12月7日(日)家猫さんと初冬の京都(その4:平安神宮から八坂神社へ) [旅]
12月7日(日)
7時、起床(ホテルマイステイズ京都四条)。
9時、チェックアウト。
私は定宿へ荷物を運び、家猫さんは阪急烏丸駅のコインロッカーに荷物を入れる。
朝食は「イノダ(四条支店)」でモーニングセット。
市バスで平安神宮へ。
大極殿前庭。
ここに立つと即位式(もしくは朝賀)ごっこをしたくなるのは、私だけだろうか?
お詣りの後、紅葉が残っていることを期待して神苑へ。
う~ん、やっぱり遅かった・・・。
↑ 庭園も寒々。
↑ 紅葉あと5枚・・・。
↑ 白椿、南天、山茶花。
↑ もう完全に冬の庭園の風情。
でも、久しぶりに来られたから、まあ、いいか。
タクシーで祇園へ。
おっ、祇園はまだ紅葉が残っている。
↑ お茶屋さんの庭の椿。
↑ 40年前、亡母と泊まった、祇園の料理旅館「白梅」。
祇園で見かけたウェディング・カップルの撮影。
この寒さの中、花嫁さんは背中丸出し。
すごい根性だなぁ、と思ったけど、もしかするとプロのモデルさんかな?
四条通りに出て、「かずら清老舗」など、お店を何軒か眺める。
ここまで来たら、お詣りしないわけにもいかないので、八坂神社へ。
紅葉が残っている木を撮ろうと思うと、どうしてもたこ焼き屋が入ってしまう。
お腹が空いた。
さっき四条通りで天婦羅屋の大将に渡されたチラシを思い出す。
↑ 路地を抜けて・・・。
↑ 京都五花街の1つだが、あまり見かけない「祇園東」のお提灯。
↑ あった。「海老泉」というお店。
↑ ランチの「天麩羅御膳」(1575円)。
↑ 天麩羅は量は少ないが、海老がぷりぷりでおいしい。
さすが「海老」を屋号にするだけのことはある。
↑ おばんざいもおいしい。
いいお店を覚えた。また来よう。
四条通りを西へ。
↑ 南座の「顔見世」の看板。
↑ 四条大橋東詰(北側)の「レストラン菊水」。
大正15年(1926)年の建設で国指定文化財。
↑ 四条大橋西詰(南側)の「東華菜店」。
大正15年(1926)、西洋料理店「矢尾政」として建築された。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるスパニッシュ・バロックの洋館建築。
↑ 雲が切れて、北山に日が差している。
私は仕事(書評会)へ、家猫さんは東寺へ。
四条堺町で、家猫さんとわかれる。
「気をつけてね」
「にゃ~ぁ」
(了)
【その後、家猫さんは・・・】
↑ 東寺はけっこう紅葉が残っていたにゃ。
↑ 京都駅に黄色い変な新幹線がいたにゃ。
7時、起床(ホテルマイステイズ京都四条)。
9時、チェックアウト。
私は定宿へ荷物を運び、家猫さんは阪急烏丸駅のコインロッカーに荷物を入れる。
朝食は「イノダ(四条支店)」でモーニングセット。
市バスで平安神宮へ。
大極殿前庭。
ここに立つと即位式(もしくは朝賀)ごっこをしたくなるのは、私だけだろうか?
お詣りの後、紅葉が残っていることを期待して神苑へ。
う~ん、やっぱり遅かった・・・。
↑ 庭園も寒々。
↑ 紅葉あと5枚・・・。
↑ 白椿、南天、山茶花。
↑ もう完全に冬の庭園の風情。
でも、久しぶりに来られたから、まあ、いいか。
タクシーで祇園へ。
おっ、祇園はまだ紅葉が残っている。
↑ お茶屋さんの庭の椿。
↑ 40年前、亡母と泊まった、祇園の料理旅館「白梅」。
祇園で見かけたウェディング・カップルの撮影。
この寒さの中、花嫁さんは背中丸出し。
すごい根性だなぁ、と思ったけど、もしかするとプロのモデルさんかな?
四条通りに出て、「かずら清老舗」など、お店を何軒か眺める。
ここまで来たら、お詣りしないわけにもいかないので、八坂神社へ。
紅葉が残っている木を撮ろうと思うと、どうしてもたこ焼き屋が入ってしまう。
お腹が空いた。
さっき四条通りで天婦羅屋の大将に渡されたチラシを思い出す。
↑ 路地を抜けて・・・。
↑ 京都五花街の1つだが、あまり見かけない「祇園東」のお提灯。
↑ あった。「海老泉」というお店。
↑ ランチの「天麩羅御膳」(1575円)。
↑ 天麩羅は量は少ないが、海老がぷりぷりでおいしい。
さすが「海老」を屋号にするだけのことはある。
↑ おばんざいもおいしい。
いいお店を覚えた。また来よう。
四条通りを西へ。
↑ 南座の「顔見世」の看板。
↑ 四条大橋東詰(北側)の「レストラン菊水」。
大正15年(1926)年の建設で国指定文化財。
↑ 四条大橋西詰(南側)の「東華菜店」。
大正15年(1926)、西洋料理店「矢尾政」として建築された。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるスパニッシュ・バロックの洋館建築。
↑ 雲が切れて、北山に日が差している。
私は仕事(書評会)へ、家猫さんは東寺へ。
四条堺町で、家猫さんとわかれる。
「気をつけてね」
「にゃ~ぁ」
(了)
【その後、家猫さんは・・・】
↑ 東寺はけっこう紅葉が残っていたにゃ。
↑ 京都駅に黄色い変な新幹線がいたにゃ。
家猫さんと初冬の京都(その3:夕食は「膳處漢」) [日常(料理・食べ物)]
12月6日(土)
ホテルに戻って、一休み。
19時、室町錦の北京料理「膳處漢 ぽっちり」へ。
予約しておいたらからか、座敷の奥の良い席。
↑ 中庭の名残の紅葉。
コースは「万里」(5500円) 。
もう1ランク上の「胡同コース」(7800円)にしようかとも思ったが、2人とも1品増えると、もう食べられないので。
前菜盛り合わせ
黄芯白菜、干し貝柱の蒸しスープ
にらまんじゅう
牛すねと肉厚椎茸、九条葱土鍋煮
中国青菜炒め
ぶつ切り鮟鱇の香り揚げ四川チリソース
蟹、生姜、蓮の葉蒸しご飯
杏仁豆腐
ちょっと強面だけど、よく気配りのできる中年男性のウェーターさんとの会話も楽しかった。
ああ、おいしかった、お腹いっぱい。
21時半、ホテルに戻る。
いろいろ疲れが溜まっているので、すぐに熟睡。
就寝、22時半。
ホテルに戻って、一休み。
19時、室町錦の北京料理「膳處漢 ぽっちり」へ。
予約しておいたらからか、座敷の奥の良い席。
↑ 中庭の名残の紅葉。
コースは「万里」(5500円) 。
もう1ランク上の「胡同コース」(7800円)にしようかとも思ったが、2人とも1品増えると、もう食べられないので。
前菜盛り合わせ
黄芯白菜、干し貝柱の蒸しスープ
にらまんじゅう
牛すねと肉厚椎茸、九条葱土鍋煮
中国青菜炒め
ぶつ切り鮟鱇の香り揚げ四川チリソース
蟹、生姜、蓮の葉蒸しご飯
杏仁豆腐
ちょっと強面だけど、よく気配りのできる中年男性のウェーターさんとの会話も楽しかった。
ああ、おいしかった、お腹いっぱい。
21時半、ホテルに戻る。
いろいろ疲れが溜まっているので、すぐに熟睡。
就寝、22時半。
家猫さんと初冬の京都(その2:北野巡り:平野神社・上七軒・西陣、そして紫織庵へ) [旅]
12月6日(土)
(続き)
天満宮を裏手に出て、紙屋川を渡って平野神社へ。
桜の名所だが、今の季節、訪れる人は少ない。
↑ 冬桜が咲いていた。
↑ 境内のクスノキの巨木。
平野神社は、桓武天皇の生母・高野新笠(たかののにいがさ)が祀った神を、平安京遷都にともなって平安宮の近くに移して祀った神社。
皇太子守護の神社として皇太子の奉幣を受けるとともに、皇親氏族の平氏、源氏、高階氏に加え、大江氏、菅原氏、秋篠氏の土師系氏族(高野新笠の母が土師真妹)、さらに中原氏・清原氏の氏神としても崇敬された。
↑ 社殿は2棟4殿の「平野造」(江戸時代寛永年間:重要文化財)。
祭神は、今木大神 (いまきのおおかみ)、久度神 (くどのかみ)、古開神 (ふるあきのかみ)、比売神 (ひめかみ)の4柱。
この内、今木大神は、延暦元年(782)頃、高野新笠が住んでいた平城京の「田村後宮」に祀られていた神で、「今木」=「今来」で、新笠が出た百済系渡来氏族「和史」(やまとのふひと)の祖神である可能性が高い。
久度神は「くど(竈:かまど)」の神であり、古開神とともに、新笠が竈殿(台所)で祀ってきた神と思われる。
お詣りするのは20年ぶりくらいかな?
↑ 紙屋川の畔の料亭と思われる建物。
もう営業していない?
京都五花街の1つ、上七軒へ。
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てたことに由来する、古い花街。
かっては、西陣の旦那衆の遊び場として繁栄した。
↑ 上七軒の街並み。
↑ 置屋さんだったと思われる建物。
今は変身写真スタジオ。
↑ 串団子のマークの上七軒のお提灯。
雪雲が北山を越えて、時雨が降ってきた。
寒いし、お腹も減ってきたので、花街の中のお蕎麦屋さんに入る。
↑ 上七軒の芸妓さん・舞妓さんの名札が貼ってある。
「梅」のつく名前が天神さん門前の花街らしい。
↑ 私は、にしんそば。
↑ 家猫さんは、鍋焼きうどん。
↑ 「ふた葉」というお店。
何も調べずに入ったのだが、おししかったし、何より温まってありがたかった。
今出川通りを東に歩く。
途中、「京都市考古学資料館」を見学。
堀川今出川まで歩いて、少し南に下り「西陣会館」へ。
↑ 西陣織の絵図。家内制織物工業の絶好の資料。
「西陣会館」に寄ったのは、ここで行われる「着物ショー」に外国人韓国客が群がっているという噂を聞いたから。
なるほど、こういう状況なのか・・・。
たしかに観客のほとんどは外国人で、見た感じ中国人と韓国人が中心。
11月の紅葉シーズンはもっと多かったらしい。
まあ、日本の民族衣装への認識を高めてくれるのなら結構なことなのだけど、どうも男性たちの視線にエロ要素が混じっているような・・・。
さて、さすがに歩き疲れた。
でも、まだ時間が少し早い。
「紫織庵」(邸宅を公開している長襦袢屋さん)にでも行こうか?
家猫さんに聞いてみると、「ネットで注文したことはありゅけど、行ったことはにゃいので行きたい」と言う。
で、タクシーに乗って新町蛸薬師の「紫織庵」へ。
ちょうど「年末大処分半額セール」をやっていた。
ここで、2人して地雷を踏んでしまう(ちゅど~ん!)。
近くのコンビニまで走って代金を引き出す。
↑ 「紫織庵」2階の応接間で。
(続く)
(続き)
天満宮を裏手に出て、紙屋川を渡って平野神社へ。
桜の名所だが、今の季節、訪れる人は少ない。
↑ 冬桜が咲いていた。
↑ 境内のクスノキの巨木。
平野神社は、桓武天皇の生母・高野新笠(たかののにいがさ)が祀った神を、平安京遷都にともなって平安宮の近くに移して祀った神社。
皇太子守護の神社として皇太子の奉幣を受けるとともに、皇親氏族の平氏、源氏、高階氏に加え、大江氏、菅原氏、秋篠氏の土師系氏族(高野新笠の母が土師真妹)、さらに中原氏・清原氏の氏神としても崇敬された。
↑ 社殿は2棟4殿の「平野造」(江戸時代寛永年間:重要文化財)。
祭神は、今木大神 (いまきのおおかみ)、久度神 (くどのかみ)、古開神 (ふるあきのかみ)、比売神 (ひめかみ)の4柱。
この内、今木大神は、延暦元年(782)頃、高野新笠が住んでいた平城京の「田村後宮」に祀られていた神で、「今木」=「今来」で、新笠が出た百済系渡来氏族「和史」(やまとのふひと)の祖神である可能性が高い。
久度神は「くど(竈:かまど)」の神であり、古開神とともに、新笠が竈殿(台所)で祀ってきた神と思われる。
お詣りするのは20年ぶりくらいかな?
↑ 紙屋川の畔の料亭と思われる建物。
もう営業していない?
京都五花街の1つ、上七軒へ。
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てたことに由来する、古い花街。
かっては、西陣の旦那衆の遊び場として繁栄した。
↑ 上七軒の街並み。
↑ 置屋さんだったと思われる建物。
今は変身写真スタジオ。
↑ 串団子のマークの上七軒のお提灯。
雪雲が北山を越えて、時雨が降ってきた。
寒いし、お腹も減ってきたので、花街の中のお蕎麦屋さんに入る。
↑ 上七軒の芸妓さん・舞妓さんの名札が貼ってある。
「梅」のつく名前が天神さん門前の花街らしい。
↑ 私は、にしんそば。
↑ 家猫さんは、鍋焼きうどん。
↑ 「ふた葉」というお店。
何も調べずに入ったのだが、おししかったし、何より温まってありがたかった。
今出川通りを東に歩く。
途中、「京都市考古学資料館」を見学。
堀川今出川まで歩いて、少し南に下り「西陣会館」へ。
↑ 西陣織の絵図。家内制織物工業の絶好の資料。
「西陣会館」に寄ったのは、ここで行われる「着物ショー」に外国人韓国客が群がっているという噂を聞いたから。
なるほど、こういう状況なのか・・・。
たしかに観客のほとんどは外国人で、見た感じ中国人と韓国人が中心。
11月の紅葉シーズンはもっと多かったらしい。
まあ、日本の民族衣装への認識を高めてくれるのなら結構なことなのだけど、どうも男性たちの視線にエロ要素が混じっているような・・・。
さて、さすがに歩き疲れた。
でも、まだ時間が少し早い。
「紫織庵」(邸宅を公開している長襦袢屋さん)にでも行こうか?
家猫さんに聞いてみると、「ネットで注文したことはありゅけど、行ったことはにゃいので行きたい」と言う。
で、タクシーに乗って新町蛸薬師の「紫織庵」へ。
ちょうど「年末大処分半額セール」をやっていた。
ここで、2人して地雷を踏んでしまう(ちゅど~ん!)。
近くのコンビニまで走って代金を引き出す。
↑ 「紫織庵」2階の応接間で。
(続く)