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12月26日(金)帰省仕様のネイルに [日常(髪・爪・肌・ファッション)]

12月26日(金)  晴れ   東京  10.0度  湿度28%(15時)

11時、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のクリームホーンとコーヒー。
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今日も髪はダウンにセット(練習)。
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後ろ頭。う~ん、もう少し毛筋を整えないといけないな。

14時半、学芸大学駅西口のネイルサロン「プティ・マーナ 学芸大学店」へ。
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クリスマス仕様の派手派手ネイルをオフして、帰省用の地味なパールベージュに。
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↑ ネイル(befor)
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↑ ネイル(after)
17時過ぎ、辞去。

昼食は、今日もなし。
まだ少し胃が重いので。
自宅最寄り駅前の「ドトール」で、ミルクティとバナナ・マフィン。
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18時過ぎ、家猫さんと待ち合せて「東急ストア」で買い物。
19時、帰宅。
夕食は鶏肉(モモ、ムネ)と玉ねぎの卵とじ。
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ご飯に乗せれば親子丼。
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それと、レタスサラダ。
少し胃が楽になってきたかな。

今日、某出版社からある論集への論文執筆の依頼のメールが来た。
興味深いテーマだったので引き受けようと思ったが、執筆構想レジュメを「2015年1月 13 日(火 )正午〔日本標準時〕 」までに提出しろという。
年末年始の休みを考えたら、実質1週間しかない。
他にもいろいろ仕事があり、それにかかり切りになるわけにもいかない。
思い付きの章立てと適当な内容を並べるだけならすぐにできるが、「執筆構想」となるとそうもいかないだろう。
スケジュール的にかなり非常識な依頼だと思う。
さらに言えば、締切を日でなく時間で指定し、さらにご丁寧に「日本標準時」と書き添えるところにも、微妙な違和感と言うか、はっきり言って危ないものを感じた。
編者は面識のある気鋭の研究者で、お手伝いしたいのはやまやまだけど、お断りすることにした。
私は仕事の依頼は断らない原則で、実際、今まで原稿依頼を断ったことはなかったが、まあ、仕方がない。
心身の健康が優先だ。

お風呂に入って髪を洗う。
夜中、年賀状の宛名を張り込む。
早稲田大学「越境する文化」の試験問題と第3講(1月8日)のレジュメを見直して、担当の先生に送信。
ああ、疲れた…。
就寝、5時。

滋賀県北部でM4.2、最大震度4 [地震・火山・地質]

12月26日(金)
滋賀県北部を震源とするM4.2、最大震度4の地震。
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平成26年12月26日22時30分頃、
震源地は滋賀県北部(北緯35.3度、東経135.9度)、
震源の深さは約10km、地震の規模はM4.2。

滋賀県大津市の一部で震度4、
滋賀県長浜市、高島市、野洲市、福井県小浜市、福井おおい町などで震度3。
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関東平野では珍しくもない規模だが、関西だとちょっと珍しい。
琵琶湖は日本最大の断層湖だから、周囲は断層だらけ。
とくに湖西の「琵琶湖西岸断層帯」と、朽木谷を通って京都市に達する花折(はなおれ)断層は活断層なので、今回の地震がどの断層に関わる地震なのか気になる。
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元暦2年=文治元年(1185)7月9日に起こった「文治地震」(推定M7.4)は、琵琶湖西岸断層帯の南部(堅田断層)が動いた可能性が高い。
また、寛文2年(1662)5月1日年6月16日に起こった「寛文近江・若狭地震」(推定M7.6)は、朽木谷の通っている花折断層が震源だった可能性が高い。
しかし、それ以降、琵琶湖西岸断層帯と花折断層を震源とする被害地震は起こっていない。

どちらの活断層も活動周期が不明なので、なんとも言えないのだが、もうずいぶん長く被害地震が起こっていない空白域であることは間違いない。

土肥いつき著『「ありのままのわたしを生きる」ために 』 [読書]

12月25日(木)

友人の土肥いつきさんから、新著『「ありのままのわたしを生きる」ために 』をいただく。
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性教育ハンドブック(6)「『ありのままのわたしを生きる』ために」
土肥いつき著
2014年12月22日
JACE(一般財団法人日本児童教育振興財団内 日本性教育協会)発行
定価500円
購入希望の方は下記からどうぞ。
http://www.jase.faje.or.jp/pub/sy06_arinomamano.html#book01

「性別違和」を抱えた高校教員の自叙伝。
JASEの月報『現代性教育研究ジャーナル』に3年間(2011年4月~2014年3月)36回連載されたものに加筆してまとめたもの。

そもそも、月報に3年間1度も欠かさず文章を書き続けるということがすごい。
トランス関係では、月刊の性風俗雑誌『風俗奇譚』に足掛け8年間80回連載された加茂こずゑ『女装交友録』(1967年6月号~1974年1月号)に次ぐ偉業ではないだろうか。
ちなみに、私の「フェイクレディのひとりごと』(『ニューハーフ倶楽部』連載)は、足掛け13年56回(1995年5月~2007年8月)だが、隔月もしくは季刊誌だったので。

月報連載時から、ほぼ毎回読んでいたが、再読して「この人は強いな」と改めて思った。
男性から女性へと性別を移行していくなかで、自分を突き詰めて、そして突破していく力がすごい。
そういうことが苦手で逃げてばかりいる自分からすると、うらやましい限りだ。

だからこそ、大勢の人たちが、土肥さんの生き方に感銘して「お手本」にするのだと思う。
この本も「生きている性教育:土肥いつき」の生き方を示す「教典」になっていくだろう。
そうしたカリスマ・トランスジェンダー的な扱いを、ご本人が好まないことは、よく承知しているが、世の中、そんなものだ。

でも、土肥さんのことだから、きっとそんな好ましくない状況を、自分の方法で突破していくだろうと、トランス界「反面教師」は思う。
ともかく、執筆、お疲れ様でした。

12月25日(木)やっと美容院へ [日常(髪・爪・肌・ファッション)]

12月25日(木)
12時、起床。
朝食は「アンデルセン」のアップルパイとコーヒー。
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14時半、家を出る。
南の空に黒雲が立ち込めて不穏な気配。

東急東横線で学芸大学駅に移動。
「仕事部屋」で郵便物の整理。
徒歩5分ほどの目黒郵便局へ。
初校ゲラを速達を出し、不在配達の小包などを受け取る。

ちょっと胃が重く、少し痛むので、昼食は抜き。

16時、行きつけの美容院「ヘア・アン・ローズ」(目黒区鷹番)へ。
しばらく前から、もう白髪と髪先の傷みがひどくて限界状態だったのに、なかなか時間がとれなかった。
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↑ befor
でも、やっぱりきれいな髪で新年を迎えたいと思い、なんとか時間を作った。
今年で開業42年の大ベテランの先生にきれいにしてもらう。
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↑ after(前)
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↑ after(後)

ということで、メリー・クリスマス!
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帰宅途中、カメラ屋さんに寄って、年賀状を受け取る。
19時、帰宅。
夕食は、湯豆腐(お豆腐、水菜、えのき茸、長葱)。
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お刺身(ぶり、いわし)。
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食後、いただいた本のレビューをブログにアップ。
東京経済大学の来年度のシラバスをメールで送る。
来年度から引き受けた関東学院大学人間環境学部「セクシュアリティ論」のシラバスを作成。
年賀状の宛名をプリントアウト。

お風呂に入って温まる。
就寝、3時半。

12月24日(水)自宅で過ごすクリスマス・イブ [日常(料理・食べ物)]

12月24日(水)  晴れ  東京  11.9度  湿度49%(15時)
12時、起床。
6時間足らずの睡眠だが、ぐっすり眠れたので疲労回復。

【朝食】
新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のグレープフルーツデニッシュとコーヒー。
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ブログに「エロ・サンタ」についての記事をアップ。

【昼食】
お正月用の数の子といくらを試食。
数の子はまずまずうまく漬かった。
小鯛の笹漬け(若狭小浜「田村長」)で残りご飯。
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午後、『ふたたび性欲の研究(仮題)』掲載予定の論文「東京・新宿の「青線」について―戦後における「盛り場」の再編と関連して―」の初校ゲラに差し換え・追加画像を添付する作業。
夕方までかかって仕上げる。
これで、自分の分の対談、論文、コラムの初校を完了。
明日、郵送する予定(やれやれ)。

【夕食の前】
新宿「高野」の苺クリスマスケーキ。
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【夕食】 
鶏もも焼。
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舌平目のムニエルのパイ包み。
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ローストビーフのサラダ(以上、家猫さんが買ってきた)。
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寒縮みほうれん草のバター炒め(自分で作った)。

Face Book やTwitterを見ていると、クリスマス・イブの食事に対するこだわりが強いのは40~50代のような気がする。
その世代より若い20~30代の人は、それほど盛り上がっていないように思う。
やはり、40後半~50代は、1980年代後半~1990年代前半のバブリーなクリスマス・イブの習慣が残っている人が多いのだろう。

お風呂に入って温まる。
就寝、4時。

うれしいなぁ [日常]

12月24日(水)
漫画家の千之ナイフさんからいただいた、クリスマスカード。
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うれしいなぁ。

ついでに、今年のお正月にいただいた、ニューイヤーカード。
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「エロサンタ」の出現は、いつか? [現代の性(一般)]

12月24日(火)
今日は耶蘇教の人たちの祝日。

いつもこの時期になると疑問に思うのは、サンタクロースは年配の男性はずなのに、いつから女性がサンタクロースの格好をするようになったのだろう?
しかも、それがエロチズムと結びついていく。
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つまり、「エロサンタ」の出現は、いつか?ということ。

サンタクロースの表象が女性に転換しエロ化する起源は、おそらくアメリカだと思うが、私が子供の頃(1960年代)は、少なくとも日本には「エロサンタ」はいなかったと思う。
(あるいは、いたけれど、子供だから気づかなかったのかも?)
日本での「エロサンタ」の出現は、1980年代のような気がする、なんとなくだが…。
そこらへん、どなたか、ちゃんと追跡・研究している人いるだろうか?

聖なるイメージが、エロ化していく現象のひとつとして興味深く思っている。
諸賢のご教示を願う。

【追記(15時30分)】
Face Bookの方で官能小説化の館 淳一先生から、次のようなご教示をいただいた。
「エロサンタ……。面白い問題ですね。
アメリカPLAYBOY誌のセンターフォールドやグラビアでクリスマス号をみると、プレイメイトがサンタの衣装を早くから着けてますね。
1950年代から60年代にかけてだろうと思います。その影響が他の男性誌にも及び、70年代、日本でもアメリカの雑誌の日本版が刊行されるようになると、そのまま導入されたと思われます(海外ヌードは版元から原稿が提供されていたので)。
実写ヌードより早く、イラストやカートゥンではもっと早くに出現していたかもしれません。」

なるほど…、アメリカでの起源も、日本への移入も、私がイメージしていたより10年ほど早いようだ。
女性サンタの普及には日本人のコスプレ好きも作用しているように思う。
館先生、ご教示、ありがとうございました。

エロ・サンタ画像、もう1枚、追加。
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こちらは、(たぶん)生得的な女性だと思う。
ということは、最初の画像は・・・。
まあ、お好きな方はお気づきでしょうが。

12月23日(月・祝)一日中、パソコンに向かう [日常(料理・食べ物)]

12月23日(月・祝)  晴れ  東京  11.2度  湿度32%(15時)
今日は天長節。
今上陛下は81歳になられ、なお日々、ご政務に励まれている。
私などが怠けている場合ではない。

10時半、起床。
【朝食】
新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のデニッシュとコーヒー。
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【昼食】
冷蔵庫にあった焼きそばを作る。
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1人分しかなかったのを、家猫さんと2人分にしたので、麺が少なく具たくさん。

【夕食】 
先週土曜日に行った「JAGA」のカレーの残り。
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イワチクの「銀河離宮のまかないカレー(ポーク)」。
レトルトのレベルを超えている。
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午後、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」の一挙再放送を見ながら、パソコンに向かう。
「日記」書き。
茶園敏美さんの書評会(7日)のコメント・レジュメをブログに転載。
年賀状の発送先の整理。

来年3月の某学会から「教育講演」の依頼。
よろこんでお引き受けする。
これを、ささやかな引退の「花道」にするつもり。

夜中も仕事。
『ふたたび性欲の研究(仮題)』掲載予定の論文「東京・新宿の「青線」について―戦後における「盛り場」の再編と関連して―」の初校ゲラ校正。
早稲田大学ジェンダー研究所の紀要に載る短い文章の校正。
早稲田大学基幹理工学部「越境する文化」の試験問題作成。
同じく「越境する文化」の年明けの講義(第3回)のレジュメを作る。

就寝、6時。
ああ、疲れた・・・。


第47回衆議院総選挙予想の「答え合わせ」→惨敗 [政治・選挙]

12月23日(月・祝)

遅まきながら、第47回衆議院総選挙の予想の「答え合わせ」です。
獲得議席数は、民主党と維新の党をかなり外しました。
今回は超多忙な時期に選挙になってしまい、通常3回する検討を2回しかできず、終盤での維新の党の復調傾向を予想に反映できませんでした。
また、民主党の基礎票の崩れも、私の予想以上でした。
他はまずまずだったと思います。

小選挙区の予想については、295選挙区中 26選挙区外れ 的中率88.1%。
前回が300選挙区中 16選挙区外れ 的中率94.7% でしたので、今回は大幅に悪く、予想屋としては惨敗です。

前回も、日本維新の会の議席を外していて、どうも私はこの党の支持傾向が理解できていないようです。

【獲得議席数】
       予想
自民 293(220・73) 290(222・68) - 3
民主  84( 46・38)  73( 38・35) - 9
維新  28(  6・22)  41( 11・30) +13
公明  36(  9・27)  35(  9・26) - 1
次世代  3(  2・ 1)   2(  2・ 0) - 1
共産  18(  0・18)  21(  1・20) + 3
生活   2(  2・ 0)   2(  2・ 0)  ◎
社民   2(  1・ 1)   2(  1・ 1)  ◎
無所属 10( 10・ 0)   9( 10・ 0) - 1
---------------------------------------------------
合計  475(295・180)

【小選挙区】
自民党が当選と予想して外れ  11選挙区
北海道6区 今津 寛(自民前)→ 佐々木隆博(民主元)
福島4区 菅家一郎(自民前)→ 小熊慎司(維新前)416票差
山梨1区 宮川典子(自民前)→ 中島克仁(民主前)1085票差
新潟3区 斎藤洋明(自民前)→ 黒岩宇洋(民主元)
大阪1区 大西宏幸(自民前)→ 井上英孝(維新前)
大阪17区 岡下信子(自民前)→ 馬場伸幸(維新前)
大阪18区 神谷 昇(自民新)→ 遠藤 敏(維新前)
兵庫1区 盛山正仁(自民前)→ 井坂信彦(維新前)
佐賀1区 岩田和親(自民前)→ 原口一博(民主前)
大分1区 穴見陽一(自民前)→ 吉良州司(民主元)
沖縄1区 国場幸之助(自民前)→ 赤嶺政賢(共産前)

民主党が当選と予想して外れ  13選挙区
北海道3区 荒井 聰(民主前)→ 高木宏寿(自民前)
北海道7区 鈴木貴子(民主前)→ 伊東良孝(自民前) 225票差
山形2区 近藤洋介(民主前)→ 鈴木憲和(自民前))
埼玉1区 武正公一(民主前)→ 村井英樹(自民前)
埼玉4区 神風英男(民主元)→ 豊田真由子(自民前)
東京3区 松原 仁(民主前)→ 石原宏高(自民前)4270票差
東京21区 長島昭久(民主前)→ 小田原潔(自民前)1633票差
新潟1区 西村智奈美(民主元)→ 石崎 徹(自民前)
長野3区 寺島義幸(民主前)→ 井出庸生(維新前)
滋賀1区 川端達夫(民主前)→ 大岡敏孝(自民前)
京都3区 泉 健太(民主前)→ 宮崎謙介(自民前)
岡山2区 津村啓介(民主前)→ 山下貴司(自民前)
福岡1区 山本剛正(民主元)→ 井上貴博(無所属前、自民追加公認)

無所属が当選と予想して外れ  2選挙区
山形3区 阿部寿一(無所属前)→ 加藤鮎子(自民新)1488票差
栃木3区 渡辺喜美(無所属前)→ 簗 和生(自民前)

295選挙区中 26選挙区外れ 的中率88.1%

【比例区】
北海道比例区 民主-1 維新+1
東北比例区 自民-1 民主+1 
北関東比例区 自民-1 維新+1 
東京比例区 民主-1 維新+1 次世代-1 共産+1
南関東比例区 自民-2 維新+1 共産+1
北陸信越比例区 ◎ 
東海比例区 民主-1 維新+1
近畿比例区 自民-1 公明-1 維新+2
中国比例区   ◎
四国比例区   ◎
九州比例区 民主-1 維新+1

茶園敏美著『パンパンとは誰なのか』書評会コメントー「キャッチ」と女装男娼ー [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

12月23日(火・祝)

12月7日に京都市「堺町画廊」で行われた、京都セックスワークセミナー主催、茶園敏美著『パンパンとは誰なのか―キャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性―』の書評会での報告です。

後半部分の「3女装男娼と『キャッチ』」では、基本的に法的規制にかからないはずの男性の売春行為(男娼)がなぜ「キャッチ(狩込み)」にかかって連行されてしまうのか?という従来の疑問を解決することができました。
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京都セックスワークセミナー主催 京都市「堺町画廊」2014年12月7日
茶園敏美著『パンパンとは誰なのか ―キャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性―』書評会

  コメンテーター:三橋順子(性社会・文化史:都留文科大学非常勤講師)

1 「パンパン」との出会い
・ 井上章一+関西性欲研究会『性の用語集』(講談社現代新書、2004年12月)で「パンパン」の項目を担当。
  → 担当予定の竹村民朗先生(『廃娼運動』中公新書の著者、元大阪産業大学教授)が「『赤線』と『女衒』だけで勘弁してくれ」と辞退したため、「じゃあ、三橋さんやってください」と、井上さんになぜか指名される。
  → で、にわか勉強。
その勉強の間に出会ったいちばん印象的だった写真(↓)。
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GHQ本部の前に立つパンパン(1946年9月頃)  
手前の女性の足元に注目 → 下駄ばき
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(『サン写真新聞・戦後ニッポン①昭和21年』毎日新聞社、1989年10月)

・ 研究対象の1つが「女装男娼」なので、調査をしていくと(女性の)街娼の資料も集まってくる。
  実態的に、両者は似たような所に立って、微妙な相互関係のもとに営業していた。
(参照)三橋順子「女装男娼のテクニックとセクシュアリティ」
       (井上章一編著『性欲の文化史 1』講談社 2008年10月)

2 『パンパンとは誰なのか』の意義
(1) 占領期(1945年8月~1952年4月)への着目 ← 明らかに研究が手薄
(2) 占領期の「地方」の状況の注目 ← どうしても東京中心になりがち
【資料1】1949年(昭和24年)頃、街娼(闇の女≒パンパン)全国推定数(厚生省調べ)
(多い都道府県)
1 東京都  約7000人
1 兵庫県  約7000人  → 全国で38860人の内の18%が集中
3 大阪府  約5000人
3 神奈川県 約5000人
5 広島県  約2700人
6 北海道  約2000人
7 愛知県  約1500人
7 山口県  約1050人
9 京都府  約1000人
9 岡山県  約1000人
9 福岡県  約1000人 
(出典)「これは便利だ パンパン百科辞典」(『探訪読物』3巻5号 1949年5月)

(3)占領期国内のセックスワーカーへの注目 ←「従軍慰安婦」研究に比べて等閑視
   → 平井和子『日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち―』(有志社 2014年8月)との同時性の意味
(4) 街娼規制と性病予防との関連への注目
   ← 従来は、風俗取締りとの関係が強調されがちで、性病予防対策としての認識は希薄。
   → (例外)ドウス昌代『マッカーサーの二つの帽子―特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面―』(講談社文庫、1985年)
(5) 「キャッチ」の「性暴力」性という新たな注目
   ← 従来は、性病予防対策という観点が優先され、その暴力性が見過されてきた
   → 誤認「キャッチ」は女性に対する重大な人権障害 ←誤認が生じる構造
   → ただし、中には「無料検査・休養」目的に、あえて捕まるケースもあった
(6) パンパンとGIの「親密性」への注目
   → 占領軍兵士(男性)と敗戦国女性、「自国民の女を差し出す」敗戦国政府(男性)と「差し出される」女たちという二重の「性暴力」の構造の中にも、人間同士、男と女の親密な関係は成立する
   → 「性暴力」構造と「親密性」を対抗的に捉えるのは疑問
   → パンパンとGIの「親密性」を批判したり、無視したりするのは、当事者女性たちへの抑圧

3 女装男娼と「キャッチ」
・(前提として)売春関係の法規は、売春の行為主体を女性に限定している
 戦前の「密売淫」禁止も、戦後の「売春防止法」も同様。
 したがって、基本的に、男性の売春行為(男娼)は法的規制にかからない
   → 自治体の「売春類似行為」(肛門性交を含む)禁止条例で対応している地域もある
 「男娼問題」は戦前戦後を通じて(現在も?)警察の悩みの種だった。

【資料2】「男娼に罪する規定はなし?」(『警察新報』2号 1948年11月 「受験余暇」)
 宵ヤミに堂々と異様の風體でコビを売る駒さんこと岩田愛次郎(33)なる男娼を上野の山で検挙したものの、さてこれを罪する法的な根拠がないとあって“男娼問題”の懸案解決にヤッキになっている。
本人の自白だけでは罪にならず、一時お預の“売春禁止法”も男娼には無関係、さりとて異様な風體で取締るにも警察犯処罰令はすでになし、住所不定なら軽犯罪法だがこれも該当しない。
 結局、“サギ罪”だろうということに落ち着いたが、これも労力提供の点やお客の方で言いよった場合も考慮にいれねばならず目下心当りの“証人”の名乗り出るを待っているとか。
(註)「売春禁止法」----1948年6月に法務省が第2国会に提出した「売春等処罰法案」(審議未了・廃案)
   「警察犯処罰令」----1948年5月1日廃止  「軽犯罪法」----1948年5月1日公布

【資料3)関口五郎「狩り込み探訪記―男娼も居る上野の夜―」(『桃色ライフ』1号 1949年4月)
   上野警察署長と記者との会話
「取締りの根拠になっているのはどんな法律なんですか」
と尋ねると、署長は、
「それがね、困るんですよ、はっきりした法律がありませんのでねえ、今度何か東京都条例が立案されているようですが、現在では只花柳病容疑とゆう衛生行政上の取扱いでやっている訳です」
と、本当に困ったような顔をした。
「すると売淫行為は罪にならないって訳ですか」
私は無遠慮に追求した。
「売淫といっても、その認定が困難でしてねえ……そりや、法文がなくたって、とにかく社会の公序良俗に反することなんですから……」
とゆう返事だった。
(註)「東京都条例」----1949年5月31日施行の「売春等取締条例」(都条例58号)
   「花柳病容疑」----1948年7月15日公布の「性病予防法」
1948年5月1日に「警察犯処罰令」が廃止されて以後、1949年5月31日に「売春等取締条例」(都条例58号)が施行されるまでの約1年間、東京都では街娼の売淫行為を取り締まる法的根拠は存在しなかった(管理売春は1947年1月15日発令の「勅令9号」で違法)。
この時期の「狩り込み」=「キャッチ」が、法律的に「売淫行為」(売春)の摘発という風俗取締りではなく、「花柳病(性病)」対策という公衆衛生行政の一環として行われていたことがわかる<
そうなると、男娼も性病感染の疑いがあるわけで、「狩り込み」=「キャッチ」の対象になる
実際、【資料3】では、引用箇所の後、上野の山に視察に出た所長と記者が男娼と出会い、部下に連行させるシーンがある。

【資料4】角達也『男娼の森』(日比谷出版、1949年4月)
(103~104頁)
この日はお照は夕方から森で、もう二人も稼いだ。息抜きに階段まで出てくると、不意に狩込みだという。お照は狩込みに対しては、自分だけの秘法を持っていた。それは清水(きよみず)堂の裏の手擦りから伝わって、下枝のない大樹に登り、その狩込みの嵐が過ぎるまで待っている手で、誰にも教えずご連さんからも不思議がられていた。
お照は、その時階段まで出てしまっていて、あまり咄嗟のことなので舗道の脇を馳けぬけて、とまっていた輪タクに「頼むわよ」と飛び乗った。しばらくすると、ガガッと輪タクはなにかに衝突したらしく、はげしいショックを感じた。誰かが追う気配がして、猛烈とペダルを踏みながら後を振向いた運転手が交通信号灯に衝突させてしまったのだ。
それでも、運転手はこわれた車体の前半を抱いて押しながら、駅前のマーケットに入って行った。
(註)「階段」「清水堂」----上野の「山下」(旧:黒門口)から階段を上ると、右側に「清水観音堂」がある。

(181~182頁)
新宿界隈は上野以上に春婦が蝟集しているが、男娼はマリィちゃんと云う街の道化役で暮らしているのが一人いるだけだ。だから最初から男娼ではないだろうか、などと疑ってみるものもなかったから、よく客が掛かった。殊にお照が囁きかける野外での営みと云う事に好奇心をそそられ、金額も、気まずさを隠して旅館に行く三分の一の安さなので、稼ぎの切れ目はなかった。ムーラン附近の建物の陰の暗闇と、客を取る駅前の間をまるで駆け足で往復する程であった。ところが遂に一週間目に狩込みにかかって、他のパンパンと一緒に四谷署の婦人保護室に入れられた。
(註)「ムーラン」----新宿駅東口にあった劇場「ムーラン・ルージュ」

・ 娼婦と共に男娼もいっしょに「狩込み」で連行された
実態として、「お照」のように現場では男娼かどうか分別不能なケースもしばしばあった
警察署での取り調べで男娼であることが判明した後は、娼婦たちとは分離され、別の施設に収容された。上野界隈の場合、娼婦は「吉原病院」(台東区)へ、男娼は釈放されるか、「推定精神異常者」(当時、同性愛は精神疾患)として「桜ヶ丘保養院」(現:東京都多摩市聖蹟桜ヶ丘の「桜ヶ丘記念病院」)などに収容された。

上野の女装男娼1(上野駅) (2).jpg 上野の女装男娼2(上野警察署) (2).jpg      
(左)上野駅で (右)上野警察署で      
上野の女装男娼4(桜ヶ丘保養院) (2).jpg 上野の女装男娼3(桜ヶ丘保養院) (2).jpg
(左)桜ヶ丘保養院の近くで (右)桜ヶ丘保養院本館で
小峰茂之・南孝夫『同性愛と同性心中の研究』(小峰研究所 1985年)