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5月27日(土)「プシコナウティカの会」 [お勉強(研究会)]

5月27日(土)  晴れのち曇り  東京  27.3度  湿度51%(15時)

9時半、起床。
朝食はアマンドショコラとコーヒー。
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化粧と身支度。
暑くなる予報なので夏姿。
11時40分、家を出る。
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東急東横線で学芸大学駅に移動。
昼食は東口商店街の「かしわや」で。

冷やし天婦羅そば(400円)を注文したのだが、調理のおばさん、冷やしたそばの上に揚げたて熱々の天婦羅を乗せる。
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温度が上下分離していて変な感じ。
普通の(温かい)天婦羅そばにすればよかった。

「仕事部屋」に寄って郵便物の整理。
12時30分、再外出。
中央町二丁目の住宅街を歩いて、超久しぶりに十日森稲荷にお詣り。
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12時50分、神社の裏にある目黒区五本木住区センターへ。

ここで開催される「プシコナウティカの会」という研究会に参加。
「プシコ ナウティカ」とは「魂の航海(術)」という意味で、イタリアの精神医療のスローガンらしい。
「らしい」というのは、よくわかっていないのだけど、18年前(1999年)の日本社会学会の大会シンポジウムで、お世話になった井上芳保先生に、コメンテーターとして、お声を掛けていただいた。

参加者7名(内、報告者2名、コメンテーター2名)という小さな研究会。

(報告1)兵頭晶子「松嶋健『プシコ ナウティカ』を精読するー生政治の範例としての精神病院―」
イタリアで精神病院が全廃されたことは知っていたが、細かい経緯は知らなかったので勉強になった。
目に止まったのが「精神医療から精神保健へ」という言葉。
「ああ、これなんだ!」と思った。
日本では、性別を移行したい人に「性同一性障害」という病名(精神疾患概念)をつけて、医学の力で治療しようとする。
一方、西欧では、性別を移行したい人が健康を保てる(保健)ように医学がサポートする。
日本は近代医学の伝統的な発想、西欧は近代医学の反省に立った考え方。
その違いは、根本のところで限りなく大きい。

(報告2)井上芳保「あざけられること、ほめられること―『女性蔑視ヤジ』シンポとミスターノーマル幻想を再考する―」

私は2本目の井上報告のコメントテーター。
「ミスター・ノーマル」は、1999年10月の日本社会学会の大会シンポジウム「ミスター・ノーマルのアイデンティティを問う」(企画:井上芳保・山田富秋、会場:上智大学)で「普通の男たち」「普通に安住している男たち」の差別意識を炙り出すための概念として提起された。

私もそのシンポジウムにパネラーとして参加し「女装系コミュニティにおける『ミスター・ノーマル幻想」という報告をさせていただいた。
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そして、その報告内容を組み込んだ「現代日本のトランスジェンダー世界 ―東京新宿の女装コミュニティを中心にー」(『中央大学社会科学研究所年報』7号 中央大学 2003年6月)は、新宿女装世界の最初のフィールドワーク論文として、2度も英訳されることになる。

研究者としての私の出発点になったシンポジウムであり、社会学を勉強し始めてわずか1年ほどの「駆け出し」が、日本社会学会の大会シンポジウムで報告できたのは大きな僥倖だった。
そういう意味で、井上さん(山田さん)には恩義を感じている。

しかし、「ミスター・ノーマル」という概念は、その後、大きく展開されることはなく、はっきり言って失敗に終わった。

「俺は普通(ノーマル)だ」と言い張る男たちが、さまざまな差別の「岩盤」になっているという問題提起は妥当だと思うし、今に至るっても通用すると思う。
しかし、言葉として、なぜ起爆しなかったのか?と考えると「ノーマル」という概念に問題があったと思う。

言うまでもないが「ノーマル(正常)」の対語は「アブノーマール(異常)」である。
しかし、1999年の段階でも「正常か、異常か」という二元的な問題の立て方は、いささか陳腐というか、古かったように思う。
セクシュアリティでは「アブノーマル」に相当する概念として、当時すでに「クィア」という概念が提起されていたが、シンポジウムでは視野に入っていない。
やはり、そこらへん「ノーマル」を前面に出した設定は、時代遅れだったのではないか。
少なくとも、斬新な、目新しい感じはない。

そんなことを、思い付きでしゃべる。


4月15日(土)「現代風俗研究会・東京の会」例会 [お勉強(研究会)]

4月15日(土)  曇り  東京  24.2度  湿度49%(15時)

10時、起床。
朝食は、いちごデニッシュとコーヒー。
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13時半、家を出ようとしたら、家猫さんが帰ってきて「とても暖かいにゃん」と言うので、ニットのポンチョを脱いで、カシミアのショールを紙袋に入れる。
歩き始めると、確かに暖かい。
今年一番の気温。
この暖かさで、藤の花が一気に咲いた。
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東急目黒線から、東京メトロ南北線に入る。
乗り換えの永田町駅の内の「C&Cカレー」で昼食。
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↑ 三元豚カロースカツカレー(650円)
給水器が壊れたらしく、店内の床の一部が水浸し。
水を避けていちばん奥の席へ避難。

15時、「現代風俗研究会・東京の会」の例会に出席するため明治大学(駿河台)へ。

研究報告は、大木理恵子さん(白百合女子大学キリスト教文化研究所所員)による「第二次世界大戦と食:アメリカの場合」。

第二次世界大戦中、アメリカで実施されていた食糧統制(配給制度)について。
その事実さえ知らない日本人が多いと思うが、アメリカでは1942年の砂糖を始めとして、1943年には肉、食用油、バター、チーズ、缶詰・瓶詰などの供給が統制され配給制になった。

前戦で戦う将兵のために、銃後の人々が節約しようという思想は日本と同じだが・・・。
同じ食料配給制ではあっても、質・量、そして気持ちの余裕(切迫感)がまったく違う。

端的に言えば、「これでは負けるはずだ」と改めて思った。

知らないことが多く、とても興味深い報告だった。

ちなみに、日本が最も食糧難だったのは、太平洋戦争中(1941年12月8日~1945年8月15日)ではなく、敗戦後の1946~1947年だった。
戦中はまだ配給制度がそれなりに機能していた(1945年になるとかなり悪化するが)。
配給制度が質・量ともに極端に悪化し、内地で餓死者が続出するのは、戦後であって戦中ではない。

また、戦中は統制が機能していて「闇」はまだ少なかった(なかったわけではない)。
「闇物資・闇市場」が一気に巨大化するのは、戦後になってからだ。

そこらへん、一般的なイメージに認識の混乱があるように思った。

「多摩ジェンダー教育ネットワーク集会」夕食会 [お勉強(研究会)]

3月1日(水)
(続き)
浅草駅から東京メトロ銀座線で神田駅へ。
JR中央線に乗り換えて、吉祥寺駅で下車。

40分ほど時間の余裕があるので、3年前まで月1仕事に来ていた南口へ。
久しぶりに怪しい古書店へ。
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仕事の前によく立ち寄った「ドトール」がラーメン屋になっていた。
その代わりに、すぐ近くに同系列の「エクセルシオール・カフェ」があったので入る。
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17時45分、あまり知らない吉祥寺駅北口へ。
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今日、3つ目のミッション。
アーケード街に入って1つ目の道を左折、少し行って右側の路地に入あるフレンチ・レストラン「ブラッスリー・エディブル(Edible)」へ。
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18時、「多摩ジェンダー教育ネットワーク集会」の発展的解消の夕食会に出席。
前菜。
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サラダ。
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お魚(白身魚のカルパッチョ)。
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パスタ。
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お肉(ローストビーフ)。
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デザート。
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たくさんお話できて楽しかったけど、集会がなくなるのは、とても残念。
いろいろ事情はあるのだが、巨視的に見ると、やはり背景として大学におけるジェンダー教育の困難があると思う。

JR中央線下りで立川駅へ。
JR南武線に乗り換えて武蔵小杉駅へ。
23時、帰宅。

就寝、2時。






2月25日(土)現代風俗研究会・東京の会 [お勉強(研究会)]

2月25日(土)  晴れ  横浜  12.1度  湿度49%(15時)

13時半、家を出る。
昼食は、武蔵小杉駅の「しぶそば」。
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↑ 壬生菜のかき揚げそば(480円)。
なんで渋谷と50円も違うのだろう?
テナント代かな?

東急東横線からみなとみらい線に乗り入れて、日本大通り駅で下車。
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今日は、なぜかジェンダー&セクシュアリティ系の講演会やシンポジウムがいくつも重なってい。
ジェンダー&セクシュアリティ系でなく、いちばん精神的にストレスがない「現代風俗研究会・東京の会」(横浜弁天町:関東学院大学サテライトオフィス)に出席。
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↑ いちばん上の会合も興味あり。

報告は、山田慎也さん(国立歴史民俗博物館准教授:民俗学)「おせち料理の変遷と新年の迎え方:婦人雑誌を素材として」。

日本のお正月の「伝統」料理とされる「おせち」の歴史は意外に浅く、現在イメージされている典型的な「おせち」が形成されたのは昭和初期(形成と流布には、婦人雑誌が大きな役割)。

それが、戦後の高度経済成長期に「伝統」化される。
メディアによって作られた「伝統」料理。

「お雑煮」は、それぞれの家の流儀にかなりこだわりがあるが、「おせち」はそれがない。

母が作ってたい「おせち」など、いろいろ思い出して、とても面白かった。


12月17日(土)第41回「化粧文化研究者ネットワーク」研究会 [お勉強(研究会)]

12月17日(土)  晴れ  東京  13.1度  湿度42%(15時)

13時過ぎ、東急目黒線(目黒駅乗換え)JR山手線を乗り継いで新橋へ。

新橋駅前広場の蒸気機関車(C11-292)がクリスマス・バージョンになっていた。
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昼食は「新橋駅前ビル1号館」地下の「カリカル」へ。
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照り焼きチキンカレー(1100円)。
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昭和33年(1958)創業の老舗。
色はインド風、でもあまり辛くなく、食感はかなりねっとりしている。
日本のカレーがどう進化(日本化)していったか、わかるような気がするカレー。

14時「汐留FSビル」の 資生堂「SABFA教室」で開催される「化粧文化研究者ネットワーク」の研究会に出席。

研究報告は、城戸崎 雅崇氏「浮遊する美人~美人とは何か」

17時、閉会。

新橋1丁目のイタリアレストラン「Vittorio Pomodoro Tsukiji」で懇親会。
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19時半、お開き。

新橋駅からJR横須賀線で武蔵小杉駅へ。
20時半、帰宅。

7割方作ってあった明日の講演のパワーポイント資料を完成させる。
就寝、2時。

第26回「多摩ジェンダー教育ネットワーク」例会 [お勉強(研究会)]

10月6日(木)
(続き)
19時、第26回「多摩ジェンダー教育ネットワーク」例会(国際基督教大学ジェンダー研究センター)に出席。

報告は、生駒夏美さん(国際基督教大学教授)「多様な性にとって本当に安心・安全なキャンパスとは」。
その後、自由討論。

23時半、帰宅。
今日は多忙で、夕ご飯を食べ損ねた。

0時半、超遅い夕ご飯(昨夜の残りの牛肉のソース焼き)。
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疲れているけど、まだこれから仕事をしないといけない。

明日の講義の準備(レジュメの印刷、パワーポイントの増強)。
明日の夕方締め切りのゲラ校正と送付。

疲労困憊。
お風呂に入って温まる。

就寝、3時半。


9月11日(日)化粧文化研究会で「シャレコーベ・ミュージアム」へ [お勉強(研究会)]

9月12日(日)  曇りのち晴れ  大阪  33.0度  湿度49%(15時)

13時20分、名前も知らなかった駅に降りる。
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日差しがきつくて暑いし、足の不安があるので駅前からタクシーに乗る。
おっ、ここだ。
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敷地に入る。
車もなんか変だ。
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ちゃんと道案内してくれる。
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この人は無言。
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「おーい、こっちだよ」
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玄関前に到達。
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建物はこちらから見るのが正解だった。
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なんで兵庫県尼崎市にある「シャレコーベ・ミュージアム」に来たかというと、「化粧文化研究会」の見学会だったから。
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「化粧文化研究会」は正確には「化粧文化研究者ネットワーク」といい「化粧文化研究者それぞれの研究活動の向上と、互いの存在を明確にして研究者同士が研究(成果の)発表と情報交換などの交流を行う」ことを目的に、2005年3月に活動を開始した。
現在の会長は、北山晴一先生(立教大学名誉教授)。

私は化粧文化は専門ではないが、初代代表の村澤博人先生(2009年6月逝去)に「日本顔学会」でいろいろお世話になった縁で混ぜていただいている。
研究会は、年4回(東京で2回、関西で2回)で開催され、今回が40回目。

貧乏な私が出席するのは東京開催の時ばかりだったが、今回はたまたま関西に来ていたのと、この博物館は「日曜日のみ」の開館でなかなか見られないので参加した。

ただ、正直言うと、骸骨は、それなりに知識はあるが、心理的に好きではない。

館長の河本圭司先生は、関西医科大学名誉教授で、脳神経外科がご専門。
同時に、世界的な頭蓋骨学の権威で、世界唯一の「SKULL]専門博物館である「シャレコーベ・ミュージアム」を建てた方。
http://skull-museum.jp/frame.html
館内は1,2,3階の展示室に、館長ご自慢の頭蓋骨関係の収集品がこれでもかと詰め込まれている。
その総数は7200点余。
この日もアメリカから新たな収集品が持ち込まれていた。

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↑ 1階玄関脇
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↑ 2階展示室
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↑ 2階展示室

基本「撮影禁止」なので、展示品を細かくは紹介できないが、「ハローウィン」関連の物も含めて、欧米系の骸骨グッズの多さに驚く。
日本のものは、江戸時代の「根付」に少しあるくらい。

一番、稀少性の高い展示品は、3階の人類学・考古学コーナーにあった、インカ帝国期(ペルー出土)の頭部変工(前頭部扁平化)を施された少年の頭蓋骨。
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頭部変工の習俗は講義で紹介しているが、実物は初めて見た。

見学を終えた後は、河本館長の頭蓋骨文化論の講義。
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続いて、張建華先生(宝塚医療大学教授)の頭蓋解剖学の講義。
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講義が終わって「試験」。
私は、初級・中級とも、一番に(カンニング無し)提出して全問正解。
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まあ、高校生の頃、鈴木尚先生の『日本人の骨』(岩波新書、1963年)を愛読してたし、大学の自然(形質)人類学の講義はA評価だし、その後も埴原和郎先生の本などで勉強したから、当然なんだけど。
でも、中硬膜動脈溝とか、細かい名称、忘れてるなぁ(見ると思い出すけど)。

「シャレコーベ ミュージアム」(兵庫県尼崎市)のトイレの表示。
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額の骨(前頭骨)の角度が男女で異なる点(女性は直立、男性は斜め)を図案化している。

骨格レベルで見た場合、前頭骨の性差は、骨盤の形態の次ぐらいに大きいし、ダイレクトにわかる。
だから、Trans-womanで、額の女性化形成をしていない限り、おでこを出して大丈夫(バレない)人は稀だと思う。
私がいい年して前髪を垂らす髪形をしているのは、額の形(と皺)を隠すため。
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↑ 記念撮影(前列右端、河本館長)
17時、辞去。

いろいろ考えることも多く、勉強になった。

自分の専門の社会文化史に引き付けてコメントすると、欧米の頭蓋骨&骸骨グッズの圧倒的な多さと日本のそれの少なさは、やはり葬制の違いによる頭蓋骨の「身近さ」の違いによるのだと思う。
欧米のキリスト教文化圏では基本的に土葬で、しかもアルカリ性土壌が多いので、遺骸は白骨化して長く残る。
しかも、都市部では墓地が限られるので、しばしば古い遺骸を掘り起こして、骨だけを保存する一種の再葬も行われる。
骸骨に接する機会も多いし、イメージも豊富なのだと思う。

それに対して、仏教文化圏で火葬が行われ、特に明治時代以降、火葬が広まった(強制された)日本では頭蓋骨に接する機会は多くない。
江戸時代まで庶民は土葬だったが、火山灰由来の酸性土壌が多い日本(とくに東日本)では、遺骨は土中で分解されて残りは良くない。
また、琉球列島などを除いては、再葬の習俗も少なかった。
もちろん、弔う人がなく、河原や野原に野ざらしになる遺体もあったが、それは不幸な例外だった(だいたいは浄土宗か時宗の僧侶が供養してしまう)。

だから、日本の絵画には、骸骨はあまり出てこない。
「百鬼夜行図」などでも骸骨はいても脇役だ。
妖怪も同様で、骸骨妖怪はいなくもないが、中心ではない。
美女の遺骸が次第に腐敗し白骨化していく様を描いた「九相図」のようなものはあるが、あれは骸骨を描くことが主題ではない。
骸骨が描かれるようになるのは、江戸時代後期、たとえば葛飾北斎、河鍋暁斎、歌川国芳、月岡芳年などだが、あれは西洋医学の人体図(骨格図)の影響があるのではないだろうか。
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↑ 葛飾北斎『百物語』「こはだ小平次」
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↑ 河鍋暁斎「髑髏と蜥蜴」
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↑ 歌川国芳「相馬の古内裏」(1854年頃)
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↑ 月岡芳年『新形三十六怪撰』「地獄太夫悟道の図」

頭蓋骨イメージの多少と葬制との関係は、アジア圏内で考えてもよくわかる。
展示されていたように、アジア圏で頭蓋骨イメージが豊富なのは、ヒマラヤ山地周辺、具体的にはチベット、ネパール、ブータンなどだ。
これらの地域の葬制は、風葬・もしくは鳥葬だから、骸骨が目に着きやすいのだろう。

思いつきで、そんなことを考えた。
良い気分転換になった。

7月22日(金)『イレズミと日本人』刊行記念トークイベント [お勉強(研究会)]

7月22日(金) 曇り  東京  22.2度  湿度76%(15時)

今夜は、西荻窪の「信愛書店スペースen-gawa」で開催された山本芳美さん(イレズミ研究/都留文科大学比較文化学科教授)の新著『イレズミと日本人』(平凡社新書)の刊行記念トークイベントを聞きに行った。
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「『じぶん』をあそぶ ~イレズミと美容整形の過去・現在・未来の加工術」というテーマで、『美容整形と<普通のわたし>』(青弓社、2013年)の著者である川添裕子さん(美容整形研究/松蔭大学観光メディア文化学部教授)とのコラボレーション。
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実は、イレズミと女装とは共通点が多い。
文明開化期の「違式詿違条例」で違法化されたこと、その後、違法ではなくなったがずっと社会的に抑圧されてきたこと、現在も公衆浴場の利用で問題視されることなど。
そこに共通するものとして、近代化による身体への規制が読みとれる。

身体とはなにか、自分の身体をどう扱うか、身体を加工する自由と社会など、いろいろな角度からの考察で、私が日頃、考えていることとの共通性も多くとても面白かった。

内容は、8月に『週刊読書人』に掲載されるとのことで、楽しみだ。

7月2日(土)現代風俗研究会(東京の会)新風俗学教室・第18期「食の風俗」第4回 [お勉強(研究会)]

7月2日(土) 晴れ  横浜  31.0度  湿度65%(15時)

9時、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」の洋梨のデニッシュとコーヒー。
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シャワーを浴びて、髪と身体を洗い、髪はよくブローしてにあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒網のストッキング、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ。
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13時半、家を出る。
今日は暑い。
昼食は、駅前の回転寿司へ。
開店記念セールで30%オフだったので、ちょっと贅沢。
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↑ 本日の3種。
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↑ 貝3種。

東急東横線からみなとみらい線に乗り入れて日本大通り駅で下車。
横浜は久しぶり。
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大田町の「横浜メディア・ビジネスセンター」の8階に入っている「関東学院大学・関内メディアセンター」へ。
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15時、現代風俗研究会(東京の会)新風俗学教室に出席。
第18期「食の風俗」第4回は、岡田朋之さん(関西大学総合情報学部教授:メディア論・文化社会学)による「2015年ミラノ万博と21世紀の国際博覧会――『まなざし』の近代的空間から『味わい、感じる』イベントへ」。

まず、万国博覧会の歴史と現在の概略。
その後、食をテーマにした初の万博だったミラノ万博(2015年5月1日~10月31日)の画像や動画をいろいろ見せていただく。
最後に、入場に最長10時間待ちの人気で、展示デザイン部門でも金賞を受賞するなど、高い評価を得た日本館の様子。
世界でも最も多様で多彩かつ繊細な食文化を踏まえた、日本館のテーマ「Harmonious Diversity(共存する多様性)」と展示が、イタリア人をはじめとする欧米人の高い関心を集めたことは、日本でもっと報道されてもよかったと思う。

18時過ぎ、閉会。
この会、スケジュールが合わず2回続けて休んでしまい、久しぶりの参加だったので、楽しかった。

懇親会は、住吉町のスペイン料理店「Bar de la Costa HOLA!」へ。
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こじんまりした店だが、お料理、なかなかおいしかった。
赤ワインで酔っぱらう。
みなさん、それぞれの万博の思い出で盛り上がる。
で、女性陣、年齢がバレる。
(大阪万博1970を覚えていたら、そのとき5歳としても50~51歳)
久しぶりのおしゃべりで楽しかった。
21時半、散会。
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↑ 店の前のビル(DEXビル)に巨大招き猫。
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↑ 「ジャックの塔」(横浜市開港記念会館)夜景。

22時半、帰宅。
酔っ払いなので、ベッドに直行。

6月12日(日)「日本人口学会・第68回大会」(麗澤大学) [お勉強(研究会)]

6月12日(日)  曇り  東京  28.3度  湿度54%(15時)

9時、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のアマンドショコラとコーヒー。

シャワーを浴びて、髪と身体を洗い、髪はブローして、あんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒網のストッキング、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ。

11時、家を出る。
東急目黒線から都営地下鉄三田線に入り、大手町駅で東京メトロ千代田線に乗換、そのまま常磐線に入り南柏駅で下車。
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昼食は、駅構内のそば屋で、冷やし鶏天そば(530円)。
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13時半、バスで麗澤大学へ。
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2010年に岩見照代教授(日本近代文学)にゲスト講義に呼んでいただいたことがあり、6年ぶり。

ここで開催されている「日本人口学会・第68回大会」に参加。
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私が、聴講したのは、企画セッション4「セクシュアル・マイノリティに関する人口学的研究ー日本における研究動向の今ー」
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人口学は、昔々、歴史人口学を少し勉強したことがあるくらいで、ほとんど素人なので、いろいろ勉強になった。
で、思ったこと。
1)そもそも人口の数%程度のマイノリティの人口把握は技術的に難しい。
2)セクシュアル・マイノリティをどう規定するかで、把握すべき範囲が異なってくる。
3)セクシュアル・マイノリティの人口はLGBをしっかり把握すれば、かなりの程度明らかにできる。
4)Tの人口比は、LGBに比べれば確実に1桁、あるいは2桁小さいので、ほとんど誤差の範囲になってしまい、厳密に把握する意味はあまりない。
5)だからなのかもしれないが、性同一性障害者の人口比についての疫学的データが、人口学研究者に届いていない(その点について少しだけコメント)。

助産学の藤井ひろみさん(神戸市看護大学)の「出産を経験したことがありますか?」という設問に、心の中で「ありません」と答えてしまい、「この世の中に生きている人で出産を経験したことがない人はいません」という言葉に、眼からウロコが落ちた。
出産を産む立場(母親)だけから考えてはいけないのだ。
産まれる側(子)に立って見ることも大事なのだ。

お目当ての石田仁さんの報告は、いろいろなことが想起されてとても刺激的だった。
とりわけ、伊藤文學さん(『薔薇族』編集長)が1974年頃に唱えた「ゲイ300万人説」が、独り歩きして、1985年代の(二度目の)「AIDSパニック」の際に、ゲイを危険視・排除する根拠に使われたことは、とても衝撃的だった。

また、1960年代後半に登場し、1970年代中盤に普及する男性同性愛者を意味する新語「ホモ」について、それ以前に使われていた「ゲイ(ボーイ)」に比べて年齢イメージがなく、このころ進行したと推測される年齢階梯制的要素が残存した(大人の男性と少年)の同性愛から、大人の男性同士の同性愛への移行に、こうした呼称の変化が見合うのではないか、という仮説を、帰路の電車の中で石田さんに伝える。

厳しい状況の中、出掛けた甲斐があった。
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(続く)

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