歌手の大橋純子さんが逝去 [訃報・追悼]
11月12日(日)
歌手の大橋純子さんが逝去。73歳。
代表曲「シルエットロマンス」は,歌唱力が必要なので、店(歌舞伎町「ジュネ」)でも、歌上手の人が歌っていた。
病歴をみると、癌体質だったのかも。
早すぎる逝去。
ご冥福をお祈りします。
歌手の大橋純子さんが逝去。73歳。
代表曲「シルエットロマンス」は,歌唱力が必要なので、店(歌舞伎町「ジュネ」)でも、歌上手の人が歌っていた。
病歴をみると、癌体質だったのかも。
早すぎる逝去。
ご冥福をお祈りします。
オナン・スペルマーメイドさんの訃報 [訃報・追悼]
脳出血は怖い [訃報・追悼]
7月8日(土)
FB友達(女性)のパートナーさん(男性)がくも膜下出血で逝去(合掌)。
会社で倒れて、わずか9時間。
くも膜下出血など、脳出血の場合、部位によってはほぼ一発アウトになるので怖い。
たとえば、呼吸中枢がやられた場合など。
FB友達(女性)のパートナーさん(男性)がくも膜下出血で逝去(合掌)。
会社で倒れて、わずか9時間。
くも膜下出血など、脳出血の場合、部位によってはほぼ一発アウトになるので怖い。
たとえば、呼吸中枢がやられた場合など。
上岡龍太郎さんが逝去、81歳 [訃報・追悼]
6月2日(金)
元・タレント、司会業の上岡龍太郎さんが81歳で逝去。
1990年代前半、上岡龍太郎さんが、大阪キー局の特番で、ニューハーフ番組を数多く企画・司会して、「ナニワのニューハーフブーム」を演出したことを覚えている人はもう少ない。
番組の作り方は、現在の人権感覚からしたら問題があるが、トランスジェンダーの社会的認知を高めた恩人であることはまちがいない。
ありがとうございました(合掌)。
ちなみに、上岡さん企画のニューハーフ番組は、関西大学・トランスジェンダー関連デジタル映像アーカイブ(三橋コレクション)に5本ほど収録してある。
元・タレント、司会業の上岡龍太郎さんが81歳で逝去。
1990年代前半、上岡龍太郎さんが、大阪キー局の特番で、ニューハーフ番組を数多く企画・司会して、「ナニワのニューハーフブーム」を演出したことを覚えている人はもう少ない。
番組の作り方は、現在の人権感覚からしたら問題があるが、トランスジェンダーの社会的認知を高めた恩人であることはまちがいない。
ありがとうございました(合掌)。
ちなみに、上岡さん企画のニューハーフ番組は、関西大学・トランスジェンダー関連デジタル映像アーカイブ(三橋コレクション)に5本ほど収録してある。
ムツゴロウこと畑正憲さん、逝去 [訃報・追悼]
4月6日(木)
ムツゴロウこと畑正憲さんが、逝去。87歳。
大往生。
たくさんの動物たちが、虹の橋のもとで待っているだろう(大混雑)。
ムツゴロウさんの本は高校生の頃、たくさん読んだ。
私たちの世代の動物愛護精神に与えた影響は大きい。
ありがとおうございました(合掌)
ムツゴロウこと畑正憲さんが、逝去。87歳。
大往生。
たくさんの動物たちが、虹の橋のもとで待っているだろう(大混雑)。
ムツゴロウさんの本は高校生の頃、たくさん読んだ。
私たちの世代の動物愛護精神に与えた影響は大きい。
ありがとおうございました(合掌)
音楽家・坂本龍一さんが逝去 [訃報・追悼]
4月2日(日)
音楽家の坂本龍一さんが逝去。71歳(合掌)。
1月に亡くなった高橋幸宏さんに続き、わずか3カ月の間に「YMO」が1人(細野晴臣さんだけ)になってしまった。
やっぱり、私たちの世代の男性って、上の世代(団塊の世代)に比べて短命なのかもしれない。
子どものころ、悪いもの(発がん性物質を含む食品とか)をたくさん食べているから。
音楽家の坂本龍一さんが逝去。71歳(合掌)。
1月に亡くなった高橋幸宏さんに続き、わずか3カ月の間に「YMO」が1人(細野晴臣さんだけ)になってしまった。
やっぱり、私たちの世代の男性って、上の世代(団塊の世代)に比べて短命なのかもしれない。
子どものころ、悪いもの(発がん性物質を含む食品とか)をたくさん食べているから。
「だめ連」ぺぺ長谷川さん、逝去 [訃報・追悼]
2月16日(木)
1990年代「だめ連」で活動されたぺぺ長谷川さんが亡くなられたとのこと(合掌)。
1996年頃、仲良しの女性作家さんに誘われて(取材兼ボディ・ガード)、1度だけ「だめ連」の集会に行ったことがある。
集まった男性たちの黒くよどんだオーラに圧倒されたが、その時、ぺぺ長谷川さんとお話した記憶がある。
あの頃、彼も私も「もてない男性」の集団という存在が、今一つ、具体的にイメージできなかったが、「なるほど、これは・・・」と認識を改めた。
「非モテ」という概念化は00年代前半になされる。
今にして思うと、「だめ連」は、時代の先端を行っていたのだと思う。
ぺぺ長谷川さん、たしか私よりかなり(10歳くらい)年下ではないただろうか。
単身独居男性の寿命が短い典型のように思う。
1990年代「だめ連」で活動されたぺぺ長谷川さんが亡くなられたとのこと(合掌)。
1996年頃、仲良しの女性作家さんに誘われて(取材兼ボディ・ガード)、1度だけ「だめ連」の集会に行ったことがある。
集まった男性たちの黒くよどんだオーラに圧倒されたが、その時、ぺぺ長谷川さんとお話した記憶がある。
あの頃、彼も私も「もてない男性」の集団という存在が、今一つ、具体的にイメージできなかったが、「なるほど、これは・・・」と認識を改めた。
「非モテ」という概念化は00年代前半になされる。
今にして思うと、「だめ連」は、時代の先端を行っていたのだと思う。
ぺぺ長谷川さん、たしか私よりかなり(10歳くらい)年下ではないただろうか。
単身独居男性の寿命が短い典型のように思う。
「一水会」創設者・鈴木邦男さんの訃報 [訃報・追悼]
12月9日(金)山本蘭さんのお通夜 [訃報・追悼]
12月9日(金)
山本蘭さんのお通夜に行ってきた。
会場の「臨海斎場」(大井ふ頭)、思ったより遠かった。
祭壇の遺影、あまり見たことがない笑顔の写真で良かった。
「蘭さん、さようなら。またあっちでね」と、お別れしてきた(合掌)。
「仏式」と聞いていたが、日蓮正宗だった。
最初に導師(有髪)の唱導で「南無妙法蓮華経」を3回唱え、その後の読経は「妙法蓮華経」の方便品と寿量品。
祭壇に供花が全くない。樒(しきみ)だけ。
山本蘭さんのお通夜に行ってきた。
会場の「臨海斎場」(大井ふ頭)、思ったより遠かった。
祭壇の遺影、あまり見たことがない笑顔の写真で良かった。
「蘭さん、さようなら。またあっちでね」と、お別れしてきた(合掌)。
「仏式」と聞いていたが、日蓮正宗だった。
最初に導師(有髪)の唱導で「南無妙法蓮華経」を3回唱え、その後の読経は「妙法蓮華経」の方便品と寿量品。
祭壇に供花が全くない。樒(しきみ)だけ。
山本蘭さんとの思い出 [訃報・追悼]
11月30日(水)
2022年11月29日朝、長年の論敵であり、友人であった山本蘭さんが長い闘病の末に逝去された。
65歳。
心からお悔やみ申し上げます(合掌)。
山本蘭さんから「原科(孝雄)先生のお誕生祝の食事会をするので、いらっしゃいませんか?」というお誘いをいただいたのは、2008年の秋の初めのことだった。
2003年の「GID特例法」制定では、推進派と反対派の論敵。
その後も毎年春の「GID学会」で会うことはあっても、食事どころかいっしょにお茶を飲んだこともなかった。
「なんで私に?」と尋ねると、
「原科先生の功績をちゃんと知っているのは、三橋さんくらいなので」という返事。
そう言われると、断るわけにもいかない。
10月18日、五反田のレストランで、原科先生、蘭さんと会食した。
その席で蘭さんがまた思いがけないことを言った。
「今度、うち(gid.jp)のフォーラムで、講演をお願いします」
冗談だと思った。
しかし、蘭さんの口調はまじめ。
次にこれは罠かもしれないと思った。
ただ、ここで逃げたら士道が廃ると思い、「お引き受けします」と返事をした。
それは、翌年2009年4月18日の「gid.jp東京交流会」での講演「性別移行と社会 -GID当事者への提言-」という形で実現する。
私としては、冗談ではなく「刺されるかもしれない覚悟」で出かけたが、話し終えた後は、満場の拍手だった。
原科先生、蘭さんとの食事会は、その後、2009年10月24日(古希のお祝い)、2010年11月24日、2011年10月22日と続いた。
それとは別に、東日本大震災の直後、計画停電で薄暗い澁谷道玄坂のタイ料理屋で、レズビアン活動家のつっちーさんと蘭さんと3人で会食したことがあった。
たしか、つっちーさんが四国の山から東京に戻ってきたお祝いの会食で、やはり蘭さんか誘ってくれたのだが、状況的に鮮明に覚えている。
gid.jpでの講演は、その後、
2013年3月8日の「gid.jp沖縄フォーラム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
同年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
2015年8月30日の「第37回 gid.jp フォーラム IN 東京」での講演「徹底討論 どうなる? 性同一性障害 ー歴史的観点からー」
と計4回も呼んでいただいた。
世の中では、蘭さんと私のことを「犬猿の仲」「不倶戴天」と思っている人が多い。
たしかに立場が違い、真っ向から主張が異なることも多かった。
ただ、2008年、「GID特例法」の「子なし要件」の撤廃運動(結果は緩和)で、2003年の制定時「5年後、必ず迎えに来る」と約束した活動家たちが、誰も動かない中、ただ1人、奮闘する蘭さんを見て、その信義を守る姿勢に感服した。
私が、蘭さんからの誘いを断らなかった背景には、そうした理由がある。
蘭さんの病気のことは、あるの会合の時(たしか2017年5月)、もともと細い人がさらに瘦せていたので、心配になって「いくらなんでも痩せすぎなんじゃない」と声を掛けたら、羸痩(痩せすぎ)が特徴の肺の病気である可能性を打ち明けられた。
「私、煙草を吸わないのに、なんでこんな病気になってしまったのでしょうね」と嘆いていたのを思い出す。
その後、特発性上葉限局型肺線維症(PPFE:国指定の難病)診断が確定し、余命5~10年であることを知った。
「そのうち、良い薬ができるかもしれないから、頑張って」と励ましたが、なまじ医学知識があるだけに、状況が深刻であることはわかっていた。
2018年の「第20回GID学会」(御茶ノ水)では、すっかり体力が衰え、数段の階段を上るのも大変そうだった。
初日に来場したのが精一杯で2日目は欠席するとのことなので、別れ際に握手したのが最後になってしまった。
こうして、振り返ると、蘭さんにはお世話になりっぱなしで、お返しをする機会がないまま逝ってしまわれた。
もう少し待っていてください。
次は私がおごる番だから。
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2013年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」で、ツーショット。

2014年6月「第110回日本精神神経学会学術集会」(パシフィコ横浜)で。
右から3番目が蘭さん、右端が私。
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2015年8月30日「第37回 GID.JP フォーラム IN 東京」
左から、針間克己先生。東優子さん、私、蘭さん

2017年5月5日、トークライブ「性同一性障害?トランスジェンダー? 〜みんなで語ろう 過去・現在・未来〜」
前列左から2人目が蘭さん、3人目が私。
2022年11月29日朝、長年の論敵であり、友人であった山本蘭さんが長い闘病の末に逝去された。
65歳。
心からお悔やみ申し上げます(合掌)。
山本蘭さんから「原科(孝雄)先生のお誕生祝の食事会をするので、いらっしゃいませんか?」というお誘いをいただいたのは、2008年の秋の初めのことだった。
2003年の「GID特例法」制定では、推進派と反対派の論敵。
その後も毎年春の「GID学会」で会うことはあっても、食事どころかいっしょにお茶を飲んだこともなかった。
「なんで私に?」と尋ねると、
「原科先生の功績をちゃんと知っているのは、三橋さんくらいなので」という返事。
そう言われると、断るわけにもいかない。
10月18日、五反田のレストランで、原科先生、蘭さんと会食した。
その席で蘭さんがまた思いがけないことを言った。
「今度、うち(gid.jp)のフォーラムで、講演をお願いします」
冗談だと思った。
しかし、蘭さんの口調はまじめ。
次にこれは罠かもしれないと思った。
ただ、ここで逃げたら士道が廃ると思い、「お引き受けします」と返事をした。
それは、翌年2009年4月18日の「gid.jp東京交流会」での講演「性別移行と社会 -GID当事者への提言-」という形で実現する。
私としては、冗談ではなく「刺されるかもしれない覚悟」で出かけたが、話し終えた後は、満場の拍手だった。
原科先生、蘭さんとの食事会は、その後、2009年10月24日(古希のお祝い)、2010年11月24日、2011年10月22日と続いた。
それとは別に、東日本大震災の直後、計画停電で薄暗い澁谷道玄坂のタイ料理屋で、レズビアン活動家のつっちーさんと蘭さんと3人で会食したことがあった。
たしか、つっちーさんが四国の山から東京に戻ってきたお祝いの会食で、やはり蘭さんか誘ってくれたのだが、状況的に鮮明に覚えている。
gid.jpでの講演は、その後、
2013年3月8日の「gid.jp沖縄フォーラム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
同年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」での講演「性別越境と社会-その歴史を考える-」
2015年8月30日の「第37回 gid.jp フォーラム IN 東京」での講演「徹底討論 どうなる? 性同一性障害 ー歴史的観点からー」
と計4回も呼んでいただいた。
世の中では、蘭さんと私のことを「犬猿の仲」「不倶戴天」と思っている人が多い。
たしかに立場が違い、真っ向から主張が異なることも多かった。
ただ、2008年、「GID特例法」の「子なし要件」の撤廃運動(結果は緩和)で、2003年の制定時「5年後、必ず迎えに来る」と約束した活動家たちが、誰も動かない中、ただ1人、奮闘する蘭さんを見て、その信義を守る姿勢に感服した。
私が、蘭さんからの誘いを断らなかった背景には、そうした理由がある。
蘭さんの病気のことは、あるの会合の時(たしか2017年5月)、もともと細い人がさらに瘦せていたので、心配になって「いくらなんでも痩せすぎなんじゃない」と声を掛けたら、羸痩(痩せすぎ)が特徴の肺の病気である可能性を打ち明けられた。
「私、煙草を吸わないのに、なんでこんな病気になってしまったのでしょうね」と嘆いていたのを思い出す。
その後、特発性上葉限局型肺線維症(PPFE:国指定の難病)診断が確定し、余命5~10年であることを知った。
「そのうち、良い薬ができるかもしれないから、頑張って」と励ましたが、なまじ医学知識があるだけに、状況が深刻であることはわかっていた。
2018年の「第20回GID学会」(御茶ノ水)では、すっかり体力が衰え、数段の階段を上るのも大変そうだった。
初日に来場したのが精一杯で2日目は欠席するとのことなので、別れ際に握手したのが最後になってしまった。
こうして、振り返ると、蘭さんにはお世話になりっぱなしで、お返しをする機会がないまま逝ってしまわれた。
もう少し待っていてください。
次は私がおごる番だから。
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2013年7月14日の「gid.jp10周年記念シンポジウム」で、ツーショット。

2014年6月「第110回日本精神神経学会学術集会」(パシフィコ横浜)で。
右から3番目が蘭さん、右端が私。
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2015年8月30日「第37回 GID.JP フォーラム IN 東京」
左から、針間克己先生。東優子さん、私、蘭さん

2017年5月5日、トークライブ「性同一性障害?トランスジェンダー? 〜みんなで語ろう 過去・現在・未来〜」
前列左から2人目が蘭さん、3人目が私。