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10月19日(日)久しぶりにまずいものを食べてしまった [日常]

10月19日(日)   晴れ   東京  23.0度  湿度50%(15時)
11時、起床。

昼食は、ストック食品の整理を兼ねて、以前、冷麺好きの息子が買ってきた「ふるる冷麺」(韓国・農心)を作ってみる。
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一応、そば粉らしい色をしている。
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レシピ通りに作ってみた。
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う~ん、まずい。
責任上、息子にも食べさせてみる。
「なんだこれは・・・、冷麺ってもっとおいしいはずだ」
味が変なのではなく、塩味と酢っぱさだけで「旨み」がまったく無い。
出汁(旨み成分)が決定的に足りないのだ。
というか、出汁を取る(入れる)という発想がないのだろう。
その証拠にキムチ(日本が旨みが増すように改良したもの)を入れたら、少しはマシになった。

口直しに、うどんを茹でる。
と言っても、長期保存用の「讃岐うどん」(シマダヤ)だが。
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それでも何倍もおいしい。
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久しぶりにまずいものを食べてしまった。
韓国のインスタント麺が、日本でまったく売れない理由がよくわかった。
息子も「2度と買わない」と言っている。
そうやって、おいしいものとまずいものを覚えていけば、それでいい。

午後、パソコンの機嫌が直ったので、ブログに記事を書く。
トラブル以前より、ずっと調子が良くなった。
不思議だ。

夕食は、昨夜の豚肩ロース肉の野菜シチューを増量。
トマトを追加しなかったので、味が微妙に変化(酢っぱ味が減った)。
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夜中、論文「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」を書き継ぐ。
2節・3節を飛ばして4節「『ラスト・フレンズ』問題」をまとめる。
約8000字ほど。
就寝4時半。

「東急プラザ」の「渋谷でふり返る60年代レトロ展」 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

10月20日(月)
渋谷「東急プラザ」の「渋谷でふり返る60年代レトロ展」の展示。
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う~ん、微妙に違う・・・。
並んで見ていた60年配(私より少し上?)と思われる男性が「う~ん、なにか違うんだなぁ」とつぶやいたので、「そうですね、50年代が混じってますよね」と相槌を打つ。
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テレビをはじめとする家庭電化製品は、たしかに60年代のものなのだが、部屋全体の設えが古いのだ。
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その熟年男性が若い係員に「このちゃぶ台は、60年代じゃないと思うよ」と言っていたとおり、ちゃぶ台や勉強机は60年代というより50年代だろう。

1960年代は、日本の庶民の生活文化が、和風から洋風へ大転換した時期。
家では和服で畳に座って食事をしていた形から、家でも洋服で椅子・テーブルに座って食事をする生活スタイルへ転換していく。
しかも、その転換は急速だったので、1960年と1969年ではだいぶ様相が違う。
それに、東京と地方、同じ東京でも山の手と下町、そして社会階層によって、転換時期がかなり違う。
だから、そこらへんの設定をちゃんとしないと、なんだかよくわからない展示になる。
たとえば、「1961年東京下町の工員さんの家庭」とか、「1969年、東京山の手の会社員の家庭」とか、細かく設定しないと、かえって復元が難しくなる。
まあ、博物館の展示じゃないから、そこまで求めるのは酷かな。
(以下、おまけ)
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(左)「エスエス製薬」のマスコット「ピョンちゃん」(7代目、1979年)←時代合ってない
(右)「日立製作所」のカラーテレビ「キドカラー」のマスコット「ポンパ君」(1968年)

同日辞任の女性大臣、『朝日新聞』の写真は19倍の差 [現代の性(一般)]

10月20日(月)
小渕優子経済産業大臣と松島みどり法務大臣の辞任を報じる『朝日新聞』2014年10月20日夕刊。
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驚いたのは、2人の顔写真の大きさの違い。
試しに測ってみたら、小渕さんが12cm×12.5cm=150平方cm。
それに対して、松島さんは2.6×3.0cm=7.8平方cm。
その差はなんと19.2倍。

まあ、知名度、政治家としての期待度(将来性)に違いがあるのは確かだが、国務大臣という職責は同じ。
格から言えば、法務大臣の方が上。

ここまで露骨に差をつけるのは、やはり、「絵になる」か「ならない」という判断からだろうか。

男性の大臣が同日に辞任した場合、はたして写真の大きさにこんなに差がつくだろうか?
そう考えると、『朝日新聞』もまた女性政治家の容姿によって扱いに差をつけているのではないかという疑念を持たざるを得ない。

「湘南」のイメージ・エリアは・・・ [社会分析]

10月19日(日)
また、この論争してるのか・・・。
まあ、地元の人たちにとっては大事な「ブランド」だからなぁ。
「湘南」の語源は、中国宋代の長沙湘南県、現在の中華人民共和国湖南省を流れる湘江の南部で、禅宗が盛んな地だった。
禅宗文化が鎌倉の地に移入され、臨済禅の建長寺や円覚寺など禅宗寺院が栄えると、そのイメージが重ねられ、「湘南」が鎌倉の地の異称(雅称)となった。
つまり、「湘南」という言葉は禅宗文化の所産であり、本来は、鎌倉に限定されるイメージである。
しかし、今の時代、「湘南」を禅宗文化に結び付ける人はほとんどいないだろう。

近代の「湘南」のイメージは、明治時代に東京在住の上流階級が、保養地・避暑地として別荘を構えたことに発している。
さらに、当時、西欧で健康法として推奨され流行した「海水浴」と密接な関係がある。
1879年(明治12)、内務省の諮問を受けたドイツ人医師(東京医学校講師)エルヴィン・フォン・ベルツ博士が海水浴場の適地として答申した片瀬海岸(藤沢市)、1885年(明治18)に海水浴場が開設された由比ヶ浜(鎌倉市)、翌1886年(明治19)に設置された鵠沼海岸(藤沢市)などは、そのイメージの端緒だ。
ということで、鎌倉市+藤沢市の海岸部が「湘南」の中核であることは、異論のないところだろう。
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↑ 鎌倉の海。まさに「湘南」のイメージ。

1889年(明治22)、日本海軍最大の軍港となった横須賀に至る鉄道として横須賀線が開通した。
鎌倉駅の先に逗子駅が設置されると、東京在住の貴顕の別荘が逗子周辺に設けられるようになる。
1891年(明治24)、葉山に有栖川宮別邸が、1893年(明治26)に同じく 葉山に北白川宮別邸が、そして1894年(明治27)には皇室の葉山御用邸が竣工する。
こうして、上流階級の保養地は鎌倉から東へ、逗子市、葉山町へと延びていく。

また、1897年(明治30)、著名な文筆家の徳富蘆花が逗子柳屋に転居する。
蘆花は『國民新聞』に「湘南歳余」を掲載し、相模湾や富士山を望む「湘南」の風光を広く紹介した。
蘆花が広めた「湘南」のイメージが逗子を拠点にしていたことで、逗子・葉山エリアも「湘南」の範囲に入ることになった。

ということで、「湘南」のイメージ・エリアは、「鎌倉・藤沢」+「逗子+葉山」の海岸部という時代が長く続くことになる。

そんな「湘南」のイメージを西に、具体的には茅ヶ崎市まで拡張したのは、サザンオールスターズである。
私より年下の人たちの「湘南」イメージは、かなりの部分、「勝手にシンドバッド」や「チャコの海岸物語」などサザンオールスターズの歌に影響されているのではないだろうか。
ちなみに、リーダーの桑田佳祐(茅ヶ崎市出身)は、私より1つ下。
しかし、桑田自身が監督した映画「稲村ジェーン」に、「地元(茅ヶ崎)の人間は湘南なんて誰も言わない」というセリフがあるように、桑田自身は「湘南」にはあまりこだわっていないようだ。

まあ、桑田佳祐の功績で、茅ヶ崎市まで「湘南」に入るかな?というのが現在の大勢だろう。
アンケートでも「茅ヶ崎~葉山」を「湘南」とする人が35%で1位という結果は肯ける。

茅ヶ崎市よりさらに西の大磯町も、古くは伊藤博文・山県有朋など明治の元勲たち、戦後は吉田茂首相が別邸を構えるなど、別荘地としての歴史をもつが、さすがにここは「湘南」の中核部(鎌倉)から離れすぎている。
平塚市などとともに「西湘」でいいのではないだろうか。

寒川町など、海辺でないところは論外である。
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「湘南」は一体どこからどこまでか 平塚や大磯、湯河原はニセ湘南?

「湘南」といえば、いったいどこからどこまでを指すのか――そんな議論が、またぞろ話題となっている。
きっかけとなったのは、地域系サイト「Jタウンネット」の記事だ。ツイッター、フェイスブックなどでは、地元出身者を中心に「ウチは湘南だ」「あそこは湘南じゃない」などとさまざまな声が出ている。そこから見えてきた、現代の「湘南」の範囲とは。

「相模湾沿い全部湘南!」に「広すぎ!」
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Jタウンネットによる「湘南の範囲は?」投票の結果。「茅ヶ崎~葉山」が最多を占めた

「湘南ボーイ」という言葉も今や死語だが、古くは石原慎太郎氏の小説や映画「若大将」シリーズ、最近でもサザンオールスターズや湘南乃風の楽曲の舞台として、きらめく太陽、輝く海のイメージとともに、今なお「湘南」という地名はちょっとしたブランドだ。

にもかかわらず、湘南の範囲には定説がない。たとえば平凡社の『世界大百科事典』では、
「神奈川県中部、相模湾岸一帯の地域名」
としつつ、「範囲は一定していない」として断定を避けている。

ところが最近、神奈川県の進める観光プロジェクト「かながわシープロジェクト Feel SHONAN」では、
「湯河原から三浦までの相模湾沿岸を『湘南』と呼びます!」と宣言してしまった。要するに小田原や横須賀なども含めた神奈川県の相模湾沿いすべてが「湘南」だというのだ。

Jタウンネットが2014年10月7日、この事実を取り上げたところ、地元在住者を中心に、ツイッターやフェイスブックでたちまち議論が沸騰した。圧倒的に多かったのは、「いくらなんでも広すぎるだろ!」という声だ。

調査では「茅ヶ崎~葉山」が最多
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さまざまな「湘南」の定義をまとめた地図(Jタウンネット編集部作成)

Jタウンネットでは、「湘南の範囲はどこまでだと思いますか?」と題したウェブアンケートを行った。16日までに3074の応募があったが、県が宣言した「湯河原~三浦」を支持したのはわずかに4%。「三浦が湘南のわけないだろ」「いやー、小田原は湘南じゃないっしょ」と反応は厳しい。一応、小田原は自動車も「湘南ナンバー」なのだが......。

対して最も支持を集めたのは、茅ヶ崎から藤沢、鎌倉、逗子、葉山の範囲を湘南とする「茅ヶ崎~葉山」の35%だ。これに西側の平塚、大磯を加えた「大磯~葉山」が26%で続く。

中でも、茅ヶ崎・藤沢エリアは、投票者中92%が「湘南」と認めた。「湘南は逗子、葉山、鎌倉まででしょう。某グループが湘南と言い張っていますが、茅ヶ崎は湘南じゃないでしょう」と言い張る反対派もいるが、ここをひとまず湘南のコアとしていいだろう。

平塚、大磯あたりに来ると、湘南としての認知率は半数を割って48%まで落ちる。特に平塚は、「平塚はなんちゃって湘南」「平塚は微妙なところ」などとひどい言われようだ。なお、大磯など相模湾沿い西部には「西湘」という呼び方もあり、「西湘ブランドで推せば良い」との声も目立つ。

逗子・葉山は66%。明治時代には「湘南」といえば逗子あたりを指したが、その中心は藤沢・茅ヶ崎に移ったようだ。また逗子は湘南と認めるにしても、「葉山は海あるけどサーファーがいるぞくるぞって感じではあまりない」ので湘南ではない、との説もあった。

湘南ナンバーでも大激論
また「内陸部は湘南じゃないだろ」という主張も強い。慶応大学湘南藤沢キャンパスなどがある湘南台(藤沢市)や、東海大学湘南キャンパス(平塚市)が好例だ。
「そこを湘南と呼ぶのは詐欺だと思った。『~台』って言うんだから海じゃないよね」
「東海大学の湘南校舎はあまりにも内陸なので、学内の他校舎の学生からは『丹沢校舎』と呼ばれている...」

思えば湘南の範囲をめぐる話題は今に始まった話ではなく、1990年代前半の「湘南ナンバー」誕生時にはその適用範囲をめぐって自治体が綱引きを繰り広げるちょっとした騒動となった。平塚市が音頭を取った「湘南市」構想も一時盛り上がったが、結局とん挫している。
どこからどこまでが湘南か。この問題をめぐる波風は、そう簡単には収まりそうもない。

「J CASTニュース」2014/10/18 14:30
http://www.j-cast.com/2014/10/18218624.html?p=all

「20代の童貞40%以上」という説を調べてみた [現代の性(一般)]

10月19日(日)
最近、ネット上で、「20代の童貞40%以上」→「やっぱり草食化」→「日本滅亡!」みたいな記事を何度も見かけた。
なんでだろうと?思って調べたら、どうも、官能作家の館淳一さんが『東京スポーツ』に連載している随筆「「いろ艶筆」の2014年10月3日号掲載分「『入れたくない』童貞が増えた」が、テレビ(MXテレビ『5時に夢中』?)に取り上げられたことがきっかけらしい。
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館淳一さんの随筆「いろ艶筆」はこちら(↓)
http://kenkai-oldman.txt-nifty.com/iroenpitsu/2014/10/post-a4bb.html
館さんは「去年のデータだが、全国一万人余りを調査した結果、二十代男性の童貞率が40パーセントを超えたと報じられた。二十代の五人に二人が女性とセックスしたことがないというのだ。その前の調査では36パーセントだったから童貞率はどんどん増えている。」と記しているが、元データは明示していない。

そこで、調べたてみたら、こんな新聞記事に行きあたった。
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↑ 『スポーツ・ニッポン』2014年1月21日号
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やはり草食化?20代の42%が童貞…女性の2倍
20代男性の42%が「異性と性交渉を持った経験がない」としたインターネットのアンケート結果を、性教育や不妊相談を手掛けている民間の日本家族計画協会が20日、発表した。20代女性で「ない」と回答した21%の2倍で、北村邦夫専務理事は「男性の草食化が話題になる中、20代の男女差は顕著で驚いた」と話している。
昨年12月、全国の20~69歳の男女約10万人に電子メールで依頼し、回答した5千人を集計の対象にした。「性交渉の経験がない」とした回答は30代男性で10%、30代女性で7%と差は縮まり、それより上の年代も男女差はあまりなかった。
このほか最近1カ月間に性交渉がなかったセックスレスの割合は、男性が31%、女性が34%だった。理由で最も多かったのは、男性は「相手がいない」(28%)、女性は「面倒くさい」(25%)だった。既婚者では「面倒くさい」との回答が男女とも最多で、北村さんは「少子化の一因ではないか」と分析している。
「スポーツニッポン・アネックス」2014年1月21日 05:30
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/01/21/kiji/K20140121007428010.html
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そこで「日本家族計画協会」のサイトをみると、2014年1月に発表された「第2回ジェクス・ジャパン・セックスサーベイ」のレポートがあった。
メール調査による合計5029人からの回答を集計したもの。
http://www.jfpa.or.jp/wp/paper/402/#1
これらによると、20代の異性とのセックス未経験率は、男性42% 女性21%だそうだ。

館さんのエッセーの元ネタはこれかな?と思ったが、なんか違うなぁという感じがする。
そこでさらに調べると、2013年1月に相模ゴム株式会社が行なった「日本のセックス」という調査があることがわかった。
http://sagami-gomu.co.jp/project/nipponnosex/
こちらは調査数14100人のWeb調査である。
これらによると、20代の異性とのセックス未経験率は、男性40.6% 女性25.5%となっている。
http://sagami-gomu.co.jp/project/nipponnosex/experience_sex.html#exp01
どうも、こちらが館さんの元ネタかなと思う。
(館先生、いかがでしょう?)
【追記】やはり、「相模ゴム」の調査がベースとのこと、ご本人からお返事をいただきました。

館淳一さんとはFace Bookでお付き合いがあるので、つい気になってしらべてみたが、館さんの元ネタがどちらかは、本質的な問題ではない。

どちらの調査でも、20代の異性とのセックス未経験率は40%を越え、女性のそれより15~20ポイントも高いことがまさに注目すべき現象だ。

大学でジェンダー&セクシュアリティ論の講義をしていて、男子学生の(生身の女性との)セックス忌避傾向に気付いたのは2006年くらいだった記憶がある。
もう8年ほど前のことだ。
最初は、性行動が活発な男子と不活発な男子の二極分解が進んでいるのだろうと解釈していた。
しかし、最近の状況や、こうした調査データをみると、二極分解というより、全体に無関心・不活発化が進み、むしろ性行動が活発な一部の男子が特異化しつつあると見た方がいいのかもしれない。
童貞でいる理由が、「機会がない」とか「男性が好き」とか「(30才まで童貞でいて)妖精になる資格を得るため」というのは解る。
しかし、「三次元の女性には性欲を抱かない」とか「生身の女性は気持ち悪い」という理由になると、ちょっと考えてしまう。

一方、女子学生は、その逆で、一部に性行動に無関心・不活発化な女子がいるものの、全体的に性行動が活発化しているように思う。
性体験を隠さずにフランクに語る女子学生が増えている。
彼女たちの性行動の相手になっているのは、同世代の男子ではなく、いまだに性行動が活発な40~50代の男性なのではないだろうか。

10月18日(土)パソコンの不調 [日常]

10月18日(土)   曇りのち晴れ   東京  21.8度  湿度39%(15時)

11時、起床。
朝からパソコンの具合がおかしい。
Windowsを自動更新したら、動作が悪くなり、すぐに引っかかって動かなくなるようになった。
その度に再起動せざるを得ず、これは危ないと思い、文書データと画像データを予備機に避難させる作業。

今日は論文を書き始めようと思ったのだが、けっきょく夕方までその作業に費やす。
なんとか、移転を完了。
精神的ストレスがかかる作業だったので、疲労困憊。

夕食は、昨夜から仕込んでおいた、豚肩ロース肉の野菜シチュー。
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じっくり煮込んだので、おいしくできた。

食後、パソコンを再起動。
ん? 普通に動く・・・。
よかったぁ。
でも、いったいなんだったんだ?

お風呂に入って温まる。
夜中、気を取り直して、論文「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」を書き始める。
「はじめに」と第1節で約4000字ほど。
就寝、5時。


韓国の野外公演で、換気口のふた崩落、死者16人重傷者10人  [事件・事故]

10月17日(金)
21時の時点で死者16名。
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観客が落ちた換気口は深さ20mらしい。
20mというと、ビルの6~7階くらいの高さだろうか。
落ちたら、まず助からないだろう。
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↑ ほら、こんな深さだもの。

それにしても、韓国は「セウォル号沈没事件」(2014年4月16日、乗員・乗客の犠牲者294人)に続いて、若者がたくさん亡くなる大事故が続くなぁ。
なにか社会の根本的なところ(安全管理)が壊れているのだろうな。

【追記】
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↑ 崩落寸前の現場写真。
換気口の周囲に柵もロープもないことがわかる。
そして、あきらかに蓋がしなっている(特に下の画像)。
怖い、怖い。
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野外公演で観客転落 死者16人重傷者10人に=韓国

【城南聯合ニュース】17日午後にソウル近郊、京畿道城南市の野外公演場でガールズグループの公演中、会場にあった換気口のふたが崩落し、ふたに乗っていた観客が転落した事故で、消防当局によると午後8時現在、16人の死亡が確認された。重傷者は10人。
重傷者は近くの病院に搬送され治療を受けているが、けがの状態が深刻なため死者はさらに増える可能性がある。
事故当時、ガールズグループ4Minute(フォーミニッツ)が公演中で、会場では約700人が観覧していた。一部観客がやや高い位置にあった換気口のふたに乗って観覧していたところ、ふたが崩落したとみられる。
同日の公演は京畿道などが主催したフェスティバルで、午後5~8時に4Minuteなどのアーティストの公演が予定されていた。
「聯合ニュース」2014年10月17日(金)21時12分

入間市女子大生「通り魔」殺人事件 [事件・事故]

10月17日(金)
「誰かを殺そうと周囲を歩いていたところ、彼女が目に留まった」と言う加害者の男の動機、果たしてその通りなのか?

そうだとしたら、何の罪もないアルバイトに励む善良な女子大生が、たまたまそこに居たというだけで殺されてしまったという、「通り魔殺人」の理不尽さを、改めて思い知らされる事件。

加害者の男がけっしてチンピラタイプではないところも不気味で、加害者の男の心の「深い闇」を感じる。

殺されてしまった大東文化大学の女子学生さん、これから楽しいこともいろいろあっただろうに・・・(合掌)
殺した日本文化大学の男子学生、これから地獄の裁きが君を待っているよ。

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「誰かを殺そうと」供述 殺人容疑で逮捕の大学生/入間の路上で女子大生刺殺

入間市の路上で15日夜、大東文化大3年の佐藤静香さん(21)が、帰宅直前に刺殺された。殺人容疑で県警に逮捕された沼田雄介容疑者(20)=同市豊岡5丁目=は、「誰かを殺そうと周囲を歩いていたところ、彼女が目に留まった」などと供述していることが捜査関係者への取材でわかった。県警は通り魔的な犯行の可能性もあるとみて、動機の解明を進める。

捜査関係者によると、佐藤さんは自宅近くのコンビニエンスストアでバイトを終え、徒歩で帰宅中の同日午後10時15~45分ごろに、背後から襲われたとみられるという。自宅まで数十メートルの場所だった。沼田容疑者は調べに「コンビニから(佐藤さんの)後をつけた。暗い小道に入ったので襲った」などと話し、容疑を認めているという。2人の自宅は約400メートルの距離だったが、知人関係ではなかったという。

沼田容疑者は日本文化大法学部の2年生。捜査開始後の16日午前1時20分ごろ、狭山署へ出頭し、緊急逮捕された。捜査関係者によると、現場から戻ってきた署の幹部が、署の玄関前に座り込んでいた沼田容疑者に「何かご用ですか」と声をかけたところ、事件の話をし始めたという。

捜査員が沼田容疑者の供述に基づき現場周辺を捜索したところ、凶器とみられるナイフがみつかった。

現場は入間市役所から西に約100メートルの住宅街。近くに住む女性(63)は15日午後10時すぎ、「きゃー、きゃー」と長い悲鳴を2度聞いていた。「静香さんはいつも笑顔で明るい子だった。なぜこんな目にあわないといけないのか」と、目に涙を浮かべて話した。

一方、沼田容疑者が所属していた地元消防団の幹部は「無断欠席せず、休むときは必ず事前連絡を入れてきた。将来は警察官になりたいと言っていたのに」と驚いた様子だった。
     ◇ 
佐藤さんの父親は16日、県警を通じて「わたしたちは大切に娘を育ててまいりました。そのような娘の命を奪った犯人については、許せない気持ちでいっぱいです。いまだに実感できておりません。今は静かに娘を送ってあげたいと思います」とコメントした。
『朝日新聞』2014年10月17日09時50分
http://digital.asahi.com/articles/CMTW1410171100002.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_CMTW1410171100002

副校長が実習生にセクハラ「ストッキング売って」 [現代の性(性犯罪・セクハラ)]

10月17日(金)
昔々、その昔、まだ世の中が20世紀と言われていた今から18年も前の、ある冬の日の明け方、歌舞伎町靖国通りの横断歩道で信号待ちをしていたら、50歳前後のオジさんが寄って来た。

オジ「お姐ちゃん、そのストッキング500円で売ってくれ」
順子「嫌~ぁ」
オジ「じゃあ、1000円」
順子「嫌~ぁ、これもっと高い」
オジ「じゃあ、いくらならいい」
順子「いくらでも嫌~ぁ、脱ぐと寒いから」

世の中には、ストッキング・フェティシズムの男性は、それなりにいる。
フェティシズムの人の中では、かなり多い方だと思う。
ストッキング・フェティシズム自体は危険な性的嗜好(Sexual Preference)ではないし、生脱ぎストッキングを買い取ることも相手が成人なら犯罪ではない。
(相手が未成年だと「青少年保護育成条例」に引っかかる可能性がある)

ただ、この副校長の場合、生脱ぎストッキングを求めた相手が教育実習生という点が大問題。
副校長は実習生に対して、指導し成績評価する立場で「権力性」があり、明らかなセクシュアル・ハラスメント。
そこらへんの分別がつかないのは、教育者としても管理職としても落第ということ。

私の受講生も何人か教育実習に行っている。
実習生送り出す立場からすると、こういう管理職がいる教育現場に入るって、つくづく大変だな、と思う。
とくに女子学生は・・・・。
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教育実習生のストッキング脱がせ購入した副校長

東京都教育委員会は16日、教育実習生だった女子学生から使用したストッキングを購入したなどとして、多摩地域の小学校の男性副校長(57)を停職6か月の懲戒処分にしたと発表した。
副校長は同日付で退職した。
発表によると、副校長は昨年10月7日夜、同小で昨年夏に教育実習を行った女子学生に、居酒屋でストッキングを脱ぐように言い、そのストッキングを5000円で購入。同10日夜にもカラオケ店で、同じ学生に「またストッキングを買いたい」と言い寄り、断られたという。

『読売新聞』2014年10月17日 12時36分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20141017-OYT1T50020.html
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副校長が実習生にセクハラ「ストッキング売って」

東京都教育委員会は16日、教育実習生に「ストッキングを売ってくれ」などと迫り、セクハラ行為をしたとして、多摩地区の公立小の副校長(57)を停職6カ月の懲戒処分にした。副校長は同日付で退職した。
都教委によると、副校長は昨年10月7日夜、同年5月に教育実習に来ていた20代の女子学生を居酒屋に呼び「ボランティアをしてほしい。知り合いの老人に頼まれた」と切り出し、履いていたストッキングを売るように頼んだ。
その際、女子学生に「口は堅い方か」と確認した上で、履いていたストッキングを受け取った。女子学生には5000円を渡し、コンビニで新しいストッキングを買わせたという。
さらに昨年10月10日夜にも、カラオケ店に女子学生を呼び「退職後はマッサージ師になりたい」と言って、右手で左肩や首をもんだり、左腕を触ったりした。
女子学生が所属する大学に相談。5000円は大学を通して副校長側に返したという。副校長は「女子学生と仲良くしたかった。教員志望なのでアドバイスをしたかった」と話しているという。
『スポーツ・ニッポン』 2014年10月16日 23:59
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/10/16/kiji/K20141016009116270.html

「社会学者」古市憲寿氏の発言の何が問題なのか? [社会分析]

10月17日(金)
「新進気鋭の社会学者」古市憲寿氏の発言が、あちこちで批判されている。
中には古市氏を「ルッキズム」と決めつけている批判もある。
「ルッキズム」となると、私の関心領域なので、いったい何を言ったのだろう?と思い、確認してみた。
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古市憲寿氏 (@poe1985)の第1発言
「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う。」

乙武洋匡氏(@h_ototake)のリプライ
「生活指導の先生が怒髪天を突くつぶやきだね(笑)」

乙武氏のリプライを受けての古市憲寿氏 (@poe1985)の第2発言
「努力で顔の雰囲気を変えられるメイクや自由な髪型が許されず、ありのままの姿を強要される学校空間っておかしいなあと常々思ってます。」

さらに古市憲寿氏 (@poe1985)の第3発言
「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってること。韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」
--------------(発言はすべて2014年10月13日)--------------

古市氏のこれらの発言のいったいどこが問題なのだろうか?
私なりに考えてみた。
まず、第1発言を、古市氏が合唱している中学生の容貌を批判しているととるのは、かなり歪んだ解釈だと思う。
たしかに、「顔の造形がありありとわかって辛いから」の部分は、率直な感情に基づくもので、「社会学者」としては少し不用意だったと思うが。

第2発言は、一連の発言の核心部で、ありのままの姿であることを強いる、容貌の印象を変える努力を徹底的に否定する学校空間への批判は、その賛否はともかく、それなりに傾聴すべき問題提起だと思う。
現在の日本の学校で起こっている様々な問題の根底に、画一性への強い志向=多様性の否定があると思うから。

そして、第3発言だが、前半の「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってる」という発言は、第2発言を学校空間から一般空間に敷衍したもので、やはり、「社会学者」らしい問題提起だと思う。
日本の社会が、こうした問題を、ちゃんと考えてこなかったのは明らかだからだ。
それに「生れたままの姿を変えるべきではない」という規範と「生れたままの性別を変えるべきではない」という規範との距離はほとんどないに等しい。
だから、トランスジェンダーの立場からも無視できない問題である。

第3発言に問題があったとすれば、後半の「韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」の部分、とりわけ「韓国」を引き合いに出したことだろう。
何も「ネトウヨ」を刺激したからということではない。
韓国人の美容形成への強い入れ込み、その背後にある韓国社会の過剰な容貌主義の問題性を無視し、むしろ、それらを肯定していると、とられかねないからだ。
おそらく、それは古市氏の本意ではないだろう。
現地に行ってみてつくづく感じたことだが、やはり韓国人の美容形成への傾倒、容貌への過剰な価値づけは、社会的なバランスを欠いていると思う。
あれこそ、まさに「ルッキズム」である。
その点、古市氏の第3発言の後半は「舌足らず」だったと思うが、そもそも140字制限のTwitterは「舌足らず」なものなのだ。

以上、検討してみたが、古市氏のこれらの発言は、それほど批判されるようなものではなく、むしろ重要な問題提起を行っていると思う。
また、古市氏を「ルッキズム」と決めつける批判は、かなり明後日の方向に矢を放っていると思う。

そもそも、顔の造形が、その社会一般の基準からして、整っている人(美形)と、そうでない人(不細工)がいるのは、現実である。

ただし、「世間一般の基準」というのは、社会・文化、つまり地域や時代によってかなり変化する。
それに加えて、個人の容貌への嗜好はかなり大きな幅がある。
ある人にとっては「美形」であっても、ある人にとっては「不細工」ということは珍しいことではない。
したがって、世の中のかなりの人は「美形」にもなり得るし、「不細工」にもなり得る。
逆に言えば、ある社会の人の9割が「美形」と認識するような人が「美女」「美男」であり、逆にある社会の人の9割が「不細工」と認識するような人が「醜女」「醜男」ということになるのだと思う。
「9割」というのは、統計的に意味がある数字ではなく、8割でも7割でもいい。
ここで重要なのは、「美女」「美男」、そして「醜女」「醜男」であっても1~3割くらいは「そうは思わない」という人がいるということだ。
それだけ、個人の容貌への嗜好は幅が大きい。

顔の造形、顔の印象というものは、変えられないものではない。
美容形成の技術によって、化粧のテクニックによって、さらには本人の心持によって変わってくる。
より多くの人に好印象をもたれるように努力することは、まったく悪いことではない。
顔のコンプレックスから脱却して、自己肯定度が高まれば、社会的な活動度は上がり、いろいろなことが好循環になっていくことが多い。
逆に、顔のコンプレックスが低く、自己肯定度が上がらず、社会的活動度が低く、その人の能力が埋もれれしまうならば、それは社会的な損失だ。

そうした意味で、私は美容形成や化粧には肯定的だ。
したいと思う人は、どんどんすればいい。

容貌が生れながらのものである、という考えは、私は取らない。
容貌は、その人の意志と努力の所産である。
その努力は否定すべきではない。

ただし、美容形成や化粧をしたくない人が強いられることはあってはならないし、容貌を向上させる努力をしないのも、その人の自由だと思う。

容姿の美しさは、知的能力や運動能力と同じように、その人の個性であり能力である。
勉強して学力を磨く、鍛錬して運動能力を向上するのと同じように、容姿を磨く努力も認められるべきなのだ。