SSブログ

『御堂関白記』の思い出 [テレビ批評(光る君へ)]

5月12日(日)

「光る君へ」第19回

30歳という異例の若さで、内覧・右大臣として執政の座に着いた藤原道長。
蔵人頭に抜擢された藤原行成に、日記を書くように勧められる。

道長は政権首座になった長徳元年(995)から日記を書き始める。
初めのうちは記述も飛び飛びで、一日の記述量も少ない(1~2行)。
それでも頑張って書き続ける内に、記述量も増え、内容も充実していく。
藤原実資の『小右記』や、行成の『権記』ほどではないが。

今夜の放送後の「紀行」で、道長の自筆日記『御堂関白記』(国宝)を収蔵している「陽明文庫」(道長の子孫の近衛家の御文庫)が紹介されていた。
御堂関白記.jpg
私は2度、見学したことがある。
1度は大学院時代(男性研究者時代)、私の古記録読みの師匠である山中裕先生に連れられて。

もう1度は、国際日本文化研究センターの共同研究会で、「光る君へ」の時代考証を務める倉本教授教授尾中にに連れられて。

『御堂関白記』は国宝なので、通常はガラスケースの中に展示されている。
ところが、倉本教授が「裏書を見たい」と希望。
すると、文庫の管理者(文庫長)の名和修さんが、ケースの鍵を開けて「日記」を取り出し、該当箇所を出して裏返した。
その様子が、実に手慣れていて、かつ大胆で、ドキドキした。

その余録で、国宝をケース越でなく直にみることができた。

こういう場合の訓練は受けていても、やはり、緊張するものだ。

ちなみに、汗や涎はもちろん、女性研究者の場合は化粧品の粉が落ちるのも厳禁なので、覆い被さるように見てはいけない。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました