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Anno Jo先生による「9月20日の朝日新聞、神庭亮介氏の「男の娘」の記事と、三橋順子著「女装と日本人」の類似性」の検証 [現代の性(性別越境・性別移行)]

10月3日(金)
9月20日の『朝日新聞』に掲載された(神庭亮介記者)という記事の問題性については、すでに指摘した。
(参照)『朝日新聞』の「男の娘」記事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-20-1
問題は、記事の中の一節、
「古来、日本は異性装に対しておおらかな国柄だったと言われる。古事記にはヤマトタケルが女装して敵を討つ場面があるし、歌舞伎の女形は江戸時代の大スターだった。明治期以降、西洋的な価値観の流入で女装への抑圧が強まったが、戦後の混乱を経て復活。女装に寛容な風土のもと、ビジュアル系をはじめとする独特の文化が育まれてきた。」
のほとんどが、私の著書『女装と日本人』(講談社現代新書)の要約であるにもかかわらず、何の注記もないことにある。

この点について、Anno Jo先生が記事と私の著書の類似性を、第三者的立場で詳しく検討してくださった。
9月20日の朝日新聞、神庭亮介氏の「男の娘」の記事と、三橋順子著「女装と日本人」の類似性 1
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20140930
9月20日の朝日新聞、神庭亮介氏の「男の娘」の記事と、三橋順子著「女装と日本人」の類似性 2
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20141001
9月20日の朝日新聞、神庭亮介氏の「男の娘」の記事と、三橋順子著「女装と日本人」の類似性 3
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20141002

Anno Jo先生の見解は下記の通り。
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結論①
いわゆる「コピペ」にあたる、まる写しの文章はみあたらず。
また、「寛容」を「おおらか」、「ファッションリーダー」は「大スター」といくつかの言葉は新聞記事では置き換わっていた。
ただ、「ビジュアル系」以外のすべての項目は、歴史的イベントおよびその解釈は、時系列に沿って、「女装と日本人」と同一内容のものであった。
結局、新聞記事の問題個所部分は「ビジュアル系」以外の部分は、表現のいくつかの言い換えはあるが、「女装と日本人」を要約したもの、と私には感じられた。

結論②
やはり記事の骨格は「女装と日本人」がベースと思われる。
ただ「化粧男子」を参考に、女形については「スター」という言葉に置き換えたと思われる。

結論③
(1) 神庭氏は「事実」と「解釈」の区別ができていない。
(2) そのため、「日本人は歴史的に女装に寛容である」を、歴史的事実と考え、三橋学説であるとの認識がない。
(3)そのため、引用したとの自覚が乏しく、引用もとの記載、事前の承諾、事後の謝罪、など適切な対応がとられていない。
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結果は、私が直感的に思ったことと同じで安心した。
しかし、95%参照要約しても、5%別の人の要素が入れば注記する必要なしという神庭記者の姿勢(≒朝日新聞の流儀)、やはり私には理解できない。
また、神庭氏は「歴史事実」と「歴史解釈(学説)」の区別ができてなく、研究者が労苦の末に立てた学説に対する尊重がまったく感じられない。
やはり、新聞記者が記事を書くときの姿勢にかなり倫理的な問題があると思う。

しかし、現在の剽窃訴訟は、文章の一字一句の類似が争われることが多く(木を見て森を見ず)、そのやり方をされたら裁判をしても勝てないと思う。
それ以上に、一記者が相手ならともかく、朝日新聞という巨大企業を相手に戦うのは、零細な自営業者には財力・労力的にきわめて厳しい。
情けないことだが、弁護士を雇うお金もない。
自己弁護で、朝日新聞の優秀な弁護団に太刀打ちするのは難しい。

また、私には、死ぬまでにやらなければならない仕事があり、しかも残されている時間もそれほど長くない。
裁判などに費やす時間がもったいない。
ということで、釈然としない思いは強いが、これで納めることにする。

Anno Jo先生、ご多忙なところ、詳しく検証してくださり、ありがとうございました。
感謝しています。

もしも、富士山が噴火した場合・・・ [地震・火山・地質]

10月2日(木)


もしも、富士山が噴火した場合・・・・。
世の中のかなり多くの人は、富士山の山頂から噴煙が上がる様子をイメージしているのではないだろうか?
20061115204922.jpg
まあ、こう(↑)はならないとも言い切れないのだが、可能性としては山頂噴火は少ないと思う。
なぜなら、少なくともはっきりした記録が残っているこの1500年ほど、富士山が山頂から大噴火したことがないからだ。

一番新しい大噴火は307年前、江戸時代中期の1707年(宝永4)の「宝永の大噴火」で、このときは、下の絵にあるように山腹噴火だった。
fujisanfunka.jpg
(裾野市立富士山資料館所蔵)
画像イメージにすると、こんな感じになる。
20121007-3.jpg
宝永の火口は、富士山の南東斜面、およそ標高2600mのところにある。
富士宮口五合目(2400m)と大差ない高さだ。
南東方向から見ると大きな爆裂火口であることがわかる。
火山学用語では「側火山」ということになる。
800px-Mount_Hoei_from_Jyuriki.jpg

その前の大噴火は平安時代前期の「貞観大噴火」で、864年(貞観6)6月に始まり、866年(貞観8)初頭まで続いた。
大量の溶岩が流出し、現在の「青木ヶ原溶岩原」を形成し、一部は「剗の海(せのうみ)」(富士山北麓にあった大きな湖)に流入し、これを埋めて分断した(残った水面が現在の西湖と精進湖)。
この溶岩を噴出した火口は、山頂から北西斜面約10Km地点にある、現在の長尾山と推定されている。
長尾山は標高1424mで、富士山の山腹というより山麓に近い。
つまり「貞観の大噴火」は山麓噴火だった。

さらにその前尾大噴火は平安時代初頭の「延暦の大噴火」で、800年(延暦17)に始まり、802年(延暦19)まで続いた。
この時の噴火でも大量の溶岩が流出したが、火山学者で富士山の噴火史研究では第一人者の小山真人氏(静岡大学教授)によれば、富士山北東麓を広くおおう「鷹丸尾溶岩」と「檜丸尾第2溶岩」が延暦の大噴火によって流出した溶岩に相当し、その供給源は北東斜面の「西小富士噴火割れ目」と推定される。
(参照)小山真人「富士山の歴史噴火総覧」(2007年)
http://www.yies.pref.yamanashi.jp/fujikazan/web/P119-136.pdf
「西小富士噴火割れ目」の標高は1880mなので、やはり山腹噴火だった。

富士山は側火山がきわめて多いことで知られているが、その分布には一定の傾向がある。
富士山(側火山分布).jpg
富士山の側火山の分布(静岡大学防災総合センター)
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/sbosai/fuji/wakaru/013.html
富士山(側火山分布)2.jpg
図や画像(カシミール)を見ればわかるように、北西から山頂を通り南東に至るラインに側火山が数多く分布している。
「貞観の大噴火」と「宝永の大噴火」はこのライン上で起こった。
さらに、よく見ると、北西~南東のラインの直交する北東~南西のライン上にも側火山が分布する。
「延暦の大噴火」はこちらのラインで起こった。

こうしたラインは、富士山が乗っている地殻をフィリピン海プレートに乗った伊豆半島が南から強く圧迫している結果、生じた地殻のの弱線と思われる。

ということで、もしも富士山が大噴火するとしたら、山頂噴火ではなく、山腹(あるいは山麓)噴火であり、その位置は、山頂の北西側か南東側である可能性が高い。
防災的にも山頂噴火だけを前提に考えない方が良いと思う。

今のところ、富士山では噴火につながるような予兆は観測されていない。
あのくらいの規模の火山で、しかも観測体制がそれなりに整っているので、まったく予兆がなく大噴火するとは、私には思えない。
マグマの上昇をともなう噴火なら、おそらく予兆はつかめるはずだ。

今夜は松茸ご飯! [日常(料理・食べ物)]

10月2日(木)
(続き)
今夜は松茸ご飯!
141002-2.JPG
おかずは、さんまのお刺身。
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鶏もも肉の照り焼き。
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とうことで、松茸とさんまの「秋のコラボレーション」。
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ああ、おいしかった。