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韓国の野外公演で、換気口のふた崩落、死者16人重傷者10人  [事件・事故]

10月17日(金)
21時の時点で死者16名。
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観客が落ちた換気口は深さ20mらしい。
20mというと、ビルの6~7階くらいの高さだろうか。
落ちたら、まず助からないだろう。
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↑ ほら、こんな深さだもの。

それにしても、韓国は「セウォル号沈没事件」(2014年4月16日、乗員・乗客の犠牲者294人)に続いて、若者がたくさん亡くなる大事故が続くなぁ。
なにか社会の根本的なところ(安全管理)が壊れているのだろうな。

【追記】
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↑ 崩落寸前の現場写真。
換気口の周囲に柵もロープもないことがわかる。
そして、あきらかに蓋がしなっている(特に下の画像)。
怖い、怖い。
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野外公演で観客転落 死者16人重傷者10人に=韓国

【城南聯合ニュース】17日午後にソウル近郊、京畿道城南市の野外公演場でガールズグループの公演中、会場にあった換気口のふたが崩落し、ふたに乗っていた観客が転落した事故で、消防当局によると午後8時現在、16人の死亡が確認された。重傷者は10人。
重傷者は近くの病院に搬送され治療を受けているが、けがの状態が深刻なため死者はさらに増える可能性がある。
事故当時、ガールズグループ4Minute(フォーミニッツ)が公演中で、会場では約700人が観覧していた。一部観客がやや高い位置にあった換気口のふたに乗って観覧していたところ、ふたが崩落したとみられる。
同日の公演は京畿道などが主催したフェスティバルで、午後5~8時に4Minuteなどのアーティストの公演が予定されていた。
「聯合ニュース」2014年10月17日(金)21時12分

入間市女子大生「通り魔」殺人事件 [事件・事故]

10月17日(金)
「誰かを殺そうと周囲を歩いていたところ、彼女が目に留まった」と言う加害者の男の動機、果たしてその通りなのか?

そうだとしたら、何の罪もないアルバイトに励む善良な女子大生が、たまたまそこに居たというだけで殺されてしまったという、「通り魔殺人」の理不尽さを、改めて思い知らされる事件。

加害者の男がけっしてチンピラタイプではないところも不気味で、加害者の男の心の「深い闇」を感じる。

殺されてしまった大東文化大学の女子学生さん、これから楽しいこともいろいろあっただろうに・・・(合掌)
殺した日本文化大学の男子学生、これから地獄の裁きが君を待っているよ。

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「誰かを殺そうと」供述 殺人容疑で逮捕の大学生/入間の路上で女子大生刺殺

入間市の路上で15日夜、大東文化大3年の佐藤静香さん(21)が、帰宅直前に刺殺された。殺人容疑で県警に逮捕された沼田雄介容疑者(20)=同市豊岡5丁目=は、「誰かを殺そうと周囲を歩いていたところ、彼女が目に留まった」などと供述していることが捜査関係者への取材でわかった。県警は通り魔的な犯行の可能性もあるとみて、動機の解明を進める。

捜査関係者によると、佐藤さんは自宅近くのコンビニエンスストアでバイトを終え、徒歩で帰宅中の同日午後10時15~45分ごろに、背後から襲われたとみられるという。自宅まで数十メートルの場所だった。沼田容疑者は調べに「コンビニから(佐藤さんの)後をつけた。暗い小道に入ったので襲った」などと話し、容疑を認めているという。2人の自宅は約400メートルの距離だったが、知人関係ではなかったという。

沼田容疑者は日本文化大法学部の2年生。捜査開始後の16日午前1時20分ごろ、狭山署へ出頭し、緊急逮捕された。捜査関係者によると、現場から戻ってきた署の幹部が、署の玄関前に座り込んでいた沼田容疑者に「何かご用ですか」と声をかけたところ、事件の話をし始めたという。

捜査員が沼田容疑者の供述に基づき現場周辺を捜索したところ、凶器とみられるナイフがみつかった。

現場は入間市役所から西に約100メートルの住宅街。近くに住む女性(63)は15日午後10時すぎ、「きゃー、きゃー」と長い悲鳴を2度聞いていた。「静香さんはいつも笑顔で明るい子だった。なぜこんな目にあわないといけないのか」と、目に涙を浮かべて話した。

一方、沼田容疑者が所属していた地元消防団の幹部は「無断欠席せず、休むときは必ず事前連絡を入れてきた。将来は警察官になりたいと言っていたのに」と驚いた様子だった。
     ◇ 
佐藤さんの父親は16日、県警を通じて「わたしたちは大切に娘を育ててまいりました。そのような娘の命を奪った犯人については、許せない気持ちでいっぱいです。いまだに実感できておりません。今は静かに娘を送ってあげたいと思います」とコメントした。
『朝日新聞』2014年10月17日09時50分
http://digital.asahi.com/articles/CMTW1410171100002.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_CMTW1410171100002

副校長が実習生にセクハラ「ストッキング売って」 [現代の性(性犯罪・セクハラ)]

10月17日(金)
昔々、その昔、まだ世の中が20世紀と言われていた今から18年も前の、ある冬の日の明け方、歌舞伎町靖国通りの横断歩道で信号待ちをしていたら、50歳前後のオジさんが寄って来た。

オジ「お姐ちゃん、そのストッキング500円で売ってくれ」
順子「嫌~ぁ」
オジ「じゃあ、1000円」
順子「嫌~ぁ、これもっと高い」
オジ「じゃあ、いくらならいい」
順子「いくらでも嫌~ぁ、脱ぐと寒いから」

世の中には、ストッキング・フェティシズムの男性は、それなりにいる。
フェティシズムの人の中では、かなり多い方だと思う。
ストッキング・フェティシズム自体は危険な性的嗜好(Sexual Preference)ではないし、生脱ぎストッキングを買い取ることも相手が成人なら犯罪ではない。
(相手が未成年だと「青少年保護育成条例」に引っかかる可能性がある)

ただ、この副校長の場合、生脱ぎストッキングを求めた相手が教育実習生という点が大問題。
副校長は実習生に対して、指導し成績評価する立場で「権力性」があり、明らかなセクシュアル・ハラスメント。
そこらへんの分別がつかないのは、教育者としても管理職としても落第ということ。

私の受講生も何人か教育実習に行っている。
実習生送り出す立場からすると、こういう管理職がいる教育現場に入るって、つくづく大変だな、と思う。
とくに女子学生は・・・・。
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教育実習生のストッキング脱がせ購入した副校長

東京都教育委員会は16日、教育実習生だった女子学生から使用したストッキングを購入したなどとして、多摩地域の小学校の男性副校長(57)を停職6か月の懲戒処分にしたと発表した。
副校長は同日付で退職した。
発表によると、副校長は昨年10月7日夜、同小で昨年夏に教育実習を行った女子学生に、居酒屋でストッキングを脱ぐように言い、そのストッキングを5000円で購入。同10日夜にもカラオケ店で、同じ学生に「またストッキングを買いたい」と言い寄り、断られたという。

『読売新聞』2014年10月17日 12時36分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20141017-OYT1T50020.html
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副校長が実習生にセクハラ「ストッキング売って」

東京都教育委員会は16日、教育実習生に「ストッキングを売ってくれ」などと迫り、セクハラ行為をしたとして、多摩地区の公立小の副校長(57)を停職6カ月の懲戒処分にした。副校長は同日付で退職した。
都教委によると、副校長は昨年10月7日夜、同年5月に教育実習に来ていた20代の女子学生を居酒屋に呼び「ボランティアをしてほしい。知り合いの老人に頼まれた」と切り出し、履いていたストッキングを売るように頼んだ。
その際、女子学生に「口は堅い方か」と確認した上で、履いていたストッキングを受け取った。女子学生には5000円を渡し、コンビニで新しいストッキングを買わせたという。
さらに昨年10月10日夜にも、カラオケ店に女子学生を呼び「退職後はマッサージ師になりたい」と言って、右手で左肩や首をもんだり、左腕を触ったりした。
女子学生が所属する大学に相談。5000円は大学を通して副校長側に返したという。副校長は「女子学生と仲良くしたかった。教員志望なのでアドバイスをしたかった」と話しているという。
『スポーツ・ニッポン』 2014年10月16日 23:59
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/10/16/kiji/K20141016009116270.html

「社会学者」古市憲寿氏の発言の何が問題なのか? [社会分析]

10月17日(金)
「新進気鋭の社会学者」古市憲寿氏の発言が、あちこちで批判されている。
中には古市氏を「ルッキズム」と決めつけている批判もある。
「ルッキズム」となると、私の関心領域なので、いったい何を言ったのだろう?と思い、確認してみた。
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古市憲寿氏 (@poe1985)の第1発言
「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う。」

乙武洋匡氏(@h_ototake)のリプライ
「生活指導の先生が怒髪天を突くつぶやきだね(笑)」

乙武氏のリプライを受けての古市憲寿氏 (@poe1985)の第2発言
「努力で顔の雰囲気を変えられるメイクや自由な髪型が許されず、ありのままの姿を強要される学校空間っておかしいなあと常々思ってます。」

さらに古市憲寿氏 (@poe1985)の第3発言
「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってること。韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」
--------------(発言はすべて2014年10月13日)--------------

古市氏のこれらの発言のいったいどこが問題なのだろうか?
私なりに考えてみた。
まず、第1発言を、古市氏が合唱している中学生の容貌を批判しているととるのは、かなり歪んだ解釈だと思う。
たしかに、「顔の造形がありありとわかって辛いから」の部分は、率直な感情に基づくもので、「社会学者」としては少し不用意だったと思うが。

第2発言は、一連の発言の核心部で、ありのままの姿であることを強いる、容貌の印象を変える努力を徹底的に否定する学校空間への批判は、その賛否はともかく、それなりに傾聴すべき問題提起だと思う。
現在の日本の学校で起こっている様々な問題の根底に、画一性への強い志向=多様性の否定があると思うから。

そして、第3発言だが、前半の「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってる」という発言は、第2発言を学校空間から一般空間に敷衍したもので、やはり、「社会学者」らしい問題提起だと思う。
日本の社会が、こうした問題を、ちゃんと考えてこなかったのは明らかだからだ。
それに「生れたままの姿を変えるべきではない」という規範と「生れたままの性別を変えるべきではない」という規範との距離はほとんどないに等しい。
だから、トランスジェンダーの立場からも無視できない問題である。

第3発言に問題があったとすれば、後半の「韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」の部分、とりわけ「韓国」を引き合いに出したことだろう。
何も「ネトウヨ」を刺激したからということではない。
韓国人の美容形成への強い入れ込み、その背後にある韓国社会の過剰な容貌主義の問題性を無視し、むしろ、それらを肯定していると、とられかねないからだ。
おそらく、それは古市氏の本意ではないだろう。
現地に行ってみてつくづく感じたことだが、やはり韓国人の美容形成への傾倒、容貌への過剰な価値づけは、社会的なバランスを欠いていると思う。
あれこそ、まさに「ルッキズム」である。
その点、古市氏の第3発言の後半は「舌足らず」だったと思うが、そもそも140字制限のTwitterは「舌足らず」なものなのだ。

以上、検討してみたが、古市氏のこれらの発言は、それほど批判されるようなものではなく、むしろ重要な問題提起を行っていると思う。
また、古市氏を「ルッキズム」と決めつける批判は、かなり明後日の方向に矢を放っていると思う。

そもそも、顔の造形が、その社会一般の基準からして、整っている人(美形)と、そうでない人(不細工)がいるのは、現実である。

ただし、「世間一般の基準」というのは、社会・文化、つまり地域や時代によってかなり変化する。
それに加えて、個人の容貌への嗜好はかなり大きな幅がある。
ある人にとっては「美形」であっても、ある人にとっては「不細工」ということは珍しいことではない。
したがって、世の中のかなりの人は「美形」にもなり得るし、「不細工」にもなり得る。
逆に言えば、ある社会の人の9割が「美形」と認識するような人が「美女」「美男」であり、逆にある社会の人の9割が「不細工」と認識するような人が「醜女」「醜男」ということになるのだと思う。
「9割」というのは、統計的に意味がある数字ではなく、8割でも7割でもいい。
ここで重要なのは、「美女」「美男」、そして「醜女」「醜男」であっても1~3割くらいは「そうは思わない」という人がいるということだ。
それだけ、個人の容貌への嗜好は幅が大きい。

顔の造形、顔の印象というものは、変えられないものではない。
美容形成の技術によって、化粧のテクニックによって、さらには本人の心持によって変わってくる。
より多くの人に好印象をもたれるように努力することは、まったく悪いことではない。
顔のコンプレックスから脱却して、自己肯定度が高まれば、社会的な活動度は上がり、いろいろなことが好循環になっていくことが多い。
逆に、顔のコンプレックスが低く、自己肯定度が上がらず、社会的活動度が低く、その人の能力が埋もれれしまうならば、それは社会的な損失だ。

そうした意味で、私は美容形成や化粧には肯定的だ。
したいと思う人は、どんどんすればいい。

容貌が生れながらのものである、という考えは、私は取らない。
容貌は、その人の意志と努力の所産である。
その努力は否定すべきではない。

ただし、美容形成や化粧をしたくない人が強いられることはあってはならないし、容貌を向上させる努力をしないのも、その人の自由だと思う。

容姿の美しさは、知的能力や運動能力と同じように、その人の個性であり能力である。
勉強して学力を磨く、鍛錬して運動能力を向上するのと同じように、容姿を磨く努力も認められるべきなのだ。