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六条の荒れ屋敷で [テレビ批評(光る君へ)]

3月10日(日)

「光る君へ」(第10回)「月夜の陰謀」

六条の荒れ屋敷、破れた屋根から降り注ぐ月光のもとで、「まひろ(後の紫式部)」と道長が結ばれる。
月光.jpg
月光2.jpg
NHK大河ドラマでは珍しいラブシーン。
とても美しい映像だった。

そして、寛和の政変(986年)。
花山天皇が退位、一条天皇が践祚。
天皇の外祖父になった藤原兼家は、ついに摂政の座に。
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「光る君へ」の次回は「寛和の変」 [テレビ批評(光る君へ)]

2月27日(火)

寛和2年(986)6月22日夜、花山天皇は内裏を抜け出し、山科の元慶寺で出家し、退位となる(寛和の変)。
代わって、23日、皇太子・懐仁親王(7歳)が践祚(一条天皇)し、24日。外祖父の藤原兼家が摂政となる。

道長も、摂政の(嫡妻腹の)三男として、急速に昇進していく。
7月23日、従五位上に昇進し、兄。道兼に代わって五位蔵人になり、4日後の27日に正五位下に昇進、8月15日、少納言に任ぜられ、10月15日、左近衛少将(少納言と兼官)、11月11日には従四位下となる。
わずか4カ月間に、3回の昇進を重ね、まかなかなれなかった近衛の少将となる。
今までの官位停滞が嘘のような昇進ぶりで、その後、左大臣家の姫君・源倫子と結婚する。

ところで、「光る君へ」の主人公「まひろ」(紫式部)は、長徳2年(996)、父・藤原為時の越前守赴任に同行して、越前国府(現:福井県越前市武生)に下る。
このドラマの設定だと「まひろ」は27歳。
ドラマの現在(986年、17歳)からの10年間、どう繋ぐのだろう?
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「光る君へ」寛和2年(986) [テレビ批評(光る君へ)]

2月26日(月)

寛和2年(986)(官位は6月22日。花山天皇退位の直前)
道長、まったく出世していない。
倫子さま、当時としては超晩婚。

まひろ(紫式部)970年生設定 17歳
藤原道長 966年生 21歳 従五位下右兵衛権佐
源 倫子 964年生 23歳

藤原兼家 929年生 58歳 正二位右大臣
藤原道隆 953年生 34歳 従三位右近衛中将
藤原道綱 955年生 32歳 正五位下左近衛少将
藤原道兼 961年生 26歳 正五位下左少弁 五位蔵人
藤原詮子 962年生 25歳

藤原頼忠 924年生 63歳 従一位関白太政大臣
源 雅信 920年生 67歳 正二位左大臣
藤原義懐 957年生 29歳 従二位権中納言
藤原実資 957年生 29歳 従四位上左近衛中将 蔵人頭
藤原公任 966年生 21歳 正四位下左近衛権中将 
藤原斉信 967年生 20歳 従五位上左近衛少将
藤原行成 972年生 15歳 従五位下侍従
藤原為時     正六位上 式部丞 蔵人
安倍晴明 921生生 66歳

花山天皇 968年生 19歳
懐仁親王(後の一条天皇) 980年生 7歳

赤染衛門 956年頃生 30歳
清少納言 966年頃生 20歳



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古麻呂、無事に戻る [テレビ批評(光る君へ)]

2月26日(月)

「光る君へ」(第8回)「招かれざる者」

打毬の会の後の、土砂降りの雨に濡れた古麻呂は、風邪も引かずに帰ってきたが、雨の中探しに行った「まひろ」が少し風邪を引いた。
ということは、「まひろ」が見つけて、連れ帰ったということなのか。


倫子さま、打毬の会で観た道長に恋したらしい。
頬をあからめ「道長さま」とつぶやくシーンがかわいい。

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平安時代中期の記録が少ないなんて、と~~んでもない [テレビ批評(光る君へ)]

2月24日(土)

NHK大河ドラマ「光る君へ」について、「平安時代は記録が少ないから、勝手にドラマが作れる」と言う人がいたが、と~~んでもない。

10~11世紀の記録がこんなにたくさん残っている国は、世界でも日本だけ。
しかも、後代に編纂された年代記ではなく、同時代の記録が多数残っている。

「光る君へ」の主人公の1人、藤原道長の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』(998~1021)は自筆本14巻(半年1巻)が残っている。
この時代の政治の権力者の自筆日記なんて世界中どこにもない。
だから、2011年にユネスコの世界記録遺産に指定された。

ちなみに、道長は権力を掌握した995年から日記を書き始めるので、「光る君へ」の今(986年)の時点では書いていない。

「光る君へ」で、その記録魔ぶりを、妻にからかわれている藤原実資の『小右記(しょうゆうき)』(982~1032年)は、自筆本ではないが、全61巻、50年以上の長にわたって書き続けられた。

「光る君へ」,道長の年下の友人として活躍している藤原うえ行成の日記『権記(ごんき)』(991~1011)もある。

とりわけ、3つの日記が並行する長保~寛弘年間(999~1011)は、ほとんど日単位でなにがあったかがわかる。

1000年前のことが、これほど詳細にわかる国は、世界でも日本だけということ、もう少し広く知られてもいいと思う。
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姫さまたち [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

青年貴族たちの「打毬」を見物してはしゃぐ姫さまたち。
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まひろ(左端)の膝もとに古麻呂(猫)がいる。
その右が清少納言。
右端に赤染衛門。
中央はもちろん倫子さま。

史実としては、当時の高貴な阿女性が、こんなに顔丸出しにすることはあり得ないが(必ず前に几帳を置く)、そこはテレビドラマの演出。


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藤原実資の妻 [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

藤原実資の妻・桐子(演:中島亜梨沙)が登場。
藤原実資.jpg藤原実資の妻.jpg
参議昇進を花山天皇の叔父・藤原義懐に先を超され、愚痴る藤原実資に、
「あなた、それ私に言わないで日記に書きなさいよ」
と言う。
「日記には書かぬ!」
と応える実資。
(でも書いている。『小右記』寛和元年9月14日条)

10世紀後半~11世紀前半の貴重な記録・小野宮右大臣藤原実資の『小右記』のネタを巧みに入れている。

史実として、実資の最初の妻は、文徳源氏・参議従三位源惟正の娘だが、寛和2年(986)に亡くなっている。

次に、村上天皇の皇子・為平親王の娘で花山天皇の女御だった婉子女王と、天皇の退位・出家(985)後に結婚している。


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古麻呂、失踪 [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

左大臣家の姫君・倫子さまの愛猫・古麻呂。
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「打毬」見物に連れて行ってもらい、この立派な縁付きの畳をガリガリする。

終盤、雨の中、逃げ出してしましまうい、「まひろ」が追いかけるが、行方不明。
大勢のファンが心配している。

古麻呂を探しに行った「まひろ」が青年貴族たち(藤原公任・斉信)のあけすけな女性観・結婚観を立ち聞きして、失望してしまう。
猫が舞台回し役になるのは、『源氏物語』柏木の、雨が降る中、青年貴族たちの語り合いは同じく帚木(ははきぎ)の「雨の世の品定め」に通じている。


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「打毬(だきゅう)」のシーン [テレビ批評(光る君へ)]

2月18日(日)

「光る君へ」(第7回)「おかしきことこそ」。

「打毬(だきゅう)」のシーン、青年貴族たち、かっこいい。
打毬.jpg
打毬は、馬上からスティックでボールを打つ、現代のポロの原型。
かなり難易度が高いと思う。

よく、実写で撮ったと思う。
前年の戦国もの大河ドラマの騎馬シーンが、合成が多かったのとは、制作者の姿勢かなり違う。

ただし、時代考証としては、平安中期の青年貴族が「打毬」をやったかは、かなり疑問。
もっと下の身分の者(近衛府の武官)がやって、貴族たちはそれを観ていたと思う。
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和泉式部は誰? [テレビ批評(光る君へ)]

2月13日(火)

「光る君へ」。

主役の紫式部(吉高由里子)に加えて、
赤染衛門(凰稀かなめ)
藤原道綱の母(財前直見)
清少納言(ファーストサマーウイカ)
と、この時代に活躍した才女たちが続々登場。

ただ、まだ和泉式部だけが配役の発表がない。
赤染衛門と並ぶ当代一流の女性歌人。
紫式部とは、中宮・藤原彰子に仕える同僚。
出てこないはずはない。

和泉式部、この時代の女性の一般で、生没年不詳(978年頃生れ説あり)だが、おそらく紫式部(このドラマでは970年生の設定)より少し歳下。

冷泉天皇の2人の皇子(為尊親王・敦道親王)に愛されながら次々に死別する恋多き女性を誰が演じるのだろう?

ここまで引っ張ると言うことは、それなりに名のある女優さんだろう。
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