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「ゲイ・ボーイ」と「ゲイ・バー」の語源 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月29日(土)

『風俗奇譚』1962年2月号「ホモの窓」(担当:かびや かずひこ)に「“ゲイ・バー”という語の命名者」という短文が載っている。
風俗奇譚196201-02(ホモの窓・ゲイバーの語源).jpg
「ゲイ・ボーイというコトバは戦後日本に進駐してきた米人の中の男色愛好者が、そのホモの相手になった日本の若者たちをそう呼んだことから、一般の通りコトバになった」
1950年代後半、同性愛研究者研究の第一人者とされていた冨田英三の『ゲイ』(1958年)も同様のことを言っている。

つまり、男の子好きの進駐軍兵士が、日本の美少年・美青年をみかけて“Hey! You gay”と声をかけたことに始まる。この場合のgayは「一緒に歩いて遊んでみたい魅力的な」というような意味。そうした誘いに乗って男性同士の関係に応じる青少年をゲイと呼ぶのだと日本人が勘違いしたという説。
そうした説が真実かどうかは今となってはわからないが、1950年代~1960年代前半の「通説」であったのは間違いない。

(参照)三橋順子「ゲイボーイ、シスターボーイ、ブルーボーイ」(井上章一&関西性欲研究会『性の用語集』講談社現代新書、2004年)

続いて「ゲイ・バーという語は、だれがいいはじめたのだろう?」という話になる。
そして記者(かびや かずひこ・鹿火屋一彦)は次のように語る。

「この語(ゲイ・バー)を造り、使いだしたのは七年ほど前(二十九年ごろ)、当時、新宿の酒場“アドニス”でアルバイトにマネージャーをつとめていた大島吉之助君だろう。」
「そのころかれは、ある大学の哲学科に籍をおく白面の美青年だった。作家志望だけに、コトバの音感や活字面の美醜には敏感らしく、それまでそうした場を呼んでいた“男色喫茶店”とか“男色酒場”とかいうコトバを、いやがっているふうにみえた。」
「まもなくかれが記者に送ってきた手記の中に“ゲイ・バー”という語が使われていた。」
「適切なコトバだと思ったので記者などもその語をさかんに借用しだし、今ではすっかり一般化してしまったわけである。」

ということで、「ゲイ・バー」という言葉は、1954年頃、新宿の酒場「アドニス」(区役所通り東側の「柳街」にあった)にいた大島吉之助の造語で、かびやかずひこ らのライターが使うことで広まり、1958年前後には「第一次ゲイバー・ブーム」となる。

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「伊集院忍ホモ相談所」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月29日(土)

この数日ほど、1960年代前半に新宿2丁目にあっやゲイバー「ぼんち」について調べている。

なぜ、調べているかというと、現在の「新宿2丁目・ゲイタウン」のエリアに、最初に出店したゲイ・バーが「ぼんち」である可能性が高いからだ。

「ぼんち」ついては、いずれ研究報告の上、論考にする予定だが、その副産物として「伊集院忍ホモ相談所」を紹介する。

この時期刊行されていた性風俗(変態)総合雑誌『風俗奇譚』(文献資料刊行会)に伊集院忍(いじゅういんしのぶ)が初めて登場するのは1963年1月号で、大田区女塚(おなづか)1-1(現:大田区西蒲田1丁目、JR蒲田駅の北西)に移転したこと(詳細な地図付き)、「お暇のとき・ご上京の節は談話室としてご利用ください」と述べている。
風俗奇譚』196301(伊集院).jpg

以後、1965年3月号まで、大田区女塚の住所で「男子ホモ」の相談を行っている。
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そして、1965年2月号からは「伊集院忍ホモ相談所」を名乗るようになる。
風俗奇譚』196502(伊集院).jpg

さらに、1965年4月号からは、住所が新宿区新宿2丁目48に変わる。
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大田区蒲田から新宿区新宿2丁目に進出する。
48番地は旧「青線」墓場横町で、現在のレズビアン小路のあたり。

これは、現在、確認できる範囲で、「新宿2丁目・ゲイタウン」のエリアに立地したゲイ関係施設として3番目になる。(2番目は1963年9月号に酷国が見える「紳士の社交場 てんてこ」) 

伊集院忍という人は、現在ではまったく忘れ去られているが、1960年代中頃の「ホモ」業界では、それなりに知られた人らしい。
『風俗奇譚』へのデビューは、1963年5月号の「間宮浩さんへの公開状」。
その後、1964年1月号から1965年7月号まで、小説『ソドムの海』を連載する。
また、連載終了前後から、「ホモ」関連の論説をほぼ毎号執筆している(1965年5月号~1966年6月号)。
「あるホモ青年の相談と回答」(1965年5月号)
「上京を希望する青少年への回答」(1965年6月号)
「中性タイプはなぜ悪いか」(1965年8月号)
「プロを見分ける法」(1965年9月号)
「ホモは治療できるか」(1965年10月号)
「ホモと結婚」(1965年11月号)
「続・ホモの結婚」(1965年12月号)
「ホモ相談雑話」(1966年1月号)
「ホモのドウセイ生活」(1966年2月号)
「ホモの人生観」(1966年3月号)
「ホモとめがね」(1966年4月号)
「HOMOよ幸福に」(1966年6月号)

【まとめ】
1965年に男性同性愛関係の施設が新宿2丁目に移転する動きがあったことが重要。
1963年春に開店した「ぼんち」を核に、すでに1950年代からゲイバーが立地していた「千鳥街」(新宿通り南側)に加えて、新宿2丁目・新宿通り北側にも少しずつ男性同性愛者が集まりだしていたことが見えてきた。

そして、1968年の「千鳥街」の解体によって、二丁目(新宿通り北側)エリアに急速にゲイバーが進出する(「千鳥街ビッグバン説」)


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久しぶりの「JAGA」 [日常(料理・食べ物)]

9月28日(金)
(続き)
夕食は、家猫さんとカレー料理の「JAGA」へ。
(息子は旅行で不在)

サービスのスープ。
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ガーリック・ムルグ・カバブ
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カーリックとペサン粉(豆粉)に漬けて焼いたチキン。
おいしいが、いつもは3人で分けるところを2人なので、これだけで結構、お腹が満たされる。
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巨大ナン。
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カレーは、チキン・ハラ(Hara)・マサラ。
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「ハラ」はグリーンチリとピーマンを使ったカレー。
だから緑っぽいのか。

結局、ナンとカレーは、半分ほど持ち帰り。

20時半、帰宅。
やっぱり、久しぶりの大学講義だったので疲れた。

就寝、2時半。

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9月28日(金)後期の授業開始(関東学院大学「セクシュアリティ論」第1講) [お仕事(講義・講演)]

9月28日(金)  晴れ  横浜  25.6度  湿度47%(15時)

9時、起床。
朝食は、アップルパイとコーヒー。
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シャワーを浴びて髪を洗い、ブローしてあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(5分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、ワインレッドのバッグ。
12時、家を出る。
さわやかな良いお天気。

今日から大学の後期の授業開始。
まずは、関東学院大学「セクシュアリティ論」。
例によって、受講生の人数が気になる。
「今年は減りますよ」と毎年、言われているのだが・・・。

東急東横線で横浜へ。
昼食は、京浜急行ホームの「タリーズ・カフェ」。
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↑ セミドライトマトと野菜のペペロンチーノ&アイスコーヒー

京急の下り5分遅れ。
金沢八景駅、工事はあまり進んでいない。
13時46分発の関東学院循環のバスに乗る。
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↑ 金沢八景・平潟湾。
お天気が良いので海がきれい(大学へ行くバスの車窓から)。

13時55分、関東学院大学に到着。
早速、教務課に出向き、「今期もお世話になります」と挨拶し、「セクシュアリティ論の履修登録は何名ですか?」と問う。
「125名です」という返事。
それを真に受けるほど素直な私ではなく、レジュメは160部を印刷。

15分前にレジュメを抱えて、教室(3号館5階502番)へ。
15時、授業開始。
教室を見渡すと、明らかに125名より多い。
残りレジュメから計算すると142名。
来週は、さらに1割ほど増えると思う。
160部、刷ってほぼ正解。

それでも前年度が199名だから。2割ほど減るかも。
(学部改組&履修システム変更の影響)

15時、講義開始。
第1講は「ガイダンス-「性」を考えることの意味-」。
まず、シラバス(授業計画)のプリントを渡して説明。

次に、講師の自己紹介を兼ねて、私の今までの軌跡と研究してきたことについて話す。
パワーポイントで写真を見せながら簡潔に。
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■ 私の軌跡 -新宿歌舞伎町の女装ホステスからトランスジェンダー研究者へ-
(1)性別違和感の自覚と女装技術の習得
(2)ネオンの似合う「女」になる
(3)トランスジェンダーの当事者として語る
(4)「女」性研究者としてのスタート
(5)大学の教壇に立つ
(6)海外に視野を広げる
(7)トランスジェンダー研究者として 
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最後に、セクシュアリティ研究の講義を受講する「動機づけ」として、「性」を考えることの意味について話す。
■ 「性」を考えることの意味
(1)「生」と「性」の不可分性
(2)「性」を内省することの必要性
(3)性別二元社会の仕組みを知る
--------------(ここまで)------------------
(4)女性と性的マイノリティが果たしてきた役割
(5)「性」を考えることの普遍性と今日性

ちょっとだけ説明が残ってしまったが、まずまずの進度。

16時30分、終了。
男子学生が寄ってきて、
「先生、東京経済大学で教えてましたよね?」と言う。
「うん、昨年度まで、教えてたよ」
「僕の従兄が4年前に東経大で先生の授業を取ってて、『面白いからぜひ履修しろ』って言われまして」
「ああ、そうなんだ。その従兄さんによろしく言っといて」

まずいなぁ、評判がインターカレッジになってきた。

講師控室に戻り、後片付け。
16時46分、辞去。
お天気が良かったので、バスに乗らず海を見ながら歩こうと思っていたら、目の前にバスが停まり、乗ってしまう。

横浜駅構内の「ドトール」で休憩。
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(続く)

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