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女子大受験で男性提訴へ 「性別理由に不受理は違憲」 [現代の性(一般)]

11月15日(土)
見出しだけ見た時には、MtF(Male to Female)で戸籍上は男性の人が提訴したのかと思ったが、そうではなく、普通の男性のようだ。

国公立大学の女子大学が、学生を女性に限定していることの問題性は、2005年(後期)に、お茶の水女子大学で講義をしている時に気付いた。
目の前にいる女子学生の誰かが、性同一性障害で性別適合手術を受けて、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」で性別を男性に変更した場合、いったいどうなるのだろう?と思った。
同法は、2003年7月成立、2004年7月施行なので、2005年の秋には、そういう可能性も生じていたのだ。
その話を受講生にすると、皆、困惑顔。
さらに、「退学になっちゃうでしょうかね、それはいくらなんでもひどいですよね」と言うと、肯く学生が多かった。

後日、懇意な教授に、「どうなんでしょう?」とうかがうと、「正直、考えたことなかったわ」と、少し考えた後、「入学時には女性だったのだから、「問題なし」で押し通すしかないでしょう」という返事だった。
ただ、「押し通す」という言い方に、男性になった学生が在学し続けることを問題視する教員(あるいはOG)がいるのだろう、ということがうかがえた。

かっての女子大学の役割は、男性に比べて就学機会が少なく女性の高等教育の場を確保するというものだった。
しかし、女性の大学進学率(含む短大)が男性のそれとほとんど差がなくなった現状では、もうその論理は成り立たないと思う。

私立の女子大学の場合は、建学精神、伝統、校風(女子大文化)、大学の独自性・裁量権などを理由に女子限定を守ることは可能だと思うが、国公立大学の場合、そうしたことよりも憲法に保障された「法の下の男女平等」が優先されるべきだという考え方は十分に成り立つと思う。

記事のコメントで、伊藤公雄先生が指摘している「女性の自立」を高める役割については、短い間だったが国立女子大学の教壇に立った実感や、お茶の水女子大学、奈良女子大学などを卒業した知人の女性研究者たちのアクティブな活動を想起すると、たしかに効用はあると思う。
しかし、奈良県の男子高校生が地元の国立大学に進学できないという不平等(「県立大学に行けばいい」という問題ではない)とを秤にかけると、国公立女子大学の存在理由としては不十分だろう。

今回の訴訟でも、栄養士免許の取得に向けたカリキュラムがある国公立大学が福岡県内では福岡女子大「食・健康学科」だけという事情がポイントだと思う。
男性であるという理由だけで、そんなに栄養士になりたのなら「他県へ行け」「私大へ行け」(学費が4年間で約250万円多くかかる)というのは、どう考えても理不尽だ。

性別を理由にする差別は、女性を理由とする差別がいまだに多いのは確かだが、男性を理由にする差別も少なからずある。
看護師(以前の「看護婦」)、保育士(以前の「保母」)、幼稚園教員など、かって「女性の職業」とされた世界に男性が参入しようとする場合がそうだった。
そうした状況は「男女雇用機会均等法」(1985年)以降、徐々に改善され、今では男性も就業できるようになった。

就労と同じように、就学機会においても性別による差別は基本的に許されるべきではない。
国公立の女子大学が性別だけを理由に男性の入学を拒否する合理的な理由はもうほとんどないと、私は思う。
訴訟の行方に注目したい。

【追記】2015年8月、提訴取り下げ。
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女子大受験で男性提訴へ 「性別理由に不受理は違憲」
福岡市の公立大学法人福岡女子大から入学願書を受理されなかった20代の男性(福岡県在住)が大学側を相手取り、受験生としての地位があることの確認を求めて福岡地裁に提訴する。男性は「男性を受験させないのは法の下の平等をうたう憲法14条に反する」と主張。不受理決定の無効の確認と慰謝料40万円の支払いも求めるという。

男性側は「運営に広い裁量が認められる私立ならともかく、国公立の教育施設が受験資格に性別を設けるのは不当」と主張。男性の代理人を務める弁護士によると、国公立の女子大の違憲性を問う初めての訴訟になる見通しという。

訴えによると、男性は今月、栄養士の免許の取得に向けたカリキュラムがある福岡女子大の「食・健康学科」の社会人特別入試に出願したが、不受理とされた。福岡県内の国公立大でこうしたカリキュラムがあるのは福岡女子大だけで、男性は「公立に進めないと経済的な理由で資格取得を断念せざるを得ない」と主張。入学願書の不受理は憲法14条や26条(教育を受ける権利)、教育基本法にも反しているとしている。

福岡女子大の担当者は取材に「県立女子専門学校としての開校以来、91年にわたって女子教育を進めてきた歴史や理念がある。今後も女性リーダーの育成を目指した教育を進める」としたうえで、訴訟については「訴状を見ていない段階でコメントはできないが、きちんと対応したい」と話している。(長谷川健)

■「女性だけに受験資格」合憲性に疑いの可能性も
津田塾大の武田万里子教授(憲法学)の話 国公立女子大の違憲性を指摘するような議論はあった一方、「誰が裁判を起こすのか」という点で現実味がなかった。女性が少ない分野に女性を増やすという目的の学部であれば、女性だけに受験資格を認める対応を「積極的な差別是正措置」として一時的に認められてもいいかもしれない。だが、栄養士といった女性も多い分野の場合、合憲性への疑いが生じる可能性もある。

■女性の自立高める役割果たしてきた
京都大大学院の伊藤公雄教授(社会学)の話 本来なら性別の制限はないほうがいいが、女子大は「女性の自立」を高める役割も果たしてきた。女子大でも、大学院レベルでは性別規定を設けていないのがほとんど。女子大も、これからは多様な学生を受け入れていくことが求められるのかもしれない。

『朝日新聞』2014年11月15日11時14分
http://digital.asahi.com/articles/ASGCF51QYGCFPPZB00N.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASGCF51QYGCFPPZB00N
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「公立女子大は性差別」と提訴 福岡の男性、願書受理求める
男であることを理由に女子大への入学を認めないのは性差別で、法の下の平等に反して違憲だとして、福岡県内の20代男性が、公立大学法人福岡女子大(福岡市)に入学願書の受理などを求める訴訟を福岡地裁に近く起こすことが14日、関係者への取材で分かった。男性が望む栄養士の資格を取れる国公立大は同県内では同大だけで、公立として公平性が求められると主張。米国では同様の訴訟で原告の主張が認められているという。

原告代理人の作花知志弁護士(岡山弁護士会)によると、公立大が性別によって入学資格を制限することの是非を問う訴訟は国内で初めて。

訴えなどでは、管理栄養士を目指す男性は同大入学を希望し、昨年と今年、2年続けて入学願書を出したが、同大は「男性の願書は受理しない」と通知。福岡県内に栄養士の資格が取れる私立大はあるが、同大に比べ学費が4年間で約250万円高いため、入学するのは経済的に難しく、管理栄養士の夢を諦めざるを得ない状況だとしている。

米国では男性がミシシッピ州立女子大看護学校への入学許可を求めた訴訟で、連邦最高裁が州の入学制限を違憲とした判例があり、原告側は主張の根拠の一つとする。

作花弁護士は「教育現場の性差別撤廃を求める国際条約にも違反。今日において公立大に女性のみの入学が許される憲法上の根拠はない」と主張。福岡女子大は「次世代を担う女性のリーダー育成を目的に開学して以来、女子教育に特化している。訴えについては把握しておらずコメントできない」としている。

女子教育の歴史に詳しい梶井一暁・岡山大准教授は「公立女子大はもともと、男性に比べ教育を受ける機会が乏しかった女性の救済などが目的。男性の訴えは、時代の流れの中で変遷している女子大の存在意義をあらためて問うものだ」と指摘している。

文部科学省によると、現在、国公立女子大は福岡女子大のほかに、お茶の水、奈良、群馬県立の3女子大がある。
『山陽新聞』2014年11月15日 08時40分 更新
http://www.sanyonews.jp/article/95689/1/

湯島「若衆bar化粧男子」で・・・ [お出掛け・お遊び]

11月14日(金)
(続き)
春日通りに出て「湯島天神下」方向に歩き、「若衆bar化粧男子」を目指す。
「え~と、『叙々苑』の角を左折・・・、『叙々苑』、『叙々苑』・・・」と歩いているうちに、「ドン・キホーテ」の前まで来てしまった。
「あれ?」これは行き過ぎ。
首を捻りながら、適当に路地を三回左折すると、なんとなく見覚えのある路地に出た。
「叙々苑」が入っていたビルが、再開発で更地になり、白いシートで覆われていたことが判明。
「若衆bar化粧男子」の看板の前に男性が立っている。
たぶん待ち合わせの相手だろうと思い、近寄ったが反応がない。
私が逆方向から来たせいかなと思い、「三橋ですけど・・・」と声を掛ける。
ということで、『「男の娘」たち』(河出書房新社、2014年9月)の著者、川本直さんと路上で初対面のご挨拶。

19時45分、いっしょに「若衆bar化粧男子」へ。
この店、ずいぶんご無沙汰をしてしまった。
以前、来たのはいつだろう?
2012年8月だったように思う。
もう2年以上前だ。
なので、ママ以下スタッフ全員、代わっている。
私も初対面だし、スタッフも私のことは知らないので、実質、初めて来た店と変わらない。
3年、いや5年、もしかすると10年ぶりに来店しても、たいていは知った顔がいる新宿歌舞伎町の女装系の店とは、そこらへんの感覚がまったく違う。
新陳代謝がすごく早くなっている。

川本さんと並んでカウンター席に座る。
カウンターの中は、しおりさんと新人の天音さん。
少したってママの小春さんが出勤。
3人ともきちんと着物を着ている。
しかもなかなかいい具合のコーディネートだ。
今どき、純女(生得的な女性)の娘でも、なかなかこうはいかない。
その点、この店は、しっかり仕込んでいる。

ただ、敢えて難を言えば、皆、普通に女の子過ぎる。
ママの小春さんなんて、やや小柄な女性そのもの。
相当な「目利き」の私でさえ、たぶん言われなかったらわからない。
だから、かっての私がそうであったように、新宿の店の「娘」たちのような性別越境者特有の「妖しさ」がほとんどない。
まあ、そうした性別越境者特有のものを求める感覚が、もう時代遅れなのだろう。

山梨県から東京に出てきて間もないという天音さんに
「出身は山梨のどこ?」
と聞いてみた。そうしたら、
「ご存知ないかもしれませんけど、都留というところなんです」
危うく、お酒を吹いちゃうところだった。
でも、これで来週の都留文科大学の講義の頭ネタができた。

川本さんには、一度会いたいと思っていた。
私が付き合ってきたライターさんのイメージとは違い、想像していたより、ずっと大人しい繊細な感じの青年だった。
このまじめさ、繊細さが、丁寧なインタビューの積み重ねにつながっているのだろうなと思った。
いろいろお話はしたが、研究者ではなくライターなので、トランスジェンダーの世界だけを追って、そればかりを書いているわけにはいかないのは、よくわかる。
でも、せっかく、これだけの本を書いたのだから、この世界への関心は持ち続けて欲しい。
できることなら、何年か経って「その後の『男の娘』たち」みたいな本を書いて欲しいと思う。

楽しくおしゃべりしているうちに、2時間の制限時間が来てしまう。
小春ママに見送られて、店を出たの21時50分。

まだ、電車の余裕はあるし、ちょっと話足りない気がしたので、春日通りの向かいの串焼き屋へ。
1時間ほど、またおしゃべり。
23時、JR山手線御徒町駅に向かう川本さんと分かれて、東急メトロ銀座線上野広小路駅へ。
いや~ぁ、久しぶりに楽しい夜だった。

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↑ わ~い、私が好きな黄色い銀座線だぁ。
溜池山王駅で南武線に乗り換え、そのまま東急目黒線へ。
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0時15分、帰宅。
お風呂に入って温まる。
就寝、3時。


上野広小路「井泉本店」のロースかつ定食 [日常(料理・食べ物)]

11月14日(金)
(続き)
国会図書館を出て、東京メトロ永田町駅へ。
最終的に銀座線に乗りたいのだが、永田町駅と接続している(ことになっている)銀座線の赤坂見附駅までは500mもある。
それは嫌なので、有楽町線ホームを歩いて半蔵門線に乗る。
車中で、40代の紳士に「三橋さん」と声を掛けられる。
ん?誰だろう?
「失礼ですが、いつお目にかかりました?」と尋ねると、「歌舞伎町の『ジュネ』で」
「『ジュネ』が閉店してからもう10年経ちますよ」
「そうだね、店で会ったのは12年前かな」
「すいません、覚えてません」
う~ん、お客さんは、よほど懇意だった方じゃないと顔を覚えてない。
可愛がってくれた方は、どんどんあの世に逝っちゃってるし。
それにしても今日はよく声を掛けられるなぁ。

三越前駅で降りて乗換。
地下道を歩いて銀座線の三越前駅へ。
3駅乗って、上野広小路駅で下車。

出掛ける前に調べておいた「井泉本店」を探す。
数日前からトンカツを食べたかった。
あっ、ここだ。
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通りに面しているのかと思ったら、ちょっと路地に入った場所で、危うく見逃すところだった。
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旧・下谷同朋町の「井泉」(いせん)は、昭和5年(1930)創業で下谷花柳界と縁が深いトンカツの老舗。
本来は「せいせん」だったのが、いつの間にか「いせん」になったとのこと。
洋食だけど和食の「お箸で切れるやわらかなとんかつ」が創業以来のポリシー。
揚げ場がガラス越しに目の前に見えるカウンター席に座って、ロースかつ定食(1350円)を注文。
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うん、たしかに柔らかく、ジューシーでおいしい。
豚汁の具も多い。
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お値段的にも、お財布の負担にならない程度で、お店の雰囲気もやたらと老舗を気取らず、庶民的。
おいしかったです。
とても満足でした。
(続く)

11月14日(金)国会図書館へ―新宿「青線」小説の調査― [お仕事(調査)]

11月14日(金)   晴れ   東京   16.8度  湿度32%(15時)

10時半、起床。
朝食は、カスタードクリーム・デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結んで、シュシュを巻く。

12時半、化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ。
黄色のニットのポンチョ。

出掛けに、遅い昼食。
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残りご飯と、残りお汁(平茸と卵)。
ん? おかずがない・・・。
14時40分、家を出る。
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90歳の義父が丹精している菊も、そろそろ終わり。
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でも、家の近くの銀杏並木はようやく色づき始めたばかり。

東急徳横線で渋谷に出て東京メトロ半蔵門線で永田町駅へ。
連絡路&有楽町線ホームを延々歩き、議事堂側の出口へ。
久しぶりの国会図書館。
3時間半ほど調べもの。

9月に「東京・新宿の「青線」について―戦後における「盛り場」の再編と関連して―」という論文をまとめたが、その補足調査。
私は歴史学の史料批判を叩きこまれているので、どうもフィクション(小説など)を資料として使うことに禁欲的な傾向がある。
拙著『女装と日本人』についても「なぜ『とりかえばや物語』を使わないのですか?」という批判的質問をずいぶん受けた。
ぜんぜん使わないわけではなく、小説の記述の事実的信頼度の評価に慎重なだけなのだが。

今回、新宿「ゴールデン街・花園街」地区の原型の形成時期について、資料的にもう1つ詰め切れない部分があり、論文には「その時期は確定できないが、1949年秋から1950年春にかけてのことだったと思われる。」と記すにとどめた。

そこで、「藁にもすがつつもり」で小説類を調べてみることにした。
具体的には、電子化資料になっている、朝山蜻一『女の埠頭―変貌する青線の女たち―』(同光社出版、1958年4月)を閲覧、部分コピーする。

その結果、
「また寒い冬がやってきた。三光町の替地は組合員の労力動員で、整地された」(87頁)
「三光町では、和田組の建築地のすぐ隣の地所を買い取って、二丁目のグループが、建築を強行中であった。彼らは和田組より半年もあとから着工して、今や外部のモルタルを塗装中だった」(111頁)
「和田組の建築がやっと完成したその年の七月には、二丁目の方は、とっくに全部開店していて」(111頁)
「その年の暮になると、間口一間半、奥行二間の棟割長屋が連続した花薗小町にも八分通りは、人が住むようになった」(122頁)
という記述を発見。

つまり、新宿駅周辺の闇市、東口の尾津組「竜宮マート」や南口の「和田組マーケット」の露店商たちがGHQの露店整理指令(1949年8月4日)を受けた整理事業(1950年3月末までに撤去完了)に応じて、「三光町」の空き地(原っぱ)への移転を決めて、整地事業をしたのが1949年の冬の初め。
その後、資金面から店舗の建築が中断している間に、二丁目の「赤線」周辺の業者が、駅前の露店商たちの替地の隣接地(南側)を購入して店舗の建設を半年遅れで始め、1950年7月より前には開店してしまう(現在の「新宿ゴールデン街商業組合」)。
そして、追い越された露店商組は、ようやく1950年7月に建物を完成し、その年の暮には8割方の店が営業を始めた(現在の「三光商店街振興組合」)。

ちなみに、朝山蜻一という作家は自宅が新宿「青線」街にあったので、記述の信頼度は高く、他にもいろいろ細かなことがわかった(後日、紹介するつもり)。

ということで、論文の記述は「1949年初冬に整地事業が始まり、1950年7月に建物がほぼ完成した。」と手直して、註を付けることにした。

もうひとつ、思いがけない収穫は、同書に掲載されていた「歌舞伎新町」の入口(アーケード)看板の写真。
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「歌舞伎新町」は、現在の「ゴールデン街・花園街」地区に相当する青線街「花園歓楽街」と「花園小町」から都電の回送線(現:「四季の道」)を越えた、区役所通りに接したエリアにあった青線街。
現在「星座館ビル」(歌舞伎町1丁目2の7、10階建て、1980年竣工)が建っている場所に相当する。
今まで、収集していた写真(↓)はあまりにも不鮮明で、論文に使うかどうか迷っていたが、これなら問題ない。
歌舞伎新町 (2).jpg

作業をしていたら、若い女性から「三橋先生」と声を掛けられる。
誰かと思ったら、フジテレビ「NONNFIX:僕たち女の子~女装に恋して~」(2013年10月)のディレクター小野さやかさん。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-17-1
閲覧室なのであまり話はできなかったが、頑張っている様子で何より。
「続編を楽しみにしています」

18時半、退館。
外はもう真っ暗。
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(続き)