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筑波大学の「芸バー」問題 [現代の性(性別越境・性別移行)]

10月30日(木)

筑波大学の「芸バー」問題、大人が寄ってたかって叩き潰さなければならないほどの問題なのだろうか?
 
性的少数者への差別はもちろんいけないが、この大学祭の「模擬店」に果たしてどれだけの差別意図、差別助長性があるものなのか? 

大学の学園祭における女装・男装イベントは、花見や盆踊りなど日本の祝祭空間における異性装の文化伝統を受け継ぐものだ。

表現の仕方に問題があるのなら、それを指摘して、理解を求めた上で是正すればすむことで、一方的に「差別だ!」と問題視して「止めろ」と圧力かけることより、その方がずっと教育性は高いと思う。

ヘテロセクシュアルの人が異性装をすることが、LGBTの人権抑圧、差別につながるからいけない、というのはあまりにも、当事者主義の偏狭な考え方だ。

むしろ、できるだけ多くのヘテロセクシュアルの男性に女装する機会をもってほしい、そのほうがずっと性的少数者への理解は進む、と私は思う。

すべての人に、異性装を含む服装表現の自由はあるのだから、それもまた尊重されなければならない。

【追記(30日22時)】
結局、筑波大学の「芸バー」は中止。
こうやって日本中の大学や高校の学園祭で行われている女装&男装イベントをひとつひとつ槍玉にあげて潰していって、それでLBGTに対する社会的理解が高まり、差別がなくなるのだろうか? 
私はまったくそうは思わない。
むしろ、逆効果のような気がする。

【追記(31日10時)】
不快に思った人が抗議する権利はあるが、潰してしまうのは行き過ぎ。
法に抵触しているわけではなく、彼らにもそれをする権利がある。
そもそも大学の自治、学園祭における学生自治という原則を考えれば、外部からの介入はできるだけすべきではない。
学生たちなりに努力してきたことを、外部や上からの圧力で一方的に止めさせれば、彼らは「潰された」としか思わないわけで、恨みに思うことこそあれ、LGBTへの理解なんて深まるわけはない。
結局、「LGBTに触れるとやばいよ」という認識しか残らず、教育としては最悪の結果。

【追記(31日12時)】
日本のLBGTを自称する人の中には、こうしたイベントを「差別だ!」と糾弾して廃止に追い込むことが正義だと考える人が増えてきている。
この流れだと、近いうちに大学・高校の学園祭で、女装・男装絡みのサブカルチャー系のイベントはできなくなるだろう。
つくづく息苦しい社会になっていくなぁと思う。
その内、女装の人の画像を載せているこのブログも「LGBTへの差別を助長している!」と糾弾の対象になるかも。
正直、怖いものを感じる。

10月29日(水)家猫さんと猫の絵を見に行く―国立近代美術館「菱田春草展」― [お勉強(博物館・美術館)]

10月29日(水)   晴れ   東京  21.6度   湿度34%(15時) 
8時、起床。
9時間ほど眠って、やっと疲労回復。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結んで、シュシュを巻く。
化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ、錆朱と黒の有松絞のショール。

9時50分、家を出る。
途中、コンビニによって配布資料をコピー。
東急東横線で自由が丘駅へ。
10時半、産経学園(自由丘)で「春日権現験記絵」の講義。
12時、終了。

駅前で家猫さんと待ち合わせ。
自由が丘駅南口の「Butcher's (ブッチャーズ)」へ。
私はいつものように、おろしハンバーグランチ(830円)。
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家猫さんは、レモンステーキ(730円)。

東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(九段下駅乗換)同東西線を乗り継いで、竹橋駅で下車。
北の丸の「東京国立近代美術館」へ。
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「菱田春草」展を見る。
菱田春草(1874~1911年)は明治時代の日本画家。
岡倉天心(1863~1913年)の弟子で、横山大観(1868~1958年)、下村観山(1873~1930年)らとともに「日本美術院」の創設に参加し、明治期の日本画の革新を担った。
今回は生誕140周年記念の大規模な回顧展。
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制作年代順に見ていくと、いろいろな技法を試みをしたあげく、「落葉」(1909年)、「黒き猫」(1910年)で、ようやく境地に到達した直後の1911年に36歳の若さで病没してしまい、画業を充実・大成できなかったことが、よくわかる。
その点、同門の横山大観が89歳まで生きて画業を大成したとの大きな違い。

お目当ての猫のたち。
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黒猫、白猫、白黒猫ばかりで、私が好きな白茶猫や三毛猫がいない。
春草のイメージになかったのか、それとも茶色の顔料を使いたくなかったのか?

それにしても、家猫さんが文化祭の代休なので、平日の午後に来たのに、この混みようはなんなのだ?
もう日本の人口の半分くらいは、毎日が休日の人なのかもしれない。

展望室で一休み。
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↑ 竹橋・大手町方面。
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↑ 北桔橋門(きたはねばしもん)方面。

せっかくなので平常展示もざっと見る。
織田一磨(おだ かずま、1882~1956年)『画集新宿風景』(6点連作)のうちの「新宿カフェー街」(1930年)という作品に注目。
織田一磨『画集新宿風景』新宿カフェー街(1930年)  (2).jpg
これは資料として使えるかも。
この時期の新宿のカフェー街は「三越裏」か「東海通り」(現:末広通り)のどちらか。
店名が正確に描かれていれば、どちらか調べればわかるかも。

15時、退館。
内堀通り沿いに歩いて、九段下に出る。
3・11の大震災で、天井が崩落して死者を出した「九段会館」(旧・軍人会館)。
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昭和9年(1934)の竣工で、「二・二六事件」(1936)では戒厳司令部が置かれた歴史的建造物だが、解体が決定まった。
東京からまた「昭和」が消えていく。
九段下界隈、喫茶店がどこも満席で、しかたなく地下鉄に乗って帰路へ。
自宅最寄り駅前の「ドトール」でやっと休憩。
「東急ストア」で買い物をして帰る。
17時、帰宅。

キャンディ・ミルキィ師、バイクを手放す [現代の性(性別越境・性別移行)]

10月28日(火)
尊敬するキャンディ・ミルキィ師が、長年親しんだ愛車を手放されたそうな・・・。
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もう20年近く前、あと10mほどで「仕事部屋」に着くところで、マンションのエントランスから、真っ赤な赤いフリフリのドレス姿でランドセルを背負った人物が出てきて、止めてあったバイクに跨ると、エンジンをかけるのが見えた。
あっ、キャンディさんだ、『ひまわり』(キャンディさんが編集・発行していた女装雑誌)を配達しに来てくれたんだ、と気づいたが、一瞬、呆然とした分、タイミングを逃してしまい、「キャンディさ~ん!」と声を掛けたが、エンジン音に紛れてしまったのか、発進してしまった。
走り去る赤いランドセルの後姿に、ただただ合掌する私だった。

そうか、あの雄姿は、もう見られなくなるのか・・・。

でもまあ、事故を起こす前にバイクからリタイアするのは賢明な選択かもしれない。

10月28日(火)都留文科大学「ジェンダー研究1」第5講「『性』の多層構造論 ―『性』を模式図で考えてみる―」 [お仕事(講義・講演)]

10月28日(火)   晴れ   大月  19.8度 
5時15分、起床。
4時間くらい眠ったはずだが、眠りが浅く、あきらかに昨日の疲労残りで、身体が辛い。
朝食は、カツサンドとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結んで、シュシュを巻く。
昨夜、結い上げた髪を崩した後、髪を洗う時間がなかったので、髪が膨らんでしまい、少し手こずる。
6時、化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ。
7時過ぎ、家を出る。

新丸子駅から東急東横線各駅停車に乗り、自由が丘駅で急行に乗り換え。
そのまま東京メトロ副都心線に入って新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩いてJR新宿駅東南口に出る。
8時10分、新宿駅に到着。
新宿駅南口の駅弁屋で昼食用のお弁当を買い、8時30分発の「あずさ7号」に乗車。
車中、コメント票を読む。
今日は冬型の気圧配置になり、ほぼ快晴。
木枯らしで塵が飛ばされ、空の透明度が上がったので、今シーズンでいちばんの富士見日和に。
まずJR中央線多摩川鉄橋(立川~日野駅間)で撮影。
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9時38分、大月駅に到着。
9時46分発の富士急行「フジサン特急3号」(2000形)に乗り継ぐ。
車掌は今週も顔なじみのTさん。
Tさんが車掌だと、富士山が見えるタイミングを車内放送で知らせてくれる。
私は、今から4年前、都留大の初年度に、Tさんのガイドで富士山を撮影するタイミングを覚えた。
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↑ 富士急行線田野倉駅の直前。
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↑ 富士急行線田野倉~禾生駅間。今日のベストショット。
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↑ 禾生~赤坂駅間では、左側の車窓から見える場所がある。
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↑ 禾生~赤坂駅間。電車も進行方向に富士山が位置するので撮影が難しい。

10時4分、都留文科大学駅に到着。
歩いて7分ほどの大学へ。
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↑ 今週末は「桂川祭」、もうそんな時期か・・・。
レジュメは220部印刷。

10時50分、講義開始。
まず、コメント票の質問に答える。
続いて、大量に残っている第4講「『性』の4要素論 ―『性』を要素分解してみる―」の説明。

1 身体の性(生物学的性) セックス(Sex)
 (1) 身体の性の要素
  a 遺伝子の性
  b 染色体の性
------------------(ここから)------------------------
  c 性腺の性 
  d ホルモンの性
  e 内性器の性
  f 外性器の性
  g 脳の性
  h 身体外形の性 
 (2) 「イブ原理」-性分化の仕組み-
 (3) 性分化疾患(DSD)/インターセックス(IS)
2 心の性(性自認)ジェンダー・アイデンティティ(Gender Identity)
3 社会的性(性役割/性別表現) ジェンダー・ロール/ジェンダー・パターン(Gender Role/Gender Pattern)
4 対象の性(性的指向) セクシュアル・オリエンテーショ(Sexual Orientation)

残り20分で、第5講「『性』の多層構造論 ―『性』を模式図で考えてみる―」に入る。

1 「性」の4要素を組み合わせると・・・。
 (1) 16パターンの「性」
 (2) 「性」の多様性
2 「性」を多層構造で考える
 (1) 多数派の男性/女性
 (2) 同性愛の男性/女性
----------------(ここまで)-----------------
 (3) トランスジェンダー(TG)
3 トランスジェンダーをめぐる諸問題
 (1) 性別違和感(Gender Dysphoria=GD)とは?
 (2) 性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)とは?
 (3) トランスジェンダーの性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)

頑張って、遅れをかなり挽回。
でもまだ、半コマ分、遅れている。
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↑ 今日の昼食。新宿駅で買った「黒毛和牛 牛すき弁当」(1100円:新宿駅など:NRE)。
なかなかおいしい。私的には合格。
欲を言えば、もうちょっとお肉が多ければいいな。
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↑ 昼休み、ほとんど快晴。
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↑ 定点観測の銀杏の木がかなり色づいてきた

14時40分、講義終了。
昨日の成蹊大学の講義&懇親会で、喉を使いすぎていて、2コマ目は少し辛かった。
講師控室で残りレジュメの整理。
15時15分、辞去。
15時28分の上り電車に乗車。
大月駅に15時49分に到着。
乗換の16時03分発の「かいじ118号」、約4分の遅れ。
先行の「あずさ」が鹿と衝突したとか・・・。
車中、ずっと居眠り
立川駅に16時46分に到着(7分延着)、JR南武線に乗り換え。
1本やり過ごして17時04分発の電車で座っていく。
17時49分、武蔵小杉駅に到着。
ああ、疲れた・・・。
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東急東横線で自宅最寄り駅に移動。
駅前の回転寿司で、パートナーと息子と待ち合わせ。
疲れていて、あまり食欲なし(6皿)。
19時過ぎ、帰宅。
ボロボロに疲れていたが、1時間ほど明日の講義の準備。
お風呂に入って温まる。
就寝、23時。

武蔵野地域自由大学 「昭和のサブカルチャー研究」(第3回)「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」 [お仕事(講義・講演)]

武蔵野地域自由大学 「昭和のサブカルチャー研究」(第3回)
2014年10月27日(成蹊大学)
昭和女装者列伝
―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―
 講師:三橋順子(都留文科大学非常勤講師・性社会文化史研究者)

1 基礎知識として
(1)「女装」とは?
  ① 女性の服飾(いでたち)。
  ② 男性が(女のようにみえることを目的に)女性の服飾を身にまとうこと。
(2)「女装者」とは?
  定常的に女装行為をする男性。 
  パートタイム(行ったり来たり)とフルタイム(ぼぼ行ったっきり)
(3)トランスジェンダー(Transgender)とは?
  Gender(社会的・文化的性)を越境すること。性別越境。
(4)なぜ女装するのか? -女装者のタイプー
  ① フェティシズム型 
   女性の衣服(あるいはその一部)や化粧に執着や性的な快感があり、それを身につけたいために女装する。
  ② ナルシズム(自己愛)型 
   自分の女装した姿に愛着や性的興奮を感じ、それを実体化したいために女装する。
  ③ 女装ゲイ型
   男性に対して強い性的指向があり、男性の視線を集め、性的関係を結ぶことを容易にするための手段として女装する。
  ④ 性別違和感型 
   男性としての自分の性別に違和感を抱き、限定的・時限的ではあっても、女性としての自分を実体化し社会的関係を構築したいために女装する。

2 歴史の中に女装者たちの足跡をたどる
(1)前近代の女装者たち
  ① 日本は「建国神話」に女装者がいる国
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↑ 女装姿で熊襲タケル弟を殺害するヤマトタケル
 兄の方は寝室ですでに殺害、だから剣はすでに血にまみれている。
  (三重県鈴鹿市加佐登神社の絵馬 1903年)

  ② 中世寺院社会の稚児
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↑ 女院の行幸を見物する女装の稚児。
小袿に「藺げげ」(履物)という当時の若い女性とかわらない姿で、師匠である高僧(後ろで数珠を持っている人)に仕えた。
並んでいる同世代の少年たちとは、まったくジェンダーが違うことがわかる。
 (『石山寺縁起絵巻』 鎌倉時代)

  ③ 鈴木春信「江戸三美人」図
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↑ 評判の美人町娘、笠森お仙(右)と柳屋お藤(左)を従えて中央(センター)に立つ瀬川菊之丞(二世)
生得的な女性2人と当代きっての女形の三美人図という構成に注目。

  ④ 陰間茶屋の繁盛
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↑ 鈴木春信「色子の送り」
この2人が「同じ性別である」と認識するのは無理があると思いませんか?
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↑ 北尾重政『絵本・吾妻抉』(1786年)
どれが陰間かすぐにわかりますか?
二階座敷で待っている客はどんな人?

(2)近代の女装者たち
  ① 「文明開化」の転換 ―抑圧の始まり―
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↑ 向島の花見で女装して三味線を弾く男。
明治5年(1872)までは、女装してもお咎めはなかった。
(『東京名所三十六戯撰』1872年)
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↑ ところが、明治6年(1873)に「違式詿違条例」が制定されると・・・、
女装・男装は法的に禁止され、女装で生活していたというだけで逮捕されてしまうようになった。
(『大阪錦絵新話』5号 1873~75年)

  ② アンダーグラウンド化 ―虞犯者として―
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↑ 『読売新聞』明治44年(1911)3月4日朝刊
「荒木繁子」こと荒木繁夫の上京・潜伏を伝える。
「彼女」は何もしていないのに・・・。
女装・男装が違法でなくなってからも、警察は女装者を虞犯者(犯罪を行う虞れのある者)扱いし続ける。

(3)昭和戦前期の女装者たち
  ① 女装男娼 ―抑圧の中を生き抜く―
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↑ 流山龍之助『エログロ男娼日記』(1931年・即日発禁)は、浅草の女装男娼「愛子」(22歳)を主人公にした実録小説。
女装男娼の日常を描いてリアリティが高く、おそらくモデルがいたと思われる。
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↑ 女装男娼、三輪弓子(1936年)。当時、流行のショールを羽織っている。        
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↑ 1937年、銀座で「密売淫」の現行犯で逮捕された福島ゆみ子(24歳)。
築地署で取り調べ中に男性であることが判明して罪状が消失(戦前も戦後も売春禁止法規は女性だけが対象)。
だから、「男なんて甘いわ」とつぶやきながら、余裕の表情で新聞社の撮影に応じている。

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↑ 女装男娼の集合写真
いずれも1935年(昭和10)前後の撮影と推定。
これだけの人数の女装男娼がいて、かつ集まって記念写真を撮っていることから、横のつながりができていたことがわかる。

  ② 女装芸者 ―温泉地の人気者―
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↑ 塩原温泉(栃木県)・おいらん清ちゃん(1936年頃)
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↑ 鬼怒川温泉(栃木県)・きぬ栄(1959年頃)
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↑ 伊東温泉(静岡県)・チャコ(1960年代)
戦前、戦後の各地の温泉地にいた女装芸者は、女装者の職業の「女性コピー」的性格を示すとともに、営業が成立する(どころか、並の女性芸者より人気があった)だけの需要があったという点でも興味深い。

 ◎ 「最後の」女装芸者 向島・真佐緒姐さん と後継者
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↑ 向島・真佐緒姐さん(1986年12月)
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↑ 向島・真佐緒姐さんと(2001年10月)  
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↑ 大井・まつ乃屋栄太朗(現在)。
真佐緒姐さんが亡くなって、女装芸者は絶えたと思われたが・・・、最後の大井芸者だったお母さんの跡を息子さんが継いだ。

  ③ 新派の女形 ―婦人雑誌の表紙にも―
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↑ 曾我廼家桃蝶・和装の娘。
新派の曾我廼家五郎劇団の立女形として活躍し、婦人雑誌の評しモデルにもなった。
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↑ 曾我廼家桃蝶・洋装のモダンガール
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↑ 曾我廼家桃蝶『芸に生き、愛に生き』(1966年)
引退に当たって出版した自叙伝で「女性的性格で男性しか愛せない」ことを告白。
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※ 戦後トランスジェンダー史の概念整理 ―プロとアマ、女装と女体化― 
 A 女装を生業とする   プロフェッショナル女装(商業女装)   
                  ゲイボーイ → ニューハーフ
 B 女装を生業としない  アマチュア女装(趣味女装)  
                  女装者 → 「男の娘」
 a 女を装う          (女装) 女装者 → 「男の娘」
 b 身体を女性化する(女体化) 性転換者 → 「性同一性障害」の人たち
  Aa、Ab、Ba、Bbの4類型化できる。 
    → Baが最もサブカルチャー的なので、今回はBaを中心に述べる。
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(4)昭和戦後混乱期(1945~1954)の女装者たち  
  ① 上野の男娼 ―廃墟の中のフロントランナーー―
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↑ 上野駅に立つ女装男娼。
美貌の人は街灯の下に立ち、そうでない人は暗がりに立った。
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↑  「人形のお時」姐さん。
上野(ノガミ)の男娼きっての美形と言われた。
埼玉県秩父郡小鹿野町の出身で私の同郷の先輩。

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↑ 角達也著『男娼の森』(1949年4月)。
ノガミの男娼世界をリアルに描いてベストセラーになった。
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↑ 上野公園 警視総監殴打事件 (1948年11月22日夜)を報じる「毎日新聞』。
この事件で「ノガミの男娼」世界は解体に追い込まれる。
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↑ 田中栄一警視総監を「殴った」(複数いる)女装男娼の代表格「鉄拳のお清」姐さん。
「鉄拳の」という二つ名に似合わないニャンコを抱いた穏やかな晩年。

  ② 進駐軍慰問団の女装ダンサー
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↑ ジュリー・アリンダ。自称、日系アルゼンチン三世 
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↑ (左)村上文子 (右)メアリー園川
進駐軍関係の女装文化は、資料的に「ブラックボックス」で、わからないことが多い。

  ③ 「性転換女性」の登場
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↑ 1951年に男性から女性への性転換手術を受けた永井明子。
造膣手術の執刀は石川正臣日本医科大学教授。
性転換手術としては、世界で1、2の早さで、埼玉医大(1998年FtM、1999年MtF)より47年も早い。
日本の形成外科のレベルの高さを示すもの。
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↑ 戸籍の性別も女性に転換している(明→明子、参男→次女)。
「GID特例法」(2003年)で初めて戸籍の性別変更ができるようになった、というのは大嘘。

(5)昭和30~40年代(1955~1974)の女装者たち
  ① 「演劇研究会」―最初のアマチュア(趣味)女装「秘密結社」―
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↑ 『演劇評論』23・24合併号(1957年11月)
演劇研究を隠れ蓑にした女装趣味のサークルだった。
機関誌『演劇評論』の中身も「女装告白記」ばかり。
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↑  『演劇評論』21号の口絵「女装十二態・夏化粧」
この頃の女装は、着物、和化粧、日本髪が主流。

  ② ゲイバーの「女将」たち
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↑ 湯島天神男坂下「湯島」の市蝶(1950年代後半)。
曾我廼家一座の女形出身で、戦後は上野で男娼をしていた。   
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↑ 新宿千鳥街「ポケット」のしげみ(1960年代前半)  
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↑ 青山「音羽」の文哉(1960年代前半) 
歌舞伎女形系の和装ゲイバーだったが、東京五輪前の浄化運動で廃業。

  ③ 「ブルー・ボーイ」来日 ―「黒船」の衝撃―
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1964年11月第2回公演パンフレット(ゴールデン赤坂)。
モデルはバンビ。 
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↑ 1965年11月第3回公演のメンバー。。
後列左よりクリスチーヌ、ココ、キスミー、前列左よりレディ・コブラ、ソニーテール。
帰国の際、英国海外航空(BOAC)のB707が富士山上空で乱気流のため空中分解墜落する事故で、メンバー全員が犠牲に・・・。  
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↑ 1965年第3回公演のソニーテールの舞台。

  ④ 「和製ブルー・ボーイ」の活躍
「ブルーボーイ」の来日公演は、日本のトランスジェンダー・カルチャーにとって「黒船」だった。
これをきっかけに、日本でもトランスジェンダー・ショービジネスが活性化し、さらにショーのスタイルも和風(日本舞踊と芝居)から洋風(歌とダンス)へ転換していく。
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↑ 吉本一二三(右)と高橋京子(1961年) 
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↑ 銀座ローズ(武藤真理子)(1963年) 
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↑ カルーセル麻紀(1968年)   
                   
  ⑤ 「富貴クラブ」―アマチュア女装「秘密結社」の成長―
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↑ 東京オリンピックに間に合わせて新装なった新宿駅ビル(東口)前で(1964年6月)
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↑ 「会員の部屋」で(1968年?)
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↑ 奥多摩ドライブ旅行(1973年秋)
後姿の男性が西塔哲会長。

 ◎ 「富貴クラブ」のアルバムから
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↑ 成人式の記念写真(1968年)
撮影場所は、鎌倉の写真館。
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↑ お花を生ける(1972年頃)        
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↑ 「中野部屋」のベランダでバーベキューを楽しむ夢野すみれさん(1973~74年頃)
       
  ⑥ 新宿女装世界の揺籃 ―花園五番街「ふき(梢)」―
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↑ 最初のアマチュア女装バー「梢」(1967年「ふき」の名で開店)
着物姿の人は、梢ママの友人の美島弥生さん。   
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↑ 加茂こずゑママ(1969年)
読売新聞の社員だったが、密告され退社。      
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↑ 女装者と男性の結婚式(1967年:花嫁は美島弥生さん)
最近、同性同士の結婚式が話題になったが、少なくとも50年前にすでにあった。

◎ 松葉ゆかりさん 新宿の青春
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↑ ゴールデン街裏の都電廃線跡で(1971年3月) 
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↑ 新宿中央公園で(1973年5月)
まだ、背景の超高層ビルがまばら。
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↑ 念願かなって日本髪・大振袖でお年始まわり(1975年正月)

(6)昭和50~60年代(1975~1988)の女装者たち
  ① 商業女装クラブの「エリザベス」出現 ―女装の大衆化―
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↑ 最初期の広告(1979年) 
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↑ 最初期の入場券(1979年)。
スタートは神田須田町の3階建てのビルだった。
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↑ 1984年の広告 右上の「趣味とストレス解消の店」に注目。
モーレツ・サラリーマンのストレス解消としての女装趣味というコンセプトを打ち出した。

 ◎ 「エリザベス会館」の日常(1990年代前半)
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↑ 撮影        
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↑ イベント(パジャマ・パーティー)          
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↑ たまに集団外出(上野公園でお花見)   

  ② 女装専門雑誌『くいーん』刊行 ―女装の全国普及―
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↑ 創刊号(1980年6月)。モデルではなく、トランプの「くいーん」だった。        
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↑ 44号(1987年10月)の表紙(秋野友子さん) 
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↑ 49号(1988年8月)の裏表紙(相沢一子さん)

  ③ 「競技女装」の世界 ―女装者のミスコン―
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↑ 応募写真を撮影する       
第8回全日本女装写真コンテスト(1991年) (2).jpg
↑ 『くいーん』誌上に写真が並ぶ → 読者投票。
1冊に1枚の応募はがきなので、パトロンに頼んで大量購入・投票する人もいた。

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↑ そして、授賞式(第10回 全日本女装写真コンテスト 授賞式:1993年8月)

(7)平成時代(1989~)の女装者たち
  ① 新宿女装コミュニティの全盛―「電脳女装世界」と連携―(1990年代)
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↑ 伝統的なホステスクラブ的な接客スタイル(歌舞伎町「ジュネ」)
普通はこういう写真は撮れない。懇意な男性客にとくにお願いして撮影。          
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↑ 「Club Fake Laby」の新年オフ会 (新宿3丁目「梨紗」)
          
  ② 世の中に出ていく女装者(1990年代後半)
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↑ 浅草寺ほうずき市(1994年)。岡野香菜さんと。  
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↑ 隅田川屋形舟ツアー(1997年) 
セクソロジーの権威、ミルトン・ダイアモンド博士(ハワイ大学教授)を囲んで。 
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↑ 那須温泉旅行(1997年)

  ③ トランスジェンダーの社会進出(2000年~) 
2000年 藤野千夜、「夏の約束」で第122回芥川賞を受賞
2000年 大学教員へ任用(蔦森樹ー琉球大学、三橋順子ー中央大学)
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2003年 上川あや、世田谷区議会議員に当選
2007年 中村中(あたる)、「友達の詩」がヒット、NHK紅白歌合戦に出場(紅組)
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2008年 はるな愛、大ブレイク
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2009年 はるな愛、 『ミス・インターナショナル・クイーン』(タイ)でグランプリ
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  ④ 「男の娘(おとこのこ)」の出現(2008年~)
従来、「男性と女装者」だった関係性が、「女性と女装者」という関係性に変化していくことに注目。
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↑ 女装メイドカフェ(秋葉原:2009年)    
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↑ 銀座を歩く「男の娘」(2010年) 井上魅夜さんといがらし奈波さん    
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↑ 女友達の結婚パーティで(2011年) 吉野さやかさん
                    
  ⑤ 「東京化粧男子宣言!」(2010年~)
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↑ 第1回「東京化粧男子宣言!」(2010年)
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↑ 決勝進出の8組。
コンテストは、モデルの男性とコーディネートの女性の2人組が対象。
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↑ グランプリ受賞のルルさん
 
  ⑥ 「女装・ニューハーフ プロパガンダ」
毎月最終土曜日、新宿歌舞伎町で開催される女装イベント。
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↑ 初代主催者のモカさん 
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↑ 参加者。
美人な上にスタイル抜群、お願いして撮影。 
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↑ Dr. Sam Winter(香港大学教授)と井上魅夜さん

3 トランスジェンダー・カルチャーとはなにか
(1)日本人は「女装が好き」?
 事例1 はとバス 夜の東京観光、一番人気は?
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ニューハーフショーを組み込んだコースが長年一番人気。

 事例2 女装バレエ団の日本公演は大人気
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もう30年、6~8月に全国を公演。
女装バレエ団にとって日本は最高においしい市場。

 事例3 女装を伴う祭礼は各地にある
奈良県明日香村 飛鳥坐神社の「お田植祭(おんだ祭)」(2月第1日曜)
東京都江戸川区東葛西 真蔵院の「雷の大般若」(2月第4日曜)
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↑ 神奈川県川崎市川崎区 若宮八幡(金山神社)の「かなまら祭り」(4月第1日曜)
山梨県甲斐市竜王 三社神社の「おみゆきさん」(4月15日)
神奈川県横浜市戸塚区の八坂神社の「お札撒き」(7月14日)
 他多数
 
  ①女装の人が撒くお札は効き目がある?
   神奈川県横浜市戸塚区の八坂神社の「お札撒き」(7月14日)
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  ②女装の人が踏み固めると堤防が丈夫になる?
   山梨県甲斐市竜王 三社神社の「おみゆきさん」(4月15日)
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(2)双性原理とはなにか?
  ・ 「男でもあり、女でもある」双性的特性(Double gender)を持つ人は、通常の人間ではない(異人)から、通常の人間とは異なる能力(異能)をもち、神により近い存在として聖視されるという考え方。
    → 「男でもなく、女でもなく」では「異能」は生じない
  ・ 通常の人が女装、男装することは、双性的な存在となり神性を帯びるための手段。
    → 「女装=女になる」「男装=男になる」ではない
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(3)トランスジェンダーの普遍性
  ・日本を含むアジア&パシフィックにおいては、地域的・時代的にトランスジェンダーは普遍的存在 
    → いつでも、どこにでもいた
    → 欧米社会ではキリスト教化の過程で抹殺
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↑ トランスジェンダーは、アジア&パシフィックの普遍的な文化。
「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」(2014年2月)に、インド、ネパール、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、トンガ、香港、中国、日本のトランスジェンダーが集った。

(4)トランスジェンダーの職能
  ・前近代の社会では、トランスジェンダーは、特定の社会的職能をもって存在
  ①宗教的職能(シャーマン)
  ②芸能的職能
  ③飲食接客的職能
  ④性的サービス的職能(セックス・ワーク)
  ⑤男女の仲介者的機能(女性の相談役)
    → ①をベースにして②③④⑤が派生
    → ②③④は、前近代においては三身一体で不分離
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↑ 両性具有神シヴァの祭礼の日、神の化身として人々に祝福を授けるヒジュラ(インド)。

(5)日本のトランスジェンダー・カルチャーの特質
  ・欧米キリスト教世界には、トランスジェンダー文化の伝統がない。
  ・アジア&パシフィックの多くの国では、トランスジェンダーは生業と密着している。
  ・生業と離れた「趣味」の形でトランスジェダー文化が発達したのが高度経済成長期以降の日本の特徴。
  ・だから、現代日本のトランスジェンダー文化は、日本の特色的なサブカルチャーとして、世界的に注目されている。
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↑  『TRAP-男の娘の罠-』(2011年)
  ・日本で、トランスジェンダーに対する蔑視・抑圧が強まるのは、欧米キリスト教世界の社会規範・学問が入ってきた明治の文明開化期以降。
  ・それでも、日本人の伝統的なトランスジェンダーへの親和性(女装・男装好き)、トランスジェンダー芸能への嗜好は消えなかった。
    → 欧米で一流企業のテレビCMにトランスジェンダーが起用されることは極めて稀
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↑ スズキ「キャリイ」のCMで菅原文太と共演したトランスジェンダー・タレントのはるな愛(2013年)

まとめ
  ・トランスジェンダー・カルチャーは日本の文化伝統に根差し、日本人の嗜好に支えられた文化である。
    → だから根強い  何度もブームが反復される  これからも・・・

女装を抜きに日本文化は語れない!
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講師プロフィール 
三橋順子(みつはし じゅんこ) 1955年生、埼玉県秩父市生まれ。
性社会・文化史研究者。明治大学、都留文科大学、東京経済大学、群馬大学医学部、早稲田大学理工学院非常勤講師。
専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史、とりわけ性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史、及び、買売春(主に「赤線」)の歴史、着物文化論(銘仙の社会史)。
2000年4月、中央大学非常勤講師(現代社会研究)に任用され、日本最初のトランスジェンダーの大学教員となる。
2005年度にはお茶の水女子大学で専論講座としては日本初の「トランスジェンダー論」を講義。
現在、都留文科大学、明治大学、東京経済大学などで「ジェンダー論」の講義を担当。
著書に『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、共編著に『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部、2006年)。
主な論文に「往還するジェンダーと身体-トランスジェンダーの経験-」(講座・身体をめぐるレッスン第1巻『夢見る身体Fantasy』岩波書店、2006年)、「異性装と身体意識 -女装と女体化の間-」(武田佐知子編『着衣する身体と女性の周縁化』思文閣出版、2012年)、「性と愛のはざま-近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う-」(『講座 日本の思想 第5巻 身と心』岩波書店、2013年)など。

成蹊大学へ [お仕事(講義・講演)]

10月27日(月)
(続き)
15時、学芸大学駅から東急東横線に乗り、東京メトロ副都心線に乗り入れて新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩いてJR新宿駅東南口に出て、中央線快速で吉祥寺駅へ。
北口バス乗り場から成蹊学園行きのバスに乗る。
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↑ 並木道を正門に向かって自転車で走っていく白髪の男性、もしかして受講生?
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↑ 1924年竣工の成蹊大学本館。
ここが会場ではなく・・・。
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↑ 4号館ホールが会場。
16時、到着。
準備担当の学生さんたちに「お世話になります」と挨拶して、設営とパワーポイントのチェック。
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↑ 登録は武蔵野市民の方と成蹊大学の学生さんが半々のはずなのに、会場は圧倒的に市民の方、とくに高齢の男性が目立つ。
はっきり言って、向学心がまったく違う。
大学教員の端くれとしては、困ったものだと思うが、これが日本の中堅大学の現実。
16時30分、準備完了。
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↑ 16時40分、「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」の始まり、始まり~ぃ。

10月27日(月)いざ、出陣! [日常(髪・爪・肌・ファッション)]

10月27日(月)   曇りのち晴れ   23.0度   湿度69%(15時) 
10時、起床。
今日は、6日の予定が台風18号の関東直撃で流れた、「武蔵野地域自由大学:昭和のサブカルチャー研究」(成蹊大学・吉祥寺キャンパス))第3回「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」の仕切り直し。

12時、着物の着付け。
今日は気温が上がりそうなので、悩んだ末に袷はやめて単衣を着る。
黒地に深緑の大矢絣の伊勢崎銘仙(単)。
草色に丸に方喰の柄の半襟をつけたくすんだ水色の長襦袢(単)。
帯は少し華やかに赤の地に銀で蔓薔薇を刺繍したアンティーク帯を角出に結ぶ。
帯揚は辛子色(ゑり正)、帯絞は草色(福福堂)。
柾目を浮き出した台に濃紺の麻の葉柄の鼻緒をすげた右近下駄(伊香保神社前・吉堅屋)。
焦げ茶色の手提げバッグ。

12時50分、家を出て、東急東横線で学芸大学駅に移動。
13時半、目黒区鷹番の行きつけの美容院「ヘア・アン・ローズ」で髪をセットしてもらう。
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伊勢で買ってきた紫の伊勢組紐のバレッタを初使用。
14時40分、出来上がり。
さあ、気合を入れて、いざ出陣!
(続く)

10月26日(日)論文脱稿 [お仕事(執筆)]

10月26日(日)   晴れのち曇り 夜になって雨   東京  23.9度  湿度68%(15時)
10時、起床。
朝食は、ショコラロールとコーヒー。
今日も「お籠」して、論文執筆。
途中、遅い昼食。
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「いわちく」の銀河離宮まかないカレー(ポーク)。

18時、やっと脱稿。
16000字制限のところを15000字で収めた。

日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響
はじめに
1 レズビアン隠蔽の前史
2 「富美子・エリ子事件」 ―「同性心中」と女性同性愛の危険視―
3 「佐良直美事件」 ―芸能界におけるレズビアン追放―
4 『ラスト・フレンズ』問題 ―なぜレズビアンではいけないのか―
5 レズビアン関連書籍・研究の動向
6 レズビアン・ロールモデルの不在
7 なぜ日本はFtM(Female to Male)が多いのか?
おわりに

レズビアン隠蔽の歴史をトピック的にたどり、その影響としてのFtM問題(なぜ日本は世界標準より格段にFtMが多いのか?)を考えてみた。
「学生が読めるように」ということなので、かなりわかりやすく書いたつもり。
と言うか、私は頭が悪いから難しいことは書けないのだが・・・。

心配は、締め切りを1カ月近く過ぎていること。
本当は9月に執筆するつもりだったが、自分の編著の論文とコラムが9月末までかかってしまい、そちらは、さすがに編者として締切を守らないわけにはいかず、結局、約1カ月ずれ込んでしまった。

まだ督促メールはないのだが、「もう締め切ってます」と言われたらどうしよう・・・。
まあ、その時は、どこかの大学の「紀要」にでも、お願いしよう。

夕食は、都留大の帰りに大月駅のホーム売店で買ってきた、ほうとうを作る。
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ああ、おいしかった。
でも、なんでこんなに汗が出る?

食後、1時間ほど眠る。
起き出して、論文原稿を送信。
明日のゲスト講義(成蹊大学武蔵野市寄附講座)、明後日の都留文科大学の講義の準備。
NHKの韓国ファンタジー時代劇「太陽を抱く月」(第16話「真実に落ちる涙」)を見る。
いよいよ、王様が巫女「ウォル」が8年前に死んだはずの世子嬪「ホ・ヨヌ」と同一人であることを知る。


10月25日(土)一日中、論文執筆 [お仕事(執筆)]

10月25日(土)   晴れ   東京  22.7度   湿度67%(15時)
8時、起床。
朝食は、マロンデニッシュとコーヒー。
右腕の状態、痛みが和らぎかなり改善。

午前中、ブログに「日記」を書く。
メールのお返事を書く。
昼食は、残りご飯をサーモンマリネサラダ(自家製)で。
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午後から夜中まで、論文「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」を書き継ぐ。
5節「レズビアン関連書籍・研究の動向」、6節「レズビアン・ロールモデルの不在、7節「なぜ日本はFtM(Female to Male)が多いのか?」を一気に書く。
これこまで約12000字ほど。
残りは3節「佐良直美事件―芸能界におけるレズビアン追放―」だけ。
字数制限16000字に収まりそう。
ああ、疲れた。
でも、なんとか出口が見えてきた。

夕食は、鯖の西京漬を焼く。
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よく漬かっていて美味。
ぶりのお刺身。
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鶏の唐揚げ。
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お風呂に入って温まる。
就寝3時。

富山の薬「阿鼻丸(あびがん)」が効くらしい [事件・事故]

10月24日(金)

毎年、冬になる前にやってくる富山の置き薬屋さんが、今年もやってきた。
常備薬を補充した後、
「念のため阿鼻丸(あびがん)も置いておきますね」
と言って帰っていった。
これで穢保羅が来ても安心だ。
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富山化学工業(富士フィルムホールディングスの傘下)が開発した抗ウィルス薬「アビガン錠」(ファビピラビル)、がエボラ出血熱にかなり効くようだ。
感染初期に投与すれば、凶悪なエボラ・ウィルスの増殖を抑えて症状が改善し、かなり救命率が高まる。
抗インフルエンザ・ウィルス用に開発したものだが、ウイルスの細胞内での遺伝子複製を防ぐことで増殖を防ぐ仕組みなので、ウィルスのタイプが同じならば同様の効果が見込める。
(インフルエンザもエボラも同じRNAウイルス)
ただし、催奇形性が確認されているため、妊婦及び妊娠の可能性のある女性への投与はできない。

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エボラ国内で発生の場合、未承認薬の使用を容認

政府は24日の閣議で、西アフリカで感染が拡大しているエボラ出血熱に関し、国内で患者が発生した場合、「未承認薬を医師の判断により緊急に使用することも考えられる」と明記した答弁書を決定した。

事実上、未承認薬の使用を容認したものだ。
新党大地の鈴木貴子衆院議員の質問主意書に答えた。

エボラ出血熱に対しては、富士フイルムのグループ会社「富山化学工業」が開発した抗インフルエンザ薬「アビガン」の効果が期待されている。フランスやドイツでは、緊急措置として未承認のアビガンを患者に投与し、効果があったとされる。

2014年10月24日 22時34分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20141024-OYT1T50139.html