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2015年1月1日(木・祝)まずまず穏やかな元旦 [日常]

2015年1月1日(木・祝)  曇り  秩父  4.6度  湿度43%(15時)
朝方、かなり冷え込む(今朝の最低気温-3.6度)
9時半、起床。
朝兼昼食の準備。
平目の冊を薄切りにしてお刺身を作る。
塩鮭とお餅を焼く。
11時、元旦のお膳。
私が焼いて、父親が巻いた鮭餅。
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あさりのお汁。
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父親の好物の平目のお刺身。
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12時前後、雪がかなり激しく舞う。
恒例の秩父神社への初詣は中止。
シャワーを浴びて髪を洗い、よくブローしてポニーテールにまとめる。

15時、父の肩を抱いて「ほんとうに、くれぐれも気を受けてね。お大事に」と挨拶して辞去。
今日は曇天で気温が上がらず、かなり寒い(15時の気温、3.1度)。
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↑ 雪の武甲山
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↑ 奥秩父の山々
少し買い物をして、西武秩父駅15時25分発の「ちちぶ路30号」に乗車。
16時49分、池袋駅に到着。
東京メトロ副都心線から東急東横線へ。
学芸大学駅でパートナー&息子と分かれ、「仕事部屋」に寄って、年賀状を回収。
18時半、帰宅。

19時、義父母に新年の挨拶。
今年の取り寄せ「おせち」は、金沢市東茶屋街「十月亭」の「一段重」。
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滋賀県大津市滋賀県のレストラン「明治亭」の「洋風オードブル」。
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食後、いただいた年賀状を整理。
住所録を訂正。

明日のお雑煮の準備。
昆布だしと鰹だしをとり、里芋を下茹でして皮を剥く。
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お風呂に入って温まる。
疲れた・・・・。
就寝、1時半。

謹賀新年2015 [日常]

2015年1月1日(木)
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明けましておめでとうございます。
皆様にとりまして、良き1年になりますように。

乙未年 元旦

   三橋 順子

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今年の年賀状(東京小石川・後楽園にて)

「紅白歌合戦」2014 [テレビ批評]

12月31日(水)
NHK紅白歌合戦を見ての感想メモ。

【着物関係】
吉高由里子(オープニング)真っ赤な大振袖。ダサ・・・。
 美人なのは間違いないのだから、もっとセンスの良い着物を着せてあげなればいいのに。
 結局、着物はこれだけ。

藤あや子  藤色に白藤の柄の大振袖。名前にちなんだ柄で品が良い。

伍代夏子  朱に白の染め抜き?で波模様の大振袖。これはすごい!

香西かおり 白地に黄色の花の訪問着。清楚。NHKもっとちゃんと写して。

坂本冬実 上から下にオレンジ暈しの地に、袖は山、裾は波模様。
 裾短に着付けて、履物はブーツという和洋折衷。

仲間由紀恵(審査員)青紫の地に花柄のアンティーク着物に廂髪の「蓮子さま」スタイル。
      やっぱり美しい。

石川さゆり 銀鼠の地に白の滝飛沫?、黒地に桜吹雪の打掛。
 黒の無地の帯に朱の帯締めを斜に結ぶ。
 すばらしい!

【着物以外】
薬師丸ひろ子 灰紫色のオフショルダーのロングドレス。
 主演&主題歌の映画『Wの悲劇』は、1984年12月の公開。
 実に30年ぶりに紅白歌合戦に登場。
 デビュー時からのファンとしては、とてもうれしい。

中森明菜 よかった~ぁ、ちゃんと歌い切った。
 いちばん心配だった。
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 全盛期の声量には遠く及ばないけど、生来の歌のうまさの片鱗はうかがえた。
 今までのいきさつ(2010年から活動停止、公の場に姿を現すのは約5年ぶり)を考えたら、まあ仕方がない。
 古いファンとしては、ともかく動いている生の明菜が見られたのがうれしい。
 そして、「昭和最後の歌姫」の復活への一歩になるのなら、さらにうれしい。

中島みゆき 容姿も声量もとうてい62歳には見えない。
 もうほんとうに大御所の貫録、こんな大歌手になるとは思わなかったなぁ。

美輪明宏 紅白歌合戦3回目(79歳)で初の女装、白のシンプルなロングドレス、髪は黒のショート。
 「愛の賛歌」を歌い終わった後、キラキラしたものが上からたくさん降ってきて、このまま天に召されるような雰囲気だった。

サザン・オールスターズ 驚いた! まったくのサプライズ出演。
 コンサート会場「横浜アリーナ」からのLive中継だったが、すごい熱気。
 メンバーみんな歳はとっているが、やっぱりすごいなぁ。
 同世代(リーダーの桑田佳祐は1歳下で同学年)が頑張っているのはうれしい。

松田聖子 純白のマーメードドレスで、52歳にして初の大トリ。
 それにしても、聖子と明菜の明暗を分けたものはなんだったのだろう?
 やはり男たちを食って自らのエネルギーにしていける女と、男に傷ついて身をすり減らしてしまう女の違いだろうか。

12月31日(水)年末の帰省(4日目:大晦日) [日常(料理・食べ物)]

12月31日(水)  晴れのち曇り  秩父  12.3度  湿度41%(15時)

9時半、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のグレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
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昼食は、ノドグロ(若狭小浜「田村長」)の干物を焼く。
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高級魚で有名なノドグロだが、淡白なようでいて脂が乗っていて味は良い。
骨でスープをとってみたが上々。
おいしい魚であることは確かだが、1匹2500円という価格に見合うかというと、ちょっと疑問。

豚のカシラ肉の漬け焼き。
味付けは父親。
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ほうれん草のお浸し。
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14時半、外出。
25分ほど歩いて、3月上旬に染織講座で訪問する予定の秩父銘仙の工房の場所を確認。
国道140号線の「ケンタッキー・フライド・チキン」の角を山際に入り、小さな川(用水路)を渡って右側。
よし、これで案内できる。
帰路、国道わきの「丸亀製麺」で天麩羅を購入。

15時45分、帰宅。
一休みして、夕食の準備。
秩父「武蔵屋」のお蕎麦を茹でる
4人で3袋(6人前)。
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付け合わせの天麩羅は、ごぼうかき揚げ、海老、イカ、蓮根。
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父親が、好物のごぼう天を「うまい、うまい」と言って食べてくれた。
130円でそんなに喜んでくれれば、往復50分歩いたかいがあった。

後片付けをした後、紅白歌合戦を見る。
家族そろって、穏やかに年越しできたことを心から感謝。
お風呂に入って温まる。
就寝、1時半。


12月30日(火)年末の帰省(3日目) [日常(料理・食べ物)]

12月30日(火)  晴れ  秩父  11.2度  湿度49%(15時)
9時半、起床。
髪をポニーテールにまとめる。
朝食は、「ドンク」の洋梨デニッシュを半分とカツサンドを1切。
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昨夜、家猫さんが川崎に戻ったので、朝のコーヒー入れと父親の朝食の世話。

昼食は、日本海軍伝統の牛肉のソース焼き。
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街に出て、馴染みの花屋で墓参用のお花を買う。
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15時、家猫さんが戻ってくるのを待って、タクシーで亡母のお墓へ。
お掃除とお参り。
墓地の背後の山の欅の梢に半月が上る。
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帰路、タクシーを途中で降りて、ショッピングセンターで夕食の材料などを買う。
帰宅後、夕食の支度。
下関から取り寄せたふぐちり。
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最後は雑炊に。
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ああ、おいしかった。
自分がおいしかっただけでなく、父親が「ごちそうさん、おいしかった。ありがとう。」と言ってくれたのが、とてもうれしかった。

食後、疲労で眠くなる。
1時間ほど仮眠。
お風呂に入って温まる。
「日記」を書く。

就寝、0時半。


12月29日(月)年末の帰省(2日目) [日常(料理・食べ物)]

12月29日(月)  雨のち曇り 秩父  度   湿度%(15時)
9時半、起床。
朝方、小雪、その後、雨に変わる。
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↑ 庭がうっすら白くなった程度。
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↑ 武甲山も雪化粧。

朝食は、「ドンク」のアプリコット・デニッシュと、洋梨デニッシュを家猫さんと半分ずつ。
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シャワーを浴びて髪を洗う。
ブローしてポニーテールにまとめる。
昼頃、雨が止んだので外出。
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秩父神社近くの「武蔵屋」の売店で半生蕎麦(8袋)を買う。
3袋は年越しそば用、5袋は自宅用。

昼食は、「守正食品」のホルモン焼を玉ねぎと一緒に炒める。
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塩味の豚ホルモンだがなかなかおいしい。
それと、生ハムとレタスのサラダ。
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食後、寝不足気味のせいか、急に疲れと眠気を感じる。
2時間半ほど昼寝。
ようやく体調回復。

夕食は、ふぐ刺。
夏に帰省した時に、父に「何がたべたいですか?」と尋ねたら、「そうだなぁ、ふぐちりかな」という返事だったので、下関から取り寄せ。
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本体は、ふぐちりなので、刺身はあまり量はないのだが、やっぱりおいしい。
父にもしっかり食べてもらえた。
足りない分は、魚の西京漬けを焼く。
私は金目鯛。
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食後、父の好物の「ザ・ペニシュラ」のカスタードプリンを食べる。
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父といろいろおしゃべり。
お風呂に入って温まる。
「日記」を書く。

就寝、2時半。

12月28日(日)年末の帰省(1日目) [日常(料理・食べ物)]

12月28日(月)  晴れのち曇り  東京  8.0度  湿度43%(15時)

10時半、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のアマンドショコラとコーヒー。
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それと、イベリコ豚入りパンを家猫さんと半分こ。
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本名名義の年賀状20通を書く。
シャワーを浴びて髪をポニーテールに結わえて、身支度。
グレーのセーター、黒のブーツカットパンツ、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ。
焦げ茶のボア襟のレザーコート。

13時45分、家族3人で家を出る。
近所の魚屋さんで父親へのお土産に平目(冊)とぶりと赤貝のお刺身を購入。

東急東横線から東京メトロ副都心線に乗り入れて池袋駅へ。
特急券を確保した後、西武デパート地下の食品売り場で、父親へのお土産に「ザ・ペニシュラ」のカスタードプリンを購入。

食品街の中に北海道余市郡赤井川村の「外一(といち)」蕎麦というお蕎麦屋さんが臨時出店していたので、遅い昼食。
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私はもともと十割蕎麦には批判的なので、あまり期待はしていなかったが・・・。
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お蕎麦は、かなり黒い。
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食感は十割蕎麦の欠点であるボソッとした感じはあるが、まずまずの喉越し。
今まで食べた十割蕎麦の中ではいちばんマシ。
蕎麦湯はおいしかった。
でも、買っていく気にはなれなかった。

16時30分の西武池袋線特急「ちちぶ23号」に乗車。
17時50分、西武秩父駅に到着。
18時過ぎ、故郷の家に到着。
父親は、思っていたよりも(91歳にしては)元気で一安心。

夕食は、お刺身(ぶり、赤貝)。
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父が「おいしい」と食べてくれたので、うれしい。
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↑ レトルトの東坡肉(トンポーロー)
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↑ 父が煮た里芋
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↑ 父が漬けた蕪。

お風呂に入る。
1時間ほど父に昔(戦後)の話を聞く。
就寝、2時。


12月28日(日)年末のご挨拶 [日常]

12月28日(日)

年末の帰省のため、数日、留守にします。
今年一年、このブログを訪れてくださった皆様、ありがとうございました。

残り僅かになりましたが、良いお歳を!

2014年(下半期)の仕事 [お仕事(講義・講演)]

12月28日(日)
今年も残すところあと3日となりました。
「2014年(下半期)の仕事」をまとめておきます。

【執筆】は、形になったものはないと思っていたら、年末になって「現代風俗研究会」の2010年度の「年報34号・かお」が送られてきました。
誤植ではありません。4年前2010年度の「年報」です。
3年前に執筆した「『女になる』ことと顔」というコラムと、4年前にいただいた2010年度橋本峰雄賞の「受賞の言葉」が載っています。
編集者のご苦労を承知の上で敢えて言いたい。
「いくらなんでも遅れすぎでしょう」

2013年夏に入稿した論文「『台記』に見る藤原頼長のセクシュアリティの再検討」が掲載される国際日本文化研究センター「日記の総合的研究」共同研究会(倉本一宏教授)の論集『日記・古記録の世界』(思文閣出版 2014年春出版予定)が、いまだに日の目を見ないのが、たいへん残念です。

2015年3月出版予定の『ふたたび性欲の研究(仮題)』(平凡社)には、論文「東京・新宿の『青線』について―戦後における『盛り場』の再編と関連して―」、加藤政洋さんとの対談「『性なる』場所の戦中戦後」、コラム「男寺党について―朝鮮半島における性的マイノリティの伝統文化として―」、表紙解説「『原色の街』の原色の女―「赤線」女性のファッション復元―」を執筆しました。
こちらは、編者の責任として、予定通り(3月)出版しないといけません。

もう1本、某大学のジェンダー研究所の論集用に論文「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」を執筆しましたが、採用されるかどうか、まだわかりません。

この数年の懸案、2冊目の単著となる予定の『「性なる場」の記憶を求めて-昭和期の「性」と社会-』は、11月にようやく着手したものの、多忙で執筆が進んでないのが相変わらずの反省点です。

【講演・講義・研究報告】は、ルーチンの講義に加えて、講演3回、ゲスト講義3回、研究報告・資料紹介2回、対談、コメンテーター各1回と充実していました。
とりわけ、10月に成蹊大学で行った「武蔵野自由大学」の講演は、一度、台風襲来で流れたこともあり、また、昭和の女装史研究をあらためてまとめたという点で印象深い仕事になりました。
ゲスト講義でお声をかけてくださった先生、講演でお世話になった方々に、あらためて御礼申し上げます。

しゃべる仕事は、スケジュール的に可能な限り、お引き受けしますので、今後ともよろしくお願いいたします。

【コメント・紹介記事など】は、朝日新聞大阪支局の学園祭における異性装イベントについての取材にコメントしましたが、突然の解散・総選挙の影響で流れてしまったかと思いました。
ところが、数日前に記者さんから、年末ぎりぎりの12月30日の紙面に掲載される予定との連絡がありました。
短いコメントですが、無駄にならずよかったと思ったのですが、やっぱり載らなかったようです(残念)。

来年は、いよいよ還暦を迎えます。
残されている時間がどんどん短くなっていることを感じます。
できるだけ体調を維持しながら、自分がしなければならない仕事を着実に積み重ねるよう努めていこうと思います。
1年間、お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
それでは、よいお歳を。
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【執筆】
「『女になる』ことと顔」
 (現代風俗研究会年報34号『現代風俗:かお』学校法人国際文化学園 2014年12月)
「受賞の言葉」
 (同上)

【講演・講義・研究報告】
7月6日 関西性慾研究会(2013年第3回)研究報告
  東京・新宿の「青線」について(2)
7月7日 早稲田大学 「英米文学とジェンダー」(木村晶子教授)ゲスト講義
  「性」を考える ―トランスジェンダーと同性愛を中心に-
7月18日 『ふたたび性欲の研究(仮題)』(平凡社) 対談
  加藤政洋×三橋順子「『性なる』場所の戦中戦後」
7月27日 明治大学 学生相談室 夏期セミナー(明治大学:駿河台) 講演
  性別違和感を抱く学生に教職員はどう対応していくか
7月30日 多摩市 市民講座(TAMA女性センター) 講演
  いま、改めて考える人権 ―性自認・性的指向への気づき-
9月11日 性欲研究会(2014年第4回)「東京合宿」 巡見資料         
  (台東区)「鶯谷ラブホテル街」の形成過程
10月27日 武蔵野地域自由大学 「昭和のサブカルチャー研究」(成蹊大学 )講演
  昭和女装者列伝 ―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―
11月6日 早稲田大学教育学部英語英文科「英米文学評論」(木村晶子教授)ゲスト講義     「性」を考える ―トランスジェンダーと同性愛を中心に-
12月7日 京都セックスワークセミナー主催(京都市「堺町画廊」)
 茶園敏美著『パンパンとは誰なのか ―キャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性―』書評会 コメンテーター
12月12日 東京経済大学現代社会学部「ジェンダー論」(澁谷知美准教授)ゲスト講義
  トランスジェンダー「三橋順子」ができるまで-新宿歌舞伎町の女装ホステスからトランスジェンダー研究者へ-
12月14日 関西性慾研究会(2014年第5回)資料紹介
  (資料紹介)朝山蜻一『女の埠頭―変貌する青線の女たち―』

7月1日~22日 明治大学「ジェンダー論」講義(4回)
7月3日~17日 東京経済大学「ジェンダー関係論」講義(3回)
9月30日~12月16日 都留文科大学「ジェンダー研究1」(12回)
12月11日~18日 早稲田大学基幹理工学部「越境する文化」(2回)     

【コメント・紹介記事など】
なし。

【参照】
2014年(上半期)の仕事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-07-31-1
2013年(下半期)の仕事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-12-29
2013年(上半期)の仕事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-07-06
2012年(下半期)の仕事
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2012-12-29-2
2012年(上半期)の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26-3
2011年(下半期)の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26-2
2011年(上半期)の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26-1
2010年の仕事
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26


12月27日(土)年賀状書き [日常]

12月27日(土)

11時半、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」の洋梨デニッシュとコーヒー。
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今日は年賀状書き。
書いていて、今年は「喪中」が多いなぁ、と思う。
私の少し下の世代(50代)が親が亡くなる年代になっていることを、しみじみ感じる。

ウチは「喪中」にならずに年賀状が書けることを感謝。
まだ4日あるけど、たぶん大丈夫でしょう。
(でも亡母は12月29日が命日だから、世の中、何があるかわからない)

「喪中」の方は喪が明けた来年また賀状が出せるけど、「転居先不明」の方は、もうこれっきりになるのかな?と思うと、ちょっと寂しい。
「逝去」の方(外山ひとみさん)はもっと哀しい。

遅い昼食は、長崎五島の手のべうどんを茹でる。
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↑ お湯の中できれいに回るのは、おいしいうどんの証拠。
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↑ 熱々で美味!

15時、年賀状、発送できたのはまだ3分の1。頑張らなくちゃ。
19時、ほぼ4分の3、できあがり。あと34枚ほど。
ここで夕食の支度。
牛肉と玉ねぎ・人参を炒めて、デミグラスソースで煮込む。
お昼のあご出汁たっぷりのうどんの汁の残りも投入。
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ちょっと和風になったが、いつにも増しておいしくできた(自画自賛)。
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↑ 多品目の野菜サラダ。

食後、着物の世話(新年の準備)。

昨日の編集者から「執筆構想」提出の起源を2月25日まで1月半延ばして、再依頼のメール。
それならまあ、常識的な範囲だし、「ぜひとも…」と言われると弱い。
ちゃんとしたこと書けそうな人はすでに他の章を担当しているし、となると、誰か他の人にいい加減なこと書かれても困るから、前言撤回して引き受けてしまった。
意志弱いなぁ、自分。

夜中、年賀状書きの続き。
3時半、順子名義の発送分135枚を書き終える。
数年前までは150枚を越えていたのだが、ずいぶん減った。
新しく知り合っても、若い人たちは年賀状を交換するという習慣が希薄。
つまり、自然減が増加を上回る状態がこの数年、続いている。

ああ、疲れた。
帰省の準備は明日にして、お風呂に入って、寝よう。