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國學院大學博物館「浮世絵ガールズ・コレクション―江戸の美少女・明治のおきゃん―」 [お勉強(博物館・美術館)]

日(土)
お墓参りを終えて、すぐ近くの「國學院大學博物館」へ。

大学は夏休みのはずなのに、やけに人が多いと思ったら、オープンキャンパスだった。
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企画展「浮世絵ガールズ・コレクション―江戸の美少女・明治のおきゃん―」を観る。
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新収蔵品による企画展で、幕末の歌川国芳、明治初期の豊原国周、月岡芳年、楊州周延などの美人画を中心とした展示。
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↑ 月岡芳年「東京自慢十二ヶ月」(1880年)
楊州周延「幻燈写心競・洋行」(1890年) - コピー.jpg
↑ 楊州周延「幻燈写心競 洋行」(1890年)

とくに明治期の浮世絵美人画は、あまり観る機会がないので貴重。
なにより、これだけの展示で、入場無料というのは、すごい。
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↑ 図録(1000円)もちゃんとある。

それにしても國學院大學の博物館の収蔵品といえば、考古資料と神道資料しかなく、浮世絵なんていう軟派なものにはまったく縁がなかった。

いったいどうしたのだ?と思って調べたら、藤澤紫教授(美術史)という浮世絵の専門家が2014年度に着任されていた。
なるほど・・・。
今時、お堅いだけでは、いくら「国史・国文・国法の名門」でも学生が集まらない(とくに女子)から、良いことである。

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石川武志写真展「NAKED CITY VARANASI」 [お勉強(博物館・美術館)]

2月27日(火)
(続き)
右足の痛みに耐えながら、新宿通りを四谷方面へ歩く。
途中、何カ所か撮影。
目的地、足が普通の状態なら、なんでもない距離なのだが、今日はかなり疲弊。

16時45分、新宿1丁目(ほとんど四谷大木戸)のギャラリーに到着。
石川武志さんの写真展「NAKED CITY VARANASI」を見せていただく。
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遺体を焼く煙がただよってきそうな強烈な写真が並ぶ。
すごいリアリティに息を飲む。

久しぶりに石川さんとお話しできて、うれしかった。
(続く)
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雪舟「倣夏珪山水図」の再発見 [お勉強(博物館・美術館)]

9月20日(水)

80余年間も行方不明だった雪舟の「倣夏珪山水図(ほう かけい さんすいず)」が再発見された。

この数年は、半分、仕事がらみもあって、浮世絵に関心がいってるが、若い頃から水墨画が好き。

基本、人付き合いが苦手な孤独好き(でも寂しがり屋)なので、人が少ない雪舟の山水画はとくに好き。

でも、この数年、歌麿の肉筆浮世絵「深川の雪」や、北斎の肉筆風景画「隅田川両岸景色図巻」など「発見」「再発見」が続くのは、どういう理由なのだろう。
失われた(と思われていた)作品が世に現れるのは基本的に良いことだし、研究者の方々の尽力もあるのだろうが、ちょっと気になる。
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雪舟作、80余年行方不明だった「倣夏珪山水図」を発見
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雪舟筆「倣夏珪山水図」 室町時代 個人蔵

室町時代の水墨画家、雪舟(1420~1506年?)が描き、80年余り所在不明になっていた作品「倣夏珪(ほうかけい)山水図」が見つかったと、山口県立美術館が19日、東京都内で発表した。明治学院大の山下裕二教授は「雪舟の代表作への道筋を示した重要な作品」と話している。

見つかったのは、軸装された約30センチ四方の団扇(うちわ)形の水墨画。藍や緑で彩色を施し、手前にゴツゴツとした大きな岩、遠くには山が描かれている。雪舟が中国の名画家に倣って描いた「団扇形倣古図(ほうこず)」シリーズの1点。南宋時代の山水画家、夏珪のスタイルを取り込んでおり、夏珪と雪舟のサインがある。

同館によると、この作品は昭和8年、西日本鉄道の前身、九州電気軌道が売り立て(競売)に出した際の目録に掲載された後、行方が分からなくなっていた。今年2月、東京の企画会社から同館に情報が伝わり、山下教授らが真筆と確認した。雪舟の代表作として知られる国宝「四季山水図(山水長巻)」より前に描かれたとみられている。

同シリーズは12点の存在が判明しているが、現在確認されているのは6点。いずれも重要文化財に指定されている。今回見つかった作品は10月31日から同館で公開される。

「産経ニュース」2017.9.19 20:38
http://www.sankei.com/life/news/170919/lif1709190053-n1.html

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1月4日(水)甲賀・櫟野寺(らくやじ)の「出開帳」 [お勉強(博物館・美術館)]

1月4日(水)  晴れ  東京  14.0度  湿度45%(15時)

午後、家猫さんと電車に乗って上野へ。
それにしても温かなお正月だなぁ。

東京国立博物館で開催されている甲賀・櫟野寺(らくやじ)の「出開帳」(特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」)を拝観。
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↑ 久しぶりの「東博」

像高3mの十一面観世音菩薩と薬師如来を拝んで、初詣の代わりにする。
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↑ 櫟野寺 十一面観世音菩薩坐像(10世紀、国指定重要文化財)
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↑ 櫟野寺 薬師如来坐像(12世紀、国指定重要文化財)

他にもたくさんの平安仏が展示されていた。
これほどたくさんの平安仏が残っているお寺は多くない。
櫟野寺(滋賀県甲賀町)は、今まで行く機会もなかったし、東海道筋からも外れているので、今後も訪れるのは難しそう。
「出開帳」の機会に、拝めてよかった。
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16時15分、東京国立博物館を退館。

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↑ 上野公園・噴水広場の夕景。
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↑ 日没。

「山下」の「タリーズ・コーヒー」で休憩して、外に出たら、月が輝き、もう暗くなっていた。
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「暗くにゃったから、お家へかえるにゃん」と言う家猫さんを放して、新宿に向かう。

(続く)

「シーボルト・コレクション」に葛飾北斎の西洋技法画6点 [お勉強(博物館・美術館)]

10月22日(土)

オランダの「ライデン国立民族学博物館」に所蔵されていた「シーボルト・コレクション」の中の作者不明の絵画6点(水彩画5点、銅版画1点)が、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)の作品だったことが判明。

遠近法など西洋絵画の技法で描がかれた江戸の風景が実に美しい。

月並みな感想だけど、北斎は天才だということを再認識。

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↑ 水彩画。日本橋。中景に江戸城、遠景に富士山。
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↑ 水彩画。赤羽橋付近の雪景色。遠景は芝の増上寺。霏々として降る雪の描写が見事。
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↑ 水彩画。橋場の渡しと思われる。
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↑ 水彩画。両国橋。遠景の富士山も「富嶽三十六景」より写実的。
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↑ 水彩画。品川附近の夜景。海から上った月がなす影を巧みに描く。
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↑ 銅版画。永代橋と思われる。
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オランダの博物館所蔵  北斎の西洋画だった 作者不明6枚

オランダのライデン国立民族学博物館に所蔵され、作者不明とされてきた絵画6枚の作者が、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(1760〜1849年)だったことが同館の調査で分かった。長崎市で22日にあった「国際シーボルトコレクション会議」で、同館シニア研究員のマティ・フォラー氏が発表した。西洋画の特徴がみられ、フォラー氏は「北斎が西洋の技法をよく理解していたことが分かる。非常に画期的だ」と話している。

絵画は水彩画5枚と石版画1枚で、日本橋や品川など、江戸の街並みが描かれている。江戸後期から幕末にかけて日本に滞在したドイツ人医師、シーボルトが集めた作品の一部。落款やサインはなく作者は不明だったが、シーボルトの子孫が保管していたシーボルト直筆の目録に6枚の絵のことが記録されていることをフォラー氏が確認した。目録には「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述もあった。

日本画では墨で輪郭を取って色付けするが、見つかった水彩画は縁取りせずに描く西洋画の技法が用いられている。また、画面の3分の2を使い、空を大胆に描く構図にも西洋画の特徴がみられる。これまでの北斎の絵画ではみられなかった特徴という。

シーボルトは1823年、江戸時代の鎖国期に長崎オランダ商館の医師として来日。フォラー氏によると、シーボルトが残した記録には、1826年に江戸に上った際「上手な絵師と会った」という記述があり、この際に北斎から絵画を受け取ったとみられる。フォラー氏は「西洋人が描いたと思っていたので、とても驚いた」と話している。【今手麻衣】

『毎日新聞』2016年10月22日 20時37分(最終更新 10月22日 23時06分)http://mainichi.jp/articles/20161023/k00/00m/040/039000c

8月6日(土)東京芸術大学美術館「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-」 [お勉強(博物館・美術館)]

8月6日(土) 晴れ  東京  34.2度  湿度57%(15時)

真夏本番!という暑さの中、出かける。
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上野公園は、この暑さにもかかわらず、けっこうな人出。
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それにしても暑いので、「森」の中を歩くのがうれしい。
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やっと、目的地に到着。
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ということで、上野の東京芸術大学美術館で「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-」を見学。
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↑ 展示ケースに入れない展示方式は、仏像が見やすい。
しかし、展示説明の位置が低すぎるのが難点。

けっして広いとは言えない北近江の山里にこれだけの仏像が残っていることは、まさに驚き。
しかも、その多くが平安時代の古仏。
これだけの量の平安仏を一堂に見られる機会は、そう多くない。
眼福だった。

私は、医王寺の十一面観音さんが好き。
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会場は、会期末ということもあり、思っていたより混んでいた。
例によって高齢者が多い。
お迎えが近いからかな。

16時過ぎ、退館。

公園の噴水で涼もうかと思ったけど、ぜんぜん涼しくない。
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で、上野・山下方面に下る。
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お腹が空いたので、上野駅ホーム下の「蕎麦家・竹若」に入る。
「石臼挽き十割蕎麦」を(720円)注文。
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茄子天(100円)と鶏天(160円)を追加。
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蕎麦は、量はまずまずだけど、「十割」にしては蕎麦の香りがしないし、食感(喉越し)も滑らか過ぎ。
たぶん、私とは「十割」の定義が違うのだろう。
まあ、このお値段だから、文句は言うまい。

東京メトロ銀座線で渋谷へ。
(続く)

6月8日(水)新宿歴史博物館(写真展)「戦後昭和の新宿風景」 [お勉強(博物館・美術館)]

6月8日(水)  曇りときどき晴れ  東京  27.3度  湿度63%(15時)

8時、起床。
昨日の疲労が取れず、体調は良くない。
朝食は、「神戸屋」のダークチェリーパイとコーヒー。
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シャワーを浴びて、髪と身体を洗い、ブローしてあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
濃紺の地に白の不思議な模様のチュニック(6分袖)、裾にラインストーンが入った黒のレギンズ(6分)、黒網のストッキング、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ。
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10時前、家を出る。
午前中、自由が丘で「春日権現験記絵」の講義。
12時、終了。

昼食は、自由が丘のインド料理「タージマハール(TajMahal)」のBランチ(1058円)。
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カレーは、日替わりのエッグとマトン(右)。
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東急東横線から東京メトロ副都心線に入り、新宿三丁目駅で都営地下鉄新宿線に乗換えて、曙橋駅で下車。
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↑ 曙橋。

「津の守(つのかみ)坂」を上る。
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左に折れて「新宿歴史博物館」へ。
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開催中の写真展「戦後昭和の新宿風景」を見る。
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なかなか見ごたえがある写真展だったが、毎度のことながら、1940年代後半の「闇市」の写真と1950年代の新宿「赤線」の写真がない。
「闇市」については、写真どころでない社会状況で、写真が乏しい時代なのはわかる。
でも、まったくないということはないだろう。
「赤線」については、写真がないはずはなく、明らかに展示を避けていると思う。

ただ、今回の展示には、「赤線」廃止5年後、1963年頃の二丁目旧「赤線」地区の写真が2点出ていた。
「赤線」のカフェー(実態的には娼館)が旅館に転業した様子や、「赤線」建築が廃墟化していく様子がうかがえて、「線後」の新宿二丁目の変転という点で興味深かった。

私の目的は「千鳥街」(新宿通りと新宿御苑の間にあった小さな飲屋街)の写真だったが、それも含めて、図録がないのが、とても残念。
(「千鳥街」の写真は、新宿歴史博物館のデータベースにある)

久しぶりなので、常設展も見学。
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↑ 中庭で。

自宅最寄り駅に戻り、駅前の「ドトール」で休憩。
16時半、帰宅。

ブログに文章をまとめる。
30分ほど眠る。
夕食は、豚肉の冷シャブ。
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生野菜も。
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食後、『精神科治療学』(星和書店)31巻8号「(特集)LGBTを正しく理解する-精神科臨床において適切に対応するためにー」掲載予定の論考「性別越境・同性間性愛文化の普遍性」(7900字)を推敲して、要旨(400字)を書き添えて編集部に送信。
やれやれ。

お風呂に入って温まる。
「日記」を書く。
「千鳥街」の写真について調べてメモを書く。

就寝、4時。


6月5日(日)大阪・国立国際美術館「森村泰昌:自画像の美術史-『私』と『わたし』が出会うとき」展 [お勉強(博物館・美術館)]

6月5日(日) 雨のち曇り  大阪  23.4度  湿度61%(15時)

8時半、起床(「新大阪ワシントンホテルプラザ」)。
朝食は、コンビニのサンドイッチとコーヒー。
10時、チェックアウト。
新大阪駅のコインロッカーに荷物を預け、JR線で大阪環状線の福島駅へ。
初めて降りる駅。
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↑ 高架線のすぐ脇を地上線が走っていて踏切があるのが不思議。

雨がほとんど止んだので、南に歩いて堂島川を目指す。
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堂島橋を渡ったところで左(東)に行くべきところを、間違えて右(西)に行ってしまい、時間をロス。

11時半、大阪・中之島の「国立国際美術館」に到着。
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開催中の「森村泰昌:自画像の美術史-『私』と『わたし』が出会うとき」展を見る。
西洋美術史の登場人物に扮した写真を中心に、50点の新作や未発表作、過去の代表作を含む全130点の大規模な個展。
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↑ 森村泰昌「ゴッホ/青」(2016年)
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↑ 森村泰昌「カラヴァッジョ/マタイとは何者か」(2016年)

森村さんとは、1996年「横浜美術館」で開催された個展「美に至る病ー女優としての私」でお目にかかったのが最初だった。
その後、1998年2月に東京新宿の「紀伊国屋ホール」で開催された「第96回紀伊国屋セミナー:性を越境する-異装がもたらすゆらぎ-」では、講師としてご一緒した。
私はその昔「Fake Lady」と名乗っていたように、フェイク性(贋作のもつ魅力・意味)を評価する考えなので、森村さんの作品は大好き。
今回、会期中に京都出張があったので、久しぶりに森村作品を見せていただくのを楽しみにしていた。
(森村作品をまとまって鑑賞するのは、東京都写真美術館で2010年に開催された「なにものかへのレクイエム」以来6年ぶり)
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↑ 「証言台に立つルブラン」(2016年)の森村さんと私

そんなご縁なので、たくさんの作品の中も、どうしても、森村さんが女装している作品に目が行ってしまう。
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↑ 森村泰昌「放蕩息子に扮するポートレート1636」(1994年)
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↑ 森村泰昌「ロス・ヌエボ・カプリチョス(三人三様)」(2005~2016年)
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↑ 森村泰昌「Sayoko1:百年の孤独、千年の愉楽」(2016年)
どちらがオリジナルだか、わからなくなる出来栄え。
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↑ 山口小夜子(「資生堂・京紅」のポスター:1978年)
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↑ 森村泰昌「なにものかへのレクイエム(創造の劇場/マルセル・デュシャンとしての私)」(2010年)

「私の中のフリーダ」シリーズ(2001~2009年)は、初めて見た大作で圧巻。
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メキシコの女性画家フリーダ・カーロ(1907~1954年)の自画像の上に、大阪の生まれ・育ちの森村さんの笑いのセンスが加味された作品。
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ただ、フェミニズム美術の世界では、カリスマ的な存在なので、ここまでパロディにしてしまって大丈夫?とちょっと心配になった。

いちばん「すごいなぁ!」と思ったのは「侍女たちは夜に甦る:ベラスケスの棺に跪く」シリーズ(2013年)。
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森村さんの「妄想」を重層的・多角的に視覚化した作品とでも言うべきか? 
ちょっと言葉では説明できないが、ともかく「すごい! こんなこと考える人もできちゃう人も(森村さん以外に)いない!」と思った。

途中で、2月にタイ旅行にご一緒した石田仁さん(社会学)と谷口洋幸さん(ジェンダー法学)と出会い、付かず離れず、おしゃべりしながら見たので、余計に楽しかった。

最後に映像作品「自画像のシンポシオン」を見る。
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↑ 森村泰昌「自画像のシンポシオン」(2016年)
司会の森村泰昌を入れて13人の人物が「自画像」について語る構成(実際は森村さんが1人13役をしている)。
有名なレオナルド・ダ・ビンチの肖像が、実はダビンチ家の近くを徘徊する路上生活のお爺さんの顔だったり(本物のダビンチ先生はどうも女装者らしい)、
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フリーダ・カーロが女性、身体障害、民族という三重のマイノリティ性を巧みに演出・利用する計算高い女だったり、青のゴッホが渋谷の路上で絶叫していたり、森村さんの解釈が面白いのだが・・・長い(60分以上)。

実は、14時からの森村さんの講演までの空き時間に、昼食を食べようと思っていたのだが・・・。
ぎりぎりになってしまった。

で、14時から「新・美術寺子屋/自画像の話(第8回)ニッポンの自画像~時は代が青春であったとき」を聴講。
11時半の時点で、整理券番号123番だった。
きっと、熱心なファンの方が多いのだろう。
会場は満席。

森村さんの青春時代の話から、日本近代の夭逝した画家の自画像、そしてそれを、今回、展示されている「青春の自画像」シリーズに作品化していく話。
とりわけ、松本竣介(1912~1948年)について、その代表作「立てる像」(1942年)の作品化について。
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↑ 松本竣介「立てる像」(1942年)
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森村泰昌「わたしはどこに立っている」(2016年)

普通、こういう講演は長くても1時間半前後だが、森村さんは違う。
なんと休憩なしで連続3時間。
久しぶりに、ゆっくりお話をうかがえて、よかったのだが(お腹が空いた・・・)。

しかも森村さん、ずっと立ちっぱなし。
私はもう3時間、立ちっぱなしの講演は体調的に無理。
森村さん、私より4才年長のはずだが、すばらしくお元気な様子で何より。

17時、閉館と同時に退館。
結局、お昼ご飯抜き(泣)
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↑ 夕暮れが近い堂島川。

予定よりも遅くなってしまったで、新大阪駅に急ぐ。
17時56分発の「のぞみ180号」に乗車。
とてもお腹が空いていたので、早速、お弁当を食べる。
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↑「なにわ満載」弁当(1030円)

やっと、人心地。

20時11分、新横浜駅着。
21時過ぎ、帰宅。






3月25日(金)勝川春章の展覧会をはしご [お勉強(博物館・美術館)]

3月25日(金)  晴れ  東京  14.4度  湿度25%(15時)

京都から早めに東京に戻り、会期末が迫った展覧会をはしご。

まず、出光美術館(日比谷)の「生誕290年記念 勝川春章と肉筆美人画 ―〈みやび〉の女性像. 」へ。
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↑ 「帝劇ビル」より皇居・二重橋方向を望む。

続いて、太田記念美術館(神宮前)の「生誕290年記念 勝川春章-北斎誕生の系譜」へ。
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前者は、最晩年の大作「美人鑑賞図」を中心に肉筆画メインの豪華な展示。
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後者は、役者絵、相撲絵などの版画を中心とした展示。
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↑ 勝川春章「五代目市川団十郎の股野の五郎景久 初代中村里好の白拍子風折 三代目沢村宗十郎の河津の三郎祐安」

両者合わせて、今まであまり注目されていなかった勝川春章の画業の全体像が把握できる好企画。

さすがに疲れたが、個人的にも収穫(論文や講義で使えそうな作品←春章ではないが)があったので、無理した甲斐があった。

「21_21 DESIGN SIGHT」の企画展「雑貨展」 [お勉強(博物館・美術館)]

3月5日(土)

「21_21 DESIGN SIGHT」(「東京ミッドタウン」のガーデン内)で、企画展「雑貨展」(2016年2月26日~6月5日)をやっていることを、知り合いの先生のFacebookで知った。
http://www.2121designsight.jp/program/zakka/
その昔、「生活文化論」という講座を持っていた者として、ちょっと興味をひかれる。

その知人の先生がこんな写真をアップしていた。
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行商の「荒物屋」の車を再現したもの。

「荒物(あらもの)」なんて、現代の若い人には「死語」だと思うが、要は生活雑貨全般であり、現代的には「ホームセンター」で売っているようなものを扱っていたと思えばよい。
(実際、商店街には必ずあった「荒物屋」は、「ホームセンター」に押されて姿を消した)

こういう販売の形は、今まで絵や古写真などで知っていた。
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でも、実物で見ると、きっと迫力が違うと思うので、見てみたい。
笊(ざる)や籠(かご)や箒(ほうき)はたいした重さではないだろうが、他にどんなものを運んでいたのだろう?
興味は尽きない。

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