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9月11日(日)化粧文化研究会で「シャレコーベ・ミュージアム」へ [お勉強(研究会)]

9月12日(日)  曇りのち晴れ  大阪  33.0度  湿度49%(15時)

13時20分、名前も知らなかった駅に降りる。
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日差しがきつくて暑いし、足の不安があるので駅前からタクシーに乗る。
おっ、ここだ。
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敷地に入る。
車もなんか変だ。
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ちゃんと道案内してくれる。
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この人は無言。
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「おーい、こっちだよ」
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玄関前に到達。
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建物はこちらから見るのが正解だった。
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なんで兵庫県尼崎市にある「シャレコーベ・ミュージアム」に来たかというと、「化粧文化研究会」の見学会だったから。
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「化粧文化研究会」は正確には「化粧文化研究者ネットワーク」といい「化粧文化研究者それぞれの研究活動の向上と、互いの存在を明確にして研究者同士が研究(成果の)発表と情報交換などの交流を行う」ことを目的に、2005年3月に活動を開始した。
現在の会長は、北山晴一先生(立教大学名誉教授)。

私は化粧文化は専門ではないが、初代代表の村澤博人先生(2009年6月逝去)に「日本顔学会」でいろいろお世話になった縁で混ぜていただいている。
研究会は、年4回(東京で2回、関西で2回)で開催され、今回が40回目。

貧乏な私が出席するのは東京開催の時ばかりだったが、今回はたまたま関西に来ていたのと、この博物館は「日曜日のみ」の開館でなかなか見られないので参加した。

ただ、正直言うと、骸骨は、それなりに知識はあるが、心理的に好きではない。

館長の河本圭司先生は、関西医科大学名誉教授で、脳神経外科がご専門。
同時に、世界的な頭蓋骨学の権威で、世界唯一の「SKULL]専門博物館である「シャレコーベ・ミュージアム」を建てた方。
http://skull-museum.jp/frame.html
館内は1,2,3階の展示室に、館長ご自慢の頭蓋骨関係の収集品がこれでもかと詰め込まれている。
その総数は7200点余。
この日もアメリカから新たな収集品が持ち込まれていた。

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↑ 1階玄関脇
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↑ 2階展示室
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↑ 2階展示室

基本「撮影禁止」なので、展示品を細かくは紹介できないが、「ハローウィン」関連の物も含めて、欧米系の骸骨グッズの多さに驚く。
日本のものは、江戸時代の「根付」に少しあるくらい。

一番、稀少性の高い展示品は、3階の人類学・考古学コーナーにあった、インカ帝国期(ペルー出土)の頭部変工(前頭部扁平化)を施された少年の頭蓋骨。
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頭部変工の習俗は講義で紹介しているが、実物は初めて見た。

見学を終えた後は、河本館長の頭蓋骨文化論の講義。
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続いて、張建華先生(宝塚医療大学教授)の頭蓋解剖学の講義。
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講義が終わって「試験」。
私は、初級・中級とも、一番に(カンニング無し)提出して全問正解。
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まあ、高校生の頃、鈴木尚先生の『日本人の骨』(岩波新書、1963年)を愛読してたし、大学の自然(形質)人類学の講義はA評価だし、その後も埴原和郎先生の本などで勉強したから、当然なんだけど。
でも、中硬膜動脈溝とか、細かい名称、忘れてるなぁ(見ると思い出すけど)。

「シャレコーベ ミュージアム」(兵庫県尼崎市)のトイレの表示。
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額の骨(前頭骨)の角度が男女で異なる点(女性は直立、男性は斜め)を図案化している。

骨格レベルで見た場合、前頭骨の性差は、骨盤の形態の次ぐらいに大きいし、ダイレクトにわかる。
だから、Trans-womanで、額の女性化形成をしていない限り、おでこを出して大丈夫(バレない)人は稀だと思う。
私がいい年して前髪を垂らす髪形をしているのは、額の形(と皺)を隠すため。
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↑ 記念撮影(前列右端、河本館長)
17時、辞去。

いろいろ考えることも多く、勉強になった。

自分の専門の社会文化史に引き付けてコメントすると、欧米の頭蓋骨&骸骨グッズの圧倒的な多さと日本のそれの少なさは、やはり葬制の違いによる頭蓋骨の「身近さ」の違いによるのだと思う。
欧米のキリスト教文化圏では基本的に土葬で、しかもアルカリ性土壌が多いので、遺骸は白骨化して長く残る。
しかも、都市部では墓地が限られるので、しばしば古い遺骸を掘り起こして、骨だけを保存する一種の再葬も行われる。
骸骨に接する機会も多いし、イメージも豊富なのだと思う。

それに対して、仏教文化圏で火葬が行われ、特に明治時代以降、火葬が広まった(強制された)日本では頭蓋骨に接する機会は多くない。
江戸時代まで庶民は土葬だったが、火山灰由来の酸性土壌が多い日本(とくに東日本)では、遺骨は土中で分解されて残りは良くない。
また、琉球列島などを除いては、再葬の習俗も少なかった。
もちろん、弔う人がなく、河原や野原に野ざらしになる遺体もあったが、それは不幸な例外だった(だいたいは浄土宗か時宗の僧侶が供養してしまう)。

だから、日本の絵画には、骸骨はあまり出てこない。
「百鬼夜行図」などでも骸骨はいても脇役だ。
妖怪も同様で、骸骨妖怪はいなくもないが、中心ではない。
美女の遺骸が次第に腐敗し白骨化していく様を描いた「九相図」のようなものはあるが、あれは骸骨を描くことが主題ではない。
骸骨が描かれるようになるのは、江戸時代後期、たとえば葛飾北斎、河鍋暁斎、歌川国芳、月岡芳年などだが、あれは西洋医学の人体図(骨格図)の影響があるのではないだろうか。
葛飾北斎 『百物語』より「こはだ小平次」.jpg
↑ 葛飾北斎『百物語』「こはだ小平次」
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↑ 河鍋暁斎「髑髏と蜥蜴」
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↑ 歌川国芳「相馬の古内裏」(1854年頃)
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↑ 月岡芳年『新形三十六怪撰』「地獄太夫悟道の図」

頭蓋骨イメージの多少と葬制との関係は、アジア圏内で考えてもよくわかる。
展示されていたように、アジア圏で頭蓋骨イメージが豊富なのは、ヒマラヤ山地周辺、具体的にはチベット、ネパール、ブータンなどだ。
これらの地域の葬制は、風葬・もしくは鳥葬だから、骸骨が目に着きやすいのだろう。

思いつきで、そんなことを考えた。
良い気分転換になった。

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