藤原実資の妻 [テレビ批評(光る君へ)]
2月18日(日)
「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。
藤原実資の妻・桐子(演:中島亜梨沙)が登場。
参議昇進を花山天皇の叔父・藤原義懐に先を超され、愚痴る藤原実資に、
「あなた、それ私に言わないで日記に書きなさいよ」
と言う。
「日記には書かぬ!」
と応える実資。
(でも書いている。『小右記』寛和元年9月14日条)
10世紀後半~11世紀前半の貴重な記録・小野宮右大臣藤原実資の『小右記』のネタを巧みに入れている。
史実として、実資の最初の妻は、文徳源氏・参議従三位源惟正の娘だが、寛和2年(986)に亡くなっている。
次に、村上天皇の皇子・為平親王の娘で花山天皇の女御だった婉子女王と、天皇の退位・出家(985)後に結婚している。
「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。
藤原実資の妻・桐子(演:中島亜梨沙)が登場。
参議昇進を花山天皇の叔父・藤原義懐に先を超され、愚痴る藤原実資に、
「あなた、それ私に言わないで日記に書きなさいよ」
と言う。
「日記には書かぬ!」
と応える実資。
(でも書いている。『小右記』寛和元年9月14日条)
10世紀後半~11世紀前半の貴重な記録・小野宮右大臣藤原実資の『小右記』のネタを巧みに入れている。
史実として、実資の最初の妻は、文徳源氏・参議従三位源惟正の娘だが、寛和2年(986)に亡くなっている。
次に、村上天皇の皇子・為平親王の娘で花山天皇の女御だった婉子女王と、天皇の退位・出家(985)後に結婚している。
古麻呂、失踪 [テレビ批評(光る君へ)]
「打毬(だきゅう)」のシーン [テレビ批評(光る君へ)]
和泉式部は誰? [テレビ批評(光る君へ)]
2月13日(火)
「光る君へ」。
主役の紫式部(吉高由里子)に加えて、
赤染衛門(凰稀かなめ)
藤原道綱の母(財前直見)
清少納言(ファーストサマーウイカ)
と、この時代に活躍した才女たちが続々登場。
ただ、まだ和泉式部だけが配役の発表がない。
赤染衛門と並ぶ当代一流の女性歌人。
紫式部とは、中宮・藤原彰子に仕える同僚。
出てこないはずはない。
和泉式部、この時代の女性の一般で、生没年不詳(978年頃生れ説あり)だが、おそらく紫式部(このドラマでは970年生の設定)より少し歳下。
冷泉天皇の2人の皇子(為尊親王・敦道親王)に愛されながら次々に死別する恋多き女性を誰が演じるのだろう?
ここまで引っ張ると言うことは、それなりに名のある女優さんだろう。
「光る君へ」。
主役の紫式部(吉高由里子)に加えて、
赤染衛門(凰稀かなめ)
藤原道綱の母(財前直見)
清少納言(ファーストサマーウイカ)
と、この時代に活躍した才女たちが続々登場。
ただ、まだ和泉式部だけが配役の発表がない。
赤染衛門と並ぶ当代一流の女性歌人。
紫式部とは、中宮・藤原彰子に仕える同僚。
出てこないはずはない。
和泉式部、この時代の女性の一般で、生没年不詳(978年頃生れ説あり)だが、おそらく紫式部(このドラマでは970年生の設定)より少し歳下。
冷泉天皇の2人の皇子(為尊親王・敦道親王)に愛されながら次々に死別する恋多き女性を誰が演じるのだろう?
ここまで引っ張ると言うことは、それなりに名のある女優さんだろう。
弘徽殿の女御(こきでんのにょうご) [テレビ批評(光る君へ)]
2月11日(日・祝)
「光る君へ」第6話で、花山天皇の寵愛を受けながらも、はかなく消えた弘徽殿の女御・藤原忯子(よしこ)役の井上咲楽さんのツイート。
-----------------------------
井上咲楽 @bling2sakura
·ついに喋りました!
大河ドラマに出る日が来るなんて…しかも寵愛されすぎて寝込んでしまうなんて!
貴重な機会でした。本当にありがとうございました
------------------------------
登場場面は3回あったが、1回目は初枕のシーンで、「変態」の皇太子に手首を縛られるだけで、台詞無し。
2回目は、ご寵愛が過ぎて、ぐったり臥せっているシーンで、やはり台詞無し。
一言も発しないで出番が終わるかと思われたが、3回目の天皇が見舞うシーンで、やっと台詞があった。
しかし、その直後、亡くなる。
そして、その死は、時の政局に大きな影響を与えることになる。
「光る君へ」では、花山天皇の弘徽殿女御は、はかなく亡くなってしまうが、『源氏物語』で弘徽殿の女御と言えば、主人公・光源氏の最大の敵役。
でも、単に内裏の弘徽殿が御在所の女御さまということなので、多くの御代に弘徽殿女御がいた。
天皇の御在所である清涼殿から最も近い後宮の殿舎なので、天皇のお渡りが頻繁な有力な女御の殿舎になることが多かった。
早い話、利便性。
逆に、『源氏物語』で、光源氏の母(桐壺更衣)が住んでいた桐壺は、とても遠い。
「光る君へ」第6話で、花山天皇の寵愛を受けながらも、はかなく消えた弘徽殿の女御・藤原忯子(よしこ)役の井上咲楽さんのツイート。
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井上咲楽 @bling2sakura
·ついに喋りました!
大河ドラマに出る日が来るなんて…しかも寵愛されすぎて寝込んでしまうなんて!
貴重な機会でした。本当にありがとうございました
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登場場面は3回あったが、1回目は初枕のシーンで、「変態」の皇太子に手首を縛られるだけで、台詞無し。
2回目は、ご寵愛が過ぎて、ぐったり臥せっているシーンで、やはり台詞無し。
一言も発しないで出番が終わるかと思われたが、3回目の天皇が見舞うシーンで、やっと台詞があった。
しかし、その直後、亡くなる。
そして、その死は、時の政局に大きな影響を与えることになる。
「光る君へ」では、花山天皇の弘徽殿女御は、はかなく亡くなってしまうが、『源氏物語』で弘徽殿の女御と言えば、主人公・光源氏の最大の敵役。
でも、単に内裏の弘徽殿が御在所の女御さまということなので、多くの御代に弘徽殿女御がいた。
天皇の御在所である清涼殿から最も近い後宮の殿舎なので、天皇のお渡りが頻繁な有力な女御の殿舎になることが多かった。
早い話、利便性。
逆に、『源氏物語』で、光源氏の母(桐壺更衣)が住んでいた桐壺は、とても遠い。
どうする、道長! [テレビ批評(光る君へ)]
2月11日(日・祝)
「光る君へ」第6回「二人の才女」。
「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに」
「漢詩の会」で、思いがけず「まひろ」と出会った後、藤原道長が「まひろ」に贈った歌。
『伊勢物語』第七十一段「神
のいがき(斎垣)」に見える「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の みまく欲しさに」。
「大宮人の」を「恋しき人の」に変えている。
道長の「まひろ」を思う気持ちよく表われている。
古歌に思いを託すこともあるが、やっぱり自作じゃないのが、ちょっと・・・。
道長の「まひろ」を思う気持ちがつのる一方、父・兼家と姉・詮子の双方から、左大臣家の姫君(倫子さま)との結婚を勧められる。
どうする、道長!
(って、歴史はもう決まっているのだが)
「光る君へ」第6回「二人の才女」。
「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに」
「漢詩の会」で、思いがけず「まひろ」と出会った後、藤原道長が「まひろ」に贈った歌。
『伊勢物語』第七十一段「神
のいがき(斎垣)」に見える「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の みまく欲しさに」。
「大宮人の」を「恋しき人の」に変えている。
道長の「まひろ」を思う気持ちよく表われている。
古歌に思いを託すこともあるが、やっぱり自作じゃないのが、ちょっと・・・。
道長の「まひろ」を思う気持ちがつのる一方、父・兼家と姉・詮子の双方から、左大臣家の姫君(倫子さま)との結婚を勧められる。
どうする、道長!
(って、歴史はもう決まっているのだが)
「漢詩の会」 [テレビ批評(光る君へ)]
2月11日(日・祝)
「光る君へ」第6回「二人の才女」
藤原道隆(道長の兄)邸での「漢詩の会」。
講師(評価担当)として招かれた父・藤原為時に随行した「まひろ」(左端)。
そこに、「漢詩が苦手で」不参加の予定だった道長が現れる。
で、道長が提出した詩。
賜酒盈杯 誰共持(賜酒、杯に盈れど,誰と共にか持せん)
宮花満把 独相思(宮花、把に満ちて、独り相い思う)
相思 只傍花辺立(相い思いて 只だ花辺に傍いて立ち)
尽日 吟君咏菊詩(尽日、君が菊を詠ぜし詩を吟ず)
あれ? 菊の季節じゃないのに??
(「漢詩の会」の設定は4月27日以降7月18日以前。道隆の庭に藤が咲いているので、おそらく夏)
それに、これ白楽天の「禁中九日 対菊花酒憶元九」ではないか!
盗作だ、盗作だぁ!
と思ったら、同席の藤原斉信や藤原行成も、白居易(楽天)の詩を提出している。
斉信が『花下自勸酒』(白居易)。
行成が『獨酌憶微之』(白居易)。
この「漢詩の会」、どうも自作の詩でなく、好きな(他人の)詩でいいらしい。
そんな「漢詩の会」聞いたことない。
漢詩を作ることは、平安時代の上級貴族にとっては、基礎教養の一つ。
得手・不得手はあっただろうが・・・。
史実として、藤原道長は、少なくとも和歌より漢詩が得意で、残されている作品のレベルはなかなかのもの。
ドラマで、ただ一人、自作を提出し、一等の評価を得た藤原公任の漢詩。
一時過境無俗物
莫道醺々漫酔吟
聖明治迩何相改
貞観遺風触眼看
同時代の漢詩文集『本朝麗藻』に入っている公任の作品の、別々の2首の句をつなぎ合わせたもの。
『夏日同賦未飽風月思』の7・8句と、『冬日陪菸飛香舍、聽第一皇子始讀御注孝經、應教詩』の
の3・4句の合成。
韻が同じなので、それらしく読める。
公任は,朗詠に適した漢詩・漢文・和歌を集めた『和漢朗詠集』を編纂したほどの才人なので、レベルが違う。
「光る君へ」第6回「二人の才女」
藤原道隆(道長の兄)邸での「漢詩の会」。
講師(評価担当)として招かれた父・藤原為時に随行した「まひろ」(左端)。
そこに、「漢詩が苦手で」不参加の予定だった道長が現れる。
で、道長が提出した詩。
賜酒盈杯 誰共持(賜酒、杯に盈れど,誰と共にか持せん)
宮花満把 独相思(宮花、把に満ちて、独り相い思う)
相思 只傍花辺立(相い思いて 只だ花辺に傍いて立ち)
尽日 吟君咏菊詩(尽日、君が菊を詠ぜし詩を吟ず)
あれ? 菊の季節じゃないのに??
(「漢詩の会」の設定は4月27日以降7月18日以前。道隆の庭に藤が咲いているので、おそらく夏)
それに、これ白楽天の「禁中九日 対菊花酒憶元九」ではないか!
盗作だ、盗作だぁ!
と思ったら、同席の藤原斉信や藤原行成も、白居易(楽天)の詩を提出している。
斉信が『花下自勸酒』(白居易)。
行成が『獨酌憶微之』(白居易)。
この「漢詩の会」、どうも自作の詩でなく、好きな(他人の)詩でいいらしい。
そんな「漢詩の会」聞いたことない。
漢詩を作ることは、平安時代の上級貴族にとっては、基礎教養の一つ。
得手・不得手はあっただろうが・・・。
史実として、藤原道長は、少なくとも和歌より漢詩が得意で、残されている作品のレベルはなかなかのもの。
ドラマで、ただ一人、自作を提出し、一等の評価を得た藤原公任の漢詩。
一時過境無俗物
莫道醺々漫酔吟
聖明治迩何相改
貞観遺風触眼看
同時代の漢詩文集『本朝麗藻』に入っている公任の作品の、別々の2首の句をつなぎ合わせたもの。
『夏日同賦未飽風月思』の7・8句と、『冬日陪菸飛香舍、聽第一皇子始讀御注孝經、應教詩』の
の3・4句の合成。
韻が同じなので、それらしく読める。
公任は,朗詠に適した漢詩・漢文・和歌を集めた『和漢朗詠集』を編纂したほどの才人なので、レベルが違う。
清少納言、登場 [テレビ批評(光る君へ)]
2月11日(日・祝)
「光る君へ」来週(第6回)「二人の才女」。
「ききょう」(清少納言)が登場(役:ファーストサマーウイカ)。
紫式部と清少納言は、よくライバル視されるが、世代的には清少納言が村上朝(966年頃)生れなのに対し、紫式部は円融朝の970~978年頃の生まれで、清少納言が上。
後宮での活躍時期も、清少納言が正暦4~長保2年(993~1000)、式部が寛弘2~長和2~?(1006~1014~?)で、すれ違い。
お互い認識はあったが、実際に会っていたかはかなり微妙。
ドラマでは、寛和元年(985)の藤原道隆邸の作文会で、それぞれの父親(清原元輔と藤原為時にそれぞれ随行した若き日の2人が出会っていたという設定。
↑ 作文会が始まる前に挨拶を交わす清原元輔(左)と藤原為時(右)。
それぞれの娘「ききょう(清少納言)」と「まひろ(紫式部)」を伴っている。
「光る君へ」来週(第6回)「二人の才女」。
「ききょう」(清少納言)が登場(役:ファーストサマーウイカ)。
紫式部と清少納言は、よくライバル視されるが、世代的には清少納言が村上朝(966年頃)生れなのに対し、紫式部は円融朝の970~978年頃の生まれで、清少納言が上。
後宮での活躍時期も、清少納言が正暦4~長保2年(993~1000)、式部が寛弘2~長和2~?(1006~1014~?)で、すれ違い。
お互い認識はあったが、実際に会っていたかはかなり微妙。
ドラマでは、寛和元年(985)の藤原道隆邸の作文会で、それぞれの父親(清原元輔と藤原為時にそれぞれ随行した若き日の2人が出会っていたという設定。
↑ 作文会が始まる前に挨拶を交わす清原元輔(左)と藤原為時(右)。
それぞれの娘「ききょう(清少納言)」と「まひろ(紫式部)」を伴っている。
倫子さま走る [テレビ批評(光る君へ)]
2月6日(火)
「光る君へ」第5回「告白」。
左大臣家の姫君・倫子さまの愛猫が逃走して、それを姫君が追いかけて(シュタタタタタタという感じで、かなり速い)、父の左大臣・源雅信と客の太政大臣・藤原頼忠(公任の父)、右大臣・藤原兼家(道長の父)たちの前をよぎるシーン。
『源氏物語』若菜の巻・上で、光源氏の正妻・女三宮の飼猫の紐が御簾に絡んで、御簾が上がり、女三宮の顔を柏木が見てしまう(そして密通につながる)シーンのオマージュ(というかパロディ)であるのは、『源氏』好きにはすぐわかる。
しかし、いくら愛猫が逃げたとはいえ、聡明で思慮深い倫子さまがそんな無作法なミスをするはずはなく、猫を利用した「わざと(策略)」ではないか?というのが、倫子さまファンの間でのもっぱらの評判。
そもそも,当時の「寝殿造」の構造からして、主人が客を迎える「寝殿」と家族が住む「北の対」とは別の建物。
偶然、こんなことが起こるはずがない。
やはり、道長の父、兼家に自らの存在を認識させる戦略のように思う。
ちなみに、猫の名前は「こまろ(小麻呂)」らしい。
「光る君へ」第5回「告白」。
左大臣家の姫君・倫子さまの愛猫が逃走して、それを姫君が追いかけて(シュタタタタタタという感じで、かなり速い)、父の左大臣・源雅信と客の太政大臣・藤原頼忠(公任の父)、右大臣・藤原兼家(道長の父)たちの前をよぎるシーン。
『源氏物語』若菜の巻・上で、光源氏の正妻・女三宮の飼猫の紐が御簾に絡んで、御簾が上がり、女三宮の顔を柏木が見てしまう(そして密通につながる)シーンのオマージュ(というかパロディ)であるのは、『源氏』好きにはすぐわかる。
しかし、いくら愛猫が逃げたとはいえ、聡明で思慮深い倫子さまがそんな無作法なミスをするはずはなく、猫を利用した「わざと(策略)」ではないか?というのが、倫子さまファンの間でのもっぱらの評判。
そもそも,当時の「寝殿造」の構造からして、主人が客を迎える「寝殿」と家族が住む「北の対」とは別の建物。
偶然、こんなことが起こるはずがない。
やはり、道長の父、兼家に自らの存在を認識させる戦略のように思う。
ちなみに、猫の名前は「こまろ(小麻呂)」らしい。