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栄町社交街を歩く [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月9日(月)

「国際通り」が尽きるあたり、ゆいレールの牧志駅近くのホテルから、歩いて5分ほどで、隣の安里駅に着く。
このあたりは、もともと那覇市の市域ではなく、北東郊外の「真和志」村だった。
そこに沖縄県立第一高等女学校があった。
有名な「姫百合学徒隊」を出した女学校だ。
学校は、沖縄戦で壊滅・廃校となる。

戦後、その跡地が再開発され、1950年2月道路で方形に区画された新しい街「栄町」が生まれた。

栄町は、当初、料亭街として栄え、1951年には「三業組合」も組織された。
戦前の辻遊廓に代わって、沖縄随一の歓楽街となった。

ところが、1951年、戦後、米軍に接収されていた辻遊廓の跡地が解放され、徐々に歓楽街の再興が進むと、料亭の流出が始まる。
その結果、1960年代には100軒近い旅館が連なる旅館街になり、その多くが売春営業に関わる性風俗街になった。
沖縄は米軍施政下なので、本土の「赤線」(黙認買売春地区)とは法制度的に異なるが、「赤線地帯」とよく似た状態だったと思われる。

1970年の沖縄の「本土返還」にともない、沖縄県にも「売春防止法」が適用され、栄町は飲食店を中心とする「栄町社交街」になった。

という来歴を持つ街を少し歩いてみた。

看板。中央の小さなロータリーから下が「社交街」。
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「栄町社交街」のアーケード。
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ピンク色の大型建物。
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少なくとも3軒の飲食店が入っている。
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裏路地。生活道路として利用されたと思われる。
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古い建物はあまり残っていない。
わずかに、向かい合って建つこの2軒。
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間口に複数の出入り口が並ぶ形式は、本土の「赤線」建築と似ている。

1951年に開設された「栄町市場」へ。
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「むじ汁」ってなんだろう?
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第一高女の同窓会館がある。
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それにしても、旧制の中学校・女学校は、たいてい新制の高校(しかも名門校として)継承されている。
沖縄第一高女は継承校がない(「白梅学徒隊」を出した第二高女も同様)。
なんとも哀しい。
(沖縄第一中学は、県立首里高校が継承校)

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