9月14日(月)石川武志写真展『NAKED CITY VARANASI』 [お勉強(博物館・美術館)]
9月14日(月) 曇り 東京 27.2度 湿度76%
10時半、起床。
朝食は、スイートポテトとコーヒー。
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昼食は、マロン・デニッシュ。

15時、家を出る。
16時過ぎ、新宿一丁目のギャラリー「プレースM」で、今日(14日)から開催中の、石川武志さんの写真展『NAKED CITY VARANASI』へ。

テーマは、シバ神をめぐる死と再生。
いつもながら、すごい迫力。
サドゥ(ヒンドゥー教の修行者)の中には、祭礼の日の往来で、褌すら着けずペニス丸出しの人が結構いる。
「再生の根源」を見せる(誇示する)という宗教的な意味があるので、警察も規制しない。
女性たち(含、少女)も見慣れているから驚かない。
また、サドゥが顔に塗っている白粉(おしろい)は、聖獣とされる牛の糞を焼いて白い灰にして、それを水に溶いてペースト状にしたものとのこと。
それを朝、顔に塗り、さらに墨で隈取のようなラインを入れる。
お話をうかがうと、いろいろ勉強になる。
17時、辞去。
(続く)
10時半、起床。
朝食は、スイートポテトとコーヒー。
昼食は、マロン・デニッシュ。
15時、家を出る。
16時過ぎ、新宿一丁目のギャラリー「プレースM」で、今日(14日)から開催中の、石川武志さんの写真展『NAKED CITY VARANASI』へ。

テーマは、シバ神をめぐる死と再生。
いつもながら、すごい迫力。
サドゥ(ヒンドゥー教の修行者)の中には、祭礼の日の往来で、褌すら着けずペニス丸出しの人が結構いる。
「再生の根源」を見せる(誇示する)という宗教的な意味があるので、警察も規制しない。
女性たち(含、少女)も見慣れているから驚かない。
また、サドゥが顔に塗っている白粉(おしろい)は、聖獣とされる牛の糞を焼いて白い灰にして、それを水に溶いてペースト状にしたものとのこと。
それを朝、顔に塗り、さらに墨で隈取のようなラインを入れる。
お話をうかがうと、いろいろ勉強になる。
17時、辞去。
(続く)
9月12日(木)沖縄出張4日目(沖縄県立博物館「台湾展~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~」) [お勉強(博物館・美術館)]
9月12日(木) 晴れ 那覇 32.9度 湿度63%(15時)
7時半、起床。
荷物をまとめながら化粧と身支度。
9時、朝食。
さすがに3日目となると飽きてきた。


新顔の、マンゴー・フレンチトースト。

10時過ぎ、荷物をホテルのロッカーに預けて、チェックアウト。
ゆいレール(首里行き)に2駅乗って、おもろまち駅で下車。
徒歩7分ほどの沖縄県立博物館へ。

いつも思うのだけど、この建築デザイン、好きになれない。
グスクのイメージとのことだが、私には巨大なトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)に思える。

10時50分、入館。
お目当ては企画展「台湾展~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~」(←「申請外調査」)。
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台湾と沖縄西端の与那国島との距離は111kmで、沖縄にとっては最も近い外国。
というか、琉球処分(1879年)、日本の台湾領有(下関条約:1895年)により、1945年までの50年間は「お隣」だった。
展示は、明治政府の「台湾出兵」から第二次世界大戦後まで日本による台湾統治の歴史、台湾先住民の民俗、台湾統治に動員された沖縄の人たち、そして戦後、台湾から沖縄に引き揚げた人たち(湾生:わんせい)の語り。
知らなかったことも多く、中央の視点では捉えられない文化交流があったことを知って、勉強になった。
その後、常設展「海と島に生きる-豊かさ、美しさ、平和を求めて-」も見学。
以前、一度、見ているが、とくに民俗の展示をゆっくり見る。
館内のカフェ「 カメカメキッチン」で昼食。

↑ ソーキドッグ(600円)とシークワーサージュース(350円)
ソーキドッグ、おいしいけど、ちょっと食べにくい。
13時15分、退館。

(続く)
7時半、起床。
荷物をまとめながら化粧と身支度。
9時、朝食。
さすがに3日目となると飽きてきた。
新顔の、マンゴー・フレンチトースト。
10時過ぎ、荷物をホテルのロッカーに預けて、チェックアウト。
ゆいレール(首里行き)に2駅乗って、おもろまち駅で下車。
徒歩7分ほどの沖縄県立博物館へ。
いつも思うのだけど、この建築デザイン、好きになれない。
グスクのイメージとのことだが、私には巨大なトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)に思える。
10時50分、入館。
お目当ては企画展「台湾展~黒潮でつながる隣(とぅない)ジマ~」(←「申請外調査」)。
台湾と沖縄西端の与那国島との距離は111kmで、沖縄にとっては最も近い外国。
というか、琉球処分(1879年)、日本の台湾領有(下関条約:1895年)により、1945年までの50年間は「お隣」だった。
展示は、明治政府の「台湾出兵」から第二次世界大戦後まで日本による台湾統治の歴史、台湾先住民の民俗、台湾統治に動員された沖縄の人たち、そして戦後、台湾から沖縄に引き揚げた人たち(湾生:わんせい)の語り。
知らなかったことも多く、中央の視点では捉えられない文化交流があったことを知って、勉強になった。
その後、常設展「海と島に生きる-豊かさ、美しさ、平和を求めて-」も見学。
以前、一度、見ているが、とくに民俗の展示をゆっくり見る。
館内のカフェ「 カメカメキッチン」で昼食。
↑ ソーキドッグ(600円)とシークワーサージュース(350円)
ソーキドッグ、おいしいけど、ちょっと食べにくい。
13時15分、退館。
(続く)
「トークセッション マンガのちから」 [お勉強(博物館・美術館)]
9月7日(土)
(続き)
14時、パナソニックセンター東京「トークセッション マンガのちから」(協力:プライドハウス東京)開始。
ニコル・クーリッジ・ルマニエールさん(セインズベリー日本藝術研究所・研究担当所長)と田亀源五郎さんのトーク。

田亀源五郎さんのトーク

閉会後、グループセッション参加者と記念撮影。

ゲストと「プライドハウス東京」の皆さん

懸案になっていた、田亀先生のインタビューを、どう動画に取り入れるかについて、打ち合わせ。
17時、辞去。
駅に「ドトール」があったので、休憩とカロリー補充。


17時30分発のりんかい線に乗る。

18時10分、自宅最寄り駅で、家猫さんと合流。

19時前、帰宅。
夕食は、豚肉の生姜焼き。
-897b5.JPG)
野菜炒め。
-90c2b.JPG)
葉っぱ。
-48136.JPG)
ちょっと疲れた。
お風呂に入って温まる。
就寝、2時。
(続き)
14時、パナソニックセンター東京「トークセッション マンガのちから」(協力:プライドハウス東京)開始。
ニコル・クーリッジ・ルマニエールさん(セインズベリー日本藝術研究所・研究担当所長)と田亀源五郎さんのトーク。
田亀源五郎さんのトーク
閉会後、グループセッション参加者と記念撮影。
ゲストと「プライドハウス東京」の皆さん
懸案になっていた、田亀先生のインタビューを、どう動画に取り入れるかについて、打ち合わせ。
17時、辞去。
駅に「ドトール」があったので、休憩とカロリー補充。
17時30分発のりんかい線に乗る。
18時10分、自宅最寄り駅で、家猫さんと合流。
19時前、帰宅。
夕食は、豚肉の生姜焼き。
野菜炒め。
葉っぱ。
ちょっと疲れた。
お風呂に入って温まる。
就寝、2時。
9月7日(土)パナソニックセンター東京の企画展「SPORTS×MANGA」 [お勉強(博物館・美術館)]
9月7日(土)
10時、起床。
朝食はアップルパイとコーヒー。

12時、家を出る。
東急目黒線(大岡山駅乗換)同大井町線(大井町駅乗換)で、りんかい線に乗る。
すごく深い。
でも、新橋駅経由ゆりかもめよりずっと早い(海はまったく見えないけど)。
13時半、国際会議場駅に到着。

夏が戻ってきた感じ(でも、空は少し高い)で暑い!

正直言うと、こういうまったく起伏がない場所(埋立地)、山育ちの私は、なんとなく少し気持ちが悪い。
駅近くの公園で、軽い昼食。

駅から数分のパナソニックセンター東京(有明)へ。

大きいお人形は、なんだかうなだれている感じで、元気がない。

小さい方は、かわいい。

開催中の企画展「SPORTS×MANGA」を観る。

今までにないテーマ展示で、興味深かかった。
とくに、現代の人気漫画家がパラ・スポーツをテーマに作品を描いているのは、とても良いことだと思う。
細かいことを言うと、野球漫画が『ちかいの魔球』(原作:福本和也、作画:ちばてつや、『週刊少年マガジン』連載、1961~1962年)からいきなり『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる、『週刊少年マガジン』連載、1966~1971年 )に飛ぶのは不満。
『黒い秘密兵器』(原作:福本和也、作画:一峰大二、「週刊少年マガジン」連載、1963~1965年)は重要だと思う。
それと『スポーツマン金太郎』(寺田ヒロオ、『週刊少年サンデー』連載、1959~1963年、中断あり)が取り上げられてなかった。
スポーツ漫画の原点の1つだと思うが、忘れられている感じ。
また、『野球狂の詩』(水島新司、『週刊少年マガジン』掲載、1972~1977年)は、女性がプロ野球で活躍するという、SPORTS×MANGA×ジェンダーという視点で重要な作品。
SPORTS×MANGA×笑いという視点では、『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史、『週刊少年ジャンプ』連載、1977年-1980年)をもっと評価すべき。
全体として、歴史回顧的な部分は、リアルタイムで読んでいる老人の見解をもっと聞いた方がいいと思った。
(続く)
10時、起床。
朝食はアップルパイとコーヒー。
12時、家を出る。
東急目黒線(大岡山駅乗換)同大井町線(大井町駅乗換)で、りんかい線に乗る。
すごく深い。
でも、新橋駅経由ゆりかもめよりずっと早い(海はまったく見えないけど)。
13時半、国際会議場駅に到着。
夏が戻ってきた感じ(でも、空は少し高い)で暑い!
正直言うと、こういうまったく起伏がない場所(埋立地)、山育ちの私は、なんとなく少し気持ちが悪い。
駅近くの公園で、軽い昼食。
駅から数分のパナソニックセンター東京(有明)へ。
大きいお人形は、なんだかうなだれている感じで、元気がない。
小さい方は、かわいい。
開催中の企画展「SPORTS×MANGA」を観る。

今までにないテーマ展示で、興味深かかった。
とくに、現代の人気漫画家がパラ・スポーツをテーマに作品を描いているのは、とても良いことだと思う。
細かいことを言うと、野球漫画が『ちかいの魔球』(原作:福本和也、作画:ちばてつや、『週刊少年マガジン』連載、1961~1962年)からいきなり『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる、『週刊少年マガジン』連載、1966~1971年 )に飛ぶのは不満。
『黒い秘密兵器』(原作:福本和也、作画:一峰大二、「週刊少年マガジン」連載、1963~1965年)は重要だと思う。
それと『スポーツマン金太郎』(寺田ヒロオ、『週刊少年サンデー』連載、1959~1963年、中断あり)が取り上げられてなかった。
スポーツ漫画の原点の1つだと思うが、忘れられている感じ。
また、『野球狂の詩』(水島新司、『週刊少年マガジン』掲載、1972~1977年)は、女性がプロ野球で活躍するという、SPORTS×MANGA×ジェンダーという視点で重要な作品。
SPORTS×MANGA×笑いという視点では、『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史、『週刊少年ジャンプ』連載、1977年-1980年)をもっと評価すべき。
全体として、歴史回顧的な部分は、リアルタイムで読んでいる老人の見解をもっと聞いた方がいいと思った。
(続く)
8月7日(水)横浜美術館「伝説の大コレクション 原三渓の美術」展 [お勉強(博物館・美術館)]
國學院大學博物館「浮世絵ガールズ・コレクション―江戸の美少女・明治のおきゃん―」 [お勉強(博物館・美術館)]
日(土)
お墓参りを終えて、すぐ近くの「國學院大學博物館」へ。
大学は夏休みのはずなのに、やけに人が多いと思ったら、オープンキャンパスだった。

企画展「浮世絵ガールズ・コレクション―江戸の美少女・明治のおきゃん―」を観る。

新収蔵品による企画展で、幕末の歌川国芳、明治初期の豊原国周、月岡芳年、楊州周延などの美人画を中心とした展示。

↑ 月岡芳年「東京自慢十二ヶ月」(1880年)

↑ 楊州周延「幻燈写心競 洋行」(1890年)
とくに明治期の浮世絵美人画は、あまり観る機会がないので貴重。
なにより、これだけの展示で、入場無料というのは、すごい。

↑ 図録(1000円)もちゃんとある。
それにしても國學院大學の博物館の収蔵品といえば、考古資料と神道資料しかなく、浮世絵なんていう軟派なものにはまったく縁がなかった。
いったいどうしたのだ?と思って調べたら、藤澤紫教授(美術史)という浮世絵の専門家が2014年度に着任されていた。
なるほど・・・。
今時、お堅いだけでは、いくら「国史・国文・国法の名門」でも学生が集まらない(とくに女子)から、良いことである。
お墓参りを終えて、すぐ近くの「國學院大學博物館」へ。
大学は夏休みのはずなのに、やけに人が多いと思ったら、オープンキャンパスだった。
企画展「浮世絵ガールズ・コレクション―江戸の美少女・明治のおきゃん―」を観る。

新収蔵品による企画展で、幕末の歌川国芳、明治初期の豊原国周、月岡芳年、楊州周延などの美人画を中心とした展示。

↑ 月岡芳年「東京自慢十二ヶ月」(1880年)

↑ 楊州周延「幻燈写心競 洋行」(1890年)
とくに明治期の浮世絵美人画は、あまり観る機会がないので貴重。
なにより、これだけの展示で、入場無料というのは、すごい。

↑ 図録(1000円)もちゃんとある。
それにしても國學院大學の博物館の収蔵品といえば、考古資料と神道資料しかなく、浮世絵なんていう軟派なものにはまったく縁がなかった。
いったいどうしたのだ?と思って調べたら、藤澤紫教授(美術史)という浮世絵の専門家が2014年度に着任されていた。
なるほど・・・。
今時、お堅いだけでは、いくら「国史・国文・国法の名門」でも学生が集まらない(とくに女子)から、良いことである。
石川武志写真展「NAKED CITY VARANASI」 [お勉強(博物館・美術館)]
雪舟「倣夏珪山水図」の再発見 [お勉強(博物館・美術館)]
9月20日(水)
80余年間も行方不明だった雪舟の「倣夏珪山水図(ほう かけい さんすいず)」が再発見された。
この数年は、半分、仕事がらみもあって、浮世絵に関心がいってるが、若い頃から水墨画が好き。
基本、人付き合いが苦手な孤独好き(でも寂しがり屋)なので、人が少ない雪舟の山水画はとくに好き。
でも、この数年、歌麿の肉筆浮世絵「深川の雪」や、北斎の肉筆風景画「隅田川両岸景色図巻」など「発見」「再発見」が続くのは、どういう理由なのだろう。
失われた(と思われていた)作品が世に現れるのは基本的に良いことだし、研究者の方々の尽力もあるのだろうが、ちょっと気になる。
-----------------------------------------------
雪舟作、80余年行方不明だった「倣夏珪山水図」を発見

雪舟筆「倣夏珪山水図」 室町時代 個人蔵
室町時代の水墨画家、雪舟(1420~1506年?)が描き、80年余り所在不明になっていた作品「倣夏珪(ほうかけい)山水図」が見つかったと、山口県立美術館が19日、東京都内で発表した。明治学院大の山下裕二教授は「雪舟の代表作への道筋を示した重要な作品」と話している。
見つかったのは、軸装された約30センチ四方の団扇(うちわ)形の水墨画。藍や緑で彩色を施し、手前にゴツゴツとした大きな岩、遠くには山が描かれている。雪舟が中国の名画家に倣って描いた「団扇形倣古図(ほうこず)」シリーズの1点。南宋時代の山水画家、夏珪のスタイルを取り込んでおり、夏珪と雪舟のサインがある。
同館によると、この作品は昭和8年、西日本鉄道の前身、九州電気軌道が売り立て(競売)に出した際の目録に掲載された後、行方が分からなくなっていた。今年2月、東京の企画会社から同館に情報が伝わり、山下教授らが真筆と確認した。雪舟の代表作として知られる国宝「四季山水図(山水長巻)」より前に描かれたとみられている。
同シリーズは12点の存在が判明しているが、現在確認されているのは6点。いずれも重要文化財に指定されている。今回見つかった作品は10月31日から同館で公開される。
「産経ニュース」2017.9.19 20:38
http://www.sankei.com/life/news/170919/lif1709190053-n1.html
80余年間も行方不明だった雪舟の「倣夏珪山水図(ほう かけい さんすいず)」が再発見された。
この数年は、半分、仕事がらみもあって、浮世絵に関心がいってるが、若い頃から水墨画が好き。
基本、人付き合いが苦手な孤独好き(でも寂しがり屋)なので、人が少ない雪舟の山水画はとくに好き。
でも、この数年、歌麿の肉筆浮世絵「深川の雪」や、北斎の肉筆風景画「隅田川両岸景色図巻」など「発見」「再発見」が続くのは、どういう理由なのだろう。
失われた(と思われていた)作品が世に現れるのは基本的に良いことだし、研究者の方々の尽力もあるのだろうが、ちょっと気になる。
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雪舟作、80余年行方不明だった「倣夏珪山水図」を発見

雪舟筆「倣夏珪山水図」 室町時代 個人蔵
室町時代の水墨画家、雪舟(1420~1506年?)が描き、80年余り所在不明になっていた作品「倣夏珪(ほうかけい)山水図」が見つかったと、山口県立美術館が19日、東京都内で発表した。明治学院大の山下裕二教授は「雪舟の代表作への道筋を示した重要な作品」と話している。
見つかったのは、軸装された約30センチ四方の団扇(うちわ)形の水墨画。藍や緑で彩色を施し、手前にゴツゴツとした大きな岩、遠くには山が描かれている。雪舟が中国の名画家に倣って描いた「団扇形倣古図(ほうこず)」シリーズの1点。南宋時代の山水画家、夏珪のスタイルを取り込んでおり、夏珪と雪舟のサインがある。
同館によると、この作品は昭和8年、西日本鉄道の前身、九州電気軌道が売り立て(競売)に出した際の目録に掲載された後、行方が分からなくなっていた。今年2月、東京の企画会社から同館に情報が伝わり、山下教授らが真筆と確認した。雪舟の代表作として知られる国宝「四季山水図(山水長巻)」より前に描かれたとみられている。
同シリーズは12点の存在が判明しているが、現在確認されているのは6点。いずれも重要文化財に指定されている。今回見つかった作品は10月31日から同館で公開される。
「産経ニュース」2017.9.19 20:38
http://www.sankei.com/life/news/170919/lif1709190053-n1.html
1月4日(水)甲賀・櫟野寺(らくやじ)の「出開帳」 [お勉強(博物館・美術館)]
1月4日(水) 晴れ 東京 14.0度 湿度45%(15時)
午後、家猫さんと電車に乗って上野へ。
それにしても温かなお正月だなぁ。
東京国立博物館で開催されている甲賀・櫟野寺(らくやじ)の「出開帳」(特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」)を拝観。
.jpg)
↑ 久しぶりの「東博」
像高3mの十一面観世音菩薩と薬師如来を拝んで、初詣の代わりにする。

↑ 櫟野寺 十一面観世音菩薩坐像(10世紀、国指定重要文化財)

↑ 櫟野寺 薬師如来坐像(12世紀、国指定重要文化財)
他にもたくさんの平安仏が展示されていた。
これほどたくさんの平安仏が残っているお寺は多くない。
櫟野寺(滋賀県甲賀町)は、今まで行く機会もなかったし、東海道筋からも外れているので、今後も訪れるのは難しそう。
「出開帳」の機会に、拝めてよかった。
-04d66.jpg)
16時15分、東京国立博物館を退館。

↑ 上野公園・噴水広場の夕景。

↑ 日没。
「山下」の「タリーズ・コーヒー」で休憩して、外に出たら、月が輝き、もう暗くなっていた。

「暗くにゃったから、お家へかえるにゃん」と言う家猫さんを放して、新宿に向かう。
(続く)
午後、家猫さんと電車に乗って上野へ。
それにしても温かなお正月だなぁ。
東京国立博物館で開催されている甲賀・櫟野寺(らくやじ)の「出開帳」(特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」)を拝観。
.jpg)
↑ 久しぶりの「東博」
像高3mの十一面観世音菩薩と薬師如来を拝んで、初詣の代わりにする。

↑ 櫟野寺 十一面観世音菩薩坐像(10世紀、国指定重要文化財)

↑ 櫟野寺 薬師如来坐像(12世紀、国指定重要文化財)
他にもたくさんの平安仏が展示されていた。
これほどたくさんの平安仏が残っているお寺は多くない。
櫟野寺(滋賀県甲賀町)は、今まで行く機会もなかったし、東海道筋からも外れているので、今後も訪れるのは難しそう。
「出開帳」の機会に、拝めてよかった。
-04d66.jpg)
16時15分、東京国立博物館を退館。
↑ 上野公園・噴水広場の夕景。
↑ 日没。
「山下」の「タリーズ・コーヒー」で休憩して、外に出たら、月が輝き、もう暗くなっていた。
「暗くにゃったから、お家へかえるにゃん」と言う家猫さんを放して、新宿に向かう。
(続く)
「シーボルト・コレクション」に葛飾北斎の西洋技法画6点 [お勉強(博物館・美術館)]
10月22日(土)
オランダの「ライデン国立民族学博物館」に所蔵されていた「シーボルト・コレクション」の中の作者不明の絵画6点(水彩画5点、銅版画1点)が、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)の作品だったことが判明。
遠近法など西洋絵画の技法で描がかれた江戸の風景が実に美しい。
月並みな感想だけど、北斎は天才だということを再認識。

↑ 水彩画。日本橋。中景に江戸城、遠景に富士山。

↑ 水彩画。赤羽橋付近の雪景色。遠景は芝の増上寺。霏々として降る雪の描写が見事。

↑ 水彩画。橋場の渡しと思われる。

↑ 水彩画。両国橋。遠景の富士山も「富嶽三十六景」より写実的。

↑ 水彩画。品川附近の夜景。海から上った月がなす影を巧みに描く。

↑ 銅版画。永代橋と思われる。
-------------------------------------------
オランダの博物館所蔵 北斎の西洋画だった 作者不明6枚
オランダのライデン国立民族学博物館に所蔵され、作者不明とされてきた絵画6枚の作者が、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(1760〜1849年)だったことが同館の調査で分かった。長崎市で22日にあった「国際シーボルトコレクション会議」で、同館シニア研究員のマティ・フォラー氏が発表した。西洋画の特徴がみられ、フォラー氏は「北斎が西洋の技法をよく理解していたことが分かる。非常に画期的だ」と話している。
絵画は水彩画5枚と石版画1枚で、日本橋や品川など、江戸の街並みが描かれている。江戸後期から幕末にかけて日本に滞在したドイツ人医師、シーボルトが集めた作品の一部。落款やサインはなく作者は不明だったが、シーボルトの子孫が保管していたシーボルト直筆の目録に6枚の絵のことが記録されていることをフォラー氏が確認した。目録には「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述もあった。
日本画では墨で輪郭を取って色付けするが、見つかった水彩画は縁取りせずに描く西洋画の技法が用いられている。また、画面の3分の2を使い、空を大胆に描く構図にも西洋画の特徴がみられる。これまでの北斎の絵画ではみられなかった特徴という。
シーボルトは1823年、江戸時代の鎖国期に長崎オランダ商館の医師として来日。フォラー氏によると、シーボルトが残した記録には、1826年に江戸に上った際「上手な絵師と会った」という記述があり、この際に北斎から絵画を受け取ったとみられる。フォラー氏は「西洋人が描いたと思っていたので、とても驚いた」と話している。【今手麻衣】
『毎日新聞』2016年10月22日 20時37分(最終更新 10月22日 23時06分)http://mainichi.jp/articles/20161023/k00/00m/040/039000c
オランダの「ライデン国立民族学博物館」に所蔵されていた「シーボルト・コレクション」の中の作者不明の絵画6点(水彩画5点、銅版画1点)が、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)の作品だったことが判明。
遠近法など西洋絵画の技法で描がかれた江戸の風景が実に美しい。
月並みな感想だけど、北斎は天才だということを再認識。

↑ 水彩画。日本橋。中景に江戸城、遠景に富士山。

↑ 水彩画。赤羽橋付近の雪景色。遠景は芝の増上寺。霏々として降る雪の描写が見事。

↑ 水彩画。橋場の渡しと思われる。

↑ 水彩画。両国橋。遠景の富士山も「富嶽三十六景」より写実的。

↑ 水彩画。品川附近の夜景。海から上った月がなす影を巧みに描く。

↑ 銅版画。永代橋と思われる。
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オランダの博物館所蔵 北斎の西洋画だった 作者不明6枚
オランダのライデン国立民族学博物館に所蔵され、作者不明とされてきた絵画6枚の作者が、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(1760〜1849年)だったことが同館の調査で分かった。長崎市で22日にあった「国際シーボルトコレクション会議」で、同館シニア研究員のマティ・フォラー氏が発表した。西洋画の特徴がみられ、フォラー氏は「北斎が西洋の技法をよく理解していたことが分かる。非常に画期的だ」と話している。
絵画は水彩画5枚と石版画1枚で、日本橋や品川など、江戸の街並みが描かれている。江戸後期から幕末にかけて日本に滞在したドイツ人医師、シーボルトが集めた作品の一部。落款やサインはなく作者は不明だったが、シーボルトの子孫が保管していたシーボルト直筆の目録に6枚の絵のことが記録されていることをフォラー氏が確認した。目録には「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述もあった。
日本画では墨で輪郭を取って色付けするが、見つかった水彩画は縁取りせずに描く西洋画の技法が用いられている。また、画面の3分の2を使い、空を大胆に描く構図にも西洋画の特徴がみられる。これまでの北斎の絵画ではみられなかった特徴という。
シーボルトは1823年、江戸時代の鎖国期に長崎オランダ商館の医師として来日。フォラー氏によると、シーボルトが残した記録には、1826年に江戸に上った際「上手な絵師と会った」という記述があり、この際に北斎から絵画を受け取ったとみられる。フォラー氏は「西洋人が描いたと思っていたので、とても驚いた」と話している。【今手麻衣】
『毎日新聞』2016年10月22日 20時37分(最終更新 10月22日 23時06分)http://mainichi.jp/articles/20161023/k00/00m/040/039000c