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5月27日(土)「プシコナウティカの会」 [お勉強(研究会)]

5月27日(土)  晴れのち曇り  東京  27.3度  湿度51%(15時)

9時半、起床。
朝食はアマンドショコラとコーヒー。
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化粧と身支度。
暑くなる予報なので夏姿。
11時40分、家を出る。
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東急東横線で学芸大学駅に移動。
昼食は東口商店街の「かしわや」で。

冷やし天婦羅そば(400円)を注文したのだが、調理のおばさん、冷やしたそばの上に揚げたて熱々の天婦羅を乗せる。
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温度が上下分離していて変な感じ。
普通の(温かい)天婦羅そばにすればよかった。

「仕事部屋」に寄って郵便物の整理。
12時30分、再外出。
中央町二丁目の住宅街を歩いて、超久しぶりに十日森稲荷にお詣り。
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12時50分、神社の裏にある目黒区五本木住区センターへ。

ここで開催される「プシコナウティカの会」という研究会に参加。
「プシコ ナウティカ」とは「魂の航海(術)」という意味で、イタリアの精神医療のスローガンらしい。
「らしい」というのは、よくわかっていないのだけど、18年前(1999年)の日本社会学会の大会シンポジウムで、お世話になった井上芳保先生に、コメンテーターとして、お声を掛けていただいた。

参加者7名(内、報告者2名、コメンテーター2名)という小さな研究会。

(報告1)兵頭晶子「松嶋健『プシコ ナウティカ』を精読するー生政治の範例としての精神病院―」
イタリアで精神病院が全廃されたことは知っていたが、細かい経緯は知らなかったので勉強になった。
目に止まったのが「精神医療から精神保健へ」という言葉。
「ああ、これなんだ!」と思った。
日本では、性別を移行したい人に「性同一性障害」という病名(精神疾患概念)をつけて、医学の力で治療しようとする。
一方、西欧では、性別を移行したい人が健康を保てる(保健)ように医学がサポートする。
日本は近代医学の伝統的な発想、西欧は近代医学の反省に立った考え方。
その違いは、根本のところで限りなく大きい。

(報告2)井上芳保「あざけられること、ほめられること―『女性蔑視ヤジ』シンポとミスターノーマル幻想を再考する―」

私は2本目の井上報告のコメントテーター。
「ミスター・ノーマル」は、1999年10月の日本社会学会の大会シンポジウム「ミスター・ノーマルのアイデンティティを問う」(企画:井上芳保・山田富秋、会場:上智大学)で「普通の男たち」「普通に安住している男たち」の差別意識を炙り出すための概念として提起された。

私もそのシンポジウムにパネラーとして参加し「女装系コミュニティにおける『ミスター・ノーマル幻想」という報告をさせていただいた。
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そして、その報告内容を組み込んだ「現代日本のトランスジェンダー世界 ―東京新宿の女装コミュニティを中心にー」(『中央大学社会科学研究所年報』7号 中央大学 2003年6月)は、新宿女装世界の最初のフィールドワーク論文として、2度も英訳されることになる。

研究者としての私の出発点になったシンポジウムであり、社会学を勉強し始めてわずか1年ほどの「駆け出し」が、日本社会学会の大会シンポジウムで報告できたのは大きな僥倖だった。
そういう意味で、井上さん(山田さん)には恩義を感じている。

しかし、「ミスター・ノーマル」という概念は、その後、大きく展開されることはなく、はっきり言って失敗に終わった。

「俺は普通(ノーマル)だ」と言い張る男たちが、さまざまな差別の「岩盤」になっているという問題提起は妥当だと思うし、今に至るっても通用すると思う。
しかし、言葉として、なぜ起爆しなかったのか?と考えると「ノーマル」という概念に問題があったと思う。

言うまでもないが「ノーマル(正常)」の対語は「アブノーマール(異常)」である。
しかし、1999年の段階でも「正常か、異常か」という二元的な問題の立て方は、いささか陳腐というか、古かったように思う。
セクシュアリティでは「アブノーマル」に相当する概念として、当時すでに「クィア」という概念が提起されていたが、シンポジウムでは視野に入っていない。
やはり、そこらへん「ノーマル」を前面に出した設定は、時代遅れだったのではないか。
少なくとも、斬新な、目新しい感じはない。

そんなことを、思い付きでしゃべる。


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