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何が書いある? [テレビ批評(光る君へ)]

5月12日(日)

「光る君へ」第19回。

倫子さまが覗き見していた道長の日記。
御堂関白記 長徳元年.jpg
長徳元年(995)8月18日条
牽き分けし御馬を直廬に持ち来る。
使いの近衛に疋絹を給ひ了んぬ。

東国の御牧から貢上されてきた御馬を牽き分けて、私の直廬(宮中での宿舎)に持ってきた。使の近衛に疋絹を与えた。

読まれてまずいことは書いていない。

ちなみに、長徳元年の『御堂関白記』自筆本は残っていないので、これは時代考証の倉本一宏先生の指導による番組スタッフの復元。
よくできている。
記事は「御堂御記抄」にある。

さらに、倉本教授によると、この種の日記が記入できる間空き具注暦は、前年の内に注文しておく特注品なので、この年以前に日記を書く習慣がなかった道長は持っていなかっただろう、とのこと。
なるほど。
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『御堂関白記』の思い出 [テレビ批評(光る君へ)]

5月12日(日)

「光る君へ」第19回

30歳という異例の若さで、内覧・右大臣として執政の座に着いた藤原道長。
蔵人頭に抜擢された藤原行成に、日記を書くように勧められる。

道長は政権首座になった長徳元年(995)から日記を書き始める。
初めのうちは記述も飛び飛びで、一日の記述量も少ない(1~2行)。
それでも頑張って書き続ける内に、記述量も増え、内容も充実していく。
藤原実資の『小右記』や、行成の『権記』ほどではないが。

今夜の放送後の「紀行」で、道長の自筆日記『御堂関白記』(国宝)を収蔵している「陽明文庫」(道長の子孫の近衛家の御文庫)が紹介されていた。
御堂関白記.jpg
私は2度、見学したことがある。
1度は大学院時代(男性研究者時代)、私の古記録読みの師匠である山中裕先生に連れられて。

もう1度は、国際日本文化研究センターの共同研究会で、「光る君へ」の時代考証を務める倉本教授教授尾中にに連れられて。

『御堂関白記』は国宝なので、通常はガラスケースの中に展示されている。
ところが、倉本教授が「裏書を見たい」と希望。
すると、文庫の管理者(文庫長)の名和修さんが、ケースの鍵を開けて「日記」を取り出し、該当箇所を出して裏返した。
その様子が、実に手慣れていて、かつ大胆で、ドキドキした。

その余録で、国宝をケース越でなく直にみることができた。

こういう場合の訓練は受けていても、やはり、緊張するものだ。

ちなみに、汗や涎はもちろん、女性研究者の場合は化粧品の粉が落ちるのも厳禁なので、覆い被さるように見てはいけない。

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山の幸の贈り物 [日常(料理・食べ物)]

5月11日(土)

10日程早い「誕生日祝い」が届いた。
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↑ 信州の山の幸、タラの芽とコシアブラ

うれしい! 
ありがとうございます。

さっそく、タラの芽をお浸しに。
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やっぱち天然物は風味が違う!
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