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現代の性(WPATH 2014) ブログトップ
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「WPATH 2014 Symposium in Bangkok参加記」目次 [現代の性(WPATH 2014)]

3月10日(日)

2月14~18日のバンコク出張の「日記」(「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記)、ようやく5日目(18日)の分を書き終え、完結しました。
埋もれてしまっているので、興味がお有りの方は、下記のURLで起こしてご覧になってください。
あるいは、左サイドの「マイカテゴリー」の中の「現代の性(WPATH 2014)」をクリックしていただくと、(逆順ですが)連続してご覧になれます。

2月14日(金)大雪の東京から常夏のバンコクへ(1日目)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20
2月15日(土)シンポジウム始まる(2日目の1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-1
2月15日(土)「Asian and Pacific trans community leaders working in health and rights」(2日目の2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-2
WPATH(トランスジェンダーの健康のための世界専門職協会)2014 Symposium in Bangkok 「Asian and Pacific trans community leaders working in health and rights」での報告
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-3
2月15日(土)Anantara Bangkok Riverside Resort & Spa(2日目の3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-4
2月15日(土) バンコクの夜(ゴーゴーバーめぐり)-(2日目の4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-5
2月16日(日) 「Trans People in Asia and the Pacific: HIV and other sexual healthcare issues」(3日目の1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-6
2月16日(日)Gala Dinner(船上パーティ)(3日目の2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-7
2月17日(月)Peter Jackson博士講演 「A Brief History of the Thai Kathoey」(4日目の1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-8
2月17日(月)「Trans People in Asia and the Pacific:Trans men's identities:culture,society and health」(4日目の2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-9
2月17日(月) ふたたび夜のバンコク、アラブ人街探訪(4日目の3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-10
2月18日(月)いよいよシンポジウム最終日(5日目の1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-11
2月18日(月)アジアのトランスジェンダーと交歓/UNAIDSビデオ・メッセージ収録(5日目の2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-12
2月18日(月)「アジアティック・ザ・リバーフロント」(5日目の3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-13
2月19日(水)バンコクから帰宅
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-14

2月19日(水)バンコクから帰宅 [現代の性(WPATH 2014)]

2月19日(水)
0時25分発、ANA・NH916便に搭乗。
0時45分、バンコク・スワンナブーム国際空港を離陸。
隣席の佐々木掌子さんと、小声でいろいろおしゃべり。
2時半頃、意識がときどき途切れる。
台湾上空、台中から台北へ斜めに過ぎる。
3時40分、客室の照明が明るくなり、フライトアテンダントのさわやかな声で「皆さま、おはようございます。ただいまからご朝食の準備をさせていただきます」
い、いったい何時だと思ってるんだ!まだ、3時40分じゃないかぁ!
「ただいま東シナ海上空を飛行中です。お時間は日本時間5時40分でございます」
あっ、そうか時差があったんだ。時計の針を2時間進める(3時40分→5時40分)。
でも、睡眠時間1時間で、こんなもの出されても、さすがに食べられない。
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と言いながら、「出された食べ物は残してはいけない」という子供時代からの習慣で、パン以外は食べてしまう(パンは持ち帰り)。
配膳の時、無理やり起こされた掌子さんは、フルーツを少し齧っただけで、また沈没。
ウトウトしているうちに、飛行機が降下し始める。
7時38分、成田国際空港に着陸。

ボーディング・ブリッジが寒い!
7時40分の成田空港の気温は-0.6度。
バンコクとの気温差は約30度。
荷物が出てくるのを待って、長袖のチュニックとブーツカットパンツに着替えて、ポンチョを羽織る。

外国人旅行者が「Welcome to CHIBA」の電光掲示を見て、「CHIBA? ここはTOKYOではないのか!」と驚いている。
騙されたと思うのも無理はない。

電車の改札前で、掌子さんとお別れ。
「5日間、いろいろお世話になりました。お陰様で楽しかったです」

8時50分発の「成田エクスプレス8号」に乗車。
じきに眠ってしまい、気付いたら品川駅だった。
あぶない、あぶない。
10時14分、次の停車駅の武蔵小杉駅で下車。
やっぱり、寒い。
身体がぜんぜんついて行かない。
タクシーで自宅へ。
10時30分過ぎ、無事に帰宅。
ああ、疲れた。
一休みした後、荷物を片付け、洗濯物を出す。
そこで力尽きて、ベッドへ。
5時間ほど、熟睡。
18時、仕事から帰ってきた家猫さんを抱きしめる(ぎゅ~~っ)。

2月18日(火)「アジアティック・ザ・リバーフロント」-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(5日目の3) [現代の性(WPATH 2014)]

2月18日(火)
(続き)
16時、東さんの部屋を借りて、和装から洋装に着替え。
17時、桟橋へ。Anantara Bangkok Riverside Resort & Spaとはこれでお別れ。
すてきなホテルだったけど、また来る機会があるかな?
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東さん、佐々木さん、りりぃさん、私の4人で対岸の「アジアティック・ザ・リバーフロント」に渡る舟に乗る。
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「アジアティック・ザ・リバーフロント」は文字通り、川沿いの倉庫群の跡地を再開発して、2012年4月にできたナイトバザールで、広い敷地に1500軒ものテナントが軒を連ねている。
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日本料理屋もあるが・・・看板の文字からして微妙。
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↑ 作戦会議中。後ろに同じ舟で渡ってきたインド勢がいる。
集合時間を決めて分散行動に。
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お土産物系のテナントを、駆け足で一巡する。
う~ん、チープ・・・。
「タイシルク」と称するスカーフが300B(900円)、しかもディスカウントで200Bに…。
本物のシルクでその値段はないでしょう。
銀製品も本物にしては安すぎる。
少しはまともそうな銀製品の店があったが、店番の人が本を読んでいてやる気が無し。
これもまた怪しい。
と言うことで、ここでまともなお土産を買うのはあきらめる。
なにも買わないのはつまらないので、アクセサリー屋さん、ちょっとは見栄えがする飾り櫛があったので購入。
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「1つ150Bを2つ買うといくら?」(←日本語)と聞くと、おばさんが電卓を150×2=300 300-50=250と操作して、目の前に出す。
私が250-20=230と入れたら、230+20=250と戻されてしまった。
まあ、仕方がないので250Bで購入。
おばさん、急に笑顔になる。
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川や対岸から何度も眺めた観覧車。
真下に行ってみたが、、あまり人は乗ってなかった。
集合時間までまだ10分ほどあったが、集合場所に行ってみる。
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買い物をしない東さんがビールを飲んでいたので、お付き合い。
ところで、2012年10月にバンコクでいちばん有名なLady Boyショーの店「Caiypso」が、この「アジアティック・ザ・リバーフロント」に移転してきた(上の写真の私の背後の建物にも看板が出ている)。
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「Caiypso」には、移転前、まだ都心にあった2010年1月に行って、なかなか楽しめた。
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なので、今回も「行きたいなぁ」と思っていたが、時間的な制約で無理だった。
せめて移転後の外観だけでも…と思い、撮影しに行く。
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↑ 外壁。
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↑ チケット売り場。
パンフレットももらってきた。
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次は絶対に行くぞ!
ベトナム料理店で、バンコクで最後の夕食。
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鶏肉入りフォー。
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空芯菜の炒め物。
飲み物込みで約300B。
値段の割に味は落ちる。
ここは、そういう場所なのだと思う。
ここで、あきこさんが合流したが、掌子さんと私はそろそろタイム・リミットで、皆さんとお別れ。
WPATH2014に誘ってくださった東さんには、なにからなにまでお世話になり、大感謝。
りりぃさんとあきこさんにも「また日本でね」と挨拶して辞去。

掌子さんと歩いて10分ほどのRamada Menam Riverside Hotelに戻る。
預けてある旅行バッグを出す前に、目をつけておいたホテルの中のショップへ。
日本語が話せる店主(女性)に質問しながら買い物。
家猫さんとお世話になった方のお土産に、本物のタイシルクのスカーフ(1400B×2)を2つ、自分用に交織のスカーフ(700B)を購入。
小さな象の縫いぐるみを2つおまけしてくれた
旅行バッグを出してもらい、荷物を整理して、ホテルが呼んでくれたタクシーで空港へ。
料金は500Bで、運転手さんがちゃんと荷物も下ろしてくれた。
私と掌子さんは、今回の旅行、1度もタクシーは「外れ」がなかった。
渋滞もなくスムーズに来たので、早めにチェックインして、免税店街でショッピング。
掌子さんお気に入りのタイシルクの殿堂「ジム・トンプソン」で、家猫さんへのお土産の象模様のハンカチと、自分用に化粧ポーチを購入。
あとは、バーツを使い切るために、タイ・カレーやドライフルーツを買う。
23時半、少し疲れたので早めに搭乗口に向かう。
(続く)

2月18日(火)アジアのトランスジェンダーと交歓/UNAIDSビデオ・メッセージ収録-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(5日目の2) [現代の性(WPATH 2014)]

2月18日(火)
(続き)
11時、午後からUNAIDS(国際連合エイズ合同計画)のインタビュー撮影があるので、会場(Jasmine Room)の場所確認のため、北棟2階に行ってみる。
そうしたら、フィリピン組がいて、たちまち撮影会になる。
今日が最終日だから、記念撮影のラストチャンス。
実は、私も今日は積極的に記念写真を撮ろうと決めていた。
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(左)フィリピンのKevin Stevanusさんと。  (右)フィリッピンのMagdalena Robinsonさんと。
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フィリピン勢と日本勢の記念写真。
フィリピーナはとても明るく楽しい。
中には日本語が少ししゃべれる人もいる。

次々に人が集まってくる。
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トンガのJoleen Mataeleさんを囲んで。

インド勢が加わる。
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左からタイのNatt Aptnさん、インドのLaxmi Narayan Tripathiさん、フィリピンのKate Montecarlo Cordovaさん、インドのAbhina Aherさん。
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インドのAbhina Aherさんと。
今回のWPATH2014では、インド勢と私だけが民族衣装だった。
日本人の中には、日本人が海外で着物を着ることを嫌がる人がけっこういう。
私も過去に何度か嫌な思いをしたことがある。
着物を前近代的後進性の象徴と見る人が多いからだ(洋装=近代化された先進的服装)。
それだけに、インドの人たちが堂々と民族衣装を着ているのが、とても印象的ですてきだった。
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左からインドのAbhina Aherさん、トンガのJoleen Mataeleさん、フィリピンのKevin Stevanusさん、インドのLaxmi Narayan Tripathiさん、私。
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左から、フィリピンのKate Montecarlo Cordovaさん、シンガポールのJoe Wongさん、インドネシアのAngela Ienesさん、私、大河リリィさん
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Asia Trans Womanの脚線美。
皆、ちゃんとポージングができてるところがすごい。

さらに人が増えてきて・・・、
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こんな大集合写真になった。
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ちょっと時間を置いて・・・。
香港のKasper Wanさんを囲んで。
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左から大河りりぃさん、香港のKasper Wanさん、私、ニュージーランドのJack Byrneさん、マレーシアのDorian Wildeさん。
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左から中国のEmma Hooさん、私、マレーシアのDorian Wildeさん。
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左からネパールのBhakti Shahさん、大河りりぃさん、私、中国のEmma Hooさん、マレーシアのDorian Wildeさん。
いや~ぁ、楽しかった。
短い時間だったけども、こうやってアジアのトランスジェンダーの仲間たちと交歓できて、それだけでもWPATH2014に来たかいがあった。

12時過ぎ、昼食。
「WPATH」での最後のご飯。
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ご飯をセーブして、デザートもいただく。
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今さらだけど、レストランの2階は伝統様式になっている。
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最後のランチでもミーティングする人たち。
ほんとうに皆さん真面目で、頭が下がります。
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レストラン入口の象の像の前で記念撮影。
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14時、北棟2階のJasmine RoomでUNAIDS(国際連合エイズ合同計画)の撮影。
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まず、スチール撮影。
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日本の大河りりぃさん。
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タイのNatt Kraipetさん。
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そして、私。プロのカメラマンに撮ってもらったのは久しぶり(4年ぶり)。
その後、ビデオ・メッセージの撮影まで1時間ほど待機。
ビデオ収録はテレビ出演で慣れているはずだが、こうやって待たされると緊張感が高まってしまう。
UNAIDSが用意してくれたお摘み。
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おいしそうだけど、ルージュが乱れるのであまり食べられない。
緊張感を和らげるために、フルーツと生春巻きを少々いただく。
15時、ようやく、ビデオ・メッセージの収録。
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3つの質問に応じて、しゃべる。
(質問1)「あなたのトランスジェンダー・アイデンティティについて何か差別された体験についてお話しください」
「私は戸籍に性別と、生活上の性別が異なっているので、大学で講義をするための手続きの際に、その不一致がトラブルになることがあります。
たとえば、ある大学から書類の性別欄に『男性』と記すように求められ、拒否したところ、『性別欄に記入がない書類は前例がない』と言われ、手続きが止まってしまったことがありました。
現在の日本は、男と女のどちらしか存在しない性別二元社会であり、それがトランスジェンダーの就労を困難にしています。
そうしたハードな二元システムを緩めていかないといけないと思います」

(質問2)「health care について、何かしたいことはありますか?」
「私は東京在住なので、比較的恵まれていて、医療アクセスについては、特に困難は感じていません。
専門医のカウンセリングは受けましたが、女性ホルモン投与は、標準よりかなり少ないレベルで、自分の知識と経験で行っています。
ただ、私のような高齢のMtFのホルモン投与については、今までほとんど考慮されてこなかったので、今後、参考となる基準が作られると、ありがたいです」

(質問3)「アジア・パシフィックのトランスジェンダーのこれからについて、あなたの希望することをお話しください」
「アジアと太平洋の多くの国は伝統的で固有のトランスジェンダー文化を持っていました。
それを捨ててしまうのではなく、人権と健康という観点を加えて再構築していくことが必要だと思います。
欧米と違った道筋があっていいはずです。
伝統的社会では、多くのトランスジェンダーが社会と調和し、シャーマンなどの職業的役割を果たし、人々から尊敬されていました。
その姿を取り戻さなければならないと思います。
力を合わせて進みましょう」
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最後に、メッセージカードを持って、スチール撮り。
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15時半、お役目、すべて終了。
(続く)

2月18日(火)いよいよシンポジウム最終日-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(5日目の1) [現代の性(WPATH 2014)]

2月18日(火)  晴れ  バンコク  32.7度
5時10分、起床(Ramada Menam Riverside Hotel)。
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シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪にあんこを入れて頭頂部で結わえて根巻と赤珊瑚の挿櫛をつける。
化粧と身支度。
紺地に白と青緑で大きな芙蓉の花を染め出した綿絽(紫織庵)。
薄いクリーム色の吸い上げ暈しの麻の半襟を付けた半襦袢。
帯は黄色基調の博多帯を下に、赤黒の半幅帯を上に巻いて、順子オリジナルのゴージャスな「二階文庫」結びにして、草色の夏の帯締を掛ける
柾目を浮き出した台に濃紺の麻の葉柄の鼻緒をすげた右近下駄(伊香保神社前・吉堅屋)。
赤地に手毬模様の手提げ袋。
着物は、昨夜、皺を伸ばして丁寧に畳み直して、軽く重しをかけておいた。
結局、5日間の日程で4回和装。
和装はせいぜい2回のつもりだったので、洋装の出番があまりなかった。
今日は事実上の最終日なので、荷物をまとめる。
私は部屋で荷物は広げない人なので、たいして時間はかからない。
ただし、和装で夜間飛行機に乗るのは辛いので、着替え用の洋装セットを別に手提げ袋にまとめる。
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↑ この景色も見納め。
7時30分、朝食。
掌子さんが朝食パスなので1人。
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↑ チャパティとチキンカレー。
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↑ 鶏団子入り、センミー(極細)のクィティアオ(タイの米粉麺)。
汁を入れてくれるおばさんから丼を受け取った時、ボーイに声をかけられた。
「何?」と思って振り向いたら、カメラを持っていて「撮らせてください」と言う。
勤務中のボーイが客の写真を撮りたいなんて日本のホテルでは有りえないことだが、まあ、ここはバンコク。
よほど私が珍しくて(それはそうだろう)、撮るチャンスをうかがっていたのだろうな、と思い、OKする。
でも、どうせならもう少しタイミングを考えて欲しい。
丼持ってポーズじゃあ、格好つかないでしょ。
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↑ 今朝はフルーツも。
8時20分、ロビーで掌子さんと待ち合せてチェックアウト。
大きいバッグはフロントに預ける。
タクシーでAnantara Bangkok Riverside Resort & Spaに向かおうとしたら、もう顔見知りになっているボーイが「8時30分にAnantara直行の舟が出るよ」と教えてくれたので、舟着き場へ急ぐ。
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↑ 舟着き場の目印の巨木。
ちょうど乗船が始まったところでセーフ。
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↑ 2005年(バンコク)の「第1回 アジア クィア・スタディーズ国際学会」でもご一緒したジェフリー・ヘスターさんと(関西外国語大学教授:社会文化人類学)
10分ほど川を下って対岸のAnantara Bangkok Riverside Resort & Spaの舟着き場に到着。
東さんの部屋に寄って、着替えの荷物を置かせてもらう。

9~10時30分の部は、Garden Roomで行われたMini-Symposia: Gender Identity Variants and Psychiatry: From DSM-IV-TR toDSM-5 and Beyond. Organizer and (司会: Kenneth J Zucker, PhD)に出席。.
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2015年に施行予定だったWHOのICD11は、改訂作業の遅れなどで2年ずれて、2017年に施行予定となった。
(1)Kenneth J Zucker, PhD.「Gender Dysphoria and DSM-5」
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(2)Heino FL Meyer-Bahlburg. Dr. rer.nat. 「Transgender Categorization: Attempts to Square the Circle.」
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(3)Yosuke Matsumoto, MD, Shoko Sasaki, PhD.「The Impact of Changing “Gender Identity
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(内容については後述)

(4)Walter Bockting, PhD.「Transsexual/Transgender Identities, Gender Dysphoria, and Access to Care: WPATH’s evolving consensus for DSM-5.1.」
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3番目の報告は、松本洋輔先生(岡山大学医学部精神神経科)による「『性同一性障害』から『性別違和』への転換の衝撃―日本的展望―」。
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↑ 私が常用する鈴木春信「江戸三美人図」が出てきて驚く。
医学部の先生に使ってもらったのは初めてだと思う。
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↑ 「日本の主なジェンダー・クリニック」
ん?「はりまメンタルクリニック」が無い・・・・。
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↑ 岡山大学医学部のSRS事例数は、FtMがMtFをずっと上回っている。
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↑ とりわけ、20代のFtMが突出して多い。
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↑ 日本の法律は「Gender Identity Disorder」で定義(特定)している。「Gender Dysphoria」ではない。
だからDSM-5が疾患名を変えても日本は病名は変えずにGender Identity Disorderを使い続ける(これは松本先生の意見ではなく見通し)。

「日本では20代のFtMが突出して多い」というスライドの後に、その原因説明として、かわいらしい制服姿の女子学生を3人並べたスライドが紹介された。
あまり驚いたので撮影できなかったが、日本の女子中・高学生の制服はこのようにフェミニンでかわいらしいので、性別違和がある女子はそれを嫌がり、結果としてFtMが多くなる、という説明だった(私の英語の聞き取りなので聞き違いがあるかもしれない)
正直言って、最初はジョークなのかなと思った。
でも、どうも会場の雰囲気はそうは受け取っていない。
ちょっと、困ったなぁと思っていたら、東さんが寄ってきたので、急いで相談して、この点についての反論コメントをしてもらうことにした。

以下は、この点についての私の反論(ただし、現地では、時間の関係で、一部を指摘しただけ)。
中学・高校の(スカート型の)女子制服が嫌だ(だった)と言うFtMの人が多いのは確かだが、それは性別違和の象徴的な事象としてステレオタイプ的に語られている可能性が強い。
しかし、日本で国際比較よりもFtMの比率がとても高いことを、単に女子学生制服の問題として語るのは誤解を招きかねない。
もし、制服の問題なら、女子学生の制服をパンツ型とスカート型のツーウェイにすれば、FtMが異様に多いという問題は解決してしまうことになるが、おそらくそうはならないだろう(若干の効果はあるだろうが)。
日本でFtMが多いのは、日本社会のもっと大きなジェンダー/セクシュアリティの構造に由来するもので、性別違和を抱いている女子をFtMGIDの方向に追い込むような、なにか構造的な仕組み、「社会圧」があると考えるべきだ。
その1つとして、日本におけるレズビアン概念の認識不足、レズビアンのロール・モデルの不在、レズビアン・コミュニティの未成熟があると思う。
つまり、女性が好きな女性が、レズビアン・カテゴリーに止まらず、FtMGIDに流入している可能性が高い。

それに対しては松本先生からは「臨床レベルではやはり制服の問題がいちばん大きい」というコメントだった(と思う)。
診察室で制服への嫌悪感を訴えるFtM当事者が多いことは否定しないが、それはあくまで「氷山の一角」だと私は思うのだが・・・。
海面から出ている氷山の頂上が制服問題で、海面下にはもっと大きなジェンダー・セクシュアリティの問題が潜んでいるということ。
診察室の視点で考える医師と、社会的なジェンダー/セクシュアリティの視点で考える私と、論点が交らないのがなんとももどかしい。
司会のKenne Zucker博士が「日本でFtMが多い問題については、2016年にアムステルダム(次回大会)で話そう」と引き取って、論議終了。
(続く)

2月17日(月)ふたたび夜のバンコク、アラブ人街探訪-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(4日目の3) [現代の性(WPATH 2014)]

2月17日(月)
(続き)
実は、午後のセッション、猛烈に眠かった(何度も意識喪失)。
昨夜は5時間半ほど眠ったはずだが、寝坊してはいけないという緊張から眠りが浅かった。
タイに来てから、同じ理由でほぼ毎晩、眠りが浅く、疲労が蓄積しているのだと思う。

今夜はまた街に遊びに出るそうなので、その前に少しでも眠らないと身体がもたない。
ということで、東さんの部屋で、休ませてもらう。
1時間半ほど熟睡。
やっと、すっきりした。
部屋の冷房が少し効きすぎなので、ベランダに出てチャオプラヤー川を眺める。
東京の隅田川の川幅をもう少し広くした感じ。
いくつもの艀を繋いだタグボートが川を上っていく。
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タイではまだまだ物流に果たす川の役割は大きそうだ。

19時、東さん、佐々木さん、りりぃさん、あきこさん、私の5人でホテルの桟橋から舟に乗る。
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10分ほど川を遡って、高架鉄道(BMT)シーロム線のサパーン・タクシン駅に直結している船着き場へ。
駅の自動販売機(硬貨しか使えない)でカード・チケットを購入(42B)。
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ホームへ。
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入線してきた車両を見てびっくり。
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桜咲く京都など日本の観光地のラッピング・カー。
目の前にとまったドアには長野県の松本城。
昨年あたりからタイからの観光客が増えているのは知っていたが、こういう広告の効果だったのだ。
Siam(サイアム)駅でに乗り換えてNana駅で下車。
東さんの案内で(昨夜も行ったらしい)アラブ人街へ。
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ともかくお腹が減っていたので、やたらと銀色っぽいエジプト料理店に入る。
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イスラム教のまじめな店らしくお酒はメニューになく、飲み物はノン・アルコールだけ(ビールが欲しい)。
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料理が来た。
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上の白っぽいのがレバノン・パン、下は普通のナン。
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サフランライスとフンムス(ひよこ豆のペースト)。
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ライスと漬物(ピクルス)の盛り合わせ(胡瓜と葱は生)。
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じゃがいも中心のペジタリアン・カレー。
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マトン・カレー。
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オクラとチキンのカレー。チキンは骨付きのまま煮込み。
ああ、おいしかった。
特に、オクラのカレーがおいしかった。

食後のデザートは、水煙草。
水煙草はイスラム圏の喫煙文化で、フレーバーで香り付け(今回はチェリー)がされた専用のタバコの葉(樹脂で固めてある)に炭を載せて熱し、出た煙をガラス瓶の中の水を通して吸う。
経験者の東さんは上手に吸って盛大に煙を吐き出す。
私も三口ほど吸ってみたが、ポワンとちょっとだけ煙が出るだけで全然ダメ。
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ちなみに58年生きてきて、これが初めての喫煙経験。
たったこれだけなのに、あとで頭が痛くなった。
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↑ ここで加熱する。
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↑ 店のディスプレイになっている高価そうな水パイプ。
お会計は水煙草代を入れて約1500B(1人300B)だった。

レストランを出てアラブ人街を見学。
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↑ 薬屋さん。香水も売っていたが、かなり高価。
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↑ 焼きトウモロコシの露店。他の地域ではあまり見かけない。
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↑ 店の前にいる女性のファッションからして、一見、フーゾク店に見えたが、理髪店らしい。
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↑ 靴屋さんが密集している。
なぜアラブ人が履き物産業なのか? 私の推測。
敬虔な仏教徒のタイ人は殺生禁断を嫌うので動物の皮革を使うことが多い履き物産業には就かない。
で、その分野を殺生のタブーがないイスラム教徒(アラブ人)が担った。
もしそうなら、日本における被差別民の発生と構造的によく似ている。
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↑ アラブ・ドレス屋さん。
エスニック系ファッションが好きらしい東さんが入ったので皆で入る。
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ここの主人、東さんと佐々木さんを指して「2人は本物のLady」、残りの3人を向いて「3人はLady Boy」と言う。
「はい、100点満点、すごいすごい」と誉めると、「自分はLady Boyが大好きだから、ちゃんとわかるのだ」と自慢する。
まあ、こういうトランス好きで、やたらと目利きなオヤジは新宿の女装世界で何人も知っているから、驚きはしないが・・・、でも、おじさん、イスラム教徒でしょ。
で、ちょっと疑問。
このオジサンは、バンコクに来てからLady Boy好きになったのか、それとももともとLady Boyが好きだからバンコクに来たのだろうか?
前者なら環境要因で性的嗜好(もしくは性的指向)が変化したことになるが、後者の場合、そうした性的指向をもつ人は故国では宗教的タブーに触れて背教者になりかねず、性的な理由で国を離れたSexuality難民と言えなくもない。
どっちなのか、聞き忘れたが、まあ、sexualな理由で、故国に居にくくて、日本に出稼ぎに来ていたイスラム系の男性(イラン人とか、トルコ人とか、バングラ人とか、アゼルバイジャン人とか)と、その昔、何人も付き合ったことあるから、彼らなりの苦労はよくわかる。
日本のニューハーフ・女装者好き男性とは社会的危険度がまったく違うのだ。
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↑ 移動露店。なるほどこういう構造になっているのか。
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↑ アラブ人街に月(月齢17)が上る。
アラブ人街からNanaプラザに戻る。
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↑ 露店に山積みのドリアン。
歩き疲れたので、マッサージ店に入る。
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↑ まず、表通りのきれいそうな店に東さんと佐々木さんを入れる。
怪しい3人組は別の店を探すがなかなか適当な店が見つからない。
30分近くさまよった末に、あまりぱっとしない裏店に入る。
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フットマッサージは60分300Bだったが、30分ちょっとしか時間がない。
30分で300Bでいいからということで、やってもらう。
これがまずまず当たりで、3人の女性がなごやかな雰囲気で丁寧にマッサージしてくれた。
特にフットマッサージ初体験で関西乗りでいろいろしゃべるりりぃさんの担当が笑い上戸の若い娘で、まるで漫才みたいで、聞いてておかしかった。
私の担当は、あまりしゃべらない女性だったが、最後にサービスで(と言っても時間内なのだが)上半身の古式マッサージをしてくれて、気持ちよかったが、彼女、側の壁をトントン叩き「Wall,Wall」と言う。
背中が壁みたいに固いと言うことらしい。
まあ、そうだろうなぁ。

東・佐々木組と合流。
あっちの店「あまり良くなかった」そうだ。
やっぱり、店の見かけに頼ってはいけないのだなぁ。
路上の露店で、ビールを飲む。
1507074_10152225451734929_1377271489_n.jpgマッサージの後のビールはおいしいのだが、店のオバさんに「300B」と吹っかけられる。
東さんが交渉して3本で300Bになる。いったい何なんだ・・・。

タクシーでAnantara Bangkok Riverside Resort & Spaへ。
150Bという約束で乗ったのだが、人が好さそうな若い運転手で、東さんが「私たちが何人か当てたら50Bプラスする」と言い出す。
運転手、迷った末に「korea」と言う。
東さんが「Final answer?」と言うと、「Japan」と答えを変えた。
はい、おめでとう! ボーナス・チップ50B。
彼、田舎からバンコクに出て来てずいぶんになるが、タクシー運転手では収入が少なく結婚できないと言う。
夢は、レンタルではなく自分の車を持つことだそうだ。

東さんの部屋に寄り、預けた荷物(学会資料)を回収して、掌子さんとタクシーで自分のホテルに戻る。
0時25分、Ramada Menam Riverside Hotelに帰着。
疲れたけど、楽しかった。
就寝、1時。

2月17日(月)「Trans People in Asia and the Pacific:Trans men's identities:culture,society and health」-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(4日目の2) [現代の性(WPATH 2014)]

2月17日(月)
(続き)
午後の14時から15時30分のセッションは、Garden Roomで、国連4機関(WHO/UNAIDS/UNDP/UN Women)支援のスペシャセッション・シリーズ(連続シンポジウム)「Trans People in Asia and the Pacific」の第4弾(最終) 「Trans People in Asia and the Pacific: Trans men's identities:culture,society and health」(Organizer : Sam Winter, PhD.)。
プログラムには、2部構成で、前半は4人がプレゼンテーション、後半は別の3人によるパネル・ディスカッションと書かれていたが、なぜか最初からプレゼンではなくパネル・ディスカッション形式。
司会は、Giobal action for Trans* Equality の Justus Eisfeld氏。
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右からBhakti Shah (Nepal)、通訳の女性、Satya Rai Nagpaul(India)、司会者、Joe Wongさん(Singapore)、Kaspar Wan(Hong Kong)の各氏。
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途中から、後半のパネルディスカッションのメンバーも参加。
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加わったのは、
Cianan Russell(Thailand)右端
Dorian Wilde(Malaysia)右から2人目
Jack Byrne(New zealand)左端、立ってしゃべっている。

思ったこと2点。
今日はPresentationの予定がいきなりDiscussionになってしまったので、「Trans People in Asia and the Pacific」の4回のシンポジウムでプレゼン(報告)をしたのは、13人ということになる。
そのうちTrans Womanが12人で、Trans Manは1人だけ。
これはどういうことなのだろう?
Power Pointでしっかり資料を作ってきて、自国の状況を堂々とプレゼンしたのは、ほとんどTrans Womanなのだ。
話を聞いた限りでは、タイ、フィリピン、インド、ネパール、トンガで(そして日本も)、トランスジェンダーの社会運動組織を作って活動しているのは、Trans Womanが中心。

こうした状況になっているのは、やはりそうなる社会背景があるということ。
まず、アジア&パシフィックの第三世界の国々では、教育面でまだ男女格差がある。
男児として養育される子は比較的教育環境に恵まれるのに対し、女児として養育された子は恵まれないことが多い。
それが、性別移行後の社会的活動能力に影響している可能性がかなりある。
こういう説を述べると、「いや、アジア&パシフィックの国々の多くは男尊女卑の社会だから、Trans Womanは虐げられ、Trans Manの方が社会的に優位なのではないか?」という反論があるかもしれない。
しかし、アジア&パシフィックの国々では、学歴や資格のない男性(Trans Manには同様の人が多い)の就労環境は良くない。
それに対してTrans Womanの場合、セックスワークを含めれば就労機会はそれなりにあり、本人の才能と努力次第でかなり稼げる。
とりわけ、女性が働き者のタイやフィリピンでは、その傾向が顕著だ。
今回の参加者を見ていても、タイやフィリピン、そしてインドのTrans Womanは、それぞれ相当に社会経験が豊富で、社会を生きぬく能力(良い意味でのしたたかさ)も高いように思った。
それに対してTrans Manは、外見こそたくましいが、社会的にはひ弱な感じが否めなかった。

もう1つ思ったことは、今日のシンポジウムは、Trans Manがテーマだったが、なぜここに日本のFtMがいないのか?ということ。
日本では、MtFよりFtMの方が少なくとも2~3倍、最近は4~5倍?も多いのに。
これは以前から指摘されていることだが、日本の場合、トランスの「論客」はなぜかMtFが圧倒的に多く、FtMは少ない。
この点について、やはり「性別移行前の教育環境の男女格差」論で説明されることが多い。
たしかに、私や、1世代下くらいまではそうした傾向はあったと思う。
しかし、現在の30歳代後半~40歳代前半になれば、その理由は通用しないと思う。
今の30歳代後半~40歳代前半というと、私が男性大学講師時代に教えた学生に相当するが、すでに女子学生の方が優秀だった。
その傾向は、私が「女性」講師になって教えている現在の20歳代~30歳代前半になると、さらに顕著になる。
報告をさせても、レポートをを書かせても、女子学生の方が圧倒的に優秀だ。
日本のFtMの多くは、この世代に属する。
なのに、なぜFtMの「論客」が台頭しないのか? 私には不思議でならない。
いや、もう数年待てば、若いFtMの「論客」が続々と現れるのかもしれない。
それを期待しよう。

これで「Trans People in Asia and the Pacific」の連続シンポジウムは終了。
最後に、コーディネーターのSam Winter博士がシンポジウム開催に貢献した人を紹介。
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日本からは東優子さん(大阪府立大学教授)が「日本から2人連れて来てくれた」と紹介されたが、たまたま会場にいなかったので、代わりに「連れてこられた」2人が起立してお辞儀。

さて、今回の「Trans People in Asia and the Pacific」の連続シンポジウムには、Asiaからインド、ネパール、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、香港、中国、日本の10カ国、Pacificから、ニュージーランド、トンガの2カ国が参加した。
地域的に見ると、アジアと言っても、パキスタン以西の西アジアの国は参加していない。
やはり、イスラム教圏は宗教的規範による制約が強いのだろう。
この点については、今回のシンポジウムでマレーシアからの参加者が何度も指摘していた。
気になるのは、東アジアの韓国、台湾からの参加がなかったことだ。
台湾は、LGBTの運動が盛んな国であるにもかかわらず、なぜ参加者がなかったのか?
これは、実は簡単なことで、今回の企画が国連4機関の支援によるからだ。
台湾は、理不尽にも国連から弾かれてしまっているので、「お呼び(招請)」が掛からなかったのだ。

実は、最初、日本も「お呼び」ではなかった。
それを、東優子さんが頑張って2枠を取ってくださって、参加することができた。
なぜ、日本に「お呼び」が掛からなかったかというと、これは私の推測だが、国連4機関のうちUNDP(国際連合開発計画)の性格が関係していると思う。
UNDPの基本構造は、いわゆる「先進国」(具体的には経済協力開発機構=OECD34ヵ国)が資金を提供して、いわゆる「発展途上国(=低開発国)」の「開発」を支援・推進することにある。
日本はOECDのメンバーなので「開発」の対象ではないことになる。
そう推測すると、同じくOECDのメンバーである韓国に「お呼び(招請)」が掛からなかったことも理解できる。
また、同じ理由で、オーストラリアから当事者の参加がなかったことも理由がつく。
(自己反論 ではなぜ、ニュージーランドからは当事者が参加しているのか?)
つまり、UNDP(国際連合開発計画)が考えるAsia and the Pacificには、日本や韓国、オーストラリアは含まれていないということだ。
では、日本は欧米と同じ範疇なのだろうか?
たぶん、違うだろう。
欧米からの参加者の頭には、日本のトランスジェンダーについての具体的なイメージなんてないと思う。
そんなこと考えたこともないかもしれない。

つまり、日本はアジア&パシフィックではなく、といって欧米でもなく・・・、行き場がない孤立した立場ということ。
ごく小さな国際会議から垣間見えたことだが、それが、おそらくほとんどすべての国際会議での日本の立場なのではないかと思う。
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トンガのJoleen Mataeleさんと(会場で)
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フィリピンのKate Montecarlo Cordovaさんと(中庭のテラスで)。左は大河りりぃさん。
(続く)

2月17日(月)Peter Jackson博士講演 「A Brief History of the Thai Kathoey」-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(4日目の1) [現代の性(WPATH 2014)]

2月17日(月)  晴れ  バンコク  32.7度
5時10分、起床(Ramada Menam Riverside Hotel)。
今日は、9時から聞きたい講演があるので、頑張って早起き。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪にあんこを入れて頭頂部で結わえて、黄色のシュシュを巻く。
化粧と身支度。
青・黒・白の不思議柄のロングチュニック(2分袖)を黒のレギンス(3分)と合わせてミニワンピース風に、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
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7時30分、佐々木掌子さんとロビーで待ち合せて朝食へ。
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↑ チャパティとライス(インディカ種)にカレーや煮込み料理
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↑ 鶏団子入りセンミー(極細)のクィティアオ(タイの米粉麺)。
ほぼ毎日、同じパターンの朝食だが、まだ飽きない。
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今日もよいお天気。
バンコクは11月~2月が乾季なので、今の季節、ほとんど雨が降らない(2月の平均降雨日数は3日)。
最高気温は32度前後で毎日ほぼ一定。
湿度が低いので気温が高い割には汗をかかない。
ちなみにケッペンの気候区分ではAw(熱帯サバンナ気候)で、年間の平均最高気温32.7度、平均気温27.8度、平均最低気温24.1度、年間降水量1497mmである。
ちなみに、東京はCfa=温暖湿潤気候で、数値はそれぞれ20.0度、16.3度、13.0度、1529mm。
東京よりバンコクの方が年間降水量が少ないのはちょっと意外(東京がそれだけ雨が多い)。

8時30分、ホテルを出てタクシーで「WPATH2014 Symposium in Bangkok」の会場のAnantara Bangkok Riverside Resort & Spaに向かう。
タクシー代は、夜間すんなり行くと47B、少し混んでると57~59B、渋滞にかかると63Bという感じ。
日本円換算だと140~190円くらいだから安い。
なので、だいたい20B(60円)のチップを渡している。
8時45分、会場に到着。
9時からBallroom, Room A(メイン会場)で行われるPeter Jackson博士の講演 「A Brief History of the Thai Kathoey: Behind the Myths and Stereotypes.」に間に合った。
Peter Jackson博士はオーストラリア人の歴史学者で、Kathoey研究の第一人者だそうだ。
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Kathoey(カトゥーイ)は、文化人類学的には、タイとその周辺国(ラオス、カンボジア)のサード・ジェンダー(Male to Female)的な人々と理解されている。
Jackson博士の講演は、Kathoeyの用例を歴史的に詳細にたどったもので、文化人類学ではなく言語歴史学のような内容だった。
スライドは、ほぼすべて撮影してあるが、大量(約20枚)なので掲げない。
(学術的に関心がある方がいれば、提供します)
言語歴史学な研究によって、Kathoeyの歴史的実態が明らかになるのか、というと、どうもそうでもないようだった。
少なくとも20世紀になるまで、Kathoeyの起源や実態を示す絵画や写真は無いようだ。
ただ、興味深いのは、1890年代のタイ王室の子女の写真で王子と王女の区別がつけにくいと言っていること。
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また、一般の男性・女性のファッション(髪形・服装)も差異が少ないことを指摘している。
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一般的に、男女のファッション差が少ないと、性別の越境は容易になるとされる。
日本の数少ない異性装史研究者である武田佐知子先生(大阪大学教授)も、そう言っている。
(ただ、この点について私の見解は、ジェンダー記号を操作する余地という観点で少し異なるのだが)
前近代のタイもそうした男女のファッション差が(欧米に比べて)少ない社会であったことは留意すべきだろう。
次にJackson博士は、前近代のタイの演劇が男女別々だったこと、つまり男性だけの劇団、女性だけの劇団が存在し、そのため男性が女役を、女性が男役を演じる必要があったことを指摘する。
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この点は、2日目の午後に聞いたPrempreda Pamoj Na Ayutthayaさんの報告と同じ。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-2
私は異性装をともなう演劇は、トランスジェンダーが生きていく社会環境として重要だが、トランスジェンダーの起源ではないと考える。
日本がそうであるように、トランスジェンダーは、異性装をともなう演劇の成立以前から存在したのだから。
近代化以降については、タイ女性の「美の基準」が急激に変化したことを指摘する。
この変化とは、女性ファッションの欧米標準化であり、同時に男女のファッション差が大きくなったということ。
その証拠として、近代化以前に欧米人から「醜い」と評されていたタイ女性が1965年にミス・ユニヴァースに輝いたことを紹介する。
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この点は日本も似たようなもので、19世紀後半(幕末~明治期)に欧米人から矮小で醜いと評価されていた日本女性は、1959年にミス・ユニヴァースに輝く。
ちなみに、ミス・ユニヴァースで優勝しているアジアの国は、日本(1959児玉明子、2007森理世)、タイ(1965、1988)、フィリピン(1969、1973)、インド(1994, 2000)。
そうしたタイ女性の「美の基準」の欧米標準化と、Kathoeyのセックスワーカーの街頭への出現がほぼ同時期(1960年代後半)であることが興味深い。
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ただし、この点については、ベトナム戦争の時に、タイがアメリカ兵の慰安場所になっていたことが大いに関係すると思う。
戦後の日本でもそうであったように、トランスジェンダーのセックスワーカーの供給が高まるのはアメリカ兵の需要に応じてだった可能性が高いと思う。
講演の最後にKathoeyの歌手が唄っている映像が流された。
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その最中に、聴衆がぞろぞろ外に出て行った。
お義理で聴いていた人がけっこう多かったらしい。
残念だったのは、現在のタイのKathoeyたちの状況がほとんど紹介されなかったこと。
つまり、私たちが2日目の夜に探訪したLadyBoyたちが置かれている状態については、Jackson博士も欧米人の聴衆もほとんど関心がないのだと思う。

これはWAPTH2014全体に感じられたことなのだが、Bangkokで開催した意味って、なんなのだろう?と思う。
たしかに、国連4機関の支援で連続シンポジウム)「Trans People in Asia and the Pacific」が開催されたことは、大きな成果だと思うが、アジア関係のシンポジウムに出席していた人は限られるし、必ずしも数は多くなかった。
それに、タイ、バンコクの地元の関係者の姿が少なかったのは気のせいだろうか。
地元のLGBTサポート団体のブースもなかった。
欧米からの多くの参加者にとって、南国のリゾートホテルが会場だったという以上の意味があったのだろうか?と思ってしまう。
参加者のほとんどは、まじめな研究者や熱心な活動家なのだが、これだけの規模の研究集会をしながら、現在のタイのトランスジェンダーの姿が、ほとんど浮かび上がってこないのはなぜなのだろう。
現地の実情への関心の希薄という点で、どうしてもColonialism(植民地主義)を感じてしまうのは、コロニアル様式の会場のせいではないと思う。

10時30分~12時30分のセッションは、 引き続きメイン会場で、「Abstract Presentations: DSM/ICD and SOC.」 を聞く。
(1)Greg Mak, PhD.「Biopsychosocial characteristics in Chinese transgender : a pilot clinic study in Hong Kong」.
(2)Amets Suess, MA.「Deconstructing Dynamics of Categorization and Discursive Exclusion: Research Reflexivity
and Ethics from a Trans* Depathologization Perspective.」
(3)Mauro Cabral.「New Diagnoses, Old Laws: The Clash of Titans?」
(4)Jaco Erasmus, Fintan Harte,Harjit Bagga, Danny Davies, Suzy Cowling.「An exploratory investigation into the quality of life of patients with Gender Dysphoria at various stages during their transition: An Australian perspective.」
(5)David Gerber, MBChB, MRCPsych, MBA, Kelly Muir.「Scotland’s Gender Reassignment Protocol.」
(6)Greta Bauer, PhD,Robb Travers, PhD, Misha Eliasziw, BSc, MSc, PhD, Rebecca Hammond, MSc, Ayden I. Scheim.「The Impact of Medical Transition on Mental Health: Trans PULSE Project.」
(7)Terry Reed, OBE, JP, BA(Hons), MCSP,SRP, GradDipPhys.「The impact of WPATH 2011 standards of care on the development of UK guidance on the treatment of gender dysphoria: the lessons learnt.」
う~ん、なんだかあまりパッとしない報告ばかりだったような気がするのは私の英語力不足のせいだろうか?

12時半、昼食。
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レタスなどの葉物野菜、日本のものに比べると少し苦味がある。
ああ、日本のレタスも昔はそうだったな、と思う。
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今まで手を出さなかったデザートも食べてみる。
う~ん、イマイチ。
日本のパティシエたちは世界最高レベルだから、比べたらかわいそうなのだが。
(続く)

2月16日(日)Gala Dinner(船上パーティ)-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(3日目の2) [現代の性(WPATH 2014)]

2月16日(日)
(続き)
15時50分、WPATH2014の会場Anantara Bangkok Riverside Resort & Spaを出て、タクシーで宿泊先のRamada Menam Riverside Hotelに戻る。
「Gala Dinner」に出席のため、部屋で洋装から和装に着替え。
黒地にアールデコの赤い薔薇の模様の綿絽(縦絽)。
念のため着物をもう1枚持って来ていてよかった。
部屋を出てエレベーターホールに向かおうとしたら、廊下にいたお掃除のメイドさんがエレベーターに走って行って、ボタンを押してくれた。
毎朝、枕の下に20B(60円)置いている効果。
17時20分、またタクシーでAnantaraに戻り、東さんの部屋で待機。
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↑ ドレスアップした佐々木掌子さんと。
「Gala Dinner」の「Gala」は、「お祭り的な」「特別な催しの」「はでな」「愉快な」という意味。
WPATHの「Gala Dinner」もメイン・パーティという位置づけで、毎回、特徴的な会場で開催される。
前回の2011アトランタでは、自然博物館のロビーが会場で恐竜の骨格標本の下でディナーだったそうだ。
前々回の2009オスロでは、本格的な晩餐会で、ノルウェー皇太子が臨席されたとか。
今回の2014バンコクでは、チャオプラヤー川のDinner Cruise。
18時20分、桟橋へ。
もう大勢、集まっている。
18時30分過ぎ、船がやってくる。
400人も乗るので、当然のことながらかなり大きい。
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18時40分、乗船。
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王宮ダンサー風の装いのスタッフが出迎えてくれる。
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アッパーデッキに陣取る。
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座席を決めて、料理は各自で取るビュッフェ形式。
参加者同士で交流するには、あまり向いていない。
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料理は例によって多国籍だが、はっきり言ってホテルの朝食・昼食の方が上。
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船は、チャオプラヤー川をゆっくり遡っていく。
薄明が終わり暗くなるとリバーサイドの夜景が美しい。
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↑ 倉庫群の跡に2012年に開業した「アジアティーク ザ リバーフロント」。観覧車が目印。
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「ワット・アルンラーチャワラーラーム」(暁の寺)。
三島由紀夫の『豊饒の海』4部作の『暁の寺』のモデルとして日本でも知られている。
創建年代は不詳でアユタヤ朝のペートラーチャー王(在位1688~ 1703年)代以前。
高さ75mの大仏塔を4つの小塔が取り囲み、須弥山を具現化している。
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↑ 王宮地区の夜景。十六夜の月(月齢16)が上がる。

岡山大学の松本先生が「カノープスが見えるよ」と教えてくれた。
屋根のないオープンデッキで出てみると、川沿いの高層ビルの上に明るい星が見える。
さらに上に輝くシリウスからたどって確認する(カノープスの見つけ方がある)。
間違いなくカノープスだ。
明るいなぁ。
カノープス(Canopus)は、りゅうこつ座α星で光度−0.72等、シリウス(大犬座α星、-1.47等)に次いで全天で2番目に明るく見える恒星。
ただし、南天低く(赤緯-52度42分)、北緯35度の東京では南中時の地平高度はわずか2度にしかならない。
だから、真南の水平線が開けている場所で、低層の透明度が良い夜にしか見ることができない。
まして、私のような南に高い山がある盆地の天文少年にはあこがれの南の星だ。
それが北緯13度45分のバンコクでは、高度24度まで上る。
シリウスもずいぶん高いし、オリオン座はほとんど天頂を通過する。
元天文少年の長年の夢がかなって、うれしかった。

松本先生が「これで寿命が延びるよ」と言う。
中国ではカノープスを「南極老人星」といい、この星を見ると長寿になると言われている。
しかし、北京(北緯39度54分)では天文学的に見ることは不可能で、長安(西安:北緯34度16分)では可能だが、南に山があるのでまず難しい。
南が開けた洛陽(北緯34度39分)なら、現実味がある話になる。
でも南極老人星を見て長寿になるのだったら、南に行けばいくほど平均寿命が延びることになってしまう(笑)

同じテーブルの人は、隣と右斜め前がアメリカ人の女性、左斜め前がメキシコのアントン君(25歳、大学院生)。
正面の髭面の人(Lukas Berredo氏)に「どちらからですか?」と掌子さんが尋ねると、「中国から」との返事。
それはないでしょう、どう見てもラテン系の容貌だし、名前だって。
さらに詳しく尋ねると、ブラジル人で中国の上海で英語教師をしているとのこと。
なんでポルトガル語が母国語のブラジル人が上海で英語を教えているのか不思議だが、まあいろいろ「訳有り」なのだと思みう。
ちょっと私の好みなのでツーショット撮影。
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斜め向かいのメキシコのアントン君が「いくつか?」と年齢を尋ねてきたので、例によって「いくつに見える?」と問い返す。
彼、しばらく考えて「46歳」と言うので、「ありがとう。うれしいわ」とお礼を言って、それで済まそうとした。
そうしたら「ほんとうは幾つなのか」と執拗に聞いてくる。
仕方がないので「Fifty eight」と言うと、「Oh! Fifty eight、really?」と驚く。
それが同じテーブルの他の人にも聞こえてしまい、テーブル中で驚かれてしまった。
ああ、恥ずかしい。
ちなみに、掌子さんも松本先生も10歳、りりぃさんは5歳若く見られていた。
やはり日本人は実年齢よりかなり若く見られるのだろう。
(単にその場にいた日本人4人がおかしい、という説もある)

ちょっと離れた席にいるミルトン・ダイヤモンド博士のところに行ってツー・ショットをお願いする。
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1997年8月に私が主宰した隅田川の屋形舟ツアーにダイヤモンド先生をお招きした。
「覚えてらっしゃいますか?」とお尋ねしたら、「日本で舟遊びをしたのは覚えているが・・・」、私のことは覚えてらっしゃらなかった。
まあ、仕方がない。17年も前のことだし、私が歳をとっているし。
舟遊びしたことだけでも覚えていてくださってうれしかった。

美しい斜張橋が見えてきた。ラマ8世橋(2002年完成)だ。
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この橋を潜って、舟はUターンし、下流に戻る。
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再び王宮地区が見えてきた。
月はもう中天目指して上がっている。

ところで、このクルーズ船、オープン・デッキに小さな舞台があり、女性歌手がオペラのアリアなどを歌っていた。
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それが終わると、今度は別の女性歌手が欧米のポップスをメドレーで歌っていた(なかなか上手)。
私の感覚からすると、そこで演じられるべきはタイの伝統音楽や舞踊だろうと思うのだが・・・。
なんで、欧米の音楽なのだろう?と思ったが、後で聞くと、いろいろ「訳有り」な演出だったらしい。

ライトが暗くなり、アッパーデッキには通路スペースしかないのに、欧米人が踊り出す。
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↑ 歌手のお姉さんのウェストをがっちりホールドするオジサマ。
ほとんどセクハラ。高名な精神科医らしい。
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↑ スタッフまで踊り出す。日本ではありえない。
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↑ 私たちが泊まっているRamada Menam Riverside Hotelを通過、もうすぐ帰着。
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正直言って、事前の想像よりチープだったが、リバーサイドのバンコクの美しい夜景を堪能できて、楽しかった。
21時30分、Anantara Bangkok Riverside Resort & Spaに帰着。
桟橋に上がるときずいぶん傾斜が急なことに気づく。
そうか3時間のクルーズの間にずいぶん潮が引いたのだ(今日は大潮に近い)。
掌子さんとタクシーでホテルに戻る。
就寝、23時30分。

2月16日(日) 「Trans People in Asia and the Pacific: HIV and other sexual healthcare issues」-「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」参加記(3日目の1) [現代の性(WPATH 2014)]

2月16日(日)  晴れ  バンコク  32.7度
6時15分、起床(Ramada Menam Riverside Hotel)。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪にあんこを入れて頭頂部で結わえて、黄色のシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、黒のトートバッグ。

窓からチャオプラヤー川を眺めると、けっこう大きな貨物船が上がってきている。
昨日の推定通り、クルンテープ橋は今でもときどき開くのだろう。
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8時35分、朝食。
掌子さんが朝食パスなので1人。
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↑ ローティーと骨付きチキンカレー、やっぱりインド系。
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↑ このままのんびり川を眺めていたい気分だが・・・、そうもいかない。
9時30分、掌子さんと待ち合せて、タクシーで「WPATH2014 Symposium in Bangkok」の会場のAnantara Bangkok Riverside Resort & Spaに向かおうとしたら、ホテルを出たところで、WPATHのメンバーの白人女性に声を掛けられ同乗。
今日は日曜日のせいなのか、ほとんど渋滞なくスムーズにいき料金は53B。
運転手に60Bを渡し、1人20Bずつ。

10~11時30分の部は、Charoennakorn Roomで開催されているSession 4 「Mini Symposia: How Young is Too Young? Clinical, Ethical and Surgical Management of the Transgender Early Adolescent.」(司会:Milton Diamond, PhD)に出席。
久しぶりにお会いするミルトン・ダイヤモンド博士、お元気ではあるが、やはりお歳を召された感は否めない。
(1)Elizabeth Riley, PhD.「Square pegs in round holes: The diversity of issues and needs for teens and their parents.」
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(2)Richard Horowitz, MD.「Medical Evaluation and Treatment of a Prepubescent Transgendered MTF Child.」
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(3)Christine Milrod, PhD.「How Young is Too Young? Ethical Concerns in Genital Surgery of the Transgender MTF Adolescent.」
(4)Gary Alter, MD.「Surgical Management of the Transgender Early to Mid-Adolescent.」
今回、子供の性別違和の問題は、どのセッションでも分科会が立てられていて、海外でもいろいろな面で大きな議論になっていることがわかる。
(この分野は佐々木掌子さんがずっとフォローしていた)
大筋としては、一定の年齢基準を設けることよりも、個々のケースに応じて弾力的に対処するということのようだが、医療が子供の性別違和に積極的に介入すべきかどうかについては、かなり意見が分かれているように感じた。
ともかく、日本のように、しっかりした議論を重ねることをせず、「早期治療」を望む親と学校の要請に応じて、ガイドラインを変更してしまった姿勢とは、かなり異なる。
問題が、子供のことだからこそ、もっと慎重な議論を重ねるべきだと思う。
それと、医師の報告に対して、トランスジェンダーの当事者、あるいは保護者が、かなり激しい口調で辛辣な反論をぶつけることも、「お医者様のおっしゃること」を尊重する日本のGID学会などとはかなり様子が違う。
医療サービスを受ける当事者が、医師に過剰に依存してしまう日本の在り方は、やはりおかしいと思う。

12時、昼食。
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東さんから、「今夜のGala Dinnerに出ない?」と言われる。
今回の「Gala Dinner」は船上パーティ(Dinner Cruise)なので、船に弱い東さんはパス。
そのことは事前に聞いていたので、私も出席する気はなかった。
ところが、チケットがキャンセルできないとのことで、もったいないので私が譲ってもらうことにした(7000円)。
となると、やっぱり着替えないと・・・。

13時から15時のセッションは、BallroomDで、国連4機関(WHO/UNAIDS/UNDP/UN Women)支援のスペシャセッション・シリーズ(連続シンポジウム)「Trans People in Asia and the Pacific」の第3弾 「Trans People in Asia and the Pacific: HIV and other sexual healtecare issues」(Organizer : Sam Winter, PhD.)。
例によって2部構成で、前半は4人がプレゼンテーション、後半は別の4人によるパネル・ディスカッション。
司会は、Asia-Pacific Transgender Network の Joe Wongさん(Singapore)。

(1)Thitiyanun Akpor(Doy)(Thailand)
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タイのトランスジェンダーのためのセンター「Sisters」の活動報告。
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(2)Lily Taiga(Japan)
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日本の大河りりぃさんの報告。
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2013年にHIV検診を受けた13006人の内、男性同性愛者は1840人で14.1%(その内の6%がセックスワーカー)であるのに対し、トランスジェンダーはわずか23人で0.2%(その内の8人がセックスワーカー)。
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日本のAIDSに対する国家戦略には、トランスジェンダーの居場所がない。
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トランスジェンダー・コミュニティの中の最大勢力であるGIDグループにHIV/AIDSへの認識が乏しい。
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りりぃさんの報告が終わった時、会場から大きな拍手が起こった。
りりぃさんの報告の重点は、現在の日本において、HIV/AIDSがトランスジェンダーの健康に関わる重要な問題であるという認識が、公的機関にも、研究者にも、そしてトランスジェンダーの当事者にも、乏しいということ。
まさに、HIV/AIDS問題の中にトランスジェンダーの居場所がないのだ。
これは報告があった他の国がHIV/AIDS問題をトランスジェンダーの健康に関わる重大な問題として取り組んでいることと、著しい相違である。
日本でもHIV/AIDS問題が現実の危機として浮上してきた1990年代には、トランスジェンダーもその危機は切実に感じていた。
高梨直美さん主宰のT-GAPのように、HIV/AIDSについての啓蒙チラシや感染予防のためのコンドームを、新宿の女装系の店に配布する活動も行われていた。
私がお手伝いしていた新宿歌舞伎町の女装スナック「ジュネ」にも、トイレに小さな籠があり、そこにT-GAPが配ってくるコンドームを入れて、必要な人は自由に取れるようにしていた。
1995~97年頃のことだ。
少なくとも、私の耳目が届いている範囲では、90年代の新宿女装コミュニティの人たちでHIVに感染した人は、いなかった(噂をきいたことがなかった)。
その点、ゲイ業界とはかなり様相が異なる。
私も含めて、ほとんどの人があの危機的な時代をなんとか乗り切り、我が身を守ったということだ。
ところが、その後、トランスジェンダー・コミュニティにおけるHIV/AIDS感染予防運動は急速に衰退していく。
それは、性同一性障害概念が世間に急速に流布していくのと同時期のことだった。
それでも、「TSとTGを支える会」(TNJ)の初期には、まだHIV/AIDS感染予防の意識はあったと思う。
しかし、2000年頃からは、まったく関心が薄れてしまった。
なぜそうなったかと言えば、GIDの人たちはセクシュアリティがない(Sexをしない)ことになっているからだと思う。
Sexをしないのならば、HIV感染の機会はほとんど皆無なわけで、関心がないのは当然ということになる。
しかし、本当にSexしていないのだろうか?
そこらへんのところは、「セクシュアリティがない(Sexをしない)」という建前が強固で、容易に踏み込めない。
まあ、GIDの人たちのことはいい。
私が不安に思うのは、現在の非GIDのトランスジェンダーの人たちが、90年代の新宿女装コミュニティの人たちが抱いていたようなHIV/AIDSに対する危機意識を持ち続けているか、ということだ。
実際、若い世代のトランスジェンダーの口からHIV/AIDSの話をほとんど聞いたことがない(りりぃさんは別)。
その点、かなり懐疑的にならざるを得ない。

(3)Abhina Aher(India)
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インドのHIV/AIDS Allianceの活動報告。
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データ豊富なスライドと、時に演劇的ですらある迫力たっぷりの弁舌で、すばらしいプレゼンテーションだったが、持ち時間を完全にオーバー。
どうもインドの人には制限時間という概念が希薄なようだ。

(4)Magdalena Robinson(Philippines)
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フィリピンのトランスジェンダー団体「COLORS」の活動報告。
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後半は4人によるパネル・ディスカッション。
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右から順に、Angela Ienes(Indonesia)、Cianan Russell(Thailand)、Kate Cordova(Philippines)、Khartini Slamah(Malaysia)の各氏。
離れて、司会のJoe Wongさん(Singapore)。
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↑ 一応、話を聞いているフリをしている。
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会場で。左から、 Natt Kraipetさん(タイ)、東優子さん、アントニ君(メキシコ)、私。
(続く)

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