SSブログ

「でも、そんなにひどくはありません」 [日常(通院)]

9月22日(月)
(続き)
14時、桜丘町の「東洋気功整体院」へ。
いつものようにY先生に施術してもらう。
相変わらず右腕に張りがあり、全身に疲労を感じるが、全体的にはまあまあの状態。
あまり痛い所がないので気持ちよくリラックス。
先生も「前回より凝ってましたね。でもそんなにひどくはありません」と、私の自覚と同じことを言う。
15時30分、辞去。

「東急プラザ」の「渋谷市場」で夕食の材料を買う。
自宅最寄り駅前の「ドトール」で読書。
17時半、帰宅。

一休みして夕食の支度。
鶏もも肉の塩タレ炒め。
140922-3.JPG
140922-4.JPG鶏せせりのバジル炒め。
肉野菜炒め。
140922-5.JPG
大根と油揚げのお味噌汁。
140922-6.JPG

食後、寝不足とマッサージ疲れで2時間半ほど眠る。

「日記」を書く。
お風呂に入って温まる。
就寝、2時。

吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」 [日常(料理・食べ物)]

9月22日(月)
(続き)
12時15分、吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」へ。
P1120236 (2).JPG
P1120235 (2).JPGP1120237 (2).JPG>
↑ ここも外観の写真、撮ったことなかったかも。
狭い急な階段を上って店内へ。
P1120239 (2).JPG
↑ ムーパッキン(豚肉の炒め物+ライス、980円+税)を注文。
P1120240 (2).JPG
↑ なんか、お肉多くないかな?
おいしいけど、辛くて、例によって大発汗。
月1回の吉祥寺の講座がなくなるのは予定(計画)通りだが、この店に寄れなくなるのはなんとも残念。
オオナー(元キックボクシング日本フライ級・バンタム級チャンピオン深津飛成氏)にその話をしようと思ったら、所用があるらしく、珍しく出掛けてしまった。
仕方ない、また挨拶がてら食べに行こう。

吉祥寺駅南口の古書店に寄る。
『デカメロン』1954年4月号を購入。
『デカメロン』1954年4月号.jpg
女装関係の記事は2本あったが、いずれもフィクションぽいもので、資料としては使えなそう。

京王井の頭線で渋谷に出る。
「東急プラザ」の「紀伊国屋書店」で時間調整を兼ねて、本を見る。
2冊購入。
三浦展『新東京風景論―箱化する都市、衰退する街―』(NHKブックス、2014年9月)
都市としての東京の衰退を指摘する点、私もほぼ同意見だが、いささか希望が無さ過ぎる。
衰退にも良い所はあるように思うのだが…。
仁藤夢乃『女子高生の裏社会―「関係性の貧困に生きる少女たち―』(光文社新書、2014年8月)
少女たちの性のとらえ方に、私とはやや異なる点があるが、ともかくJK(女子高校生)ビジネスの実態を知るために。

まだ、時間が少しあったので、歩道橋を渡って桜丘町の「エクセルシオール カフェ 」へ。
P1120243 (3).jpg
↑ うっ、また白髪が目立ってきた。
コーヒーを飲みながら読書。
(続く)

9月22日(月)「奈良時代政治史」の最終講義―20年240回の大団円― [お仕事(古代史)]

9月22日(月)   晴れのち曇り   東京   27.2度   湿度49%(15時)
7時20分、起床。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結び、シュシュを巻く。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
8時、化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、茶色のトートバッグ。
9時、家を出る。
東急東横線から東京メトロ副都心線に入り新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩き、JR新宿駅東南口に出て、JR中央線に乗り換えて吉祥寺駅へ。
公園口から歩いて産経学園(吉祥寺)へ。
P1120234 (2).JPG
↑ このビルの5階にある。
P1120233 (2).JPG
↑ 今日が最終講義なので、写真を撮った。

10時30分、「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
最終講「平安遷都への道」の3回目、そして最終講義。
平安遷都の詔に続いて、新京を「平安京」と号する詔を読む。

『日本後紀』(逸文)延暦13年(794)11月丁丑(8日)。
詔す。云々、此の國、山河襟帯にして、自然に城を作す。斯の形勝に因りて、新號を制すべし。宜しく山背國を改めて、山城國と爲すべし、子来の民、謳歌の輩、異口同辞して、號して平安京と曰ふ。

1994年10月、神亀元年(724)の聖武天皇の即位から始めた「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義、20年240回で、ついに平安京に到達。

最後に平安京出迎えた最初の正月16日の「踏歌の節会」で唄われた新京を寿ぐ漢詩を読み、はやし言葉の「新年楽、平安楽土、万年春」の寿詞で講義を終える。

20数名で始まったこの講座も、受講生の方が徐々に逝かれて最後は3人。
最後まで聴いてくださった方に「長い間、ほんとうにありがとうございました。どうかお健やかにお過ごしください」と挨拶。
20年の歳月を思うと、感慨無量。
20年続いた講座もそう多くないだろが、なにしろ14年は男性講師、6年は女性講師、そんな例はほとんどないだろう。

新宿の教室が廃止になったとき、快く引き受けてくれた所長さんに挨拶。
12時05分、辞去。
(続く)

9月21日(日)今日は気を抜く(つもり) [日常]

9月21日(日) 晴れ  東京   26.7度   湿度41%(15時)

11時、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。

三日間、少し頑張ったので、今日は少し気を抜く。

午後、昨日の写真コレクション整理の成果の一端をまとめてアップ。
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2

競馬中継を見ながら、遅い昼食。
140921-1.JPG
冷蔵庫にあった即席うどん。
昨夜の茄子のお汁の残りを流用し長葱と卵を加えて改造。
油揚げが切れて、天玉で代用したので、キツネからタヌキへ。
味はまずまずだが、やはりうどんの腰が無い。

その後は、相撲の秋場所を見る。

そろそろ夕食の支度をしようと思った頃、急激に眠くなりダウン。
30分ほど眠る。
なんとか起き出して夕食の支度。
豚ばら肉を焼く(サムギョプサル風)。
140921-3.JPG
空芯菜の炒め物。
140921-2.JPG

食後、明日の講義のレジュメを作る。
お風呂に入って、髪を洗う。
髪が乾く間、パワーポイント資料の手直し作業。
結局、夜中まで仕事してる・・・。
就寝、3時。

女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)ーゲイボーイの写真ー [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月21日(日)
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
今回は、昨日、画像に取り込んだ大判アルバムに貼り込まれていた写真を中心に紹介する。
------------------------------------------------------------
(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
------------------------------------------------------------
fu6-3(上野「バラの館』一美ママ) (3).jpg
(fu6-3)日本髪&和装のゲイボーイ。
スタイルが良い美貌。
裏面に「上野『バラの館』ママ 一美」とある。
内装も新しく、開店して間もないのかも。
写真の画質から1970年代の撮影だろうか。
上野にあった「バラの館」については未詳。
また調べなければならないことが増えた。

fu6-9(新宿二丁目「クラブ竹」・おとめ) (3).jpg
(fu6-9)和装のゲイボーイ。
長身だが女性的な容貌。
首がすっきり伸びて肩が下がっているポーズは、女形の修業をした人を思わせる。
細かいた立湧縞の着物も品が良い。
『風俗奇譚』1964年4月臨時増刊号掲載の西塔哲「新宿のメケメケ・バー」に同じ写真が掲載されていて、新宿「千鳥街」にあったゲイバー「クラブ竹」の「おとめ」ママであることがわかる。
「千鳥街」は新宿御苑の北にあった飲み屋街で、1965~1968年頃に「御苑大通り」の延長で立ち退きになり姿を消した。
「クラブ竹」の詳しい所在地は判っていない。
詳しくは下記を参照されたい。
三橋順子「新宿『千鳥街』を探して(その1)」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-05-05-1
三橋順子「新宿『千鳥街』を探して(その2)」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-28

fu6-35(千鳥街「ジミー」ジミー) (2).jpg
(fu6-35)洋装・美青年系のゲイボーイ。
前掲の西塔哲「新宿のメケメケ・バー」のトップに同じ写真が掲載されていて、「ジニーの悩艶ポーズ」とキャプションがついている。
ジミーは、新宿「千鳥街」にあったゲイバー「ジミー」のマダムで、本文には「新宿の草分け的存在ばかりでなく、十年衰えを見せない美貌」と評されている。
「ジミー」の詳しい所在地は判っていない。

fu6-8(大阪「炎」梨絵子ママ) (2).jpg
(fu6-8)和装のゲイボーイ。
『風俗奇譚』1965年2月号の「女装紳士録」に同じ写真が掲載されていて、「梨絵子 トリスバー並の値段で安心して飲める庶民的な店『炎』(大阪市福島区仲江町)のママさん」と説明がある。
「大阪市福島区仲江町」は現在の此花区吉野2丁目付近か(中江公園がある)。
こういう庶民的な小さなゲイバーは、今となってはほとんどわからない。

fu6-19(「ナルシス」エリ子) (2).jpgfu6-21(「ナルシス」ユミ) (2).jpg
大阪の若い美人ゲーボーイ
左(fu6-19)の裏面に「エリ子」とあり、、右(fu6-21)の裏面には「ユミ」とある。
『風俗奇譚』1965年4月臨時増刊号掲載の西塔哲「『美女』のいる酒場」に同じ写真が掲載されていて、大阪の高級ゲイバー「なるしす」のホステスであることがわかる。
それぞれ「あどけない感じのえりさん」」「近代的魅力にあふれるユミさん」と説明されている。

「なるしす」は、1965年1月にそれまでの南区坂町から、千年町の五階建てのビルに引っ越して新装開店した。
fu4-48(大阪「ナルシス」ママひとみ)  (2).jpg
(fu4-48)は、その「なるしす」のひとみさん。
高級感あふれる紗の着物(盛夏用)を艶やかに着こなして大貫禄。

このコレクションの持主(女装秘密結社「富貴クラブ」の西塔哲会長と推定)は「なるしす」がお気に入りだったようで、同店関係の写真が多い。

今回は、あえて雑誌掲載のゲイボーイの写真を中心に取り上げたが、1960年代に撮影されたこの種の写真の原版が残されていたことが貴重。

9月20日(土)写真コレクションの整理作業 [日常]

9月20日(土)   曇りときどき雨  東京   22.3度   湿度62%(15時)

11時、起床。
朝食は、ガーリックフランスとコーヒー。

午後、久しく中断していた1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションの整理作業。
最後に残っていた粘着式・バインダータイプのアルバムに貼り込まれていた写真50枚の画像取り込み作業。
夕方までかかって画像の整理を完了。
これで5冊のポケットアルバムと1冊の大判アルバムに収納されていた297枚の写真を画像ファイルとして資料化することできた。
長い間の宿題をひとつ片付けた気分。

途中、昼食。
140920-1.JPG
息子が食べ忘れていた賞味期限切れのキムチ、家猫さんの食べ残しの馬肉の燻製(3片)、昨日処理した鯖のへしこの欠片(2片)。
あまりにも貧しい食事で涙。

夕方、不愉快なことあり。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-20-1
この朝日新聞の記者、他者が苦労して作り上げた知的な仕事に対する尊重の気持ちが欠けていると思う。
記者としての倫理観という以前に、世の中に対する姿勢がおかしい。
甘いというか、傲慢というか・・・。
朝日新聞、社内の人材教育に問題があるのではないだろうか。
18歳で実家を出てから40年来の購読者だが、こういうことでは講読を再考せざるを得ないかも。

夕食の支度。
昼ご飯がひどかったので、少豪勢に。
お刺身(まぐろ、かんぱち)。
140920-3.JPG
イタリア製の生ハムのサラダ。
140920-2.JPG
茄子と卵のお汁。
140920-4.JPG

食後、昼間の写真コレクション整理の成果の一端をまとめる。
「裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理―」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21
お風呂に入って、髪を洗う。
「日記」を書く。
就寝、3時。

裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月20日(土)
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
------------------------------------------------------------
(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
------------------------------------------------------------
その後、私の多忙で、整理作業が中断していたが、今日、思い立って、最後に残っていた粘着式・バインダータイプのアルバムに貼り込まれていた写真50枚(以前に現状をコピーした上で、剥がしてナンバー付け)の画像取り込み作業と整理を行った。
これで5冊のポケットアルバムと1冊の大判アルバムに収納されていた297枚の写真を画像ファイルとして資料化することできた。

その過程で、とても興味深いことがあった。
(fu6-13)(fu6-14)(fu6-15)の3点は、ほとんどがプリントした写真の中にあって珍しく雑誌から切り抜いたと思われる写真である。
とても女性的な女形の着付け(fu6-13)、鬘乗せ(fu6-14)、舞台姿(fu6-15)を写した一連のもので、誰だか解らないが、おそらく新派の若手女形だろう(曾我廼家桃蝶さんのような気がする)。
時期もわからないが、かなり古いもので、あるいは戦前かもしれない。
fu6-13 (2).jpgfu6-14 (2).jpg
fu6-15 (2).jpg
ただ、私が興味深く思ったのは表ではない。
この3枚、長い間に劣化していて、補強のために、ある時期に裏に紙を貼ってある。
興味深いのは、その裏打紙なのだ。
fu6-15(裏) (2).jpg
(fu6-15裏)
fu6-14(裏) (2).jpg
(fu6-14裏)
fu6-13(裏) (2).jpg
(fu6-13裏)
どうも、車が事故を起こした時、運転手が会社に提出する報告の用紙のようだ。
しかも、絵からして、車はトラックなどではなく乗用車。
こうした書式の用紙を備えておくほど乗用車がたくさんいる会社ってなんだろう?

この「富貴クラブ」の写真コレクションは、その内容が、「富貴クラブ」会長の西塔(さいとう)哲(筆名:鎌田意好=かまだいすき)が書いた文章に載せられている写真と数多く一致することから、「富貴クラブ」の「会員の部屋」(最後は中野区中央)に置かれていた西塔会長用のアルバムであると、私は推測している。
fu2-21.jpg
↑ 西塔哲会長ご尊影(fu2-21)
お気に入りの若い女装者をかたわらに、ご満悦の西塔会長(1974年1~2月の撮影)。
明治時代の末に東京浅草に生まれ、子供の頃に芝居小屋や映画館で見た美しい女形に不思議な興奮と興味を感じて以来、ほとんど全生涯を女装者愛好一筋に費やした「偉人」。

その西塔会長がどういう人物かは、なにしろ「秘密結社」の親分なので、詳しいことは解らない。
(参照)三橋順子「(日本女装昔話・第13回 女装者愛好男性の典型 西塔哲」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_13.htm
ただ、ご本人が書いたものと、元会員の方からの聞き取りを合わせると、戦前は逓信省、戦後は運輸省(現:国土交通省)の官僚でもっぱら陸運部門を歩んだ人らしい。
「富貴クラブ」の会長だった1960年代には、すでに退官して、東京の大手タクシー会社の重役に天下っていた。

先ほどの乗用車が事故を起こした時の報告用紙を備えておくほど乗用車がたくさんいる会社がタクシー会社なら・・・。
すべて、辻褄が合う。
やはり、この写真コレクションは、「富貴クラブ」の西塔(さいとう)哲会長のものだったのだ。

『朝日新聞』の「男の娘」記事 [現代の性(性別越境・性別移行)]

9月20日(土)
『朝日新聞』の「『男の娘』になってみる? カジュアル女装、裾野広がる」という記事、この手の記事、女性記者が取材していることが多いのだけど、珍しく男性記者だなぁ、と思いながら読んでいくと・・・。
「むっ!」
後ろから2つめの段落、私の『女装と日本人』(講談社現代新書)を明らかに参照している。
しかも、記なし。
こういうのって、どうなのだろう。

問題部分は以下の記述。
「古来、日本は異性装に対しておおらかな国柄だったと言われる。古事記にはヤマトタケルが女装して敵を討つ場面があるし、歌舞伎の女形は江戸時代の大スターだった。明治期以降、西洋的な価値観の流入で女装への抑圧が強まったが、戦後の混乱を経て復活。女装に寛容な風土のもと、ビジュアル系をはじめとする独特の文化が育まれてきた。」

私の本や論考をよんでくださっている人には、私が常々言っていることと、ほとんど同じだということ、容易にわかると思う。
個々の事象を結び付けて、日本における女装文化を体系化したのは『女装と日本人』が最初だ。

この記事と同じ記者がデジタル版に「9年ぶりにあごひげそって… 記者も女装に挑戦した」という記事を書いている。
http://digital.asahi.com/articles/ASG9N22DXG9NUCVL001.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG9N22DXG9NUCVL001
こちらでは、
「性社会史の専門家で女装者でもある三橋順子さんの著書『女装と日本人』(講談社現代新書)には、こんな一節がある。
 《首と背筋をしっかり伸ばし左右の肩甲骨を近づけるように意識すること。女装者は高い身長や広い肩幅を気にして肩をすぼめた猫背になりがちなのですが、逆に首を伸ばし、顎(あご)をひき、胸を張ることで「肩が落ちる」形、つまり、なで肩のイメージになるのです》」
という形で、ちゃんと引用している。

つまり、紙面掲載の方の記事も、『女装と日本人』を読んだ上で書いたと思う
だったら、参照の注記をするのが常識だと思うが、『朝日新聞』の流儀は違うのだろうか?

問題の記事を書いた神庭亮介記者は、「朝日新聞文化くらし報道部記者(放送・読書・遊軍担当)」で31歳。「映画・音楽・マンガ・サブカルチャーなどに関心」だそうだが、面識はない。

私は、朝日新聞の記者に何人も知人はいるし、記事にコメントしてるから社内のデータベースを検索すればすぐに連絡はつけられると思う。
メールなり電話なりで確認取材をすれば済むことなのに、その手間を惜しむのは記者として怠慢だと思う。

それとも、もう故人だと思われたのか・・・。



9月19日(金)パワーポイント資料、完成 [日常]

9月19日(金)  曇り  東京  25.6度  湿度41%(15時)
11時、起床。
朝食は、明太子フランスとコーヒー。

昼前後、10月6日の「武蔵野地域自由大学」(成蹊大学)の講義「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」 のパワーポイント資料を作るのに必要な資料が入っているファイルを捜索。
ほど発見したのだが、1冊だけ「人外魔境地帯」にあって取れない。
仕方ないので、邪魔になっている本の山を撤去して、なんとか手元に引き寄せる。
本はともかくずっしり厚く重いファイルを降ろしたり積んだりするので、先月から痛めている右腕がさらに悪化。

大汗をかいたのでシャワーを浴びる。
昼食は、ベーコンエッグとトースト。
なぜか目玉焼きが食べたくなったので。
P1120219 (2).JPG
痛む右腕に湿布を貼って、ファイルから必要な資料を取り出して、画像をスキャン。
パワーポイントの欠けている部分に貼り込む。
3時間ほどこの作業を繰り返して、ほぼ完成。

一休みした後、ブログに1960年代に「和製ブルー・ボーイ」ダンサーの第一人者だった「銀座ローズ」の写真集をアップ。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-19-1

夕食の支度。
今日はさんま尽くし。
P1120220 (2).JPG
前回、焼いた時は、1匹178円だったのが、今日は138円、だいぶ安くなった。
これなら大満足。
P1120224 (2).JPG
お刺身もさんま。
P1120224 (2).JPG
ああ、おいしかった。

食後、パワーポイント資料の追加と手直し作業。
レジュメもA4版4枚にまとめる。
2週間前にできあがった。
優秀、優秀。

お風呂に入って、髪を洗う。
お湯の中で、右腕をマッサージ。
「日記」を書く。
就寝、3時。

「ある転性女性の生活のプロフィール」―「銀座ローズ」写真集― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月19日(金)
10月6日の「武蔵野地域自由大学」(成蹊大学)での講義のパワーポイント資料を作るため、昨日、今日とかなりの量の画像資料を取り込む作業をしている。

ここに紹介するのはその副産物で、『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊号に掲載された「ある転性女性の生活のプロフィール」と題するグラビア特集。
新収集の資料ではないが、今回、より状態の良いグラビア写真からスキャンできた。
モデルは、当時、人気のダンサー「銀座ローズ」。

銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)1.jpg 銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)3.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)4.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)5.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)6.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)7.jpg 銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)8.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)9.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)10.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)11.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)12.jpg
銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)14.jpg
-------------------------------------------
【経歴】
銀座ローズこと武藤真理子は、1930年(昭和5)、北海道旭川市で寿司屋を営む武藤家の長男として生まれた(男性名:隆夫)。
子供の頃から女っぽく、小学生の時にはおかっぱ髪で黒のランドセルの上に赤いショルダーバッグを下げて通い、中学生の夏休みには女装して子役の踊り子として興行師とともに北海道中を巡業したという。

ダンサーとしての履歴は、1958年(昭和33)に大阪OSミュージックで本格的な舞台デビューをして「謎の舞姫」として話題になり、1962年年末には「ゴールデン赤坂」に出演、1963年1月には、ストリップの殿堂、日劇ミュージックホールの舞台を踏むという具合で、「ブルーボーイ」来日以前にすでに一定の地歩は築いていた。
この頃の週刊誌のグラビアには「謎の女性 素敵な女」(掲載誌不明、1962年頃)と題して彼女の艶姿が載っている。
日劇出演の年にはすでに33歳、遅咲きの華だった。

この間、1960年頃に睾丸摘出手術、1961年6月に戸籍名を隆夫から真理子に変更、1962年頃に大阪曾根崎の荻家整形外科病院で性転換手術(造膣手術)を受けている。
また、1961年に年下の男性と盛大な結婚式を挙げ、実質的な「結婚」生活(戸籍上は夫が彼女の弟として入籍)を営んでいた(「妻になった男-性転換して今は幸福な花嫁のマリちゃん-」『100万人のよる』1963年3月号)。

1963年末に「ブルーボーイ・ブーム」が沸き起こると、銀座と旭川に「銀座ローズ」という名のクラブを開店してママに納まっていた彼女を興行界は放っておかず、「和製ブルー・ボーイ」として再び舞台に立つことになる。
彼女の舞台は、幼い頃から鍛えた和洋両方の踊りに加えて、当時の人気歌手松尾和子ばりのハスキーボイスで歌もうまく、単なる見世物の域を越えた十分な芸能性を持っていた。
その女性的な美貌もあって人気を呼び、1964~66年頃の全盛期には、週刊誌のグラビア頁などで引っ張りだこの状態で、高度経済成長期の夜を妖しく彩った名花だった。

しかし、「和製ブルー・ボーイ」の第一人者として人気を得た1965年にはすでに35歳、一回り(12歳)も若いカルーセル麻紀(1942年生)の台頭により、1967年頃にはブルーボーイ・ダンサーのトップの座をカルーセルに明け渡すことになった。

銀座ローズは、1967年にホストクラブ「ヘラクレス」を、88年には浅草でゲイバー「銀座ローズ」を開店し、ママとして店の経営に腕をふるう一方で、31年間連れ添った旦那さんとともに、娘さん(養女)を育てあげた。
20世紀の末頃、風の便りで、亡くなったと聞いた。

【参考文献】
三橋順子「性転換の社会史(1) -日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60年代を中心に-」 
(『中央大学社会科学研究所年報』8号、中央大学、2004年6月。矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』 中央大学出版部、2006年3月に収録)
三橋順子「(日本女装昔話・第17回)和製ブルーボーイ、銀座ローズ」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_17.htm