NHKスペシャル・ジェンダーサイエンス (1)「男X女 性差の真実」 [現代の性(一般)]
11月3日(水・祝)
NHKスペシャル・ジェンダーサイエンス (1)「男X女 性差の真実」を視る。
すでに「脳に性差はない」という結論ありきで、それに合うコメンテーターが登場する、いつものパターン。
私は脳の性差を想定しないと、ジェンダーでは解決できないさまざまな差異があると考えている。
つまり「脳に性差はある」立場。
そもそも、身体的性差を軽視することで、性的多様性を肯定するのは、基本的に間違っていると思う。
身体的な性差があるのは当たり前で、その上で性的多様性があると考えるべき。
テストステロンの作用によって身体のさまざまな性差ができるわけで、それが脳にだけは及ばず性差が形成ないというのは、合理的ではないと思う。
また、ドミニカ共和国のサリナス村で多発するのは「女性から男性に変わる」事例ではなく、性染色体がXY,性腺は精巣の男児が、遺伝子の異常で5α還元酵素が欠損し、テストステロン(男性ホルモン)の活性化が阻害されるため、出生時に女児として誤認される性分化疾患の1タイプ「5α還元酵素欠損症=5ARD)。
ここで事例として出すのは、適切ではないと思う。
NHKスペシャル・ジェンダーサイエンス (1)「男X女 性差の真実」を視る。
すでに「脳に性差はない」という結論ありきで、それに合うコメンテーターが登場する、いつものパターン。
私は脳の性差を想定しないと、ジェンダーでは解決できないさまざまな差異があると考えている。
つまり「脳に性差はある」立場。
そもそも、身体的性差を軽視することで、性的多様性を肯定するのは、基本的に間違っていると思う。
身体的な性差があるのは当たり前で、その上で性的多様性があると考えるべき。
テストステロンの作用によって身体のさまざまな性差ができるわけで、それが脳にだけは及ばず性差が形成ないというのは、合理的ではないと思う。
また、ドミニカ共和国のサリナス村で多発するのは「女性から男性に変わる」事例ではなく、性染色体がXY,性腺は精巣の男児が、遺伝子の異常で5α還元酵素が欠損し、テストステロン(男性ホルモン)の活性化が阻害されるため、出生時に女児として誤認される性分化疾患の1タイプ「5α還元酵素欠損症=5ARD)。
ここで事例として出すのは、適切ではないと思う。
事実と異なる憶測をされても困る [現代の性(性別越境・性別移行)]
11月3日(水・祝)
また、Twitterで事実と異なることを言われているので、反論。
(1)私がGID学会に「脱病理化」の宣伝のために入会したという説。
私がGID学会(の前身のGID研究会)に参加したのは創立時の1999年。
その頃は、「病気」と言われることに違和感はあったが、まだ「脱病理化」概念はほとんど知らなかった。
むしろ、GID医療体制の整備の必要性を強く感じていた(それは現在も同じ)。
入会の動機は、学問的関心(情報収集)。
それと、創立者(初代会長)の原科孝雄先生に声を掛けていただいたから(人間関係)。
私が、性別移行の病理化への懐疑を抱くようになったのは2003年秋に書いた「性別を越えて生きることは『病』なのか?」以降で、脱病理化の必要性を実感したのは2005年夏に参加した「アジア・パシフック・クイアスタデーズ学会」。
ついでに言うと、初めてジェンダークリニックに行ったのは、2008年4月で、「はりまメンタルクリニック」の開院に際して、院長の針間克己先生にお声を掛けていただいたから(院内設備・手順などのモニター)。
日本に性別移行の「脱病理化」の情報が本格的に入ってくるのは、2010年に予定されていたアメリカ精神医学会の診断マニュアルDSMの改訂(実際は2013年改訂)の前で、2008~2009年頃。
国際学会に参加された先生たちが情報(&雰囲気)を持ち帰ってきて、私はそれを聴いて勉強した。
性別移行の「脱病理化」の方向性を確信したのは、2014年2月にバンコクで開催された「WPATH2014」に参加し、アジア・パシフックのトランスジェンダー当事者とシンポジウムで意見を交換してから。
この学会では、2019年に採択されるWHOの疾病リストICD-11の改訂案の原案の方向性が伝わっていて、性同一性障害概念の消滅と、性別移行の「脱精神疾患化」の実現はほど確実という、明確な感触を得ることができた。
いろいろな場(講演・論考)で、「性同一性障害」概念の消滅と性別移行の「脱精神疾患化」について語る(記す)ようになるのは、2015年以降。
(2)私が1990年代からゲイ文化と関係していた、という説。
私は、仕事上は別として、ゲイの方と個人的にお話ししたことはほとんどなかった。
(知人や後輩がたまたまゲイだった場合は除く)
そもそも(拙著『女装と日本人』に書いた通り)、女装世界とゲイ世界は、人脈もシマ(地域)違う別世界だ。
二丁目に足を踏み入れることも、めったになかった。
ゲイの「活動家」の方と個人的にお話しするようになったのは、2016~17年くらいからで、ごく近年ことだ。
他人のことで認識に数年のずれがあるのは仕方ないが、20年となると、歴史の書き換え(捏造)だから、止めて欲しい。
また、Twitterで事実と異なることを言われているので、反論。
(1)私がGID学会に「脱病理化」の宣伝のために入会したという説。
私がGID学会(の前身のGID研究会)に参加したのは創立時の1999年。
その頃は、「病気」と言われることに違和感はあったが、まだ「脱病理化」概念はほとんど知らなかった。
むしろ、GID医療体制の整備の必要性を強く感じていた(それは現在も同じ)。
入会の動機は、学問的関心(情報収集)。
それと、創立者(初代会長)の原科孝雄先生に声を掛けていただいたから(人間関係)。
私が、性別移行の病理化への懐疑を抱くようになったのは2003年秋に書いた「性別を越えて生きることは『病』なのか?」以降で、脱病理化の必要性を実感したのは2005年夏に参加した「アジア・パシフック・クイアスタデーズ学会」。
ついでに言うと、初めてジェンダークリニックに行ったのは、2008年4月で、「はりまメンタルクリニック」の開院に際して、院長の針間克己先生にお声を掛けていただいたから(院内設備・手順などのモニター)。
日本に性別移行の「脱病理化」の情報が本格的に入ってくるのは、2010年に予定されていたアメリカ精神医学会の診断マニュアルDSMの改訂(実際は2013年改訂)の前で、2008~2009年頃。
国際学会に参加された先生たちが情報(&雰囲気)を持ち帰ってきて、私はそれを聴いて勉強した。
性別移行の「脱病理化」の方向性を確信したのは、2014年2月にバンコクで開催された「WPATH2014」に参加し、アジア・パシフックのトランスジェンダー当事者とシンポジウムで意見を交換してから。
この学会では、2019年に採択されるWHOの疾病リストICD-11の改訂案の原案の方向性が伝わっていて、性同一性障害概念の消滅と、性別移行の「脱精神疾患化」の実現はほど確実という、明確な感触を得ることができた。
いろいろな場(講演・論考)で、「性同一性障害」概念の消滅と性別移行の「脱精神疾患化」について語る(記す)ようになるのは、2015年以降。
(2)私が1990年代からゲイ文化と関係していた、という説。
私は、仕事上は別として、ゲイの方と個人的にお話ししたことはほとんどなかった。
(知人や後輩がたまたまゲイだった場合は除く)
そもそも(拙著『女装と日本人』に書いた通り)、女装世界とゲイ世界は、人脈もシマ(地域)違う別世界だ。
二丁目に足を踏み入れることも、めったになかった。
ゲイの「活動家」の方と個人的にお話しするようになったのは、2016~17年くらいからで、ごく近年ことだ。
他人のことで認識に数年のずれがあるのは仕方ないが、20年となると、歴史の書き換え(捏造)だから、止めて欲しい。
「ゲイフロント関西」の機関誌『Poco a poco』23号 [お仕事(執筆・成果)]
11月3日(水・祝)
「ゲイフロント関西」の機関誌『Poco a poco』23号・講演録(3)。
3つの講演の全文文字起こし記録。
①前田くにひろ+大畑たいじろう「シングルと同性パートナーのためのライフプランと法制度」(2009年)
②薬師実芳「社会へのはばたき~教育現場、LGBT成人式、そして終活支援からみえてきたもの」(2015年)
③三橋順子「日本トランスジェンダー史・女装史とLGBTブーム」(2017年)
③は、他にまとまったものはない「大阪の女装文化史」を詳しく解説。
全文文字起こし→記録化という、手間のかかる作業を地道に行うこと、ほんとうに素晴らしいと思う。
今時の安直なLGBT団体とは文化レベルが違う。
老舗の高い見識がうかがえる。
「ゲイフロント関西」の機関誌『Poco a poco』23号・講演録(3)。
3つの講演の全文文字起こし記録。
①前田くにひろ+大畑たいじろう「シングルと同性パートナーのためのライフプランと法制度」(2009年)
②薬師実芳「社会へのはばたき~教育現場、LGBT成人式、そして終活支援からみえてきたもの」(2015年)
③三橋順子「日本トランスジェンダー史・女装史とLGBTブーム」(2017年)
③は、他にまとまったものはない「大阪の女装文化史」を詳しく解説。
全文文字起こし→記録化という、手間のかかる作業を地道に行うこと、ほんとうに素晴らしいと思う。
今時の安直なLGBT団体とは文化レベルが違う。
老舗の高い見識がうかがえる。