2月8日(月)池袋でデート、「闇営業」の居酒屋 [世相(新型コロナ肺炎関連)]
2月8日(月)
8時、起床。
今日は、秩父に行ってお墓参りをし、帰路、夕方、池袋でおゆうちゃんに会うつもりだったが、足の具合がかなり悪い。とくに左足。
「お前も年なんだから無理をお墓参りをいうし亡父の声が聞こえたことにして断念。
もう2時間ほど眠る。
10時半、再起床。
朝食は、アマンドショコラとコーヒー。
お風呂を沸かし直し入り、足のマッサージ。
なんとか歩けるかなというところまで回復。
昼食は、納豆ご飯。
16時半、家を出る。
東急東横線・東京メトロ副都心線で池袋へ。
18時、フクロウ広場で、おゆうちゃんと待ち合わせ。
久しぶりのデート。
目当ての店が閉まっていて、仕方なく適当に開いていた魚食系居酒屋に入る。
18時15分頃、先客はおじさんの2人連れが1組だけで閑散。
「やっぱり空いているね」
ぶり大根
ホッケ焼き。
好物の骨身をはがす。うれしそう。
あん肝。
18時55分、「もうすぐ酒類提供禁止の19時だから」と、追加注文。
19時20分、お店のお姐さんが一升瓶からお客のコップに注いでいるのを目撃。
「あれ?」
19時30分~、営業制限時間まで30分を切っているのに、どんどんお客が入ってくる。
気づくと満席状態。
20時、「満席なので(ボックス席から)カウンターに移っていただけますか?」とお姐さんに言われたのを潮にお会計。
20時5分、退店。
でも、階段を下りる私たちとすれ違いにお客が上がってくる。
外に出てみると、お店の看板も入口の灯りも消えていて、真っ暗。
「わ~ぁ、町奉行所のお達し破りの闇営業だ~ぁ!」
20時15分、路上でハグ。
21時半、帰宅。
就寝、2時半。
8時、起床。
今日は、秩父に行ってお墓参りをし、帰路、夕方、池袋でおゆうちゃんに会うつもりだったが、足の具合がかなり悪い。とくに左足。
「お前も年なんだから無理をお墓参りをいうし亡父の声が聞こえたことにして断念。
もう2時間ほど眠る。
10時半、再起床。
朝食は、アマンドショコラとコーヒー。
お風呂を沸かし直し入り、足のマッサージ。
なんとか歩けるかなというところまで回復。
昼食は、納豆ご飯。
16時半、家を出る。
東急東横線・東京メトロ副都心線で池袋へ。
18時、フクロウ広場で、おゆうちゃんと待ち合わせ。
久しぶりのデート。
目当ての店が閉まっていて、仕方なく適当に開いていた魚食系居酒屋に入る。
18時15分頃、先客はおじさんの2人連れが1組だけで閑散。
「やっぱり空いているね」
ぶり大根
ホッケ焼き。
好物の骨身をはがす。うれしそう。
あん肝。
18時55分、「もうすぐ酒類提供禁止の19時だから」と、追加注文。
19時20分、お店のお姐さんが一升瓶からお客のコップに注いでいるのを目撃。
「あれ?」
19時30分~、営業制限時間まで30分を切っているのに、どんどんお客が入ってくる。
気づくと満席状態。
20時、「満席なので(ボックス席から)カウンターに移っていただけますか?」とお姐さんに言われたのを潮にお会計。
20時5分、退店。
でも、階段を下りる私たちとすれ違いにお客が上がってくる。
外に出てみると、お店の看板も入口の灯りも消えていて、真っ暗。
「わ~ぁ、町奉行所のお達し破りの闇営業だ~ぁ!」
20時15分、路上でハグ。
21時半、帰宅。
就寝、2時半。
12月上旬の水準 [世相(新型コロナ肺炎関連)]
それって、「テクスチュアル・ハラスメント」ではないですか? [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]
2月8日(月)
女性が著者名の先駆的な著作を、男性が「これほどの作品を女性が書けるはずがない。偽作だ。男性が書いたものに違いない」と、決定的な根拠もなく決めつけることは、重大な「ジェンダーによる差別」であり、「テクスチュアル・ハラスメント」であることを、私は友人の小谷真理さんの裁判で学んだ。
しかし、その類の言説はいまだに横行している。
1940~50年代の「娼婦の自伝小説」にも同種の言説がしばしば見られる。
たとえば、各務千代『悲しき抵抗ー闇の女の手記ー』(1947年)や津田加寿子『男たちとの夜ー赤線女給十年の手記ー』(1957年)など。
「女に書けるはずがない、まして娼婦に書けるはずがない」という言説は、女性とセックスワーカーへの二重の差別だ。
たとえ、リライターが介在したとしても、元になる「語り」は存在したはずで、私はその部分を汲み取って、歴史資料として評価したい。
女性が著者名の先駆的な著作を、男性が「これほどの作品を女性が書けるはずがない。偽作だ。男性が書いたものに違いない」と、決定的な根拠もなく決めつけることは、重大な「ジェンダーによる差別」であり、「テクスチュアル・ハラスメント」であることを、私は友人の小谷真理さんの裁判で学んだ。
しかし、その類の言説はいまだに横行している。
1940~50年代の「娼婦の自伝小説」にも同種の言説がしばしば見られる。
たとえば、各務千代『悲しき抵抗ー闇の女の手記ー』(1947年)や津田加寿子『男たちとの夜ー赤線女給十年の手記ー』(1957年)など。
「女に書けるはずがない、まして娼婦に書けるはずがない」という言説は、女性とセックスワーカーへの二重の差別だ。
たとえ、リライターが介在したとしても、元になる「語り」は存在したはずで、私はその部分を汲み取って、歴史資料として評価したい。