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売春容疑で(年間)140人逮捕、歌舞伎町 [現代の性(一般)]

1月15日(月)

現行法規である「売春防止法」は、その第3条(処罰の対象)で、
「何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない」
と定めている。

しかし、意外に知られていないことだが、実は、売春行為・買春行為そのものを摘発し処罰する条文はない。
処罰の対象は、第5~13条にずらりと規定されているが、そこには単純売春は規定されていない。

つまり、管理売春・組織売春ではない単純売春は違法だが、処罰はされないという法の建付けになっている。

だから、売春女性が摘発されるのは、ほとんどの場合、第5条(勧誘等)、公衆の目に触れる方法による売春の勧誘、つきまとい、客待ちなど、ということになる。

2023年、新宿・歌舞伎町で売春防止法違反容疑で140人の女性が逮捕されたが、その容疑のほとんどは、第6条の「客待ち」行為だった。
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売春容疑で140人逮捕、4割「ホストやメン地下のため」 歌舞伎町

東京都新宿区歌舞伎町の大久保公園周辺で売春目的で客待ちする女性について、警視庁は20日、取り締まり状況を公表した。今年1月から12月19日までに17~56歳の女性140人を売春防止法違反(客待ち)容疑で現行犯逮捕し、3割強がホストクラブで遊ぶためと説明したという。

保安課によると、140人のうち20代が106人、30代が22人、40代以上が9人、10代が3人。合計は昨年1年間の51人の3倍近くになった。

動機別では、44人がホストクラブでの遊興費が目的と答え、売掛金を抱えた女性も複数いたという。遊興費目的としては、メンズ地下アイドルが15人、メンズコンセプトカフェも1人いた。

警視庁は9月以降、歌舞伎町のホストクラブに対して2回、風営法に基づく一斉立ち入り検査を実施。12月15日の検査では176店舗に立ち入り、132店でシャンパンタワーなどの料金表示違反が確認された。

ホストクラブを巡っては、ホストが女性客へ高額な売掛金を負わせて返済のため売春させるケースが確認されており、問題視されている。保安課は「客待ち対策だけでなく、売掛金にかかる違法行為や売春を促す行為は今後も取り締まっていく」と話した。(御船紗子)

『朝日新聞』「2023年12月20日 12時43分
https://www.asahi.com/articles/ASRDN42X2RDNUTIL00J.html
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夕顔の歌 [テレビ批評(光る君へ)]

1月14日(日)

NHK大河ドラマ「光る君へ」第2話。

代筆業をやっている「まひろ」(後の紫式部)が客の男に代作してあげた和歌、

寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔

は、『源氏物語』巻4「夕顔」に出てくる光源氏の歌。

「夕顔」で、気づく人は気づく。
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花山天皇の女性関係 [テレビ批評(光る君へ)]

1月14日(日)

NHK大河ドラマ「光る君へ」第2話。
皇太子・師貞親王(後の花山天皇)の「親子丼」(一人の男性が母・娘と同時に性的関係を持つこと)の話が出てきた。

これ実話。

第一親王・清仁親王(?-~1030年)の母は「中務」という女房(平祐之の娘)
そして、
第二親王・昭登親王(998年 ~1035年)の母は、平祐忠と「中務」の間の娘(平平子)。

ほぼ同時期に母と娘に子を産ませている。

性的関係の規範が緩い平安時代でも、さすがに没義道とされ、花山天皇の父である冷泉上皇の第五皇子、第六皇子とされた。

一条天皇の寛弘元年(1004)になって、ようやく親王宣下された。

ちなみに、清仁親王の子孫が神祇伯を世襲する白川伯王家になる。

両親王とも、花山天皇の退位・出家後の一条朝になってからの出生と思われ、ドラマのような皇太子時代の話ではないと思われる。

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「光る君へ」(第2回)「めぐりあい」 [テレビ批評(光る君へ)]

1月13日(日)

NHK大河ドラマ「光る君へ」(第2回)。

前回から6年、成長した「まひろ」(式部)と三郎(道長)が再会する。
「まひろ」が石を蹴った際に、履物が脱げ飛んで、道長の後頭部に当たるという少女漫画チックな再会。
光る君へ2.jpg
ところで、平安時代中期の貴族の官途は、家柄と父親の地位でだいたい決まったコースになる。
大臣クラスの子息だと、

叙爵(従五位下)→侍従→兵衛佐→近衛少将→従五位上

という感じで、以後は近衛少将で従四位下まで昇り、近衛中将に転じ、蔵人頭(頭中将)になり、参議(公卿)に昇る。

武官である近衛府の次官を経由する「近衛コース」と呼ばれる最優遇コース。

藤原道長の若き日の官途は以下のよう。
15歳
天元3年(980)1月7日:従五位下(冷泉院御給)
18歳
天元6年(983)1月27日:侍従
19歳
永観2年(984)2月1日:右兵衛権佐に転任
21歳
寛和2年(986)7月23日:従五位上(佐労)、蔵人に捕せらる。
       7月27日:正五位下(東宮御給)
       10月15日:左近衛少将に転任
       11月18日:従四位下(皇后宮御給)
22歳
寛和3年(987)1月7日:従四位上(臨時、御傍親)、左近衛少将如元
永延元年(987)9月20日:従三位(皇太后宮、摂政第より内裏に入るの賞)、左近衛少将如元

近衛コースなのだが、典型からやや外れている。
位階の昇進は「年爵」という特別枠を使って順調なのだが、近衛少将になるのがやや遅い。
また、大臣の子息で、五位蔵人を経るのは珍しい。
近衛少将として、位階を上げていくが、近衛中将になれない。
結局、少将のまま(中将になれず)従三位まで上がる。
「三位少将」というのは、ほとんど例がない。

22歳で従三位だから、昇進が遅いわけではないが、大臣の子息にしてはやや変則的なコースになったのは、やはり兼家の5男(時姫の3男)ということが影響していると思われる。


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8年と5場所ぶりの木村庄之助 [スポーツ]

1月14日(日)

大相撲初場所初日。
結びの一番を裁くのは、38代木村庄之助。

庄之助が土俵に上がるのは、2015年春場所以来8年と5場所ぶり。

今場所から庄之助を襲名したした41代式守伊之助は、立行司としては差し違えが多く(10度)、はっきり言って技量に?が付く人で、そのせいもあった、庄之助の空位が長く続いた。

新・庄之助は64歳、定年退職まで残り9ヶ月間、秋場所まで5場所を務める見通し。
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