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「湘南」のイメージ・エリアは・・・ [社会分析]

10月19日(日)
また、この論争してるのか・・・。
まあ、地元の人たちにとっては大事な「ブランド」だからなぁ。
「湘南」の語源は、中国宋代の長沙湘南県、現在の中華人民共和国湖南省を流れる湘江の南部で、禅宗が盛んな地だった。
禅宗文化が鎌倉の地に移入され、臨済禅の建長寺や円覚寺など禅宗寺院が栄えると、そのイメージが重ねられ、「湘南」が鎌倉の地の異称(雅称)となった。
つまり、「湘南」という言葉は禅宗文化の所産であり、本来は、鎌倉に限定されるイメージである。
しかし、今の時代、「湘南」を禅宗文化に結び付ける人はほとんどいないだろう。

近代の「湘南」のイメージは、明治時代に東京在住の上流階級が、保養地・避暑地として別荘を構えたことに発している。
さらに、当時、西欧で健康法として推奨され流行した「海水浴」と密接な関係がある。
1879年(明治12)、内務省の諮問を受けたドイツ人医師(東京医学校講師)エルヴィン・フォン・ベルツ博士が海水浴場の適地として答申した片瀬海岸(藤沢市)、1885年(明治18)に海水浴場が開設された由比ヶ浜(鎌倉市)、翌1886年(明治19)に設置された鵠沼海岸(藤沢市)などは、そのイメージの端緒だ。
ということで、鎌倉市+藤沢市の海岸部が「湘南」の中核であることは、異論のないところだろう。
湘南の海.jpg
↑ 鎌倉の海。まさに「湘南」のイメージ。

1889年(明治22)、日本海軍最大の軍港となった横須賀に至る鉄道として横須賀線が開通した。
鎌倉駅の先に逗子駅が設置されると、東京在住の貴顕の別荘が逗子周辺に設けられるようになる。
1891年(明治24)、葉山に有栖川宮別邸が、1893年(明治26)に同じく 葉山に北白川宮別邸が、そして1894年(明治27)には皇室の葉山御用邸が竣工する。
こうして、上流階級の保養地は鎌倉から東へ、逗子市、葉山町へと延びていく。

また、1897年(明治30)、著名な文筆家の徳富蘆花が逗子柳屋に転居する。
蘆花は『國民新聞』に「湘南歳余」を掲載し、相模湾や富士山を望む「湘南」の風光を広く紹介した。
蘆花が広めた「湘南」のイメージが逗子を拠点にしていたことで、逗子・葉山エリアも「湘南」の範囲に入ることになった。

ということで、「湘南」のイメージ・エリアは、「鎌倉・藤沢」+「逗子+葉山」の海岸部という時代が長く続くことになる。

そんな「湘南」のイメージを西に、具体的には茅ヶ崎市まで拡張したのは、サザンオールスターズである。
私より年下の人たちの「湘南」イメージは、かなりの部分、「勝手にシンドバッド」や「チャコの海岸物語」などサザンオールスターズの歌に影響されているのではないだろうか。
ちなみに、リーダーの桑田佳祐(茅ヶ崎市出身)は、私より1つ下。
しかし、桑田自身が監督した映画「稲村ジェーン」に、「地元(茅ヶ崎)の人間は湘南なんて誰も言わない」というセリフがあるように、桑田自身は「湘南」にはあまりこだわっていないようだ。

まあ、桑田佳祐の功績で、茅ヶ崎市まで「湘南」に入るかな?というのが現在の大勢だろう。
アンケートでも「茅ヶ崎~葉山」を「湘南」とする人が35%で1位という結果は肯ける。

茅ヶ崎市よりさらに西の大磯町も、古くは伊藤博文・山県有朋など明治の元勲たち、戦後は吉田茂首相が別邸を構えるなど、別荘地としての歴史をもつが、さすがにここは「湘南」の中核部(鎌倉)から離れすぎている。
平塚市などとともに「西湘」でいいのではないだろうか。

寒川町など、海辺でないところは論外である。
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「湘南」は一体どこからどこまでか 平塚や大磯、湯河原はニセ湘南?

「湘南」といえば、いったいどこからどこまでを指すのか――そんな議論が、またぞろ話題となっている。
きっかけとなったのは、地域系サイト「Jタウンネット」の記事だ。ツイッター、フェイスブックなどでは、地元出身者を中心に「ウチは湘南だ」「あそこは湘南じゃない」などとさまざまな声が出ている。そこから見えてきた、現代の「湘南」の範囲とは。

「相模湾沿い全部湘南!」に「広すぎ!」
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Jタウンネットによる「湘南の範囲は?」投票の結果。「茅ヶ崎~葉山」が最多を占めた

「湘南ボーイ」という言葉も今や死語だが、古くは石原慎太郎氏の小説や映画「若大将」シリーズ、最近でもサザンオールスターズや湘南乃風の楽曲の舞台として、きらめく太陽、輝く海のイメージとともに、今なお「湘南」という地名はちょっとしたブランドだ。

にもかかわらず、湘南の範囲には定説がない。たとえば平凡社の『世界大百科事典』では、
「神奈川県中部、相模湾岸一帯の地域名」
としつつ、「範囲は一定していない」として断定を避けている。

ところが最近、神奈川県の進める観光プロジェクト「かながわシープロジェクト Feel SHONAN」では、
「湯河原から三浦までの相模湾沿岸を『湘南』と呼びます!」と宣言してしまった。要するに小田原や横須賀なども含めた神奈川県の相模湾沿いすべてが「湘南」だというのだ。

Jタウンネットが2014年10月7日、この事実を取り上げたところ、地元在住者を中心に、ツイッターやフェイスブックでたちまち議論が沸騰した。圧倒的に多かったのは、「いくらなんでも広すぎるだろ!」という声だ。

調査では「茅ヶ崎~葉山」が最多
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さまざまな「湘南」の定義をまとめた地図(Jタウンネット編集部作成)

Jタウンネットでは、「湘南の範囲はどこまでだと思いますか?」と題したウェブアンケートを行った。16日までに3074の応募があったが、県が宣言した「湯河原~三浦」を支持したのはわずかに4%。「三浦が湘南のわけないだろ」「いやー、小田原は湘南じゃないっしょ」と反応は厳しい。一応、小田原は自動車も「湘南ナンバー」なのだが......。

対して最も支持を集めたのは、茅ヶ崎から藤沢、鎌倉、逗子、葉山の範囲を湘南とする「茅ヶ崎~葉山」の35%だ。これに西側の平塚、大磯を加えた「大磯~葉山」が26%で続く。

中でも、茅ヶ崎・藤沢エリアは、投票者中92%が「湘南」と認めた。「湘南は逗子、葉山、鎌倉まででしょう。某グループが湘南と言い張っていますが、茅ヶ崎は湘南じゃないでしょう」と言い張る反対派もいるが、ここをひとまず湘南のコアとしていいだろう。

平塚、大磯あたりに来ると、湘南としての認知率は半数を割って48%まで落ちる。特に平塚は、「平塚はなんちゃって湘南」「平塚は微妙なところ」などとひどい言われようだ。なお、大磯など相模湾沿い西部には「西湘」という呼び方もあり、「西湘ブランドで推せば良い」との声も目立つ。

逗子・葉山は66%。明治時代には「湘南」といえば逗子あたりを指したが、その中心は藤沢・茅ヶ崎に移ったようだ。また逗子は湘南と認めるにしても、「葉山は海あるけどサーファーがいるぞくるぞって感じではあまりない」ので湘南ではない、との説もあった。

湘南ナンバーでも大激論
また「内陸部は湘南じゃないだろ」という主張も強い。慶応大学湘南藤沢キャンパスなどがある湘南台(藤沢市)や、東海大学湘南キャンパス(平塚市)が好例だ。
「そこを湘南と呼ぶのは詐欺だと思った。『~台』って言うんだから海じゃないよね」
「東海大学の湘南校舎はあまりにも内陸なので、学内の他校舎の学生からは『丹沢校舎』と呼ばれている...」

思えば湘南の範囲をめぐる話題は今に始まった話ではなく、1990年代前半の「湘南ナンバー」誕生時にはその適用範囲をめぐって自治体が綱引きを繰り広げるちょっとした騒動となった。平塚市が音頭を取った「湘南市」構想も一時盛り上がったが、結局とん挫している。
どこからどこまでが湘南か。この問題をめぐる波風は、そう簡単には収まりそうもない。

「J CASTニュース」2014/10/18 14:30
http://www.j-cast.com/2014/10/18218624.html?p=all
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東スポ読者

東海大の湘南校舎に近い、神奈川大の平塚キャンパスも「湘南ひらつかキャンパス」と名乗っています。私はかつて横浜キャンパスに通いましたが、当時は平塚ができて間もない頃で「湘南」とは名乗っていなかったと記憶しています。横浜の学生は「パンフレットに湘南海岸の写真を載せるのは詐欺だ」などと話していたものです。
by 東スポ読者 (2014-10-20 00:31) 

三橋順子

東スポ読者さん、いらっしゃいま~せ。
キャンパス名だけでも、かなり「詐欺」っぽいのですから、パンフレットに湘南海岸の写真を載せるのは、もう確信犯的「詐欺」だと思います。
海の香りがしないところで「湘南」を名乗っちゃあいけません。
by 三橋順子 (2014-10-20 04:50) 

Gen

横須賀も湘南ではないと思います。
湘南ブランドに頼りたい下心が見え見えですね。
葉山には葉山の、横須賀には横須賀の、そして湘南には湘南の良さがあるんだから、それをウリにすればいいだけなのに・・・。
町の個性をもっと大事にすべきです。
by Gen (2014-10-21 00:51) 

三橋順子

Genさん、いらっしゃいま~せ。
相模湾岸、葉山町と三浦町の間に横須賀市が入り込んでいるのは確かですが、やはり横須賀は歴史的には東京湾口の軍港であって、「湘南」のイメージは皆無ですね。
おっしゃる通り、「湘南」ブランドに頼ることなく、それぞれの個性を磨くべきです。
by 三橋順子 (2014-10-21 06:34) 

Recar

お久です。お元気でお過ごしでしょうか?
順子先生、本日の朝日の朝刊、教育面ご覧なりましたでしょうか。
数日来の女装イベント懸案記事と今回の純朴なレビューとして迎合されてる紹介記事、多少男性記者、女性記者の異性装に関してのベクトルの違いがあるものの、やはり読者にはすぽっと同一線上に嵌って観られてしまうような気がします。やはりアンダーグランドな性癖性の強いプロパガンダ的女装論と、健全?な歌舞伎、レビュー宝塚的な異性装論...ゲイ(Gay)、芸...術論。もはやその区別、すみわけ等も現代の社会通念、観念などに必要なくなりつつあるのでしょうか?
私は今回の紹介された男子校学生さんと同じGD対象年齢となり得る生徒さんに、朝日一連の記事と同じ目線で視られるはGD当事者にとってやはり、やりにくいものがあるような気がしました。

それと、湘南の件ですが、私が勤めていた印刷会社広告企画部署の資料室に確か岩波書店から出版されていた地名辞典(かなり古い)の記載に逗子海岸から望んだ風景が湘南に当てはまるとありました。湘南は
逗子であると指し示されてあります。そしてここで生息している私の自論は...当時は湘南ナンバーは無かったので相模ナンバーはパス。あくまでも湘南地方なので相模湾に面している事と、定義付けが曖昧になるため東京湾に面してる市町村はパス。裕次郎、慎太郎の文脈からいえば鎌倉は異質、葉山は御用邸があるし自由さがチョッとの格の違い?それと神奈川県民として丹沢、箱根方面と同じ郡部に属し三浦郡葉山ちょうだからこれもパス。そうすると横浜ナンバーで相模湾だけに面していて、葉山町、鎌倉市を除外すれば最後に残るのは俺らが町、逗子です。
プライドが貴くてすみません。こんな環境で育った私もそこにある一貫校の男子校だったりして...。だからこんな、お○まになったのかもしれませんネ。
by Recar (2014-10-22 10:40) 

三橋順子

Recarさん、いらっしゃいま~せ。
逗子住民のご意見、承りました。
でも、逗子=「湘南」のイメージ化をしたのは徳富蘆花なんです。
やはり、それ以前から「湘南」だった鎌倉・藤沢は外せないでしょう。

新聞記事についてですが、現状、性同一性障害に関心がある記者さんはかなり少なくなっています。
それに対して、異性装(男装・女装)に関心をもっている記者さんは確実に増えています。
その結果、いろいろな視点で異性装を取り上げる記事が増えたのだと思います。、
一方、性別移行を病理としてとらえる考え方が、マスメディアの場でも、次第に過去のものになりつつあります。
昨年くらいから「流れは変わった」ことを、はっきり感じます。
これから性同一性障害がメディアの話題になるとすれば、過剰な病理化、アンバランスな病理化がもたらした弊害の側面でしょう。
遡って考えると転換点は2010年頃だったかなと思います。


by 三橋順子 (2014-10-24 04:01) 

Recar

ご考察、承りました。
しかしながら、現状では病理病状イコール法的解釈になっている以上、GDならびにsexualの認識を180度舵を切るのは至難でしょう。
by Recar (2014-10-24 09:35) 

三橋順子

Recarさん、いらっしゃいま~せ。
確かに「GID特例法」が最後の障害になるでしょう。
でも、日本の「GID特例法」は国際的にも批判が出てきているので、いずれ、大幅な改正(もしくは廃止→新法)をせざるを得ないと思います。
あと5年くらいの間になんとかしたいですね。
by 三橋順子 (2014-10-25 08:37) 

真樹猫ちゃん

湘南といえば・・・、その昔怪しの者が賊を手引き・・・ではなく
消滅した神奈川県津久井郡の話にゃのですが。
1889年から1955年まで相模川中流域に湘南村というのがありみゃした。
場所で言うと小倉橋から高田橋の間ですにゃ。その後周囲と合併して
城山町が誕生、2010年に相模原市緑区の一部となりみゃした。
今も、小倉橋の近くに名前を残す湘南小学校がありみゃす。
30名くらいの小さい学校。
この湘南は淡水の南という意味で名付けたという話ですにゃん。
by 真樹猫ちゃん (2014-10-25 12:43) 

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