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「ある転性女性の生活のプロフィール」―「銀座ローズ」写真集― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月19日(金)
10月6日の「武蔵野地域自由大学」(成蹊大学)での講義のパワーポイント資料を作るため、昨日、今日とかなりの量の画像資料を取り込む作業をしている。

ここに紹介するのはその副産物で、『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊号に掲載された「ある転性女性の生活のプロフィール」と題するグラビア特集。
新収集の資料ではないが、今回、より状態の良いグラビア写真からスキャンできた。
モデルは、当時、人気のダンサー「銀座ローズ」。

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【経歴】
銀座ローズこと武藤真理子は、1930年(昭和5)、北海道旭川市で寿司屋を営む武藤家の長男として生まれた(男性名:隆夫)。
子供の頃から女っぽく、小学生の時にはおかっぱ髪で黒のランドセルの上に赤いショルダーバッグを下げて通い、中学生の夏休みには女装して子役の踊り子として興行師とともに北海道中を巡業したという。

ダンサーとしての履歴は、1958年(昭和33)に大阪OSミュージックで本格的な舞台デビューをして「謎の舞姫」として話題になり、1962年年末には「ゴールデン赤坂」に出演、1963年1月には、ストリップの殿堂、日劇ミュージックホールの舞台を踏むという具合で、「ブルーボーイ」来日以前にすでに一定の地歩は築いていた。
この頃の週刊誌のグラビアには「謎の女性 素敵な女」(掲載誌不明、1962年頃)と題して彼女の艶姿が載っている。
日劇出演の年にはすでに33歳、遅咲きの華だった。

この間、1960年頃に睾丸摘出手術、1961年6月に戸籍名を隆夫から真理子に変更、1962年頃に大阪曾根崎の荻家整形外科病院で性転換手術(造膣手術)を受けている。
また、1961年に年下の男性と盛大な結婚式を挙げ、実質的な「結婚」生活(戸籍上は夫が彼女の弟として入籍)を営んでいた(「妻になった男-性転換して今は幸福な花嫁のマリちゃん-」『100万人のよる』1963年3月号)。

1963年末に「ブルーボーイ・ブーム」が沸き起こると、銀座と旭川に「銀座ローズ」という名のクラブを開店してママに納まっていた彼女を興行界は放っておかず、「和製ブルー・ボーイ」として再び舞台に立つことになる。
彼女の舞台は、幼い頃から鍛えた和洋両方の踊りに加えて、当時の人気歌手松尾和子ばりのハスキーボイスで歌もうまく、単なる見世物の域を越えた十分な芸能性を持っていた。
その女性的な美貌もあって人気を呼び、1964~66年頃の全盛期には、週刊誌のグラビア頁などで引っ張りだこの状態で、高度経済成長期の夜を妖しく彩った名花だった。

しかし、「和製ブルー・ボーイ」の第一人者として人気を得た1965年にはすでに35歳、一回り(12歳)も若いカルーセル麻紀(1942年生)の台頭により、1967年頃にはブルーボーイ・ダンサーのトップの座をカルーセルに明け渡すことになった。

銀座ローズは、1967年にホストクラブ「ヘラクレス」を、88年には浅草でゲイバー「銀座ローズ」を開店し、ママとして店の経営に腕をふるう一方で、31年間連れ添った旦那さんとともに、娘さん(養女)を育てあげた。
20世紀の末頃、風の便りで、亡くなったと聞いた。

【参考文献】
三橋順子「性転換の社会史(1) -日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60年代を中心に-」 
(『中央大学社会科学研究所年報』8号、中央大学、2004年6月。矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』 中央大学出版部、2006年3月に収録)
三橋順子「(日本女装昔話・第17回)和製ブルーボーイ、銀座ローズ」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_17.htm

9月18日(木)パワーポイント資料作り [日常]

9月18日(木)  曇り  東京  25.9度  湿度40%(15時)
10時、起床。
朝食は、カスタード・デニッシュとコーヒー。
午前中、思うところあって、16年前に書いた「トランスジェンダーということ」を復刻してブログにアップ。

14時、気合を入れ直して10月6日の「武蔵野地域自由大学」(成蹊大学)の講義「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」 のパワーポイント資料を作る。
粗筋的なレジュメを作り、それをパワーポイントに移して、画像資料を貼っていく。
すでにパソコンに入っている画像も多いが、新たに必要な画像や、解像度的に取り直す必要がある画像もかなりある。
今日は、ともかく大枠を作り、既存の画像資料と新しく入れる画像資料を見極めることを優先する。

夕食を挟んで約8時間ほど集中作業。
なんとか枠組みは作れた。

夕食は、支度の時間が取れなかったので、銀河離宮のまかないカレー・ポーク(イワチク)。
140918.JPG
↑ 鶏から揚げと生野菜をトッピング。

大田区大森の猫殺しの犯人逮捕。
プログラマーの33歳の男性。
職務質問されたときも、自転車の籠に猫4匹の死体が入っていた。
いったい何匹殺したのだろう?
50匹は確実で、おそらく100匹近いのではないか?
猫好きの知人が「1匹につき懲役1年」と主張していたが、感情的には私も同感。
でも、動物愛護法違反(愛護動物の殺傷)の最高量刑はたった懲役2年なのだ。

夜中、お風呂に入って、髪を洗う。
髪が乾く間、「日記」を書く。
ああ、疲れた。右腕が痛い・・・。
就寝、5時。