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「性同一性障害特例法」第3条1項4号についての最高裁判所決定(2023年10月25日)の概要 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2月19日(月)

「性同一性障害特例法」第3条1項4号についての最高裁判所決定(2023年10月25日)の概要

【前提】
「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由が、人格的生存に関わる重要な権利として、憲法13条によって保障されていることは明らかである」

【違憲判断のポイント】
「治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るもの」

【違憲判断の理由】
「性同一性障害特例法」第3条1項4号が、上記のような「二者択一」的構造になっている点が、憲法13条に違反すると判断。

【広島高裁・差し戻し審のポイント】
① 「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由が、人格的生存に関わる重要な権利」と認定。
② 性同一性障害者にとって「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける」ことが「重要な法的利益」と認定。

【①についての私見】
4号要件についての手術(睾丸摘出手術)と5号要件についての手術(外性器女性化手術)を比較した場合、ペニスの解体、尿道口の付け替え、外陰部の女性化形成をともなう後者の方が「侵襲」が大きいと、一般的には考えられる。
つまり、広島高裁が①を否定するのは困難。

【②についての私見】
性同一性障害者にとって「重要な法的利益」である「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける」ことと、それを認めたことによって生じる公共的な不利益との比較。
どちらを重くみるか?

後者を重くみて、男性→女性の場合のみ、5号要件を維持した場合、5号要件が空文化している女性→男性の場合との「重要な法的利益」のアンバランスをどう考えるか?
「男女平等」という法制上の大原則に反しないか?




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experienced gender [現代の性(性別越境・性別移行)]

2月19日(月)

「性自認」に過剰にこだわる「活動家」も、そのアンチの人たちも、はっきり言って時代遅れだと思う。

ICD-11のgender incongruenceも、DSM-5-TRのgender dysphoriaも、すでにgender identityを使っていない。
assigned sexと対比されるのはexperienced gender。

gender identityを使わなくなったのは、やはり定義として不安定さがあるからだと思う。

experienced genderは、経験されてきたジェンダー、補えば、社会生活の中で経験されてきたジェンダー。
知識は、リニューアルしていかなければならない。



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「性自認」を法制度に組み込むのは難しい [現代の性(性別越境・性別移行)]

2月19日(月)

私が「性自認」は基本的に「自称」と言っているのは、性同一性障害の精神的医療の第一人者・針間克己先生の受け売り。

当事者が自称(自訴)してきた「性自認」の継時性・安定性を診察するのが、性同一性障害診断の第一歩。

そもそもアイデンティティなのだから「自称」なのは当然ではないか。

性同一性障害の診断を受けた人は、自訴してきた「性自認」の継時性と安定性が精神科医の診察によって確認されたことになる。
だから、性同一性障害の診断が下りる。

逆に、診察を受けていない人の「性自認」は、継時性と安定性の確認がなされていなく、自訴・自称のまま。

そうした継時性・安定性が確認されていない「性自認」を、そのまま法制度に組み入れるのは、かなり危ういし、社会の安定性という観点からも、すべきではないと思う。

その点、「活動家」の主張と私の考えは、はっきり異なる。1189

法制度に組み込むなら、最低限、精神科医によって継時性と安定性が確認された「性自認」にすべき。
私はそれより、生活の実態(社会の中で経験してきたジェンダー)を重視すべきだと考えている。
まあ、その証明もなかなか難しいのだが。
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姫さまたち [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

青年貴族たちの「打毬」を見物してはしゃぐ姫さまたち。
姫君たち.jpg
まひろ(左端)の膝もとに古麻呂(猫)がいる。
その右が清少納言。
右端に赤染衛門。
中央はもちろん倫子さま。

史実としては、当時の高貴な阿女性が、こんなに顔丸出しにすることはあり得ないが(必ず前に几帳を置く)、そこはテレビドラマの演出。


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藤原実資の妻 [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

藤原実資の妻・桐子(演:中島亜梨沙)が登場。
藤原実資.jpg藤原実資の妻.jpg
参議昇進を花山天皇の叔父・藤原義懐に先を超され、愚痴る藤原実資に、
「あなた、それ私に言わないで日記に書きなさいよ」
と言う。
「日記には書かぬ!」
と応える実資。
(でも書いている。『小右記』寛和元年9月14日条)

10世紀後半~11世紀前半の貴重な記録・小野宮右大臣藤原実資の『小右記』のネタを巧みに入れている。

史実として、実資の最初の妻は、文徳源氏・参議従三位源惟正の娘だが、寛和2年(986)に亡くなっている。

次に、村上天皇の皇子・為平親王の娘で花山天皇の女御だった婉子女王と、天皇の退位・出家(985)後に結婚している。


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古麻呂、失踪 [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

左大臣家の姫君・倫子さまの愛猫・古麻呂。
古麻呂.jpg
「打毬」見物に連れて行ってもらい、この立派な縁付きの畳をガリガリする。

終盤、雨の中、逃げ出してしましまうい、「まひろ」が追いかけるが、行方不明。
大勢のファンが心配している。

古麻呂を探しに行った「まひろ」が青年貴族たち(藤原公任・斉信)のあけすけな女性観・結婚観を立ち聞きして、失望してしまう。
猫が舞台回し役になるのは、『源氏物語』柏木の、雨が降る中、青年貴族たちの語り合いは同じく帚木(ははきぎ)の「雨の世の品定め」に通じている。


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「打毬(だきゅう)」のシーン [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

「打毬(だきゅう)」のシーン、青年貴族たち、かっこいい。
打毬.jpg
打毬は、馬上からスティックでボールを打つ、現代のポロの原型。
かなり難易度が高いと思う。

よく、実写で撮ったと思う。
前年の戦国もの大河ドラマの騎馬シーンが、合成が多かったのとは、制作者の姿勢かなり違う。

ただし、時代考証としては、平安中期の青年貴族が「打毬」をやったかは、かなり疑問。
もっと下の身分の者(近衛府の武官)がやって、貴族たちはそれを観ていたと思う。
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