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9月10日(火)沖縄出張2日目(南定四郎さんのインタビュー調査①) [お仕事(調査)]

9月10日(火)  晴れ  那覇  32.2度  湿度67%(15時)

7時、起床。
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↑ ホテルの部屋からの眺め。国際通りの向こう側のビル群。
9時、朝食。
1階の「野の葡萄」というレストランで沖縄料理のバイキング。
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沖縄そばにゴーヤの天婦羅。
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デザート。
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10時、ホテルを出て、牧志駅からゆいレールで県庁前駅へ。
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少し歩いて、那覇バスターミナルへ。
えっ?こんな立派な建物だったっけ?
以前来たときは露天の大きなバス乗り場だった記憶が・・・。
あとで調べたら、現在の商業施設と一体になったターミナルは2018年10月に完成とのこと。

10時半、石田仁さんと待ち合わせて、中部方面行のバスに乗る。
沖縄は3度目だが、那覇より北に行くのは初めて。
途中、普天間基地の前を通過。
米軍基地の存在が、沖縄の交通体系の大きな障害になっていることを実感。

昼食時なのだが、1時間10分ほど乗車して下車したバス停の周囲に食べ物屋がまったくなく、やむを得ず、ファミリーマートでお握りを買って立ち食い。
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タクシーを拾って15分ほど走り、今回、インタビュー調査をお願いした、ゲイ雑誌『アドン』の元編集長で、ゲイ・アクティビストの南定四郎さんのお宅へ。

南さん、12月のお誕生日で米寿(88歳)を迎えるとは到底思えない矍鑠たるご様子に驚く。
お座敷で、13時から16時まで、3時間ほどお話をうかがう。
1日目は、少年時代から東京に出てきて、様々な職を転々とした後、ゲイ雑誌「アドニスボーイ」「アドン」の編集に関わるようになるまで。
石田さんがほぼ時系列的に質問し、私は南さんが、今までお話になられたり、書かれたりしたものを資料として読み込んできたので、その中から不明な点や、より詳細にうかがいたいことを質問。

詳細はここでは書かないが、いろいろなことがわかって、大きな収穫。
特に、資料が少ない新宿歌舞伎町(旧「青線」柳街)にあったゲイバー「アドニス」についての語りは貴重。

それにしても南さんの記憶力の明晰さ、すばらしい。
こちらの質問に対して、ほとんど淀みなく、明快にお答えくださる。

16時半、辞去。
タクシーで、往きに降りた1つ那覇よりのバス停まで行ってもらう。
ここなら、昼食の場所がありそうだ。

バスに乗り那覇に戻る。
(続く)


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栄町社交街を歩く [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月9日(月)

「国際通り」が尽きるあたり、ゆいレールの牧志駅近くのホテルから、歩いて5分ほどで、隣の安里駅に着く。
このあたりは、もともと那覇市の市域ではなく、北東郊外の「真和志」村だった。
そこに沖縄県立第一高等女学校があった。
有名な「姫百合学徒隊」を出した女学校だ。
学校は、沖縄戦で壊滅・廃校となる。

戦後、その跡地が再開発され、1950年2月道路で方形に区画された新しい街「栄町」が生まれた。

栄町は、当初、料亭街として栄え、1951年には「三業組合」も組織された。
戦前の辻遊廓に代わって、沖縄随一の歓楽街となった。

ところが、1951年、戦後、米軍に接収されていた辻遊廓の跡地が解放され、徐々に歓楽街の再興が進むと、料亭の流出が始まる。
その結果、1960年代には100軒近い旅館が連なる旅館街になり、その多くが売春営業に関わる性風俗街になった。
沖縄は米軍施政下なので、本土の「赤線」(黙認買売春地区)とは法制度的に異なるが、「赤線地帯」とよく似た状態だったと思われる。

1970年の沖縄の「本土返還」にともない、沖縄県にも「売春防止法」が適用され、栄町は飲食店を中心とする「栄町社交街」になった。

という来歴を持つ街を少し歩いてみた。

看板。中央の小さなロータリーから下が「社交街」。
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「栄町社交街」のアーケード。
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ピンク色の大型建物。
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少なくとも3軒の飲食店が入っている。
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裏路地。生活道路として利用されたと思われる。
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古い建物はあまり残っていない。
わずかに、向かい合って建つこの2軒。
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間口に複数の出入り口が並ぶ形式は、本土の「赤線」建築と似ている。

1951年に開設された「栄町市場」へ。
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「むじ汁」ってなんだろう?
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第一高女の同窓会館がある。
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それにしても、旧制の中学校・女学校は、たいてい新制の高校(しかも名門校として)継承されている。
沖縄第一高女は継承校がない(「白梅学徒隊」を出した第二高女も同様)。
なんとも哀しい。
(沖縄第一中学は、県立首里高校が継承校)

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9月9日(月)沖縄出張1日目(台風の余波の中、沖縄へ) [お仕事(調査)]

9月9日(月)  曇り  東京 36.2度  湿度59%(15時)

6時、起床。
朝食は、アップルデニッシュとコーヒー。
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台風15号の暴風雨で首都圏の鉄道、ほとんど運休状態。
羽田発の飛行機も欠航続出。
しかし、私が乗る予定のJAL909便(羽田空港10時50分発)は欠航になっていない。
で、身支度して、8時20分、家を出る。
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↑ 駅までの道、銀杏の葉がたくさん吹きちぎられ、草が倒れているが、大きな被害はない模様。

武蔵小杉駅まで歩いたが、JR南武線は動いていない。
8時半過ぎ、東急全線が運転を開始したが、肝心の京浜急行は羽田空港線の復旧が遅れている。
結局、武蔵小杉駅東口9時10分発の羽田空港行きバスに乗車。
補助椅子まで全部埋まる超満員。
道路も混んでいる。
蒲田まではなんとか進んだが、糀谷あたりから大渋滞となる。
歩道を行くハイヒールの女性の方が早い。
これでは、間に合わないと諦める。
やっと大鳥居駅の近くまで来たとき、車内から「運転手さん、降ろしてください」という声が上がり、運転手が本部に連絡して「緊急措置」ということで下車許可。
3分の2ほどの乗客が降り、私もこのままでは空港到着がいつになるかわからないので、降りる。
大鳥居駅から、動き出した京急羽田空港線に乗る。
11時15分、羽田空港に到着。

ボードを見上げると、JAL909便は1時間の延発で11時50分発になっている。
間に合う!
係員にチケットを見せて、長蛇の列を抜けて、優先レーンを通って搭乗口に。
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やれやれ間に合った、と思ったら、さらに25分遅れて12時15分発に。

安心したら、お腹が空いた。
搭乗口近くのそば屋へ。
いろいろ具材が届いていないようだ。
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↑ 九条ネギそば

結局、1時間25分の延発で機内へ。
機体は、お馴染みのB767-300。
でも乗れて良かった。

12時50分、離陸。
空弁は、例によって、万世のカツサンド。
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↑ こんなお御籤、付いていたっけ?

14時56分、沖縄・那覇空港に着陸。
久しぶりに、ゆいレール(沖縄都市モノレール)に乗る。
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ところで、ゆいレールの入出場、切符の右側のQRコードを入場機の窓に当てて読み取らせる。
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でも、切符は回収してくれない(箱があってそこに入れる)。
ちょっと、戸惑ったが、領収書代わりにもらうことにした。

牧志駅で下車。
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16時30分、駅に直結した「ダイワロイネットホテル沖縄国際通り」にチェックイン。
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すぐに外出。
1つ隣の駅(徒歩5分ほど)の「栄町社交街」をフィールドワーク(詳細別記)。

「国際通り」を歩く。
もう夕方だが、さすがに南国の日差しは強く、少しバテて来たので、クールダウンと塩分補給。
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↑ 「塩屋」の雪塩ソフトクリーム。
中国人観光客がいっぱい。

「平和通り商店街」
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外国人観光客がとても多い。
7割くらいは中国人。
大きなドラァグストア(「ダイコク」とか)がやたらとあり、中国人がいろいろ買っている。

ショーウインドーと店舗が別の所にある「花笠食堂」は健在。でも今回は行けなかった。
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「むつみ橋通り商店街」
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牧志の公設市場は、改修のため少し離れた所に移転し、仮設店舗に。
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県庁前駅まで歩き、「楽園百貨店」2階の「楽園カフェ」で休憩と時間調整。
ここ、最初に沖縄に来た時(2014年)からのお気に入り。
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ここで、1時間ほど待機して、19時半くらいに石田仁さんと会い、夕食を食べながら明日からの調査の打ち合わせをするはずだったが・・・。
石田さんが乗る飛行機が、台風の影響で大きく延発で、沖縄到着が2時間遅れに。

このまま、ただ待っているだけだと、夕食を食べそこなう状況になる。
20時20分、「楽園百貨店」のレストラン街へ。
オーダーストップ直前に沖縄料理の「みの家」へ。
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↑ ソーキ煮つけ定食(820円)
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21時30分、ようやく石田さんがホテルに到着、「お疲れ様」。
さっそくロビーで打ち合わせ。
コンビニに走って資料のコピー。
40分ほどで、明日の調査の段取りをつける。

疲労困憊で、タクシーでホテルへ。
22時半、部屋に戻る。

やれやれ大変な一日だった。
パソコンを開いて、メールチェック。
そうしたら、調査プロジェクトの代表からメッセージが・・・。
ブチ切れ。
調査プロジェクトからの離脱を連絡。
(詳細)
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2019-09-13-1
そもそもの話、あの台風15号直後の混乱で、かなりストレスフルな状態をなんとか乗り越えて沖縄入りし、翌日の調査の円滑な実行のために夜遅くまで打ち合せをしていた共同研究者に「お疲れさまでした。明日はよろしくお願いします」の一言も言えない代表者って「いったいなんなのよ」ってこと。
これが「愛想が尽きた」いちばんのポイント。

これで、やっと寝られるかというとそうではなく、コピーした資料を読む。

就寝、2時半。


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