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トランスジェンダーをめぐる日本社会の状況認識 [現代の性(性別越境・性別移行)]

7月31日(木)
昨日、多摩市民講座の後、女性センターや教育委員会の方に、こんな話をした。

日本では(かなり丁寧に調べても)トランスジェンダーであるというだけで殺されるヘイトクライム殺人の事例が確認できない。
あくまでも新聞報道をベースにした調査なので皆無とは言えないが、きわめて稀なのは間違いない。

トランスジェンダーであるというだけで、年に数~10人レベルで殺される中南米諸国(ブラジル、メキシコetc)やトルコ、インド、あるいはアメリカなどと比べれば、日本のトランスジェンダーを取り巻く社会状況ははるかに良いと言える。

もちろん、それは比較の問題であって、殺されなければそれでいいという訳ではない。
日本でもトランスジェンダーに対する「いじめ」や就労差別など、解決しなければならない問題は多く、そうした点を中心にトランスジェンダーの人権尊重を社会に訴えていくことは必要だ。

しかし、日常の生活の中で、理不尽な暴力によって命を奪われる心配が(ほとんど)ないということは、とても大事なことだ。
あるいは、日本ではトランスジェンダーだからという理由で、商店でもレストランでも居酒屋でも入店を拒まれることが(ほとんど)ないが、諸外国ではその種の社会的排除は稀ではない。
そうした日本社会の状況は、もっと肯定的に評価されていいと思う。

トランスジェンダーを取り巻く社会状況という点で、日本が欧米諸国に比べて劣悪である、後進的であるという認識や、欧米諸国の有り様がトランスジェンダーにとっての理想形であるかのような主張は、社会の一面しか見ていないもので、はっきり言って間違っている。

たとえば、公的な性別の変更にほとんど何の要件もつけないアルゼンチン・モデルを「すばらしい!」と礼賛する運動家がいる。
しかし、ヘイトクライムが続発するアルゼンチン社会が日本社会より住みやすいとは、トランスジェンダーである私にはとても思えない。

欧米と日本とでは、社会の成り立ちは同じではない。
同性愛や異性装に対する宗教規範の存在やたどってきた歴史がかなり異なっている。
社会基盤が異なるのに同じ戦略で立ち向かっても、良い結果は望めない。
単純な日本否定、欧米模倣的な主張をいくら繰り返したところで、日本社会の根幹部分には届かないし、むしろ反発を買うだけで、さらなる状況改善にはつながらない。

今日の講座のように、日本社会の現状をしっかり踏まえ、その良い部分を生かしながら、その上にトランスジェンダーの人権尊重を求めていく地道な努力を積み重ねるしか状況を改善していく道はないと思う。

2014年(上半期)の仕事 [お仕事(講義・講演)]

7月31日(木)
あわただしい日々が続き、「2014年(上半期)の仕事」をまとめるのを忘れていました。
1カ月遅れでまとめましたが、忙しかった7月の分は入っていません。

【執筆】は、形になったのは「(一般社団法人)現代風俗研究会」の「東京の会」の研究誌『現代風俗学研究』15号に載せていただいた「『着物趣味』の成立」だけでした。
私にとって最初の着物文化論の論文になりました。
秋には「『台記』に見る藤原頼長のセクシュアリティの再検討」が倉本一宏国際日本文化研究センター教授編の『日記・古記録の世界』(思文閣出版)に掲載される予定です。

【講演・講義・研究報告】は、ルーチンの講義に加えて、学会報告など3回、ゲスト講義4回、研究報告1回と、まずまず充実していました。
なんといっても2月の「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」は、久しぶり(9年ぶり)の大きな国際学会への参加で、いろいろな意味で大きな刺激になりました。
また、6月の第110回日本精神神経学会学術総会でお話しできたことも、うれしかったです。
学会やゲスト講義でお世話になった方々にあらためて御礼申し上げます。
しゃべる仕事は、スケジュール的に可能な限り、お引き受けしますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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【執筆】
4月 「『着物趣味』の成立」
  (『現代風俗学研究』15号 現代風俗研究会 東京の会 2014年3月  P54~70)

【講演・講義・研究報告】
1月16日 早稲田大学理工学部「越境する文化」ゲスト講義
 「トランスジェンダーと社会」

1月22日 恵泉女学園大学(稲本万里子教授)特別講義
 「絵から考える 江戸時代のジェンダーとセクシュアリティ」
 「性別越境の文化」「衣服とジェンダー&セクシュアリティ」

2月3日 群馬大学医学部「医の倫理学 講義・実習」(服部健司教授)ゲスト講義
 「性同一性障害」問題を考える-過剰な病理化がもたらしたもの-」。
 「(アメリカでは)「性同一性障害」がなくなった―精神疾患の分類と診断の手引(DSM)」の改訂をめぐって―」

2月15日 「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」、UNDP(国際連合開発計画)、UNAIDS(国際連合エイズ合同計画)、WHO(世界保健機関)、UNWOMAN(ジェンダー平等と女性のエンパワーメントのための国連機関)支援スペシャルセッション・シリーズ(連続シンポジウム)「Trans People in Asia and the Pacific」
「Asian and Pacific trans community leaders working in health and rights」報告
 「The transgender history of Japan」
 http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-3

3月29日 Dr. Sam Winter(香港大学)来日記念シンポジウム
「『性同一性障害』という疾患概念の行方」(慶應義塾大学・三田)報告
 「『Trans People in Asia and the Pacific』シンポジウム報告」

4月20日 関西性慾研究会(2014年第2回:京都・井上章一先生室町別邸)研究報告
 「東京・新宿の『青線』について(1)」

5月31日 専修大学商学部(2部)「総合科目Ⅳ」(久米晶文講師)ゲスト講義
 「私の軌跡―新宿歌舞伎町の女装ホステスからトランスジェンダー研究者へ―」
 「性別越境の文化―『双性原理」を考える―」

6月28日 第110回日本精神神経学会学術総会委員会シンポジウム(パシフィコ横浜)
 「性同一性障害の概念と精神医学の関わりを再検討する-DSM-5 の発表を受けて-」報告
 「精神医学の外側から見た性別違和と異性装」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-06-29-1

1月14日~21日 都留文科大学「ジェンダー研究1」(2回)     
4月15日~6月24日 明治大学「ジェンダー論」講義(10回)
4月17日~6月26日 東京経済大学「ジェンダー関係論」講義(11回)

【参照】
2013年(下半期)の仕事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-12-29
2013年(上半期)の仕事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-07-06
2012年(下半期)の仕事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2012-12-29-2
2012年(上半期)の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26-3
2011年(下半期)の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26-2
2011年(上半期)の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26-1
2010年の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26

7月30日(水)多摩市民講座「いま、改めて考える人権 ―性自認・性的指向への気づき―」 [お仕事(講義・講演)]

7月30日(水)  晴れ   東京   31.8度   湿度53%(15時)
京王本線聖蹟桜ヶ丘駅前の「ヴィータ・コミューネ」8階の「関戸公民館」で開催された(東京都)「多摩市 市民講座」で「いま、改めて考える人権 ―性自認・性的指向への気づき―」と題して1時間半の講演。
多摩市が今年1月1日から性自認・性的指向にもとづく差別や暴力を明文として禁止した「女と男の平等参画を推進する条例」を施行したのを機会に「TAMA女性センター」が企画した。
聴衆は60人ほど。
内容は、私が大学の「ジェンダー論」の講義で話す「性の4要素論」「性の多層構造論」「トランスジェンダーと社会」の3コマ分のダイジェスト。
「ガイダンス」で話す「私の軌跡」も入れると、だいたい5時間分を1時間半に短縮するのでけっこう忙しい。
おまけに「市民講座」ということだったが、実際には学校教員の方が多いとのことで、教育絡みの話題(※)も加える。

【内容】
はじめに ―MtFのトランスジェンダーとしての私の軌跡―
1 「性」を考える基礎知識として
 (1) 「性」の4要素と多様性
 (2) 「性」を多層構造で考える
※ 「性別違和」とは何か
※ 「性別違和」の数値モデル
※ 思春期以前の「性別違和」
2 多様な「性」と社会 -社会的受け入れを考える-
 (1) 存在を認めない(前近代)
 (2) 特定の職能を負わせる(前近代)
 (3) 病者として扱う(近代)
 (4) マイナーな文化として扱う(現代)
 (5) 「性」の多様性を個性・人権として承認する(現代→将来)
おわりに ―気を付けるべきこと―

アンケートを見ると、まずまず話は通じたようなのでよかった。
白髪のセンター長さんは私と同年。
同年代の人、皆な偉くなっているんだなぁ、と実感。
男性大学教員時代の最初の教え子で大学院時代の後輩が市の図書館長さんになっていて聴講してくれた。
約20年ぶりに再会で、うれしかった。
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↑ 今日は蒸し暑くて、体力消耗。

(今日の着物)
水色の地に大輪の白百合の綿絽(紫織庵)。
薄いクリーム色の吸い上げ暈しの麻の半襟を付けた半襦袢。
帯は赤黒の半幅帯を独鈷結びにして、草色の夏の帯締を掛ける
柾目を浮き出した台に濃紺の麻の葉柄の鼻緒をすげた右近下駄(伊香保神社前・吉堅屋)。
大きな籠バッグ。
髪は自分でセット。

7月29日(火)最後の?鰻の蒲焼 [日常(料理・食べ物)]

7月29日(火)  晴れ   東京   31.8度   湿度50%(15時)
10時半、起床。
よく眠れたので疲労回復。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪は自然乾燥させて、ポニーテールに結ぶ。
朝食は洋なしデニッシュとコーヒー。

今日は一日休養。
昨日の「日記」を書く。
昼食は、残りご飯を「点天」の餃子と海鞘の酢醤油漬けで。
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午後も「日記」書き。
明治大学「ジェンダー論」平常点の帳簿記入(4回分)。
その後、少し針仕事、綿絽の着物にアイロンをかける。
夕方、涼しい部屋で1時間ほど眠る。

今日は「土用の丑の日」。
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夕食は近所の魚屋さんに予約しておいた鰻の蒲焼。
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この数年間、毎年そうなのだが「これが最後かもしれない・・・」と思いながら、有りがたく、そしておいしくいただく。
今年6月に国際自然保護連合がニホンウナギの「絶滅危惧種」に指定したことで、いよいよ状況が厳しくなった。
本当にこれが最後かも・・・。
いくら鰻好きでも、ある生物を採り尽くし、食べ尽くしてしまうのはまずいと思う。
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お汁は豆腐とおくら。

食後、明日の講演の準備。
PP資料に少し内容を増補。
お風呂に入って温まる。
就寝、2時半。

長崎県佐世保市高1女子殺人事件 [事件・事故]

7月29日(火)
実に嫌な事件で、スルーしようと思ったが・・・。
家庭教育、学校教育、「いじめ」、実母の死、父親の再婚など、いろいろな論点で解説しようとしているが、はっきり言って、全部違うと思う。
16歳の少女が、トラブルとか恨みとかでなく、ただ「人を殺してみたかった」という理由と言えないような動機(「純粋殺人」)で同級生の少女を計画的に殺害し、しかも遺体を解体しようとするなど、どういう解説をしたところで、説明がつくものではない。

つまり、加害者の少女の精神に重大な問題があるということだ。
具体的言えば、精神病質者(サイコパス psychopath)だと思う 。
他者に対する思いやり(共感性)が著しく欠落し、社会の規範を犯し他者を傷つけることに罪悪感や後悔の念を感じない反社会性人格異常の可能性が高い。

その兆候は、小学生時代に同級生の給食に有害物質を投入していることからもわかる。
小学6年生、しかも成績的に優秀な児童に、その行為の意味(犯罪性)が理解できないはずはない。
犯罪性を認識していても罪悪感を感じていないから、同じ加害行為を5回も繰り返せるのだ。

また、時事通信が伝える「ネコを解剖したことがあり、人間でもやってみたかった」という発言も、自分より弱い者への憐れみの心が決定的に欠落していることを示しているし、興味本位に動物や人を解剖することになんの罪悪感も抱いていないことがわかり、反社会性人格異常の特徴が典型的に現れている。

今年春には、就寝中の父親を金属バットで殴打し、頭蓋骨陥没骨折などの大怪我を負わせている。
この時点で殺人事件になってもおかしくなかった。
前記の有害物質投入事件もそうだが、揉み消しせずに、犯罪としてしっかり対応していたら、今回の殺人事件には至らなかったかもしれない。

金銭絡みや恨みや衝動的殺意などによる(普通の)殺人事件の犯人に対するように謝罪や反省を求めても、たぶん無駄だろう。
こうした精神の異常は先天的なもので、更生は難しい。
犯罪を繰り返さないようにするためには、社会から隔離するしかないと思う。
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4年前、同級生の給食に有害物質 高1殺害容疑の少女
長崎県佐世保市で県立高校1年の女子生徒(15)を殺害したとして殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)が4年前、小学校のクラスメートの給食に、ベンジンなどの有害物質を複数回、混入していたことが佐世保市教育委員会などへの取材でわかった。専門家は「このときの対応次第で、その後の展開が変わった可能性がある」と指摘する。
県警もこの情報を把握しており、今回の殺害事件での、少女の犯行動機などを解明するうえで背景事情として関心を寄せている。
市教委などによると、2010年12月初旬、小学6年生だった少女は、クラスメート2人の給食に5回にわたり、それぞれ水、ベンジン、漂白剤、粉末洗剤2種類の水溶液0・3ミリリットル程度を混ぜた。「一緒にやらない」と、ほかの児童を誘うこともあり、クラスでは公然のことだったという。
同月中旬に、被害を受けた男児が担任に報告して発覚。少女への聞き取りで、男児の給食に1回、女児に4回、異物を混ぜていたことが判明した。少女は当時、「勉強していたことをばかにされたのでやった」と話したという。
市教委は、少女と両親を指導。少女と両親は被害児童の親に謝罪し、最終的に和解したという。その後、市教委はカウンセラーを配置し、少女や、関係した児童や親、教職員らに計15回のカウンセリングをした。
市教委は、事案を報告書にまとめて長崎県教委に報告し、小学校には、少女や被害児童が進学する中学校に報告するよう伝えた。県教委は29日の会見で当時の対応について「具体的な対応は学校や市教委に任せていた」と説明した。
当時の市教委幹部は取材に「できる限りのことをしたつもりだが、これだけの事件が起きてしまった。もっと何かできなかったのかとの思いがあり悔しい。でも、何をすればよかったのかわからない」と話した。
少女は今回の殺害事件の動機について、「人を殺してみたかった」という趣旨の話をしているという。
少年事件の事例研究を長年続けてきた広木克行・神戸大名誉教授(教育学)は、少女が小学6年のときの異物混入の事案を「見逃せない出来事」と指摘。当時の学校や教師らの対応について、「少女に謝罪させるだけで終わったのか、行動の背後にある心理や精神、生活にも目を向けられたのか。いまある情報から言うと、『なぜそういった行動をとったのか』を多面的に見る目が欠けていたのではないか」と話す。
『朝日新聞』2014年7月29日23時27分
http://www.asahi.com/articles/ASG7Y5CT1G7YTIPE020.html?iref=comtop_6_01
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「ネコ解剖、人間でも」=同級生殺害の女子生徒―遺体腹部にも大きな傷・長崎県警
長崎県佐世保市のマンションで、県立高校1年の松尾愛和さん(15)を殺害したとして逮捕された同級生の女子生徒(16)が、県警捜査1課の調べに、「ネコを解剖したことがあり、人間でもやってみたかった」という趣旨の供述をしていることが29日、捜査関係者の話で分かった。松尾さんの遺体は一部が切断された他に、腹部に大きな傷があったことも判明した。
同課は女子生徒の過去の問題行動などを調べ、詳しい動機の解明を進めている。
捜査関係者によると、女子生徒は調べに対し、「生物の体について以前から関心があり、ネコを解剖したことがある」と供述。事件について、「(松尾さんを)殺害し、遺体を損壊することが目的だった」という趣旨の説明をしているという。
松尾さんの遺体は、頭部と左手首を切断されていた他、胴体部分にも大きな傷がある状態で、ベッドの上に横たわっていた。ベッド脇には殺害に使われたとみられる金づちが、ベッド上には遺体損壊に使われたとみられるのこぎりが置かれていた。
同課は、女子生徒が工具類を事前に購入していることから、松尾さんを計画的に殺害し、遺体を損壊したとみている。
「時事通信」2014/07/29-19:08
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201407/2014072900819&g=soc
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金属バットで就寝中の父親殴り大けが負わす 母の死、再婚でトラブルか
長崎県佐世保市の高校1年、松尾愛和さん(15)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された女子生徒(16)が過去に金属バットで父親を殴り、大けがを負わせていたことが29日、分かった。母親が昨年病死し、父親とトラブルが生じるなど、家庭環境の変化が、事件を起こした原因の1つになった可能性があるとみて、県警は調べを進めている。(サンケイスポーツ)
同級生を殺害した容疑で逮捕された女子生徒に、また一つ衝撃的な事実が発覚した。父親を金属バットで殴り、大けがを負わせていたことが判明したのだ。
捜査関係者らによると、女子生徒は今年の春ごろ、自宅で就寝中だった父親の頭部などをバットで数回殴打。父親は頭蓋骨を陥没骨折するなどしたという。
女子生徒は、父親に手ほどきを受けた冬季スポーツで活躍するなど仲のよい家族として知られていた。しかし、母親が昨年10月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなると、状況は一変したようだ。
再婚を望む父親との間にトラブルが発生。女子生徒は、幼なじみの女性(17)に「お母さんが亡くなって、すぐにお父さんが別の人を連れてきた。お母さんのことどうでもいいのかな…」と話したという。
父親を金属バットで殴った後、女子生徒は4月に実家を出て1人暮らしを開始。父親は翌5月に再婚した。県教育委員会によると、女子生徒は1学期に3日しか登校していなかった。中学時代の担任教諭が週1回程度訪ね、食事をしたり相談に乗っていたという。県警は、家庭環境の変化や父親とのトラブルが、事件を起こした原因の1つになった可能性があるとみて調べている。
「mns産経ニュース」2014.7.30 07:52
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140730/crm14073007520005-n1.htm

多摩ジェンダー教育ネットワーク第19回会合 [お勉強(研究会)]

7月28日(月)
(続き)
JR中央線(立川駅乗換)JR南武線(分倍河原駅乗換)京王本線で聖蹟桜ヶ丘駅に移動。
移動中、レポート読み(4本)。
17時30分、駅前の「ヴィータ・コミューネ」のオープンカフェでレポート読み(17本、合計50本)。
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18時45分、「ヴィータ・コミューネ」の7階の「TAMA女性センター」へ。
担当のMさんと明後日の講演の打ち合わせ&機材動作確認。
19時、第19回多摩ジェンダー教育ネットワーク会合に出席。
松原宏之氏(横浜国立大学)の報告 「売買春史でひらく社会秩序の動態論―1910年代アメリカの事例から」
を聴く。
アメリカにおいて、反売春の社会的姿勢が強まっていくのは1910年代であること(それまでは黙認)。
同性愛の社会問題化、異性愛規範の強調も同じ時期。
いずれもその担い手は中産階級で、背景に資本主義経済の浸透による中産階級の不安定化がある。
流動化する中産階級が「自然」規範に拠り所を求めた結果、「不自然」な行為としての買売春や同性愛への規制が強まっていく。
軍隊における同性愛排除もこの時期から。
私は、アメリカ社会は売春や同性愛に対して一貫して厳しい姿勢なのだろうと思っていたので、1910年代にそうした転換があったということは、とても勉強になった。
21時、終了。
21時15分、駅近くの居酒屋「きちんと」で懇親会。
22時50分、お開き。
京王本線(分倍河原駅乗換)JR南武線で武蔵小杉駅へ。
0時10分、帰宅。
疲労困憊。
2時半、就寝。

東京経済大学成績表提出/「新次郎池」の現況 [お仕事(講義・講演)]

7月28日(月)
(続き)
「武蔵八丁特飲街」跡の踏査を終えて三鷹駅に戻り、JR中央線で国分寺駅に移動。
移動中、明治大学「ジェンダー論」のレポート読み(4本)。
14時、国分寺駅ビルの喫茶店で、レポート読み(8本)。
20分ほど意識を失う。
15時、今日は足腰の具合がまずまずなので歩いて東京経済大学へ。
それでも国分寺崖線の急坂で息が切れる。
息を整え汗を押さえて学務課で採点表を提出。
講師控室に寄って交通費請求の書類を書く。
レポート読み(10本)。
16時、国分寺崖線の森の中の階段を下って、「新次郎池」に向かう。
「新次郎池」は東京経済大学の構内にある、国分寺崖線下の湧水を受ける池。
昨年はかなりひどい渇水状態だったので「今年はどうだろう?」と気になって、1年ぶりの状況観察。
↓ 昨年の状況(2013年7月30日)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-07-30-3
池に向かう道に入ると、すぐに瀬音が聞こえる。
「おっ、流れている!」
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池から流れ出る小川は今まで見たことがないくらい豊富な水量。
池の流出口のすぐ先の流路の状態。(左)2014年、(右)2013年。
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昨年は溜まり水状態でまったく流れていなかったが、今年は勢いよく流れ出てる。
池からの流出状態。(上)2014年、(下)2013年。
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昨年は池の水位が低く流出量ゼロだったが、今年は池が満水状態で滝ように流れ出ている。

続いて、池の周囲に数カ所ある湧水の流入箇所の観察。
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↑ 北西側の流入部。
昨年は極微量の流入しか観察できなかったが、今年は雲泥の差。
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↑ 流入口でない部分でも湧き水が滲んでいる。
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↑ 北側の流入口。勢いよく湧水が注いでいる。
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↑ 北東側のメインの流入部。
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↑ 流入量豊富。
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↑ その山際。落ち葉の下を湧水が勢いよく流れ下っている。

大渇水だった昨年とは違い、湧水豊富で実に良い状況。
今年の梅雨の雨量が多かったこともあるが、崖上の校舎(図書館)新築工事が終わって、水脈が復活したのかもしれない。
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ということで、大満足。

武蔵野市「武蔵八丁特飲街」の遺跡 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

7月28日(月)
(続き)
吉祥寺での講義を終えて、JR中央線で三鷹駅に移動。
12時50分、三鷹駅北口の「武蔵八丁特飲街」跡の踏査と撮影。
武蔵八丁は、国鉄中央線の三鷹駅北口から程近い武蔵野市武蔵野八丁目(現:武蔵野市中町2丁目12番地)の畑地に1949年(昭和24)秋頃から建設が始まり、地元の反対運動にもかかわらず1950年(昭和25)秋に8軒が営業を始めた「特殊飲食店」(実質的な娼館)街。
1956年8月末には、10軒の「特殊飲食店」に、59人の従業婦がいた(『東京の婦人保護』)。

論文「東京新宿の『青線』について」を執筆する際に、都内の「青線」を把握しておく必要があり、いろいろ調べたのだが、この武蔵八丁を「赤線」(警察が黙認する買売春地区)とするか「青線」(警察が黙認しない非合法な買売春地区)とするかは、見解が一定しない。
「武蔵野市の赤線が集団廃業」(『朝日新聞』1958年1月12日号)のように「赤線」としてカウントしている資料も複数あり、研究者でも加藤政洋氏は『敗戦と赤線―国家売春の時代―』(光文社新書 2009年)で「赤線」として扱っている。
一方、東京都民生局が1974年に「売春防止法全面施行15周年記念」としてまとめた『東京の婦人保護』の中にある図表「都内赤線・青線分布図」では「青線」として記載されている。

東京では1946年12月に「赤線」システムが機能して以後、新設された「赤線」はない。
これは「赤線」の既得権益の黙認という性格から肯けるもので、もし武蔵八丁が唯一の新設「赤線」だとしたら、なぜここだけが認められたのだろうか?
「赤線」に「昇格」したい「青線」は、新宿花園街など他にもあったのに。
私は東京都民生局が「青線」として認識していることを重視すべきだと思っているが、論文を入稿する前に一度、現地を見ておきたかった。
事前に調べておいた場所は、三鷹駅北口から徒歩7分ほどの武蔵野市中町2丁目12番地(青塗りは三橋)。
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取りあえず「八丁通り公園」を目指す。
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「八丁通り交差点」の北東に明らかに一般住宅とは異なる建築様式の建物が・・・。
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「武蔵八丁特飲街」の「組合事務所」として建てられた建物と思われる。
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↑ 西側から。
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↑ 二階のバルコニーの手すりは、神社の玉垣を思わせる石製?
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↑ 塀の作りもかなり凝っている。
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↑ 敷地の隅に置かれている石も立派なもの(銘石)。
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↑ 「組合事務所」裏側の路地。
単なる裏路地にしては道幅が広く、おそらくこの両側に「特殊飲食店」が軒を連ねていたのではないだろうか?
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↑ 路地の北東にある建物。
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↑ 腰壁に鉄平石を貼るのは昭和30年代に特徴的な様式。
古い建物であるのは確かだが、「特殊飲食店」時代の建物か、廃業(1957年)後の立て直しか微妙。
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↑ 西側から(左側が旧「特飲街」)。
閑静な住宅地の中に、このエリアだけ八丁通りの両側に飲食店が集まっている。
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↑ 八丁通りの南側の路地。
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↑ 南北方向の短い路地とT字形に東西方向の行き止まりの路地があり、小さな飲食店街を形成している。
この「特飲街」南側の飲み屋街の成立については、はっきりとはわからない。
「特飲街」に付属したものとも考えられるが、「特飲街」が廃業した後にそれに代わる飲み屋街として成立した可能性もある。
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↑ 1963年(昭和38)の航空写真。
中央やや右下の交差点が「八丁通り交差点」。
その左上のブロックが旧「武蔵八丁特飲街」。
八丁通り南側の飲み屋街もすでに存在している。

「武蔵八丁特飲街」は、洲崎(現:江東区東陽町)の「赤線」業者が中心となり、当初は「特殊飲食店」50軒以上の「特殊飲食店街」として計画されたらしい。
となると、街割りも計画的になされたはずで、現在12番地西側の行き止まりの南北道路(写真撮影忘れ)などは、その痕跡と思われる。
規模的には、もぐり営業的な「青線」より、ずっと本格的で、業者の思惑としては多摩地区最大の「赤線」になるはずだった。
しかし、地元住民の反対で大幅に規模を縮小せざるを得なくなり、行政(警察)の「黙認」(地図上で赤線で囲む)も得られなかったのではないか。
つまり、「赤線」として計画されながら、「赤線」に成り損ねた「青線」という位置づけが妥当だと思う。

7月28日(月)長岡京の洪水と平安遷都への道 [お仕事(古代史)]

7月28日(月)   晴れ   東京   30.7度   湿度53%(15時)
7時20分、起床。
気温も湿度も下がり、久しぶりにさわやかな目覚め。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結び、シュシュを巻く。
朝食は、カスタードクリーム・デニッシュとコーヒー。
8時、化粧と身支度。
白地に黒のアニマル柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、大きな籠バッグ。
9時、家を出る。
東急東横線から東京メトロ副都心線に入り新宿三丁目駅で下車。
地下道を歩き、JR新宿駅東南口に出て、JR中央線に乗り換えて吉祥寺駅へ。
移動中、明治大学「ジェンダー論」のレポート読み(7本)。
10時30分、産経学園(吉祥寺)で「史料でたどる奈良時代政治史 」の講義。
「後宮の不幸と早良皇太子の怨霊出現」の5回目。
延暦11年(792)の長岡京と洪水の史料を読み、水運に恵まれながら洪水に弱かった長岡京の地形的特質について解説。
続いて最終講「平安遷都への道」に入る。
延暦12年(793)の平安京へ遷都決定についての史料を読む。
長い間(20年)、続けてきたこの講座も残りあと2回。
12時05分、終了。

12時15分、吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」で昼食。
P1110010 (2).JPG
ムーパッキン(豚肉の炒め物+ライス、980円+税)。
オーナーの息子さん、数カ月見ないうちにまた大きくなり、走り回る様子もしっかりしてきた。
でも、このくらいの時期は事故に気をつけないと・・・。
(続く)

長い一日のタイムテーブル [お仕事(講義・講演)]

7月28日(月)
7時20分、起床。
8時、化粧と身支度。
9時、家を出る。
東急東横線→東京メトロ副都心線(新宿三丁目駅→JR新宿駅乗換)JR中央線で吉祥寺駅へ。
移動中、レポート読み(7本)。
10時30分、産経学園(吉祥寺)で講義(長岡京と洪水、平安京遷都決定)。
12時05分、終了。
12時15分、吉祥寺駅南口のタイ料理「Khucha(クーチャイ)」で昼食。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-07-29-2
JR中央線で三鷹駅に移動。
12時50分、三鷹駅北口の青線「武蔵八丁特飲街」跡の踏査と撮影。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-07-29-3
JR中央線で国分寺駅に移動。
移動中、レポート読み(4本)。
14時、国分寺駅ビルの喫茶店で、レポート読み(8本)。
20分ほど意識を失う。
15時、東京経済大学へ。
学務課で採点表を提出。
講師控室でレポート読み(10本)。
16時、東京経済大学「新次郎池」の状況撮影。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-07-29-5
JR中央線(立川駅乗換)JR南武線(分倍河原駅乗換)京王本線で聖蹟桜ヶ丘駅に移動。
移動中、レポート読み(4本)。
17時30分、駅前の「ヴィータ・コミューネ」のオープンカフェでレポート読み(17本、合計50本)。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-07-30
18時45分、TAMA女性センターへ。明後日の講演の打ち合わせ&機材動作確認。
19時、第19回多摩ジェンダー教育ネットワーク会合に出席。
松原宏之氏(横浜国立大学)の報告 「売買春史でひらく社会秩序の動態論―1910年代アメリカの事例から」
を聴く。
21時、終了。
21時15分、駅近くの居酒屋「きちんと」で懇親会。
22時50分、お開き。
京王本線(分倍河原駅乗換)JR南武線で武蔵小杉駅へ。
0時10分、帰宅。
疲労困憊。
2時半、就寝。