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満映のトップスター「李香蘭」こと山口淑子さん逝く [訃報・追悼]

9月14日(日)
「李香蘭」こと元参議院議員の山口淑子さんが亡くなった。
94歳だっ
日本人の両親の間に1920年(大正9)に中華民國奉天省(現:中華人民共和国遼寧省)撫順で生まれ、奉天(現:遼寧省瀋陽市)と北平(現:北京市)で育ち、中国語は完璧。
家族ぐるみの付き合いがあった親日派の李際春将軍(瀋陽銀行頭取)の義理の娘分(乾女兒)となって「李香蘭」(Lee Hsiang Lan)の名をもらった。
1938年(昭和13年)、満州国の国策映画会社「満州映画協会」(満映)から中国人の専属映画女優「李香蘭」としてデビュー。
女優として歌手として大活躍し、まさに「満映」のトップスターであり、「日満親善」のシンボル的存在だった。
李香蘭2.jpg
当時の日本の女優とはかなり印象が違う目鼻立ちがはっきりした、いわゆる「バタ臭い」美貌で、かつボディ・スタイルも日本人離れしていた。
といって、中国人的な容貌からも遠く、そうした無国籍的な容姿が「五族協和」を掲げた満州国を代表するスターにふさわしかったのかもしれない。

大ヒットした名曲「夜来香(イエライシャン)」は、かなり技巧的な上に、後半のサビの部分では高音の伸びが必要な難曲。
私もホステス時代にお客さんから何度かリクエストされたが、上手に歌うのはかなり練習が必要だった。
https://www.youtube.com/watch?v=fZCHk-McCws
最後にテレビに出られたのは、2009年4月13日にテレビ朝日で放送された、川島芳子(愛新覺羅顯玗)の追跡番組「(報道発 ドキュメンタリ宣言) 昭和史最大のスクープ 男装の麗人・川島芳子は生きていた!」での後姿の映像だったのではないか。
この番組を制作した方にうかがった話では、「もう高齢なので公の場には出ない」と断られたのを、特にお願いして「親友の芳子さんのためなら」ということで特別に撮影を許されたとのこと。

私の亡母と同年生まれ。
時代に翻弄され戦争いちばん苦労させられた世代。
また1人、動乱の昭和の生き証人が逝かれたのは残念だが、40歳で銃殺された川島芳子の倍以上生きて、天寿を全うされた(合掌)。
李香蘭 (2).jpg
山口淑子・藤原作弥著『李香蘭 私の半生』(新潮社、1987年)
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山口淑子さん死去 女優・歌手「李香蘭」・元参院議員

戦時中は歌手・女優の李香蘭(り・こうらん)として知られ、戦後は日本で活動、参院議員も務めた山口淑子(やまぐち・よしこ、本名・大鷹淑子=おおたか・よしこ)さんが7日午前10時42分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。94歳だった。葬儀・告別式は親族で済ませた。

大正9年、旧奉天(現瀋陽)郊外の北煙台生まれ。両親は日本人。単身、北京に留学して女学校を卒業した後、昭和13年に満州映画協会の専属女優となって、中国人「李香蘭」として映画デビュー。歌手としても「夜来香」などがヒットし人気を集めた。日本映画「支那の夜」「熱砂の誓い」などにも出演している。上海で終戦を迎え、売国奴の疑いで裁判にかけられるが、日本国籍であると証明され帰国した。

戦後は日本で山口淑子として映画出演を中心に芸能活動を再開し、米国でも「シャーリー・ヤマグチ」として活動。彫刻家のイサム・ノグチ氏との結婚、離婚を経て、外交官の大鷹弘氏と再婚した。33年の「東京の休日」を最後に映画界から引退する。

44年から5年にわたり、フジテレビ系のワイドショー「3時のあなた」で司会を務め、取材でたびたび中東を訪れた。49年、自民党から出馬して参院選に当選し、3期18年務めて環境政務次官などを歴任。著書に「李香蘭 私の半生」(藤原作弥氏との共著)など。同書を題材に劇団四季が上演した「ミュージカル李香蘭」は大好評を得た。平成5年、勲二等宝冠章を受章した。
「msn産経ニュース」2014.9.14 12:20
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140914/ent14091412200011-n1.htm

永井荷風『断腸亭日乗』の大正10年(1921)12月8日の地震 [地震・火山・地質]

9月13日(土)
永井荷風(1879~1959年)の『摘録 断腸亭日乗』(岩波文庫、1987年)を読んでいたら、大正10年(1921)12月の条に、こんな記事があるのが目に留まった。

「十二月十一日。水道水切となる。八日夜地震のため水道浄溜池破壊せし故なりと云ふ。東京市の水道工事は設置の当初より不正の事あり。即浜野某等の鉄管事件なり。今日わづかなる地震にて水切れとなるが如きは敢て怪しむに足らず。夜十一時に至るも水猶なし。
十二月十二日。水道僅に通ず。痳疾患者の尿の如し。呵々。」

「水切」つまり断水の記事で、原因は12月8日の地震で東京市の水道の「浄溜池」が破壊されたためらしい。
断水は11日夜になっても回復せず、12日になって、やっとチョロチョロ水が出る状態になったようだ。
淋病の男性の尿(=痛いのでちょっとずつしか出ない)に譬えているのがおもしろい。

地震史の勉強をしていながら、うかつにもこの地震は知らなかった。
『摘録 断腸亭日乗』は、8日の記事を省略しているので、元本(断腸亭日記巻之五大正十年歳次辛酉)を調べると、こうあった。
「十二月八日。初更入浴中地激しく震ふ。棚の物器顛倒して落ち時計の針停りたり。」
夜のまだ浅い頃、荷風が入浴していると、激しい地震があり、棚の物が落下し、(振り子?)時計の針が止まったという。
震度4~震度5弱という感じだろうか。
当時の荷風の住居は麻布区市兵衛町(現:港区六本木1丁目)の「偏奇館」であり台地上で地盤は良かった。
それでこの揺れ方であり、かなり大きな地震だったことがわかる。

この地震と断水については、荷風と同時代人の科学者の寺田寅彦(1878~1935年)に「断水の日」という随筆があり、詳しい様子がわかる(『寺田寅彦随筆集 第一巻』、岩波文庫、1947年2月)。
「十二月八日の晩にかなり強い地震があった。それは私が東京に住まうようになって以来覚えないくらい強いものであった。振動週期の短い主要動の始めの部分に次いでやって来る緩慢な波動が明らかにからだに感ぜられるのでも、この地震があまり小さなものではないと思われた。このくらいのならあとから来る余震が相当に頻繁に感じられるだろうと思っていると、はたしてかなり鮮明なのが相次いでやって来た。
山の手の、地盤の固いこのへんの平家(ひらや)でこれくらいだから、神田へんの地盤の弱い所では壁がこぼれるくらいの所はあったかもしれないというような事を話しながら寝てしまった。
翌朝の新聞で見ると実際下町ではひさしの瓦かわらが落ちた家もあったくらいでまず明治二十八年来の地震だという事であった。そしてその日の夕刊に淀橋近くの水道の溝渠(こうきょが)くずれて付近が洪水のようになり、そのために東京全市が断水に会う恐れがあるので、今大急ぎで応急工事をやっているという記事が出た。」

さすがは、科学者、初期微動(P波)と主振動(S波)の感じから、地震の規模をが小さくないことを推測している。
そして、地盤の強度による揺れと被害の違いに思いを巡らせている。
実際、下町の揺れは震度5強相当で、軽微だが被害が出ている。

断水は、淀橋浄水場(現:新宿区の超高層ビル街)近くの水道の水路(明治31年=1898に竣工した「玉川上水新水路」)の一部が崩落して塞がり、その復旧作業のために配水を止めたためと思われる。

また寺田が言う「明治二十八年」の地震とは、おそらく明治27年(1894)年6月20日に起こった「明治東京地震」のことと思われる。
この地震は、東京湾北部を震源とする推定M7.0の都市直下型地震だった。
下町の本所区・深川区では震度6の揺れで、東京湾岸を中心に建物の全半壊 130棟(東京府 90棟、神奈川県 40棟)、死者 31人(東京市 24人、横浜市 4人、橘樹郡 3人)、負傷者157人を出した。
それ以来、27年ぶりの大揺れだったということ。

『断腸亭日乗』には「十二月十七日。天気暖なり。人々地震を虞る。」とあるので、寺田寅彦が言うように8日の本震の後、余震が続いたものと思われる。

さて、この地震だが、一般的には「龍ヶ崎地震」と呼ばれている。
茨城県西部、千葉県北西部、埼玉県東部、栃木県南部で震度5強を観測している。
震源やマグニチュードについては諸説があり、はっきりしない部分もあるが、震源は土浦市南西部、深さ53km、M7.0とする説が有力だ。
http://kojishin.iinaa.net/19211208.html
この地震が注目されるのは、東京中心部に小規模な被害を与えたということではなく、2年後の大正12年(1923)9月1日の「大正南関東大地震」の広い意味での前震と考えられるからだ。

もう少し狭い意味での「大正南関東大地震の前震」としては、1年4カ月ほど前の大正11年(1922)4月26日に起こった東京湾浦賀水道付近を震源とするM6.8の地震が知られている。

しかし、それは後になってから言えることで、何が前震なのか、見抜くことは難しい。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖大地震(M9.0)の2日前にM7.3の顕著な前震があったにもかかわらず、専門家も私も、ほとんど誰もがそれが巨大地震の前震であるとは気付かなかったことからも、それは明らかだ。

たった1日ほどの断水でぼやいている荷風も、まさか1年9カ月後に巨大地震が東京を襲うとは思わなかった。

近い将来、間違いなく襲来する南関東直下型地震にも、前震的なものはあるはずだ。
それに気づく自信はないが、できるだけしっかり注意していきたい。


9月13日(土)「人間と性”教育研究協議会・東京サークル」主催、針間克己先生講演会 [現代の性(性別越境・性別移行)]

9月13日(土)  曇りのち晴れ  東京  27.3度  湿度60%(15時)
11時、起床。
朝食はグレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪はブローして、あんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
洗濯機搬入の業者さんが来るのが予定より早くなったので、化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(3分)、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ。

まだ少し余裕があるので、遅い昼食。
残っていた素麺を茹でる。
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昨夜作った、いんげんの胡麻和え。
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15時半、家を出る。
北の空に夏の名残の積乱雲。
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東急東横線で渋谷に出る。
1時間半ほど時間を潰さなければならない。
喫茶店で読書しようと思ったが、渋谷は土曜日に加えて金王八幡さまのお祭で人出が多く、席が空きそうもない。
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↑ 子供の獅子舞(かわいい)
仕方なく、京王井の頭線を書斎にして、渋谷→吉祥寺→下北沢と往復。
車中、永井荷風『摘録・断腸亭日乗』(岩波文庫)を読む。
こういう「日記」を書けたらいいなぁと思うが、文才の乏しきは如何ともしがたい(←少し漢文訓読調)。

18時、下北沢駅で下車。
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久しぶりの下北沢、あまりの激変に驚く。
「え~と、北沢タウンホールは、南口を出て線路際を左に行って、踏切の所で右折・・・」と思いながら歩いていたら、踏切が無い・・・。
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↑ 遠景の高架線を通過中は京王井の頭線。小田急線はそれと直交するように地上を走っていた。

若者で賑わう道を抜けて「北沢タウンホール・男女共同参画センター“らぷらす” 研修室」へ。
18時40分、「人間と性”教育研究協議会・東京サークル」主催の針間克己先生の講演会「性同一性障害から性別違和へ-DSM‐5の変更と思春期対応-」を聴講。
前半の「DSM‐5の変更」はもう何度も聞いた話だが、後半の「思春期対応」の話は、とても参考になった。

「柔軟に」----- その都度、ベターな選択を
「幅広く」----- 典型的な男子像・女子像を求めない
「個別に」----- マニュアルを作らないのがマニュアル。
        生徒が対応してほしいレベルで対応する(過剰な介入はしない)。
        「全校カミングアウトは止めましょう」

専門家である針間先生の主張と、私が講義や講演で言ってきたこととは、ほぼ同じで、自分が間違ったことは言ってないことが確認できて安心。
(まあ、反対派から見れば「二人とも間違っている」ということになるのだろうが・・・)
20時40分、閉会。

すぐ近くの「炙屋 鉄治郎」で懇親会。
非会員だが混ぜてもらう。
でも、結局、お話したのは、旧知の佐々木掌子さん(非会員)とだけ。
23時、お開き。
お開きの後、路上で高橋裕子さん (元高校養護教諭・TAMA女性センター市民運営委員長)にご挨拶。
掌子さんと京王井の頭線→山手線(内回り)で目黒駅までいっしょして、東急目黒線で自宅最寄り駅へ。
0時前、帰宅。
「日記」を書く。
気になったことを調べてブログに書く。
お風呂に入って温まる。
就寝、5時半。

9月12日(金)「今日はまずまずですね。そんな悪くありません」 [日常(通院)]

9月12日(金)  曇り 夕方にわか雨  東京  27.5度  湿度44%(15時)
11時、起床。
朝食はダークチェリー・デニッシュとコーヒー。
よく眠って、昨日の疲労回復。
しかし、気力的には何もする気になれず、編集進行状況関係の書類の手直し作業。
少し「日記」を書く。

シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪はブローして、なんとなく気分でダウンにセットして、バレッタを付ける。
化粧と身支度。
黒と白の変形ゼブラ柄のプルオーバー(3分袖)、黒のレギンス(3分)、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ。

15時、家を出る。
道端に白い曼珠沙華が咲いている(詳細別記)。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-13
東急東横線で渋谷に出る。
16時、桜丘町の「東洋気功整体院」へ。
いつものようにY先生に施術してもらう。
相変わらず右腕に張りがあるが、全体的にはまずまずの状態。
あまり痛い所がないので気持ちよく眠ってしまう。
足のマッサージまで来て、痛みで目が覚める。
昨日、雨の中を歩き回ったせいで、かなり筋肉が張っている。
それでも、痛くなりかけた右の坐骨神経痛は悪化しなくて済んだ模様。
先生も「今日はまずまずですね。そんな悪くありません」と言ってくれた。

次回の予約をしていると、次の患者さんが「雨、降り出しましたよ」と入ってくる。
しまった、昨日の大雨で濡れた折り畳み傘を家に置いてきてしまった。
ビニール傘を借りる。
17時30分、辞去。

雨、かなり降っている。
「渋谷市場」に行くのを止めて、最短の東急地下駅入口に急ぐ。
自宅最寄り駅に着くと、なぜか家猫さんが改札口で待っている。
待ち合わせの約束、していないのに不思議だ。
「東急ストア」で買い物をして、いっしょに帰る。

夕食の支度は簡単に。
肉を焼く。
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↑ 豚ネック肉。
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↑ 牛はらみ肉。
野菜を炒める。
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さんまのお刺身(写真、撮り忘れ)。

マッサージ疲れで2時間ほど眠る。

夜中、少し細かい作業。
お風呂に入って温まる。
就寝、4時。