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山田風太郎の戦中・戦後「日記」シリーズを読む [お仕事(父に聞いた戦後)]

2月27日(土)

この2週間ほど、資料として読んでいた、小説家・山田風太郎(1922~2001年)の戦中・戦後「日記」シリーズをやっと読み終える。
『戦中派不戦日記』(1945年)
『戦中派焼け跡日記』(1946年)
『戦中派闇市日記』(1947~48年)
『戦中派動乱日記』(1949~50年)
『戦中派復興日記』(1951~52年)
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山田風太郎は、私の亡父の東京医学専門学校(現:東京医科大学)の同級生(1944年入学)で、その日記にはときどき父の名前が出てくる。

まったく「日記」や記録を残さなかった父の足跡を補う資料として読み始めたのだが、それは別として、戦中~戦後混乱期の世相をリアルに記録した貴重な資料であることを改めて痛感した(『不戦日記』は大学生の頃に読んでいたので再読)。

風太郎氏、医科大学に学びながら、途中で新進の探偵小説作家となり、医者にはならなかった(インターンはしたが医師国家試験は受験せず)という変わった経歴で、性格的にも相当に偏屈な(女性蔑視もひどい)人物ではあるが、事物を観察し文字にして記録するという点では、さすがにすぐれた才があり、面白かった。

貧乏な医学生時代、同級生たちとまったく女っ気がないホモソーシャルな生活を送っていたのに、小説が売れ始め金回りが良くなるにつれて、女性が寄ってくるようになり、「赤線」にも出入りするようになる。

その極端な(現金な)変化が面白い。

「赤線」についての記述は、大学から程近い「新宿二丁目」だけでなく、小岩(江戸川区)の「東京パレス」の探訪記もある。
これらは、「赤線」研究の資料になる。
ともかく付箋がいっぱいで、これから整理するのが大変。

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