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世代間の人口差 [社会分析]

6月7日(金)

昨日、看護学部の講義で話をした世代による人数差。
団塊の世代が要介護に入りつつある現在、その看護・介護を担当する世代は半分以下。
看護・介護の現場の深刻な人手不足が、世代間の人数差という人口構造的なものに根本原因があることが一目でわかる。

1949年生(団塊の世代)  269万人
1955年生(私の世代)   173万人
1973年生(団塊ジュニア) 209万人
2003年生(現在の学生さん)112万人
2023年生          72万人
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拘置所を「座敷牢」代わりにしてはいけない [社会分析]

9月28日(火)
いろいろ事情があるにしろ、やっぱり拘置所を「座敷牢」代わりにするのは、2つの点で間違っていると思う。

1つ目は、勾留されている人の人権(人道)の問題として。
2つ目は、公費(国税)で運営されている機関の目的に反するという点で。

認知症が進行した人が、生活保護費相当の費用負担で余生を過ごせる(公費の補助がある)収容施設をもっと増やすべきだ。


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『週刊ダイヤモンド』(4月7日号)「特集:新・階級社会」 [社会分析]

4月5日(木)

珍しく『週刊ダイヤモンド』(4月7日号)を買って「特集:新・階級社会」を読んでいるのだが、思うところいろいろあり。
IMG_0818.JPG

自分は「ポスト団塊世代(1950~60年生)」だが、「社会保障制度が崩壊する前になんとか逃げ切りたいと願っている」世代だと言われると「なるほど・・・」と納得。

正直言えば、やたらと長生きしなければ、そんな悲惨な老後にはならず、なんとか「逃げ切れるかな」と思っている。
年金は「武蔵野の逃げ水」のようになかなかもらえないだろうが、体が動くうちは働けば、贅沢はできないが生きていけるかなと思う。
介護保険制度が崩壊する前に、両親を送ることができたのも大きい。

もう1つ下の「新人類世代(1961~65年生)」くらいまではなんとかなっても、2つ下の「バブル世代(1966~70年生)」の人たちが老後を迎える頃には社会保険制度(年金・健康保険・介護システム)の崩壊は避けられないだろうから、それに比べたらまだマシということ。

さらにその下の「氷河期世代(1971~86年生)」は、それらに加えて生活保護システムも崩壊しているだろうから、よほど頑張って社会基盤&資産を作った方以外は、文字通り「餓死」「野垂れ死」の可能性が高くなる。

「老後は公的年金で」なんて言っているLGBT向けファイナンシャル・プランナーはめちゃくちゃ甘い。

こんな図が載っていた。
IMG_0816.JPG
「純金融資産」が「3000万円未満」の層はどうなってるのだろう?と思い。
元の図を探してみた。
001.jpg
どうもこれらしい。
これなら、ちょっと分析できる。
超・富裕層+富裕層で2.3%、準富裕層まで入れて8.3%、まだ1割に達しない。
アッパーマス層まで入れて、やっと21.1%で2割。

残り8割がマス層って、あまりに大雑把な区分だと思う。

この8割を占めるマス層の動向が、経済的には重要なのではないか?
この層がどう階層分化しつつあるのか?が私の関心。
早い話、マス層でも3000万~1000万の層と100万~0の層とでは、大違いだと思う。
さらに、「純金融資産」というのは「金融資産ー負債」だから、当然、マイナスの世帯もあるわけで。

要は「野村総研」が相手にしていない「どうでもいい世帯」ってことなのだろう。
野村総研的には富裕層以上の資産の動向が日本経済にとって重要ということなのだろうが、私的には8割のマス層の階層分化の方がよほど重要だと思う。

そもそも、と言うか、根本的な問題として「純金融資産」の分析が「世帯」単位になっていることが疑問。

「世帯」は一般的に夫婦+子どもという単位だが、2015年段階で日本の世帯数は5290万余。
人口が1億2700万人くらいだから、1世帯あたりの人数は2.4人。
実態は、夫婦+子ども半分に近い。

なんでそうなるかと言えば、子どもが減っている以上に、単身者が増えているのが原因。
ゲイ/レズビアンも単身の人が多いはず。

「単身世帯」という言葉があるが、それって無意味だと思う。

もう世帯把握を止めて、個人把握に移行すべきなのだと思う。
でも、夫婦間で資産の区分がちゃんとついていない世帯も多いのだろう。

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「アンダークラス」(非正規労働者:パート、アルバイト、派遣労働者)929万人(14.9%)
個人平均年収 186万円(2015年)
世帯の年収 343万円
貧困率 38.7%
未婚率(男性)66.4%
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私的に驚いたのは最後の数字。
講義で「江戸時代は厳しい階層社会で、下層の男性(長屋の八さん、熊さん)の多くは、経済的事情で結婚できませんでした」と言ってきたが、もう現在のこととして話してもいい。

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3月8日は「国際女性デー」 [社会分析]

3月8日(日)
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今日のgoogleのトップ。
「International Women's Day 2015」を記念した特別ヴァージョン。
3月8日が「国際女性デー」であることは、日本ではほとんど知られれていない。
行政も動かなければ、マスメディアもほとんど報じない。

まあ、1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークの女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こし、それを受けドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことに始まる、という起源は、日本には関わりが薄いのは確かだが。

安倍ちゃんあたりが知ったら(たぶん知らないだろう)「社会主義者の記念日など我国には関係ありません」と言いそうだ。

でも、国際連帯という感覚はもう少しあっていいと思う。
そういう点では日本社会は、国際社会とつながっていない。
相変わらず精神的鎖国が続いているのだ。

だから、セクシュアル・マイノリティの人権問題で、欧米諸国の現状はこうだ、国際連合の専門機関の公式見解はこうだ、といくら言っても効果はない。
「ここは日本ですから。欧米ではありません」で終わり。

といって、日本独自の「女性週間(旧・婦人週間)」(毎年4月10~16日)が盛り上がるかというとそうでもない。
ちなみに、こちらは、日本で婦人参政権が初めて行使された1946年(昭和21)4月10日(第22回衆議院議員総選挙の投票日)を記念するもので、1949年(昭和24)に労働省が提唱した。

結果、女性、セクシュアルマイノリティ、どちらの観点でも、日本は人権後進国であり続けることになる。

「おもてなし」と「おもねり」は違うのだ [社会分析]

2月19日(木)

JR山手線の中で見かけた東武デパートの広告。
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全文、中国語(簡体字)で日本語はほとんどなし(右隅のなぜか休日のお知らせだけ日本語)。
「春節」休暇で日本旅行中の中国人富裕層をターゲットにしていて、一般の日本人はまったく相手にしていない広告(私は全部、内容把握できるけど)。

つい、「Occupied Japan」時代の進駐軍専用(英語のみ)広告を思い出してしまった。
「おもてなし」と「おもねり」は違うのだ。
いくら「良いお客さん」とはいえ、独立国としての矜持というものは大事にしたいと思う。

「湘南」のイメージ・エリアは・・・ [社会分析]

10月19日(日)
また、この論争してるのか・・・。
まあ、地元の人たちにとっては大事な「ブランド」だからなぁ。
「湘南」の語源は、中国宋代の長沙湘南県、現在の中華人民共和国湖南省を流れる湘江の南部で、禅宗が盛んな地だった。
禅宗文化が鎌倉の地に移入され、臨済禅の建長寺や円覚寺など禅宗寺院が栄えると、そのイメージが重ねられ、「湘南」が鎌倉の地の異称(雅称)となった。
つまり、「湘南」という言葉は禅宗文化の所産であり、本来は、鎌倉に限定されるイメージである。
しかし、今の時代、「湘南」を禅宗文化に結び付ける人はほとんどいないだろう。

近代の「湘南」のイメージは、明治時代に東京在住の上流階級が、保養地・避暑地として別荘を構えたことに発している。
さらに、当時、西欧で健康法として推奨され流行した「海水浴」と密接な関係がある。
1879年(明治12)、内務省の諮問を受けたドイツ人医師(東京医学校講師)エルヴィン・フォン・ベルツ博士が海水浴場の適地として答申した片瀬海岸(藤沢市)、1885年(明治18)に海水浴場が開設された由比ヶ浜(鎌倉市)、翌1886年(明治19)に設置された鵠沼海岸(藤沢市)などは、そのイメージの端緒だ。
ということで、鎌倉市+藤沢市の海岸部が「湘南」の中核であることは、異論のないところだろう。
湘南の海.jpg
↑ 鎌倉の海。まさに「湘南」のイメージ。

1889年(明治22)、日本海軍最大の軍港となった横須賀に至る鉄道として横須賀線が開通した。
鎌倉駅の先に逗子駅が設置されると、東京在住の貴顕の別荘が逗子周辺に設けられるようになる。
1891年(明治24)、葉山に有栖川宮別邸が、1893年(明治26)に同じく 葉山に北白川宮別邸が、そして1894年(明治27)には皇室の葉山御用邸が竣工する。
こうして、上流階級の保養地は鎌倉から東へ、逗子市、葉山町へと延びていく。

また、1897年(明治30)、著名な文筆家の徳富蘆花が逗子柳屋に転居する。
蘆花は『國民新聞』に「湘南歳余」を掲載し、相模湾や富士山を望む「湘南」の風光を広く紹介した。
蘆花が広めた「湘南」のイメージが逗子を拠点にしていたことで、逗子・葉山エリアも「湘南」の範囲に入ることになった。

ということで、「湘南」のイメージ・エリアは、「鎌倉・藤沢」+「逗子+葉山」の海岸部という時代が長く続くことになる。

そんな「湘南」のイメージを西に、具体的には茅ヶ崎市まで拡張したのは、サザンオールスターズである。
私より年下の人たちの「湘南」イメージは、かなりの部分、「勝手にシンドバッド」や「チャコの海岸物語」などサザンオールスターズの歌に影響されているのではないだろうか。
ちなみに、リーダーの桑田佳祐(茅ヶ崎市出身)は、私より1つ下。
しかし、桑田自身が監督した映画「稲村ジェーン」に、「地元(茅ヶ崎)の人間は湘南なんて誰も言わない」というセリフがあるように、桑田自身は「湘南」にはあまりこだわっていないようだ。

まあ、桑田佳祐の功績で、茅ヶ崎市まで「湘南」に入るかな?というのが現在の大勢だろう。
アンケートでも「茅ヶ崎~葉山」を「湘南」とする人が35%で1位という結果は肯ける。

茅ヶ崎市よりさらに西の大磯町も、古くは伊藤博文・山県有朋など明治の元勲たち、戦後は吉田茂首相が別邸を構えるなど、別荘地としての歴史をもつが、さすがにここは「湘南」の中核部(鎌倉)から離れすぎている。
平塚市などとともに「西湘」でいいのではないだろうか。

寒川町など、海辺でないところは論外である。
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「湘南」は一体どこからどこまでか 平塚や大磯、湯河原はニセ湘南?

「湘南」といえば、いったいどこからどこまでを指すのか――そんな議論が、またぞろ話題となっている。
きっかけとなったのは、地域系サイト「Jタウンネット」の記事だ。ツイッター、フェイスブックなどでは、地元出身者を中心に「ウチは湘南だ」「あそこは湘南じゃない」などとさまざまな声が出ている。そこから見えてきた、現代の「湘南」の範囲とは。

「相模湾沿い全部湘南!」に「広すぎ!」
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Jタウンネットによる「湘南の範囲は?」投票の結果。「茅ヶ崎~葉山」が最多を占めた

「湘南ボーイ」という言葉も今や死語だが、古くは石原慎太郎氏の小説や映画「若大将」シリーズ、最近でもサザンオールスターズや湘南乃風の楽曲の舞台として、きらめく太陽、輝く海のイメージとともに、今なお「湘南」という地名はちょっとしたブランドだ。

にもかかわらず、湘南の範囲には定説がない。たとえば平凡社の『世界大百科事典』では、
「神奈川県中部、相模湾岸一帯の地域名」
としつつ、「範囲は一定していない」として断定を避けている。

ところが最近、神奈川県の進める観光プロジェクト「かながわシープロジェクト Feel SHONAN」では、
「湯河原から三浦までの相模湾沿岸を『湘南』と呼びます!」と宣言してしまった。要するに小田原や横須賀なども含めた神奈川県の相模湾沿いすべてが「湘南」だというのだ。

Jタウンネットが2014年10月7日、この事実を取り上げたところ、地元在住者を中心に、ツイッターやフェイスブックでたちまち議論が沸騰した。圧倒的に多かったのは、「いくらなんでも広すぎるだろ!」という声だ。

調査では「茅ヶ崎~葉山」が最多
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さまざまな「湘南」の定義をまとめた地図(Jタウンネット編集部作成)

Jタウンネットでは、「湘南の範囲はどこまでだと思いますか?」と題したウェブアンケートを行った。16日までに3074の応募があったが、県が宣言した「湯河原~三浦」を支持したのはわずかに4%。「三浦が湘南のわけないだろ」「いやー、小田原は湘南じゃないっしょ」と反応は厳しい。一応、小田原は自動車も「湘南ナンバー」なのだが......。

対して最も支持を集めたのは、茅ヶ崎から藤沢、鎌倉、逗子、葉山の範囲を湘南とする「茅ヶ崎~葉山」の35%だ。これに西側の平塚、大磯を加えた「大磯~葉山」が26%で続く。

中でも、茅ヶ崎・藤沢エリアは、投票者中92%が「湘南」と認めた。「湘南は逗子、葉山、鎌倉まででしょう。某グループが湘南と言い張っていますが、茅ヶ崎は湘南じゃないでしょう」と言い張る反対派もいるが、ここをひとまず湘南のコアとしていいだろう。

平塚、大磯あたりに来ると、湘南としての認知率は半数を割って48%まで落ちる。特に平塚は、「平塚はなんちゃって湘南」「平塚は微妙なところ」などとひどい言われようだ。なお、大磯など相模湾沿い西部には「西湘」という呼び方もあり、「西湘ブランドで推せば良い」との声も目立つ。

逗子・葉山は66%。明治時代には「湘南」といえば逗子あたりを指したが、その中心は藤沢・茅ヶ崎に移ったようだ。また逗子は湘南と認めるにしても、「葉山は海あるけどサーファーがいるぞくるぞって感じではあまりない」ので湘南ではない、との説もあった。

湘南ナンバーでも大激論
また「内陸部は湘南じゃないだろ」という主張も強い。慶応大学湘南藤沢キャンパスなどがある湘南台(藤沢市)や、東海大学湘南キャンパス(平塚市)が好例だ。
「そこを湘南と呼ぶのは詐欺だと思った。『~台』って言うんだから海じゃないよね」
「東海大学の湘南校舎はあまりにも内陸なので、学内の他校舎の学生からは『丹沢校舎』と呼ばれている...」

思えば湘南の範囲をめぐる話題は今に始まった話ではなく、1990年代前半の「湘南ナンバー」誕生時にはその適用範囲をめぐって自治体が綱引きを繰り広げるちょっとした騒動となった。平塚市が音頭を取った「湘南市」構想も一時盛り上がったが、結局とん挫している。
どこからどこまでが湘南か。この問題をめぐる波風は、そう簡単には収まりそうもない。

「J CASTニュース」2014/10/18 14:30
http://www.j-cast.com/2014/10/18218624.html?p=all

「社会学者」古市憲寿氏の発言の何が問題なのか? [社会分析]

10月17日(金)
「新進気鋭の社会学者」古市憲寿氏の発言が、あちこちで批判されている。
中には古市氏を「ルッキズム」と決めつけている批判もある。
「ルッキズム」となると、私の関心領域なので、いったい何を言ったのだろう?と思い、確認してみた。
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古市憲寿氏 (@poe1985)の第1発言
「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う。」

乙武洋匡氏(@h_ototake)のリプライ
「生活指導の先生が怒髪天を突くつぶやきだね(笑)」

乙武氏のリプライを受けての古市憲寿氏 (@poe1985)の第2発言
「努力で顔の雰囲気を変えられるメイクや自由な髪型が許されず、ありのままの姿を強要される学校空間っておかしいなあと常々思ってます。」

さらに古市憲寿氏 (@poe1985)の第3発言
「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってること。韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」
--------------(発言はすべて2014年10月13日)--------------

古市氏のこれらの発言のいったいどこが問題なのだろうか?
私なりに考えてみた。
まず、第1発言を、古市氏が合唱している中学生の容貌を批判しているととるのは、かなり歪んだ解釈だと思う。
たしかに、「顔の造形がありありとわかって辛いから」の部分は、率直な感情に基づくもので、「社会学者」としては少し不用意だったと思うが。

第2発言は、一連の発言の核心部で、ありのままの姿であることを強いる、容貌の印象を変える努力を徹底的に否定する学校空間への批判は、その賛否はともかく、それなりに傾聴すべき問題提起だと思う。
現在の日本の学校で起こっている様々な問題の根底に、画一性への強い志向=多様性の否定があると思うから。

そして、第3発言だが、前半の「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってる」という発言は、第2発言を学校空間から一般空間に敷衍したもので、やはり、「社会学者」らしい問題提起だと思う。
日本の社会が、こうした問題を、ちゃんと考えてこなかったのは明らかだからだ。
それに「生れたままの姿を変えるべきではない」という規範と「生れたままの性別を変えるべきではない」という規範との距離はほとんどないに等しい。
だから、トランスジェンダーの立場からも無視できない問題である。

第3発言に問題があったとすれば、後半の「韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」の部分、とりわけ「韓国」を引き合いに出したことだろう。
何も「ネトウヨ」を刺激したからということではない。
韓国人の美容形成への強い入れ込み、その背後にある韓国社会の過剰な容貌主義の問題性を無視し、むしろ、それらを肯定していると、とられかねないからだ。
おそらく、それは古市氏の本意ではないだろう。
現地に行ってみてつくづく感じたことだが、やはり韓国人の美容形成への傾倒、容貌への過剰な価値づけは、社会的なバランスを欠いていると思う。
あれこそ、まさに「ルッキズム」である。
その点、古市氏の第3発言の後半は「舌足らず」だったと思うが、そもそも140字制限のTwitterは「舌足らず」なものなのだ。

以上、検討してみたが、古市氏のこれらの発言は、それほど批判されるようなものではなく、むしろ重要な問題提起を行っていると思う。
また、古市氏を「ルッキズム」と決めつける批判は、かなり明後日の方向に矢を放っていると思う。

そもそも、顔の造形が、その社会一般の基準からして、整っている人(美形)と、そうでない人(不細工)がいるのは、現実である。

ただし、「世間一般の基準」というのは、社会・文化、つまり地域や時代によってかなり変化する。
それに加えて、個人の容貌への嗜好はかなり大きな幅がある。
ある人にとっては「美形」であっても、ある人にとっては「不細工」ということは珍しいことではない。
したがって、世の中のかなりの人は「美形」にもなり得るし、「不細工」にもなり得る。
逆に言えば、ある社会の人の9割が「美形」と認識するような人が「美女」「美男」であり、逆にある社会の人の9割が「不細工」と認識するような人が「醜女」「醜男」ということになるのだと思う。
「9割」というのは、統計的に意味がある数字ではなく、8割でも7割でもいい。
ここで重要なのは、「美女」「美男」、そして「醜女」「醜男」であっても1~3割くらいは「そうは思わない」という人がいるということだ。
それだけ、個人の容貌への嗜好は幅が大きい。

顔の造形、顔の印象というものは、変えられないものではない。
美容形成の技術によって、化粧のテクニックによって、さらには本人の心持によって変わってくる。
より多くの人に好印象をもたれるように努力することは、まったく悪いことではない。
顔のコンプレックスから脱却して、自己肯定度が高まれば、社会的な活動度は上がり、いろいろなことが好循環になっていくことが多い。
逆に、顔のコンプレックスが低く、自己肯定度が上がらず、社会的活動度が低く、その人の能力が埋もれれしまうならば、それは社会的な損失だ。

そうした意味で、私は美容形成や化粧には肯定的だ。
したいと思う人は、どんどんすればいい。

容貌が生れながらのものである、という考えは、私は取らない。
容貌は、その人の意志と努力の所産である。
その努力は否定すべきではない。

ただし、美容形成や化粧をしたくない人が強いられることはあってはならないし、容貌を向上させる努力をしないのも、その人の自由だと思う。

容姿の美しさは、知的能力や運動能力と同じように、その人の個性であり能力である。
勉強して学力を磨く、鍛錬して運動能力を向上するのと同じように、容姿を磨く努力も認められるべきなのだ。

壇蜜さんの一日病院長 [社会分析]

9月2日(火)
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↑ 一日病院長を務めるため白衣に着替える壇蜜さん

元サイトのリードに「さすがに色気は封印」とあったけど、かなり漏れている・・・。
まあ、「美人」は何を着ても「美人」だし、ほんとうに色気がある人は抑えても滲み出るから、自己コントロール不能。

壇蜜さん、「一日病院長」だから「女医」という設定なのだろうが、現実にこんな「女医」さんや看護師さんがいたら、たいへんだと思う。
色呆けしたおじいさんや、呆けたふりをしたエロ爺さんが、触ったり、抱きついてきたり・・・。
「美人」看護師さんは、相当に身をやつしても被害は免れない。

医療現場での看護・介護職の女性へのこうしたセクシュアルハラスメントは、けっこうひどいのだが、加害者が「患者さん」(病人)ということで、ほとんど不問に付されるのが現状。
こういうことの、看護・介護業界に離職者が多い一因なのではないだろうか。

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壇蜜が一日病院長 がんへの備え訴える
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秋田大病院の一日病院長の委嘱状を受け取る壇蜜=1日、秋田市

秋田県出身のタレント壇蜜が1日、秋田大病院(秋田市)の一日病院長を務め、乳がんなどの入院患者を訪問した。その後、記者会見し「自分も病気になってしまうという自覚を持つことが大切だ」と語り、普段からがんになる可能性を想定して心の備えなどをしておくことが重要だと訴えた。

壇蜜は、子宮筋腫や乳がんの入院患者ら約10人を訪問。その後の記者会見で、患者が「早く普通の生活に戻り、仕事がしたい」「これからも病気に向き合っていかなければいけない」などと話したことを紹介し、「皆さんが前向きで、心を打たれた」と述べた。

さらに、かつて家族が入院した際、十分に元気づけることができなかったと明かした上で「(家族などが)病床に行くことが患者さんの励みになると思う」と語った。
「msn産経ニュース」2014.09.01
http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2014/09/01danmitsu/

「住みたい街ランキング」2014 [社会分析]

5月17日(土)
住宅・不動産購入の情報サイト「SUMO(スーモ)」(リクルート住いカンパニー)の「住みたい街ランキング」。
http://suumo.jp/edit/sumi_machi/2014/kanto/seibetsu/
民間企業のインターネット・アンケート調査なのだが、毎年けっこう面白い傾向が読みとれる。

【総合順位】
1  吉祥寺 (武蔵野市・城西)
2  恵比寿 (渋谷区・城南)
3  池袋  (豊島区・城北)
4  中目黒 (目黒区・城南)
5  横浜  (神奈川県横浜市)
6  自由が丘(目黒区・城南)
7  新宿  (新宿区・城西)
8  品川  (港・品川区・城南)
9  武蔵小杉(神奈川県川崎市)
10  表参道 (渋谷区・城南)
11  目黒  (品川・目黒区・城南)
12  中野  (中野区・城西)
13  二子玉川(世田谷区・城西)
14  渋谷  (渋谷区・城南)
15  東京  (渋谷区・城下)
16  鎌倉  (神奈川県鎌倉市)
17  上野  (台東区・城下)
18  銀座  (中央区・城下)
19  荻窪  (杉並区・城西)
20  秋葉原 (千代田区・城下)

全体傾向として、顕著な西高東低&南高北低。
城南・城西地区が人気で、城北地区は躍進した池袋だけ。
城東地区は30位までに入っていない。
城北と考えるか城東とするか微妙なところで北千住が21位に入っているだけ。
それは都内に限ったことではなく、城南の延長戦の神奈川県が3つ入っているのに対して城北の延長の埼玉県は一本23位に大宮が入っているだけ。
城東の延長の千葉県は総合では30位以内にも入っていない。
男性のみのランクで28位に柏が顔を出す。

個別に見ると、トップは吉祥寺で殺人事件の影響もなく相変わらず人気を集めている。
2位の恵比寿もすっかり上位に定着した。ビール工場の街というイメージを知る人も少なくなった。
工場跡の広い敷地が街の再開発にとって有利だったわけだが、同じことは近年、躍進著しい武蔵小杉(9位)も同様。
3位の池袋は前年13位からの大躍進で、今年の最大の注目点。
8路線が乗り入れる利便性の割に今まで人気が無さ過ぎたのが、ようやく見直されてきたのだと思う。
東京メトロ副都心線が東急東横線と直通運転を開始(2013年3月)して城南地区と直結したことのイメージ・アップ効果もあったと思う。
一方で、かつては吉祥寺とトップを競っていた自由が丘が6位に下がっている。
仕事で月に3回は行く街だが、街を見ていて変化や上昇感に乏しいのは確か。
武蔵小杉が9位に入っているのは、昔を知る地元民からすると、まさに隔世の感。
同じことは4位の中目黒についても言え、古い東横線沿線住民からすると、中目黒が自由が丘より上なんて「ありえない…」。

沿線別で見ると、中目黒(4位)、自由が丘(6位)、武蔵小杉(9位)とベスト10に3つ入っている東急東横線の圧勝。
さらに東横線の両端の渋谷(14位)、横浜(5位)、東急目黒線の目黒(11位)、東急田園都市線の二子玉川(13位)を加えれば、住宅・不動産における東急ブランドの強さがわかる。
次いで、吉祥寺(1位)、新宿(6位)、中野(12位)、東京(15位)、荻窪(19位)のJR中央線。
京王線や小田急線沿線の街が、意外に人気がないのはなぜなのだろう?
まあ、吉祥寺は京王井の頭線沿線とも言えるのだが…。

次に、男女別のランキングを比較してみよう。
【男女別順位】
   男性     女性
1  恵比寿    吉祥寺
2  吉祥寺    恵比寿
3  品川・池袋  中目黒
4         自由が丘
5  横浜     表参道
6  新宿     二子玉川
7  渋谷     池袋
8  東京     目黒
9  武蔵小杉   新宿
10  目黒     横浜・武蔵小杉
11  中野
12  秋葉原    中野
13  鎌倉     銀座
14  上野     鎌倉
15  表参道    荻窪
16  中目黒    品川
17  自由が丘   阿佐ヶ谷
18  北千住    渋谷
19  大宮     上野
20  二子玉川   みなとみらい

男女で大きく順位が異なる街に注目する。
まず、女性の人気が高く、男性にはそれほどでもない街。
中目黒(女性3位、男性16位)
表参道(女性5位、男性15位)
自由が丘(女性6位、男性17位)
二子玉川(女性6位、男性20位)
銀座(女性13位、男性27位)
表参道、自由が丘、二子玉川、銀座…、ジェンダー論的な分析をするまでもなく、ファッショナブルな(おしゃれな)イメージのある街が女性に好まれることがわかる。
でも、中目黒におしゃれなイメージってあるのだろうか? 生活の利便性はあると思うが。

逆に男性に人気が高く、女性にはそれほどでもない街。
品川(男性3位、女性16位)
渋谷(男性7位、女性18位)
東京(男性8位、女性22位)
秋葉原(男性12位、女性ランク外=30位以下)
渋谷がなんで女性にこんなに人気がないのか?正直わからない。
「餓鬼っぽい(大人じゃない)」イメージが影響しているのだろうか?
逆に、品川がなんでこんなに男性に人気があるのかもわからない。
文化的に面白い街ではないと思うが…。
まあ、塒(ねぐら)としては便利な街かもしれないが。
笑ってしまったのは秋葉原で、オタク男性にとっては夢の街であっても、女性には論外ということだろう。

男性にも女性にも好まれる街は、安定感があり、ランキング上位に来る。
吉祥寺(男性2位、女性1位)、恵比寿(男性1位、女性2位)はその双璧。
その点では、武蔵小杉(男性9位、女性10位)も優秀。

なにをいまさら騒いでいるのか「自治体消滅」 [社会分析]

5月9日(金)
なにをいまさら騒いでいるのか、もうずっと以前に予測できたことではないかと思う。
人口動態というのは、いくつかデータがあれば、かなりの確度で将来予測が可能な分野。
早い話、現在50歳の人のかなりが20年後は70歳になることは、コンピューターで予測するまでもなく自明のこと。
現在の日本、大災害でもない限り、死亡率はあまり変化しないから、今生きている人が20年間にどれだけ亡くなるか、つまりいなくな人数は容易に計算・予測できる。
少し厄介なのは生れてくる人の数で、仮に出生率に大きな変化が無くても、社会的移動で出産適齢期(20~39歳)の女性が流出してしまえば、掛け算する元が変動してしまうわけで、推計に大きな幅ができてしまう。
今回のデータは、この部分(出産可能年齢の女性の動態)を予測に組み込んだもので、逆に言えば、今までこの部分を重視してこなかった推計が怠慢だったということ。
「なんで『20~39歳の女性』なの?」「『20~39歳の男性』は関係ないのか?」という疑問をあちこちで見かけるが、出生者数推計の基礎が出産可能年齢の女性なのは、人口動態学の基本。
倫理的問題はともかく1人でいくらでもタネをばら蒔ける男性より、1人が1年に(ほぼ)1人しか子どもを産めない女性の方が人口動態学的にはずっとずっと重要な要素にということ。

その昔、山間僻地の村では、村の娘は外に出さなかった。
他村の男が村の娘に言い寄れば、村の男たちが総出で懲らしめた。
逆に横から若い娘を連れて来て娶れば、文句なしにお手柄だった。
子どもを生める若い娘こそが、人口を維持し、村落共同体を継続する基であることを、よく知っていたからだ。
人口減少に悩むみ「消滅」に怯える自治体は、今後ますます、若い女性の引き止めや招致に必死になるだろう。
しかし、その昔の従順だった村娘たちとは違い、現代の女性は羽がはえているので、魅力のない田舎に籠めておくのは難しいだろう。
逆に、都会生まれの女性で結婚したければ、田舎に行けば引く手数多(あまた)ということになる。
ただし、出産可能な年齢ならだが・・・。

自治体「消滅」という言い方がインパクトが強いのだと思うが、実はすでに消滅している自治体はいくつもある。
たとえば、私の故郷に近い埼玉県大滝村。
埼玉県西部の秩父山地にあり、面積331平方km、埼玉県の約10分の1を占める広い村で、秩父三社のひとつ三峰神社がある。
まったく平地がなく山の斜面に集落が点在し、中には焼畑農耕をやっている集落もあった。
それでも、私が子供の頃(1960年代)には人口5000人くらいはあったと思う。
それが40年後の2002年3月にはわずか1533人になってしまう。
山を下りて、秩父市内に家を立てる人がずいぶんいた。
「今度、あそこに家を建てた〇〇さんは、大滝から下りて来たんだって」みたいな話はずいぶん聞いた。
秩父市内を通り過ぎて、東京などの大都市に出ていった人もいただろう。
こうなるともう自治体としての機能が維持できず、2005年4月に秩父市に合併されて消滅する。
秩父市だって、こんなとんでもなく広い過疎の村など引き取りたくはなかったと思うが仕方がなかった。

子どもの頃、秩父郡市の小学校の合同運動会が開かれると、大滝小学校の連中も山を降りてはるばるやってきた。
人数こそ少なかったが、さすがに日常の鍛錬が違い、走るのが早かったことを覚えている。
その大滝小学校は今年2014年3月で廃校となり141年の長い歴史を閉じた。
生徒数は9名、最後のの新入生は1人だったそうだ。
もうずいぶん前から子どもの数が激減している。
ということは、子どもがいるような若い夫婦が壊滅的に減っているということだ。
大滝中学校も在校生は9名で、2015年3月に廃校になるので、旧大滝村からは小・中学校が無くなる。
大滝小学校は学制発布(1872)の直後の明治6年(1873)の開校だ。
つまり、明治初期に開かれた学校が、平成の今、維持できなくなっているということだ。
こうした社会にいったい誰がしてしまったのか、よくよく考えるべきだと思う。

こうした状況は大滝村だけではなく、日本全国あちこちで起こっていたことで、そうした自治体消滅を「平成大合併」の名のもとにマスメディアが隠蔽してきただけなのだ。
『毎日新聞』が「消滅可能性:全896自治体一覧」という表(↓)を載せているが、すでに消滅してしまった自治体の表はメディアは作らない。
http://mainichi.jp/feature/news/20140509mog00m040001000c.html
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消滅可能性:自治体半数 2040年20〜39歳女性半減
消滅可能性自治体1.jpg消滅可能性自治体2.jpg
2040年に20〜39歳女性の減少率が80%を超す自治体

全国1800市区町村(政令市の行政区を含む)の49.8%に当たる896自治体で、子どもを産む人の大多数を占める「20〜39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減ることが8日、有識者団体の推計でわかった。896自治体を「消滅可能性都市」と位置付け、有効な手を打たなければ将来消える可能性があるという。また896自治体のうち、40年の人口が1万人を割る523自治体(全体の29.1%)については「消滅の可能性が高い」とし、より衰退の恐れが大きいとした。
推計をしたのは、産業界や学界の有識者らで国のあり方を議論する「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」(座長・増田寛也元総務相)。同日は高齢者を優遇しがちな社会保障制度を改め、子どもの多い世帯を支援するなどの少子化対策も提言、25年の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子ども数に相当、12年1.41)を1.8へ引き上げるとした。
国の推計では、10〜15年、地方から大都市に毎年約6万〜8万人が流出する。国はこの流れが20年には落ち着くと想定し、40年に20〜39歳女性が5割以上減る自治体を373としていたが、同会議は6万〜8万人の流出が将来も続くと仮定し、計算をし直した。その結果、40年に20〜39歳の女性人口が10年の5割以下となるのは896自治体で、国の推計の2.4倍に達した。男性も同様に減る。
同会議によると、出生率の水準が今後も変わらず、人口流出も重なったモデル都市でみると、40年には20〜39歳の女性人口が半減し、70〜80年には2割程度に減る。こうした地域は流出人口が出生数を上回って人が減り続ける。医療・介護保険の維持が難しくなって将来消滅する可能性があるという。
中でも青森、岩手、秋田、山形、島根の5県は「消滅可能性都市」が8割以上。24道県では5割以上を占め、トップの秋田は県内25市町村のうち24市町村が該当する。全国で最も減少率が高かったのは群馬県南牧村(89.9%)。一方、東京23区でも豊島区は唯一消滅の可能性があるという。

『毎日新聞』 2014年05月08日 21時29分(最終更新 05月09日 03時03分)
http://mainichi.jp/select/news/20140509k0000m040089000c.html
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