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「伊集院忍ホモ相談所」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月29日(土)

この数日ほど、1960年代前半に新宿2丁目にあっやゲイバー「ぼんち」について調べている。

なぜ、調べているかというと、現在の「新宿2丁目・ゲイタウン」のエリアに、最初に出店したゲイ・バーが「ぼんち」である可能性が高いからだ。

「ぼんち」ついては、いずれ研究報告の上、論考にする予定だが、その副産物として「伊集院忍ホモ相談所」を紹介する。

この時期刊行されていた性風俗(変態)総合雑誌『風俗奇譚』(文献資料刊行会)に伊集院忍(いじゅういんしのぶ)が初めて登場するのは1963年1月号で、大田区女塚(おなづか)1-1(現:大田区西蒲田1丁目、JR蒲田駅の北西)に移転したこと(詳細な地図付き)、「お暇のとき・ご上京の節は談話室としてご利用ください」と述べている。
風俗奇譚』196301(伊集院).jpg

以後、1965年3月号まで、大田区女塚の住所で「男子ホモ」の相談を行っている。
風俗奇譚』196402(伊集院).jpg

そして、1965年2月号からは「伊集院忍ホモ相談所」を名乗るようになる。
風俗奇譚』196502(伊集院).jpg

さらに、1965年4月号からは、住所が新宿区新宿2丁目48に変わる。
風俗奇譚』196505(伊集院).jpg
大田区蒲田から新宿区新宿2丁目に進出する。
48番地は旧「青線」墓場横町で、現在のレズビアン小路のあたり。

これは、現在、確認できる範囲で、「新宿2丁目・ゲイタウン」のエリアに立地したゲイ関係施設として3番目になる。(2番目は1963年9月号に酷国が見える「紳士の社交場 てんてこ」) 

伊集院忍という人は、現在ではまったく忘れ去られているが、1960年代中頃の「ホモ」業界では、それなりに知られた人らしい。
『風俗奇譚』へのデビューは、1963年5月号の「間宮浩さんへの公開状」。
その後、1964年1月号から1965年7月号まで、小説『ソドムの海』を連載する。
また、連載終了前後から、「ホモ」関連の論説をほぼ毎号執筆している(1965年5月号~1966年6月号)。
「あるホモ青年の相談と回答」(1965年5月号)
「上京を希望する青少年への回答」(1965年6月号)
「中性タイプはなぜ悪いか」(1965年8月号)
「プロを見分ける法」(1965年9月号)
「ホモは治療できるか」(1965年10月号)
「ホモと結婚」(1965年11月号)
「続・ホモの結婚」(1965年12月号)
「ホモ相談雑話」(1966年1月号)
「ホモのドウセイ生活」(1966年2月号)
「ホモの人生観」(1966年3月号)
「ホモとめがね」(1966年4月号)
「HOMOよ幸福に」(1966年6月号)

【まとめ】
1965年に男性同性愛関係の施設が新宿2丁目に移転する動きがあったことが重要。
1963年春に開店した「ぼんち」を核に、すでに1950年代からゲイバーが立地していた「千鳥街」(新宿通り南側)に加えて、新宿2丁目・新宿通り北側にも少しずつ男性同性愛者が集まりだしていたことが見えてきた。

そして、1968年の「千鳥街」の解体によって、二丁目(新宿通り北側)エリアに急速にゲイバーが進出する(「千鳥街ビッグバン説」)


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