4月12日(水)Zoom面談 [新宿「性なる街」の歴史地理]
4月12日(水)
10時から、アメリカの人(建築&都市景観の研究者)と、Zoomで面談なので、8時に起きる。
眠い、眠い。
私にどういう用なのか、よくわかならいので、ともかく先方の話を聞く。
Zoom面談でわかったこと。
『東京の創発的アーバニズム ―横丁・雑居ビル・高架下建築・暗渠ストリート・低層密集地ー』(学芸出版社、2022年10月)を出している、ホルヘ・アルマザン(Jorge Almazán)さん(慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科准教授)を中心とする研究プロジェクト。
三橋さんの新宿を中心とした歴史地理的な研究を海外に紹介したい。
えっ? なんで私・・・?
東京の都市空間論は、近年、海外で注目されていて、セクシュアリティの観点から歴史地理学的な研究しているのは三橋さんしかいないので
え? そうなの?
という話。
幸い、アルマザンさんの研究室は日吉で、自宅から40分ほどで行けるので、前向きに考えまお返事お返事。
10時から、アメリカの人(建築&都市景観の研究者)と、Zoomで面談なので、8時に起きる。
眠い、眠い。
私にどういう用なのか、よくわかならいので、ともかく先方の話を聞く。
Zoom面談でわかったこと。
『東京の創発的アーバニズム ―横丁・雑居ビル・高架下建築・暗渠ストリート・低層密集地ー』(学芸出版社、2022年10月)を出している、ホルヘ・アルマザン(Jorge Almazán)さん(慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科准教授)を中心とする研究プロジェクト。
三橋さんの新宿を中心とした歴史地理的な研究を海外に紹介したい。
えっ? なんで私・・・?
東京の都市空間論は、近年、海外で注目されていて、セクシュアリティの観点から歴史地理学的な研究しているのは三橋さんしかいないので
え? そうなの?
という話。
幸い、アルマザンさんの研究室は日吉で、自宅から40分ほどで行けるので、前向きに考えまお返事お返事。
久しぶりに「紀伊国屋書店」 [新宿「性なる街」の歴史地理]
「紀伊国屋書店・本店」は、まだ平置き(感謝!) [新宿「性なる街」の歴史地理]
四谷大木戸の料亭のご主人から感想をいただく [新宿「性なる街」の歴史地理]
6月18日(木)
拙著「新宿『性なる街』の歴史地理」について、ブログのコメント欄に、こんな感想をいただいた。
--------------------------------------
初めまして。
柳谷と申します。
先生の著書「新宿 性なる街の歴史地理」拝読いたしました。
私は新宿大木戸で料亭を営んでおりまして、著書の中にも出てくる新宿区立四谷第2中学校の卒業生です。生まれも育ちもこの辺りなので、実に興味深く読ませていただきました。先生のこのご本のことも、緑園街で商売をしていて、今もそこに住んでいる同窓生に勧められて知った次第であります。
そのようなわけで、私たちの親の世代では、新宿2丁目を青線と言っていた人達と、赤線と言っていた人たちが同じくらいいたので、お陰様で長年の疑問が解けました。
また、数年前、何かの写真で見た「千鳥街」の場所と新千鳥街との関係を知りたかったのですが、こちらもお陰様で疑問が解けました。
本当に素晴らしい本に出合えましたこと、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
--------------------------------------
地縁のある方に読んでいただき、感想をいただけるのは、とてもうれしい。
こちらこそ、ありがとうございました。
で、気になったのは「新宿大木戸で料亭を営んでおりまして」の部分。
四谷大木戸をはじめとする新宿の花街(三業地。新宿区内では四谷大木戸・四谷荒木町・十二社の3か所)については、書きたかったが、調べが行き届かず、かつスペース的に書けなかった。
四谷大木戸の料亭って、もう何軒も残っていないはず。
で調べたら・・・・。
あっ、この方だ
https://www.yotsuya4.com/tokusyu/tokusyu4.html
四谷大木戸の料亭「多満川 」のご主人。
す、すごい店だ・・・。
でも、お話、とてもおもしろい。
ランチもあるらしい。
世の中が落ち着いたら、行ってみよう。
拙著「新宿『性なる街』の歴史地理」について、ブログのコメント欄に、こんな感想をいただいた。
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初めまして。
柳谷と申します。
先生の著書「新宿 性なる街の歴史地理」拝読いたしました。
私は新宿大木戸で料亭を営んでおりまして、著書の中にも出てくる新宿区立四谷第2中学校の卒業生です。生まれも育ちもこの辺りなので、実に興味深く読ませていただきました。先生のこのご本のことも、緑園街で商売をしていて、今もそこに住んでいる同窓生に勧められて知った次第であります。
そのようなわけで、私たちの親の世代では、新宿2丁目を青線と言っていた人達と、赤線と言っていた人たちが同じくらいいたので、お陰様で長年の疑問が解けました。
また、数年前、何かの写真で見た「千鳥街」の場所と新千鳥街との関係を知りたかったのですが、こちらもお陰様で疑問が解けました。
本当に素晴らしい本に出合えましたこと、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
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地縁のある方に読んでいただき、感想をいただけるのは、とてもうれしい。
こちらこそ、ありがとうございました。
で、気になったのは「新宿大木戸で料亭を営んでおりまして」の部分。
四谷大木戸をはじめとする新宿の花街(三業地。新宿区内では四谷大木戸・四谷荒木町・十二社の3か所)については、書きたかったが、調べが行き届かず、かつスペース的に書けなかった。
四谷大木戸の料亭って、もう何軒も残っていないはず。
で調べたら・・・・。
あっ、この方だ
https://www.yotsuya4.com/tokusyu/tokusyu4.html
四谷大木戸の料亭「多満川 」のご主人。
す、すごい店だ・・・。
でも、お話、とてもおもしろい。
ランチもあるらしい。
世の中が落ち着いたら、行ってみよう。
月刊『地理』2019年6月号に書評 [新宿「性なる街」の歴史地理]
「荷風歡樂」さんのブログ [新宿「性なる街」の歴史地理]
3月12日(火)
「荷風歡樂」さんのブログに載った拙著『新宿「性なる街」の歴史地理』の感想。
http://rossana.cocolog-nifty.com/earima/2019/01/post-5092.html
永井荷風を慕う遊廓・「赤線」好きの方で、関西中心に現地をフィールドワークされるだけでなく、文献にも詳しく、5年くらい前からブログを拝見して、いろいろ参考にさせていただいていていた。
なので、ぜひとも拙著を読んでいただきたいと思っていた。
ところが、数年前から癌を患い、入院・抗癌剤治療を繰り返すが、良くならず、最近は骨に転移して、さらに状態が悪化。
正直言うと、間に合うかどうか、危ぶんでいた。
だから、読んでいただけた上に、感想までいただいて、とてもうれしい。
さらに、紹介されている『アサヒグラフ』1956年6月24日号掲載の空中写真は未見で、こんな写真があったのか!と驚いた。

新宿の「青線」の内、場所が確定できなかった「新天地」が、「歌舞伎新町」の北にはっきり示されていて、私の推定が当たっていたことがわかった。
ほんとうにいろいろありがたいことである。
お身体、少しでも痛みが和らぎ、良い方向に行きますように。
「荷風歡樂」さんのブログに載った拙著『新宿「性なる街」の歴史地理』の感想。
http://rossana.cocolog-nifty.com/earima/2019/01/post-5092.html
永井荷風を慕う遊廓・「赤線」好きの方で、関西中心に現地をフィールドワークされるだけでなく、文献にも詳しく、5年くらい前からブログを拝見して、いろいろ参考にさせていただいていていた。
なので、ぜひとも拙著を読んでいただきたいと思っていた。
ところが、数年前から癌を患い、入院・抗癌剤治療を繰り返すが、良くならず、最近は骨に転移して、さらに状態が悪化。
正直言うと、間に合うかどうか、危ぶんでいた。
だから、読んでいただけた上に、感想までいただいて、とてもうれしい。
さらに、紹介されている『アサヒグラフ』1956年6月24日号掲載の空中写真は未見で、こんな写真があったのか!と驚いた。

新宿の「青線」の内、場所が確定できなかった「新天地」が、「歌舞伎新町」の北にはっきり示されていて、私の推定が当たっていたことがわかった。
ほんとうにいろいろありがたいことである。
お身体、少しでも痛みが和らぎ、良い方向に行きますように。
『週刊朝日』特集「新宿の『昭和』を探す」 [新宿「性なる街」の歴史地理]
3月6日(水)
『週刊朝日』2019年3月15日号「新宿の『昭和』を探す」。
なんと巻末カラー5頁の大特集です。
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↑ 表紙は渡辺謙さん
まさか63歳にもなって、一般週刊誌のカラーグラビアに載せていただけるとは夢にも思いませんでした。
『サンデー毎日』1997年8月3日号 の「[ニッポン最前線をゆく]エリートたちはなぜ女装したか」 以来、22年ぶりでした。
もうこれが最後でしょう。
お陰様で、良い「冥土の土産」になりました。
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↑ 私が歩いているのは、戦前の「新宿遊廓」(1921~45年)の大門通り(現在の新宿三丁目の要通り)。
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↑ 私が見ているのは、太宗寺(新宿二丁目)閻魔堂の玉垣に残る「不二川楼本店」(新宿遊廓の有力店)の刻銘。
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↑ 私が手を広げて示しているのは、「新宿遊廓」の(戦後の「赤線・新宿」も)北東コーナーのライン(写真、右手の道)。
二丁目・仲通りを靖国通り方面に歩くとあるY字路の左側の道が境界線。
『週刊朝日』2019年3月15日号「新宿の『昭和』を探す」。
なんと巻末カラー5頁の大特集です。
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↑ 表紙は渡辺謙さん
まさか63歳にもなって、一般週刊誌のカラーグラビアに載せていただけるとは夢にも思いませんでした。
『サンデー毎日』1997年8月3日号 の「[ニッポン最前線をゆく]エリートたちはなぜ女装したか」 以来、22年ぶりでした。
もうこれが最後でしょう。
お陰様で、良い「冥土の土産」になりました。
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↑ 私が歩いているのは、戦前の「新宿遊廓」(1921~45年)の大門通り(現在の新宿三丁目の要通り)。
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↑ 私が見ているのは、太宗寺(新宿二丁目)閻魔堂の玉垣に残る「不二川楼本店」(新宿遊廓の有力店)の刻銘。
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↑ 私が手を広げて示しているのは、「新宿遊廓」の(戦後の「赤線・新宿」も)北東コーナーのライン(写真、右手の道)。
二丁目・仲通りを靖国通り方面に歩くとあるY字路の左側の道が境界線。
『週刊 読書人』に書評掲載 [新宿「性なる街」の歴史地理]
1月19日(土)

書評誌『週刊 読書人』に拙著『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、2018年10月)の書評が掲載されました。
https://dokushojin.com/article.html?i=4866
評者は作家・ノンフィクションライターの本橋信宏さん。
ありがとうございました。
「戦後風俗研究に欠かせない決定版が誕生」という評、とても、うれしいです。

書評誌『週刊 読書人』に拙著『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、2018年10月)の書評が掲載されました。
https://dokushojin.com/article.html?i=4866
評者は作家・ノンフィクションライターの本橋信宏さん。
ありがとうございました。
「戦後風俗研究に欠かせない決定版が誕生」という評、とても、うれしいです。
メイキング オブ『新宿「性なる街」の歴史地理』 [新宿「性なる街」の歴史地理]
メイキング オブ『新宿「性なる街」の歴史地理』
―ブログ日記から―
三橋 順子
2012年 年末 来年(2013年)は、いよいよ(と言うかやっと)『「性なる場」の記憶-昭和期の「性」と社会-』の執筆に取り掛かるつもり。
2014年7月14日 「東京・新宿の『青線』について」脱稿。
(『性欲の研究 東京のエロ地理編』平凡社 に収録)→ 第5章に
2014年 年末 『「性なる場」の記憶を求めて-昭和期の「性」と社会-』は、2014年11月にようやく着手したものの・・・。
2015年1月19日 「欲望は都電に乗って」を脱稿。
都電と「赤線」の立地の話。
「還暦(2016年5月)記念」で出版したい自著『「性なる場」の記憶を求めて」の第2章になる予定。 → 最終的に第6章
全部で7~8章はないと本として格好がつかないから、まだ7~8分の1。
でも、出してくれる出版社があるだろうか?
2016年4月25日 赤岩なほみさんの紹介で朝日新聞出版(築地)に出向き、出版の口約束。
編集長の提案を受け入れ「連れ込み旅館」の章を断念し、内容を「遊廓・赤線・青線」に絞る。
6月15日 父、逝去。
8月8日 『「性なる場」の記憶を求めて(仮題)』執筆再開。
8月12日 「『新宿遊廓』はどこにあった?―消される土地の記憶―」脱稿。 → 第1章に
8月18日 (コラム)「『廓』という空間」脱稿 → コラム1に
8月20日 (コラム)「映画にみる『赤線』の客」脱稿。→ コラム3に
8月21日 (コラム)「2つの出会い」脱稿 → あとがきに
8月30日 第2章「「赤線」とはなにか ―その成立と経済」脱稿。
→ 最終的に分割・加筆して第2・3・4章に
9月5日 第5章「新宿『千鳥街」を探して」脱稿。→ 最終的に第7章に
10月2日 本の原稿の見直し・調整・送稿作業
→ この段階では、2017年春の刊行を目指していた
11月12日 (コラム)「昭和33年3月31日『赤線最後の日』の虚構」脱稿。→ コラム4に、
11月12日 (コラム)「朝山蜻一『女の埠頭―変貌する青線の女たち―』を読む」を脱稿。→ コラム5に
2017年3月28日 第3章まで、手直し終える。(1度目)
6月25日 コラム「新宿『旭町』の今昔」脱稿 → コラム7に
8月24~31日 原稿の手直し(2度目)。
8月25日 (コラム)「新宿『赤線』の写真」脱稿。→ 第5章のミニコラムに
9月6日 自分なりの完成原稿。
2018年2月11日~24日 『「性なる場」の記憶を求めて』の再々手直し(3度目)。
3月8日 YUKO(井上優子)に表紙カバーのイメージを伝え、撮影を依頼。
3月18日 YUKOから写真が届く。候補3点を選ぶ。
4月11日 『「性なる場」の記憶を求めて(仮題)』の最終原稿&図版を編集者に渡す。
5月25日 初稿(図版なし)ゲラ届く。校正作業開始。
6月26日 初稿校閲ゲラ、手直し終了。
7月5日 予定していた肝心要の写真の掲載許可が出ず、やむを得ず(コラム)「新宿『赤線』の写真」の掲載を断念。
急遽、差し替え用の(コラム)「RAAと『赤線』亀戸」を執筆。→ コラム2に
7月21日 再校(図版入り)ゲラチェック開始
8月8日 同終了。
8月8日 書名、表紙カバー画像決定
8月13日 再校校閲ゲラ、手直し終了。
8月24日 装丁(表紙カバー・帯)決定。
8月29日 編集長からのメールで、「写真・図版の数が多くコスト増」を理由に、印税を10%から8%に値切られる。
9月2日 三校ゲラ届く
9月7日 著者校了。
10月10日 『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)刊行
地図好きの男の子から数えて58年。
最初に新宿の「赤線」について知ってから25年。
「赤線」研究のスタートから数えると17年。
執筆の構想を立ててから6年。
執筆開始から3年10カ月。
朝日選書(朝日新聞出版)に内定してから3年6カ月。
第一次原稿を編集者に送ってから3年余。
そこから3回、手直して最終原稿を送ってから6カ月。
本はあまり売れませんでしたが、自分が出したい本を形にできて大満足です。
我慢強くお付き合いくださったフリー編集者の赤岩なほみさん、ありがとうございました。 赤岩さんのご尽力がなかったら、この本は世に出ませんでした。心から感謝しています。
―ブログ日記から―
三橋 順子
2012年 年末 来年(2013年)は、いよいよ(と言うかやっと)『「性なる場」の記憶-昭和期の「性」と社会-』の執筆に取り掛かるつもり。
2014年7月14日 「東京・新宿の『青線』について」脱稿。
(『性欲の研究 東京のエロ地理編』平凡社 に収録)→ 第5章に
2014年 年末 『「性なる場」の記憶を求めて-昭和期の「性」と社会-』は、2014年11月にようやく着手したものの・・・。
2015年1月19日 「欲望は都電に乗って」を脱稿。
都電と「赤線」の立地の話。
「還暦(2016年5月)記念」で出版したい自著『「性なる場」の記憶を求めて」の第2章になる予定。 → 最終的に第6章
全部で7~8章はないと本として格好がつかないから、まだ7~8分の1。
でも、出してくれる出版社があるだろうか?
2016年4月25日 赤岩なほみさんの紹介で朝日新聞出版(築地)に出向き、出版の口約束。
編集長の提案を受け入れ「連れ込み旅館」の章を断念し、内容を「遊廓・赤線・青線」に絞る。
6月15日 父、逝去。
8月8日 『「性なる場」の記憶を求めて(仮題)』執筆再開。
8月12日 「『新宿遊廓』はどこにあった?―消される土地の記憶―」脱稿。 → 第1章に
8月18日 (コラム)「『廓』という空間」脱稿 → コラム1に
8月20日 (コラム)「映画にみる『赤線』の客」脱稿。→ コラム3に
8月21日 (コラム)「2つの出会い」脱稿 → あとがきに
8月30日 第2章「「赤線」とはなにか ―その成立と経済」脱稿。
→ 最終的に分割・加筆して第2・3・4章に
9月5日 第5章「新宿『千鳥街」を探して」脱稿。→ 最終的に第7章に
10月2日 本の原稿の見直し・調整・送稿作業
→ この段階では、2017年春の刊行を目指していた
11月12日 (コラム)「昭和33年3月31日『赤線最後の日』の虚構」脱稿。→ コラム4に、
11月12日 (コラム)「朝山蜻一『女の埠頭―変貌する青線の女たち―』を読む」を脱稿。→ コラム5に
2017年3月28日 第3章まで、手直し終える。(1度目)
6月25日 コラム「新宿『旭町』の今昔」脱稿 → コラム7に
8月24~31日 原稿の手直し(2度目)。
8月25日 (コラム)「新宿『赤線』の写真」脱稿。→ 第5章のミニコラムに
9月6日 自分なりの完成原稿。
2018年2月11日~24日 『「性なる場」の記憶を求めて』の再々手直し(3度目)。
3月8日 YUKO(井上優子)に表紙カバーのイメージを伝え、撮影を依頼。
3月18日 YUKOから写真が届く。候補3点を選ぶ。
4月11日 『「性なる場」の記憶を求めて(仮題)』の最終原稿&図版を編集者に渡す。
5月25日 初稿(図版なし)ゲラ届く。校正作業開始。
6月26日 初稿校閲ゲラ、手直し終了。
7月5日 予定していた肝心要の写真の掲載許可が出ず、やむを得ず(コラム)「新宿『赤線』の写真」の掲載を断念。
急遽、差し替え用の(コラム)「RAAと『赤線』亀戸」を執筆。→ コラム2に
7月21日 再校(図版入り)ゲラチェック開始
8月8日 同終了。
8月8日 書名、表紙カバー画像決定
8月13日 再校校閲ゲラ、手直し終了。
8月24日 装丁(表紙カバー・帯)決定。
8月29日 編集長からのメールで、「写真・図版の数が多くコスト増」を理由に、印税を10%から8%に値切られる。
9月2日 三校ゲラ届く
9月7日 著者校了。
10月10日 『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)刊行
地図好きの男の子から数えて58年。
最初に新宿の「赤線」について知ってから25年。
「赤線」研究のスタートから数えると17年。
執筆の構想を立ててから6年。
執筆開始から3年10カ月。
朝日選書(朝日新聞出版)に内定してから3年6カ月。
第一次原稿を編集者に送ってから3年余。
そこから3回、手直して最終原稿を送ってから6カ月。
本はあまり売れませんでしたが、自分が出したい本を形にできて大満足です。
我慢強くお付き合いくださったフリー編集者の赤岩なほみさん、ありがとうございました。 赤岩さんのご尽力がなかったら、この本は世に出ませんでした。心から感謝しています。