SSブログ

「光る君へ」(第2回)「めぐりあい」 [テレビ批評(光る君へ)]

1月13日(日)

NHK大河ドラマ「光る君へ」(第2回)。

前回から6年、成長した「まひろ」(式部)と三郎(道長)が再会する。
「まひろ」が石を蹴った際に、履物が脱げ飛んで、道長の後頭部に当たるという少女漫画チックな再会。
光る君へ2.jpg
ところで、平安時代中期の貴族の官途は、家柄と父親の地位でだいたい決まったコースになる。
大臣クラスの子息だと、

叙爵(従五位下)→侍従→兵衛佐→近衛少将→従五位上

という感じで、以後は近衛少将で従四位下まで昇り、近衛中将に転じ、蔵人頭(頭中将)になり、参議(公卿)に昇る。

武官である近衛府の次官を経由する「近衛コース」と呼ばれる最優遇コース。

藤原道長の若き日の官途は以下のよう。
15歳
天元3年(980)1月7日:従五位下(冷泉院御給)
18歳
天元6年(983)1月27日:侍従
19歳
永観2年(984)2月1日:右兵衛権佐に転任
21歳
寛和2年(986)7月23日:従五位上(佐労)、蔵人に捕せらる。
       7月27日:正五位下(東宮御給)
       10月15日:左近衛少将に転任
       11月18日:従四位下(皇后宮御給)
22歳
寛和3年(987)1月7日:従四位上(臨時、御傍親)、左近衛少将如元
永延元年(987)9月20日:従三位(皇太后宮、摂政第より内裏に入るの賞)、左近衛少将如元

近衛コースなのだが、典型からやや外れている。
位階の昇進は「年爵」という特別枠を使って順調なのだが、近衛少将になるのがやや遅い。
また、大臣の子息で、五位蔵人を経るのは珍しい。
近衛少将として、位階を上げていくが、近衛中将になれない。
結局、少将のまま(中将になれず)従三位まで上がる。
「三位少将」というのは、ほとんど例がない。

22歳で従三位だから、昇進が遅いわけではないが、大臣の子息にしてはやや変則的なコースになったのは、やはり兼家の5男(時姫の3男)ということが影響していると思われる。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました