新京を寿ぐ漢詩を読み、はやし言葉の「新年楽、平安楽土、万年春」の寿詞で講義を終える。
20数名で始まったこの講座も、受講生の方が徐々に逝かれて最後は3人。
最後まで聴いてくださった方に「長い間、ほんとうにありがとうございました。どうかお健やかにお過ごしください」と挨拶。
20年の歳月を思うと、感慨無量。
20年続いた講座もそう多くないだろが、なにしろ14年は男性講師、6年は女性講師、そんな例はほとんどないだろう。
新宿の教室が廃止になったとき、快く引き受けてくれた所長さんに挨拶。
12時05分、辞去。
(続く)
9月21日(日)今日は気を抜く(つもり) [日常]
9月21日(日) 晴れ 東京 26.7度 湿度41%(15時)
11時、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
三日間、少し頑張ったので、今日は少し気を抜く。
午後、昨日の写真コレクション整理の成果の一端をまとめてアップ。
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2
競馬中継を見ながら、遅い昼食。
冷蔵庫にあった即席うどん。
昨夜の茄子のお汁の残りを流用し長葱と卵を加えて改造。
油揚げが切れて、天玉で代用したので、キツネからタヌキへ。
味はまずまずだが、やはりうどんの腰が無い。
その後は、相撲の秋場所を見る。
そろそろ夕食の支度をしようと思った頃、急激に眠くなりダウン。
30分ほど眠る。
なんとか起き出して夕食の支度。
豚ばら肉を焼く(サムギョプサル風)。
空芯菜の炒め物。
食後、明日の講義のレジュメを作る。
お風呂に入って、髪を洗う。
髪が乾く間、パワーポイント資料の手直し作業。
結局、夜中まで仕事してる・・・。
就寝、3時。
11時、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
三日間、少し頑張ったので、今日は少し気を抜く。
午後、昨日の写真コレクション整理の成果の一端をまとめてアップ。
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2
競馬中継を見ながら、遅い昼食。
冷蔵庫にあった即席うどん。
昨夜の茄子のお汁の残りを流用し長葱と卵を加えて改造。
油揚げが切れて、天玉で代用したので、キツネからタヌキへ。
味はまずまずだが、やはりうどんの腰が無い。
その後は、相撲の秋場所を見る。
そろそろ夕食の支度をしようと思った頃、急激に眠くなりダウン。
30分ほど眠る。
なんとか起き出して夕食の支度。
豚ばら肉を焼く(サムギョプサル風)。
空芯菜の炒め物。
食後、明日の講義のレジュメを作る。
お風呂に入って、髪を洗う。
髪が乾く間、パワーポイント資料の手直し作業。
結局、夜中まで仕事してる・・・。
就寝、3時。