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女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)ーゲイボーイの写真ー [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月21日(日)
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
今回は、昨日、画像に取り込んだ大判アルバムに貼り込まれていた写真を中心に紹介する。
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(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
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fu6-3(上野「バラの館』一美ママ) (3).jpg
(fu6-3)日本髪&和装のゲイボーイ。
スタイルが良い美貌。
裏面に「上野『バラの館』ママ 一美」とある。
内装も新しく、開店して間もないのかも。
写真の画質から1970年代の撮影だろうか。
上野にあった「バラの館」については未詳。
また調べなければならないことが増えた。

fu6-9(新宿二丁目「クラブ竹」・おとめ) (3).jpg
(fu6-9)和装のゲイボーイ。
長身だが女性的な容貌。
首がすっきり伸びて肩が下がっているポーズは、女形の修業をした人を思わせる。
細かいた立湧縞の着物も品が良い。
『風俗奇譚』1964年4月臨時増刊号掲載の西塔哲「新宿のメケメケ・バー」に同じ写真が掲載されていて、新宿「千鳥街」にあったゲイバー「クラブ竹」の「おとめ」ママであることがわかる。
「千鳥街」は新宿御苑の北にあった飲み屋街で、1965~1968年頃に「御苑大通り」の延長で立ち退きになり姿を消した。
「クラブ竹」の詳しい所在地は判っていない。
詳しくは下記を参照されたい。
三橋順子「新宿『千鳥街』を探して(その1)」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-05-05-1
三橋順子「新宿『千鳥街』を探して(その2)」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-28

fu6-35(千鳥街「ジミー」ジミー) (2).jpg
(fu6-35)洋装・美青年系のゲイボーイ。
前掲の西塔哲「新宿のメケメケ・バー」のトップに同じ写真が掲載されていて、「ジニーの悩艶ポーズ」とキャプションがついている。
ジミーは、新宿「千鳥街」にあったゲイバー「ジミー」のマダムで、本文には「新宿の草分け的存在ばかりでなく、十年衰えを見せない美貌」と評されている。
「ジミー」の詳しい所在地は判っていない。

fu6-8(大阪「炎」梨絵子ママ) (2).jpg
(fu6-8)和装のゲイボーイ。
『風俗奇譚』1965年2月号の「女装紳士録」に同じ写真が掲載されていて、「梨絵子 トリスバー並の値段で安心して飲める庶民的な店『炎』(大阪市福島区仲江町)のママさん」と説明がある。
「大阪市福島区仲江町」は現在の此花区吉野2丁目付近か(中江公園がある)。
こういう庶民的な小さなゲイバーは、今となってはほとんどわからない。

fu6-19(「ナルシス」エリ子) (2).jpgfu6-21(「ナルシス」ユミ) (2).jpg
大阪の若い美人ゲーボーイ
左(fu6-19)の裏面に「エリ子」とあり、、右(fu6-21)の裏面には「ユミ」とある。
『風俗奇譚』1965年4月臨時増刊号掲載の西塔哲「『美女』のいる酒場」に同じ写真が掲載されていて、大阪の高級ゲイバー「なるしす」のホステスであることがわかる。
それぞれ「あどけない感じのえりさん」」「近代的魅力にあふれるユミさん」と説明されている。

「なるしす」は、1965年1月にそれまでの南区坂町から、千年町の五階建てのビルに引っ越して新装開店した。
fu4-48(大阪「ナルシス」ママひとみ)  (2).jpg
(fu4-48)は、その「なるしす」のひとみさん。
高級感あふれる紗の着物(盛夏用)を艶やかに着こなして大貫禄。

このコレクションの持主(女装秘密結社「富貴クラブ」の西塔哲会長と推定)は「なるしす」がお気に入りだったようで、同店関係の写真が多い。

今回は、あえて雑誌掲載のゲイボーイの写真を中心に取り上げたが、1960年代に撮影されたこの種の写真の原版が残されていたことが貴重。

9月20日(土)写真コレクションの整理作業 [日常]

9月20日(土)   曇りときどき雨  東京   22.3度   湿度62%(15時)

11時、起床。
朝食は、ガーリックフランスとコーヒー。

午後、久しく中断していた1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションの整理作業。
最後に残っていた粘着式・バインダータイプのアルバムに貼り込まれていた写真50枚の画像取り込み作業。
夕方までかかって画像の整理を完了。
これで5冊のポケットアルバムと1冊の大判アルバムに収納されていた297枚の写真を画像ファイルとして資料化することできた。
長い間の宿題をひとつ片付けた気分。

途中、昼食。
140920-1.JPG
息子が食べ忘れていた賞味期限切れのキムチ、家猫さんの食べ残しの馬肉の燻製(3片)、昨日処理した鯖のへしこの欠片(2片)。
あまりにも貧しい食事で涙。

夕方、不愉快なことあり。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-20-1
この朝日新聞の記者、他者が苦労して作り上げた知的な仕事に対する尊重の気持ちが欠けていると思う。
記者としての倫理観という以前に、世の中に対する姿勢がおかしい。
甘いというか、傲慢というか・・・。
朝日新聞、社内の人材教育に問題があるのではないだろうか。
18歳で実家を出てから40年来の購読者だが、こういうことでは講読を再考せざるを得ないかも。

夕食の支度。
昼ご飯がひどかったので、少豪勢に。
お刺身(まぐろ、かんぱち)。
140920-3.JPG
イタリア製の生ハムのサラダ。
140920-2.JPG
茄子と卵のお汁。
140920-4.JPG

食後、昼間の写真コレクション整理の成果の一端をまとめる。
「裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理―」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21
お風呂に入って、髪を洗う。
「日記」を書く。
就寝、3時。

裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月20日(土)
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
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(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
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その後、私の多忙で、整理作業が中断していたが、今日、思い立って、最後に残っていた粘着式・バインダータイプのアルバムに貼り込まれていた写真50枚(以前に現状をコピーした上で、剥がしてナンバー付け)の画像取り込み作業と整理を行った。
これで5冊のポケットアルバムと1冊の大判アルバムに収納されていた297枚の写真を画像ファイルとして資料化することできた。

その過程で、とても興味深いことがあった。
(fu6-13)(fu6-14)(fu6-15)の3点は、ほとんどがプリントした写真の中にあって珍しく雑誌から切り抜いたと思われる写真である。
とても女性的な女形の着付け(fu6-13)、鬘乗せ(fu6-14)、舞台姿(fu6-15)を写した一連のもので、誰だか解らないが、おそらく新派の若手女形だろう(曾我廼家桃蝶さんのような気がする)。
時期もわからないが、かなり古いもので、あるいは戦前かもしれない。
fu6-13 (2).jpgfu6-14 (2).jpg
fu6-15 (2).jpg
ただ、私が興味深く思ったのは表ではない。
この3枚、長い間に劣化していて、補強のために、ある時期に裏に紙を貼ってある。
興味深いのは、その裏打紙なのだ。
fu6-15(裏) (2).jpg
(fu6-15裏)
fu6-14(裏) (2).jpg
(fu6-14裏)
fu6-13(裏) (2).jpg
(fu6-13裏)
どうも、車が事故を起こした時、運転手が会社に提出する報告の用紙のようだ。
しかも、絵からして、車はトラックなどではなく乗用車。
こうした書式の用紙を備えておくほど乗用車がたくさんいる会社ってなんだろう?

この「富貴クラブ」の写真コレクションは、その内容が、「富貴クラブ」会長の西塔(さいとう)哲(筆名:鎌田意好=かまだいすき)が書いた文章に載せられている写真と数多く一致することから、「富貴クラブ」の「会員の部屋」(最後は中野区中央)に置かれていた西塔会長用のアルバムであると、私は推測している。
fu2-21.jpg
↑ 西塔哲会長ご尊影(fu2-21)
お気に入りの若い女装者をかたわらに、ご満悦の西塔会長(1974年1~2月の撮影)。
明治時代の末に東京浅草に生まれ、子供の頃に芝居小屋や映画館で見た美しい女形に不思議な興奮と興味を感じて以来、ほとんど全生涯を女装者愛好一筋に費やした「偉人」。

その西塔会長がどういう人物かは、なにしろ「秘密結社」の親分なので、詳しいことは解らない。
(参照)三橋順子「(日本女装昔話・第13回 女装者愛好男性の典型 西塔哲」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_13.htm
ただ、ご本人が書いたものと、元会員の方からの聞き取りを合わせると、戦前は逓信省、戦後は運輸省(現:国土交通省)の官僚でもっぱら陸運部門を歩んだ人らしい。
「富貴クラブ」の会長だった1960年代には、すでに退官して、東京の大手タクシー会社の重役に天下っていた。

先ほどの乗用車が事故を起こした時の報告用紙を備えておくほど乗用車がたくさんいる会社がタクシー会社なら・・・。
すべて、辻褄が合う。
やはり、この写真コレクションは、「富貴クラブ」の西塔(さいとう)哲会長のものだったのだ。