道を切り開いてきたのは間違っていなかった [現代の性(性別越境・性別移行)]
2月28日(日)
私たちの時代には、性別を移行しようとしても、ほとんど道がなかった。
まったくなくはないが、それは細く暗い、獣道みたいな道で、以前、誰かが通ったかもしれないけど、誰もが容易に通れる道ではなかった。
それを生い茂る草木を切り払い、岩や石をどけて、なんとか人が通れる道にしたのは私たちの世代だ。
ニューハーフさんたちも、トランスジェンダーも、性同一性障害の人も、医師も法学者も、それぞれの立場、それぞれの考え方で力を尽くしてきた。
その力が集まった結果、今、その道はずいぶん広くなった。
まだ舗装はされていないでこぼこ道で、時にはつまずく人はいるけれど、通りやすくなったのは間違いない。
広くなった道を胸を張って歩いていく若い人たちをみると、紆余曲折はあったが、自分たちの世代がしてきたことは間違っていなかったとしみじみ思う。
私たちの時代には、性別を移行しようとしても、ほとんど道がなかった。
まったくなくはないが、それは細く暗い、獣道みたいな道で、以前、誰かが通ったかもしれないけど、誰もが容易に通れる道ではなかった。
それを生い茂る草木を切り払い、岩や石をどけて、なんとか人が通れる道にしたのは私たちの世代だ。
ニューハーフさんたちも、トランスジェンダーも、性同一性障害の人も、医師も法学者も、それぞれの立場、それぞれの考え方で力を尽くしてきた。
その力が集まった結果、今、その道はずいぶん広くなった。
まだ舗装はされていないでこぼこ道で、時にはつまずく人はいるけれど、通りやすくなったのは間違いない。
広くなった道を胸を張って歩いていく若い人たちをみると、紆余曲折はあったが、自分たちの世代がしてきたことは間違っていなかったとしみじみ思う。
2日続きの前週比増で下げ止まり感 [世相(新型コロナ肺炎関連)]
2020年度の医療費、2~3%減 [世相(新型コロナ肺炎関連)]
2月27日(土)
高齢化の進行によって、例年2~3%増加し続けていた医療費が、2020年度は逆に2~3%の減少となった。
これは「国民皆保険」になった1961年以降60年にして、初めての現象。
原因は、言うまでもなく「コロナ禍」による「受診控え」。
しかし、「受診控え」で、国民の健康が損なわれたかというと、そうでもなく、年間の死者は前年比実数で1万人弱、高齢化の進展を考慮すると3万人近く減った。
(参照)牧 潤二「医療費が過去60年で例のない減少となった真因」(「東洋経済オンライン」)
https://toyokeizai.net/articles/-/413389?fbclid=IwAR3j5VZ8tcyzj6xrw4qr_mvfVwNSf131PAxfHEQpme2nIH2txfmpAtAiFEw
高齢化の進行によって、例年2~3%増加し続けていた医療費が、2020年度は逆に2~3%の減少となった。
これは「国民皆保険」になった1961年以降60年にして、初めての現象。
原因は、言うまでもなく「コロナ禍」による「受診控え」。
しかし、「受診控え」で、国民の健康が損なわれたかというと、そうでもなく、年間の死者は前年比実数で1万人弱、高齢化の進展を考慮すると3万人近く減った。
(参照)牧 潤二「医療費が過去60年で例のない減少となった真因」(「東洋経済オンライン」)
https://toyokeizai.net/articles/-/413389?fbclid=IwAR3j5VZ8tcyzj6xrw4qr_mvfVwNSf131PAxfHEQpme2nIH2txfmpAtAiFEw
山田風太郎の戦中・戦後「日記」シリーズを読む [お仕事(父に聞いた戦後)]
2月27日(土)
この2週間ほど、資料として読んでいた、小説家・山田風太郎(1922~2001年)の戦中・戦後「日記」シリーズをやっと読み終える。
『戦中派不戦日記』(1945年)
『戦中派焼け跡日記』(1946年)
『戦中派闇市日記』(1947~48年)
『戦中派動乱日記』(1949~50年)
『戦中派復興日記』(1951~52年)
山田風太郎は、私の亡父の東京医学専門学校(現:東京医科大学)の同級生(1944年入学)で、その日記にはときどき父の名前が出てくる。
まったく「日記」や記録を残さなかった父の足跡を補う資料として読み始めたのだが、それは別として、戦中~戦後混乱期の世相をリアルに記録した貴重な資料であることを改めて痛感した(『不戦日記』は大学生の頃に読んでいたので再読)。
風太郎氏、医科大学に学びながら、途中で新進の探偵小説作家となり、医者にはならなかった(インターンはしたが医師国家試験は受験せず)という変わった経歴で、性格的にも相当に偏屈な(女性蔑視もひどい)人物ではあるが、事物を観察し文字にして記録するという点では、さすがにすぐれた才があり、面白かった。
貧乏な医学生時代、同級生たちとまったく女っ気がないホモソーシャルな生活を送っていたのに、小説が売れ始め金回りが良くなるにつれて、女性が寄ってくるようになり、「赤線」にも出入りするようになる。
その極端な(現金な)変化が面白い。
「赤線」についての記述は、大学から程近い「新宿二丁目」だけでなく、小岩(江戸川区)の「東京パレス」の探訪記もある。
これらは、「赤線」研究の資料になる。
ともかく付箋がいっぱいで、これから整理するのが大変。
この2週間ほど、資料として読んでいた、小説家・山田風太郎(1922~2001年)の戦中・戦後「日記」シリーズをやっと読み終える。
『戦中派不戦日記』(1945年)
『戦中派焼け跡日記』(1946年)
『戦中派闇市日記』(1947~48年)
『戦中派動乱日記』(1949~50年)
『戦中派復興日記』(1951~52年)
山田風太郎は、私の亡父の東京医学専門学校(現:東京医科大学)の同級生(1944年入学)で、その日記にはときどき父の名前が出てくる。
まったく「日記」や記録を残さなかった父の足跡を補う資料として読み始めたのだが、それは別として、戦中~戦後混乱期の世相をリアルに記録した貴重な資料であることを改めて痛感した(『不戦日記』は大学生の頃に読んでいたので再読)。
風太郎氏、医科大学に学びながら、途中で新進の探偵小説作家となり、医者にはならなかった(インターンはしたが医師国家試験は受験せず)という変わった経歴で、性格的にも相当に偏屈な(女性蔑視もひどい)人物ではあるが、事物を観察し文字にして記録するという点では、さすがにすぐれた才があり、面白かった。
貧乏な医学生時代、同級生たちとまったく女っ気がないホモソーシャルな生活を送っていたのに、小説が売れ始め金回りが良くなるにつれて、女性が寄ってくるようになり、「赤線」にも出入りするようになる。
その極端な(現金な)変化が面白い。
「赤線」についての記述は、大学から程近い「新宿二丁目」だけでなく、小岩(江戸川区)の「東京パレス」の探訪記もある。
これらは、「赤線」研究の資料になる。
ともかく付箋がいっぱいで、これから整理するのが大変。