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3年ぶりの皆既月食 [天文・気象・生物]

10月8日(水)
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↑ 18時54分、だいぶ欠けた。
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↑ 19時18分、ちょっとだけ残っている(皆既6分前)。
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↑ 19時27分、皆既月食(皆既始まり3分後)。
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↑ 19時37分、皆既月食中。画像処理で明るくしてみた。
ほぼ、肉眼で見た感じだと思う。
たぶん皆既月食は10数回、見ていると思うけど、皆既中の月、今回はかなり明るい方だと思う(食の最大の19時54分に観望)。

「女装の好きな男―僕のアルバムから―」(『内外タイムス』1956年12月5日号) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

10月8日(水)
『内外タイムス』1956年12月5日号の「読者の作る欄」というコーナーに掲載された「女装の好きな男―僕のアルバムから―」という記事。
女装の好きな男(『内外タイムス』19561205).jpg
女装の好きな男(『内外タイムス』19561205)2 (2).jpg女装の好きな男(『内外タイムス』19561205)3 (2).jpg
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女装の好きな男 ―僕のアルバムから―   滋賀雄二
H君は岡山県N市に住む理容師で、二十八才の独身者だが、、女装が三度の飯より好きという変った男。
彼は肌が浅黒く、小太りの体格で、目が大きい。素顔の時は平凡なありきたりの青年なのに、女装すると見違えるほど肉感的な女性に変化する。女装用品はカツラ、衣装など一揃い持っている。
店に来る客の中で美男子を見出すと、満点のサービスをしながらモーションをかける。
相手に反応があると、終業後に打合わせた場所へ行く。H君は完全なソドミアでウールニング(女性的立場)である。ソドミアと変っているのは、必ず白粉を塗り、カツラをかぶり、女の衣装をつけて女装することである。
近所のS氏という踊の師匠から日本舞踊を教わっているが、踊りよりも女の動作をしたり、女装して踊ることに興味が強い。S氏はH君の踊りは少しも上達しないとこぼしている。
N市の夏祭があると、H君はこの時とばかり、白粉を塗り前髪をカールして額にたらし、艶やかな振袖をまとい、写真のように美しい女に化けて街に出てゆく。そして誰はばかるところなく大っぴらに女になり切り、夜の更けるまで踊り狂う。
しかし、お祭は一年に一回しかないから、H君の女装欲はとても満たされない。しかも彼は両親の経営する理髪店の次男坊であるから、家の中でいつも女装していることむずかしい。そこで、お客の中から適当な相手を物色して女装遊戯をするのだが、小さな町のこととてすぐ評判になってそれも永続きしない。
彼は解決策として、このN市にある某劇団に臨時加入し、旅回りの巡業に一緒に出かけて行く。この一座で彼は女形になり、芝居に出たり、歌謡曲のレコードに合わせて、あまり上手ではない日本舞踊を舞台で踊る。芸者姿の写真は、巡業中に撮影したものである。
(三鷹市上連雀)
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投稿者の滋賀雄二は、女装者愛好男性(自分は女装しないが女装者を愛する男性)で、1955年(昭和30)10月に日本最初のアマチュア女装の集団「演劇研究会」を創立、機関誌『演劇評論』を刊行した人。
(参照)三橋順子「(日本女装昔話2)最初のアマチュア女装集団『演劇研究会』」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_02.htm
記事の内容からして、滋賀氏、どうもH君の地元まで会いに行っているようだ。
この時代の女装者愛好男性は、「富貴クラブ」の西塔哲会長もそうだが、どこそこに女装者がいると聞きつけると、遠きを厭わず、会いに行ったようだ。
それだけ、女形、女装男娼以外の女装者が珍しかった。

この記事は、「演劇研究会」の創立から約1年後のもので、全国各地から会員が集まりつつあった頃。
「演劇研究会」は、演劇の研究を女装の隠れ蓑にした会員制の秘密組織だったが、まったく世の中に知られないのでは、会員が増えない。
記事では「演劇研究会」のことには触れていないが、やはり、各地に散在する女装者の発掘と会の広報を目的にした投稿だと思う。

滋賀がH君を「ソドミア」(男性同性愛者)の「ウールニング(女性的立場)」タイプとして紹介しているのは、1956年の時点では、まだ男性同性愛者と女装者の分離が不十分であったため。
男性同性愛者(ゲイ)と切り離されて、「女装者」という概念が成立するのは1960年代初頭になってからである。
(参照)三橋順子「『女装者』概念の成立」(矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部、2006年3月)

記事は、1950年代の地方在住の女装者の生態をよく示していてとても興味深い。
日本舞踊、夏祭り、旅回りの劇団の女形と、可能な限り機会をとらえて女装している。
女装願望をもつ男性が日本舞踊を女装することの手段にすることは、1960年代くらいまではよくあった。
また夏祭の盆踊りは、春のお花見と並んで、伝統的に異性装(女装・男装)が許される祝祭空間だった。
女装趣味がいよいよ高じて、旅回りの劇団の女形になるというパターンも、いくつか知られている。
おおっぴらに女装できる女形は、この時代の女装願望者にとってはあこがれの職種だった(誰もが成れるものではなかったが)。

記事で紹介されている女装常習のH君が住む岡山県N市に該当するのは、現在、新見市と美作市だが、美作市は2005年に合併で成立した市なので該当しない。
新見市の市制施行は1954年6月なので、この記事の時点(1956年)で存在している。
消滅した市にはN市はなく、N市=新見市で確定。
新見市は岡山県の北西、中国山地の小盆地に位置する城下町(新見藩、関氏18000石)。
昭和3年(1928)、国鉄伯備線の開通にともない新見駅が設置され、さらに芸備線、姫新線の分岐点となり、中国山地の要衝となり、鉄道が主な交通機関であった時代にはそれなりに栄えていた。
最盛期(昭和30年=1955)には人口6万6000人余を擁した(2010年の人口3万3865人)。
それにしても、大きな町ではなく、H君はきっと地元ではかなりの有名人だったろう。
ご存命なら、今年86歳のはずだが・・・。

就活失敗したから「イスラム国」に参加? [事件・事故]

10月8日(水)
なんだ、イスラム教への純粋な信仰心ではなく、就職活動がうまく行かず自殺願望の末にシリアに行こうとしていたのか・・・・。
イスラム教では、イスラムの大儀に殉じて死ぬのは「殉教」だが、単なる自殺は許されない。
「イスラム国」 が真っ当なイスラム教の集団なら、そんな信仰心もない自殺願望の若者なんて迷惑以外の何物でもないはず。
そんな若者を受け入れて消耗品の戦闘員に仕立てているのなら、やはり、ならず者集団ということになる。

普通に考えれば、就職活動の失敗と「イスラム国」への参加の間には、かなり距離がある。
それが結びついてしまうところに問題がある。
1つは、本人の精神状態。
そこまで自殺願望が強いのなら、シリアではなくメンタルクリニックに行くべきだ。
もう1つは周囲の大人たち。
イスラム法学の専門家の元大学教授(誰だか判っているのになぜ名前が出ない?)なら、この学生に信仰心がないことくらい容易に見抜けるだろう。
イスラムの現場を知っているジャーナリストなら、この学生が戦闘員として役に立たないことくらいわかるだろうに。
なのに、彼をシリアに連れて行こうとしたのは、どんな思惑・利得があったのか。
それが知りたい。
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「就活うまくいかず…」 「イスラム国」参加計画の学生
中東の過激派組織「イスラム国」をめぐる私戦予備・陰謀事件で、北海道大の男子学生(26)=休学中=が警視庁公安部の事情聴取に対して、戦闘員として組織に加わろうとした理由について「就職活動がうまくいかなかった」などと話していることが捜査関係者への取材で分かった。

この学生は、複数の知人に自殺願望とともに「シリアで死ぬつもりだ」などと明かしていた。公安部は、学生が就職活動の失敗などから孤立感を深めていったことが事件の背景にあるとみている。

公安部は6、7の両日、学生が出入りしていた東京都杉並区のシェアハウスのほか、調査などで「イスラム国」の支配地域に入ったことがある元大学教授の都内の自宅など関係先3カ所を捜索。捜査関係者によると、シェアハウスからは学生が所持していたイスラム教関係の書籍数冊を押収したという。

「勤務地:シリア」と書いた求人広告を出していた東京・秋葉原の古書店関係者の話では、学生とは数年前、ツイッターを通じて知り合い、今年4月ごろ、「シリアに行きたい」と相談を受けた。学生は7月ごろに北海道から上京。古書店関係者が所有するこのシェアハウスに泊まった際に「本当は九州で死ぬつもりだった」と話したという。

元大学教授から学生を紹介され、8月に一緒に「イスラム国」の支配地域に渡ろうとしたフリージャーナリスト常岡浩介氏(45)によると、学生は「友達、仕事、学業全てを捨て、北海道を出てきた。シリアに行って死ぬためだ。日本にいても遅かれ早かれ自殺する」と打ち明けたという。

常岡氏は朝日新聞の取材に対して、「学生は精神的に不安定な様子だった。軍事マニアのようで、現実感が乏しいとも感じた」と話した。8月の渡航計画は学生が「パスポートが盗まれた」などと話したため、断念したという。
『朝日新聞』2014年10月8日05時15分

10月7日(火)都留文科大学「ジェンダー研究1」第2講(『性』と社会を考える(1)― ジェンダー論の基礎 ―) [お仕事(講義・講演)]

10月7日(火)  曇り   大月  20.7度 
5時15分、起床。
明らかに風邪気味で、喉の調子が悪い。
朝食は、カスタードクリーム・デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結んで、シュシュを巻く。
6時、化粧と身支度。
白と黒のジラフ柄のロング・チュニック(長袖)、裾にラインストーンが入った黒のレギンズ(6分)、黒網のストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ。

7時過ぎ、家を出る。
新丸子駅から東急東横線各駅停車に乗り、自由が丘駅で急行に乗り換え。
そのまま東京メトロ副都心線に入って新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩いてJR新宿駅東南口に出る。
8時10分、新宿駅に到着。
新宿駅南口の駅弁屋で昼食用のお弁当を買い、8時30分発の「あずさ7号」に乗車。
車中、コメント票を読む。

9時38分、大月駅に到着。
9時46分発の富士急行「フジサン特急3号」(2000形)に乗り継ぐ。
今日も富士山は雲の中。

10時4分、都留文科大学駅に到着。
歩いて7分ほどの大学に到着。
レジュメは20部減らして240部印刷。

10時50分、講義開始。
まず、コメント票の質問に答える。
第1講「ガイダンス」の残りを片付ける。

2 「性」を考えることの意味
 (1)「生」と「性」の不可分性
 (2)「性」を内省することの必要性
 (3) 性別二元社会の仕組みを知る
-------------(ここから)-------------------------
 (4) 女性と性的マイノリティが果たしてきた役割
 (5)「性」を考えることの普遍性と今日性

続いて第2講「『性』と社会を考える(1)― ジェンダー論の基礎 ―」に入る。

1 ジェンダーを考える
 (1)ジェンダー(Gender)とは何か?
 (2)ジェンダーの構築性
 (3)“Doing Gender”という考え方
 (4)ジェンダーとコミュニケーション
 (5)ジェンダー概念の問題性
-------------(ここまで)-------------------------
2 ジェンダーと労働
 (1)雇用・労働における性差別の撤廃
 (2)女性労働の特質

毎度のことながら、時間が足りない。
「ジェンダー論の基礎」なので、内容を盛り込み過ぎなのだ。
この内容だと2回分でやりたい。
でも、枠の余裕がない。

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↑ 今日の昼食。新宿駅で買った「仙台牛ひとめぼれ弁当」(1150円:仙台駅:こばやし)。
ご飯の上に牛肉が乗っているだけ・・・、もう一工夫がほしい。
味は可もなく不可もなくと言うか・・・、で、この値段はちょっと不満。

14時40分、講義終了。
今日は危ぶんでいた通り、1コマ目から喉の調子が悪く、2コマ目は途中で止めようかと思ったくらい辛かった。
聞き苦しくて、受講生に申し訳なかった。

講師控室で残りレジュメの整理。
15時15分、辞去。
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↑ どんより曇り空。
15時28分の上り電車に乗車。
大月駅に15時49分に到着。
16時01分発の「かいじ118号」に乗り換え。
車中、ぐったり。
立川駅に16時38分に到着、JR南武線に乗り換え。
1本やり過ごして16時55分発の電車に座っていく。
17時41分、武蔵小杉駅に帰着。
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体調不良で疲れた。
写真も左目の下に隈がでている(泣)。
(続く)