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京王井の頭線東大駒場駅で男性2人が同時に飛び込み自殺 [事件・事故]

8月11日(月)

同じ日時、同じ駅、同じ電車に、まったく偶然に2人が飛び込む確率ってかなり少ないと思う。
やはり、示し合せたのだろう。
となると2人の関係が気になる。
単なる自殺志望仲間なのか? それとも愛し合う2人の「同性心中」なのか?
でも、同性心中なら、2人手を取り合って飛び込むように思う。

まあ、真相は明らかにされないだろう。
いずれにしても、京王電鉄と井の頭線の利用者は大迷惑だ。
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男性2人が飛び込み死亡 同時に自殺図ったか
11日午後0時15分ごろ、東京都目黒区駒場の京王井の頭線駒場東大前駅で、男性2人がホームから飛び降り、吉祥寺発渋谷行き上り急行電車にはねられた。1人はその場で死亡が確認され、もう1人も病院に搬送されたが死亡した。警視庁目黒署はいずれも自殺を図ったとみて身元や詳しい経緯を調べている。

同署によると、現場で死亡確認されたのは50代で、もう1人は60代。ホーム上で約20メートル離れた場所にいたが、電車が進入してきたところ、ほぼ同時にホームから飛び降りたという。

京王電鉄によると、この事故で、井の頭線は上下線計31本が最大約40分遅れ、約1万人に影響が出た。
「msn産経ニュース」2014.8.11 13:37
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140811/dst14081113370008-n1.htm

「一夫無妻多子」願望の実践 [現代の性(一般)]

8月11日(月)
大学の「ジェンダー論」の講義で「恋愛と結婚のジェンダー」について話をするときに、前近代の日本には一夫多妻を否定する規範がないこと、「妾(めかけ)」の存在を法制上否定したのは明治刑法(明治15年=1882)で、一夫一妻の法制的確立は明治民法(明治31年=1898)であり、日本における一夫一妻制はまだ130~120年の歴史しかないことを解説する。

つまり、日本にはキリスト教世界のように一夫一妻の宗教的規範がなく、前近代の日本社会で一夫一妻が多数派だったのは経済的な理由でそうなっていたのであって、富裕層のかなりは一夫多妻(志向)であったこと。
だから、ある商人が頑張って働いて、店を大きくし経済的に余裕ができたら、妾を囲うことは当然の方向性だった。

そもそも一夫多妻を批判する規範がないし、現に天皇、将軍、大名が一夫多妻を実行しているわけで、一夫多妻が悪いことという認識はなかった。
悪いのは数ある妻の間で争い事が生じることで、それは「閨房(けいぼう)治まらず」という批判を招くことになる。

日本で一夫多妻が社会的に批判されるようになるのは、日刊紙『萬朝報(よろずちょうほう)』が明治31年(1898)7月から「畜妾実例」を連載して、「畜妾批判」を展開して以降のこと。

もちろん、現行法は、一夫多妻・一妻多夫の重婚を禁じている。
「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」(民法732条・重婚の禁止)
「配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは、2年以下の懲役に処する。その相手方となって婚姻をした者も、同様とする」(刑法第184条・重婚罪)

そんな説明をした後で(時間がなくここまで丁寧には説明できないのだが)、いくつかの兆候から「現代日本で富裕層の実質的な一夫多妻化が進行しているのではないか?」という推測を述べる。
現代の日本のマスメディアには「萬朝報」のような気骨はないので、表面化しないだけで・・・。

しかし、私の発想が及んだのは「一夫多妻」のひそかな進行までで、タイで多くの代理母に13人+1人(妊娠中)も自分の子を産ませたシゲタ・ミツトキ氏(24歳)のような「一夫無妻多子」という発想にはいたらなかった。

この事件の報道を知った後、しばらくの間、意味がわからなかったが、卵子提供&代理母システムを利用した「一夫無妻多子」願望の実践と認識すればいいことに、やっと気が付いた。

このシゲタ・ミツトキなる人物は、ITベンチャーの雄として一世を風靡した「光通信」の創業オーナーの御曹司と名前の読み方と年齢が一致するらしい。
どうも、子どもはたくさん欲しい、でも妻を抱えるのはいろいろ面倒だから嫌、すべては金で解決という人物のようだ。
つまり、「自分の種をできるだけばら撒きたい」という男性の生殖本能を金の力で実践した人物ということ。
一般的な男性本能は「自分の種を(好みの女性に)ばら撒きたい」のはず(だから女漁りをするのだ)だが、「シゲタ・ミツトキ」氏は、括弧の部分が欠落しているのだろう。

今まで想定されていなかった性行動であり、はたしてどういう法律に違反するのか?
複数のパスポートを使っての出入国とか、代理母の申請の手続きなど細かな脱法行為は有りそうだが、提供卵子を使って代理母にたくさんの実子を産ませたこと自体を罪に問う法律はない思う。

今回の事例は、大金持ちの男がその気になって、卵子提供&代理母システムを使えば、100人、いや1000人レベルの実子を持つことも不可能ではないことを示している。
問題は、社会がそれを容認するのか、規制するとすれば、どういう倫理規範に立つのかだと思う。

実際問題、子どもを増やそうと思ったら、女性から卵子を取り出して並べ、それにザーっと精子をかけて、受精卵を人件費が安い国の女性の子宮にどんどん着床させて産ませるという方法がいちばん効率が良い。
でも、そんな鮭の養殖みたいなことを人間はしてはいけないというのが普通の感覚(倫理)だろう。
それに、生まれてきた子どもを誰が育てるのかが大問題だ。
そもそも膨大な費用がかかる。
でも、倫理感覚が普通でない人はいくらもいる。
そういう人が大金持ちだったら・・・。

ここまで考えて、思いついた。
この「シゲタ・ミツトキ」氏、父上のお仕事から考えて、幼少のことから、ハード、ソフト両面で電脳世界への接触環境に恵まれていたはずだ。
もしかして、重度の二次元女性愛好者なのではないだろうか?
ただ、二次元女性をどんなに愛しても子どもは生まれない。
しかし、生身の体をもつ三次元女性はいろいろややこしいから嫌いだ。
で、金にあかせて、女性の卵子と子宮だけを買った・・・ということなのかも?
これはまったく根拠のない私の妄想だが・・・。

ただ、妄想と言っても、いろいろ兆候はある。
二次元女性愛好者の中には、生身の女性の「生温かい接触感が気持ち悪い」、「汗や体液が不潔」という人がかなり増えているように思う。
女性が嫌いなわけでも、モテないわけでもない、もちろんゲイではない。
ただ単に生身の女性の体が苦手なのだ。
でも、子供は欲しい。
そうした男性に金が余るほどあったら・・・、卵子と子宮だけを買うという発想が出てきてもおかしくないということだ。
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タイ12人代理出産騒動 “父親”は光通信の御曹司なのか
ナゾだらけの資産家について、現地・タイで仰天情報が飛び交っている。首都バンコクの高級マンションで身元不明の乳幼児9人が保護された事件。代理出産で子どもを産ませたとみられる日本人の男性資産家(24)の顔写真と名前をタイの主要各紙が報じ始めた。それによると、男性の名前は「シゲタ・ミツトキ」――。ITベンチャーの雄として一世を風靡した「光通信」の創業オーナーの御曹司と名前の読み方と年齢がピタリ符合するのだが果たして…?

幼児たちの父親を名乗る男性資産家は香港を拠点にしており、7日にタイを出国し、空路でマカオに向かった。タイには過去2年間に65回入国した記録があった。

「男性はタイの隣国カンボジアや日本など少なくとも3カ国のパスポートを所持。タイから日本のほか、香港、マカオ、カンボジア、ベトナム、インドに渡っていた。男性の代理人は保護された9人のほか、すでに3人の乳幼児がタイを出国し、日本にいると話しています」(現地関係者)

タイ警察によると、男性は今年3月と7月の2回を含め、過去に少なくとも3回、幼児をつれてバンコク国際空港から出国していた。
出国審査の窓口を通った際の画像記録を、タイの英字紙ネーション(電子版)をはじめ、現地主要メディアは次々と公開している。
「幼児と一緒に出国した際に男性が使用した日本のパスポートの名義と、乳幼児が保護されたマンションの所有者の名前が一致。現地メディアは『シゲタ・ミツトキ』と報じています」(現地関係者)

光通信株1.44%保有
今なお不明な点の多い男性資産家の名前の読みと年齢が重なる人物が、「光通信」の大株主に名を連ねている。同社の代表取締役会長兼CEOの重田康光氏(49)の子息・重田光時氏である。

光時氏は光通信の株式68万5500株(1.44%)を保有する。8日終値ベースの時価総額は約48億円に上る。光通信の13年3月期の年間配当金は140円。光時氏は約9597万円の配当を手にした計算となる。光通信は父・康光会長が個人筆頭株主で保有株数は約263万株。時価換算で約185億円の資産になる。

男性資産家の素性について、代理人のタイ人弁護士はこう語っていた。
「彼はとても裕福で、事業の後継者を得るためにたくさんの子供が必要だ」
「赤ん坊は全員、男性の子どもで大家族を持ちたかった」
「男性は債券や保険、貯金を全員の子ども名義にしている。人身取引ならあり得ない措置だ」
「乳幼児の養育費に毎月約63万円かけていた」

はたして、渦中の資産家は重田会長の御曹司なのか。光通信本社・広報IR課は本紙の取材に「事業活動とは関係のないことなので、何もお話しできません」と答えた。
『日刊ゲンダイ』 2014年08月10日10時26分
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/152485

8月10日(日)何もしない夏休み(2日目)―台風11号通過― [日常]

8月10日(日)  曇り   東京  29.4度  湿度82%(15時)
11時、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
今日も夏休みなので、何もしない。
今朝高知県に上陸した台風11号のニュースを見ながら、のんびり過ごしていたら、緊急地震速報。
青森県東方沖でM6.1、最大震度5弱。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-08-10-3

昼食は、昨夜の蕎麦の付け汁を増量して長崎・五島うどんを茹でる。
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付け合わせはパートナーが買ってきた天麩羅。
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台風11号は今朝6時過ぎ、高知県安芸市に上陸し、四国を縦断して、10時兵庫県相生市付近に再上陸、14時頃福井市のあたりで日本海に抜け、北東に進んでいる。
関東地方は台風の中心からかなり離れていたが、夕方にかけて断続的に風雨が強まる。
横浜で19時代に14.5mm、 20時に最大瞬間風速20.3m/s。

今回の台風はほとんど衰えることなく勢力を維持したまま通過したので、台風外周のレインバンド(発達した積乱雲の連なり)が崩れてなく、それに掛かると、離れた場所でも被害が出た。
まだ台風本体が四国に上陸する前の昨日(9日)の三重県の集中豪雨や、今日(10日)栃木県南部の壬生町から鹿沼市にかけての突風(たぶん竜巻)被害など。
それでも、勢力が強く大きな台風に直撃されても、死者は全国で3人だけなのだから、日本の防災レベルは高い。

夕食は、麻婆茄子を作る。
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それと、海鞘の酢醤油漬け(自家製)。
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夜中、神崎清「新宿の夜景図―売春危険地帯を行く―」(『座談』1949年9月号)の記述を整理しながら「1949年、新宿「赤線」の経済」をまとめてアップ。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-08-11

就寝、5時。

1949年、新宿「赤線」の経済 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

8月10日(日)
神崎清「新宿の夜景図―売春危険地帯を行く―」(『座談』1949年9月号)に見える、1949年当時の「赤線」女給の経済。
神崎清(1904~1979年)は、戦後の1950年代、「廃娼」(売春撲滅)の立場から数多くの著述を残した評論家。
立場的な偏りがあるかもしれないが、ひとつの資料として、要点をメモして若干の考察を加えておく。

新宿「赤線」(黙認買売春地区)の組合長は、搾取の根本である歩合制度を撤廃し、警視庁とも相談して、従業婦(「赤線」女給)の自由意志を尊重し、女給を単に下宿させているにすぎないという建前で、一定額の居住費(部屋代・食費・蒲団代・電気代など)だけを請求することにした。
これによって、「赤線」業者と女給の間に雇用関係がなくなり、労働基準法の適用を受けなくなる。

「カフェー」の料金も、たとえば、お茶に塩豆が付くAコースが200円、コーヒーに洋菓子が付くBコースだと500円というような「定額制」を採用した。
カフェーに「下宿している」女たちが客を引き込んだ場合、200円なり、500円なりをカフェーの主人に払えば、あとは女のふところに入れてかまわない。
いくらで客を引き込むかは、女の腕次第ということになる。
たとえば、ショート(30分程度)300円の約束で客を引き入れて、お茶と塩豆出してもらい、女の部屋でSexした場合、店が200円、女が100円という取り分になる。

ところが、このシステムで問題になったのが遊興飲食税を誰が払うか?ということ。
本来は客が負担すべきものだが、何%という形ではなく、月額いくらという形なので、業者が負担することになる。
しかも、当初は月額600円(新吉原や新宿などの一等地)だったのが、インフレーションへの対応で一気に5倍、3000円になってしまった。

この遊興飲食税の負担が原因になって、歩合制が復活してしまう。
当初は、客が払う金額を業者と女とで折半(5:5)していたが、1割を遊興飲食税として積み立てるという名目で、業者6:女4の「玉割(ぎょくわり)」になった(結局、遊興飲食税は女給の負担になってしまった)。

1949年当時の、新宿「赤線」の料金は、ショート(「遊び」とも言う、30分程度)300円、時間(1時間)400円、泊まり700~1000円(最高級店でも1500円止まり)だった。

かなり稼ぐ女で、日平均売上2000円、手取り4割で800円、月25日稼働で20000円の収入という計算になる。
ちなみに、ショート3本+時間1本+泊まりで売上2000円になる。

当時(1949年6月)の物価は、もりそば25~30円、うな重250円、コーヒー20円、山手線(初乗り)5円、都電8円、郵便封書8円、銭湯10円、映画館(封切り)40円、日雇労働者賃金242円、公務員(上級職)初任給4863円、銀行員初任給3000円、小学校教員初任給3991円、東京都知事の給料30000円だった。

トップクラスの「赤線」女給は、かなりの高収入であることがわかる。
もちろん、これだけ稼げるのはごく一部だが、トップクラスの半分の日平均売上1000円、手取り400円、月収入10000円だとしても、並の男より稼いでいた。
経済的な側面からも、「赤線」女給が成り手に事欠かなかった理由が見て取れる。
「赤線」新宿4「ひとみ」(1953) (2).jpg
↑ 1953年頃の新宿二丁目「赤線」。
都電通り(現:御苑大通り)に面していた「ひとみ」という店。