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性分化疾患の女性が人権救済申し立て [現代の性(性別越境・性別移行)]

8月27日(水)
日本では、現状として(残念ながら)、健康保険証や年金手帳の性別記載は戸籍の性別に準拠することになっている。
それを、全国健康保険協会や日本年金機構が独自の判断で変更することはシステム上できない。

トランスジェンダーの立場からすると、社会的な証明書や書類は、その人の現在の社会的性別に則したものにする方が(本人にとってだけでなく社会的にも)利便性があり、その人の性自認(Gender Identity)を尊重する意味でも、そうするのが人権的配慮であると思う。
今までもそう主張してきた立場からすると、性分化疾患(Disorders of Sex Development=DSD)の方が、性別記載の問題を人権問題として声を上げたことに注目したい。

ただ、一方で、私の場合、社会の中でいちいち男性か女性かということが問われることに、根本的な懐疑がある。
自分の身分証明書に男性・女性のどちらかが書かれるより、性別欄が無いことの方が私には望ましい。
わかりやすく言えば「私が男か女かなんてどっちだっていいでしょう。私は私」ということだ。
その点で、「女性」という性別の表記に強くこだわるこの方の姿勢には個人的に微妙な違和感を感じる。
(「性同一性障害」の人にも性別記載に強くこだわる人が多いが、常々違和感を覚えている)

たとえば、この方は「性別欄を空白にするのは侮辱的行為」と言っているが、私なら、性別欄が空白だったら、むしろ、ありがたく思う。
まあ、これは私が変人だからで、一般論化するつもりはないが。
実際、私は就労に際して履歴書を出す場合、性別は不記載にしている(それで揉めることもあるのだが)。

ところで、この記事では、この方のDSDの状態が今ひとつよくわからない。
DSDには実にいろいろなパターンがあるので簡単な話ではないが、一般論として述べる。
もし出生時の性別判定に誤りがあった(女児なのに男児と判定され戸籍の性別が男性になっている)場合、「戸籍法」第113条(違法・錯誤・遺漏の記載の訂正)に基づいて、誤った性別を「訂正」することは、それほど難しくない(いくつも例があるはず)。

あるいは、出生時の性別判定に誤りはなかったが、その後の成長の過程で、養育上の性別と性自認との間に不一致が生じた(男性として育てられたが、本人の意識は女性)場合は、「性同一性障害」の診断を受けた上で、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(GID特例法)によって、戸籍の性別を「変更」することができる。
昔と違って、現在の「性同一性障害」の診断基準は、性分化疾患を除外していない。

つまり、どちらの場合でも、現在の日本の法律では、戸籍の性別をご本人の望みのものにする道筋はあるということ。
現実には、たぶんこうした申し立てをするより、上記どちらかのルートでさっさと性別を変えてしまった方が手っ取り早いと思う。
だから、そうした段取りを踏むことは「検査などの負担が大きく」したくないという主張には、合理性という点で少し首を傾げざるを得ない。
ただし、病院で必要な検査をすることに、何らかの理由で、ご本人の精神的負担が耐えられないほどとても大きいということは考えられる。

もし、そういう負担とか費用とかの問題ではなく、社会の中で望みの性別で扱われることが人権であり、物事の筋道であるいうことで敢えて人権救済を申し立てたのなら、それは困難な道を切り開こうという行為であり、私としても陰ながら応援したい。
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性分化疾患の女性が人権救済申し立て 東京弁護士会に

出生時に身体上の男女の区別がつきにくい「性分化疾患」で、男性として出生届が出された関東地方の専門職の女性が22日、職場内の書類や健康保険証の性別欄に女性と記載されないのは人権侵害だとして、勤務先や日本年金機構への警告を求めて、東京弁護士会に人権救済を申し立てた。

代理人弁護士によると、性分化疾患に関する人権救済の申し立ては全国で初めてという。

申し立て内容によると、女性は長年女性として生活し、医師も勤務先に「女性である」との診断書を提出しているにもかかわらず、戸籍上は男性となっているため、職場内の書類で性別欄を空白とされたり統計資料に男性としてカウントされたりしたという。健康保険証の性別欄も男性となっており、全国健康保険協会東京支部や日本年金機構に変更を申し入れたが聞き入れられなかったという。

性分化疾患で戸籍訂正したケースは過去にもあるが「検査などの負担が大きく、そこまで本人に強いる合理性はない」(代理人の中川重徳弁護士)として人権救済を申し立てた。申し立て後に都内で記者会見した女性は「男女で正常値が異なる健康診断で結果を正しく活用できないなどの実害もある」と訴えた。

性分化疾患は、染色体やホルモンの異常が原因で、出生時に性別が正しく判断されなかったり機能が不全となったりする疾患の総称。患者数は全国で約6500人と推定される。身体的な性別と心理的な性別が一致しない性同一性障害とは異なるが、出生届を出す際に性別判定を誤るケースがある。
『日本経済新聞』2014/8/22 21:35
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22H15_S4A820C1CR8000/
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「性分化疾患」の女性 人権救済申し立て

生まれたときに性別を判定するのが難しい症状などがある「性分化疾患」という病気のため戸籍上は男性となっている女性が勤め先などから不当な扱いを受けたと主張して東京弁護士会に人権救済を申し立てました。

人権救済を申し立てたのは、関東地方に住む女性です。

代理人の弁護士によりますとこの女性は生まれたときに体の特徴から性別の判定が難しいなどの症状がある「性分化疾患」という病気のため、戸籍上の性別は男性となっているということです。

これまで女性として長年生活し、就職もしましたが、勤め先の書類にはこの女性の性別を示す欄が空白にされているほか、健康保険証には「男性」と記載されているということです。

こうした欄に「女性」と表記するよう求めましたが、勤め先などが「戸籍が男性である以上、受け入れられない」として応じなかったため、人権救済を申し立てたということです。

今回の申し立てについて女性は「戸籍を訂正するには詳細な検査や手続きが必要で、負担が大きい。性別を空欄にするのは侮辱的な行為だと思うので、勤め先などはもっと柔軟な対応をしてほしい」と話しています。
「NHKニュース」2014年8月23日 0時15分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140823/k10014014231000.html

8月26日(火)一日静養 [日常]

8月26日(火)  雨時々曇  東京  26.9度  湿度76%
9時半、起床。
暑さが和らぎ、ゆっくり眠れて、かなり疲労回復。
喉の違和感はだいぶ和らいだ。
右腕の痛みも、昨日の鍼治療の効果で、かなり良くなった。
まだ、少し痛むし、握力が戻らないが・・・。
今日は、一日静養。

朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
午前中、ブログにひとつ記事を書く。

昼食は、残りご飯とゴーヤの卵炒め。
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午後は昨日の「日記」を書く。
夕方、眠くなったので1時間半ほど眠る。

夕食は、冷蔵庫にあった材料で鶏もも肉のトマト煮込みを作る。
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ありあわせの材料で短時間で作ったわりには、おいしくできた。

お風呂に入って温まる。
ブログにもう1つ記事を書く。
就寝、3時。


スポーツにおける性的多様性の承認 [現代の性(性別越境・性別移行)]

8月26日(火)
旅行中、たまたま見かけて切り取っておいた『毎日新聞』(2014年8月22日朝刊)の「(インサイド)仁川アジア大会を前に4・多様性の祭典」という記事。
帰宅後、調べたらがネットには掲載されてなく、話題にしている人もいないようなので、紹介しておく。

記事にあるように、スポーツにおける多様性とは、2012年ロンドン五輪で掲げられた、人種、民族、身体能力、障害、性別などを問わず、誰でも平等にスポーツに参加できることを言うと思う。
性的指向や性自認によって、スポーツへの参加が妨げられることはあってはならない。

ただし、性自認と身体的性にずれがあるトランスジェンダー(T)だけは、トランスジェンダーであることが競技に有利に作用する場合は、競技の公平性とのバランスが考慮されなければならない。
この点で実際に問題となるのは、MtF(Male to Female)トランスジェンダーの女子競技への参加である。
オリンピックでは、MtF(Male to Female)トランスジェンダーが女子競技に参加するためには、性別適合手術後2年以上の女性ホルモン治療を受けていることを条件にしている。

トランスジェンダー以外の同性愛者や両性愛者(LGB)のスポーツ競技参加は、競技の公平性を含むいかなる点からも問題がないはずだ。
しかし、実際には、記事の見出しにあるようにLGBの競技者は、世界のだれもが認める偉大なスイマーであるイアン・ソープですら、「肩身が狭い思い」を強いられ続けているのが現状だ。

こうしたLGBTの競技者を取り巻く厳しい状況は、今後、改善していかなければならない。
とは言え、韓国におけるLGBTの現状からして、LGBに対して露骨な差別政策をとるロシアで開催されたソチ冬季五輪よりはましという程度で、2014仁川アジア大会や2018平昌冬季五輪に大きな期待はかけられないと思う。

しかし、2020東京五輪は、ぜひロンドン五輪並みに性的な多様性を承認して、いろいろな形でLGBTが参加できるスポーツの祭典になってほしい。
そのためには、今後、日本のスポーツ関係者のLGBTへの理解を推進していかなければならないが、彼らの筋肉質な脳を考えると、あと6年ではたして間に合うだろうか?と不安になる。
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『毎日新聞』2014年8月22日朝刊「(インサイド)仁川アジア大会を前に4・多様性の祭典」
(クリックすると大きくなります)

全身疲労で鍼治療 [日常(通院)]

8月25日(月)
(続き)
12時15分、吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」で昼食。
久しぶりにグリーンカレー(980円+税)。
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↑ 右側が蒸した糯米ご飯。左側の筒型容器に入って出てくる。
じっくり(48時間)煮込んであるせいか、舌に辛いというより、身体の中から暑くなるカレー。
疲労蓄積で循環が悪くなっているはずなのに、食べているうちに、じわじわ汗が出てきて、やがて大発汗。
オーナーさんが旧知のお客さんに、グリーン・カレーの説明をしているのが聞こえる。
「そんなに辛くないですよ。僕、辛いの苦手なので。自分が基準で作ってますから」
う~ん、グリーン・カレーだけでなく、他の料理にしても十分に辛いと思うけどなぁ。

吉祥寺駅南口の古書店に寄る。
高橋桂二『物語・女市場』を購入(2800→1000円)。
1982年(昭和57)に「資料風俗双書6」として展望社から復刻されたもの。
原著は1931年(昭和6)に『現代女いちば』の書名で赤炉閣から刊行されて、かなり売れた。
内容は、主に明治時代以降の性風俗のルポで、昭和戦前期の売春・風俗史として貴重。
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ちょっと汚れが目立つが、箱の絵が秀逸。
こういう風俗絵、とくに日本髪を描ける人が今ではほとんどいなくなっている。

吉祥寺での月1の仕事が無くなると、「Khucha(クーチャイ)」とこの古書店に定期的に寄れなくなるのが残念だなぁ。

次の予定は、14時から表参道で鍼治療。
どういうルートで行こう?
まだ、1時間以上余裕があるし・・・・。
総武線鈍行で中野から東京メトロ東西線に入り、九段下駅で同半蔵門線に乗り換えて表参道へ。
時間はかかったが東西線の車中で少し眠れた。
ところが、半蔵門線でもウトウトしていたら、右腕に心地よいサワサワ感じ。
ん?と思って右を見ると、さらさらロングヘアーの女性の髪が風になびいて触っている。
しかも、モデル並みのスタイル抜群の美女。
気になって眠れない、でも心地良い(←髪フェチ)。
こういう場合、どうしたらいいのだろう?
13時30分、表参道駅に到着。
駅構内のフードコートで、アイスコーヒーを飲みながら休憩。
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青山通りを外苑方向に少し歩いて「ポルクス整骨院」へ。
先生がここに移転して4度目の鍼治療。

今日は、ともかく全身がだるい。
旅行の疲労残りと睡眠不足。
それとこの3週間ほど続いている、右腕の張りと痛み。
脹脛も張っているが、これは尾道の坂道を歩き回ったせいで、あまり心配していない。
実際、先生が施術したら、痛かったけどたちまち解れた。
問題は、上半身、とくに肩から腕。
肩甲骨中心に鍼を打ってもらう。
電気をかけて、今日は冷えがないので(← クーチャイのグリーンカレーのせいかも)お灸は無し。
オイルマッサージの途中で、肩関節の矯正。
仰臥の姿勢で右腕を斜め下に延ばす。
さらに側臥で脇の下から胸の側面の筋肉を摘まむように解す。
これが大激痛。
先生が奮闘してくれたお陰で、だいぶ解れて楽になった。
ありがとうございました。
でも痛かった・・・(涙)。
15時10分、辞去。

雲行きが怪しいので、途中、文房具屋とお魚屋さんに寄っただけで、さっさと帰宅。
16時半、帰宅。
2時間ほど熟睡。

夕食の支度。
鰯のお刺身。
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鶏もも肉の照り焼き。
ちょっと焦げてしまって失敗。
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ゴーヤとオクラ、卵の炒めもの。
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アサリのお汁。
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ハードな治療の反動が出たのか、身体が辛いので、今日は早寝。
就寝、23時過ぎ。

8月25日(月)平安京の歴史地理 [お仕事(古代史)]

8月25日(月)   曇りときどき雨   東京   28.9度   湿度62%(15時)
7時20分、起床。
睡眠時間5時間では、旅の疲れは取れず、体調不良。
喉に違和感があるが、声は普通に出るようだ。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結び、シュシュを巻く。
朝食は、マンゴー・デニッシュとコーヒー。
8時、化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(3分)、黒のサンダル、大きな籠バッグ。
9時、家を出る。
東急東横線から東京メトロ副都心線に入り新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩き、JR新宿駅東南口に出て、JR中央線に乗り換えて吉祥寺駅へ。
雨の中、産経学園(吉祥寺)へ。

10時30分、「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
最終講「平安遷都への道」の2回目。
前回述べた長岡京の水害問題について、先日の広島の大規模土石流災害と絡めて再説。
つまり、人工的に地形を改変しても、何かあると自然は元の地形に戻りたがるということ。
延暦11年(792)6月22日の大雷雨による溢水氾濫(土石流の可能性もあり)で長岡宮の式部省南門が倒壊するが、そもそも小畑川の谷を埋めて宮に必要な平地を造成していた可能性が高い。
また、同年8月9日の大雨による桂川の大洪水では、長岡京東南部(左京3坊以東、6条以南)はほぼ水没したと思われる。
これらの水害によって、水運に恵まれながら洪水に弱かった長岡京の地形的特質(構造的欠陥)が強く意識され、それがひとつのきっかけになって、桓武天皇の再遷都決断に至ったことは間違いないと思う。

続いて、再遷都先の平安京の地形的特色。
平安京をめぐる地形で、最大の問題は、鴨川の流路、とりわけ賀茂川と高野川の合流点の位置と形状について。
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これが自然のものなのか?人工的に改変された結果なのか?
改変されたものだとしたら、その時期はいつなのか?
まず、地形学的にY字があまりに整い過ぎている。
川が合流する時は、一般的にどちらかが優勢(本流になる)でどちらかが劣勢(支流になる)で、イーブンに合流するということは稀。
つまり、合流の形としては大文字のYではなく、小文字のy(もしくは、その裏返し)になる。

さらに、平安京の都市設計として・・・。
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双ヶ岡から東に1800丈(10里)、船岡山から東に900丈(5里)の位置に最初から合流点があったというのは、いくらなんでも都合が良すぎる。
丘や山は動かせないから、その位置に川の合流点を設定して移したと考えるのが合理的。
その際、流路を変更したのは賀茂川だと思う。
おそら南の方向に流下してしたのを南東方向に遷して、設定された高野川との合流点に持って行ったのではないだろうか。

また、川(水)は低い方に流れるのが自然の理。
平安京北東部は北白川の扇状地で傾斜は北東が高く南西に低い。
つまり合流して流れを真南に変える鴨川の現状の流路はかなり不自然。
等高線に従えば、北東から南西に流れる高野川の延長上に流れるのが自然。

ところで、ネットを探していたら、こんな地図が見つかった。
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 「京都の水辺の歴史的変遷と都市防災に関する研究」(京都大学防災研究所年報 第47号)

平安京造営以前の流路の推定図。
高野川の延長上に平安京左京を北北東から南南西に流れる流路が2本ある。
おそらくこれが高野川の旧流路だろう。
また、京域の北を南流して京域に入ったあたりから南西に流れる流路がある。
これが賀茂川の旧流路ではないだろうか。
この旧流路は東三条院の泉や神泉苑の池の湧水など伏流として残っていて、現在も井戸水に恵まれていると聞く。

どうも、平安遷都決定後に、高野川との合流点の設定、賀茂川の付け替え、(高野川と賀茂川が合流した)鴨川の京域の東側を真南に流れる流路の設定という工事が行われたのではないだろうか。
これはかなりの大土木工事だが、それなくしては平安京の設定は不可能であり、現在に至る「鴨川のY字の不思議」は解決できないと思う。

では、その大土木工事を発想したのは誰だろうか?
私は造宮大夫和気清麻呂だと思う。
清麻呂は『日本後紀』延暦18年(799)2月乙未(21日)条の薨伝に「贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前国造和気朝臣清麻呂薨ず。(中略)長岡の新都、十載を経て未だ功成らず、費、勝げて計るべからず。清麻呂潜に奏し、上(桓武天皇)をして遊猟に託し葛野の地を相せしむ。更にして上、都を遷す。(下略)」と見えるように、平安京への再遷都を桓武天皇に進言した人である。
民政に手腕を発揮した有能な実務官僚であり、また摂津大夫の官にあった延暦4年(785)に、難波の神崎川と淀川を直結させる工事を行い長岡京方面への物流路を整え、さらに延暦7年(788)には上町台地を開削して大和川を直接大阪湾に流して、水害を防ごうとする(のべ23万人を投じたが失敗)など、土木的発想を持った人だった。
平安京の造営については、当該時期の正史『日本後紀』が欠失していて史料が乏しく、詳しい事情が解らないのが残念だ。

そんな話をする。
長い間(20年)、続けてきたこの講座もいよいよ残り1回。
なんとか大団円となりそうだ。
12時05分、終了。
(続く)

韓国釜山も大洪水 [天文・気象・生物]

8月25日(月)
この夏の異常気象は、日本だけでなく、東アジア全域に及んでいる。
今日(25日)発達した低気圧により韓国南部で記録的な大雨。

韓国第二の都市釜山で、観測史上2番目となる1時間当たり130ミリの集中豪雨。
日本の大都市のような大雨対策はしていないようで、かなりすごい事態に・・・。
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↑ 泳ぐ韓国車。
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↑ 橋のところで溢水氾濫。
でも橋のたもとに佇んでいる人や渡っている人(遠景)がいる。
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↑ 水位が橋桁ぎりぎりまで上がっているのに、大勢の人が橋を通行している。
日本だと氾濫危険水位だから、当然、通行規制。
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↑ プサン地下鉄東莱駅。
滝のようになったエスカレーター。
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↑ 他の写真を見ても、日本なら警戒や規制のために出動しているはずの消防や警察の人の姿が見えない。
どうも水害への対応(危機管理)システムが日本とはかなり違うようだ。
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↑ 25日14時15分の衛星画像(赤外線)。
朝鮮半島東南部に真っ白な雲域(発達した積乱雲群)が見える。

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韓国南部で記録的大雨 5人死亡・数人不明=原発停止も
【ソウル聯合ニュース】韓国南部で記録的な大雨が降り、土砂崩れや浸水被害などが相次いだ。
韓国気象庁によると、慶尚南道・昌原で270.5ミリ、釜山で242ミリ、済州島の山間部で180.5ミリなどの雨量を観測した。
釜山では観測史上2番目となる1時間当たり130ミリの猛烈な雨を記録した。豪雨により地下車道で浸水した車の中から2人が救助されたが、病院で死亡が確認されるなど、計4人が亡くなった。一部の地下鉄の駅構内が浸水し、列車の運行を見合わせたほか、各地の道路が水に漬かり、市内の交通がまひした。
昌原では増水した川に路線バスが転落する事故があった。事故当時、バスには4~6人が乗っていたもようで、中から1人の遺体が発見された。ほかの乗客らは行方不明となっている。
韓国水力原子力(韓水原)は同日午後、釜山市機張郡の古里原発2号機(65万キロワット)の運転を停止した。韓水原は「古里2号機のタービンを稼動させる蒸気を冷却するために海水を引き込む取水用の建物に、豪雨により雨水が過多流入し、電気設備の安全のために原発の稼動を手動で停止した」と説明した。大雨により原発の運転を停止するのは初めて。
「聯合ニュース」8月25日(月)20時42分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140825-00000038-yonh-kr

ただいま~ぁ [日常]

8月24日(日)
3泊4日の「夏の旅行」から、今、戻りました。

21日(木) 広島(平和記念資料館・広島城) (広島泊)
22日(金) 宮島(厳島神社)・広島(縮景園) (広島泊)
23日(土) しまなみ海道・大三島(大山祇神社) (尾道泊)
24日(日) 尾道街歩き

今年の夏は、広島に行ったことがなかった家猫さんの希望(平和記念資料館・厳島神社)と、大山祇神社の国宝・重文を見たい私の希望を合わせて、広島~尾道の旅行を計画しました。

ところが、出掛ける直前に、広島市で大規模土砂災害が発生し、広島滞在中、現地のテレビ・ニュースは災害救助関係一色でした。

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↑ 宮島・厳島神社で
雨模様、おまけにちょうど干潮で残念だったけど、大鳥居の真下までいけた。

いろいろ考えることも多かった旅行でしたが、暑さの中、いろいろ見聞を広めることができて、楽しかったです。

「旅行記」は、時間が有るときに、少しずつアップしていこうと思います。

夏の旅行に出掛けます [日常]

8月21日(木)
これから、家猫さんのお供をして、夏の旅行に出掛けます。
日曜日まで、ブログの更新、コメントへのお返事をお休みします。

広島市北部の大規模土砂災害 [事件・事故]

8月21日(木)
広島市北部、安佐北区・安佐南区の大規模土砂災害、被害の状況が明らかになるにつれて、犠牲者の数がどんどん増えていく。
おそらく50人前後の方が亡くなったと思われる。
(追記)最終的には88人?
水分を含むと脆くなる崩れやすい風化花崗岩の土壌(マサ)、記録的な集中豪雨、深夜という時間帯、いろいろ悪条件が重なっているものの、地形学的にいうと、そもそもあの場所に、あれだけの住宅地があることが、問題だと思う。

どうも本来の沢地形を埋めて住宅開発をしているのではないだろうか。

地形学の基本として、大地というものは平らになりたがるということを教わった。
言い方を換えれば、高い部分が浸食されて、その土砂が低い部分に堆積する。
その作用は、長い目で見れば、何度も繰り返される。

つまり、山地の土砂が大規模に崩落して平地への出口に堆積している扇状地地形では、いずれ同じような大規模崩落→堆積現象が起こるということだ。
ただ、その「いずれ」がいつなのかは、ほとんど予測はつかない。

地形学のもうひとつの基本は、人為的に改変された地形は元に戻りたがるということ。
つまり、沢は沢に、川は川に戻るということだ。

今回の被災地、とくにいちばん被害が大きかった安佐南区八木地区がそうした扇状地地形であることは、地形学の勉強をした者には容易にわかる。
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ただ、そうした専門家の認識は、なかなか住民には届かない。
本来なら行政がその仲介役にならなければいけないのだが、なぜかそこがうまくいかない。

そして災害が繰り返され、住民の命が失われていく。
なんとも残念でならない。
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↑ 土木学会・中国支部のサイトから
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↑ 『読売新聞』2014年8月23日 (上)被災前、(下)被災後
県営住宅の間の住宅群(赤線囲い)は、谷を埋めて造成しているように見える。
水路(青線で強調)の上部につながっているはずの沢は、写真では見えないが、地形図から判読すると、等高線に沿って流れている不自然な部分がある(自然な流路は等高線に直交する)。
どうも、宅地造成のために本来の流路より西側に寄せる改変を行っているのではないだろうか。
テレビのレポーターが「住宅地の生活道路を川のように水が流れている」としきりに言っているが、それは逆で、本来の谷筋を埋めて生活道路にしたのが元に戻っただけだと思う。
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万年筆ミッション [日常]

8月20日(水)
(続き)
15時、東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(表参道駅乗換)同銀座線というルートで京橋駅下車。
酷暑の中、あまり縁が無い駅になぜ来たかというと・・・。
先日、帰省した際、父親から、ミッション(使命)を与えられた。
父親が長年愛用している万年筆(PILOTのカヴァリエ)が壊れたので・・・、
(1)修理に出してほしい。
(2)同じ万年筆をもう1本買ってほしい。
今どき、万年筆よりも使い勝手が良い筆記具はいくらでもあるが、90歳の人に今さら「新しい筆記具をつかってみたら」とは言えない。
取りあえずの代用に、私が愛用するボールペン(uni-ball eye)を渡して、引き受けた。

東京に戻ってネットで調べたら、京橋にあるパイロットコーポレーション本社ビルの2階にある「PEN STATION Museum」が修理の窓口になっていることがわかったので、早速、出掛けた、という訳。

おっ、ここだ。
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階段を上って・・・、
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「万年筆一筋40年?」という感じのスタッフさん(女性)に父から預かった万年筆を手渡す。
幸いペン先の交換と若干の修理で直るとのこと。
ここでは筆記具の販売はしていないので、「これと同じものを欲しいのですが、近くで売っている所はどこですか?」と尋ねて教えてもらう。

東京メトロ銀座線で1駅戻って、銀座駅へ。
まず、いちばん手近な「三越・銀座店」に寄って案内嬢に尋ねると、万年筆は輸入物しか扱っていないとのこと。
そこで、地上に出て銀座二丁目の「伊東屋」へ。
「ここならあるだろうと」思って行くと、あれ?工事中だ。
案内係りのおじさんに指示されて、すぐ近くの路地(マロニエ通)にある仮店舗へ。
ところが、「このタイプは、お取り寄せになります」と店員さんに言われてしまう。
う~ん、「伊東屋」の本店にも置いてないのか・・・、やっぱりもう万年筆は過去の商品になっていることを実感。

あとはもう日本橋の「高島屋」か「三越本店」かしかない。
また銀座線に乗って2駅先の日本橋駅で降りて「高島屋」へ。
ここに来るのいったい何年ぶりだろう。
昭和の香り濃厚な店内を5階に上がり、文具売り場を探す。
やっと小さな売り場をみつけて「PILOTのカヴァリエという万年筆を探しているのですけど・・・」と言うと「はい、ございます」という返事。
ああ、やっと買えた。

また地下鉄で京橋駅へ。
「PEN STATION Museum」で、1時間前に預けた万年筆を受け取る。
これでミッション完了。
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↑ やれやれ・・・。
それにしても暑い!
日が西に傾いてきたが、それでもまだ気温は体温より高い感じ。
軽い脱水症状を感じたので、「PEN STATION Museum」1階のカフェに入る。
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普段飲んでいるより上等なオレンジジュースで水分補給。

涼しい店内は、万年筆世代の高齢者(70歳以上)の憩いの場になっている。
私たちの世代には、こういう穏やかな老後はないのだろうなぁ。
物を書く道具が万年筆からパソコンに変わったのは、文明の進歩のはずなのに、なぜ豊かな老後が失われてしまうのか、私たちはどこかで道筋を間違えたのではないだろうか?