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女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その10)―カルーセル麻紀の舞台写真― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月2日(日)
1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」の写真コレクションを昨年(2013年)2月に関係者から入手し、整理作業をしている。
その内の主なものは、何度かこのブログで紹介してきた。
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(関連記事)
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その2)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-08-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その3)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その4)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-1
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その5)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06-3
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その6)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-28
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その7)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18
裏打紙は語る?―女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクションの整理―
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その8)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-21-2
女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その9)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-09-23-4
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コレクションの中におそらく同じ日時、同じ人物と思われる舞台写真が7枚ある。
まず、芸者さんの黒の「出の衣装」姿で傘を差しているものが3枚。
fu3-47(カルーセル麻紀).jpg fu4-23(カルーセル麻紀).jpg
↑ (左)fu3-47、(右)fu4-23
fu3-12(カルーセル麻紀).jpg
↑ fu3-12
この内、fu3-47とfu4-23は、ポーズや撮影角度がまったく同じで、fu3-47をトリミングしたのがfu4-23のようだ。
この世界に詳しい方は、これが誰だかすぐにわかると思う。
そう、若き日のカルーセル麻紀さんだ。
え~っ?と思う方には証拠を示そう。
『風俗奇譚』1966年4月臨時増刊号に「妖美な魅惑」と題されたグラビアがあり、それがfu3-47と同じ写真なのだ。
参照(カルーセル麻紀)1.jpg
キャプションには「転性女性として舞台に立つカルセル麻紀の艶麗な容姿」とある。
(「転性女性」とあるが、カルーセル麻紀がモロッコ・カサブランカのジョルジュ・ブロー博士の執刀で造膣手術を受けるのは1973年10月のこと)

続いて、町娘風の1枚。
左側に着物姿の男性が写っているので、芝居(寸劇)のようだ。
fu4-15(カルーセル麻紀).jpg
↑ fu4-15
さらに、着物を脱いで長襦袢をはだけて、腰巻に長襦袢を引っかけただけの姿に。
fu5-2(カルーセル麻紀).jpg
↑ fu5-2
この場面でも着物姿の男が左側に尻もちをついたように座っている(見にくいが)ので寸劇の続きなのかもしれない。
さらに2枚。
fu2-29(カルーセル麻紀).jpg fu5-1(カルーセル麻紀).jpg
↑ (左)fu2-29、(右)fu5-1
この2枚では着物男は舞台に仰向けに横たわっている。
眠っているのか、死んでいるのか・・・?

これらの写真の内の何枚かは、『風俗奇譚』1966年6月号の「舞台を色どるカルーセル真紀のお色気」という3頁組のグラビア記事に使われている。
参照(カルーセル麻紀)3.jpg参照(カルーセル麻紀)2.jpg
参照(カルーセル麻紀)4.jpg

fu4-15の町娘風は1頁目の下に、fu5-2の着物を脱ぐところは2頁目の下に、そして、fu5-1は3頁目のメインに、fu2-29はその左上に使われている。
記事に使われている6枚の写真の内、4枚が一致する。
逆に記事に使われている内の2枚は、コレクションにない。

『風俗奇譚』1966年4月臨時増刊号と合わせると、実質6カット中5枚が一致するわけで、両者は深い関係にあることは疑いない。

ところで、この「富貴クラブ」写真コレクションは、「富貴クラブ」の西塔哲会長の個人アルバムである可能性が極めて高いことは何度か述べてきた。
このカルーセル麻紀の舞台写真も西塔会長が撮影したものを、『風俗奇譚』の編集長の高倉一氏(文献資料刊行会代表)に提供したのではないかと思う。
もちろん、逆の可能性もある。
『風俗奇譚』編集部の契約カメラマンが撮影して、それが西塔会長に提供されたのかもしれない。
ただ、それにしては写真がプロっぽくない、はっきり言って下手だ。
ちなみに、西塔会長と高倉編集長は、東京府立第三中学校(現:両国高等学校)の先輩・後輩だった(高倉氏の談)。

『風俗奇譚』1966年6月号のキャプションは、次のように記している。
「カルーセル真紀の艶名は高い。女にもない妖美なムードを舞台いっぱいにまきちらして、日劇ミュージックホールの観客を酔わせた。ここに紹介した写真は、そのいくつかである。」

カルーセル麻紀(1942年生)は、当時24歳、1960年代の「和製ブルーボーイ・ブーム」に乗って、1963年に大阪OSミュージックホールでデビュー、翌1964年にはストリップ・ショーの檜舞台「日劇ミュージックホール」(千代田区有楽町の日本劇場5階)に進出する。
1960年代後半になると、一回り(12歳)年上の先輩の銀座ローズから、和製ブルーボーイのトップの座を奪い、さらに週刊誌やテレビなど一般メディアにも進出していく。
そんな日の出の勢いだった若きカルーセル麻紀さんの艶姿を伝える貴重な生写真である。

11月2日(日)朝から凹む [日常]

11月2日(日)   曇り  東京   22.4度  湿度74%(15時)

10時、起床。
筑波大学の「芸バー」問題に関連して、あるLGBTフレンドリーな学生さんから、「マイノリティの人の立場を考えろ」って説教されてしまい、朝から凹む。

で、いろいろ考えてみたけども、「性的マイノリティ」とか「LBGT」とかいう概念にすんなりアイデンティファイ(カテゴリーとの同一化)できない自分がいることに改めて気づく。
もちろん「性的マジョリティ」にアイデンティファイできるはずもない。

だから、「性的マイノリティ」とか「LBGT」とかいう概念にすんなりアイデンティファイできる人に、ある種の胡散臭さと同時に羨望を感じてしまうのだ。

なんでこんな歪んだ人間ができたかと言うと、やはり自分がアイデンティファイしようとしたカテゴリーから「あんたは違う」とずっと言われ続けてきたトラウマがあるのだと思う。

まあ、還暦も近くなって今さら歪んだ人格が直るわけでもないし、友達少ないのも自業自得なわけで、「私は私」と思うしかない。

気を取り直して、自分の仕事をする。

途中、遅い昼食。
冷蔵庫にはめぼしいものはなかったが、戸棚にインスタント・ラーメンをみつける。
「うまかっちゃん 熊本火の国流とんこつ」(ハウス食品)。
141102-2 (2).JPG
数年前にちょっとレクチャーした学生さんにもらったもの。
当然、賞味期限は切れていたが・・・。
141102-1.JPG
まずまず。

夕方、「女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その10)―カルーセル麻紀の舞台写真―」をブログにアップ。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-11-02-3
こつこつ整理してきて、やっと半ばを過ぎたという感じ。

夕食の支度。
牛肉を炒める。
141102-1.JPG
九条ネギを炒める。
141102-2.JPG
豚汁の残り(最後)。
141102-3.JPG

お風呂に入って温まる。
夜中、締め切りを過ぎている短い原稿を書く。
2000字のところ1600字ほど書いて、目途をつける。

就寝、5時。

いつの間にか同性愛の不可視化が進んでいる? [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]

11月2日(日)
今朝の『朝日新聞』の1面トップに、「『自分』を追い詰めた性別」という見出しで、若くして亡くなった性同一性障害(FtM)の人のことが載っている。
20年前には考えられないことで、つくづく良い時代になったと思う。

しかし、記事を読んでいくと、「性同一性障害などの性的少数者は20人に1人とされる」と書いてあって、「おいおい、いつから性同一性障害は性的少数者を代表するようになったんだ?」と思ってしまう。

20人に1人というのは5%。それはまあいい。
私が学んできたセクシュアル・マイノリティ論では、5%の内の4.99%くらいはゲイ、レズビアン、バイセクシュアルで、性同一性障害の人は0.01%くらい(1万人に1人)のはずだった。
「今はもっと増えている」ようなので、今年の講義では1万人に3人、つまり0.03%という数値で説明している。

それでも、性的少数者5%の内訳はゲイ、レズビアン、バイセクシュアルが4.97%で性同一性障害は0.03%ということになる。
性同一性障害などの性的少数者は20人に1人とされる」という記述は、0.03%で5%を代表させていいのか?という疑問に通じる。

いや、性同一性障害が同性愛より圧倒的多数なのが日本の現状なのだ、お前の学んだセクシュアル・マイノリティ論は古い!と言われれば、老人は引っ込むしかない。
しかし、それなら、なぜ世界の中で日本だけが、性同一性障害が同性愛より圧倒的に多数なのかを考えるべきだ。

「性同一性障害などの性的少数者は20人に1人とされる」という書き方の問題は、4.97%の人たち(ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル)が不可視化されてしまう点にある。
まあ、今朝の『朝日新聞』では2面の方で同性愛についても記しているが・・・。

私がトランスジェンダーとしての自覚を持った頃(1990年代)は、ゲイ&レズビアンの言説の中で100分の1しかしないトランスジェンダーが不可視化されないよう、声を上げるのに必死だった。
でも、この10年ほどの日本のマスメディアでは、まったく逆の現象が起きていて、性同一性障害が報道によってどんどん顕在化される一方で、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルについての報道は少なく、むしろ不可視化が進んでいる感さえある。

その結果、「同性愛は性同一性障害の一種」とか「性同一性障害より、同性愛の人はずっと少ない」とか、私が椅子からずり落ちそうになるコメントを書いてくる学生が出てくる。
とりわけ、レズビアンの不可視化は深刻で「日本にはほとんどいない」という認識は若い人の間でけっこう広まっている。
(「ゲイが皆、オネエである」という認識の広がりも深刻なのだが・・・)
こういう事態、ゲイ&レズビアン、バイセクシュアルの当事者の方は、どう考えているのだろう?

ところで、レストランでメニューにない料理を注文できる人はごく少ない。ほとんどの人はメニューの中から料理を選ぶ。
それと同じで、人は目の前に並んでいる概念にしかアイデンティファイ(カテゴリーへの同一化)できない。私はこれを勝手に「メニュー理論」と言っている。

現在、若い者の前に示されるメニューには、「今月のおすすめ」として「性同一性障害」が大書されているのに対し、「同性愛」はかなり小さい文字でしか書かれていない状態にたとえられる。
若い女性に示されるメニューには、「性同一性障害(FtM)」しか書いてないように見える。
よく見ると、ほんの小さな胡麻粒のような字で「レズビアンもあります」と書いてある感じ。
これでは、自分の性の有り様が非典型だと感じている若者が、口に合わないメニューを注文してしまう、本来ならつかむべきでないカテゴリーを選択してしまうのも無理からぬ状況になっている。

そんなこともあって、昨月末、お籠りして、ある大学の研究所の論集に「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」という論文を書いたのだが・・・、担当のフリーランスの編集者が出版社に企画書を出さずに音信不通になるという信じられない事態が発覚し、原稿締め切り後に出版社を変更ということになり、いつ日の目を見るかかなり不安な状態になってしまった。

まあ、努力が報われないのは、世の常のことで、メゲずに賽の河原で石を積み重ねていくしかないのだろうな、と思う秋の昼下がりである。
(ああ、もう11月になってしまったぁ!)

11月1日(土)「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」ブログ版を作る [日常]

11月1日(土)  雨   東京   18.6度   湿度92%
9時、起床。
朝食は、ちょっと気分を変えてショコラ・デニッシュとコーヒー。
P1120898 (2).JPG
中にもチョコレートが入っていて、おいしいのだけど、これではカロリー・オーバーだ。

シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
今日は、一日中、先月27日の「武蔵野地域自由大学 :昭和のサブカルチャー研究」での講義「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」の資料(パワーポイント)をブログに移す作業。

「日記」には講義を始める直前まで書いて、ぜんぜん反応がなかったので、放置してあった。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-10-28-1
たとえるならば、芝居の脚本は書いたけども、誰も客が入りそうもないので幕を開けないでいたという感じ。
そしたら、婀娜っぽい姐さんから「始まり、始まり~ぃ,って口上だけで幕を開けないのは「生殺し」って言うのよ」と言われてしまった。
まあ、それもそうだ、たとえ客が1人でも、幕を開けるのが芝居小屋ってもんだ、と思い直し、幕を開ける準備をする。

と言っても、なにしろスライド数59枚、資料画像約100枚というパワーポイント資料なので、ブログに移し替えるのもたいへんな手間。
結局、午前中に作業を始めて夜中までかかってしまった。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-10-28-2
まあ、これで、いつお客が来ても見てもらえる。
もしかすると、私が死んだ後もブログだけが生き続けて、未来の誰かに見てもらえるかも。

途中、夕食のために豚汁を仕込む。
試食を兼ねて、遅い昼食。
P1120899 (2).JPG
うん、まずまずだけど、もっと煮込んだ方がおいしい。

作業に疲れると、横になって本を読む。
海野 弘『東京風景史の人々』(中央公論社、1988年6月)
橋本健二・初田香成編著『盛り場はヤミ市から生まれた』(青弓社、2013年12月)

夕方、仕事(学校見学日とかで休日出勤)から帰って来た家猫さんが箱を持っている、
開けると・・・、
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なんで、カロリーオーバーだなぁ、と思っている日に、こういうものを買ってくる・・・。

夕食は、よく煮込んだ豚汁。
P1120902 (2).JPG
小籠包。
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舞茸入り餃子。
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1時、なんとか作業終了。
お風呂に入って、温まる。
就寝、3時。